白い少女の使徒として

第110話 心象世界

「改めて、ご苦労様でした。どうです? 窮屈で息苦しいだけの世界から解放された今の心境は……」


 同じボックス席の対面に座っている白い少女がご機嫌に、それでいて皮肉を込めてに言った。

 僕は苦笑いを浮かべて白い少女の言葉を受け取り、隣に座るレティはむすっと不機嫌になった。

 目を細めつつ僕は何気なく白い少女の背後、その奥へと目を向けた。

 いつも通りというか定位置というか、最前列の僕の位置からは客車の中を全て見渡せるが、隣と前とで相席している2人を除けば今回は誰も乗っていない。僕ら3人だけがこの車両にいる。


(……あれ?)


 いくつかの違和感を覚えたが、それが何か直ぐにわかった。


 まず、いつもの不自由さがない。

 今、僕は自発的にこの客室の中を見渡していた。いつもなら勝手に動く視界に入った時に認識する程度だったのに、今の僕は自分で首を動かし、自分で目を送り、自分の意志で確認を取っていた。

 試しに自分の手を開いたり閉じたり――思い通りに動く。意識も鮮明だ。


 次に白い少女から嫌な雰囲気というか重い空気を感じていない。

 あっちではさんざん気持ち悪い思いをしたというのにここでは全くと無い。至って正常なまま、僕は彼女と向かい合うことが出来ている。


 最後に、一番変な感じがしたのがレティで――。


「というか、何? どういうこと? わたしたち元の世界に戻ったんじゃないの?」


 ――と、隣に座っているレティが不思議な顔をして白い少女に疑問を投げた。

 この場所を知っている僕にしたら夢だ、くらいにしか思っていなかったけど、レティにしたら初めて来た場所だ。不明なことばかりで驚いているのだろう。

 というか、なんでレティだけがここにいるんだろ――なんて僕は横目で彼女を見て「あ……」と違和感の正体に気が付いた。

 言葉を失った。


「目を閉じたらはい、着きましたとでも? あの場所からいったいどれだけ離れていると思っていらっしゃるの?」

「そんなの知らないわ」


 白い少女の言葉にレティは不機嫌に眉を吊り上げた。


「じゃあ、ここはどこよ?」

「ここはシズクの心象世界」

「心象世界? シズクの? 何それ、ねえ。シズク……シズク?」

「…………へ、え、えっと、僕の?」


 見蕩れて、呼ばれて返事をするのに遅れる。

 白い少女は何が可笑しいのか僕を見て微笑を浮かべ説明をしてくれた。


 ――ここは僕の心が描いた世界であり、少し違うという。


「正確にはシズク自身が思い描く、。……稀なことよ。本来ならば言葉通りその者の心を表した世界になるの。ワタクシは数えきれないほどのヒトの心を見てきました」


 そう、白い少女は今まで手にしてきた駒の話をし始めた。

 家族や恋人といった信愛している人々に囲まれたもの。自分の趣味や好物に埋もれたもの。暗く淀み負の感情にめちゃくちゃになっているものも。

 十人十色、千差万別、同じものはどれ1つとして無い。

 性的趣向が色強くて人前で話すにはたばかれる、気が滅入る世界もあったと白い少女は無機質な表情を若干曇らせて呟いた。


「その者の命の捉え方とで言うんでしょうか。貴方たちを含めには共通してこのような場を生み出しています」

「あなたたちってレティも?」

「そう。彼女もまたこのような心象世界をお持ちになっています。……ねえ、レティ? 勿論覚えてらっしゃるわよね。ワタクシと初めて言葉を交わしたあの暗い場所を……」

「覚えてるけど……じゃあ、あそこがわたしの心の世界だって言うの?」


 レティの疑問に白い少女は小さく笑って答えた。


「ワタクシ、この世界は好きよ。ゆったりとしていて落ち着いてて……貴女の耳障りで殺風景な世界とは大違い」

「……はっ、そうですか。ふんっ」


 鼻を鳴らしてレティはそっぽを向く。それを見てか白い少女は愉快だと言わんばかりににまにまと口元を緩める。

 耳障りな世界。レティの心象世界ってどんなのだろう。


「何よ……」

「え、ううん、なんでもないよ」

「ならいい……んっ? あれっ、シズク? シズク……なの?」


 不機嫌にじろりとこちらへと向いたレティの表情が突然驚きに変わって僕を見つめてくる。

 口を半開きにしたまま、足の先から頭の上まで何度も視線を送り続け、最後に僕の顔に落ち着くも、さらに顎が開く。

 に見つめられるのは、中々にくすぐったいというか照れくさい。


「シズク……だよね?」

「う、うん。僕だけど、どうしたの?」

「え、いや、その……なんでもない!」


 頷き見つめ返すと、慌てて目を逸らされる。

 けれど、その後もレティはちらちらとこちらを盗み見るみたいに窺ってくる。


「お戯れのところ悪いけど、そろそろお話しを始めてもよろしいかしら?」

「……はい」

「い、いいわよっ」


 僕は落ち込み気味に、レティは興奮気味に返事をして、白い少女の話を聞いた。

 彼女の話というのは今後のことであり、改めてゲームについて説明をするためにレティの意識を僕の心の中へと送り込んだという。


「戻るのにも若干時間はかかりますからね。その間に最終確認をしておきたくて。では――」


 校庭で一度聞かされていた、世界を基盤としたゲームについて。

  

 僕らはこれから白い少女の対戦相手を負かさなければならない。

 勝敗はゲーム上の“親”を負かすか、白い少女の他にいる“子”全員が負けるか。

 “親”を負かす1番の方法は、“親”の所持するお気に入りの駒を倒すこと。ただし、誰が駒か、お気に入りの駒は白い少女にも判別は出来ない。

 白い少女を含め“子”の負けの条件は、自分のお気に入りの駒が倒されることだ。

 “親”を負かした時、というか、白い少女が勝てたなら僕らは褒美として“元の世界”に戻れる。

 そして、僕が死んだ場合は白い少女の敗北は決まり、僕の命と繋がっているレティも同じく死んでしまう。

 最後に関してはあんまりだ。


「2人には一蓮托生の想いでいてほしいから。そして、ワタクシなりの意気込みよ。それだけ貴方には期待しているのよ」


 でも「期待と言っても能力面ではない」と最後に付け足してだ。


「ワタクシ、たとえその人物が最たる強さを持ち得たとしても、器が醜悪であるならば迷わず切り捨てますわ。ワタクシにとって見た目が全て……いい? 貴方を選んだ理由をもう1度言いましょう。外見。見た目。容姿。器量。ただそれだけ。どんなに綺麗な花が咲き誇ろうとも周りが糞まみれなんて絶対にいやよ」

「糞まみれって……」


 可愛らしい口から随分と汚い言葉が出て唖然としてしまう。

 前とは随分と印象が変わってきた気がするよ……。


「ふふ、安心なさって。貴方たちは器だけではなく力も兼ね備えている。完璧とは言い難いけれども優秀な部類よ。きっと、大丈夫」

 

 優しく白い少女は微笑み、それ以降は口を閉じて僕らへと手の平を向ける――これで終わりという意味と、また、何か質問があるかといったジェスチャーでもあった。


「えっと、確認だけど駒って僕たち以外にもいるって言ってたよね」

「ええ、いますわ。ワタクシの手駒に、“親”の手駒、そしてもう1人の手駒。最後に脱落した1人の置き忘れの駒。数多の駒たちがあの世界で、自身が何者か、何のために呼ばれたのかも知らずに生きています」


 ただし、と白い少女は付け足した。


「先日にも述べましたが、駒たちの大半は貴方たちのように力を持つ者は少ない」

「どうして?」

「殆どは力無き人として生まれるからよ。“親”であれば別ですが、“子”であるワタクシたちには駒の生き付く先は選べない」

「じゃあ、僕たちの場合は?」

「運が良かっただけ。2人して大したものよ。あの世界で有利な魔力を存分に扱えるものとして生まれ直せたのだから。……他に聞きたいことはあるかしら?」

「じゃあ、はい」


 レティが小さく手を上げ、白い少女はどうぞと促す。


「王っていうかお気に入り? は誰かって本当にわからないの?」

「お気に入りは駒の所有者以外誰もわかりません。わかっていたら面白くないでしょう?」

「……じゃあ、判別方法は?」

「残念なことに判別方法もありません。これだと思うものを手にかけていくのがよろしいかと」

「……何それ。そんなの無差別に殺せって言ってるようなものじゃない」

「それは素敵。貴方たちがあれよこれよと手にかけ乱れ狂う姿は愉悦物ね」


 きっとレティの目が吊り上げて立ち上がる。

 そんな彼女の睨みを受けても白い少女はどこ吹く風、いや喜んですらいるように見える。


「……では、1つだけ助言を。今までお気に入りとされた駒で非力なものを選んだ者はワタクシを除いておりません。これだけでも十分絞られるのではないかしら?」


 レティの腕を引き座らせて今度は僕が聞くことにした。


「非力なってことは普通の人、地上人とかそういう魔力を使えない人は抜いてもいいってこと?」

「ええ。チェスで言えば捨て駒であるポーンを選ぶ理由なんてないでしょう?」


 それなら、まあ……聞けて良かった情報かもしれない。

 あの世界で言えばつまり親のお気に入りは鬼人族、魔人族、天人族らの魔族に、あとは亜人族かってことになるのかな。


「要は能力が他と比べて飛びぬけているものを殺せばいいだけよ」

「簡単に言ってくれるよね……」

「簡潔でよろしいじゃない?」


 僕らと同等か、それ以上に強い人を倒せって言う。

 倒せと言ったけど、それはきっとつまりそういうことだ。

 出来るんだろうか。僕に。前とは違う僕に。


(誰ともわからない人を殺すことを目的とした旅が始まるのかな……)


 レティはどう思ってるのか、横目で盗み見ても彼女は深刻そうに俯いている。

 彼女の手をこれ以上汚させたくない。船上の上で引き金を代わりに引かせてしまった後悔はもうしたくない。


(僕がやるんだ……レティにこれ以上負担を掛けさせないためにも……!)


「他には?」


 少女の言葉に僕らが持つ次の言葉はない。

 次に会えるのはいつかもわからない。何か聞いておかなければいけないと思うけど……でも、質問は浮かんでこなかった。


「では、ワタクシはお先に戻っていますね。貴方たちの活躍に期待していますわ」

「……は? 先に? まだ時間かかるんじゃ?」

「ワタクシと貴方たちとでは違いますわ」

「いや、違うって意味わかんない」


 そう、白い少女は席から立ち上がり、僕ら2人の頬に触れた。

 小さな指先が頬の上を走る。体温は感じられなかったけれども、やっぱり以前とは違って気持ち悪くはなかった。


「残りの時間はおふたりに差し上げます。久しぶりの再会に募る話もあるでしょう。到着までまだ時間はあるのでごゆるりと――」

「あ、待って!」

「なにかしら?」


 白い少女の腕を掴んで引き留めた。


「僕らのこと。僕とレティが知り合いだったってことを、君は知ってたの?」

「……半分」

「どういう意味?」

「レティを自分の駒として手に入れた時、彼女の心の中を知った。そして、ワタクシは貴方たちがあの場所にいた2人だったということを理解した。それ以前はワタクシも知らなかった。だから半分」


 白い少女は僕の手から抜けて歩みを始めた。

 前と同じく僕らから見て後方へと向かう。

 一度たりとも振り向かずに。


「死してなお、貴方たちはまた廻り出会った。これが運命というものかしらね」


 そう最後に言葉を残し、音もなく白い少女は車内を歩いていった。

 白く長い髪がたわわと揺れた。

 僕ら2人は黙って彼女の後姿を目で追い続け――客車の扉を引いたところで白い少女の首が横を向く。


「……は? 何故、貴方がそこにいるの?」


 白い少女はその座席へと驚きつつ、忌々しそうに睨み付けていた。

 何かいるのかと腰を浮き上がらせた時には白い少女はふんと鼻を鳴らして客車の外へと出て、最後に後ろ手で引き戸を強く叩き付けて閉じた。


「何?」

「わかんない……」


 レティと顔を見合わせてしまう。

 白い少女は何か不機嫌になっていたけど、あそこに何が――


「みゅう!」


 ――って、白い少女が見ていた席から白い子猫が駆け出してきて、あっという間に僕らに向かって飛び跳ねた。

 リコだ。

 まるで自分の指定席だと言わんばかりに僕のふとももに上半身を、レティのふとももの上に半身を乗せて伸びをする。

 ごろごろと器用に太股の上から落ちないように転がって最後に僕らにお腹を向けて再度みゅうと首を傾げて鳴くのだ。


「あーそっか。僕の中にいるんだからリコもここにいて当然? なのかな」


 ほっと……安堵する。

 なんだか気が緩んで、ついついリコの頭を撫でてしまう。


「もう、リコちゃんかー」


 レティはレティでリコのおなかを摩ってふうと息を吐いた。やっぱりレティも気を張ってたのかな。頬を緩ませてリコのおなかをふにふにと揉みだした。

 いやいや、とリコが前後の足でじゃれるみたいにレティの腕を挟んだ。


(まったく。どうしたんだろう)


 白い少女に睨み付けられるなんてリコったら彼女を怒らせることでもしたのだろうか。

 リコは気持ちよさそうに目を閉じて、僕らの撫で回しに身をゆだねてる。


「みゅう~」


 僕らの心配なんて露知らず、リコは気持ちよさそうに声を上げるだけだ。僕も撫でる手は止めない。

 ふにふに。ふさふさ。

 僕らはリコの身体を撫で続けた。

 会話はない。

 白い少女は話せといったけど、こうしてしまうと何から話していいかわからない。

 恐る恐るとレティを伺うと、視線をリコのお腹に向けたまま黙々と触り続け――レティも横目でちらりと僕を見て、目が合って2人して身体を弾ませて驚いてしまった。


「……っ……だ――! もうこの沈黙無理!」


 我慢できなかったのかレティが叫んだ。


「ねえ、シズク!」

「な、なんでしょうか?」

「その……今の、さ。君の姿、どうなってるか知ってる?」

「僕の姿?」

「……すごいよ」


 すごいって何が……なんて聞かないけどさ。


「うん。レティが言いたいことはわかるよ。だって――」


 レティは今の僕の身体が成長した姿だってことを言いたいんでしょう。

 でも、それを言うなら――


「僕がこうであるように、レティも大人になってるんだよ。えっと……」


 頬を掻き照れながらも口にする。


「とても……綺麗になってる」

「綺麗って、えっ!?」


 自分の頬をぺたぺたと両手で触って確認するレティに、僕は窓に反射して映る自分たちの姿を指さした。

 今回、窓の外は真っ白だ。

 煙でもなく、雪でもなく。何もない“無”とでも言うべき場所を汽車は走っている。

 若干映りは悪いけど、隣の席には成長した僕らが同じ顔をして見つめ返していた。


「え、お母様!?」

「お母様?」

「あ、う、ううん。ええっと、この身体のお母さん……ブランザお母様がいたかと思ってびっくりしたの」


 言いながらレティは窓に向かって手を振った。反対の席にいるレティはうっすらと笑みを浮かべて僕らに手を振り返してくれた。

 窓を挟んだ向こう側の席に今よりも大人へと階段を昇った僕らが並んで座っている。

 以前と同じく僕は髪を切った後の姿だった。


 僕は窓鏡を通さずとも直接レティを見ていた。

 レティはとても綺麗になっている。

 多分、16歳か17歳くらいか。未だ大人とは言えず、それでも子供だとは言えなくなったくらいの年齢だ。

  隣の窓と僕の顔を何度も見返す彼女の顔は、少女の面影を残しながらも大人の女性へと階段を昇っている最中という感じだ。

 元のレティもとても可愛いけど、今のレティは誰もが振り向いてしまうほどの美しさを備えている。

 そんな彼女を見ていると、見つめられると頬が熱くなっちゃいそうなほどに。


 僕については何もない。自分で自分のことを言うのも変な気分だから。

 1つ言えるのは、着々と窓の向こう側の僕に近づいていることだった。

 遠くない未来、レティと同じくあと数年で僕は彼になるだろうと予測は出来た。


 でも、それは先の話。

 沈黙がほどけた後、僕は急激に今までの……先ではなく過去の話がしたくてたまらなくなった。


「ねえ、レティ。僕にレティが生きてきた日々のことを教えてよ。レティがあの世界でどんなふうに生きてたのか。僕が知らない君の話を聞かせてよ」

「……何だかそう言われちゃうと恥ずかしいわね。けど、うん……いいよ。代わりにわたしも、君が生きてきた日々の話を聞かせて」

「うん。聞いてほしい。君が知らない僕の話を聞いてほしいんだ」


 会話の糸口は考え過ぎていたんだと思えるほどにすぐに見つかった。

 どちらが先に話すかと一悶着起こったものの、それさえ決まれば僕たちはずっと語り合った。

 懐かしくも、真新しいこれまでの僕たちを。


「まだわたしが魔法を使えなかった頃、いつも慰めてくれたのはレドヘイルくんのお兄さんだった」

「レドヘイル君のお兄さん? あの子にお兄さんがいたんだ」

「元々身体の強い人じゃなくてね。シズクたちが旅に出る少し前くらいに病状が悪化して里の外へと療養に入っちゃったの。それっきり顔も合わなくなっちゃった」


 レティはレティとして生まれて、ユッグジールの里で暮らしていた時のことを。


「魔法が使えないってドナくんに馬鹿にされて、まあ……子供の言うコトだと割り切れればよかったのにね。今もそうだけどこの身体になってから感情が中々抑えられなくて、毎回泣きそうになってた。そこを庇ってくれたのがお兄さんだったの」


 母親であるブランザさんが亡くなって少し経ってからレティは魔法を教わりだした。

 だけどレティはルイと話が出来るまで魔法が使えなかった。

 母親を失ったばかりの彼女にとって、レドヘイル君のお兄さんはリウリアさんはまた違った支えとして、とても励みになっていたそうだ。

 以前は1人っ子だったレティにしたら、お兄ちゃんが出来たみたいで嬉しかった。なんて、嬉々として語るレティを見ていたらお兄さんに思わず嫉妬してしまいそうになった……これは秘密だけどね。


「そうだ。レティのせいで僕大変だったんだからね! きょうだいのふりをすればいいなんて変な案出さないでよ!」

「へ、それいつの話よ? というかなんだっけ?」

「3年くらい前! ゼフィリノスがギルドでカード登録する時の話だよ! ルイがギルドで二重登録しそうになったところ!」

「あー……そんなこともあったわね。ま、結果的に無事に済んだんだからいいじゃない」

「そう……だけど! これに限っては僕は一度、に文句を言わなきゃって心に決めてたんだ! それからルイがお姉ちゃんって呼べ呼べしつこかったんだからね!」

「はーうるさい。それくらいいじゃない。そんな昔のことぐちぐちと女々しいやつ」

「女々しいゆうな!」


 僕は奴隷として屋敷で働いていた時のことや、その後ユッグジールに向かうまでの出来事を話した。

 時には昔の、僕らが僕たちだった時の話もした。


「……ねえ、前にわたしらの両親が喧嘩した時のこと覚えてる?」

「えーっと、どの時くらい?」

「わたしらが小学校低学年の時かな」

「……うーんと、あれかな? 僕らが結婚したらどっちの籍に入れるかってやつ?」

「それそれ」

「なつかしいなあ……僕がレティの婿養子になるか、レティが嫁に入るかで父さんたち本気で怒鳴りあってたっけ」

「そうそう。お酒の席とは言え、あんな大声を出したお父さんたち初めて見てさ。2人で大泣きしたやつ」


 きっかけは些細なことだった。お酒の席でよくある自分たちの子供を結婚させるか的な話だ。

 その時の幼い僕には恋愛感情どころか彼女に対して男女の意識もなかったし、結婚なんて言葉は知っていても本当の意味では理解していなかった。

 幸せになる話なのになんで父親たちが怒っているのか全くわからなかった。

 まあ、そこはお互いの奥さんであり僕らの母さんたちが叱って止めたけど、あの時は本当に怖かったものだった……って話をしているとリコが僕らに向かって不満そうに鳴いた。


「リコにはわかんないよね。僕らの元の世界の話だよ」

「みゅ~う!」

「言われなくてもわかるって? ごめん、仲間外れにするつもりはなかったんだよ」

「あ、ごめんね。リコちゃんのことすっかり忘れた」

「みゅみゅ~う」

「ん? リコちゃんなんだって?」

「レティは酷いやつだって」

「え、嘘!? シズク嘘ついてないよね! え、リコちゃんそんなつもり全然ないから! ねえ、シズク……って、あんた何笑ってんのよ!」


 笑うなって言われてもレティの慌てっぷりを見てると笑っちゃいたくなるよ。

 ぷんぷんと拗ねるレティを冗談だと宥めたけど、からかった時の彼女は中々機嫌を直してくれない。昔からの付き合いだからわかる。きっと、レティだって知ってて機嫌を直さないんだと思うし。

 やめればいいのに、でも毎回やめられないんだ。 

 こんな些細な、昔ではなじみのやり取りすら僕にはとても慈しむものだったんだから。


「……あの時は意味が解らなかったけどさ」

「ん?」

「もしも僕らが結婚したとしてどっちの家に入ったんだろうね」

「……まあ、普通に考えたらわたしがそっちの籍に入ってたと思うけど」


 もしもの話だ。

 この身体に呼ばれることがなければあったかもしれない話。無数にある未来での一つの話。

 未来の話をしてしまえば、僕らは違えて別々の道を行って、別々に好きな人を作っていたかもしれない話でもある。

 小さい頃は恋とか愛とかは理解してなくて、そんな感情なんかもないきょうだいみたいな関係だった僕ら。

 繋がったのは終わりの数か月前で、終わったのもその数か月後で。

 でも、僕らはまた出逢い同じ道を歩こうとしているんだ。


「今なら言えるよ。もしも僕らが結婚したとしたら僕はどっちだってかまわない。レティと1つになれるなら、婿養子になってもいい」

「……馬鹿。もしもなんて言うな」

「……そうだね」


 そして、今だからこそはっきりと思える。

 遠く離れてあの時の曖昧な告白で付き合った時よりも、僕はレティを、ううん。彼女のことがあの時以上に大好きになっているんだ。


(まあ……恥ずかしくて面と向かってはまだ言えないけどさ……)


 未来はわからない。でも、今の僕らにはその先にあった可能性を語るだけで胸が暖かくなった。

 時間にしたら結構長い時間を2人並んで話をした。今までの人生でこんなにも2人で話したことは無いくらい話したのに、まだ物足りないと思ってしまう。


 けど、終わりって言うのはやっぱりあるもので、止まらない僕らの代わりとばかりに汽車は緩やかにブレーキをかけ始めた。

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