第130話 今回の依頼報酬

 色々な意味で見違えてしまったテトリアは僕の胸の中でさんざん泣き散らした後、意識も散らして眠りについた。

 最初は気を失ったことを心配したけど、泣きじゃくってくしゃくしゃな顔はとても安らかだったことで一先ずは、と直ぐに下水道から出ることにした。

 当初の目的である巨大スライム討伐も達成したしね。


「この人はわたしがおぶるから、シズクはコアの方をよろしくね」

「…………え、そう? わかった」


 流れから僕がテトリアを運ぶものかと考えていたが、そこで率先してレティがおぶると言う。

 コアは確かに大きいけど、重量で言えば(失礼だけど)テトリアの方が重そうだ。尚且つ彼女の身体はスライムの体液でべちょべちょだった。

 雑魚スライムから摘出したコアにはまったくと触れようとしなかったレティが、それ以上にべちょべちょのテトリアをおぶると言う理由は僕にはわからない。けれど、レティがそれでいいなら構わない。

 テトリアのことはレティに任せて、僕らは大玉コアを持って来た道を戻った。


『このこは、リコがシズクとあうまえのおともだちなの?』

『うん。まだ僕とルイが商品だった時の知り合いだよ。テトリアは僕らよりも先に買われてね。あの時はルイが泣いて泣いて大変だったかな』


 帰り道の途中、体内から何度とリコがテトリアについて聞いてきた。

 亜人族の中でも人に近い獣人と話をする機会はあるようで全くと無かった。そのため、元魔物、現獣人っぽくなったリコだからこそテトリアに興味を懐いたのだろう。


『そっかー。じゃあ、シズクもさびしかったよね?』

『僕は……そうだね、寂しかったよ』


 確かにテトリアとの別れは僕も寂しく感じた。けれど、本音を言えば、テトリアと別れることは嫌だとは思わなかった。

 どんな形であれ、子供が生活するには劣悪なあの場所から外に出れるならそれもよしとしたからである。

 今は……後悔している。

 こんな体中傷だらけになって、焼き印を押されるような生活がテトリアに待っているなんて知らなかったんだ。

 知っていたとしてもあの頃の僕には何もできない。

 外での生き方も、お金の稼ぎ方も、今みたいな魔法の使い方だって、あの頃の僕は何1つだって持っていなかったのだから。

 過ぎてしまったことを悔やんでも仕方ない……と自分に言い聞かせる。言い聞かせようとした僕が罵声を上げるけど無理やり奥に押し込めた。


『……あの頃のテトは恥ずかしがり屋さんでね。いっつもベニーって年上の女の子の背中に隠れてたんだ』


 僕は笑ってリコにテトリアとの楽しかったところだけを胸の内でリコに話し続けた。

 ちくりと刺さった胸の痛みに気が付かれないように。


 途中何度か迷いつつもどうにか出口にたどり着き、浅いこう配のとても長い階段を上がって地上へと向かう。

 下水道から出ると、背の高いたくさんの太陽が首を傾げて僕らを迎えてくれた。

 ひまわりに似た花……ソノフレラが開かれた視界一面に広がっている。先ほどまでいた地下とではまるで天と地だ。

 潮風を含んだ風が近くのひまわりに似た花の深い香りを鼻腔へと運んでくれる。その香りを嗅いで、異臭によって鼻が麻痺していたことに気が付いた。

 空はまだ日は昇ったままだった。夏日であったため、夕空になるにはもう少しかかるくらいの青々とした空が浮かんでいる。


 ソノフレラがなんでこんな場所に咲いているのかは知らない。自然に生えたものではなく、柵で覆われているから人の手が加わっているものだとはわかる。

 この場所、下水道の入口は王都の郊外で住民が来るには外壁を越えて少し足を運ぶ必要がある。花を育てるにしても少しばかり遠くて、下水道入口付近と言うのは趣が無い気が……いや、下水道入口付近だからこそ作ったのかな。作った本人じゃないから理由はわからない。

 でも、今だけはこんな辺ぴな場所に花畑を作り管理している誰かさんに感謝したい。

 緑色の身体に黄色の顔を持つソノフレラ畑は僕のくすんだ心と目を優しくほぐしてくれた。


 僕とレティはほっと安堵したかのように頬を緩めて青と黄と緑の世界を歩いた。

 リコは外の世界に出た途端に少女の姿を繕い、緑と黄の色を持った彼らにはしゃいで声を上げて舞っていた。

 そして途中で増えた最後の1人は目を閉じ、今もレティの背に身を任せている。


 僕らは今、夏の世界を歩いている。





 テトリアのことは2人に任せ、僕は冒険者ギルドに向かい今回のスライム退治の報酬を受け取りに行く。


 王都グランフォーユには冒険者ギルドが東西北に4つある。それだけこの国が大きく、利用者が多いということだ。

 ちなみに世界中に存在する冒険者ギルドの本部は、ここ王都の城壁の中にあるそうだ。多分、僕らが行くことは無いだろう。

 僕らが利用しているのは在住していることもあり東部のギルドだ。他の冒険者たちから安易に右とか東と略されている。


 コアの換金はいつもならその場ですぐに終了する。だけど今回、窓口にいたギルド員さんに大玉コアを見せると目を大きく見開いて「しばしお待ちください」と言って奥へと引っこんでしまった。

 しばしお待ちください、がどれくらい待てばいいのかはかわからない。大玉コアを持ち込んだ僕は普段よりも同業者の視線を集めていて居心地が悪い。

 ちょっと長いんじゃないかなって思うくらいには近くのテーブルに待機して腰掛けていると。


「おーい、レーネさーん。お疲れ様ー」

「あ、どうも」


 今回対応してくれた方とは別のギルド員さんが手を振りながら駆け寄ってきた。ここのギルドの看板娘さんだ。

 人の多いエントランスホールでも元気いっぱいに走るその姿は他の冒険者の目を集めては和ませている。

 彼女は僕らがここのギルドに来て初めて対応してくれたギルド員さんだ。その時の縁もあってか、色々と目を掛けてもらっている。本当に親切な人だ。今僕は下水の匂いで臭いはずなのに、僅かに眉を動かしただけで笑顔を絶やさず接してくれるんだから。


「あれ、メレティミさんは一緒じゃないんですか? 今日は2人で下水道掃除に行かれると言っていましたよね?」

「……うん。ちょっと野暮用でね。先に彼女は宿に戻ってるよ」

「そうだったんですか。……っ……じゃ、じゃぁ……あの、レーネさん! 私事なんですが、今夜私と一緒にお食事なんてどうですか?」

「ごはん?」


 今夜……今夜はスクラさんたちと食事の約束が入っている。

 でも、約束って言っても勝手に決められたことだ。僕の方だって勝手に1人くらい増やしてもいいよね。


「いいよ。じゃあ、今夜僕らが借りてる宿屋に来てもらえる? 他の人も来るからさ」

「他の……あ、いえ! そうじゃなくて……私と、2人っきりで、なんですけど?」

「……2人っきりで?」

「だめ、ですか?」


 彼女はちらりと上目遣いを僕へと送ってくる。


(これは、あれかな。あれだよね。まさか、でも……ああ、なるほど)


 デートのお誘いだと思ったけど、それはありえないと両断したところで僕は納得した。


「……ごめんね。そのお誘いは受けられないよ」

「……そうですか。残念です」


 しゅんと肩を落とし、彼女はとても悲しそうに項垂れる。


「じゃ、じゃあ別の日に――」

「あと、それとね。ごめんなさい」

「え、な! 突然謝られてどうしたんですか!?」

「あの……その、僕、男だから……」


 ゆっくりと懐からギルドカードを出してギルド員さんに見せた。


・登録名 レーネ

・段 位 黄

・種 族 魔人族

・性 別 男

・年 齢 14歳

・達成数 13(昇格まで残り27)


 彼女は毎日何十人と僕らの相手をするんだ。カードの内容をいちいち全部見ることはしないかもしれない。

 そのため、僕はカードにある性別の“男”という項目を指さして頭を下げた。


「え、どういう……?」

「いい! 何も言わないで、ごめんね! 期待に答えられなくて!」


 自分が大勢の人から女として見られていることはもう慣れたつもりだ。

 ここ最近、というか、王都に来てからは特に誘われることも多くなった。

 男性は当然だけど、中には女性から誘われることもあったんだ。そして女性というのも僕を男ではなくて女の子として見て誘われている……今回の件みたいなことは度々あったんだ。だからっていうのも変だけど、これでも理解はしている方だ。

 愛の形に性別は関係ない。

 けれど、僕は普通の男子である。ましてや僕にはレティがいる。

 彼女はこのギルドで評判の受付嬢さんだけど、他の男性陣からの熱烈なアプローチも笑って軽く受け流すっていうのはそういうことだったのか、って理解し難かったけど納得はした。可愛い子なのにな。


「きっと君にも良い人が見つかるって!」

「え、え?」

「僕も色々な人に出会ったけど、性別の壁を気にしない人は思ったよりいるから安心して!」

「あ、あの、その何か勘違いをなされてるんじゃ?」

「勘違い?」

「――お話のところ、失礼します」


 と、そこに初老のおじさんがこちらに近づいてきて僕へと一礼をした。

 先ほど換金を頼んだギルド員さんもその人の後ろに控えている。彼らと同じ制服を着ているのでギルド関係の人だとはわかった。


「レーネさんお待たせしました。こちらへどうぞ」

「あ、はい。今行きます。……それじゃあ、がんばって!」

「ちょ、ちょっとレーネさんっ!? マスターちょっと待ってください! レーネさんを連れて行かないで! 説明を! 誤解したまま消えないでくださーい!」


 看板娘さんの悲痛な叫びを背に受けながら、初老のおじさん……ここのギルド長さんだと言う人に応接室へ通された。

 応接室には僕らが手に入れた巨大コアといくつかの硬貨を乗せたテーブルを間に向き合うようにソファーが並んでいる。

 どうぞ、と言われて僕はソファーに座り、対面にギルド長さんが座った。ギルド長の後ろに先ほど僕が受付をしてくれたギルド員の人が背筋を伸ばして立っていた。


「まず、最初に集めてもらったスライムのコアの報酬です。確認してください」

「……? はい」


 まずと言われたので、革袋に詰めていたスライムのコア分の報酬を頂く。

 人の前でお金を数えるのは意地汚いみたいで嫌だったけど、確認してくださいと言われたので盆に乗った硬貨の枚数を数える。


「内訳はリット銀貨3枚。リット銅貨42枚です。お間違いはありませんか」

「……はい」


 ちょっと落胆しながら答える。3リット銀貨と42リット銅貨か。

 そこらで手に入るコアよりも大粒のものだったから期待できたんだけど、残念ってその時は肩を落としたけど、続いての大玉コアは度肝を抜くことになった。

 僕はギルド長の説明を黙々と聞いた――……。


(うわあ……すごい。これならレティもびっくりするぞ)


 なるべく表情を崩さないように真顔のまま話を聞き続けるも、内心は大いに浮かれていたことを僕自身はっきりとわかった。


「――ですので取引が終わるまではこちらのコアは当ギルドで預かることも出来ます。管理はしっかりと行わせてもらうつもりです。勿論、持ち帰ってもらっても構いません。どうします?」

「じゃ、じゃあ、預かってもらえますか?」

「かしこまりました。この度はこちらの不備にご迷惑をおかけします」

「い、いえ! とんでもない!」


 大玉コアはギルドに預かってもらって部屋から出た。冷静に対応しようと思ったけど、何度も噛んだ気がする。それだけ浮かれていた。

 期待以上の結果に顔を緩めそうになりながらも、ギルドを出る前にお酒を飲んでいた他の冒険者のささやきが耳に届く。中にはまぐれだとかインチキだとかスライムだったからだとかそういうことを言っている席もあるけど、殆どは称賛に近い声が多かった。


「流石だなレーネ! 相変わらずすげえや」

「レーネちゃんお疲れ様! 今日は大手柄だね!」

「その年でよくやるよ。まったく黄色っていうのが信じられない」


 中には直接声を掛けてくれる人もいた。素直に嬉しく思い、ありがとうと感謝を口にしていった。

 まあ……直接声を掛けてくれる人たちは僕のことを女の子として見ていることを知っている。もう、男だと訂正するのも面倒なのでこのままにしているだけなんだ。


(サグラントで働いていた時はほぼ全員が僕らのこと悪く言う人ばっかだったなあ)


 こそこそと隠れて夜に仕事をしていたあの町とは違い、ここでの僕らは日中に堂々と依頼をこなしている。

 嬉しいことに依頼者の評価もよく、この場所での僕らの顔と名前は売れていて、町中を歩いているとよく人に声を掛けられるようにもなった。

 一時は有名人ってこんな気分なのかな? って思ったけど、思う以上に人の目という目が僕たちに注がれて、先ほどみたいに居心地の悪いものを感じてしまっているんだけどね。


 ただ、これらも全て魔法があるから出来たことだ。

 もしも僕が普通の人としてこの世に生まれていたらこうはいかなかっただろう。

 そう……もしも、僕が魔法を使えなかったら――ふと思った。


(もしかしたら僕も、テトリアみたいな境遇にあっていた……なんて、何を考えているんだ。テトリアに失礼じゃないか……)


 首を振っては胸の中でテトリアに謝罪をし、僕はギルドの扉を開いてその場を後にした――。


「そう、あれが噂のレーネって冒険者……いいわね。あの綺麗な容姿なら、あの人の期待に沿えるかも……」


 遠くの席でぼそりと呟き僕を見ていた女性がいた。

 けれど、その声は既にギルドを後にしていた僕には当然と届くこともなかった。





 大玉コアの換金に関しての話で予想よりも宿に着くのが遅くなった。

 そのため、僕よりも先に帰宅したと思われる2人の高笑いが宿の外でもよおく響く。誰の笑い声かは直ぐにわかる。スクラさんとラクラちゃんだ。まだ日も落ち切っていないのにもう酒盛り始めちゃってるの?


「あら、シズクちゃん。おかえりなさい。メレちゃんからは話は聞いているわ。大変だったわね」

「ただいまです。おかみさん。こんな姿ですみません」

「いいのいいの。毎年この時期はみんなこの臭いをつけて帰ってくるからさ。ほら、お湯は出来てるからさっさと汗を流してきなさいな」


 宿屋の扉を開けると料理の乗ったお盆を両手に持って、とたとたと早足で歩く宿屋の奥さんが僕を出迎えてくれた。

 では、と1度自分の借りている部屋に戻っては着替えを持ち、その後浴室へと――その前にと僕は食堂の扉を開けて少し中を覗き込んだ。


 食堂の真ん中の席を陣取りレティたちが食事を楽しんでいるのが見える。

 予想通りスクラさん3人も一緒だ。彼らはやっぱりと酒を飲んでいて、杯を片手に笑い声を上げている。いつも以上の大きな声だ。それはまるでわざと明るく振る舞っているような……きっと気遣ってのことだろう。


「……よかった」


 そして、皆の中心には真新しい服に着替え終わったテトリアが無心に食事を食べていた。


「テト……気が付いたんだね」


 口の周りをソースでべったりと汚していて、小さなリコが拭いてあげるなんて微笑ましいところも見てしまう。

 ぼさぼさだった髪も切ってもらったのか、今では肩ほどの長さに切りそろっている。短くなった髪を見てここでやっとテトなんだなって思えた。


 小さかった頃は僕も彼女もお風呂には滅多に入ることは出来なくて、いつもボロボロの小汚い姿だった印象が残る。

 あの頃より僕は大きくなった。そして、僕以上に男や女という境界線がない子供だったテトリアは大人になっていた。丸みを帯びて胸も張り、完全に成人を迎えた身体つきになっている。

 そこに幼さといったものは無いが、あの頃と同じだと思うのは頭の上にある獣耳と身体が病的に細いことだろうか。


「……ちょっと失礼」


 僕に気が付いたのか、レティが席を立ち食堂の外へと、僕へと駆け寄ってきて――近くまで来たところで後ずさるように距離を取った。

 うっと顔をしかめる……その反応は辛い。

 燕尾のコルセットは外してはいるが、レティはいつもの普段着に着替え終わっていて、髪の毛にも艶が見える。頬なんてつやつやで、僅かに赤みを帯びているからお風呂に入ったばかりなんだろう。


「シズクおかえり。どうだった?」

「ただいま。これが今回の報酬だよ」


 僕はじゃらんと巾着を鳴らしてレティに渡す。中を覗いてレティがむっと唇を突き出した。


「これだけ……?」

「うん」

「あの大玉は?」

「換金してもらわなかった」

「もらわなかった……って、え? どういうこと?」


 ここで僕は簡単にレティに説明することにした。お風呂に行かないといけないから手短にね。


 ――今回僕らが手に入れた大玉コアは毎年手に入るコアよりも格別に大きく希少品とも呼んでもいいほど上物だったらしい。

 ギルド側が買い取ることが出来たとしたら、今回の総額と同じ10リット金貨は出したと言う。

 そう、もしも、だ。

 今回の下水道掃除、珍しいことに巨大スライムがあちらこちらのブロックで大量に出没したようだ。そのため、いつもなら10リット金貨で済む報酬金の上限を超えてしまい、僕らに払うまとまったお金を出せないとギルド側から言われてしまった。

 そして、直接業者に向かって交渉して欲しいって言われたんだ。

 この大きさなら10リット金貨以上に出してもらえるだろうって……鼻息を荒くしてレティに説明しても彼女は首を傾げるだけだった。


「ふーん、じゃあ、それだけお金貰えるのね?」

「え……あまり驚かないね? 魔法が使えるからってまだ幼かった僕とルイの2人が数年越しで集めた金額のほとんどを1日で稼げたんだよ」

「確かにそう言われるとすごいって思うけど……わたし、まだこの世界のお金についていまいちピンと来てないんだもん」


 がっくし。

 僕は肩を落とすしかない。


「そっかー……すごいことなんだけどなあ」

「まあ、お疲れ様。とりあえず、お風呂行っておいでよ」

「だね。……テトリアはレティが?」

「うん、リコちゃんと3人で一緒にね。髪もわたしが切ってあげたの」

「そっか。ありがとう」

「別にたいしたことはしてないわ。シズクだってわたしと同じ立場なら同じことをしたでしょ」

「……お風呂も?」


 冗談のつもりだけど、レティはふいに頬を膨らませて僕のお尻を蹴り上げた。


「余計なことは言わんでいいからさっさと行け!」


 いてて……お尻を摩りながら浴室へと足を向けながら、僕はもう1度振り返って改めて口を開いた。


「ありがとう……レティ」

「ふん、どういたしまして」





 ここの宿には浴室がある。

 浴室といっても、宿屋の外、敷地内にある小さな掘っ立て小屋を利用して湯浴みが出来るといったものだ。石で積み組まれた壁、簀の子の敷かれた床に、屋根は空調のためか隙間が空いているからよじ登れば覗き見ることが出来るかもしれないような簡素な造りの小屋だ。

 勿論、中にシャワーや蛇口なんてものはなく、室内の隅に構えた大釜から湯気の上がるお湯を取りだして身体を流すような形を取っている。

 1回使うのにもお金は必要だけど前もって僕らは先払いを済ませておいた。

 下水道掃除をした後はお風呂できちんと洗わないと1週間は匂いが落ちないとラクラちゃんから言われていたからだ。また、普段だって水浴びはするけど、今回ばかりはしっかりとした場所で身体を洗いたかったからね。


 僕は釜のお湯を桶で掬い、粉の石鹸を溶かして石鹸水を作る。

 このうちの半分は髪の毛に使った。頭に半分ほどの石鹸水をかけて泡立て髪をごしごしと洗い始める。後は新たに泡立てた泡を身体につけてゆっくりと手でこすりつけていく。ナイロンタオルとかブラシなんかがあるといいなって思う。


「……お湯お湯……あ、どうしよう」


 桶をシャボン液を作るために使っちゃったからお湯を掬う容器が無い。

 仕方ないな……と僕は魔法を使って釜の中のお湯を宙に浮かばせた。

 後はばしゃりと頭からかけて身体の泡を落としていく。


「ふう、さっぱりした」


 湯船に浸かりたいけどそこまで贅沢は言えない。

 用意しておいたいつもの服を着て(上着は外してね)脱衣所を後にする――が、浴室に入る前に脱ぎ散らかしていた雨具を見て思わず足を止めた。

 下水道で使ったこれは後で道具屋さんに売るしかないかな。流石にこの臭いは僕らでは取れそうにはない。というか、買い取ってもらえるのだろうか。

 魔法を使って安易に水洗いをしてみたがやっぱり匂いは染み込んだままだ。後でおかみさんに相談してみようと雨具は適当に畳んで外に放置した。


 そうして、温まった身体のまま僕は食堂に向かった。


「テト」

「あ……シズク」


 と、名前を呼ぶも僕は次の言葉を吐くことは出来ずにいた。だから、軽く手を上げることで挨拶とした。

 何を話そう。どう切り出そう。考えながらも皆のテーブルを見渡した。

 もう皆の食事は終わりを迎えかけていた。後は大人3人のおつまみが新たに運ばれているって感じかな。

 僕も遅れておかみさんに食事を頼んで皆のいる席の1つに座った。


「レーちゃんおっそーい! なにやってたん? もー皆ごはん食べ終わろうとしてんよー!」


 とは揚げ物を指したままこちらにフォークを向けるラクラちゃん。


「せやせや。今回は俺らのおごりじゃというのにのお! お、理由? 聞いちゃる? いやいやなんつったってあれから巨大スライム倒せたんよ! うひゃひゃ! 俺らの勝ちじゃな!」


 とはジョッキを片手に高笑いをしているスクラさん。


「別に勝負はしていませんが……まあ、奇跡的に巨大スライムを私たちは仕留めることが出来まして。おかげで懐は温まっています」


 最後にキーワンさんが2人と比べるとゆっくりとグラスに口をつけながら答えてくれた。

 これは、僕らも倒したことをレティは言ってないな。まあいいや。じゃあ、ご馳走に預かりますねと伝えると、愉快な兄妹は笑ってどんどん頼めと心強い言葉を投げてくれた。

 会話の切り口を考える時間は結局無かった。じゃあ、何を話したらいいものか……と。


「元気だった?」


 あの身体の傷を見ているのに、元気かなんて言葉を吐いてしまった浅はかな自分を呪う。

 テトリアは視線をきょろきょろと彷徨わせた後、こくん……と小さく頷いた。

 その首肯はまるで僕が強要させたみたいに感じた。

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