第98話 疑似的な家族団欒
用意された換えの着替えは2つ。上下色の揃った水色と黄色のパジャマだ。
色合いからして僕が水色の方だと思ったんだけども、先にお風呂から上がったお姉さんから手渡されたのはぐちゃぐちゃになった黄色のパジャマだった。
ちなみに、僕が着ていた制服は勢いよく音を立てる洗濯機の中を泳いでいる。
「一度そっち着たけど、ボタンが止まらなかったの」
「止まらないって……」
水色のパジャマに着替え終わったお姉さんが手団扇で仰ぎながら答えた。
水色のパジャマは僕が袖に通した黄色のパジャマよりも一回りほど大きいのに、お姉さんの胸を窮屈そうに仕舞いこんでいる。その上、お姉さんは上2つまでボタンを開けていて、その隙間からは豊かな胸元を覗かせている。
逆にお姉さんがきついと言った黄色のパジャマは僕には若干大きいくらい。
これが今の僕と彼女の体格の差だ。
男と女、歳の差、そんなものが無くてもお姉さんが僕を子ども扱いするのは当然だったのかもしれない。
ユウコさんが用意してくれた変わりの服に着替えて僕とお姉さんはリビングへと向かった。
リビングに続く短い廊下には新品の紙おむつのパックがいくつか置かれていた。
そう、僕の家もこんな感じだったのを思い出す。
(ユウコさん、もうそろそろ子供が生まれるんだもんね)
紙おむつのパックを尻目にリビングの扉を開けると、お風呂とは違った暖気と美味しそうな香りが迎えてくれた。
「お風呂ありがたく貰ったわ」
「どういたしまして。2人じゃ狭かったでしょう?」
「うん……」
「まあねえ。でも、気持ちよかったわ」
「ふふ、仲がいいのね。あの子が知ったら呆れられるんじゃない? 大丈夫?」
キッチンで料理を作っていたユウコさんが顔を見せて僕に言う。
あの子って……ああ。
「……別に彼女とはそんな仲じゃありません!」
「そう? なら――」
「……けど、言わないで!」
「ふふ、了解です!」
ユウコさんが意地悪そうに笑う。
例えレティとは友達……であっても、さっき会ったばかりの人と一緒にお風呂に入ったなんて知られたら、それはもうどんな目で見られるかわかったもんじゃない。
もっと重要な、真剣なことを話さなきゃいけないのに、その前に変な火種を抱えることもない。
「もうすぐ準備終るから、そっちに座ってて」とユウコさんがテレビ前のこたつを指さした。
そこには男性がこちらを背にしてテレビを見ていて、僕らに気が付くなり振り向き驚いたような顔をする。
「おー……美少女姉妹の風呂上り艶姿か」
そう、顔の頬を緩め、鼻の下を伸ばしながら、その人は嬉しそうな顔をして僕ら眺め出す。
「もう、トオルさん。また殴られたいの?」
「い、いや、すまん。ごほん、2人ともちゃんと温まったか?」
「え、ええ。いい湯でした」
この人はカナギトオルさん。
ユウコさんの旦那さんだとは、ここにたどり着くまでにユウコさんが教えてくれた。
何故か左頬が赤くなっているけど、どうしたんだろう。
「ああ、これはユウコさんに殴られてね。名誉の負傷だ」
「覗きのどこに名誉があるんですか。まだグチグチ言うならトオルさんの分だけ晩御飯出さないよ?」
「そ、それは勘弁して」
……そういえば、お風呂に入って直ぐ、浴室の外でトオルさんとユウコさんが何やら騒いでいたっけ。
まあ、覗き云々は置いておいて、晩御飯?
こたつの上には4人分の受け皿とお箸に茶碗。真ん中にはコンロが置かれている。
「もしかして、2人とももうごはん食べ終わってた? だから、食後の運動で海に入ったの?」
「いえ、まだ。それと、違います……」
そうだ。今日は結局サイトウさんのごはん食べ損ねちゃったんだ。ちょっともったいない。
ただ、喉を通るかって言われたら通らなかったけどね。
お姉さんは「いいわね」と口にしながらこたつへと近づいて腰を落とした。
「ワタシもどこかの馬鹿に付き合ったおかげで食べそびれたのよ。ぜひいただくわ」
棘のあるお姉さんの言葉に思わず視線を逸らす。助けてもらった手前何も言い返せない。
お姉さんは「何これ! めっちゃあったか! これが有名なコタツ!! すげえ!」と喜んでいた。
「ほら、じゃあシズクくんも席についてって、あ……えーっと……そういえば、お姉ちゃんの名前聞いてなかったわね。教えてもらってもいいかしら?」
そういえば。
この人の名前、ずっと知らないままだった。
お姉さんは「ああ」と口にし、1つ咳払いをしてにっこりと笑う。
「ワタシはエキナ・レーネよ」
「レエネちゃん?」
「あー、ううん。そっちは家名。エキナと呼んで」
「ああ、外国の人だったのか? ニホン語上手だねえ」
「ワタシの場合は魔法で翻訳してますからね。この星であればどの民族ともコミュニケーションがとれるわ」
え、何その魔法便利。でも、そんな魔法本当にあるの?
僕1人がびっくりしているのに、カナギ夫婦は「なるほどー」と直ぐに納得していた。
結構ポピュラーな魔法なんだろうか。
「じゃあ、シズクくんもレーネって名字? 名前からてっきりニホン人かと思ってたけど、違ったのね」
「レーネ?」
ん?
ユウコさんの質問についオウム返し。
「え、違うの? シズクくんもレーネくんでしょう? お姉ちゃんが……あ、もしかして私まずいこと聞いた?」
ユウコさんの顔が曇る。
(あー……どうしよう)
視線をお姉さん……エキナさんに送っても、しらっと無反応。はあ……仕方なしに頷くことにした。
「う……ううん。そう、そう。うん。レーネ。そう、シズク・レーネ」
「よかった。深い事情があったりで姓が違うのかと思った」
ほっとしながらユウコさんが「じゃあ、もうすぐできるからね」と声を弾ませて僕らに背を向けて料理を再開し始めた。
唇を尖らしながら僕はエキナさんの近くに座って、小声でささやく。
(どうするのさ……僕、別に……ええっと、エキナさんの弟でもないのに)
(いんじゃない? 別に。面白そうだし、このまま姉弟としてやっていけば)
(僕ら全然似てないよ)
(そう? 髪の色が同じだし、長いし……目の色だっていっしょだし。そんな気にすることないじゃん)
(それ、違うよね? 親族的特徴じゃないよね? むしろそれで通るなら、大半の人間が親戚になるよね?)
(もううるさいなー。じゃあ腹か種の違いでいいじゃない)
(腹と種って……)
その表現はどうなんだろう。
でも「はいはい、その話はやめ」とエキナさんはテーブルに顎を乗せて「あーほっかほかだあ」なんてぬくぬく顔を綻ばせた。
(本当に身勝手な人だ。じゃあもうあそれでいいよ……。僕も同じくこたつを楽しむもん!)
こたつに入ってご飯を食べるなんてすごい楽しみだ。一体どんなもの出してくれるんだろう。
「コンロがあるってことはお鍋かな? お鍋いいよねぇ……」
あっちの世界でもイルノートが作ってくれたっけ。
味はコンソメに近い塩味をベースにしたもので、お肉は少なかったけど近くの食べれる山菜を拾って……焚火の上に鉄鍋をセットしてイルノートが取り分けてくれたんだ。
毎回、この鍋になった時には僕は食材調達でルイと競って……あ。
「あ、そうだ! ユウコさん、僕も手伝うって!」
「いいのよ。シズク君はお客さんなんだから。座ってて」
「ううん、やらせて! ユウコさん妊婦さんなんだから、お鍋位なら運べるよ!」
「そう? トオルさんに運んでもらおうと思ったんだけど……うーん。シズク君お鍋持てる? 重いよ?」
「任せて」
出来立てのお鍋を両手で掴んで、2人の元へと持っていく。
力持ちね、なんてユウコさんが褒めてくれたけど、火の活性魔法で筋力を強化しているからこんなのは楽々だよ。
あ、この具材って……。
「今日はおでんよー。大根と卵は昨晩から煮込んでるから、味は染み込んでて美味しいと思うの!」
「わお、これオデンっていうの? すごい初めて!」
「ユウコさんのおでんはうまいぞ!」
おでんかあ。これも久しぶり。
「シズク君は食べたことあるの?」
「え、うん。あります」
コンロの上にお鍋を置いて、ユウコさんの身体を支えてゆっくりと座らせる。
それから空いた場所へと僕も座って食事の合図を行う。いただきます。
自分で取れるのに、トオルさんが僕ら3人の器へと取り分けてくれた。
ちくわぶと煮卵に輪切りになった大根だ。
「まずはそれを味わってユウコさんの味を知ってほしい」とトオルさんが言い、にっこりと笑ったユウコさんも混ざって、僕ら2人へと視線を送ってくる。
(え、そんな見られたら食べづらいんだけど……)
仕方ないので2人に見られながらも、つやつやの大根を1口サイズににつまんで口に運ぶ。
汁の浸った柔らかく熟した大根が軽く噛んだだけで口の中でその身を崩していく。
ああ、トオルさんが絶賛するわけだ。
「……すっごい美味しい」
「よかったー! シズクくんもっと食べてね」
お腹を労わりながらユウコさんが微笑む。
先に食事を始めさせてもらった僕らを見届けて、2人はお茶を注いだコップとビールの入ったグラスを交わして食事を始めた。トオルさんがユウコさんの分を取り分ける。
「くぅ……ふー! にゃぁあ!」
エキナさんは箸が苦手なのか、苦戦している。「フォーク持ってこようか?」というユウコさんの言葉にエキナさんは首を振って「これでいいわ。郷に入れば郷に従えってね」プルプルと震える箸先に掴んだ大根を口に運んで、
「へえ、美味しいじゃない。薄味ながら具の奥まで染み込んだスープが口の中に広がる。これが和の料理。ユウコ、あなた料理上手ね」
「喜んでもらってうれしいわ」
エキナさんは偉そうだけど、顔をホクホク満足げで箸を進めていく。いつしか握り箸で刺して食べ始めた。
海外の人だからその作法は目を瞑るとしても、その意見には同意。
ユウコさんのおでんは今まで食べた中でも1番おいしい。
僕も熱い煮卵を口の中で転がしてしまう。熱いけどそこがいい。とても美味しいんだ。
「ところで、シズクくんって本当に男の子なのか? 女子の制服着てたよな……」
「ええ、男の子よ。私、さっき服を脱がす時に見たし」
「……もしかして、何か俺らには言えない事情が?」
「ま、まあ……そんなものです」
食が進むと談話にも花が咲く。
僕とエキナさんは結局きょうだいってことで話を通した。
ニホンに留学していた僕へと旅行も兼ねてエキナさんが様子を見に来た、という設定だ。
僕らの話から学園の話となり、そこは数日程度の学園生活に脚色を加えて話していたけど、次第にカナギ夫婦の馴れ初め話が始まり深くは追及されることはなかった。
どうやら2人は同じ学園の卒業者らしい。
ちなみに、ユウコさんが僕らのもとに現れたのは、彼女が以前持っていたパーソナルスタッフが関係している。
彼女は触れたユーザーを追跡できるっていう能力を持っていたという。
卒業してからは一度たりとも発動しなかったと付け足されて。
「卒業して魔法が使えなくなってから無縁のものだと思ってたのに、突然ビビっと来てね。これはもう行かないとって」
「けど俺は行かせたくなかったんだからね。外は真っ暗だったし……」
「でも行ってよかったでしょう? 行かなかったら、きっと明日の朝刊でシズクくんの記事が出ちゃうかもよ?」
「結果的に見ればそうなんだけどさ……。ま、もういいや。過ぎたこと。こうして美人姉妹2人とお近づきになれたわけだしね。特にエキナちゃんのそれを拝めたのは1番の収穫か。いやはや、大変立派なものをお持ちで……」
トオルさんの視線はエキナさんの胸元にがっつりと注がれている。
でへへ、と顔を緩ませるトオルさんにエキナさんは「ああ」と声を上げて、微笑を浮かべてわざと胸元のパジャマを指で横に広げて見せた。
あ……。
「……トオルさん」
「い、痛っ!」
トオルさんが突然跳ねあがって悲鳴を上げた。
僕からは死角で詳細は不明だが、ユウコさんがトオルさんの背に腕を回して何か仕出かしたのだろうと思う。
ユウコさんの顔は笑ってるのに怖い。
「エキナちゃん駄目よ。女の子がそんな真似しちゃ」
ぷんぷんと頬を膨らませてユウコさんが可愛く怒る。
「そうなの? あれ、同僚の子がこれは男性に対するサービスだって聞いたけど……」
「そんなサービスはありません!」
どんなサービスだ。
でも、僕は呆れるでもなく、むくれるユウコさんにトオルさんが平謝りをする姿に思わず微笑んでしまう。
そんな小さなことなのに僕は笑ってしまう。声を漏らし、頬を緩めて。
そして、ちょっと――。
「あー、ごめんって……ん……シズクくんどうした!?」
「え……何?」
トオルさんが僕を見て驚き声を上げる。
「何って、泣いてるじゃない! どうしたの!? どこか痛いの? それとも、料理がまずかった!?」
「シズクくんっ!? え、美味しくなかった!?」
「……シズク」
「え、あれ? あれ? ううん、美味しいよ。……何でもない。なんでもないよ」
慌てて目元を袖で拭う。
心配する2人に精一杯なんでもないことを伝えようにも、逆にもっと心配されてしまった。
泣いている自覚は無かった、でも、泣きそうになったのはわかった。
理由は2人の姿が以前の僕の両親の姿に被って見えたから。2人を見てて思わず喉元から熱いものが込み上げてきたんだ。
「たく、あんたってホント泣き虫ねぇ」
「う、うるさいなぁ!」
感極まって泣いたことを知られるのは嫌で、そんなこと恥かしくて言えないから、僕は辛子のせいだと言うことにした。
おでんは、本当に美味しかったんだ。
◎
その夜。
日付が変わり、深く濃くなる闇夜の海の底から“それ”は浮上した。
まずはそれの顔とでも呼べる不格好な艦橋が水面を裂いて姿を見せる。
続いて目を惹く主砲、形だけの煙突、無数の機銃に茶色に変色した甲板から、浮上により持ち上げた海水を盛大に吐き出している。
“それ”の姿は以前とは別物であり、見た目は整っていても、中身は無数の屍を付き足した継ぎ接ぎの身体だった。
元々敵対していた存在をも取り込み、形を取り繕ったのだ。
闇夜の中でも船首の金紋が神々しく煌めきを見せる。
浮上によって持ち上げられた海水があちらこちらから流れだす。排水で流れ出る海水に濡れた甲板には無数の魚の死骸が打ち揚げられている。
どれも大なり小なりその身を欠損した魚だった。
浮上した勢いで流されていく魚たちを、“それ”の周りを浮遊する無数のカードが紫電を飛ばして貫いた。死骸は紫電を浴びて瞬く間にその身を散らす。
その後、カードに揺らめく紫の光はより一層強く発光する。
久しぶりの母国の海に“それ”は感傷に浸った。
ひと月ほどの時間をかけてここまで来た。
南国の海よりも冷たい海水に、吹き付ける冬の風は、濡れた鉄の身体を何度も撫でていく。久方ぶりに外気に当たったためか、船体のあちらこちらでキシキシと音を立てる。
ただ、“それ”は思った。
――奇妙だ。
言葉にするならば空気が違うとでも言うのだろうか。
血肉の通らず、本来存在していなかった“それ”は、海水に濡れた鉄の肌で感じる。
以前とは異なるもの。
まだここからでははっきりとは確認できないが、目と鼻の先にあろう場所は見間違えるはずもないのに、この場に流れる空気が別物に感じてしまう。
――何故だ。
疑問が鋼の巨体を駆け巡り、中心部の小さな存在から1つの解を導き出す。
水平線の先、まだ見えなくとも自分が目指す母国に“それ”が不在の間に現れた何者かがいる。
それが原因か……中心部の存在が即座に肯定し、“それ”も同意する。
――そうだ。これのせいか。
己の中の何かがその存在を叩けと叫び狂う。
“それ”は素直に頷いた。
――仕った。
おのれと怒りを燃やし、無い目で水平線の奥に待つ悪へと睨みを利かせる。
悪が根付いている。
悪が我が物顔で“それ”が愛した場所にいる。
ますますと、怒りが込み上げてくる。
――今、駆けつける。
自身を誉と称え、また自身も愛し守るべき者たちの為に。彼らのために悪を討たねば。
単騎での戦いとなろう。今度こそこの身体は塵1つ残らないかもしれない。
だが、それでいい。
“それ”は戦うために生まれてきたのだから。
“それ”は守るために生まれてきたのだから。
一度は亡くしたこの命、この身朽ちようともやらねばならない。
キシキシと音を立てて、前方の主砲の一門を動かして懐郷へと砲塔を向けた。
――これは宣戦布告である。
二門へと力を注ぎ込み、集結させたものを装填する。思うように器用に動く。
以前の“それ”には自分だけで出来なかったことが難なくこなせる。
千を越える戦友たちによって動かされていた身は、今は自身だけで起動をこなせる。
“それ”が放てと命ずれば、砲の先端から光が放たれた。
遥か昔に置いてきた馴染みの轟音は一切響かず、また身を震わせる振動も僅か。
肩透かしの何かが擦れる音と共に、砲弾が飛んでいく。しばらくして、着弾。巨大な飛沫が天に昇る。
着弾音は変わらずこの身を震わせる。
懐かしさに身を震わせることもせず、それは意を決めて進行を開始した。音のないスクリューが水を押し退ける。
――いざ、参らん。
艦は砲身を元に戻すと何事も無かったかのように前へ進む。
もう、海に身体を隠すこともない。
50年近く眠っていたのだ。
我が母国に胸を張って凱旋するのに何故隠れる必要がある。
目的地へ。自分の帰る場所へ。
――ニホンへ。
始まった。
“それ”の長い旅路の終わりへ。今、舵を取る。
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