第107話 お互いの記憶を結び合わせて
何気なく取った僕らの間隔。これはいつも僕と彼女がキャッチボールをしている時の距離だった。
ちょっとレティには遠いかな。
「あ……これ、遠い?」
――と、僕が聞くよりも前にレティが尋ねてきた。
「え? ううん、大丈夫! これでいいよ!」
「そう? じゃあ、いくよ!」
こうして、僕たちはこの身体になってから初のキャッチボールを始めた。
最初は前の身体との差異からか、ボールが思うように投げれず、強化魔法を使って慣らしてみるものの、調整にかなり苦労した。
レティが「下手くそ」とか「届いてないぞー」とか「無理してない?」とか「野球やってたって本当に?」といちいち小馬鹿にした嫌味を言ってくる。
それが冗談だとわかってもムカっ! と腹を立ててしまう。
(レティだって最初は届いてなかったのに!)
くやしいなあ。なんでだろう。調子は自分でも好過ぎるくらいほどなのに。
でも、あれって思った疑問も、久しぶりのキャッチボールに心浮かれてどうでもよくなった。
「普通にやれてるじゃん」
「まあね。これでもレギュラーだったんだから」
「さっきまでの下手っぴだったのが不思議だよ、ねっ!」
「もう、言わないで、よっ!」
和気藹々としながら2人でキャッチボールを続けた。
最初は簡単な掛け声のある中であったけど、暫くして無言で投げ合う。
気まずいとは思わない。むしろ、僕は楽しかった。
グローブの中に納まる乾いた甲高い音に、ボールに縫い目に指先を這わせる感触も本当……十数年ぶりのもの。
投げて取るだけっていう単調なことなのに、とてもわくわくと心を弾ませる。
本当に楽しい。
楽しい。
……楽しいはずなのに、レティの表情が浮かない。
どうしてだろう。
近くでリコががうがうと声を上げて自分で転がしているサッカーボールを追いかけている――。
「わたしさ。恋人がいたって言ったじゃない」
「……うん」
受け取ったボールを投げようとして、思わず止まった。
思いもしなかった話題にどう返事をしていいものか悩むけど「ほら、早くパスパス」と急かされてボールを投げ返す。
「よっ、と……ねえ、わたしは今でもあいつが、彼が好き。彼が好きなの」
「うん」
知ってるよ。そんなの。
知ってるから。そんなこと。
(でも、“今”言うことないじゃないか……)
レティの口から、誰かを好きって言葉を聞くと胸がちくちくする。
その想いが籠ったようなボールを受け取る。重い。
「シズクは? シズクは今でも前の彼女のこと、好きだって言える?」
先ほどの空気が嘘みたいに怖い顔をしてレティが僕を睨みつける。
言いなさい――と強要される感じの睨み。
(どうして……どうして、今言うの? どうして、今言わせるの? これが、さっき言っていた大事な話なの?)
僕の気持ちは、21日の前であれば素直に頷けたんだよ。
――そうだよ。彼女のことが今でもこれからも好きだ、って。
(けど……)
言葉に詰まる……けれど、これが正解なんだ。
自分に言い聞かせるかのように、僕も同じ言葉を口にする。
「僕も好き。今も、今でも、これからも……」
「そっか……」
僕はボールを投げ返す。レティとは違って力が抜けたヒョロ球だった。
辛うじてレティのグローブに届いたものの、収まった時の捕球音は無いに等しいものだ。まるで今の僕の気持ちを代弁するみたいに。
◎
「ねえ、君の恋人の話、聞かせてくれない?」
「僕の?」
情けない球を投げて項垂れかけた時、予想外の発言がレティから投げかけられた。
「うん、聞いておきたいんだ。自分のために」
「自分のため……?」
「ううん、なんでもない。嫌だったらいいよ。思い出したくないってこともあるしさ」
「……そんなことないよ」
レティの意図が掴めない。
でも、レティが望むなら――僕はその期待に答えたい。
「彼女は、そうだね――」
だから、少しだけ考える。
僕の彼女。あの子のことを……これで行こう。
「――短気だった」
「え? 短気?」
ぽかんとした表情を浮かべるレティ――よし、と思う。
まあ、こういう反応取るよね。
普通、自分の恋人の短所を先に口にする人はいない。でも僕にとってこれでよかった。僕は続ける。
「うん。結構怒りっぽい。あと意地っ張りであと思い込みが激しいところがあったかな。でも、自分の間違いは直ぐに謝れる人だった」
「ふーん、じゃあ可愛かった?」
「普通だよ。どこにでもいるような普通の女の子。男子の中に1人混じって野球をしてたけどね。でも、僕はそんな彼女が好き……好きだったんだ」
野球をやっていた頃の彼女はボーイッシュな子だった。
短い髪のせいか、子供のころは男の子だと良く間違われてたっけ。僕もまだその頃は男友達と同じ距離感を持って彼女と接していた。
でも、いつからか、練習が終わった後、彼女は最後に着替え始めるようになった。
その頃あたりに、やっぱり彼女は女の子なんだって思うようにもなっていたんだ。
「中学3年の半ばで野球を辞めちゃったんだ。どうして? って聞いたら“女子じゃ甲子園いけない。それどころか公式戦にすら出れないから”ってね」
「……そうだね。女子じゃ大会出れないからね」
「やめることは前々から考えてたんだって。この身体が女の子である限り、同じ土俵には上がれないからって無理して笑って。本当はとっくの昔に気が付いてて、惰性で続けてたってことも」
……でも、知ってるんだ。大好きな野球に参加できなくて、泣きそうな顔をして悔しがっているところを。
「……その子の気持ちわかる。わたしも、同じ境遇だったもん」
「レティも?」
「うん。わたしも。レギュラーよりうまい自信があった。だけど、結局最後までレギュラーに選ばれることはなかった。監督からフェアプレーにならないからやっぱり女子は試合には出せれないって1人の時に言われてね。そっかーって感じ。いつも強面の鬼監督が申し訳なさそうに謝ってきたんだ。逆にこっちが申し訳なくなったよ」
部活を僕らよりも先に引退した彼女は、それから髪を伸ばし始めた。
最後……ううん、あの日までには腰上あたりまで伸びていた。
「僕は、出来れば続けてほしかったんだ。だけど、そんなこと言えなくてね」
彼女の長い髪は絶対に野球はやらないという誓いにも見えて、僕は口にすることは出来なかったんだ。
言ったところであの性格だから、こっちの話なんて聞きやしなかっただろうけどさ。
「だから、僕は彼女の分まで頑張る決意をしたんだ。彼女のために、僕が野球を続けるって」
「……そう……なんだ」
それから先、同じ高校に進学し、僕だけが野球を続けた。けれど、彼女は一切野球部には近寄ることは無かった。
それなのに休日になったらなったでキャッチボールしようとかバッティングセンター行こうとか突然誘ってくるんだ。
僕が自主練をしている時は絶対にバッドにもグローブにも、それどころかボールにも触らないくせに。
ん……?
「どうしたの?」
気が付けば、レティは頭を抱えて唸りだした。
「う、ううん……なんでもない。なんか、その彼女さん……すごいわたしに似てるわ」
「そう、なの?」
「わたしも野球辞めたくせにまだ片足抜け出せていない状態だった。彼を誘ってよくキャッチボールとかしてたわ」
「今みたいに? 突然? 相手の都合とかお構いなしに?」
「なあにその言い方? ……ええ、そうっ! そうよっ!」
「おわっ!」
誤魔化すかのようにレティが剛速球を投げてくる。
これは魔法の力を十分に籠めて投げたな。グローブ越しなのにすごい痛い。
「痛っ……!」
「あ、シズクっ!?」
レティは驚きながら駆け寄ってきた。「だ、大丈夫!? ごめん、力入れ過ぎたかも」なんて謝ってきても遅いよ。
グローブを抜いてひらひらと振った左手をレティの冷たい手に包み込まれる。
「あ」
近距離のレティの顔に驚いて、握りあっていた手を恥ずかしそうに離して互いに背を向けてしまう。
(おかしい。絶対おかしい。前まではこんな距離普通だったのに、手だって何度も繋いだのに……)
こんな些細なことで動揺してる僕がいる。
振り向き覗き見たレティも……耳が赤い。
僕と同じ気持ち……? そんな、はずないよね。
動揺を隠そうと僕は話を続けた。
「それから2年生に上がる前に僕たちの関係が変わったんだ」
「え、あ、ああ。どういうこと?」
「彼女を好きだって言う人が現れたんだ」
「あー……」と納得したかのようにレティが口を開いた。
「第三者の登場で意識し始めちゃったのね」
「そうかな……ううん、違う。僕たちの場合はそうじゃない。意識はしてなかった」
「してなかった?」
「少なくとも僕は意識しはじめていたけど、彼女の方はわかんない。だって僕は聞いてないんだ。彼女から好きだって」
「聞いてない? 付き合ってるのに?」
「そう。でも、僕らは付き合い始めた……きっと逃げたんだ。今の関係を維持するために」
それでも僕はよかった。
こんな形でも僕は1歩進めたと思ったから。あの桜の日から――。
(桜の日、僕らが付き合うことになった……あ)
ぷっ……と吹き出してしまう。
そうだ。あの時の彼女の顔は今まで見たことが無いくらい真っ赤だった。
そりゃあ、あんなこと口にするなんて誰だって恥ずかしくなるに決まって……そう。
同時に以前、ルイになんであんなことを言ったのか。今になって理解した。
ああ、なんだ。
(ルイに僕のものになるようにって言ったのは……彼女に影響されたんだ)
こんなとこまで僕の中に彼女がいた。
「何よ突然笑って」
「ううん、ちょっと僕たちが付き合うことになった日のこと思い出した。……2年生に進級する前の春休み。桜が満開だったあの日、僕らは今みたいにキャッチボールをしてて、そこで今回の話をしたんだ。相手は僕の同じクラスの人だと言うと、彼女は目を丸めて驚いてたんだよね」
「……え、桜? 春休み? ……え?」
「そんな驚くこと?」
「う、ううん。違うの。続けて……(流石に境遇が似すぎ……いや、でもまさか……)」
「……そう?」
ひとりぼそぼそと呟くレティを不審に思いながらも、先を促されたので続ける。
「驚いたことに彼女もまた僕に言うことがあって、中学の時に後輩だった女の子、野球部のマネージャーだった子が僕を好きだって話をしたんだって。来季から僕らと同じ高校に上がって、また野球部のマネージャーをするって。そして、僕に告白をするって……。人から言われたことだとしてもちょっと驚いちゃってね――」
「…………え、元マネージャー? 後輩の?」
その子のことは中学の頃しか知らないけど、結構かわいい子だった。
でも、気の多い子で、とっかえひっかえで彼氏を作ったりしてて、お世辞にも同性からは評判のいい子じゃなかった。
そんな子がどうして僕なんかを好きになったのかは今のあの頃もわからない。
「――けど、僕は喜べなかった。そして、彼女も。そして、選んだのがその遊びみたいな恋人の関係――」
「待って!」
レティが大声を上げた。
「……どうしたの?」
「……ごめん。ごめん。なんでもない」
……この時に気が付けばよかったのかな。
「僕たちは近すぎたんだと思う。付き合ったと言っても何もなかったからね。でも、それだけで僕は満足だった。こんな形でも恋人同士になれてよかったって思ったんだ」
レティの動揺に気が付かず、僕は自分語りに夢中になっていた。
自白を吐き出すように自分に酔っていた。
「ただね。今では後悔してるんだ。僕たちは付き合うべきじゃなかったのかもって」
「なん……なんで? どうして?」
「もしも僕らが付き合わなきゃ彼女は死ななかったかもしれない。――僕があの子を殺したようなものなんだ」
「殺した……?」
「……うん」
口が重くなる。
話していいものなのだろうか。
「それ以上聞いてもいいの?」
「……レティが構わないなら」
レティは小さく頷いてくれた。
続ける。
「震災に遭った。そして、回り回ってそれが原因で彼女は僕を庇って死んだんだ。色々あってね……僕がしっかりしていれば防げたんだ。だけど、僕は、泣きじゃくる彼女を僕は、忌々しく思いながら抱きしめただけだったんだ」
そして、僕は彼女を見殺しにした。
あれは二次災害によるものだ、なんて考えは出来るはずもない。
その地震が自然現象ではなく、誰かによって起こされたことだとしても。
あれは僕が招いた死だった。
「――大きなブロック片が僕らに落ちてきてね。僕を突き飛ばして彼女は……」
度々考えるんだ。
もしも僕らが付き合わなきゃ彼女はあそこで死ぬことは無かったんじゃないかって。
僕を探して避難所を探し回ることもなかったし、あの公園で泣くこともなかったし、その後で男に襲われることもなかったし、あの場所に向かうこともなかったんじゃないかって。
だから、あれは僕が彼女を殺してしまったんだ。
「最後に彼女笑ってたんだ。涙で濡れたぐちゃぐちゃの顔でさ。あの顔はいつまでも忘れられないんだ……ほら、僕が目覚めた初日の夜に悪夢を見たって言ったよね。毎回その時のことを見る。いつまでも忘れることが出来ないんだ」
これが僕と彼女の最後だと、ここで話を終えた。
案の定、レティは真っ青な顔をしている。
こんな話を聞かされて気分の良い人なんていない。
「ねえ……」
弱々しくもレティが口を開い――。
「……付き合う日、彼女さんが君に言った言葉って“君はわたしの物になりなさい。代わりにわたしは君の物になるから”……って言わなかった?」
――え?
◎
「……なんでそれを?」
はっと驚いたようにレティは目を見開く。
どうしてそのことを、とか考える間も与えずにレティは続ける。
「もしかして、君はシズクになる前に、家族を2人、ううん。お母さんとお父さん、それに……お母さんの中にいる赤ちゃんを3人亡くしてない!?」
「……っ!?」
手からボールがこぼれ、落ちる。
そんな話、僕は誰にも……ラゴン以外には、誰にも言っていないんだ。
それこそ告白の内容なんてラゴンにすら言ってない。なのに、なのに……。
唇が震える。訊ねようにも、言葉が紡げない。
足が、震え……。
レティが震える口元を押さえ、それでも懸命に言葉を紡ぐ。
「わ、わたしは……自分の恋人を……彼を探して各地の避難所を毎日探し回っていた……」
――何を言っているのか理解できなかった。
「それで、あいつに会って……公園に向かって……それから気が付いたら男に襲われてて……」
――聞き間違いだろうか。
「わたしたちは……気が付けば駅近くまでいて……そこで泣いてるわたしをあいつが抱きしめてくれて……わたしはあいつを突き飛ばし――これがわたしが毎回見る悪夢の内容なの」
――嘘だと、思いたかった。
レティの、彼女の表情が凍り付くみたいに固まり、その顔を両手で隠した。
次第に肩が震えだし、嗚咽が隙間から洩れる。
「そんな……こんなのって……わたし、わたしずっと……」
「……ごめん」
レティがあの子だった。
目の前の少女があの子だった。
夢でいいから――会いたかった。話したかった。触れたかった。もっと一緒にいたかった、あの子だったんだ。
「……ごめん」
……なのに、もっと言うことがあるはずなのに、ごめんなんて言葉しか僕の口から出ない。
「ごめん。僕が、僕のせいで君を殺しちゃったんだ。僕があんな場所に行かなきゃ君は前の世界にいられたのに……」
「……ぐすっ……許さないっ……!」
「……」
覆った手を離して涙で濡れた目で僕をきつく睨み付ける。
「もう……離れるな。ひとりぼっちにするな。ずっとそばにいろ。じゃないと許さない!」
離れたのは、そっちだろ。
ひとりにさせたのは、そっちだろ。
「こんな……僕でいいの? 君を……殺し、ちゃったのに?」
「そんな君じゃないとやだ。わたし、ずっと、会いたかった。許してほしかったら……もう離れないって約束しろ」
いつだって君は勝手だ。
でも、だからこそ僕は彼女を好きになったんだ。
「うん……もう1人にしない。ずっと一緒にいる。君を離さない」
「……頼んだからね」
寄りあい2人で両手を重ねて強く握りしめる。
互いにこの場所にいることを確かめるみたいに。
「泣き虫……」
……指摘して、涙が流れていることに気が付いた。
思えば、いつも悲しいことばかりで泣いていた。
この身体は感情に敏感で簡単に――ううん。そんな言い訳はいらない。
今は嬉しくて涙がこぼれた。
これはシズクの身体じゃなくて僕自身が流したものだ。
「今の君には言われたく、ない……」
静かに僕の心の奥から流れ落ちてゆく。
僕の心から雫がこぼれていく。
「ごめん……変なこと言って……でも、どんな形でも、君と再会できたことが、わたしは、とてもうれしい」
「ぐすっ……僕も会えてうれしいよ……もう一度――と……っ!?」
「……どうしたの?」
「……君の名前が言えないんだ。こんなにも、こんなにも会いたかったのに心の底から君の名前を叫びたいのに君の名前が出ないんだ……」
「わたしだって同じだよ……君の名前を口に出来ない。……歯痒すぎるよ」
彼女の名前を口に出来ないのがとても辛い。
でも、そんなことは直ぐにどうでもよくなる。今はただ、彼女に会えたことを喜ぶことが第一だったのだから。
彼女が顔を上げて僕を見た。
「……ねえ、もう一度いい?」
「なに?」
「えーっと……その……」
「どうしたの?」
頬を赤くして、ついでに長い耳を真っ赤に染めてはにかむような困ったように口をもごもごと動かす。
あれ、これ以前にも見たことがある――なんて思いだす必要はなかった。
彼女が言う次の言葉は僕は知っているのだから。だから、代わりに僕が先に言う。
「僕は君のものになる。だから――」
「……さ、先に言わないでよっ!」
「いいじゃん。で。ほら、続き」
「だ――! ……わたしは君のものになる! だから――」
最後は言葉を合わせて。
『――君はわたし/僕のものになって!』
今度こそ、本当の意味で。あの時の恋人の延長線じゃなくて本当の意味で。
そう願った。
◎
2人で見つめ合う。
涙を流して、困ったような嬉しそうな顔をしたレティの顔が目の前にある。
僕はどういう顔をしているんだろう――迷うことは無かった。
僕もきっと今目の前にいる逢いたくて仕方なかった想い人と同じ顔をしている。
涙に濡れたレティの目がおもむろに閉ざされる。僅かに顔を傾けて。唇が結ばれる。
僕も習って目を閉じる。そうすることが当たり前だと身体が勝手に反応して。
そして、目を閉じ、ゆっくりと、ゆっくりと彼女の顔に――。
「――……みゅう」
「「ひぅっ!?」」
と、リコの鳴き声に思わず2人して飛び跳ねてしまう。
「り、リコ……!」
「あ……リ、コちゃん……!」
さっきまで1人でじゃれていたボールを前足でいじりながら、リコは僕らを見つめている。
その表情は『なぁに2人でいい雰囲気出してるんだ』という呆れた感じのものだ。というか、若干不機嫌そう。
「みゅ~う……」
もう1度啼いた。
今度は、しっかりとわかる。不機嫌だ。
「そ、その……後で説明するから」
「そ、そう! リコちゃん話せばながーいの、ね! ね!?」
「みゅうみゅう! みゅみゅみゅみゅう!!」
「ああ、やっぱり怒ってる!? なんで、なんでリコ怒ってるの!?」
「みゅうっ!」
知らない! なんてぷんって拗ねられても僕にはさっぱりだよ。
僕らは直ぐに両手を離し、2人して時間をかけてリコをなだめる他にない。
また最後にリコと約束していたボール遊びに興じて時間は瞬く間に過ぎて行く。
グローブとボールを倉庫に戻し、鍵を返すと外は真っ暗だった。
気をつけてな、とサイトウさんに見送られながら、僕たちは余所余所しくも並んで寮へと戻っていった。
ボールで遊んでいる最中のリコはご機嫌だったのに、今は無理やり僕の背中に捕まったままだ。
しかも、ぐいぐいと僕の髪を“強め”に甘噛みしてくる。
「……」
「……」
いつもと同じ帰り道なのに、僕たちの間はいつもとは違った空間が出来ている。
僕も彼女もどうして距離を取っているのか、きっと気恥ずかしかったからだろうか。
その空気を良しとしなかったのか、外灯の下でふと彼女が立ち止った。
「あーあー、なんて日なの……。せっかくわたしシズクのこと吹っ切ろうとしたのにまさか、あんたが元カレってあんまりだわ」
「え!? どういうこと!?」
「あーはいはい。わたしはシズクのことが好きになってたのよねー……あー……あんなに悩んでいた自分が馬鹿みたいだわー……」
「ちょ、ちょっと待って!? 僕がいるのにシズクを好きになってたって言うの!?」
いや、シズクは僕だけどさ、っていうか、元カレ扱い!? 過去の男なの!?
僕の態度が気に入らなかったのか、彼女は僕をちらりと見て口元を吊り上げる。
「……じゃあ、逆に聞くけど。君だってレティのことけっこー気にしてなかった? サイトウさんのこと話してた時とか、わたしが彼氏のことを好きだって言ったとき、嫉妬してたよね?」
「ふぐあっ!?」
けたけたと笑い始めて先を進む、彼女にぐぬぬ……と声を上げるしかない。
ずるい。こんなの不公平だ。やられっぱなしは辛い。
なら、と僕だってやり返す。
「ねえ?」
「なに?」
「さっき、君の“元”彼氏さんに好きだって伝えたって言ってたよね」
「え、何を突然?」
「いいから答えてよ」
「何よ。もう……あんな形からでも付き合うんだもん。好きだって言った…………はず?」
それは、嘘。
僕の口元がにやける。
「僕、1度も聞いたことないよ。(僕も言ったことは無いけど)君から好きだって言われたことないよ?」
「そん……嘘?」
「ほんと。……ねえ、好きって言ってくれないの?」
「……っ! ばっ、い、いうわけ……~~っ! シズクの馬鹿!」
顔を真っ赤にした彼女に、レティに頭を強く殴られた。
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