第111話 思いもしなかった帰還先
目を覚ますと僕らは木漏れ日の中にいた。
傍らにはレティが同じく横たわっていて、送還される前と同じくぎゅっと僕の手を握っている。
リコはいつの間にか僕の中に戻っている――胸の奥にリコの存在を感じ取った。
戻ってこれたのだろうか。
疑問は直ぐに消え去った……わかる。肌で感じる。身体がひしひしと反応する。
まるで呼吸をするかのように僕の身体に見えない何かが吸収されていくのがわかった。
きっとこれは魔力だろう。思えば馴染み深い空気を感じ取っている。
「僕は戻ってきた……」
安堵とも落胆とも取れる曖昧な気持ちが芽生えた。
戻ってきたのか、それとも戻ってきてしまったのか。今更とやかく言うつもりはない。
しかし、戻ってきたとしても今自分のいる場所がわからない。
てっきり殺されかけたあの場所に戻るのかと思っていたが……少し位置がずれたのだろうか。
最後に僕らがいた袋小路みたいな岩壁もなければ押し潰そうとした巨大な石もない。
土地勘もないからこの場所がどのあたりかはわからない。
木や木や木と、見渡す限り木々の群れで全然見覚えがない。どこかの森の中だろうか。
ただ、幸いなことに空を覆いつくすかのような緑葉の群れはなく、生えている樹木の間隔も広いため比較的明るい。
「レティ起きて」
「う、ううん……」
隣に横たわるレティを振り起こすと眠たそうに顔をしかめた。
夢の中で出会った大人のレティは当然いない。アサガさんたちと別れる前のレティが辛そうに目を開けた。
「着いた、の?」
「そうみたい」
「ここはどこ……?」
「わからない……少し遠くに送られたのかな。レティわかる?」
「里の中でこんなところ見たことないよ。里の外……かな」
ユッグジールの里の、天人族の居住区内ではない。それは僕らにとっては好都合だ。
わざわざ敵陣というか、僕たちを殺そうとしていた人たちのいる場所に送られて騒ぎになるよりはましだ。帰って早々逃げ惑うのは勘弁だ。
自分たちがどのあたりにいるのか。近くに里はあるのか。
空を飛んで周りを見る――という案も出たけれど、万が一にもここがレティが知らないだけで、天人族の居住区内であった時、または里の近くだったりで見つかる危険性は回避したかった。
レティの顔は知られている。
知る人はいないと言ってもいい、とは彼女自身の言葉だ。僕らは死んだことになっているはずだし、きっと彼女の死は知れ渡っている。
かと言って方位もわからないので、とりあえずと木々の頭を抜けない程度に風魔法でレティに運んでもらい、2人して枝の上に立ち周りを見渡した。
僕らから見て後方はここよりも深い森が続き、その奥には山が連なっていた。
前方はやや先に進めば林が終わり、薄緑の草原に黄色の線が右から左と一直線に引かれている。日常的に使われている街道だろうか。
前に進むか後ろに下がるか。
どちらに行くかとは僕もレティも聞くことはしなかった。
「ともかく、もしも誰かに見つかったら大陸外から来た冒険者ってことにしよう」
「そうね。……ちょっと悲しいけど」
「我慢してね……」
そうして僕らは目にした街道に向かって光の洩れる樹木の中を進み始める。
途中レティは上着のフードを目深く被り、僕はマフラーで口元を隠した。
歩き、歩き、歩く。
上で見たよりも街道までは距離はあった。比較的明るくても伸びっぱなしの草花に気を抜くと足を取られそうになる。
でも、もうすぐだ。木々の間からこぼれる光が強くなるほど、長く続いた変わり映えのしない景色の終わりを教えてくれる。
もうすぐ草原に出れそうだ、と伝えようと後方のレティへ振り向くと、首を傾げて不思議な顔をしていた。
「どうかしたの?」
「あのさ。ゲイルホリーペはケラスの木が至る所に生えてるんだよね」
「ん……?」
「でも、見当たらないの」
「見当たらない? そのケラスの木って言うのが?」
「ええ……生えて無いこともないけど、ここまで見当たらないのも珍しくて。ねえ、ここ本当に――……っ!?」
突然、レティの言葉を切り裂いて悲鳴が聞こえた。
野太い人ものだ。男の声だろうか。
「何?」
「道の方だ。行ってみよう」
悲鳴の聞こえた方へとなるべく急いで向かい、森林と草原の境で木の影に隠れて様子を見た。
「あっちに行け! 来るな!」
僕らが潜んだ場所から少し離れた先、草原の先に悲鳴の出所が見えた。
道の真ん中で馬車が止まっていて、元は白だったのか淡く黄ばんだ幌から煙が立っているのが見えた。そして、その真上に飛ぶ鳥。
怪鳥が馬車を襲っているように見えた。
(鳥……にしてはちょっと大きくない?)
広げた両翼は大人が両手を広げたくらいに大きい。馬車の上空を旋回していた。
その真下の馬車の近くで棒をぶんぶんと振り回しているおじさんがいる。人だ。
僕とレティは顔を合わせて、もう一度視線を戻した。
怪鳥は滑空しながらペリカンみたいな長いくちばしを開き、中から放水をするかのように火炎の息吹を噴き出し、馬車の屋根を燃やしてしまう。
火力は無いのか、それとも調整したのか、幌だけが燃えて中の骨組みが見えた。
「……火を吹いた」
「うん、吹いたね……」
火を吹く鳥。あんな魔物、僕は見たことは無い。
怪鳥は馬車の上に勢いをつけて着地すると長い首の先にある頭を車内へと突っ込みだした。
忙しなく首を動し、しばらくして肋骨みたいな馬車から頭を抜くと、上を向いて何度も嘴を上下に動かす。野菜か魚か、馬車の中にあったものを食べているようだった。
離れているのにみっともない咀嚼音がこちらまで聞こえてくる。
「や、やめろおっ! 村の大事な作物がぁっ!?」
先ほどの悲鳴を上げていた、恰幅のいいおじさんがまたも叫び声をあげていた。
棒を振り回して追い払おうとしているのか、へっぴり腰のままで、それを見て怪鳥は無視をして食事を続けていた。
ただ、一度おじさんは静止して「えい!」と力強くも震える掛け声を上げて持っている棒を強く振った。
すると……棒の先から火球が飛びだし、食事中の怪鳥へと飛んで行く。
折りたたんでいた羽にぶつかり甲高い鳴き声と共に怪鳥が顔を上げた。
「魔法を使った」
「じゃあ、あの人、魔人族?」
いいや。おじさんの身体には可視化した魔力は全くと見当たらない。
「……違う。あの人は普通の人だ」
「じゃあ、なんで?」
「あの棒かな……――っ!?」
あまりダメージにはならなかったのか、怪鳥は怒りを露わにした奇声を発し、両翼を広げた。
すぐさま顔をおじさんへと向けて火を吹きだし、彼は慌てて後ろに飛びのけた。
尻もちをついたおじさんへと怪鳥は狙いをつけたようだった。
「助けないと!」
「え、ってレティっ!?」
何を言ったのか一瞬理解できず出遅れることになった。
目の前では既にレティは草原を走っていて、おじさんのところへ向かいながら右手を向けて魔法を放っていた。
風魔法だろうか? おじさんと僕らとの間に広がる薄緑の絨毯が見えない壁に押されたかのように均されていった。そこでやっと僕も森から抜けてレティの後を追いかけた。
おじさんに襲いかかろうとしていた怪鳥はレティが放った風に絡まれて馬車の上から吹き飛ばされた。たたらを踏むように空中でもがき、どうにか大きく羽ばたいて体制を整え距離を取ると、レティへと顔を向けて飛びかかってきた。
レティは臆することもなく、その場でもう一度風魔法を怪鳥の真上から叩き付ける。怪鳥は押し込まれる様に草原に落ちる。何か、軋む音が聞こえた。
でも、まだ終わりじゃない。
痛みで暴れ回る怪鳥は無差別に火炎をまき散らしはじめた。ひしゃげた片腕を振り回して、奇声を上げ続ける。
吐き出された火の勢いは強い。
「もう!」
僕は剣を抜いて速度を速めると、墜落しその場で火を吹きながら暴れる怪鳥の背後へと一瞬で詰め、動き回る首へと刃を――差し込んだ後だった。
(……え?)
僕の剣は斜め横に線を入れて鳥の首を切断した。
火を吹いていた鳥の頭が宙を舞う。
本体に繋がっていた首から赤い血と透明な茶色の液体が同時に吹きだした。
鳥の頭が長い首と同時に地面に落ちる。じたばたしていた頭の無くなった身体が数秒後には動かなくなった。
おじさんははあはあと荒い息のままその場で尻もちをついた。
レティはふうと息を吐いて僕に近づいてくる。
僕は……。
(なんだ……これ……)
握った剣を見つめていた。
刃こぼれもなくくすみもない新品の、魔物の体液で汚れた剣を。
切れ味はよかった。
今まで駄目にして買い直してきた安物の新品の剣よりも、レティがくれた剣はとてもいいものだった。斬った感触がほとんどないほどに。
そう、斬った感触がほとんどないのに、だ。
……なのになぜ?
「……シズク?」
「……うっ……っ……おえっ……おえぇぇっ……!」
「シズク!? ちょっと、どうしたの!?」
そのないはずの馴染みの感触が、酷く僕を不快にさせた。
◎
僕らは荷馬車のおじさんに感謝されながら近くの町まで送ってもらえることになった。
聞いたこともない名前の町だ。レティもないと言う。
結構、遠くに僕らは呼び戻されたんだな……。
「珍しいですよね。おじさんは商売か何かで渡ってこられたんですか?」
「珍しい? 何変なことを言ってるんだ。俺はいつもは畑いじくってるただの農民だよ」
「へ? あれ?」
おじさんは村で出来た作物を村の代表として卸に来たと言い、食われた作物は痛かったけれども、全滅よりはましだと笑っていた。
「おかしなやつだな。お前さんたちはどこから来たんだ?」
「え、わたしは…………その、ユッグジールの里ですけど」
「ユッグジール……? 聞いたことないな。どのあたりだ?」
「どのあたりって、中心あたりだと思いますけど。ほら、世界樹の周りにある」
「世界樹……世界樹ってゲイルホリーペの? 2人とも若いっていうのに随分、遠くから来たんだなぁ。確かゲイルホリーペには万病に効く不思議な葉があるって聞いたことがあるなあ。うちの婆様の腰痛にも効くんかね?」
「え、何を言って……待って、じゃあここはどこ?」
「ん、ここはヨーソタス地方だが?」
……ん?
なんだろう。今、聞いたことがあるような言葉が。
「地方名じゃなくて大陸の名前!」
「大陸ってお前さんたちここがわからずに来たのか。身なりもそうだが、変わったやつらだな……わかったわかった。そう睨むな。ここはエストリズ大陸だよ」
「は? エスト――」
……っ!?
「エストリズっ!?」
思わず僕が叫んでしまった。
「お、嬢ちゃん調子戻ったか?」って僕は男って毎度の突っ込みも忘れてしまうほどだ。
「そうだよ。ここはエストリズ。嬢ちゃんたちの言うゲイルホリーペはずーっと西にあるって聞いたことがあるな」
勢いで寝ていた半身を起こしたけど、直ぐに眩暈から横に戻す。
あの怪鳥との戦闘後、嘔吐した僕は荷馬車の中で休ませてもらっていた。
馬車の中は食い散らかされた跡やカスなんかが残っているけど、そんなのを気にしていられないほど僕は憔悴していたんだ。
(ここがエストリズ……?)
僕とルイが生まれた場所。
僕とルイが奴隷として売られていた場所。
僕とルイが奴隷として働いた場所。
そして、僕とルイが旅だったはじまりの場所。
砕けた野菜の匂いがする傍らで横になって……乾いた笑いを上げた。
結局、町にたどり着くまで僕はずっと荷馬車の中で過ごした。
その間にレティはおじさんの隣に座り、あれやこれやと話をしていたけれど、どんな内容までは聞き取れずにいた。
「じゃあ、お別れだ。いい旅を」
「はい。ありがとうございました」
レティには悪いけどひと眠しているうちにおじさんの言っていた町へと着いた。
おじさんに送ってもらえたことは幸いだった。乗せてもらった馬車と反対方向へ向かっていたら、とてもじゃないが“徒歩”では辛いものになっていたらしい。
また門での検問はおじさんと同行したおかげで、顔パスで進めたことも運が良い。顔見知りがいるからと、見知らぬ付き添いの人がいても碌に調べずに町の中に入れるのは心配になったけれども、余計な手間が省けた。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと寝たら落ち着いた」
町の中を歩きつつレティに心配されても、気丈に振る舞ってどうにか隠す。
でも、もしかしたら気が付かれていたのかもしれないね。
あの慣れた感触が吐き気を催すほど気持ち悪かったのだから。
あんなにも楽しんでいたことなのに、自分でも信じられない。
これが本来あるべきものだったのだろうか。
(慣れるしかない。僕はこの世界に戻ってきたのだから……)
自分の頬を強く叩き、喝を入れる。
少しは身が引き締まるように感じた。
「……本当に大丈夫?」
また、別の意味で、レティに心配された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます