第112話 呪われた女

 数少ない町の知人に手伝ってもらい、夫の埋葬が終わったのが数日前――。

 53年と、十分すぎるほど夫は長生きをした。


 夫と最後の別れを済ました日。

 感謝の言葉と共に知人と別れ、もう誰もいない我が家に戻った時、私は1人泣き崩れた。

 涙は枯れることなく流れ続け、声が枯れても嗚咽は止まら喉を震わせる。

 食事も摂らず、水も口にしないまま、私は泣き続けた。

 三日三晩と泣き暮れて、ようやく出しきった涙の向こうに、虚ろな双眸を彼方へと向け続ける搾りかすのわたしが残った。

 汚れた天井を見上げてふと感じるのは空腹感。

 おもむろに近くに落ちていた硬いパンを見つけては、少し躊躇しつつも口に含んで――乾いた口は異物を受け付けず、げほげほと咳き込んでパンの屑を吐きだした。

 近くの水瓶まで重い足を引きずるように近寄ってのどを潤した。ぬるめの水は、心地よく身体に浸透していく。


(私は生きている)


 無気力にまた1日と過ぎてから、やっと決心が出来た。

 どうせ長くてもあと数年の命だ。

 今、後を追うように死んでしまったらあの世であなたに怒られる。だから、辛くとも残りの数年、生きてみようと思った。

 きっと今までの人生の中で一番長く寂しい人生になるとは思うけれど。


 ――彼の遺品を整理しよう。


 この家は、この店は、この場所は夫との思い出で溢れている。

 彼に包まれたまま後の余生を送るのはきっと酷なものになるに違いない。


「……あんたのことを知ってるやつが、この依頼を受けてくれるとでも?」


 冒険者ギルドの受付で、男が嫌そうな顔をして私の相手をしてくれた。

 彼とは面識はある。幼い頃、町中を走り回っている彼をよく見かけていた。時には店に来て、照れくさそうにお使いに来たとはしゃいでいた坊やだ。

 随分と年を取ったのだな。

 薄い皺の刻まれてもなお昔の面影の残る坊やを思う。

 彼の返事として、私は無言で頷くだけだ。


「あまり期待はしない方が良い。誰かが来ることを神様にでも祈ってろ」


 彼は仕込みが残っているからとまた受付の奥へと、こちらを一瞥してから姿を消した。

 私も奥に消えた坊やに背を向けて、依頼を頼んだギルドを後にした。


 神なんていないことは私が1番よく知っている。

 もう40年は前か。


 ――神はいつだって我々を見守ってくださっている。

 ――辛いことや悲しみに苛まれても神に祈りを捧げよ。

 ――善行の下、神は必ず救いの手を差し伸べてくださる。


 いつも神に感謝しろと口うるさく言っていた養父も養母も私が15になる前にころりと流行り病で逝ってしまった。

 義父を助けて、養母を治して。何度も何度も祈り頼んだところで、神の救いの手というものは爪先すら見えなかった。

 神なんていない。そう結論付けるには2人の死は十分な理由となった。

 以来、私は神に祈りを捧げるのは辞めた。


(けれど、生涯孤独の身となるはずだった私に半生を共にしてくれた夫に出会わせてくれたことだけは感謝している……)


 元々貧しい暮らしの中で唯一彼が送ってくれた木彫りのペンダントを握り、存在しない神へと感謝を伝えた。


「……あっ」


 物思いに耽っていたところ、曲がり角で人とぶつかりそうになり、つい抱き寄せてしまう。

 抱きしめたのは私よりも頭2つ小さな赤髪の少女だ。続いて、少女の連れか、驚嘆とした青髪と黒髪の少女と鉢合わせする。 


「……ごめんなさいね」

「いえ、こちらこそ不注意でした」

「すみません……もう、リコだめだよ。気をつけないと」

「ごめん。おねえさん。リコまえみてなかった」


 言葉を交わすのも忍びなく、私は軽く頭を下げて彼らの横を通り過ぎる。

 汚れのない真新しく、また奇抜な服を着た3人だ。

 横切る合間にちらりと伺い見たが、どの子も顔立ちは美しく整っていて、どこか良いところの子息なのかもしれない。


「……?」


 ……ふと、お日様の光のようなものを黒髪の少女から感じ取った。

 一瞥するだけで済ますつもりだったが、まじまじと見つめてしまった故土江黒髪の少女と目が合った。彼女もまたわたしを見つめ続けて、曲がり角に姿を消すまでお互いに目を放すことはなかった。


「……西日かしら?」


 空を仰ぎ見ても太陽は傾き始めたあたりのこと。近くの窓で反射するほど傾いてはいない。

 不思議なこともあるもんだ。私は再び帰路に着いた。


「お姉さんね……ふふ……こんな――」


 ――こんなおばあちゃんにお姉さんなんてね。

 その言葉を口にする前に気を落とす。笑うどころか悲しむところだった。

 私は呪われた女――この外見は20の頃と同じ姿を保っている。

 老いの無い女だと、町の人からは気味悪がられ、晩年は肩身の狭い思いをし、また夫にも強いてしまった。

 こんな身体に生まれなければ夫に気苦労を掛けることもなかっただろう。


(……こんなことを言えばあなたはきっと怒っていたでしょうね)


 言葉遣いは荒くとも不器用に愛してくれるあなたが私は大好きでした。


(でも、もうすぐだから。きっとあと数年もしたら、私もあなたの元へ向かうから)


 短くも長い残り時間を噛みしめて私は1人家路を歩く。


(もしも、私たちに子供を授かっていたらあの子たちみたいな……ううん。もう孫よね)


 外から来たのだろうか。生まれた時からこの町に住む私では見たこともない子らだった。

 僅かにすれ違っただけだというのに、家を出る前の暗雲としていた心は人と出会ったことで、少しばかり日が射して軽くなっていることに気が付いた。





「まずはお仕事を探さないとね」


 着いて早々わたしたちを待ち構えていたのは懐事情だった。

 お金がない!

 一大事である。


「ごめんね。僕がちゃんとお金を持ってレティのところに行ってればよかったのに……」

「いいよ。過ぎた話だし。でも、5リット金貨かあ……結構な大金を置いていっちゃったのね」


 シズクが元々持っていたお金もユッグジールの里、魔人族の居住区の廃屋に置いたまま。そもそも装備一式全部を置いていっちゃったんだよね。

 まあ、今頃誰かに持って行かれちゃっただろう。


「最悪、野宿を視野に入れないと駄目かも」

「う……野宿かあ……」


 ユッグジールの館で暖房が欲しいとか思っていた自分が野宿を経験するのは流石に抵抗があった。

 自分が以外にも箱入り娘だったことを思い知らされる。

 今日はどうかなるかわからないにしろ、この先、野宿をしないという選択肢を選ぶことは出来ない。

 今はまだ暖かいからいいとして、この先寒くなった時、冬風に身を縮ませながら夜を明かすとかそういうのは想像するだけで身震いが起こる。


「――で依頼を受けようと思うんだけど……って、レティ聞いてる?」

「う、ん!? 聞いてるよ! 聞いてるって! 野宿かー仕方ないよねー!」

「野宿の話は終わったよ……今はギルドでお金を稼ぐって話だけど」

「そ、そうだったね! ええ、ギルド……ギルドぉっ!?」

「どうしたの……? そんな驚くこと?」

「いや……そう、だよね。うん。うん。結構他人事のように思ってたからさ、あっはははは……」

「変なレティ」


 里の外はまだまだ私の知らないことばかりだ。

 まだ初日だと言うのにこの先思いやられるなと、声を上げて自分に対して笑してしまう。


「メレティミどうしたの?」


 ん、ありゃ。ようやくリコちゃん目覚めたのかな。

 声のした方へと視線を……口をぽかりと開けてしまう。


「あ……リコちゃん……んんっ!?」

「え……リコっ!?」


 ――突如登場したリコちゃんの今の姿を目にして、2人して変な声を上げてしまった。





 今のリコちゃんの容姿については歩きながら。

 わたしたちはお金を稼ぐためにも冒険者ギルドへ途中、会員登録や依頼の受け方なんかをシズクに教わりながら先を進む。


 町に着くまでぐったりとしていたシズクも今じゃどうにか調子を取り戻したらしい。らしいと言っても隠しているのだろう。

 隠し事は昔も今も変わらず下手だよね。

 弱音くらい吐いてくれてもいい。なのに強がって素直にならないのは……それはわたしもでお互い様だし、だからわたしも気が付かないふりを続けるよ。


「え、リコそんなにへん?」

「変じゃないよ。変じゃないけど驚いた」

「本当にね……リコちゃんいつの間に……」


 2人して今のリコちゃんの姿に驚き戸惑う。それも今のリコちゃんは子供の姿をしているからだ。

 チリチリと真っ赤な髪から火の粉が舞っているところは以前と同じだが……うん。これ、今のリコちゃんの姿はグラフェイン家で働いていた時のシズクだ。

 ちなみに目つきはリコちゃんの方が優しい。悪戯好きなやんちゃな女の子って感じだ。

 ただ、あのメイドの頃のシズクには無い特徴が今のリコちゃんには表れている。

 それは、今の彼女にはがあることだろう。

 三角形の耳が長い赤毛の中からぴんと立っている。ケモ耳とでも言うのだろうか。


(ネコ娘みたいな感じで中々に可愛らしい……はっ!?)


 気が付くのが遅れた。

 はっとしながらシズクへと顔を向けると、彼は表情を引き締めてリコちゃんの耳を凝視しているのだ。


「ねえ、リコ。その耳、触ってもいい?」

「いいよ。いたくしないでね」


 やっぱり、こいついつの間にか耳フェチになってやがる!

 なんだってそんな耳にこだわってるの。十数年合わなかっただけでどうして耳にこだわりを持つようになったのか。それとも、以前から耳が好きだったのだろうか。

 いいや……もう、何も言わないことにしよう。

 好きだったやつがたまたま変な趣向持ちだったというだけだ。それくらい受け入れる度量はわたしにだってある。


(……もしもわたしの耳を触らせてほしいって言われたらどうしよう。少しだけなら……いいかな)


 ただ、出来ればムードとか考えてほしいけど……おっほん。話がそれた。

 それからリコちゃんは他にも変身が出来ると自慢げに口にしてた。

 いつもの大きなライオンと、あっちでよく見せていた子猫型と、そして大人となったお姉さんの姿だ。


「シズクのなかでずっとかんがえてたの!」

「え、じゃあ、起きてたの?」

「うん! きがついたのはばしゃのなかだったけど、シズクきもちわるそうだったしこえかけないでおいた。そのそのあいだにずっとかんがえてた! なんかできるきがした! せいこうしてよかった!」


 そっかーとかすごいぞーとシズクはリコちゃんの頭を撫で、リコちゃんも嬉しそうにはにかみながら彼の愛撫に身を任せていた。耳を重点的に撫でていると思ってしまうのはわたしがそういう目で彼を見ているからだろうか。

 リコちゃんは褒められたのがそんなに嬉しかったのか小さな身体を思う存分使って走り回った。


(まあいいや。……さて、これからわたしは冒険者となるんだ)


 まさかあんなになりたがっていたドナくんよりも先にわたしが冒険者になるなんてあの時は露とも思ってもみなかったものだ。きっと羨ましがるぞ……っと。

 ありゃ。前方不注意か。

 曲がり角ではしゃいでいたリコちゃんが人と衝突し、抱き留められていた。


「……ごめんなさいね」

「いえ、こちらこそ不注意でした」

「すみません……もう、リコだめだよ。気をつけないと」

「ごめん。おねえさん。リコまえみてなかった」


 女の人だ。亜麻色のショールみたいな布を頭から被っていたけど、頬のこけたやつれ気味の顔が影の奥に見える。

 綺麗な人だ。こけている頬も愁いを帯びた大人の色気みたいに感じてしまう。

 その人はこちらへ軽く会釈をしつつ歩み始めた。


「……ん」


 横切る時に、その人はシズクを見つめ、またシズクも同じく彼女を凝視していた。いつまでもいつまでも、角を曲がってもシズクは彼女の姿を見続けていた。

 ……むう。


「シズク……?」

「レティあの人……」

「綺麗な人だったね」

「そうだね。綺麗な人だった。だけど……って、何怒ってるの?」

「……わたしが怒ってる? そんなことあるはずないじゃない」

「ないって怒ってるじゃん」

「怒ってません」

「ほら。まったく……」


 まったくって何よ。自分では怒ってないつもりなのに、内心ではむかむかとしているのは本当のことだった。

 おっかしいな。彼が通りすがりの女の人に見蕩れていたことなんて前の世界でも度々あったことなのにな。


(わたしってこんな嫉妬深かったっけ?)


 不機嫌になりながらも冒険者ギルドの門を開いた。

 ユッグジールの里にあった店よりも数倍はでかい。席も4人掛けのテーブルが5つあって、食事処でもあるのか室内は良い匂いが漂っている。

 室内の受付らしき場所には誰もいなかったけれども、暖簾のかかった奥の部屋からトントントンと規則的に叩かれる音が聞こえてくる。


「すみません」

「……おう。ちょっと待っててくれよ」


 シズクが声を掛けると野太い男の声が聞こえ、暖簾の奥から姿を見せた。

 30代後半くらいだろうか。若干老け気味のおじさんはわたしたちを見るなり目を見開いて驚いていた。


「上玉の嬢ちゃんたちだな。外のもんだよな?」

「はい、先ほど町に着いたばかりです」

「なんでまたこんな辺鄙なとこに来たのか……いいや、詮索は無しだな。今日はどんな御用で? 護衛の依頼は……ここでは期待しない方が良いぞ。会員の殆どは町民だ」

「いえ、護衛じゃなくて登録にきました」

「登録……? 嬢ちゃんたちがか?」

「いえ、するのはわたしだけです」

「……まあ、わかった。では――」


 おじさんは登録に関する案内の書かれた皮紙をわたしに向けて説明をしてくれた。

 内容は先ほどシズクに教えてもらったことと、以前ルイごしに見た記憶と大体同じだった。

 おじさんは説明が終わると、無茶をせず身の丈にあった依頼を受けるようにと注意をしながら、最後に半透明のボードを渡してくれた。

 懐かしい……と言っていいのか。

 ルイの記憶にあった会員登録、カード作りを実際にわたしもやっている。

 代筆はいいかってと尋ねられ、大丈夫だと返事をする。文字くらいわたしだって書ける。そもそも代筆にかかる5リット銅貨なんて持っていない。

 さらさらと渡されたペンを持って透明なボードに自分の名前を書いて最後にぺたりと自分の手を押し付ける。しゅんとでも言いたげにボードから緑色のカードが発行された。


・登録名 メレティミ

・段 位 緑

・種 族 天人族

・性 別 女

・年 齢 15歳

・達成数 0(昇格まで残り10)


「おー……わたしのカードだ……ってあれ……?」


 ふと気になること点が目に付いた。

 わたしの年齢が15歳になっている。


「ねえ、これ間違ってるけど――」

「次に僕が登録した名前の変更と段位を下げてもらってもいいですか?」

「名前はともかく段位を?」


 おじさんは不思議な顔をしてシズクを見た。その顔は必要あるのか? って感じのものだった。

 年齢のことは後で良いや。今はシズクのカードを優先させよう。


「いいの? 下げちゃって」

「いいよ。ここから新しく始めたいんだ」

「……わかった。先に掲示板見てるね」


 では、とわたしは掲示板へと向かった。

 後で「赤ぁっ!?」とか「お前、偽装して!」とかそういう予想通りの声が上がったけど「お、男ぉっ!?」これは予想外だ。

 ちなみにリコちゃんも作りたいって言ってたけど、どうやらカードはシズクと勘違いしてエラーを起こしたと後で聞いた。


 掲示板を眺めると『大木集め』『家の片付け』『収穫の手伝い』『家畜のお世話』といった雑務ばかりが目に付いた。

 あれぇ? シズクたちの話だと魔物退治とか護衛とかそういうイメージがあったんだけどなあ。

 依頼書を見ている中で段位変更が終わったのか、同じく緑のカードを持ったシズクとおじさんがわたしに近づいてきた。


「この辺は比較的大人しい魔物が多いからな。人に害を成す魔物は奥に引っ込んでたりして、そうそう魔物による被害はない。あるとしたら町から離れた街道……からはみ出てやつらの縄張りに侵入した時くらいしか襲われんよ」

「でも、火を吹く鳥に襲われたよね」

「そうね。危うく一大事になるところだったわ」


 魔物の名前は知らないけれど特徴を上げるとおじさんは驚きながらも火吹き鳥フレアホークだと教えてくれた。

 山を越えた先に生息している魔物だそうだ。1匹であれば十分な準備を済ませれば倒せる魔物であることも。

 大方群れから離れたか、追い出されたか。


「そういうはぐれ者が出た時の討伐依頼だ。でも、どうせ赤段位だったお前さんが倒しちゃったんだろ」

「うん……」


 やっぱり気を落としてる。この状態なら討伐の依頼はなくて正解だったかもね。

 だた、ここで受けないという選択肢はなかった。今はともかく宿屋で一泊するくらいのお金は稼がなければならない。

 どれを受けようかと迷っているわたしに気を利かせてか、おじさんが声を掛けてきた。


「なあお前ら、この町について何か聞いたりはしたか?」

「いえ、何も……何かあるんですか?」

「いや、なんでもない……気にしないでくれ。振っておいてなんだが、その話は良いんだ。……もし依頼が決まらないんだったらこの依頼受けてくれねえか」

「はあ……」


 言われて渡された張り紙は家の片づけの依頼だった。

 報酬はリット銅貨10枚。それが多いのか少ないのか。わたしにはわからない。

 結局、話の流れからカードに書かれていた15歳という年齢の話は聞けず仕舞いだった。





 シズクとは別行動を取り、わたしは1人指示された場所へと向かった。


(黒髪の女がいるから後はそいつの言うことを聞いてやれってだけ言われたけど……)


 1人で大丈夫? 僕も一緒に行こうか? なーんてシズクったらわたしと別れるまでいつまでも心配していた。

 あまりにもしつこかったので彼の尻を蹴ってまで追い払ったけどね。


「たく、あいつったら、これでも1つ年上なんだぞ……まあ、心配してくれるのは嬉しいけどさ……あ」


 ぶつくさと文句を口にしていると目的地を通り過ぎていて、大股で数歩後ろに下がってその店を見上げた。


「ここ……え、ここ?」


 おじさんは鳥を象った看板が目印の店だと言ってて――茶色の錆だらけになった鶏っぽい鉄製の袖看板が壁から突き出ている。

 年季の入ったお店で、鶏とは別に入口の上に立て掛けられた看板は文字が霞んで読めたものじゃない。

 店の両隣は雑草が生えっぱなしの空き地で、まるで隔離されている様に感じてしまう。

 ガラス窓から中を覗こうにも薄暗い。


 留守なのだろうかと試しに扉に手を掛けると、カランコロンと鐘を鳴らして簡単に開いた。鍵は掛かっていない。

 続けて「すみません……」と尋ねてみたりもしちゃうけど反応なし。ひとまずお店の中に入らせてもらうことにした。


 雑貨屋さんのようで、衣服から乾燥した薬草、大瓶に入った色の付いた水、鍬や鎌といった農具といった日常品があちらこちらと置かれている。

 中でも目を惹いたのは紐に吊るされた綺麗な模様をした布生地だった。刺繍された花は細部まで細かくあしらわれている。

 これも売り物なのだろう。その下にも何枚とデザインの違う布生地が重なっていた。

 綺麗な布に見蕩れていると、店の奥からこつこつと足音が聞こえてきた。

 留守じゃなかったんだ。


「……ごめんなさいね。今、お店休業中なの」

「あ、いえ。わたしギルドの依頼で来ました。あ……」

「ギルドの? あら、あなたはさっきの?」


 顔を出してくれたのはさっきぶつかりそうになったあの女の人だった。

 今はショールを頭に被っていない。

 やっぱりさっきと同じく元気がなくて辛そうな顔をしていた。


「こんな可愛い子が来てくれたのね。嬉しいわ」


 けれど、と言って困りながら笑う。


「ごめんなさいね。あなたには少し荷が重いかしら」

「荷が重い? それってどういうこと? わたしには出来ないって言うんですか?」

「あの、怒らせるつもりはなかったのよ。でもね。今回私は力仕事のできる大人の人を求めていたの」


 力仕事か。じゃあ仕方ない……ってわけにはいかない。


「力仕事ってどれくらいのものを運べればいいの?」

「そうね……そこの壺を持てるくらいかしら? ね、無理でしょう?」


 女の人が指を指したのは隅っこに置かれた土気色をした大玉の壺だった。わたしの両手で抱え込んで丁度良いくらいの大きさかな。中には胡桃のような硬い殻に包まれた木の実が詰まっている。

 まあ、これなら……と。


「あ、無茶しないで……え?」

「ね、これでいい?」

「すごい……」


 わたしは火の活性魔法で筋力を上げてよいしょと持ち上げて見せた。

 ふふん、どうよ――なんて笑えるほどの余裕はない。結構ぎりぎりだ。これで壺の中に水でも入っていようものなら持てなかったもしれないしね。

 だけどどうにか合格を貰えたみたいだ。

 では改めてとわたしは依頼を開始することを許された。




 女の人、ルフサーヌさんと簡単な自己紹介をし、わたしは言われた通りに仕事をこなしていった。

 ルフサーヌさんが年季の入った服を仕分けている間にわたしはお店の中や奥の部屋から椅子や使わないテーブルを出して空き地に置いていった。

 他にも使わなくなった大きな工具入れや狩猟に使う弓、とらバサミなんかもルフサーヌさんに見守る中、わたしは店の周りの空き地に置いていくという作業を淡々と続けた。

 これらはルフサーヌさんの夫だった人が使っていたものらしい。らしいというか、流れからして旦那さんが最近亡くなったことを知った。


「……メレティミちゃんすごいわね。私なんてフライパンを持つだけで大変だというのに」

「フライパンって……またまた。それじゃあ、普段どうやって生活していたんですか」

「それは、夫がいてくれたから」


 あ、地雷踏んだかも。

 慌てて話題を変えようと「ルフサーヌさんは力無くてもまだ全然若いですから!」と褒めた……つもりだったんだけどね。


「……」

「え、年の話も地雷?」

「じらい……? わからないけど、その、年齢はちょっと聞かれるの嫌なのよね」


 こんなに綺麗なのに?

 うーん、どうだろう。から歳を取ってるように見えるけど、いいところ20歳前後くらいじゃないのかな。

 これ以上突っついたら駄目そうだと思っていたけど、ルフサーヌさんは小さく笑って続きを答えてくれた。


「……こう見えても私結構年取ってるのよ」

「またまた、20歳くらいじゃないんですか?」

「……2歳」

「はい?」

「52歳」

「……」


 この人、今なんて?

 52歳でその若さって、あ……とわたしは思い付いた。

 なんだそう言うことか……と彼女のことを理解したつもりだったんだけど、その反応に勘違いしてか、ルフサーヌさんは悲しそうに顔を曇らせた。


「やっぱり、変よね。ここで仕事終わらせてもらってもいいわよ。こんな気持ちの悪い人間の仕事なんて受けなくてもいいわ。ここまでの働きにお金も少しだけだけど出すし、ギルドには私から断ったと伝えればペナルティもないし」

「いえいえ! ちょっと驚いただけ。というか、ルフサーヌさんって魔人族でしょ?」

「はい? 魔人族? 魔人族ってなに?」

「はい?」


 この世界には人以外にも、魔族と呼ばれる3つの種族がいる。

 1つが頭から角の生えた鬼人族。もう1つがわたしがそうである天人族。主に耳が長いって説明するのはちょっと気が引けた。

 そして最後がルフサーヌに対して指摘した魔人族である。

 彼らは人と見分けが付かないが、わたしたち天人族と鬼人族と同じく老化が遅く長生きな種族である。


「信じられない。でも、呪いじゃないとしたら確かにそちらの方が信憑性があるし……」

「わたしの隣にいた子、シズクって言うんですけど、彼も魔人族なんですよ」

「彼? 男の子なんていたかしら……」

「う……黒い長髪の子です」


 こうして毎回毎回彼が男だと説明していかなければならないのだろうか。


「それって……もしかして、あの子?」

「ん……ひっ!?」


 言われて顔を向けると、窓ガラスに顔をつけたシズクとリコちゃんがこちらを眺めていた。

 似た顔が2つべったりと窓に張り付いている様はちょっとしたホラーだ。

 つい小さな悲鳴すら上げてしまう。


「はあ……」


 わたしはため息を一つ付き、颯爽と店を出て彼を怒鳴りつけた。

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