第120話 不本意な買い食いと後悔
魔法の力も使わず無我夢中、自力だけで走り続けた。
どこに向かうかも構わずにただひたすら逃げることだけを考えて走りに走って、人の多い広場あたりで身体は限界を迎えて立ち止った。
ぜえぜえと荒れた呼吸に膝はケタケタと笑っている。
汗ばんだ頬に夕暮れ時の冷めた風は優しく撫でてくれるのだが、わたしの胸の内に安らぎを与えてくれるほどではなかった。
空気を求めて深く呼吸をしていると肉や野菜の焼ける臭いがあちらこちらから漂ってきた。
重い足を引き起こして辺りを見渡せば、今いる広場には昼間には無かった屋台がほとんど隙間無く所狭しと設置されている。その数は10を越え20あるかどうか。
(……お祭りか何かかな?)
広場の中心には丸太を重ねて組んだキャンプファイヤーみたいな焚火台が設置されていた。
でも、お祭りがあるとしても今日ではなさそうだ。
じゃあ、出ている屋台は何?
店によっては蝋を灯して営業を始めてるところもある。
いつしか客寄せの声も上がり、お客さんらしき人たちも屋台へと吸い込まれていくところを直接見る。
……まあいいや。
足をもつれさせながら空いているスペースに、近くの建物の壁に寄りかかり腰を下ろしてまだまだ乱れ続けた呼吸を整えた。
(笑っちゃうわ。やめちゃったとはいえ、男子に混じって練習をしていたわたしがこんな短距離でこのざまとはね……)
深刻な運動不足だ。スタミナ切れなんて起こしたのだっていつ以来かもわからない。
そもそも、こんな風に全力で走ったのなんていつ以来だろ。
……あ。
「そういや、この身体になってから全力で走った記憶はないや……」
ふと思い出す。
わたしがメレティミとして生まれてから、自分の限界を知らずに走り回った記憶がない。
ドナくんとも、フラミネスちゃんとも、レドヘイルくんとも。
さらには鬼ごっこやかくれんぼ、缶蹴りは……缶が無いってこともあるけど、類似した遊びの類は一切した覚えがない。
そりゃ小さい頃にドナくんにからかわれての追いかけっこくらいならしたけどさ。そう言うのとは別に、外遊びってやつをこの身体になってからした記憶がないんだ。
身体を動かすことはあっても、それは教養のひとつであったり、魔法の時間に軽く準備運動みたいなのものばかりだった。
なんで昔は疑問すら懐かなかったのが不思議なくらい。
魔法の練習から帰ってくる時とかに、里にいる天人族の子供たちが走り回って遊んでいるところだって見ていたのに……。
ドナくんたちはどう思ってたのかな。里の中を走り回って遊んでいる子供を見て、一緒に遊びたかったとは思わなかったのかな。
(わたしは、もったいないことをしたと今なら思えるよ……)
わたしたち四天の子は周りの子よりも厳格に、愛情深く育てられていた。それこそ、傷1つ付かぬよう丁寧に腫れ物に触るみたいに過保護なほどに。
でも、大人と言う鳥かごの中にいたとしても、わたしたちは何でもできたんだ。
身体が子供になったのだから、童心に戻って3人で他愛無いことで遊べばよかった。むしろ、わたしが率先して彼らに教えてあげるべきだったんだ。
……今更後悔したって仕方ないことだとはわかる。
でも、だけど、とわたしは、悔いてしまう――。
「見ろよ! あの上げ弾みする大きな胸! 揉みてええ!」
「……ありゃあ、ピンク頭の生意気なガキがいたとこで働いてたねえちゃんだな。奇抜な格好をしてるから気が付かなかったが……もう2、3年後にお目にかかりたかったぜ」
「…………」
人が物思いにふけっている中、そんな人を馬鹿にするような野次が飛んできた。
(喧嘩別れして情けなくも逃げ出した先で、なんでか昔のことを思いだして悔やんでいる、こんな、こんな時に……こんな時に!)
こんな時に最悪だ!
「ああ……っ!?」
四天の娘としてはふさわしくない声と、ぎろりと声のした方へと目を光らせて――見れば、関わりたくない部類の男2人が嫌悪感の湧く視線でわたしを見ていた。
町の人ではなさそうだ。着崩れているけど旅装束に身を包み、腰に挿した剣がだらだらと揺れる。
わたしたちと同じ冒険者だろうか――しかし、焦点の定まらない両目、緩んだ赤ら顔にだらんと引き締まらない立ち方から、酔っているのだろうとは目に見えてわかった。
まだまだ明るいと言える時間から飲んだくれるなんていいご身分だこと。
「……」
睨み付けてしまったが、直ぐに俯いて無視を決め込もうと考える。
絡んできた2人は酔っていようとなかろうと、乱れた服装とか、舐めた態度とか、人を不快にさせるような、とにかく一見して鼻に付く連中だった。
こういう輩は見た目からして関わらないのは国も星も違ってもどこだろうと一緒だと言っても間違いじゃないと思う。
多少絡まれはすれど、耳は痛くとも、無関心を装えばそのうち飽きてどこかに行くだろう……と、思っていたのに今回は無視をすればするほど絡んでくる人種の様だった。
「おおい、聞こえてんだろぉ? そんな無視なんてひどいじゃないの! 酔っ払いだからって邪険に扱わねえでよお!」
「そうつんけんすんなって。せっかく一稼ぎして人様がいい感じに酔ってるんだ。なあ、仲良くしようぜぇ」
2人はそう言いながらじりじりとわたしの方へとにじり寄ってきた。
来るなと思うも、黙ったまま無視を決め込んで俯いているわたしの視界に2人の足が侵入してくる。
穴の開いている年季の入った革靴には乾いた土がべったりと付着している。
何が仲良くだ。今の最低な気分じゃなくたって、お近づきになりたくない種類の人らとは1秒と一緒にいたくない。
――是非ともお断りします。
口は閉じたまま、上げた顔を横に向けて視線を逸らす……これが返事だ。
「オイ、アマ……何か」
「まあ、待て待て! 悪いなねえちゃん。気を悪くしちまった詫びとしておごるぜ?」
「……」
「なあいいだろ? 男だけで飲んでても寂しくてな。ねえちゃんみたいな花があった方がもっと酒がうまくなるんだ」
「……」
「好きなだけ頼んでくれていいぞ。今日はたんまり稼げてな。懐具合は十分よ。なあ――」
「…………たくっ、しつこいわね……なんでわたしがおごられなきゃ――」
――……ぐー。
……とは、わたしが発した音だった。
わたしの意志とは別に鳴ったお腹に目をぱちくりと瞬かせた二人が大口を開けて笑い出すのは直ぐのことだった。
自分でもわかるくらい顔を真っ赤になる。顔が熱い。
(もう、恥ずかしい!)
よりにもよって、なんでこんな奴らの前で!
羞恥に悶えそうになるのも堪えて、退かない2人の代わりにわたしが立ち上がり、別の場所へと移動しようとした――その時だった。
「まあまあ! ほれ、メシ食いに行こうぜ。お代は酌に付き合うだけでいいからよ」
「ちょっと、行くなんて一言も……押さないでよ!」
「ほらほら、嬢ちゃんこっちこっち! そんな腹空かせてっから苛々すんのよ!」
「だから、やめてってば!」
男たちは去ろうとしていたわたしの背を強引に押して、近くの開店し始めた屋台へと連れ込まれてしまった。
そして、「やめてよ!」と本気で叫ぶ前に、くぐってしまった暖簾の先でおじさんが良い顔をして「らっしゃい!」なんて告げるから……出る機会を逃してしまった
不本意だけど、仕方ないけど、わたしはカウンター席に着くことにした。
両隣に2人が間を詰めて座ってきたので肩を押しのけて距離を取らせた。「照れるなよ」なんて酒臭い息にうんざりとする。
さんざん人のことを笑った後、2人はとりあえずと酒を注文をし、お店のおじさんからなみなみと液体の注がれた木製のジョッキを受け取っていた。
最後にわたしの目の前にも2人のよりも小さなジョッキが置かれるけど、当然手には取ることはない。
2人が陽気に飲み始める中、反対にブルーなわたしはここから去りたくて仕方なかった。
ひとりになりたかった。それから、落ち着いた後にシズクにごめん……と謝りに行きたかった。
だけど、目の前のコンロ(?)から食欲を誘う肉の焼けるいい匂いが漂ってきたから、その……下ろした腰はすっかり根を張ってしまったようだ。
カウンターを挟んで対面に立つ店主のおじさんは串に刺さった肉を焼いている。
焼き鳥っぽい串料理だけど、肉の大きさはごろごろとして大きい。
肉を焼く網の下に置かれたコンロのような道具には赤く光る石が埋め込まれている。この光る石が赤外線みたいな役割を果たしているのだろうか。
小さくも肉が焼ける音を聴いていると、自分の意志と反して口の中でよだれが出てくる。
確かに、お腹は空いている。昨日から口にしたのは自分で出した水くらいと賄い飯で貰ったサンドイッチ1口だけだから……ごくり、と喉を鳴らした。
「親父。それ3人前。このねえちゃんには特に大きなの頼むぜ」
「へい。まいど!」
元気よくおじさんが返事をして焼いていた肉を裏返した。焦げた肉の表面にはじわじわと油が踊って美味しそう。
だけど、なんだろう。このお肉。
鳥には見えないし、かと言って豚でもないし、牛に近いかな?
「その肉は何?」
「これは狐肉の薫製焼きだ」
「……その道具で肉に火はちゃんと通るの? 火力は無いように見えるけど」
焼けてはいるんだけど網の下、赤く光る点は肉を焼くには少々心細いほどの火力だった。
狐肉なんて食べたことないし、牛ならまだいいけど、豚や鳥の半生は……十分に火の通っていない肉は口にしたくない。
(まあ、他のお客さんに出すんだから、そういう事故はそうそう起こらないとは思うけど……)
お腹を壊すだけならまだしも、へんな寄生虫に悩まされるのは勘弁。というか、こちらの世界の衛生面なんて今まで考えたこともなかったけどさ。
「その場で調理できる程の火力を持つ魔道具なんて値が張って使えねえよ。ウチは、というか、ここらの屋台の大半は前もって火を通したもんを出してんだ。これは温めるため――火力は低すぎて料理には向かねえけど、軽く炙る程度なら最適なもんだ」
「……へえ、そんな魔道具まであるのね」
ほれ、と皿に乗った狐肉の薫製焼きというものがわたしたちの前に置かれる。
恐る恐ると言う形で、刺された串を持って口へと運ぶ。がぶりと噛みついて肉を引きちぎった。
(……まあまあかな)
薫製焼きってことで臭みがあるかとも思ったけど悪くはない。口の中に頬張った時、肉本来が持っていたであろう独特な臭いが鼻を通っていくけど気にはならない程だ。
塩味であっさりとしていて、悪くない。食感としては鶏肉に近い。
ただ、中はちょっとぬるいね。外面は火傷しそうになるほど熱いけど、嚙み切った先に熱は感じられなかった。また断面を見てもちゃんと中まで火が通っているようだ……ただ白かったってだけだけど。
両隣に座る男たちは良い食いっぷりだと褒めてきたけど、正直嬉しくもなんともない。
2人がいるから楽しくない。これがまあまあと評価した理由。1人で食べたならもう少しは美味しいと思ったんだろう。そして、シズクとなら……。
この店だけじゃなくて他のお店でもテイクアウトは当然らしい。黙々と口にしているとおじさんが教えてくれた。
その話を聞いて、今一度ここでシズクと一緒にご飯を食べれたらもっと良かっただろうになあ……と後悔した。
(なんでわたし、こんな奴らと食事してんだろ)
むしゃくしゃして、店主にさらに3つ、肉を頼みながら残りを口に運んだ。
他にも狐肉を焼いている……温めている間に蒸かし芋を出されたので大きく噛り付いて頬張った。
蒸かし芋と言っていたけど実際には蒸かした後芋だ。
ぼろりとはがれそうになる冷たい皮に噛みついた先は冷たい1歩手前のぬるさだった。
味はついていないのでほんのりと素材そのものの甘さを感じ取る。そのため肉と一緒に交互に食べると丁度良さそうか。
注文した肉が来たので左手に芋を持ち、右手に串を持って交互に口に運んでいく。やけ食いの類だ。
もう腹いっぱいに食ってやるっ……!
「もぐも……ぐっ……」
と、やけ食いを意気込んで早々、喉を詰まらせてしまった。
喉の奥に引っかかる感触に顔をしかめる。
両隣の男たちがまた笑いだした。
「ほら、嬢ちゃん飲みね。別に逃げやしねえよ。ゆっくり食えや」
「……ありが……っ……ぐっ!」
感謝なんて1つだってしてないのに、反射的にありがとうと言いながら、迷うことなく受け取ったものをすぐに口に付けて流し込んだ……なんで口にしちゃったんだろ。
もっと確認すればよかった。
敬遠していた奴等だっていうのに素直に受け取り、口に運んだのは目の前に置かれた自分のジョッキだった。
受け取り大きくごくり、と喉を鳴らした先、思わず吐きそうになった。
げほげほっと咳き込んだ後、喉の奥から胸の中がじんわりと焼けるような熱さを覚える。
何やってんの。わたしまだ未成年なのに。
結構な量を喉に流し込んでしまっ――……なに?
(目が、まわる……)
こんなことありえるの。
わたしが遠くに行く。
お酒を口にした。そのことは理解した。
家族そろってお正月に口にしたコップ1杯のお酒をのんだ時のことを思いだす。
あの時は、こんなことなかったのに。たった1口。たった1口なのに。度数が高かった?
知らない。わたしお酒なんて知らないし。甘辛いのはわかる。けどそれだけ。
え? わたしはお酒をのんだ――。
「……え?」
気が付けば空を見上げていた。
そのことに気が付いた直後、遅れて頭と背中に地面にぶつかった痛みが広がりを見せた。
(嘘だろ。1杯しか飲んでないのに)
(……手間省けていいじゃねえか)
こそこそと上から小さな囁き声が聞こえてきた。
「……親父。お勘定。金置いてくぞ」
「お、おい。その子どうするつもりだ」
「どうするって、ツレが酔っ払っただけだ。……看病してやるだけさ」
「本当か?」
「本当だとも。……これ以上何も言うなや。揉め事なんかして店が壊れたら嫌っしょ?」
「……ちっ」
無理やり、両腕を引っ張られて、立たされる。
2人に挟まれたわたしは肩を担がれながら覚束無い足を引きずられるかのように歩かされる。
臭い。
汗臭い男の匂いが左右から漂う。
「……いっ」
胸が痛い。
ぐねぐねと自分の意志とは別に動いている――両方の胸が男たちに掴まれ、弄ばされていると知ったのは、痛みを感じてから数秒後のことだった。
「へへ、ガキの癖に良いもん持ってんじゃねえか」
「だな。こりゃ将来が楽しみだぜ。だが――」
やめろ。触るな。
身体に力が入らない。
「――若い芽を摘むのも悪くねえな」
声が遠く聞こえる。
すごい気持ち悪い。身体も、心も。やめて。
「……やぁ」
抵抗しようにも力が入らない。
出来るとしたら足を引きずられながら、勝手に前へと進む身体を小刻みに揺さぶり頭を軽く振る程度だ。
やめて、どこへ行くの。行きたくない。やだよ。触らないでよ。やめてよ……。
「おーい、大丈夫かー? まったくー、飲みすぎも大概にしないとなあ」
「そうだぜー。介抱する身にもなってもらいたいぜー」
近くて遠い両脇からそんな嫌悪感を深める音が聞こえた。
周りに人はいるのに誰も声を掛けてくれない。顔を上げても皆、心配そうな表情をするだけ。なんでそんな顔をするのかもわたしにはわからなかった。
情けない。こんなやつら魔法で1発なのに、なんで動けないの。
……誰か助けて。そう声に出せたらどんなに良かっただろうかと、口は半開きのままだ。
ぐす、と涙が出そうになる。
「……あん?」
不意にわたしの足がとまる。
わたしの首が停止した勢いでがくりと落ちた。力が入らず顔を上げようにも長い時間を必要とした。
「ねえ、おじさんたち……何してるの?」
「お前は……あの茶屋のねえちゃんじゃねえか」
「何って、仲間の看病だよ。こいつは昔っから酒が弱くてねえ」
「……ふーん。おじさんたちその子の昔のこと知ってるんだ」
「当たり前だろ。こいつがちいせえ頃からもう何年と一緒に組んでたんだからよ!」
「子守は大変だ。……わかったらさっさとどけや。それとも俺たちと一緒にツレの看病をしてくれるのか? へっへへへ……へ……ひっ!?」
「……へえ……一緒に、ね」
頑張って首を上げようとしている間に、聞きなれた声が耳に届いた。
数か月前までは知らなかった声。でも、いつの間にか身近になった声――彼の声が聞こえた。
何を言ってるの。
彼が、シズクがここにいるはずないのに――でも、いた。
ようやく顔を上げると、そこには両肩から真っ赤な赤い腕を生やした彼がいたんだ。
(……綺麗だな)
左右から遠い悲鳴が上がる中、わたしは彼の出した炎に見蕩れてしまった。
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