第114話 前を向いて、立ち上がって

 この数日すさんだ生活を送っていたため、食材というものは無くあらどうしましょうと途方に暮れていると、2人は突然家を出て、直ぐに掴みの付いた大きな箱を持ってきてくれた。

 不思議な箱だった。ガラスに近い手触りを感じるものの、見た目よりも軽く密封性もいい。

 その不思議な箱の中には見たことのない食材が詰まっていた。

 綺麗過ぎる血抜きされた肉と魚の切り身。

 虫食いの無い綺麗で光沢を放つ青々とした野菜はここらでは買えないどころか、見たこともないほどみずみずしい野菜ばかりだ。

 こんな高級食材を一体どこからと……野暮なことを聞くことはしない。

 ただ箱について、これはどういうものかと尋ねてみたら、2人は少し迷ったようなそぶりを見せた後に魔道具だと教えてくれた。「こんな魔道具があるのね」と口にするが本当のところは違うと思った。


「え、あっちの調味料まで入ってるの?」

「うん、醤油とお味噌も貰ってきちゃった」

「さっすがー!」


 先ほどまでの沈んだ彼らはもういない。

 という、これまた透明なガラスとは違う瓶と容器に入った調味料を見せてもらい、また味見をさせてもらった。

 コクのある塩辛いさらさらのソースと、煮潰した穀物の塩漬けだろうか、と結論を付ける。2つとも初めて味わうものだった。


 では……と、調理に取り掛かろうとしたが、シズクが私の代わりに作ると名乗り出て、2人が後に続く。

 宿の代わりだとか。

 でも、子供に任せるのが心配で、私は3人の後ろから見守るばかりだ。


「ねえ、ルフサーヌさん。ここのお酒使ってもいい?」

「え、ええ。いいわよ。……大丈夫?」

「うん。任せて! こう見えても僕、いつも旅先で代わりばんこに作ってたんだから!」


(シズクは言うだけあって出来るのね。でも……)

 

 思いのほかメレティミは料理とは縁がなかったらしい。

 しゅるしゅると器用に刃物を使って皮をむくシズクに対して、メレティミは恐る恐るという見てて危なっかしい手つきで野菜を切っていった――あ、指を切った。


「痛っ」

「大丈夫? 見せて」


 隣にいたシズクは動じることなく痛がるメレティミの指を掴み、傷口へと掲げた手から光を放って治してしまう……魔法だ。

 魔族は魔法を使うのが当然だとか、先ほどのリコの変身を見せてもらっても驚くばかり。

 メレティミは照れくさそうに頬を膨らませ、小さく感謝を告げるとシズクは笑って料理を再開した。

 先ほどの話をしていた時の、不安だらけの2人はもういない。

 逆に今度は私の方が不安になってしまっていた。見ているだけだったけどハラハラしてしまう。


 その後、私の心配を他所に、みそとしょうゆという調味料を使った料理がいつも夫と2人で使っていた小さな食卓の上に並んでいった。

 嗅いだことのない香りなのに食欲を湧かせるもので、多少塩辛くも感じるが予想外でありながら、予想通りに美味しい料理だった。


「わ、わたしだって本気出せばこれくらい作れるんだからね」

「うん。じゃあ、次に期待しているね」

「……っ、任せなさいよ!」

「リコはシズクのつくるごはんだーいすき」

「ありがとう。リコ。ほら、慌てないで。ちゃんと噛んで食べようね」

「ふへへ、うんっ!」


 シズクとメレティミとリコの4人と食卓を囲み、普段夫と2人では起こらなかったほど賑やかなものに私はつい顔をほころばせてしまう。

 あまりにも浮かれていたのだろう。3人から今度は逆に私が不思議な目で見られてしまった。


「ふふ……いえね。私たちにも子供がいたらこんな感じかなって思って」


 あ……彼らの表情が曇るのが見えた。気を使わせてしまう。暗い話でないのだから。

 違うの、と訂正する。 


「いいのいいの。たくさん彼に愛されたけど、結局私たちには子宝は縁がなかっただけということ。……あ、あらやだ。こんな話まだあなたたちにはわからないわよね」

「い、いえ……」


 3人の反応は様々で、ひとりは首を傾げていて、もうひとりは頬を赤らめる。メレティミは1番年上だしわかっちゃったかな。

 あ……。

 でも、ただひとり。彼だけは、私を見て顔を強張らせていた。

 シズクだ。


「ちょっとシズクどうしたの!?」

「え……?」


 彼はそれから、ぽろぽろと涙を落とした。


「あ、あれ……なんで。どうして?」


 これには今日何度目なのかもわからないほど驚いた。

 どうしたのかと尋ねても、シズクは目元を拭って首を振るばかりだった。

 ……悲しいことがあったのだろうか。「なんでもないなんでもない」と口にして泣き続け、いつしか隣に座るメレティミが無理やりシズクの頭を抱き寄せ、彼もまた彼女の胸を借りて声を殺して泣き続ける。

 仕方ないわね、と口にするメレティミであったけど、その表情はとても安らいでいて、慈しむかのように彼の背を撫で続けた。

 泣き納まったのは直ぐだけど、彼は赤い目をして私たちにごめんと謝った。


「泣き虫」

「……ふん」


 今度の2人に喧嘩はなかった。2人はわざと拗ねている素振りを見せているかのように思えた。

 でも、シズクに見せてあげたい。

 先ほどまでのメレティミの安らかな笑みを……。


 食事を終えて私は3人の話を聞いた。

 シズクとリコはメレティミに会いに行くまでにしてきた長い長い旅の話を。

 メレティミはシズクと出会うまでゲイルホリーペのユッグジールの里で貴族的な地位にいて、勉強していた時のことを。

 そして、ある少女が2人をめぐり合わせてくれたことも。ある少女――ルイはまた2人にとって大切な存在であることは話を聞くだけでもわかった。


 また、2人の話の中でよく出てくるのは魔法についてだった。

 魔法があったからこそこんな子供でも旅をできたとシズクは言う。

 魔法があったからこそシズクたちと出会えたとメレティミは言う。

 話に聞くだけではなく、彼らが実際に魔法を使うところは先ほどから見て、また見せてもらえた。

 以前は夫がやってくれたかまどに火を通すのも彼らにしてみたらお手のものだった。

 魔法か……。


「魔族なら魔法が使えるのよね」

「魔族であれば使えると思います」

「魔法が扱えない方が稀だとラゴン……僕の恩師が言ってました」


 では、私にも。


「私にも……ねえ、私に魔法を教えてもらえないかしら?」


 魔法が使えるのかしら。





 その後、彼らとは3日ほどの付き合いになった。


 日中、2人はギルドに出向いて依頼を受けてお金を稼ぐ。その間、私とお留守番を任されたリコとで久々にお店を再開する(お客は1人として来なかったが……)。

 そして、仕事を終えた2人の帰宅後に魔法の教えを請う。


 これが結構大変なことだとは始めてすぐに理解した。

 へとへとになって、動けなくなった私の代わりにまたもシズクとメレティミ、リコの3人が厨房に立って料理を作ってくれた。

 そして、作ってもらった食事の後にまた魔法の練習の再開。これも宿代だからと言うが申し訳ない気持ちになる。


「ルフサーヌさんも呪文を唱えずに魔法が使えるんですね」

「はあ……はあ……え、ええ。言われた通りには……」


 最初、メレティミから教えてもらった呪文を唱えて魔法を出そうとしていたが、一向に出る気配はなかった。私は稀に入るのだろうかと残念な気分にもなった。

 

 微弱だとしても私の身体には可視化した魔力が見えている。その為、使えないなんてことはない――そこで提案したのがメレティミによる無詠唱……やり方としては色を思い浮かべて魔法を出すというもので、どうにか頭を悩ませながら発動してみれば今までとは違い、確かな手応えを感じることに成功する。

 何度か挑戦し、1度コツを覚えてしまえば出すだけであれば簡単だった。


「はあ……はあ……」


 少し使うだけでも息が途切れ、眩暈がするほど体力を持っていかれる。

 試しにとか、例だとかでぽんぽん魔法を放ってもケロリとしている2人。

 その試しや例で出す魔法をじっくりと時間をかけ、また10分の1ほどのものしか出ないで体力を消費している私とではえらい差がある。

 魔法を覚えて10年の彼らと、1日2日の私では当然だけれども。


 風魔法は息を吹きかける程度のそよ風を生み出せるほどに。

 火魔法は蝋燭に灯る程度の火力を指先に。

 水魔法は手の平で握れるほどの球を出して。

 土魔法は触れた土の造形を変化させる程度に。


 雷というのは知っていても理解できず身につかなかったけれど、金魔法はメレティミが用意してくれた小石みたいな鉄の塊をとろりと溶かすことが出来た。

 時間がないため、光魔法である治癒魔法は感覚だけなら掴むことは出来た(練習の為だとは言え、自傷した傷を治すというのが躊躇われたこともある)。

 2人は知らないと言っていたが植物を操る木魔法と呼ばれるものもあると言う。

 シズクは教えてもらえる人がおらず、メレティミは規則で教えてもらえなかったことで、2人もまだ使えないそうだ。


 闇魔法というものを見せてもらったけれども、禍々しいものだった。

 籠手を生み出すシズクと扇を出したメレティミ。


「わたしはに開けてもらって使えるようになったけど……」

「僕は……まあ、色々あって」


 2人は攻撃するための魔法だと言っていた。

 この魔法は覚えようにも覚えれるものじゃないとか、どうして自分が使えるのかも2人にはよくわかっていないようだった。

 でも。

 私にはこんな魔法を覚える必要があった2人がとても悲しく思えた。


 1番の成果は強化魔法……火の活性魔法を教えてもらえたことだった。

 フライパンも持つだけでいっぱいいっぱいだった私が、この魔法を覚えたおかげで自分がいつも使っている椅子を持ちあげられることが出来たのだ。

 訓練次第では走ったり跳んだりといった行動範囲を大幅に広げられることが出来ると目の前で彼らが飛び跳ねる姿を見た。

 残りの水の硬化魔法、雷の瞬動魔法、風の浮遊魔法については覚える時間はなく、口頭だけの説明となってしまったけど仕方無い。


 2人にはたった3日でこれだけ覚えられるなんて呑み込みが早いと褒められてしまった。自分の半分を生きていない子供に言われたとしても悪い気はしなかった。

 後は反復練習あるのみだと言う。

 これからは独自で練習し、しっかりと制御できるようにしないといけない。

 無理に魔法を使用して暴走でもしてしまえばこんな町1つ直ぐに消し飛ぶとまで言われた。

 覚えた後で言うことではないが、魔法は便利である反面、怖いものだと改めて思い知らされた。





 充実した3日だった。

 夫との別れを少しでも忘れることが出来るくらい色鮮やかな3日だった。

 そして、楽しい時間は瞬きをするほどに早く過ぎた3日でもあった。

 ひとりで泣いていた3日はあんなにも時間が過ぎるのが遅かったと言うのに。


「3人がいてくれて本当に良かったわ」

「僕もルフサーヌさんと出会えてよかったです」


 別れの日になって、私たちは街の外にいた。

 2人は馬車を使わずに歩きで行くと言った。

 流石によしなと、この町から出ている馬車を使えと言ったが、少しでもお金を節約したいと言う。

 私は近郊以外ではこの町から出たことはないが、隣町まで徒歩で3日はかかると聞いている……大丈夫だろうか。

 さらに言えば、3人はあまりにも軽装だった。

 突然エストリズに来てしまったとは言え、浮いた宿代はずっと懐に納めたままで荷物の類は用意していないし、彼らは魔法が使えるからと言っても武器はシズクが腰に挿した剣だけしか見当たらない。そういえば、あの魔道具はどこへ?

 食料はどうするのだろう。この3日で彼らが保持していた調味料以外の食材は全部使い切ってしまったし……魔族だと食費なんかは浮くのかしらね。いえ、私はお腹が空くわ。


「どこに向かうつもりなの?」

「王都に行こうかと思います。人が多い場所の方が色々な話を聞けると思うので」

「グランフォーユならもしかしたら……」


 シズクとメレティミはサグラントにもゲイルホリーペにも戻らないと言い、誰かを探すとはこの3日で聞いた話だ。

 それが誰かは2人にもわからないと言っていた。

 以降は2人にははぐらかされたけれども、その時の彼らの言葉には重みがあって、けして良い話ではないことはわかった。私もまたそこは踏み込むことはしなかった。

 

「それじゃあ、お元気で」

「お世話になりました」

「リコたのしかった!」


 3人は手を振りこの町を去った。

 私は彼らの姿が小さな粒になるまで見届けた。

 

「グランフォーユか……」


 帰り道にぼそりと彼らの行き先を口にする。

 ここからでは一体どれくらいかかるか。この場所しか知らない私には未知の世界で……そして……。


 気を使ってくれたのか、店に戻ると宿泊のお礼だと書かれた紙――これもまた粗の無い手触りが良い真っ白な紙の上、重りと化した小石みたいな金傀が3つ置かれていた。

 売れば多少のお金になります……と書いてある。


「……まったく」


 私は呆れて溜息を漏らした。

 わざわざギルドで働かなくてもこの金の粒も、この綺麗な紙でも売れば旅費の足しになったと言うのに。


 最初から最後まで不思議な子供たちだった。

 私は習ったばかりの金魔法を発動し、ゆっくりと時間を掛けてどうにかその3つの金の粒に穴を開けて夫から貰ったペンダントの皮ひもに通した。

 売る気なんて起こるはずもない。





 人の寿命はおよそ50年前後。彼も私もその分生きた。

 彼は53とちょっぴり長く生きて、私も直ぐに後を追うかと思っていた。

 けれど彼と違い、私はどうやらその10倍は長く生きなくてはならない。

 老いはなくとも死にかけと思っていたこの身はまだまだ生まれたばかりのひよっこだったというわけだ。


 2人を知って、3人の話を聞いて、彼らの後姿を見て、私にはある決心が付いていた。


「私も立ち上がろう。私も前を向こう――町を出よう」


 人として止まっていた時間を終わらせ、新たに魔族として歩き始めるのだ。

 けれど、この場所で残りの500年生きるには辛いことばかりだ。

 でも、辛いことばかりではなく夫との倖せの詰まった大切な町でもある。


「いつまでも後ろを向いているわけにもいかないから」


 前を向くために私を支えていたものと別れようと思い、思い起こせば行動は直ぐだ。

 残った自分の私物を片付けたりと家のものを売り、旅費の足しにしたりとで3日を費やす。


(……わかってはいたが、私の私有物ということもあり殆どが二束三文だったけども)


 その後に町を出て行くことを夫の葬儀を手伝ってくれた知人たちに挨拶に回る。

 そうか。とか、元気でとか、ひと言ふた言で済んでしまったのは予想通りであった。

 悲しいとは思わなかったのは良かったのかもしれない。

 また、彼らたちを紹介してくれたギルドの坊にも挨拶に向かった。


「出ていくのか……あんたにはこの町は肩身が狭いしな」

「2人を私の元へと送ってくれて感謝します。おかげ様でこんなにも早く立ち直れることが出来ました。あなたに感謝を。それでは」

「ああ……最後にいいか?」


 会釈をしてそれで終わりにしようとしたのに、不思議なことに彼に呼び止められた。

 何の用だろう?

 彼は皺が深く刻まれた頬を照れくさそうに掻いた後、


「ずっとお礼を言いそびれた」


 と、ぎこちなく笑う。


「おばちゃん、ガキの頃色々優しくしてくれてありがとうな」

「……っ!!」


 ……。

 あまりのことに、言葉を失いそうになった。

 口元を押さえ、どうにか耐えようとしても我慢は出来ない……嗚咽を漏らして泣いてしまい、坊やを驚かせてしまった。


(……覚えてくれていたんだ)


 こちらこそありがとうと何度も礼を告げ私はギルドを去っていった。

 坊やは外に出てまで私を見送ってくれた。


 ――そして、出発の日。


 何も残っていない空き家を出て、2つ足を前に運んで再度振り返った。


「あなた、行ってきますね」


 挨拶を済ませ、誰もいない長年過ごした2人の記憶に背を向ける。出来ればこの家ごと持っていきたいと思ってしまう。

 でも駄目だ。

 持てるものは夫が残してくれたペンダントだけとした。

 それ以外に、僅かであったが纏めた荷物は、いつもの私では持てないほど重いものだったけれども、今はいつもの私ではない。

 魔法の持続時間としては乗合馬車の停留所までは持つだろう。

 それでも途中で疲れてしまったらゆっくりと休んでいけばいい。

 馬車が出発するまでまだ時間はある。私にも長い時間があるのだから――と。


 ――行ってらっしゃい。


 追い風が私に向かって優しく吹いた。思わずまた振り返り我が家を見た。

 その言葉はきっと、私の聞き間違えだとしても涙を流すには十分な理由だった。


「……行ってきますっ!」


 胸に揺れるペンダントを握って私は前に進んだ。

 私は今度こそ振り返らなかった。

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