第121話 酔っぱらいの戯言だとしても
掲げた手を振り落ろし、リコの巨大な手で焼き殺してもいいと真剣に思った。
止められたのはお世話になったお茶屋の店長さんたちが周りにいて、尚且つ彼らの行動が僕よりも早かったからだ。
「驚いたわァ。シズクくん、本当に魔人族だったのネェ」
「まあ……はい」
「たくっ、こいつら近頃町に居座り始めたゴロツキでねェ。毎回こうやって女の子を酔わせて泣かしてるのヨォ。ほんといい迷惑。私たちの敵よ、敵! だからって、こいつ等なんて殺すほどの価値なんてないわァ!」
「……そうですか」
「でもでも、もう勘弁ならないってのは確かネェ! 昨日はお客さんの手前、見逃したけど今回はしっぽりとお灸を据えないとネェ、ぷんぷんっ」
レティを連れ去ろうとしていたのは昨日僕に絡んできた2人だった。
そして、僕が手を出す前に店長ならびに店員さん3人が一斉に男たちに襲い掛かり、断末魔の様な悲鳴を上げながら男2人はタコ殴りの末、ぼろ雑巾のように地面に這いつくばっていた。
白目を剥いて倒れているけど自業自得。
僕は見ちゃったんだ。何が介抱だよ。レティの胸を鷲掴みにして感触を楽しんでいたことには本当にふざけるなとしか言いようがない。
でもさ。
よかった。本当に、彼女が無事でよかった。
出会えてよかった。間にあってよかった。助けることが出来てよかった。
あと少しでも遅れていたら、大切なものを失っていたかもしれない。
僕の膝のに頭を乗せて苦しそうに顔を歪ませるレティの頬を撫でる。荒い呼吸に赤い頬はまるで熱に犯されているように見えた。
「じゃあ、こいつらのことは任せて。きつーいお仕置きをしておくからァ」
「……よろしくお願いします」
店長は軽々と2人を担ぎ、店員さん2人も後に続く。
ミケくんに先に家に帰っている様にと、絶対に着いてきてはいけないと念を押してから3人は去っていった。
店員さん2人が悪そうな顔をして、ぺろりと舌なめずりをしたのは見なかったことにする。
僕はリコに手助けしてもらいながらレティをおぶる。
背中にはレティの柔らかくて熱い体温を感じ取る。少し呼吸の荒い吐息には焦げたような匂いと、仄かな甘みを感じ取った。
お酒をのんだとはあの2人の会話から知ったけど、こんなベロベロになるなんて、いったいどれだけ飲んだんだ。
「……シズク」
呼ばれて振り返ると、申し訳なさそうに顔を曇らせているミケくんがいた。
「何? どうしたの?」
「あの、ごめんなさい。あたし……あたしが変なこと言わなきゃその人は危ない目に合わなくて済んだのに……」
「そんなことないよ。君が教えてくれたからこそ助けられたんだし」
仕事を終えて着替えをしている時、レティを怒らせたとか泣かしたとか(……それはないと思うけど)で走って行ってしまったことをミケくんが教えてくれたんだ。
その時のミケくんは尋常じゃないほど慌てふためていていて、素の男の子がちらほらと見えたほどだった。レティが走り去ったって話が出る前まで、男の子として振る舞ったほうが似合ってるのにって思ったくらいだ。
ミケくんの話は僕以外にもその場にいた店長さんたちも聞いていて、一緒に同行してくれたことも結果的にはよかった。
「でも!」
「本当に感謝してる。……きっと、今回のことがなくても多分近いうちに僕と言い争ってレティを遠ざけちゃったかもしれない。その時は、きっと僕……レティのことを追いかけれなかったと思う。……これでよかったんだよ」
そう言いながら昔のことを思いだした。この世界に来る前の、人だった最後の日のことを。
あの時、僕がもっと早く彼女のことを探しに行くことが出来たら……とかね。
僕は毎回同じことの繰り返しだ。
毎回毎回、失ってから気が付くんだ。過ちを犯してから悲しむんだ。
だから、今回のケースは僕にとって反省する部分もあったとしてもとても……よかったことなんだよ。
「あの、あの……!」
「どうしたの?」
「その人、は、シズクにとってどんな人なの!?」
「……大切な人だよ」
親愛している存在だと、悩むこともなく僕は口に出来た。
「……おっと」
ふいに背負っていたレティが身じろいだ。
肩越しに振り向けば未だ顔を赤くしているレティの寝顔があった。
「大切な……人。それって……」
「好き。大好きなんだ。昔も今も……これから先も」
「でも、シズクは昨日はあんなに悲しそうにしてたのに!?」
「そうだね。今も昨日のことを思い返せば……悲しくなる」
「ならどうして! そんな人を好きだなんて信じられない! 外見に騙されてるんじゃないの!? そう思いたいだけなんじゃないの!」
「外見は関係ないよ。……昔から知ってるからさ。レティとは今も昔も変わらずこんな感じ。ただ、今回はちょ――ッと酷いけどね。でも、何十回、何百回と同じやり取りをしてきたけど、僕もレティも離れることは無かった……それが答えだと思う。嫌いになってたら、とっくに疎遠になってるよ」
じゃあね。と今度こそミケくんとはお別れをした。
なんでか、後ろからミケくんの泣き声みたいのが聞こえた気がする――いや、気のせいだろう。
僕は振り返ることもなく広場を後にした。
◎
この場所はちょっとした騒動となっていて、僕らを遠巻きに見る多くの目から逃げるように裏路地を歩いた。
土地勘に明るくない僕だけど、不思議と不安はなかった。僕の身体から出たリコが隣を歩いているから迷うことは無いけど、それとは別の話だ。
背中に感じる熱い体温は僕の肌を伝い奥の芯へと流れ込む。とくんと深く高鳴る自分の胸の鼓動が心地よく感じる。
道はわからなくても僕の進む先に迷いは生まれなかった。歩を進めるのが惜しいくらいだ。それだけ今がとても大切で慈しみを覚える時間に思えた。
「シズク」
「何、リコ?」
「ん」
リコに呼ばれ、指をさした先は僕の背後――レティだ。
肩越しに振り向けば顔を赤らめたレティの片目と交わった。
「起きてたの?」
「……うん」
「なら声かけてくれてもいいのに…………うっ」
はあ、とため息をつきかけたところでぎゅっと首を絞められた。いや、抱きしめられたって言った方が良いのかな。
レティの細い腕が僕の首元に絡まって少し咳き込んだ。
「聞いてた」
「……けほっ、聞いてたって何を?」
「さっきのオレンジ頭の子とのやりとり」
「……え……え、え、え……そ、そう?」
聞いてたの!? 一体どこからどこまで、なんて聞き返すことはいなかった。
わざわざ聞き返すのも恥ずかしいし、こんなこと本人の前で一度たりとも口にしていないし、寝ていると思っていたからこそ言えた言葉だから……って。
「ねえ、言ってよ」
「な、なにを?」
「……わたしのことどう思っているか」
「…………え、えっと、やだ!」
「……」
……レティが黙った。
「……レティ?」
「……」
「レティ?」
「ぐすん……すん……すん……」
それから、レティはすすり泣きだした。
「ちょ……ちょっと、もうっ、レティ泣かないでよ!」
「だってだって……」
この反応は何?
そりゃ小さい頃は喧嘩しては2人してよく泣いてたけど、小学校に上がってからの彼女はその負けん気の強さからか、泣いている記憶なんてない。彼女が泣くことなんて相当のものだ。それこそ、最後の日の時くらいに。
首に絡まるレティの腕がもっと強くなる。今度は咳き込まずに済んだけど息苦しい。
「わたしはさあ! わたしは嫌なの!」
「嫌って何が?」
「シズクが他の子といちゃいちゃしてるのみるの嫌なの! あんたはわたしのものでしょ! 所有者以外に色目を使わないで!」
話が飛躍して彼女の言い分を理解できない。
もしかして、僕もお酒をのまないといけないんだろうか。シラフでする会話じゃないのだろうか。
などと、見当違いな方向へ考えてしまったのはそれだけレティが泣いていると言うことに動揺してのことだ。
酔っ払いの相手なんてギルドで野次を飛ばしてきた大人以外したことない。
ああいうのは腹は立つけど無視をするのが1番。けど、無視が出来ない身内の場合はどう対処していいのだろう。
「色目って……いちゃいちゃって……そんなことした覚えないけど?」
「ある! もう気が気でいられないの! あんたは自覚が足りなさすぎる!」
「ええ……」
自覚はしてるつもりだけどなあ。男からそういう目で見られるってことくらい。
以前はイルノートみたいな美青年になれるなんて思ったこともあったけど、異性からはとんと好かれないんだよね。声を掛けられるどころか、逆にギロリと睨み付けられたこともあるのに。
隣を歩いていたリコが「シズクはしらないだけ」なんて少し不機嫌になってレティ側に回った。何それ。
知らないだけって、もしかして僕も気が付かないうちにイルノートになれていたの? おお……なんて、喜びに浸ることは出来ない。
嬉しがる前にレティの喚き声が耳の奥に突き刺さった。
「もっとわたしに頼ってよ! シズクは過保護過ぎるよ! わたしを見てよ! もっと、もっと!」
「見てるけどね……」
「嘘っ!」
本当に見ているよ。
いつだって、いつだって僕はレティのことは真剣に見ている。
レティが彼女だって知ってから、お互い元の関係に戻ってからは尚更、僕はレティを昔以上に見ているんだ。
(――この言葉をちゃんと口に出来れば簡単なのかな)
だけど、僕は言えない。
それは……数年前にもこんなやり取りを身近な女の子とした記憶が思い浮かんでは消え……いや、掻き消した。思いだすことに意味なんてない。
意味がないけど、あの子にした振る舞いを、同じ様にレティにするのは失礼だと思ったからだった。
ましてや、酔っ払っている、正常じゃない今のレティに何を言ったところで伝わってくれるのか定かじゃない。
その先は僕からは何も言わず、かと言ってレティの暴言に対しての相槌を打ちながらの帰宅となった。先ほどまでこの時間を大切に思っていた僕はもういない。
早く宿に着け着けと呪詛のように心の中で繰り返した。
色々と道に迷いながらもようやく宿に着く頃にはレティは小さく嗚咽を漏らすほどに収まったけど、宿屋のおじさんが不思議そうな顔をして僕らを見てきた。
何を思い付いたか、いやらしい笑みを浮かべて親指を付き立ててきたけど、僕は知らないふりをした。
取っていた部屋に入り、またもリコの手を借りながらベッドまで運んで上着と靴を脱がせて横たわらせる。
「これでよしと。後はゆっくりと寝てくださいね」
「メレティミ、もうおさけはのむなよー」
「なによぉ……別に好きで飲んだわけじゃないのにぃ……」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、せっかくの可愛い顔が台無しになってる。
けど、数は少なくとも記憶に残る昔の彼女の泣き顔にそっくりだな、なんて苦笑する。
顔も形が変わっても、こういうところは全然変わらない。
彼女のことばかり言いつつも、僕だって、レティによく指摘されるんだ。
それ昔からの悪い癖だ、と言われてむっとすることもあるけど、昔の僕がいたことを実感させてくれて本当は嬉しいんだ。
サイトウさんから貰った鍵束の一つから雑貨の入った箱を出現させ、中からハンドタオルを取りだしレティの顔を拭いてあげる。同時に鼻をかませ綺麗にした後に改めて毛布を掛けなおした。
「ねえ」
「今度は何?」
タオルを洗おうと背を向けた時、僕の袖を引いてレティが留まらせた。
「キスしてよ」
――思わず吹いてしまった。
「笑った!?」
「違うよっ、驚いたんだよ!」
「なんでよ! なんで驚くのよ!」
「だって、レティがそんなこと言うとは思わなかったから……」
「わっ……わたしだってっ……普通の女の子だよ。勘違いしないで。好……相手とっ……キスしたいって思っちゃだめなの!?」
語気を強めてむうとレティが僕を睨み付ける。
けど、その厳しい視線は恥かしがってのことだとはわかった。
レティは顔を赤くして恥ずかしがったまま、でも鋭く尖らせた目は逸らさずに僕を見続けていた。
「……キス……してよ。君のこと信じさせてよ……」
「信じてないの?」
「わからなくなってきた……」
恥ずかしがり屋な目は、いつしか自信を無くした心細げな目に変わって僕を見る。
「わたしは君のものでしょ。好きにしてよ」
「後悔しない?」
「なんでするのさ。逆に待ち焦がれて枯れそうだった」
「枯れそうって――もう……わかった」
これ以上余計なことを言うな。とレティの目が僕に言う。そして、口以上に良く語っていた彼女の目は話すことをやめた。
僕は意を決して目を閉じるレティのベッドに腰をかけた。そして、両手を枕元に添えてゆっくりと肘を折っていく。
次第に近づいていく顔と顔。僕の鼻先がレティの鼻に触れる前少し斜めに傾ける。あと少し。
背中を押されればすぐに触れてしまいそうな距離に僕はゆっくりと時間をかけて間を詰めた。
とまどいが尾を引いて僕の背を引っ張る。いいのか――と。
したくないわけじゃない。本音を言えばしたいに決まっている。
僕らが僕らだった時、こういったことを意識しないことなんてなかった。
触れるだけの簡単なもの。それだけのことに僕もまた長年焦がれていたんだから。
(酔っていなければよかったのに)
指一本入るかの距離。僕の口とレティの唇の間。
あと少し――目を閉じたところで、僕の唇を押し返すみたいにレティの吐息がかかった。
「……ぐぅ」
「…………ん?」
「すぅ……すぅ……」
「レティ? ……って、寝てるのかよ!」
僕の突っ込みと同時に返事とばかりにレティの顔が横に薙ぐ。
「はぁぁぁあああ……」
気が抜けてレティの頭の横に頭を埋めた。
もう、信じられない。酔っ払いの戯言だとしてもこれは酷いよ。
真横で小さく寝息を立てはじめたレティの横顔はいじらしくもにくったらしい。
(もういい。目を覚ましたら覚えていろよ……!)
背を押したのは君だ。これから先、今の関係よりも先に行く。
もう止まらないから。そう、穏やかに寝顔を晒す僕の彼女に決意する。
「ねえ、シズク」
「……う、リコ……なに?」
ばっと起き上がり、僕らをずっと見ていたリコに平然を保ちながら答える。
「ねえ。きすってなに?」
「……っ! リコにはまだ早いっ!」
「えー!」
もやもやとしながらもその晩はあけていった。
誤算だったのは、そのもやもやが後を引いて、疲労がたまっている身体なのに一睡も出来なかったことだけど……。
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