第119話 わたしが不機嫌な理由

 この世界に戻ってから自分でも目を背きたくなるほど情緒不安定になっている。

 理由はわかっている。シズクのせいだ――別にシズクが何かしでかしたわけではない。

 日頃から私を気遣ってくれているのは言葉にせずとも姿勢から十分に伝わってきているし、感謝だってしている。


 初めて仕事を請け負った時。初めて野宿をした時。初めて魔物を殺めた時。


(いつも彼がわたしを見守り、気遣い、支えてくれてた。ほんと……お節介なほどに)


 けど違う。そうじゃない。わたしは君の負担になりたいわけじゃない。

 きっと彼にそんな気はないとしても、わたしにはお荷物として扱われているようで嫌だった。

 負担になっている申し訳なさと、もっと任せてほしいという不満は、日に日にわたしの心を乱し、こんな態度を取るようになっていった。


(……彼の見た目のせいもある)


 今の彼は誰もが振り返るような美人になってしまっている。

 それこそ、老若男女、性別も年齢も越えて誰もが彼に注目する。


 わたしよりも1つ年下なのにさ、わたしよりも大人に見えちゃう。

 まだ子供だっていうのにさ、時折魅せる横顔にわたしも見蕩れそうになっちゃう。


 でも、口を開けば昔の彼を垣間見れる。音は違えど声の抑揚も、声量も、優しさも。記憶の中の彼がそこにいる。

 ほっとする。

 彼だと、わたしの幼馴染だと実感できる――できるのだけど。

 

(……未だに疑ってしまうの。シズクが彼だということを)


 いつの間にか越されてしまった背丈。肉が付かないと嘆いていた細い体。野球をしているのに勝負ごとに向いていない優しい目。

 わたしの記憶の中の彼はいたって普通の少年だった。


 特別秀でてるわけもなく普通の少年だったけど、わたしはそんな彼をずっと隣で見て、そして、ゆっくりと降り注がれる砂が沈殿していくように好きになっていった。


 ただ、あの頃とは違う。

 十数年会わなかっただけで、本質は同じだとしても彼は変わっていた。

 わたしの後ろを着いてきた彼はもういなくて、率先してわたしの前に出て引っ張ろうとしてくれる。

 これは元々の彼に求めていたことでもある。けれど、実際期待通りになってくれた彼にわたしは寂しさを覚えている。

 まるでわたし1人があの時から停滞してて、彼だけが先に行っているかのような……不安と共に。


 そして、何よりだ。

 シズクあいつは……ではなく、を好きになっているんじゃないかって疑いそうになる。


 お母様譲りの可愛らしく整った顔。

 女性の理想を体現したかのような、細くしなやかで尚且つ染みどころかホクロ1つない綺麗な身体。


(………………まあ、胸も)


 何もかも以前のわたしと比べてしまえばメレティミが優っている。

 欠点と言えばこんな性格の悪いわたしが入っていることくらいだろう。


(それで……まあ、その。だからさ……)


 シズクは、あいつは……こんなわたしじゃなくて、可愛いメレティミを見ているんじゃないのかなって思ってしまうんだ。

 メレティミというフィルターをかけたわたしを相手にしてくれているんじゃないかって思っちゃうんだ。


 嫌って訳じゃないの。

 メレティミはもうわたしのひとつであり、この世界で言う13年共にしてきた身体でもある。嫌いになんてなれない。

 今じゃ自分の昔の顔よりもメレティミとしての顔の方が頭に浮かぶようになってきているほどにね。


(シズクはどう思っているんだろう。昔と今の自分の違いに……)


 教えてほしい。けど、そんなこと、聞けない。

 彼のせいじゃない。でも、彼のせいにしたい。


 わたしは、見えるわたし自身にも嫉妬して、見えない鬱憤とか見えない不満を、見えるシズクにぶつけただけだ。





 仕事に向かえば嫌なことを忘れられる。

 先に宿を出たわたしはひとりで冒険者ギルドに向かい、また昨日と同じ食堂での依頼を受けた。

 仕事の量が多ければ多いほど頭を働かせないで済む。昨日と同じくらい大変なのは予想はできたけど、今日に限っては願ってもないことだった。


 実際に仕事に就けば嵐の様な勢いでお客さんはなだれ込んできた。目が回るほど寄せてくるお客さんはわたしに考える時間を与えてくれない。

 はいよはいよと注文を受けて、どうやどうやと食事を運んで行く。

 リコちゃんがいなかったから昨日よりもお客さんに話しかけれて足が止まりそうになったけど、代わりにお店の1人娘が怒鳴りちらしてくれた。

 時には失敗も起こし、そのたびに店主の肝っ玉母さんみたいなおかみさんにしこたま怒られながらも給仕を続ける。

 忙しく忙しく、悩みに頭を抱える暇を与えてくれなければ時間は簡単に流れて、残念ながらあっけなく過ぎて行った。


「……おつかれさまです」

「あいよ! 今日も助かったよ! まあ何悩んでんだか知らないけどさぁ、ちゃんと食べなよ! 冷めちまったけど帰りに食っていきな!」

「……はい、いただきます」


 休憩に貰っていたけど今まで手付かずで取って置いた食事を携え、店の裏で壁に寄り添って一息つく。

 賄い飯かお店のメニューにある兎肉のサンドイッチは美味しいのに1口だけしか進まない。

 甘みのある照り焼きに似たソースが口の中に広がったのはかなり前。今では挟まれていたレタスのような繊維質の野菜を口の中で何度も噛んでいる。味はもう、無い。

 仕事からは解放されたのに、足は地面に縫い付けられた。

 空を見上げると薄い衣のかかった夕暮れ空が広がっている。ぼけーっと空の朱色と水色の境界線を意味もなくわたしは探し続けた――。


「おい、みみおんな!」


 すると、前方からわたしを指していると思わしき暴言が投げられた。

 こんな風にわたしを呼ぶのは1人しか心当たりがなく、今のブルーな気分では相手にしたくないので、そのまま聞こえないふりを…………おい。

 ぐっ、とわたしの胸が持ちあげられた。

 やっぱり、こんなことをするのは1人しか思いつかない、っていうか、その1人以外でやったらわたしは暴走する。


「聞こえてんだろ。この牛みみおんな!」


 それではわたしが牛の耳をした女じゃないか。というか、牛と言ったのはどこを指してか。

 はぁ……と、空に向けていた視線を下に降ろしていけば、耳みたいなピンク色のツインテールが見えた。

 背筋を伸ばして斜めった身体を立て直し、こちらをじろりと睨み付ける声の主、わたしが雇われている食堂の1人娘さんに目を向ける。彼女はその小さな手でむにむにとわたしの胸を揉んでいた。

 わたしは彼女の両手を叩いて落とし返事をした。気は乗らずダウナー気味の声が出る。


「聞こえてますよぉ……」

「長い耳して耳が遠いのか!? ナガミミは魔法を使う不老不死と聞いた! 本当はお前、魔法で若く見せている老婆なんだろ!」

「不老不死に老婆って……まだわたしはですよぉ……」

「嘘をつけ! ナガミミは成長するのも遅いのか! あたしと同じくらいにしか見えない!」

「いやいや、同じ年だったとしても君、身長めっちゃ低いじゃ……ぐっ……やめろ! 胸を握るな! 揉むな! もう!」

「背のことは言うな! 小さくなる気がする! あたしはこれからだ! これから大きくなるんだぞ!」


 再度胸を力強く掴んだ手を引きはがす。

 子供は力加減を知らないんだから……そんなぎゅっと力を込めたりして、まじで痛いんだぞ。

 しかも、最近また大きくなってきたんだ。これ以上刺激を加えることはやめてほしい。


「ぐぬぬ……この牛め。やっぱり、母ちゃんよりも大きい……」

「そうですかそうですか」

「なあ、胸がデカいと肩こりが酷いって聞くぞ! 本当か!?」

「肩こり? そういや……わたしは特に感じたことないわね」


 胸が張り始めてこの数年、これと言ってこりも重さも感じた覚えはない。

 私の身体は魔力で出来ているからどうなんだろう……いつかはわたしも肩こりに悩まされるんだろうか。

 以前だったらぜいたくな悩みだなあ……と舌打ちしていただろうに。


「そうなのか! お前、意外と鈍いんだな! やっぱり牛だな!」


 牛ー牛―とわたしの胸を指さして茶化してくる。


「……だーかーらー。これくらい普通だって!」


 そう、この世界では普通だと思いたい。ここまで来る間に寄った町にはわたしよりも大きな胸をした人も何人か見かけたし。


(ま、まあ、前に身体測定でシオミさんに計ってもらったらバストサイズは驚きの8……いや、だから、牛と呼ばれるほど大きくないし!)


 それに、ほら。ウリウリと同じくらいだったし……。


「普通だっ……あ」


 そこで、思いついてしまった。

 成長途中のわたしと、成長の止まったウリウリを比べるべきことではないことを。


「それで普通……だと……!? お、お前は嘘付きだ! やっぱり、歳だって偽ってるに違いない!」

「そこまで言うなら……ほら、見なさいよ。ギルドカードだって15歳って書いてあるっしょ!」

「偽装か! 知ってるぞ! ギルドカードの偽装は重罪だって!」

「だ――! もう、ああ言えばこう言う!!」


 まあ、仕方なく2年水増ししているけどね。

 アンスがわたしを15歳だと言って疑うのも当然だろう。

 この世界での1年はおおよそ420日であり、わたしの元いた世界の1年よりも70日ほど長い。

 つまり、今の13歳(あとだいたいひと月で)のわたしは前の世界に計算し直せば15歳になったかどうかってところであり、例えるなら、まだあか抜けていない中学3年生のわたしが高校3年生だと言ってるようなもんだ。

 また、個人差はあれど、成長期であるこの間のでの子供の成長は見違えるほどに違ってしまうし……。


 さて紹介が遅れた。

 フラミネスちゃんほどのちっこい背丈のこの子の名前はアンス。わたしが雇われている飲食店の1人娘だ。ちなみに1個下の12歳。同い年くらいだと指摘するのもあながち間違いじゃない。

 この子は昨日仕事場で顔合わせをした時から耳だ耳だと何度もわたしに妙に突っかかってきて以来、恐縮なことにどうやら気に入られてしまったようだった。


「もういい。胸の話はやめる! かなしくなる! いいか! あたしだって大きくなったらお前より大きくなるんだからな!」

「別に胸の話なんかしてないでしょうに……」

「いいから! みみおんなっ、今日はお前これで終わりだろ!」


 背の小さな口悪お嬢さんだこと、と普段のわたしなら頬を緩ませ大人の対応が出来ると言うのに、昨日の件を引きずったままの今の心境では酷く億劫な存在でしかない。


「何よ……わたしにはメレティミって名前があるって昨日言ったじゃない。そのうさぎみたいな頭じゃ覚えられないの?」

「誰がうさぎだ! ふんっ、やっぱりお前なんかみみおんなで十分だ!」

「へえ……そうですか。そうですか」


 ひらひらと手を振ってさっさと去れと示してもこいつは未だに居座り続ける。

 さらにぴんと腕を伸ばしてわたしを指さしてきた。


「いいから! お前これで終わりだろ!」

「そうですよぉ……」

「じゃあ、ちょっと付き合え!」

「付き合えってどこへ?」

「偵察だ!」


 こっちだ! とまだ承諾もしてないのに先に走っていくアンスの後をしかたないとのろのろと続き……早くしろ! と急かされる。もうなんなのよ。





 早くって言ってもアンスは今いる裏手から出て、表のお店を飾る鉢植えの後ろに隠れてるだけだった。

 まったくもう、とわたしも中腰になってアンスの後ろに着いた。


「……で、どこの偵察よ」

「しっ、静かにせっ! ……ん!」


 顎で示された場所は向かいの“あの”お茶屋さんだ。偵察ってあそこかあ……。

 立地的に無理だけど、出来れば近寄りたくなかったシズクの仕事場だ。

 昨日座っている場所にはいなかったけど、お客さんの入り具合で今日も彼は働いているのだろうとは予想できたけど……。


「……で、あそこを偵察して意味あんの?」

「ある! 昨日から強力な新人が入ったのだ! そいつに惹かれて客がなだれ込んでいる!」

「……ふーん、で?」

「このままではうちの客足が遠のくかもしれん! いかんのだ! 一体どんなやつかこの目でしかと見てやる!」

「うちのお店だって昨日今日の売り上げは今までの中で最高だっておかみさんが言ってたけど?」

「……そ、それは……ええい! お前の乳目当てで客が入ったおかげだ! だが、お前はこのままいるわけじゃない! はお前と違ってずっといるかもしれんのだ!」

「はあ、さようで」


 無用な心配を掛けさせてしまってすみませんね。

 わたしと同じくそいつも直ぐに去るよ。


「……で、意味あんの? 同じ飲食でも、うちは食事処であっちはお茶屋さん。競う方向が違う気がするけど」

「少し黙れ! でえでえうるさい! やっぱり牛か! べえべえ!」


 それと「グチグチ話すな! 隠れている意味がないだろう!」――なんて大声を上げて言われてもなあ。

 隠れてるって鉢植えの草花で隠しきれてるのは小さいアンスだけだし、わたしはその隣でしゃがんでいるだけで。自分でも驚くくらい他人の視線を感じてしまう。

 ユッグジールの里の中よりも多く行き交う人全員がわたしたちをちらちらと見ていた。

 うちのお嬢様ときたら集まる視線に気にも留めずに「今日は人が多いな」とか「人が邪魔で見にくい!」と、頭をくいくいと通る人と人の隙間へと動かして、お茶屋さんを眺めつづける。

 あら、お嬢様、プランターからお顔が出てらっしゃいますよ。


「はあ……」


 わたしは引っ込みたくて仕方なくなった。

 注目されているのは奇行に走っているアンスではなく、自分であることに気が付いていた。

 自分が天人族だってこともあるんだろう。行き交う人の視線がわたしの耳へと注がれていることに気が付く。

 また、同時に男性陣はどこを注視しているのか……がるるっ! と目を光らせて男どもの視線を逸らさせた。

 こういう時、は喜んでいた自分の胸の大きさに嫌気がさす。

 わたしだった頃は慎ましい胸に悲観し、もう少し大きくなれと思っていたのになあ。

 

 また、ひそひそとあちらこちらの会話に耳を立てれば、別の意味でわたしは知れ渡ってしまっているようだった。

 昨日のわたしの“醜態”についてのことだ。

 今日来てくれたお客さんにも訊ねられたりもしたし、昨日のシズクとのやり取りを知ってる人がこの町にはたくさんいるのだろう……。

 自業自得とはいえ、こんなにも目立つわたしを連れて偵察なんてアンスも人選を間違えたものだ。


「……」


 無言で店内を厳しい視線を送るうちのお嬢様。まあいいわ。

 わたしも仕方なしに、仕方なしに、仕方なしにね! と自分に言い付けて彼の様子を伺った。


「おや……」


 仕事中は忙しいこともあったからよおく見ていられなかったけど、今日はちゃんと働いている。

 可愛らしいエプロンに三角巾を頭に巻いて、満席に近い店内を先ほどのわたしみたいに忙しなく動き回っている。

 うちに比べれば客の数は多くはないけど、あっちこっちと客席に呼ばれて行き来しているシズクがいる。


「はあ……すご」


 バイトなんかしたことなかったから、やること全てが1から始まり、半分混乱しながら仕事をしていたわたしと違って、シズクの働きっぷりは様になっている。

 屋敷での経験がまだ生きているのか、多忙ながらに、落ち着き洗礼された動きを見せていた。

 その姿を見て、また深く落ち込みそうになった。


(……やっぱり、昨日は言いすぎた)


 グダグダだったわたしよりもテキパキと仕事をしている彼をどうして責められることが出来ようか……けどさ。


(昨日の彼には見えなかったんだもん。仕方ないじゃん)


「……あいつ、この町の人間じゃない。……だからか。変わり者の店で働こうなんて酔狂な姉ちゃんだな」

「変わり者? え、ッと……いいわ。あれ、男よ」

「何っ、なるほど。男か! 道理で。納得し……あ……あいつ!」


 アンスが声を荒げて指を指した。

 どうしたと目を送れば、店員の1人。オレンジ色の髪をした少女がシズクの腕に自分の腕を絡めて何か話しかけているところだ。

 そして。


「……あ」


 わたしは声を漏らした。

 シズクが、優しそうに彼女に微笑んでいたからだ。


「……」


 まるで大切なもの慈しむように、柔らかく目を細めて、小さく口元を緩めた微笑を向ける。

 その笑みを、わたしはよく知っている。

 ルイの記憶から何度もルイわたしに向けられたものであり……昔も、今のわたしメレティミにも向けられたことのないものだった。


「………………何よ。そういうこと」


 わたしの胸の奥で小さな痛みを感じる。

 しくしくと疼きだした胸をぎゅっと手で強く押し込んで抑えた。

 小さくて息苦しい悪寒に似た感触にまたも苛立ってくる。


「おい、牛おんな!」

「誰が牛じゃ!」

「わっ、なんだあんな大きな声を上げて! もういい! あの男は何者だ! 何でお前が知っている!? なんであいつミケと親し気にしてるのだ!」

「知らないわよっ! ミケって誰よ!? わたしだって聞きたいくらいよ!」

「馬鹿! 大声を出すなと! ……なんだそんなぷりぷり怒って! もう知らん!」


 ぷい、とアンスはそっぽを向けば、変わらずお茶屋さんの、シズクとオレンジ頭のミケって子に視線を戻して睨み付ける。


「男、男はいかんぞ……! ミケぇ……男はいかんと言っただろうに……っ!」


 何を言ってるのかしら。

 隠れていた鉢植えの葉を力いっぱい握り締めて歯ぎしりを起こしながら睨み付けるアンスにただならぬ憎悪を感じ取る。けどどうでもいい。

 はあ……もう知るか!


「ばぁか……」


 いつの間にか奥へと消えてしまった彼を罵倒してから立ち上がる。

 帰ろ帰ろ。

 わたしは遠回りになるけど店の裏から宿へ帰路につこうと振り返った……その時。


「しまった見つか……み、ミケ? なん、なんでミケがこっちに来る!?」


 アンスが甲高い声を上げていた。

 何よ。そんなに驚いて……と振り返れば、思わぬというか、先ほどまで目にしていたオレンジ髪の少女がこちらへと歩いてきていた。

 

「アンスちゃん。そこ退いて。……青髪のあなた。さっきからずっと店を見てましたよね」


 向かい合い開口、青髪……と言われてわたしのことか。

 顔を合わせればぎょっと驚きながらも、目を光らせてわたしを睨み付けている。

 アンスよりも少し背の高いその子は僅かに肩を震わせていた。


(わたしに怯えている? まさかね。そんな怖い顔をしていたのだろうか。まったく……睨み付けたいのはこっちだよ)


 このオレンジ髪の女の子はこの町に着いて一番最初に出会い、また……恥ずかしいことに不機嫌になった理由の大元だ。


 シズクが抱き抱えていた女の子。

 足をくじいたから運んだ女の子。

 それっきりで終わるはずだった女の子。


 それが本当のことだとしても、親し気に彼と接しているところを見て嫌な気分になったと言うのに、ここまで関わることになるなんて思いもしなかった。


「……落ち着け」


 相手はまだ子供だ。


(……相手は年下。いい。わたし。落ち着くのよ)


 自分は大人なのだからと言い聞かせ、大人の対応を心掛けて口を開く。

 笑うことは、出来なかった。


「……見てたわ。何か?」

「……わたしはミケと言います。シズクさんと一緒に仕事をしています」

「わたしはメレティミ・フルオリフィア。この子の仕事場でお世話になってるわ」

「そうだぞ! みみおんなはあたしの部下だ! ミケ、すごいだろ! なあ……」

「アンスちゃんは黙ってて!」

「ひゃい!」


 ミケちゃんとやらがぎろりと年相応の可愛い目を吊り上げてアンスの口を閉じさせた。

 

「そ、その、シズクさんの……お仲間さん、ですよね」


 恐る恐るといった具合か、肩と同じく声を震わせてわたしに聞いてくる。


(……お仲間さん、かあ)


 シズクはわたしのことをそんなふうに紹介したのか。

 寂しい……いや、なんだかいらっと気に障る。ふん。それでいいわ。


「ええ、シズクの“お仲間”です。よろしくね」

「そうですか……わかりました。では、単刀直入に言います! シズクさんと別れてください!」


 …………は?


「…………はあ?」


 え、一体何を言ってるの。


「どういう意味?」

「だ、だから、シズクさんとの縁を切ってくださいって言ってるんです!」

「縁って……どうしてそんなこと言われなきゃいけないの? 縁を切れって……君はシズクの何なの?」

「い、今はまだ仕事仲間です!」

「まだって……」


 これから先があるのだろうか。明日明後日にはこの町を去るのに?


「逆に聞きます。あなたはシズクさんの何なんですか!?」

「は……?」


 何かって……そりゃあ……。


「恋……」


 ――人。

 とはわたしの口から出ることは無かった。

 こっぱずかしかったこともある。けど、プライドって言うのか、変な意地があってわたしには口にすることは出来なかった。


「……」

「……何も言わないんですね。でも、それって仲間以上の何かはあるってことですか?」

「……別に」

「別にですか……っ……あ……あたしは、彼のことが好きです」

「え……好きって、はあ?」


 何を言ってるの? この子は。

 いつもならこう思うはずだった。それこそ最初にルイに言われた時みたいに。

 子供の戯言。

 パパママ大好きと同等のものだとかそういうのを。


「笑いますか? ……助けられたこともありますが、最初は一目ぼれです。けど、一緒に仕事をしてって、優しい彼を知って改めて好きになりました」

「み、ミケぇっ! 馬鹿なことは言うなぁ……それは勘違いぞぉ……やめるんだぁ」

「アンスちゃんは黙ってて!」

「ひゃいっ!」


 けど、彼女の目は真剣だった。


「絶対に引き留めます! 彼を! あたしの下に繋ぎ留めます!」

「み、ミケぇ……いかんぞぉ……男はいかんと何度も……」

「アンスちゃんは黙ってて!」

「ひゃいっ!」


 怯えを灯しながらも力強い眼差しはわたしを射すくめる。

 こんな目でわたしはシズクを見たことがあるんだろうか。


「あたしは、シズクさんのことが好きです! ずっとここにいてほしい! あなたはどうなんですか!? 昨日もあんな大声を上げて彼を困らせて! 彼のことが嫌いなら一緒にいない方が良いじゃないですか!」


 彼のことが嫌い?

 何の冗談……って傍から見ればそう見えるのか。

 そらそうだ。わたしの勝手な独りよがりでシズクを困らせているのは重々承知している。

 けど、耐えられないんだもん。辛いんだもん。我慢できないんだもん。

 わたしだって止めれるもんなら止めたいよ。けど、このわたしが止まらないんだ。


「……もう1度言います。あなたはシズクさんのことどう思っているんですか!?」

「わ、たしは――…………」


 それ以上は、言葉を出せなかった。

 そして、顔を真っ赤にし泣きそうな顔をして、肩を震わせてわたしを睨み付けるこの子に思わずたじろいでしまった。


「……」

「何も、言わないんですか?」

「ミケぇ……」

「アンスちゃんは黙ってて!」

「……っ! ぐすん、あたしはもう知らん……」


 言葉は、やっぱり出ない。

 年下の子の発言なのに、目の前で震える少女と同様に内心わたしは尻ごんでいたのだ。


 ……負けた気がしたから。


 はっきりと口にして「好きだ」と言えるこの子に。そして、同時に頭に過ったルイにも。


 ――好きだ好きだ好きだ。


 簡単なことなのになかなか口に出来ない。

 言い訳じみた言葉は頭の中で簡単に出る。けど、肝心の言葉は一向に口から出ることは無い。

 そこが違い。彼女とわたしとの差。

 いつかは言える。今はまだ照れくさいだけ。いつかは当然のように口に出来る。


 ――やれるやろうと思っているだけじゃ、やってないことと変わんない。


 本人を前にしたわけじゃなくとも、やったこの子に、やれなかったわたし。

 例えばこれが勝負だとしたら、スタートに立ったこの子と、スタートすら立っていないわたし。


 わたしとシズクは恋人同士だ。その言葉を言えば直ぐに済む話。終わる話。

 けど、出ない。出ないのはスタート地点に立って泣きそうな顔をしてこっちを睨み付けるこの子に、スタート前にすら立てなかったわたしが、負けたと思ってしまったからだった。


「……っ!!」

「お、おい、みみおんな!」

「ちょっと、待ってください!」


 悔しくて恥ずかしくて悲しくて。

 自分が酷く矮小な存在に見えて、わたしはこのミケという子ともシズクとも……彼らに背を向けて逃げるしかなかった。

 昨日と同じく、人垣が出来ていたけど、わたしは構わず壁をぶち抜いて走っていった。

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