第115話 四天としての日常 その1 友人宅への道すがら

 晩ご飯を食べた後、ウリウリを連れて屋敷を後にする。

 もう1年近く同じことをしてるのに、ウリウリの顔を屋敷からずーっと同じ表情だ。

 まだ外は明るく夕暮れ前だっていうのに。天人族と亜人種の居住区をつなぐ橋の周辺には誰もいないのに、ウリウリは2人っきりの時の顔をしてくれない。


「いいですか? 月が天上を跨ぐ前に戻ってきませんと……」

「わかってるって。ウリウリは心配し過ぎだって」

「ですが……」


 このやり取りも毎日してる。

 いいのいいのとひらひらと手を振り、ウリウリの前を歩いて亜人族の居住区へ続く橋を渡る。


 亜人族の居住区内を歩く時、大通りを横切る時、ちらちらとぼくを見る亜人族の目ももう慣れたもの。

 前は大きな雨がっぱみたいなローブを被って頭も身体も隠していたけど、次第に面倒になってそのまんまの姿で出向くようになった。あ、ウリウリは最初から最後……最後じゃないけど今日も変わらない仕事着の緑の上着と白いワンピース。青い綺麗な石が長い耳に揺れている。

 ぼくとは違って亜人種の人たちの目が向けられてもいつもいつも通りのかったい顔だ。岩女ウリウリだ。


 いつも通り、嫌な視線に晒されながらもどうにか亜人族の居住区を抜け、お隣の居住区にかかる大橋を、とてとてと大股で渡っていると、普通なら黙ってついてきてくれるウリウリが珍しく声を掛けてきた。


「……もう止しませんか。あなたの仕事が他種族との交流だとしても、度が過ぎています。彼らに執着し過ぎではありませんか?」

「執着って仰々しいね……」


 橋のまんなかで立ち止まり、ぼくは振り返ってウリウリと向かい合う。

 んー……唸って言葉を探す。


「ともだちがいるの。理由なんてそれだけじゃ駄目かな?」


 魔人族の里にはともだちがいる。だからぼくは向かうんだ。


「友達……。彼らが、ですか?」

「うん!」

 

 今度こそぼくは魔人族の居住区へと向かう。次に声を掛けられてもぼくは振り向かない。

 だって、これはぼくの日課だから。

 ぼく、ルイ・フルオリフィアはほぼ毎日、四天の仕事を終え、晩ご飯を食べたらすぐに魔人族の居住区へと向かうんだ。





 大人であるウリウリを連れても連れなくても、この1年ぼくは他種族の居住区へと惜しげもなく通い続けている。

 記憶にある以前では咎められるような行為だけど、今は天人族の長であるエネシーラ様からもお許しを貰っている。


(別に許されなくてもぼくは向かってたけどね)


 表向きの理由は他種族との外交だとか親睦がどうとか、つまるところ里の人たちみんな仲良くしましょうって言うのが四天であるぼくの仕事だからだ。

 だから、日中は鬼人族の長や亜人族の長のところに行って、最近どうですかー? と話をしにいっている。


 で、その立場を利用して、ぼくはいつも夕方に魔人族の居住区へと向かい、魔人族の長の家にお邪魔させてもらっているんだ。

 魔人族の長に限ってはかたっくるしいお話は無し。

 お話しすることなんてあるにはあるけど、進展も無いからね。

 けれど、ぼくは四天の仕事とは別に明確に2つの目的を持って魔人族の長のもとに向かっている。


 1つは、他の天人族たちに隠れて魔法を教わっているから。

 そして、もう1つは、ぼくの友達であるフィディとリターに会いに行くために!





 魔人族の里に向かうには亜人族の居住区で一番活気のある大通りを横切らないと駄目。

 ほんの少しだけだとしても大通りに姿を見せた天人族であるぼくは注目を浴び、若干肩身の狭いところになる。横切るためだとは言え、道を歩くと右と左と来た人から避けられているのだ。

 舌打ちだってされた覚えもある。がまんがまん。

 くんくんと鼻の良い獣人がぼくを見るけど、がまんがまん。


 気にしてないと胸を張って道を進み、造りも同じ亜人族と魔人族の間にかけられた橋まで行けばほっとする。

 鋭い視線は感じないから橋の上は休憩地点。またここから先が大変なんだけど。次は起きたばかりの魔人族の人たちの目が突き刺さる――はずだったんだけど。


「……今日は人が少ない」


 ゆらゆら魔人族さんたちがいつもより少ない。人っ子1人いない……あ、いた。ちょうど家から出てきた人だ。ぼくらを注目するのと同時にふわあと大きな欠伸を浮かべた。

 むむ、これはちょっとばかし来るのが早かったのかな。いつも通りご飯を食べてすぐに向かったはずなのに?


「今日は一刻ほど夕げが早まったせいでしょう」

「そうだったの? 聞いてないよ」

「本日はドナ様のご自宅の都合でと……今朝がたに伝えたはずですが?」

「え、ええ。そっかー……」


 聞いた覚えがないようであるような……あ、思いだした。

 ドナくんが次の月に15歳を迎え、そのお祝いのその打ち合わせをするんだっけ。

 そうだ、ドナくんもぼくとフラミネスちゃんと同じく四天になるんだよね。

 レドヘイルくんはあと1年後だ。


 言われて見上げた空は僅かに青みが刺した夕暮れ前。

 2人は寝坊助さんだから。もう少し遅くいった方が良かったかもしれない。

 どうしよ……とウリウリをちらりと見てもすまし顔。


「じゃあ、いいもん! 勝手にするから!」

「勝手は困ります。四天として慎みを持った行動を取ってもらいます」

「そんなの知らないよーだ! 別になりたくて四天になった訳じゃないし!」

「フルオリフィア様!」


 ウリウリが石女を崩して眉を吊り上げがなる。ぼくはつんと知らんぷり。

 耳を塞いで早足で先を進むも、ウリウリも同じく早足でついてきて四天とはなにかとか、天人族のあり方とか、ぼくのお母さんだって人がどれだけ身を削いで里のために頑張ったのかと、クドクドクドクド……――もう限界!

 ぼくは足を止めて振り返り、ウリウリを睨み付ける。


「口うるさいウリウリなんて大っ嫌い!」

「大っ嫌……っ! そんな、私はフルオリフィア様の為を思って!」


 反射的に出たそんなつまらない一言で、ウリウリの顔が悲しそうに曇る。

 胸が締め付けられるみたいに痛くなるけど、ぼくはやめない。


「ぼくのためって何!? そんなぼく間違ったことをしてる!?」

「……してます。あなたが四天であればなおのこと、天人族の模範として行動してもらわなくては」

「……っ!」

「本来であれば魔人族に入れ込むことすらやめてもらいたいと思っています。もうこの辺りで引いてもらえませんか。金魔法を学んでいた時はまだ四天見習いであり、子供の我儘で済みました。が、あなたは未だ成人してないとはいえ、以前とは違い天人族の顔、四天……」


 何でもかんでも四天四天! もう本気で怒った。

 ウリウリが言いかけていた言葉も遮ってぼくは大きく吐きだした。


「じゃあいいよ! ぼくもう四天なんて――」


 ――やめる。と、口にしようとして。


「だーれじゃあ! 店の前で大声上げちぇ騒いどりゅちょるやちゃあ!!」


 ばん、と大きな音を上げて扉が開き、同時に扉を開けた時に鳴った音よりも大きな怒鳴り声が飛んできた。


(誰っ! ってあ……、この人)


 声に思わず顔を向けると、そこにはあの日以来1度もくることがなかった、この大陸に唯一冒険者ギルドの店長さんであるおじいさんが顔を真っ赤にして建物の中から姿を見せていた。


「……おじいさん!」

「あん……たまげた。久しい顔じゃの。といっても、わしはお前さんのことはよく見ていたわけじゃけ」

「見ていた? ぼくあれからここ来てないし会ってないよね」

「ほれ、お前さん神魂の儀でいつも披露してたじゃろ。儂も毎回見にいっての。前見た水の蛇は度肝を抜いたわい」

「わあっ、見ててくれたんだ。ありがとう!」


 むかむかとした気持ちがおじいさんの喜びようにすぐに吹き飛ぶ。

 普段はエネシーラ様やお祭りが終わった後の懇談会で会う大人の人たちにしか褒められず、直接他の人に自分の力を褒められることは滅多にない。なので、とてもうれしいんだ。


 けど、残念だな……。

 四天となったことや世代交代がなんとかで、もうすぐ別の天人族の子供が芸を見せることになっている。楽しかったからもっとしたかったんだけど、数えるならあと2回でぼくは終わりかな。

 フラミネスちゃんが抜けたみたいに、15歳での大人の儀を迎えたらぼくは見る方から見守る方に代わるんだ。

 おじいさんが見てることを知ってたら、あと2回だけじゃ物足りない! ほんとうに残念。


「まあ、こんなところで立ち話もなんじゃあ、中寄ってけ。茶あくらい出すわい」

「え、いいの? ありがとう! おじいさん!」

「ええってことよ。ほれ、そこの天人族のねえちゃんも」

「……では、お言葉に甘えて」


 少しの時間だけど、おじいさんのギルドに誘われてぼくたちは時間を潰せることができた。

 店の中に一つだけあるテーブルを囲ってイルノートの肌よりは濃い茶色のお茶、ほかほかと湯気の立つ黒岩茶というものを淹れてくれた。あちちとゆっくりと口に付ける。苦味が強いけど舌には残らずあっさりとして飲みやすいお茶だった。


 火傷に気をつけて飲んでいると「なんか依頼でも受けてっけ?」とおじいさんが意地悪な顔をして意地悪なことを言う。むうと頬を膨らませ……直ぐにぷっと吹き出し、続いておじいさんもにやりと笑った。

 ウリウリだけはすまし顔で両手で湯呑を掴んで口に運んでいた。


 ――あの日、ユッグジールの里に到着して間もない頃、一度だけウリウリの付き添いの下、ドナくん、レドヘイルくん、フラミネスちゃんたちと一緒にこの冒険者ギルドに来たんだよね。


 あの時はが受けれる依頼がなくて残念だったり、知らない魔人族の子供に絡まれたりして大変だったっけ。


(……ぼくら?)


 ふと思う。

 なんでぼくは“ぼくら”って思ったんだろ。ギルドカードを持ってるのはぼくだけだし、ドナくんは作れなかったしね。

 不思議だな……と胸がしくしくと小さく傷んだけど、ぼくは違和感を胸の奥に押し込んだ。


「そうやあ、黒髪の坊主はどうした?」

「坊主?」


 おじいさんは長い黒髪の女の子にしか見えない男の子のことだと言った。

 多分、“シズク”のことだ。おぼろげに記憶にあるぼくの知らないシズクって男の子のことだ。

 おじいさんも知っているのかな。“シズク”って男の子のことを。

 そのことを聞こうとしたけど、ぼくの代わりとばかりにウリウリが顔を上げ、答えてしまう。


「彼なら里を出ました」

「出た?」

「ええ……出て行ったんです」


 ウリウリはそれだけ言うと湯呑を見つめて俯いた。

 ……ウリウリはシズクという少年のことを知っている。だけど、ぼくには絶対に教えてくれない。今でも何で教えてくれないのかもわからないまま……。

 そっか……とおじいさんは頭を掻きながら呟いてぼくを見た。悲しそうな目をしてる。


「ここじゃあ稼げねえしな。前来た時にも最後に『ここじゃあ纏まった金は手に入らないの?』ってことを何度も何度も聞いてきたっけ。今までの最高額は10リット銀貨だとも、この数年間1度も見てねえとなあ」

「ここってやっぱり安い依頼しか出ないんだね」

「まあなあ……。ギルドで生計を立ててた坊主にゃあ生き辛い場所よ」

「そっかー……」


 シズクって男の子はぼくと同じくギルドでお金を稼いでいたんだ。


「じゃけえ、あいつはやっぱり出てったんじゃなあ。直ぐに去るからとか、お前さんを置いていくたぁこと言っとったが。お前さんも置いてかれてさぞ辛かったじゃろう……」

「ぼくを? ぼくを置いていく?」

「……あ、ん? ああ、すまん。こん話はお前さんには秘密じゃったわい。気ぃ悪くすんな」

「秘密? ぼくにその子が秘密にしろって?」

「……はあ? お前さんなんじゃ――」


 おじいさんの次の言葉を聞くことは出来なかった。カランコロンと扉の開く音がぼくらの会話を切ってしまう。

 お店に魔人族の子供が依頼を受けに来たんだ。

 眠たそうに目元を擦り小さく欠伸を上げる先頭の男の子が座っているぼくらに気が付いて驚いた。


「ん……おい、お前ら見ろよ。“夕っぱら”から珍しいものがいるぞ」


 聞き覚えのあるセリフだ。

 口調は前と同じくやっぱりというか小馬鹿にしているものだった。

 むう、とおじいさんにおちょくられたよりも、本気で不機嫌に頬を膨らませる。


「本当だ。天人だ。なんでこんなところに? 里の引き篭もりが外を歩いてるなんて雨でも降るのかね?」


 それも前に聞いたよ……。

 頬に詰めた空気をはあと、溜息に変えてぼくは「じゃあ、行くね」とおじいさんにお茶のお礼を告げて席を立つ。ああ、またな。とはおじいさんの別れの言葉。

 ぼくを見てへらへらする彼らにはちょっとむかむかしたけど、同じく席を立ちぼくの後ろに続くウリウリを見ればぎょっとして道を開けてくれた。


 横切る時、2年ぶりにあった彼らはあの時よりも大きくなっていた。

 ぼくもあの頃より背は伸びたのに、彼らはそれ以上に大きくなっている。

 すれ違ったとき、ふと3番目の、1番背の大きな男の子が目を見開いてぼくを見た。


「って、こいつ四天のルイ・フルオリフィアだ!」

「誰だ?」

「ほら、たっくん。あれだよ。魔人で言う三つ柱みたいな天人の偉いやつだよ。それに神魂の儀での催し物に出てる各種族の代表の1人」

「えー……見たことねえ」

「たっくんいつも眠いからって行かないじゃん!」


 先頭にいたたっくんと呼ばれた男の子はしらねえと返す。

 ああ、たっくんだ。ぼくは覚えている。1番しつこかった子だ。

 この子もあの頃よりもずいぶんと大きくなった。

 腰に挿している剣も見覚えがあって、以前はぴかぴかだったのに今では結構使いこんでいて小さな傷が無数に付いている。

 それと、と2番目の子が続いた。


「こいつ、ここんところラアニス様の家に入り浸ってるって母ちゃんが言ってた!」

「はあ!? なんで天人がラアニス様んとこ行ってんだよ!」


 その話を聞いてかたっくんはぼくをじーっと睨み付けてくる。

 むっ、別に何もしてないのにそんな目を向けられてぼくだって睨み返さなきゃ気が気じゃない!

 2人がたっくんにやめろよと、ウリウリがぼくによしなさいと言ってもぼくら2人は睨み合い続けた。


「なんだよ! ぼくに何か文句でもあるの!?」

「ああ!? 引きこもり天人がどうして俺らの長であるラアニス様のところ行ってんだよ! 何が目的だ! 何を企んでる!」

「目的って、たくらんでるって!」


(ともだちの家に遊びに行くのに理由なんていらないよ! 別にたくらんでもいないし!)


 ぼくは別にアニスにじゃなくて、フィディとリターに会いに行くんだから! なんて思っても言葉にはしない。

 たっくんとぼくとの睨み合いは続く。今にも飛び掛かりそうなほどたっくんは顔を真っ赤にして怒っている。

 いいよ。きなよ!

 来るなら来い――って、あっ!


「やめんかい!」


 ゴツン! とおじいさんがたっくんの頭に拳骨を落とした。

 たっくんは頭を押さえてその場にしゃがみ込むと、涙を目に浮かべておじいさんへと喚いた。


「ばかたれめ!」

「痛ってえ! って、先生なんで殴んだよ!」

「部屋の中でさわぐなっちゅーてるだろ! 喧嘩すんなら外でしれ!」


 別に喧嘩なんかするつもりはなかったけどね。先に突っかかってきたのはそっちだし。

 でも、喧嘩するって言うならこっちだってやってあげるよ!

 ……だと言うのにたっくんはむかっと眉を吊り上げながらも、直ぐに口元をへらへらと歪めてぷぶ、くすくすと笑いだした。


「俺らがこんな天人と喧嘩なんかするわけないだろー! 先生も冗談が過ぎるって! 第一女だし。男の俺に勝てるかよ。なあ、みんな……みんな?」


 たっくんは他2人に話を振れば、顔を青くして首を振る。

 ふん! とぼくは腕を組んで鼻を鳴らして、正直なその2人に言い放つ。


「後ろの2人!」

「は、はい!」

「はい!」

「ぼくと喧嘩する?」


 勢いよくぷるぷると首を振った。

 な、っとたっくんが驚きの声を上げ、おじいさんも当然だと。ウリウリは「はああ……」と深いため息をついた。


「お前さんひよっこがこいつに勝ちゃわけないだろ!」


 おじいさんはさらにぼくが赤段位だと言うと3人がびっくりと驚愕する。ふふん! 鼻高々だね!

 ……ただ、これは魔法があったからこその実力だと。もしも彼らが外の世界にいたら赤段位なんて直ぐだと……それは店の外に出てアニスの屋敷へと向かう間にウリウリに叱られた時の言葉だけどね……。

 たっくんはまったくと信じてくれない。証拠を出せと言ってもギルドカードは屋敷に置きっぱなしだから見せれないけどさ。


 じゃあ、とぼくは実力を示すことにする。

 小さな小さな水球を手から出し、いつも出すよりも小さな蛇……竜へと姿を変えて手の平で泳がした。

 指の間を這いずり回り、腕まわりを何度か周回させた後、たっくんの顔まで飛ばして驚かせる。のけ反ったところでぱん! と水の竜を弾いて水に戻した。


「すげえ……こんな自在に動かせるなんてやっぱり四天のフルオリフィアだ!」

「いつもはもっと大きいのに! 大きさも変えられるのか! やべえ! 俺感動だ!」

「こりゃあ良いもん見たわい! 間近で水の蛇を見れるたあ思わんかった!」


 2人とおじいさんには喜んでもらえたみたいだ。たっくんは尻もちをついたまま、開いた口がふさがらないみたい。

 じゃあね、と扉を出てぼくらはギルドを出た。

 ふふふん! っとご機嫌になっていたらウリウリには赤段位の件とは別に、みだらに魔法を使ってはいけませんと叱られたけどね。

 小うるさいウリウリのお説教にうんざりとしながら、ぼくは彼らの屋敷へと向かった。

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