第124話 四天としての日常 その4 天人族たちの夜


 ギオ・レドヘイル。

 記憶の中よりも緑の髪を伸びたレド兄が、弟のレドと同じ金色の目をうっすらと細めて俺らへと微笑んでいた。

 俺もフラミもあまりのことに変な声が出てしまう。フラミの両親だって驚いている。シンシアは首を傾げている。ヘナ姉ちゃんは、酒を飲んでいた。


「15歳おめでとう、ドナくん。すっかり大きくなったね」


 レドの手を離れてレド兄が、俺らへとゆっくりと歩いてくる。

 レド兄の聞き覚えのある、それでいて少し低い、か細い声が耳に届いた。


「あ、ありがとう。レド兄……い、いやっ、もう病状はいいのか!?」

「そう、だよ! レドヘイル兄さんいいの? 熱は? 顔色だって良くないよね! でも、里に戻ってきたってことは……ねえ!?」

「……残念ながら、まだ快復には至っていない。けれど、今日に合わせて帰郷の許可を貰ったんだ。これからは皆とも自由に顔を合わせられるよ。……まあ、家からここまででもういっぱいいっぱいだったんだけどね」


 にんまりと笑ってはきはきと話すレド兄だけど、その表情はとても辛そうに見えた。

 まだガキだった俺ら喧嘩した時なんか、いつも仲裁に入ってくれたレド兄の大きな身体を今の俺は追い越している。だからというわけじゃないが、レド兄だって大きくなっているのに、あの時以上に小さくなったとすら思えてしまう。


「来てくれたのは嬉しいけど無茶するなよ。抗魔病は治るんだろ? なあ、俺詳しい話はわかんねえし、長い時間は必要だけど安静にしてれば治るってお袋がさ……」

「うん……前に比べたら快調に向かってるよ。けど、僕は他の使よりも根が深いそうだ。一生付き合っていくかもしれないってお世話になった薬師に言われたよ」

「そんな……レドヘイル兄さん……」


 フラミが悲痛な顔をする。両手で口元を隠しても眼にはじわりと涙が浮かぶのが見えた。

 抗魔病。

 レド兄は原因不明の天人族でも極めて一部の人がかかる奇病を患っている。

 初期は風邪の症状とそっくりだが、そこから倦怠感を伴いながら、何度と発熱を繰り返し、次第に寝たきりの生活を余儀なくされる。

 その期間は短くても3年。長期で10年越し……完治する前に命を落とすというものだった。


「大丈夫だよ。抗魔病は聖ヨツガ様が与えてくださった試練であり、これは大変名誉なことなんだ。だから、僕は全然苦じゃない」


 天人族では抗魔病は聖ヨツガ様からの試練と呼ばれていた。

 数年の病魔との戦いは己の精神を磨く苦行であり、レド兄の言う通り、聖ヨツガ様に選ばれた使徒だと、天人族にとっては大変誉れなことだった。

 また、数十年に1人出るかどうかという発症率だが、レド兄のように使徒に選ばれた天人族はゲイルホリーペの天人族領の奥地へと手厚い看護のもと、療養できるようになっている。

 これも全てエネシーラ様の計らいだった。


「ごめん、ドナくん。せっかくの祝いの席だと言うのに水を刺しちゃったかな?」

「そ、そんなことない! 来てくれてすっげえ嬉しいよ! また、レド兄に会えたんだぜ! 水を刺すなんてこと、全然ねえってば!」

「そう言ってくれると助かるな。……フラミネスちゃんもそんな顔をしないでおくれ」

「でも、だって!」


 ぐすりと鼻を鳴らすフラミの頭をレド兄が優しく撫でる。

 その手付きは、記憶の中にある彼そのものだ。


「フラミネスちゃん……去年の君の生誕祭に参加できなくてごめんね。……実は僕、フラミネスちゃんの生誕祭に参加するはずだったんだ」

「……参加するはずだった?」

「ああ。でも、興奮しすぎたみたいで熱が出てしまってね。結局様子を見るということで1年が経ってしまったよ。恥ずかしい限りさ」

「そんなことない! 私、私レドヘイル兄さんにずっと逢いたかった!」

「僕だってそうさ。フラミネスちゃん……いや、もう子供扱いは出来ないね。……フラミネス、大きくなったね。とても素敵になった」


 あ。

 案の定、フラミの親父さんがぎょっとしながらも注意深く監視を始めた。

 やべえと思うもレド兄は昔っから変わらずマイペースで、フラミの親父さんの視線に気が付いてねえ。


「……レドヘイル兄さんだけだよ。そんな風に素直に褒めてくれたのは」

「きっと皆恥ずかしがってるんだよ。フラミネスはもう立派な女性だよ」

「レドヘイル兄さん……」


 ゆっくりとフラミはレド兄と距離を詰めて優しく抱きついた。レド兄はおっと驚いた声を上げながら、表情を崩して震える腕でフラミの抱擁を受け入れていた。

 親父さんの熱い視線を何のその。

 2人だけの空間になり始めたので、俺は知らぬ存ぜぬと四天のアリディ・レドヘイルと妻のセルーナさんに挨拶を始める。

 世話焼きなレド兄は例外だが、レドヘイル夫妻とレドは似たもの家族で、一言二言と軽い会釈で話は終わる。


「ドナくん……おめでとうね」

「おう! レドありがとうな!」


 レドもいつもの調子でゆっくりと単調だったが、それでいて会場の喧騒に掻き切れないほどの声量で話してくれた。

 前はこんなうるせえ中じゃぜったい聞き取れねえほど小さい小声だったというのにな。

 最近の、いや2年くらい前からレドはしっかりしてきた。 

 俺やフラミと一緒でレドもしっかり成長しているんだ。

 

「ドナくん! 生誕月おめでとう!」

「ああ、フルか。ありがとうな」


 レド兄との再会に喜んでいた俺らの元に、しびれを切らしたのかあちらから声を掛けてきた。

 フルだ。


「やあフルオリフィアちゃん。久しぶり。君も大きくなったね。先代フルオリフィア様に似て、とても美人になったよ」


 フラミとの熱い抱擁を交わしたまま、レド兄は顔をこちらに向けてフルへと手を上げた。

 お、これであの頃の4人が揃ったな。

 いやはや、俺の誕生祭であるけれど、こうして昔の仲間が全員そろったんだ。まるで昔に戻ったかのように思える。本当にめでたい!

 ――なんて、手放しで喜びたかったと言うのに。


「えっと、はじめまして、ですよね? ルイ・フルオリフィアです。ドナくんやフラミネスちゃん、またレドヘイルさんと同じく四天の1人です」

「は?」


 フルが突然そんな訳のわからないことを言う。


「はじめ……どういうこと?」


 レド兄がきょとんと驚いた顔をする。

 もちろん、フラミも俺も。


「それにルイって……ねえ、ドナくん?」


 レド兄が俺に訊ねてくる。

 いや、俺に言われてもわかんねえし。


(フルはなんではじめましてなんて言ってんだ? なんかの冗談だとしたら、流石に笑えねえよ)


 先ほどまでの浮かれていたものが一瞬に冷めて地に落ちる。

 俺は語尾を荒げてフルに言い放った。


「……おい、フル。レド兄に対してその冗談は失礼だろ。何がはじめましてだよ!」

「え、ぼく変なこと言った? 初対面だよね。レドヘイルくんのお兄さん――…………え……あれ……知ってる……? ぼく、君のこと知ってる?」

「はあ!? お前何を――」

「兄さん……そろそろ……」


 俺がフルのふざけた態度に本気で怒りそうになった時、今まで黙っていたレドが間に入ってきた。

 俺の口から出そうになった言葉は喉の奥へと引っこんでしまう。


「そうだね。ネベラス。じゃあ、僕は先に失礼するよ……ああ、父さんたちもゆっくりしていて。ネベラスがいれば大丈夫だから」

「フラミネスちゃん、ドナくん……フルオリフィアさん、またね」

「それじゃあね。ドナくん。フラミネスちゃん。そして、フルオリフィアちゃん」


 来た時と同じく、レドの肩を借りてレド兄は去っていく。

 息子たちの後姿を見ながら、レドヘイル夫妻がおろおろと狼狽えるが、フラミネス夫妻が気を利かせてお酒を勧め、食事を手に取らせていた。

 次第に、両家はなんとか食事を楽しみ始めた。


「変なの? ね、ウリウリ」

「……そうですね」


 変なのはお前だ。フル。

 どうしたんだと咎めたかったが、そんな時間は俺にもない。シンシアが俺の背を引っ張って次へと促した。

 仕方ねえ。


「……じゃあ、俺他のところに挨拶しないといけないから」


 フラミとフルに別れを告げる。


「うん! またね! ドナまたね!」

「あ、うん。残念だけど、夜の部はぼくも顔出しに来ただけだから。そうだ……」


 と、フルは俺を呼び止めて裾から布に包まれた何かを手渡してくれた。

 丸く角ばった硬いものだった。


「フル、これは……?」

「お祝い品。ぼくが作ったんだよ」


 へえ、フルがねえ。

 開けてみると中には木工の花が出てきた。木工と言っても刃物で切った感触は無い。

 花弁が何重にも重なっている花冠の置き物のようだ。


「おお、すげえ」


 中々にいい出来だ。これなら貰ってすぐに萎れる生花よりも断然いい。

 俺の手に乗った花を見ていて、羨ましそうにするフラミにもルイは作ってあげると言っていた。

 え、それ俺へのお祝い品じゃねえの、とは言いたくても言わないのが大人になった俺だ。


「じゃあ、ぼくらも行くね!」

「失礼します」


 今度こそ2人はさっさと去っていった。もっとゆっくりしていけよ、なんていう暇もない。

 まあ仕方ない。もう少し貰った造花を眺めていたかったが、時間も無いのでまた布でくるんで裾の中に仕舞っておく。

 フラミ家族とレド家族共に再度挨拶をして、次へと移動する。





「よお。ドナ様」

「インパ!」


 がつがつと飯を食ってるインパが俺に左手を上げた。久しぶりに会ったような気がする。こんな奴でも中々会わないと嬉しくなるもんだ。

 俺は直ぐにインパの元へ向かった。


「おい、鳥肉持ちながらなんて行儀悪い……」


 つい、見てはいけないと思ってもインパの右腕を見てしまう。

 袖がひらひらと揺れたその先は、無い。

 2年前に大怪我を負い、右腕を落とすしかなかったとしか聞いていない。

 とんでもない魔物だったとか、暴れ牛だっただけ聞いている。

 油断しちまってなんてインパらしくないが、油断するっていうのもインパらしいと思う。

 ただ、その怪我が原因で去年の暮れあたりに俺の護衛をやめて、今は里の兵の教官となって毎日しごいていると聞いた。

 おかげで顔を合わせることも少なくなって、顔を合わせても傷を見たら何と声を掛ければいいか。2年経つというのに未だに戸惑ってしまう。


「そんな目で見るなよ。照れちまうじゃねえか」

「どんな目だよ!」


 けど、こうして毎回インパの軽口に助けてもらっている。

 会話の切っ先はいつもインパ任せだ。


「ま、坊ちゃんが1人前になったんだ。こんな祝いの席で気い遣うなよ。これは俺のミスだ。こういうこともあらぁよっと!」


 なっ? と肉を持ったまま俺の背をいつものように叩く。

 もう咳き込むことは無い。


「……そっか。じゃあ、毎回言うけど次はヘマしないようにな」

「……だな。だけど、次はねえよ。けど、あんなヤツとはもう二度と会いたくはないがな」

「へへ、里1番のインパさんもこれじゃあお手上げだな」

「言ってろ。ヘマしたおかげで上げる手もねえぜ」


 にかっと歯を見せて笑うインパだが、ふと何かに気が付いてように笑うのをやめて、俺をその視線の先へと促した。

 インパが視線で示した先には、重いローブを羽織ったエネシーラ様がいる。

 インパと目で会話を行い、頷くと挨拶に向かうことにした。


「じゃあ、ちょっと行ってくる」

「ああ、終わったらまたここに来いよ。一緒に酒をのもう」

「酒か。わかった」


 今まで飲酒について誰にも言われてなかったが別段のむ理由も無かった。

 ただ、この数年、興味が出てきたし、今日を機会にのむのもいいか。

 じゃあ、エネシーラ様への挨拶が終わったら頂こうと、少し緊張しながら我らが長の元へと向かう。


「ん……お前……」

「何か?」

「いや……なんでもない」


 なんだ?

 2人の会話にちらりと肩越しに振り返る。シンシアを見たインパは苦々しい顔をしていた。

 シンシアは相変わらず石仮面だったが、何故か俺みたいに緊張しているようで石仮面がもっと硬くなっているのがわかった。もしかして、インパが怖いのかね。

 不審に思いながらも俺らはエネシーラ長老の元へ向かう。

 長老の元には先に親父がいて、何やら浮かれているようだった。


「……15年とは我らには瞬きをするようなものだ。しかし、よくぞここまで無事に成長した。お前も今日より我ら天人族を支える四天の1人だ。前任であるお前の父ディルツは里のために己を犠牲にしてきた男だ。お前も父のように、そして父を越え逞しい男になれ……期待している」

「は、ありがとうございます」


 直立し、丁寧に頭を下げる。

 もっと長々となると思ったが、エネシーラ様はそれだけ言うと去っていった。

 もう年なんだろうな。ここ最近エネシーラ様はあまり身体の調子が良くないのは里中でも知られている話だ。

 だが、俺は別に悲観しない。

 エネシーラ様の体調は気になるけれど、ここで四天である俺がエネシーラ様を支えなくちゃという強い思いが沸き上がる。

 決意を新たにするには今日は本当に良い日だ。


「では、ライズよ。今日、このめでたい日にお前にはもう1つ喜ばしい知らせがある。これはエネシーラ様とも話し合ったことだ」

「エネシーラ様が? 喜ばしい知らせ?」

「そうだ――」


(はあ……?)


 親父、今なんて?


「俺がフルと……?」


 俺は理解できなかった。驚きが優って、理解するのに少しかかった。


「そんな……」


 シンシアが俺以上に驚いている中、親父の話を黙々と聞き続けた。

 こんな重要なことを本人の同意も無しに決めてもいいものかと思ったが、それについては「お前ら以前からそういう仲だったんだろう?」と親父に言われて、俺は口を塞ぐしかない。

 確かに、そんなことを言った覚えはあるが――是とも否とも口にはせずに頃合いを計り一礼して去った。


 その後、残りの来客者に挨拶を済ませ、直ぐにインパの元へと向かった。 

 インパは笑って俺を受け入れてくれて、口を開く前には酒を勧められ言われるままに口にした。

 ごくりごくりと一気に杯を空にする。

 味の付いた液体が俺の身体の中へと納まっていくのを感じる。中々に心地よいものだった。


「お、いい飲みっぷりだねぇ。ドナ様なんだ? 隠れてのんでたんですかい?」

「はあっ……はじめてだ。酒なんてのむことは今まで無かった」

「ほお、血筋かねえ。飲み方からなんまでお前の親父殿にそっくりだぜ。ま、もう1杯どうだ」

「……ふん」


 酒瓶を持つインパの勧めを杯に受け取りまた飲み干す。飲み干したらまた注がれたのでまた口に付ける。


「ドナ様、おやめになった方がよろしいかと」

「なんだよ。シンシア止めるのか?」

「……いえ、飲み方が早すぎます」

「そんなの……」


 シンシアが片目を瞑って俺を制するがそんなの関係なかった。

 親父が……いいや、親父越しにエネシーラ様が俺に伝えたこと。


 ――俺とフルの婚約発表だった。


(俺とフルが結婚する……)


 以前なら喜んだはずだったのに今の俺には納得できなかった。

 何故だろうか。理解できない。しかし既に決定事項だと言い俺が口に挟むことはできなかった。

 本人たちの意志は? そんなものは四天には、いや天人族であるからこそ存在しない。

 長であるエネシーラ様の決断だからだ。つまり、断ることなんて出来やしないのだ。


 言い様の無い不安とでも言うのだろうか。嬉しいはずなのに納得できない。見えない気持ち悪さが俺の胸の中で溢れだす。

 紛らわすために俺は今こうして飲んだこともない酒をあおっていく。


「ドナ様……フルオリフィア様との婚約……」

「そんなわけないだろ!」


 俺の怒鳴り声にシンシアが珍しく身体を震わせた。

 あ……石仮面が崩れて僅かに悲しそうな顔を見せた。しまった。やってしまったと思ってしまう。


(ああ、なんだよ! 一体どうしたって言うんだよ!)

「おい、ドナ様よ。なんかあったか?」

「なんでもねえよ!」

「おいおい、何に憤慨してんだ。勧めたのは俺だが……酒に逃げるのはよくねえぞ」

「うるせえ! いいからもっと注げ!」


 俺は八つ当たりをするかのように酒に手を伸ばして飲み続けた。





 シンシアの肩を借りて自分の私室へと向かう。

 ぐわんぐわんと視界が揺れて気持ち悪い。


「……うっ」

「駄目です。吐くなら外で」

「む、無理!」


 うっと喉元から込み上げてきたものが口の中で広がり、急ぎシンシアが近くの窓を開け放って、俺の頭を外へと押し込んだ。

 何度もおえっと口から声が漏れて、一緒に水だけのゲロが大量に吐き出されていく。


「もう、飲み過ぎです」

「うっぷ……知るかよ……」

「もう……――『静かなる流れ。流るる一糸。三の玉。今ひとたびの安らぎをお与えください。【清雫】』……ドナ様」


 シンシアの周りにいくつかの水球が生まれる。そのうちの1つをシンシアは手桶に受けて俺へと差し出してくる。口をつけてうがいをして、窓の外に吐き出す。また水を貰って今度は喉を潤した。

 嘔吐によるのどの痛みにシンシアの出してくれた水はとても心地よかった。


 ふらふらとなりながらもどうにか自室へと辿り着き、明かりも灯さずにシンシアに促されるままに入った。

 寝具の上に手を借りながら横たわる。吐いたおかげか随分と楽になった。

 もういいぞ。とシンシアを解放しようとした時、シンシアは部屋から出ることもなく目を瞑り、1つ頷く。

 暗いのにシンシアの顔が見えたのは、空から指す月明かりのおかげだった。


「……シンシア?」

「……」


 石仮面のくせして、何かを決心したかのような顔つきをする。

 照らされた横顔は、いつも以上に美しいと思った。こんなことを思うのは、きっと俺が酔っているせいだろう。

 シンシアは寝具に腰をかける。おもむろに横になっている俺を上から覗き込む。

 

「なんだ。俺が寝るまで一緒にいるとか? ……なーんて」


 茶化して直ぐに去ってもらおうと思っただけなのに。


「それもありですね」

「ばーか、何言って……――っ!?」


 シンシアが俺の口を塞いでしまう。


「……っ!?」

「……」


 ――自分の口で。


 接吻をしている、と気が付いたのは少し経ってからだ。

 少しっていうのはシンシアの口が俺の口から離れた時のことだった。


「な、な、ななな……っ!?」


 どんとシンシアの身体を押し返してしまう。震える頭で起き上がり、口元を袖で拭う。

 思いの外力が入ったのか、シンシアは床に倒れ伏せていた。ごつんと身体を床に打ち付ける音が聞こえていた。

 大丈夫か!? と少し心配してしまったが、顔を上げたシンシアの瞳には強い意志みたいなものを宿して俺を射抜いた。

 シンシアは立ち上がり、またも俺に寄り添って抱き付いて……また唇を近づけようとして、俺は止めに入った。


「おい、やめろ! 俺は、婚約者が、いるんだぞ! それに!」


 口の中ゲロ臭いし!


「上が決めたことでしょう。望んでいるんですか? あのフルオリフィアという新参者と」

「新参……な、なにをあいつは昔からいたじゃねえか」

「ええ、いましたね。


 どちらか?


「どういうことだよ?」

「……私じゃ駄目ですか?」


 シンシアが寂しそうな顔をして俺を見つめる。

 ……どくんと俺の鼓動が高鳴ったのを感じる。


「だ、駄目って、駄目に決まってる! 俺とお前は主従の関係なんだぞ!」


 もしもこれがばれたらお前、解雇どころか里から追放されるかもしれないんだぞ!


「構いません。私の思いが届かないのであれば、この里にいる意味はもうありません」

「家族はどうするんだよ! お前の育ててくれた両親にだって迷惑を掛けんだぞ!」

「私にはもう家族なんて呼べるものはいません」

「……あ」


 そうだった。


「……父も、母も、皆殺されました」

「……え?」


 殺された?

 殺されたってどういうことだよ、と、聞く前に俺の口はまたしても閉ざされる。


「――っ!」

「……」


 またも驚きながらも……今度は抵抗できなかった。

 しちゃいけないと思った理由は、彼女の石仮面が完全になくなっていて、ただの女の子がそこにいたからだ。

 一方的に目を閉じているシンシアにまたも口を覆われる。

 今度ははっきりと感触がわかる。柔らかく、少しざらついた唇だった。

 とん、と俺の背は押されて寝具の上に上半身は倒れた。

 いつの間にか俺の上に跨ったシンシアを見上げている。その表情はとても冷たいものだった。


「ドナ様……お慕い申しております」


 馬乗りになったまま、シンシアはエプロンを外し、首元からかかるボタンを外していく。


「ちょ、何脱いで……っ!!」


 そして、フルよりも少し大きめの胸が俺の眼下に露わになる。

 目を見開いて、思わず凝視してしまった。


(はじめて、見た……)


 両親とも違う異性の裸を――俺は今、シンシアの裸体を目の前にして固まっている。

 無言のまま見つめていると、仮面の無いシンシアが恥ずかしそうに頬を染めてしな垂れてきて、俺の頭へと胸に埋めてくる。

 まるで俺の頭で自分の晒した裸体を隠すみたいに。けれど、そのまま俺の頭を抱きしめて強く胸を押し付けてきた。

 柔らかな感触が鼻から頬に触れた。

 良い匂い……シンシアは何かをつけているのは一緒にいたので知っていたが、直接香りを鼻先で捉えるとくらくらしてしまう。


「お前、震えてるじゃねえか……」

「……っ! 武者……震いです!」


 押し付けられた顔に震えが届く。俺の頭に回された腕も同じく。


「やめろよ……今ならまだ俺だって……」


 シンシアを気遣えたのはその言葉だけとなった。

 俺の意志とは別に俺の身体は反応してしまう。

 ズボンの中で痛いくらい反応する意味不明な自分の部位にどうしてこんなことになってるのかもわからない。

 俺の変化に気が付いたのか、シンシアがそこに手を当ててきた。ゆっくりと優しくなぞるように。


「ぐっ……あっ……」


 顔を赤らめて歯を食いしばって未知の刺激に耐える。これは拷問か何かか。

 やめろと胸の中で首を振ってもシンシアはやめてくれない。


「あらためて、ドナ様……15歳の誕生月、おめでとうございます」

「シ、シンシ――」


 ――ア、と。

 俺は、シンシアの名を呼び終わる前に唇を、またもシンシアの唇で塞がれた――。





「わあ……!」

「どおルイ! いいでしょう!」

「うん!」


 花壇の前でぼくはフィディと一緒にしゃがんで光る花を見ていた。

 そして、同時に空を見上げて星空も堪能する。

 今、この場は星と花の光がちりばめられている。


「いいものですね……あなた方が進めるのもわかります」

「でしょ? 後はお酒が飲めればよかったのにね」

「ふふ、せっかく2人が来てくれたんだ――今宵は素敵なお茶会というのもいいものさ。お酒はまた明日にでも3人で飲むことにしよう。――2人とも。準備は出来たよ」


 呼ばれてぼくらもアニス、ウリウリ、リターの3人の元へと駆けつける。

 5人で同じテーブルについてお茶やお菓子を食べながら星と花を観賞した。

 今回お茶を淹れてくれたのはアニスだ。いつもはフィディかリターのどっちかが淹れたお茶を口にするけど、時にはアニスが淹れてくれることもある。

 こんなこと、里の人たちには内緒だよ? とアニスは言う。魔人族の長の面目を立てないとだってさ。

 アニスのお茶は結構おいしい。淹れる人で味が変わることを知ったのはこの3人のおかげだ。

 ちなみに意外にもおとなしめのフィディよりも、ガサツなリターが淹れたお茶の方が美味しいっていうのがちょっと不思議。


「とても綺麗だよ! ああ、みんなにも見せてあげたいよ!」

「なら今度は子供たちも一緒に連れてくるといい。――幼子たちきっと気に入ってくれるだろう」

「子供ってもうぼくとレドヘイルくんしかいないじゃん。フラミネスちゃんもドナくんも大人だよ!」


 今日あったドナくんの誕生祭についてぼくは3人に語った。


「そうかそうか。無事にあの金髪少年も四天か。――我々も何かお祝いでもした方が良いのかね?」

「どうかな? ぼくと違ってドナくんは他部族を毛嫌いするからねえ」

「それは悲しいな」

「だね」


 でも、いつか皆仲良くなれる日が来るとぼくは信じている。

 だって、今日は鬼人族の長とも仲良くなれたんだもん。

 近い将来、ブランザがやり遂げられなかったことをぼくがやってあげられると思うんだ。

 だから今は。


「ほら、あれ見てください!」

「わあ! すごい!」

「へえ、いいねえ」

「……流れ星ですか。珍しいですね」

「奇跡だ。――まるで僕らを祝福しているかのようだね」


 魔人族の夫婦たちとこの短くも大切な夜の会合を存分に楽しむことにする。

 そう――明日知らされる婚約発表のことなんて知らず、今はただ、天と地に広がる光の花弁に酔いしれるだけだった。

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