第109話 事件後のアヤカ

 事件の後、1週間ほどは学園の電話は休まることなく鳴り続け、職員一同で対応に追われていたりもいた。

 多くは情報の開示要求だったが、苦情や抗議、取材の申し込み、はたまたいたずら電話なんてものもあった。

 しかし、本部からの命令もあり、自分たちは秘匿義務を通した。秘匿と言っても自分たちはこの事件について語れることは何1つとして持ち合わせていない。

 何故ニホンを、アヤカを襲ったのか。不審船の出所。船内にいたという男(……あの魔法を生み出した3人の誰かだろうが)の犯行声明の有無等。

 こちらとしても不明なまま、事件は終息を迎えてしまっている。


 ただ時間が解決してくれるとはよく言ったもので。

 年末までは新聞、テレビにラジオと今回の事件について繰り返して放送していたももの、新年を迎え別の大きな事件が起これば、関心はあっさりとそっちに向けられ、今では去年起きた大きな事件程度に納めて消えていった。


 この事件で亡くなった海自の親族や関係者たちは未だ事件の近場であるアヤカ区に訪れては花束を贈り、悲しみに暮れながら黙とうを捧げる姿を見かけている。

 彼らにしてみては、大勢の人間が終わったことでも未だに続いている事件なのだろう。


「わからんでもないが、こおゆうのがニホン人らしいよなあ」


 と、隣を歩くサイトウが呟く。


 2人が自分たちの元から去ってひと月が経った。

 追われ慌ただしい日々の中、期末試験を目前にようやく落ち着いたころ、久しぶりに食事にでも行くかと2人で晩飯へと赴いる最中であった。

 ああ、そうだ。


「ん、なんだそれは?」

「シズクくん宛ての手紙」


 今朝、学園に1通の手紙が送られてきた。

 赤白青の3色で縁取りをされたエアメールである。手紙はこの学園の住所とシズク・レーネと書かれ簡潔なものだ。差出人の名前等は無い。


「もう野花ちゃんたちいないしな……って、勝手に開けていいのかよ」

「仕方ないだろう。火急の様かもしれないし、彼らがまた来るかなんてわからないしな」

「しかしなあ……」


 ぶつくさとぼやく癖に身を乗り出してサイトウも封筒の中へと覗き込んでくる。

 中には折りたたまれた手紙と、それに挟まれた1枚の写真が出てきた。


「へえ、赤ん坊か」


 写真は3人の人間が写っていた。

 微笑む女性と、彼女の胸に抱かれて眠る赤子、その2人の後ろに男性が肩に手を回している、というそこだけ見れば何とも慈愛に満ちたものだ。ただ、大人2人は痛々しくも頭や腕に包帯を巻いている。


 手紙にはニホン語で「拝啓、シズクくんへ」という前置きから始まる。

 自分たちの怪我はすっかり快調に向かっていること。赤子は無事に生まれたこと。今はエキナという人物に(あなたのお姉さんである……ってどういうことだ?)よって所在は伏せられているが海外にいること等、自分たちの近況に、シズクくんやフルオリフィアさんの安否を気にしている節もある。

 手紙の最後は『遠くに行っても元気でね』と綴られていた。


 どこを読んでも差出人の名前は無い。

 自らの顔を映した写真を送りながらも名前がないという不思議なものだった。

 手紙の方をサイトウに渡し、自分は写真を眺め続けた。

 男の子だろうか、女の子だろうか。どちらにせよ、母親とも父親とも似ている可愛らしい子だった。


「……サイトウ。この手紙と写真はお前が預かっておいてくれ」

「いいのか?」

「自分は失くしそうだからな。お前が持っていた方がいいだろう」

「あー……確かに、あの紙の山だからの部屋に不用心に置いたらどこ行ったかわからんよな」

「整理は苦手なんだ」


 サイトウの部屋もガラクタ置き場みたいなものだが、自分とは違って大事なものはしっかりと管理するやつだ。物ぐさな自分よりは安心できるだろう。

 自分たちは手紙と写真を見せ合いながら先を進む――。


 ――今回の事件、というか、あの2人に出会ったことで自分は大きな分岐点を迎えていた。

 それは自分がこの先どのように進むかという分岐点であった。


 始業式を終えて新学期2日目。

 自分が新年初めて受け持ったクラスの教室に入ると、ふといつもとは違った視線を感じて一瞬戸惑ってしまった。いつもの詰まらなそうな、拒絶を含んだ視線でない。

 教壇に立ちひとつ咳払いする。


『まず、教科書は閉まって欲しい』


 生徒が予想通りの反応を示す。こうなるだろうとは思っていた。


『これから授業プリントを配る。わからなければ随時質問をして構わない。自分もこの手順は間違っているかもしれない……今までしたことがなかったので、自分もまた試行錯誤の中にいる』


 渡した資料は授業で元々行うはずであった内容に沿って、自分なりに作り上げたテキストだ。


『これからは簡易的な実技を交えた座学を行っていこうと自分は考えている』


 このテキストの件は、他の付与魔法の教師にも話は通してある。

 去年の自分なら面倒だと内心毒づくであろう行為だ。他教師たちからも予想通り嫌な顔をされるも、試験運用してもいいと渋々と承諾された。

 今期中のテキスト作成と期末試験の内容、そして生徒の成績向上が見られた場合には続けていいとも言われている。


『教師の職について2年目だというのに、初めて君たちと向き合ったように思う。それだけ自分は君たちを見ていなかったことだ……けれど』


 ――結果、授業は良好の様でほっとしてる。


『これからは君たちと真摯に向き合っていきたいと考えている。教師として未熟な自分だが、改めてよろしく頼む』


 以前の暗雲とした授業とは逆転した和気藹々としたものとなった。少しばかり生徒の私語が多くなったが悪い気分ではない。私語と言っても授業に関係のあることばかりだ。

 実技を交えた授業は自分にも、生徒にも色々と刺激を与えるものになったのだろう。

 だいたい、サイトウに勉強を教えていた時のことを思い返せば、自分が受け持っているクラスの生徒は遥かに優秀だ。


 ……蛇足程度にあの魔法陣についてだ。

 彼らが去った後、魔法陣は何も反応は示さなくなってしまった。

 魔力の流れは通っているのに、意味も合っているのに、魔法陣は丸や三角に記号の書かれたただの図形と化しているのだ。

 しかし、これが後を引くことは無く案外気楽なものだった。

 この転移魔法……いいや、召喚魔法は他者に与えられた知識であり、自分が作り上げたものではなかったのだから。成果を上げなければいけないと思いこんでいた自分は、この魔法陣によって解放されたようにも思える。


 今年の試験は受けないことに決めている。この先受けるかも未定だが、限られた時間の中、じっくりと考えていこうと思っている。

 そんなことよりも今回の期末試験の問題配分の方が問題だ。

 生徒の理解力も高まっているし、今までよりも難しくしてみようかと画策していたり――も?


「おー来た来た。2人とも遅いぞ」

「え、シオミさんっ!?」


 向かった飯屋の矢先、見慣れた顔を見かけて思わず驚いてしまった。

 なんでシオミさんが? とふいに隣人がニヤけるのが見えた。


「お前か……」

「なんだ? アサガくんは私と一緒に食事がしたくないのか? それは悲しいな」

「いえ、そんなことは! 全然! 歓迎です!」

「ではよし。早く入ろう。ずっと外で待っていたからすっかり体が冷えてしまったよ。まったく、こんな美女を外で待たせるなんて失礼なことだと思わないか?」

「へえ、ワタリ女史。美女ってどこにいるんですか?」

「おお、コウ君。君の目は節穴になってしまったようだな」

「……ワタリ女史、俺もいい歳なんだからコウ君はやめてくれ」


 年末のちょっとした出来事にぎこちなさが残ってしまったが、今ではシオミさんとも以前と同じような距離感で話せるように戻った。

 それは果たしてうれしいのか悲しいのかは今の自分では口にするのもたばかれることだった。

 席に着いてもサイトウはいつまでもニヤニヤと意地悪そうな顔をして自分を見ているのが癇に障る。


「なんだ。私を嫌がった理由とはもしかして、エッチは話でもしようとしていたのか?」

「エッチな話って……」

「ワタリ女史は興味おありで?」

「ふ、愚問だな。生命を語るうえで一番大切なことは性行――」

「あー店員さん。注文お願いします!」


 そっち方向に向かいそうになったので思わずまだ決まってもいないのに店員を呼んで「とりあえずの生」と伝えて去ってもらった。

 まったく……頭を抱えそうになる。

 言われてなるべく意識しないよう抑えていたというのにあの日の晩の出来事を思い出してしまう。

 酒に酔っていたとはいえ、同意もないままに一夜を共にしてしまったのだ。

 シオミさんは無かったことにしたいのか、あの時のことは一切触れようともしない。自分も掘り起こしたいわけではない。

 けれど、それで終わらせる気もないわけで……。


「ぷはぁぁぁ……」


 こつん、と飲み終えたジョッキをテーブルに置いた。それほど力を入れたつもりはなかったが思ったよりも衝突音は響いた。


「もうどうすれば……」

「……なーんだ。おい、タツオミくぅん! さっきから浮かないなぁ! 今日くらいその小難しい顔をやめたまえよぉ!」


 何度目かの乾杯を終えた後、酒は深々と入ったらしい。

 顔をうすら赤く染めたサイトウが自分の背を強く叩く。こいつは酒飲むと一度にが外れる。


「なあなあ、そういや、結局おふたりのその後はどうなったわけ?」

「は……はあ? その後ってなんだよ?」

「だってよぉ、色々あってあの時は流しちゃったけど、おふたりはムフフ……一夜を明かしたわけでしょう?」

「ば、ばか! 今言う話じゃないだろうが!」

「いやいや、親友の恋路は気になるってもんじゃないですか!」


 先ほど掘り起こしたくないと思った矢先だというのに、酒の勢いでサイトウが掘り起こしてくる。

 たしかになかったことにはしたくはないが、まだ時期ではないだろう、なんて思いつつも、もしも期待を胸にシオミさんへと目を向けると、彼女は面白そうにへらへら笑いながら自分ら2人を見ていた。明らかに酔っているのは目に見えてわかる。

 

「コウくん。その話題でアサガくんを弄るというなら墓穴と言うものだ」

「へ、墓穴? 俺が?」

「そうだ。こんな私を追いかけてきた君が他人の恋路を突っつくのはお門違いだぞ」

「へ、へ、何を言ってるのやら? てか、追いかけてなんかねぇし!」

「照れるな照れるな。まあつまり――」


 ふふん、と得意げにシオミさんが笑う。少し頬を染めてだ。

 というかなんだ。薄い胸を張ってどうだとばかりの自信ありげな姿は。

 ふと、嫌な予感が――。


「つまり、私と寝たのは何もアサガくんだけじゃ――」

「ちょ、シオねっ……ワタリ女史! それは普通言わないでしょうに!」

「おい、コウくん。私は起きてしまったことを無かったことには出来ない性分なのは前々から知ってるだろ?」

「いやいやいや! 時と場合と場所とかあるでしょう! 空気読んでくださいよ! と……っ……タ、ツオミさ……ん……?」

「…………むう」


 サイトウの動揺っぷりに、思わず感づいてしまった自分が憎らしい。

 止せばいいのに酒の力も相まってか問い詰め、中学の時に1度だけ……シオミさんの知的好奇心からの提案であり、サイトウはなし崩れにそれに付き合ったと言うのだ。

 別に隠していたつもりはなかったとサイトウがこちらに謝りながら、シオミさんはどうしてサイトウが謝っているのかと何度も尋ねてきた。2つの意味でちょっと悲しくなった。


 しかし、これでまた気が付いてしまったこともある。

 嫌々ながらとその時のことを口にしながらもその言葉の1つ1つに彼の気持ちが乗っていることを。

 サイトウがシオミさんの見る目が1つ違って見えるようになってしまったことを。

 そうか。サイトウも……。


「ちなみに私の経験人数は君たち2人だけだ。つまるところ回数も2回しかない!」

「いや、誰も聞いてねえよ! って、やめろよ! 余計にこじれるだろうが!」


 はあ……と溜息をついた。「バッドだ……」といつものお決まりの言葉を口にして。

 しかし、存外悪い気はしない。

 本来ならサイトウと張り合うべきなのだろうが、こんな関係もありなのかもしれない。ジョッキを持って残りを口の中に流し込んだ。


 この先、自分ら3人がどのような関係になるかはわからない。

 複雑な心境だというのに、微笑が口から洩れた。





 自分よりも背が低く、まだ幼くも整った顔立ちに出るとこは出て引っ込むところは引っ込む。

 年上である自分の体形とは比べものにならないほど女性らしい身体つきをしていた少女……メレティミ・フルオリフィア。

 どんなに努力をしたところできっと手に入ることは無い遠い憧れ。


 最初に管理人さん越しに紹介された時の第一印象は、高飛車で生意気な子供。

 気を張っているのか気丈に振る舞うその姿勢に、寮生の誰もが距離を置く……なのに、ふと見せる自分は不幸だとばかりに愁いを帯びた表情を見せる。

 あの綺麗な泣き顔を見せた少女と同一人物だとは思えなかった。


 無性に腹の立つものでしかなかった。

 私が求めてやまないものを手にしながら不幸だと思う必要があるのか。

 もう片方の少女は野性的で、自由奔放でありながらも同じように美麗な女の子だったこともいら立ちは募るものだった。


 出来れば関わりたくはないと思っていた。

 けれど、私がアヤカ区の案内をすることになった。席を置いている学び舎は違くとも住まわせてもらっているかえで荘の中で私は最上級生であり、面倒見がいいからという理由からである。

 別に面倒見がいいわけではない。親切にしているのは自分が寮生に限った話だ。

 本音が言えるはずもなく、2つ返事で私は承諾し2人をアヤカの案内へと出向くしかなかったけれど。


 彼女は饒舌なニホン語を使い、たまに混じる英語とも違う外国語を使用した。言語まで堪能とは恐れ入りましたと内心で毒づくだけだ。

 ただ黒髪の少女に至っては何を言っているかわからない。

 見るもの全てに興味を持って、青髪の少女の腕を引いては指を指して何やら確認を取っていた。見た目以上に幼い行動に一緒にいるだけで気疲れした。


 このままでは面倒なことになりそうだと、私は近場のスーパーとコンビニ、自分が普段使わない飲食店の1つや2つを紹介し、後は自分で確認された方がきっと覚えるのも早いなんて丸投げするほどだった。飲食はともかく、スーパーとコンビニの位置だけ覚えておけば後は何とかなる。

 その時までは愛想笑いで固めた顔の下は、ぐつぐつと吹きこぼれそうな苛立ちを隠して接していた。

 だが、案外自分が単純なのだと気が付いたのは直ぐだった。

 彼女たちへのマイナスだった好感度は些細なことで逆転したのだ。


 彼女にしてみれば社交辞令的なものだっただろう。

 短縮した案内を終わらせて寮に戻ると、少女は感謝を口にし……笑ったのだ。


 ――私に向かって笑ったのだ。


 彼女の笑みに思わず見蕩れてしまった。

 煮えたぎった不満は社交辞令的な笑み1つであっさり鎮火させられた。

 心臓が深く胸を叩き、血が頭に昇るのは一瞬のこと。彼女の笑みは私の眼球から脳を伝って胸を抉った。

 別れ際では素っ気ない態度で別れはしたものの、自室に戻ってからは未知の感情に途方に暮れるありさまだった。


 考えた。

 別に考える必要はないというのに彼女のことを考え、考えて考え続けて、そして嵌っていった。考えるほどのめり込んでいった。

 目で追うようになった。

 1日2日、3日目を過ぎて青髪を見れば誰とも構わずすぐに目を向けてしまうほどだった。


 毎日と彼女のことを考えてしまう。

 彼女を観察し、何気なく挨拶をし、さりげなく接触を図る。

 次第に心を開いてくれたのか彼女の地が見えてくるようになる。

 理由は知らないが強気に見せた態度はどうやら振る舞っているようだった。

 そのことに気が付いたのは私だけで、私だけが知っていると思えば素直に嬉しく感じた。

 もっと彼女のことが知りたくなれば、次第に自分からもっと距離を詰めて行くようになった。


 目で追い、話しかけ、やや強引に誘う。

 お風呂に誘ってつい枷が外れ触り過ぎたのが悪かったのだろうか。きっと悪かった。


 お風呂の1件以降、彼女たち2人は私の中心にいるのに、私から遠ざかるようになった。

 あまりにも馴れ馴れしかったのだろう。次第に縮まりかけていた距離は開いていく。

 拒まれているなあ、とは薄々感づいていた。黒髪の少女に至っては目に見えてわかるほどに警戒をされてしまう。

 しかし駄目な私はここで今更引き返すことも出来ず同じ行動を取ってしまう。

 距離を縮めようとこちらから歩み寄る。

 また距離が空く。

 失敗したと自分の部屋で何度も後悔し、後悔してもやめられず同じことをまた繰り返す。

 もどかしくも楽しんでいた節はあったとは思う。


 11月の終わるころ。

 黒髪の少女が突然変わった。


 やんちゃっぷりが嘘のように消え、落ち着きのもった態度に丁寧な口調に変わった。一人称も名前から僕へと変わっていたし……。何が彼女の中で怒ったのかは想像も出来ないものだった。

 人が変わったかのようだとも寮生とも話した。いえ、あれはもう別人だ。

 マイナスではない。むしろ好感を持てた。

 口調の変化と立ち振る舞いは男の子っぽくなったものの、美麗な外見のギャップに心引き寄せられるものを感じる。


 私は意中の青髪の少女だけではなく、黒髪の少女も目で追うようになった。

 僅かに目つきは悪くなった少女であるが、とても優しく美しい子。

 以前よりも知的で、けれども警戒心は嘘のように消え、壊れそうな儚さを見せるようになった。


 儚く、ガラス細工で出来た一輪の薔薇。

 触れただけで粉々に散らばってしまいそう。


 また私の心を奪っていく。そして、私を狂わせる。

 そんなもの気が付かなければ、そんなものに見えなければよかった。

 知らなければ、私は思い留まれたのかもしれない。


 そして、あの晩の出来事。

 落ち込んでいた黒髪の少女を部屋に招いた。最初は善意から来るものだった。

 手を伸ばせば届く距離にいるということを失念した。触れられる距離で落ち込みを見せる彼女の優しい微笑みは私の心を曇らせるのには十分で――。


 触れたかった。

 謝った。

 でも止められなかった。

 ……止まらなかった。


 ただ知りたかっただけなの。2人のことをもっと知りたかっただけなのに。

 愚かなことをしてしまったとあの日から自分を責め続けている。

 ごめんで許してもらえるはずもない。

 けれども、謝ることは出来ずに別れを迎えてしまった。彼女たちはもうここにはいない。

 帰ってくることもなかった。


 結局、彼女たちに謝罪をする機会は得ずに私は学園を卒業しアヤカ区を発つ日となった。


「ねえ、管理人さん。せめて手紙だけでも送りたいの。2人の連絡先を教えてもらえないかしら?」

「……んー」


 管理人さんは気の乗らない生返事に、多少の間を開けて答えてくれた。


「俺も知らないんだよね。2人は学園から預かっていたってだけだし……あの事件のせいで海外にいる家族が戻って来いって帰国させられたって聞いたけど……」

「そう、ですの……」


 きっと管理人さんは知っているんだと思う。用意された回答を口にするような話しぶりであった。

 でも――と言いかけて、私は口を閉じた。


 聞いてはいけない、踏み入ってはいけないと言う空気をあの優しい管理人さんから放たれていることに気付いてしまった。

 私はそれ以上聞くことは出来ず、管理人さんに挨拶と一礼をし、3年間お世話になった寮を後にした。

 フェリーへと向かう道の脇、蕾のついた桜を見上げる。


 短く切りそろえ、卒業したことで元の色に戻った黒髪が風になびく。


「また、2人に会いたいな……」


 今度はちゃんと謝罪できるようにと。

 その願いは叶わないことを、私は薄々と気が付いてた。

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