第94話 恐怖と言う感情

 白い少女はしゃべることをやめた。

 その後、相も変わらず人形の様な感情の籠らない笑みを浮かべる。

 血の昇った頭に少女の微笑は冷や水と化して、悪い意味で落ち着きを取り戻してくる。


 一考する。先ほどの話をかいつまんで頭の中で反芻する。

 僕が彼女の対戦相手である親を負かすことで、僕とレティは自分たちが元いた世界に戻してくれる。

 これがご褒美ということらしい。


「戻れる……?」


 レティが、擦れた声で呟いた。

 僕に寄りかり、重ねていたレティの手に力が籠る。食いこんだ爪先からもわかるくらいに。


「戻れる……わたしが? あ、あの、元の世界に?」

「ええ、そうよ。レティ。元いた場所。生きるはずだった世界。貴方が本来在るべき所……恋焦がれるでしょう?」

「……シズク!」


 僕を呼び顔を向ける。

 先ほどまで強張っていたレティの表情が嘘みたいに華やいでいく。

 あの世界で居場所を失った彼女にしたら、元の世界に戻れるということは本当にご褒美となるのだろう。

 でも……。


「僕はもう、あの世界には戻りたくない……」


 逆に元の世界に居場所のない僕にとって、そのご褒美は何の意味もなさない。

 白い少女が不思議そうな顔をする。レティがなんでと悲しそうな顔をする。

 僕は2人の顔が見れなくて横に顔を背ける。


「……待っている人のいないあの世界に戻る意味なんてない。僕が望む世界はそこには無い……もう、全部壊れちゃったんだよ」


 戻りたくないと言えば嘘になる。心の片隅には焦がれているのは確か。

 でも、それは何も起こらず、いつも通りの明日が来ることが信じて疑わなかった世界のこと。

 でも、僕が幸せに笑っていたあの世界はもうない。


(だからこそ、今更あの世界に戻ったところで――)

「ああ、そういうことね。いい知らせよ。ワタクシが送り届けるのは“貴方が望む世界”の話」

(――何もな…………にを、言っているの?)


 一瞬、理解が遅れた。

 何を言ったのか。頭の中でもう一度彼女の言葉を繰り返す。

 僕が、望む世界……?


「どう、いう……だって……?」

「つまり、ワタクシたちが関わらなかった平穏の続き。そこへと貴方を、シズクとレティを戻してあげましょう」

「……嘘だ。そんなことできるはずがっ」

「できる」

「でも!」

「ワタクシができると口にすること……理解なさって。そして、もう……それ以上、煩わせないで」

「……っ」


 言葉が出なかった。

 何度も口を開口し、喉元から出ようとする言葉が呼吸と共に消えていく。

 レティが声にならない歓声を上げて僕を抱きしめる。


「帰れる方法があるのなら……元の、元の日常に戻れるならっ、わたしは帰りたい!」


 ……そんなことが出来るのか。

 信憑性はない。けれども、白い少女の甘い言葉は僕の疑心の糸を解いでいく。

 無意識に口が緩む。


(僕、帰れるの?)


 あの、両親のいる。あの子のいる。

 ――あの世界に。


「僕は、あの場所に、帰っていいの?」

「帰ろうよ! シズク! わたしと元に、あの生活に戻ろう!」

「レティ、僕も……僕も、帰りたい……戻りたいよ!」

「うん……!」


 感激のあまり、僕からもレティを抱き締める。2人で“望み通りの世界への帰還”を喜び分かち合うように。

 そんな僕らに水を射すかのように、白い少女がまた笑う。

 僕の心情を呼んで、ほくそ笑んでいるかのように見えた。


「お喜びのところ恐縮ですが、ワタクシの敗北条件はシズク、貴方が死ぬことだとお伝えしておきます。そうなった場合、当然褒美の話は無し。さらに貴方が死んだ時、レティにも死んでいただきます」





「……レティも?」

「……わたしが?」


 「ええ」とだけ返事をした白い少女はそれ以上は首を横に振って話さない。

 楽しみは最後まで、と言わんばかりに。

 僕はなんで……と訊ねようとした。


「……殺すなんて物騒ね。そんなこと、こんな可愛い顔した子たちにできるの?」


 代わりに口を開いたのは最初に白い少女の隣にいた黒髪の綺麗な人だった。

 この不思議な場所で何の不自由もなく、カツカツとヒールを鳴らして白い少女の隣に並び立ち、しゃがんでいた僕らを見下ろして尋ねる。


「……うふふ。彼、こう見えてもすごいのよ? いいわ。教えてあげる。シズクはね。ワタクシたちの基盤の上、その世界で数多くの命を刈り取ってるのよ?」

「へえ、見かけによらないのね? それは人も含まれているのかしら?」

「もちろん!」


 まるで自分のことのように嬉しそうに語る白い少女。

 アサガさんたちの視線がこちらに向いた――気がして、僕は気が付かないふりをして白い少女と黒髪のお姉さんへと視線を向け続けた。


 ……この異質な空間で、わずかに浮ついていた僕の温度が下がっていく。

 同時に落ちる。深く落ちていく。

 白い少女のこの先吐き出す言葉の連なりは、僕をどこまでも深く落としていく――そう予感がした。


「……はい」


 ……僕は首肯して答えた。

 黙っていればよかったのだろうか。でも、そんなことは僕には出来ない。

 だって、本当のことだから。僕はあの世界でいくつもの命を奪ってきたのだから。


 狼や猪と暴れ回るもの。鹿や兎に似たこの世界にいそうな大人しい動物。この世界と比べればふたまわりも大きな鳥。大きな虫もいればどうやって生きているのかもわからない無生物の様なもの。徒党を組んだものもいれば、大型の動物だって狩っていった。二足歩行をする人型のもの。

 そして。

 

 人も、手にかけた。


 回数で言えば2回。人数でいえば6人。

 最初は、忘れらない。ラゴンの後任である管理人。

 次は、女性の腐乱死体を見つけた小屋の中、そこを根城にしていた山賊たち。


 行方不明の女性の捜索依頼をギルドで受けた僕が向かった先のこと。

 山中の腐敗臭のする小屋の中で、捜索願が出されていた女性本人へと暴行を加えていた山賊たちを見た時、思わず我を失って――。


「あの時の、シズクの顔はとても素敵でした……まさしくワタクシが求めていたもの……あんな醜い男に穢されるその瞬間の悲痛な表情……まるで自分のことのようにはらわたが煮えくり返るようでいた」


 昔のことを思い出していて……はっとした。

 何故、今その話をする必要がある。

 やめさせようと手を伸ばしたところで僕の足は動かない。

 白い少女の口は饒舌に音を鳴らしていく。


「その男に一矢報いるとばかりに突き殺した時の満足げな笑み。まるで自分のことのように嬉しかったわ。仕方ないわよね。だって、大切な子を守るためだったもね。ええ、貴方は悪くないわ。貴方は大切な女の子を守るために身を差し出して犯されたと言うのに、聞かなかった男のせい」


 おもむろに、僕は腕の中にいるレティの顔を見た。

 レティにだけは聞かれたくなくて、僕は彼女を見てしまった。

 ……彼女は僕と目が合うなり、直ぐ逸らした。


「貴方はあの男を殺したことを存分に喜んでいたわね。あの時の笑み、すごい好き。その後もお仕事で動物を何度も手にかけては感情を昂ぶらせてしまうところもとても魅力的だった。存分に命を刈り取って我を忘れそうになるところも本当に大好きだった。それが見たいがために、ワタクシは路地裏にいた人間を操り、貴方を襲わせたりもしたわ……ああ、今も目を閉じればあの時の情景が鮮明に蘇る……」

「やめて……」

「何をやめることがあるの? 本当のことじゃない。貴方は命を奪っては快楽に身を任せていた……。そう。山の中で激昂にかられて、男5人を滅多刺しにしたことがあったわね。動物に手を掛ける時以上に輝いていたわ。その事実はこの場にいる誰も知らないことだけど、貴方とワタクシは知っている。……ああ、そういえば、そこの獣、リコも知っていたわね」


 ……リコが?

 言われてリコへと顔を向けると、リコは瞳を揺らして細く鳴くんだ。

 ……知ってたんだね。


「ふふふ、気になさらないで。貴方をそういうふうに作り上げたのはワタクシなの」

「は、何を言って……?」


 白い少女がこくり、と頷いて答える。


「貴方の中にある恐怖と呼ばれる感情を消し、興奮するよう変えてあげたのだけど……気に入りませんでした?」

「感情を消した……?」

「守られていない心に手を加えるなんて造作もないことよ。貴方も言っていたじゃない。恐怖は身をすくめて先に進めないって。ワタクシも同じことを考えていたの」


 そうだ。

 イルノートに指摘されるまで、僕は恐怖という言葉すら忘れていた。

 怖かったか、と人に何度も聞かれたことを思い出す。でも、本当に怖くは無かった。

 手に入れた力による自信から来るものだと思っていた。

 そして、その自信は負け無しだったこともあり拍車をかけた。

 魔法はそれだけ偉大だった。

 まだ10にも満たない子供が、ゴロツキ程度の大人を簡単に叩きのめせるんだ。

 大きな壁に当たらなかったこともある。

 魔法を使える敵がいれば何か違っていたのかもしれない。


 浮かれていた。

 そして、僕はとても楽しかった。

 魔物に刃を差し込み、苦しむ姿を喜んでいた。

 本来ならもっと恐れるべきだったんだ。今でも覚えている。

 初めて人を殺した時、僕は嬉しかった。

 ルイを穢そうとしたあの男を殺した後、僕はとても満足していたんだ。


「ただ、1つ誤算が生じたの。……それが、貴方の中に宿ったリコ……」


 苦虫を噛み潰したかのように白い少女が悔しげに呟く。


「リコが? そうだ。なんで、僕の身体の中にリコがいるの!?」

「それは貴方の身体を直すためよ。あの出血量でわかるでしょう? もう虫の息だった貴方を助けるためには仕方ないことじゃない。だから、ワタクシはリコの身体を……正確には魔力を使って貴方の減ったものを繕ったの。おかげでリコが貴方の中に宿ってしまったのだけれども」


 そうか、これが僕の身体に傷がない理由。全部リコのおかげだったんだ。

 昔負った古傷から何まできれいさっぱり無くなっていて、レティが治してくれたものかと思っていたのに。

 僕が生きていられるのはリコのおかげだったんだ。

 ありがとう、と口にしようとしてリコを犠牲にしてしまったことに居た堪れなくなる。


「リコが貴方の中に宿ることは特に問題は無いわ。でもね。ただ……予想外なことが起きてしまったの。貴方の中に恐怖がまた生まれてしまった。――そこのリコのもの」

「リコの?」

「ええ、今はリコが外にいるから感じないでしょうが。そうね……」


 「おいで」と白い少女の一声に、リコの身体が火の粉を散らすみたいに消え――。


『え、なんでリコ戻ったの!?』

「リコ!?」


 そして、僕の中からリコが驚いて声を上げた。


「貴方の失った恐怖という感情の欠損はリコの元々ある恐怖という感情で補ってしまっているのよ。記憶にあるかしら? この世界に来て、貴方は言い様のない焦燥にかられたことは無い?」


 ……ある。

 そう、この世界を始めて感じた時、あの屋上での感情のこと。

 そうか。あの時の感情は――。


「では、思い出してみなさい」


 白い少女が滲み寄る。

 先ほどと同じ距離まで近寄り、しゃがんでいた僕を見下ろす。

 白の、灰色に近い白い眼が僕を見る。深く淀んでいる先の見えない濁った白だ。


「何を……?」

「貴方が人の命を奪った時のことをよ……」

「人の命を……?」

「そう。あの醜い男の腹を突き破った時の感触――思い出せる?」

「何を……っ!?」

 

 ――言われて。


「…………あ…………ああ…………ああっ!?」


 奇声が僕の口から溢れる。

 ……思い出せる。

 あの記憶が。


「ああ……やだ……やだっ!」


 手甲越しだというのに肉を突き破る柔らかな感触。

 中は層になっていて、分厚い肉の先にまた別の弾力のあるものを突き破った。

 骨にでも当たったのか。ガリっと爪先が固いものを抉った。

 短くも長い感触の後の貫通した何もないその後の空白を。

 もう10年は前の話なのに、まるで今犯したかのように僕の右手にあの感触が鮮明に蘇ってくる。


「そう、その顔……とても綺麗よ……」

「やだ……やだやだやだ……!」


 気持ち悪いものが右腕に広がっていく。何もない。無いのにある。何度も左手で引っ掻く。血が出る。無数に出来た引っ掻き傷の奥をさらに掻く。痛みが増す。けど、悪寒は消えない。


「では、次に――」


 ――初めてもった刃で魔物を刈り取った時はどう? 

 剣が思った以上に切れないことを知る。


 ――数の多い雑魚に踊る様に刃を滑らせて切断する感触は?

 まるで作業のようだった。


 ――大きな昆虫もいたわね。硬い甲殻を突き破った時はどうだった?

 関節の隙間を狙えと教えられたのに、何度も硬い甲殻を叩き潰した。


 ――他にも魔法で燃やしたり、感電させたときは?

 肉の燃えた匂い、体毛の焦げた匂い、もがき苦しむ姿。死後も痙攣を繰り返すその骸。


 ――水を勢いよく放出させて圧死させたこともあるわよね!

 僅かに手の中に届く押し潰した感触は気持ちのいいものだった。


 次々と当時の記憶が再生されていく。

 身体に見えない大量の体液を浴びる。鼻に無数の生命の残り香が届く。耳にその時の断末魔が何重にも轟く。


(……痛い。頭が痛い。割れそうなほど。辛い。やめて。誰か。もう――)


 口からは悲鳴にも似た嗚咽が漏れる。


「路地裏で貴方を背後からは羽交い締めにして連れ去ろうとした男は!? あの時は……貴方は何度もその小さな拳で殴り続けたわね! 辞めてくれと懇願する男の言葉を遮って、手が痛くても――」

「もうやめて! やめてくれ!」


 レティから離れ、その場に蹲って耳を塞ぐも、白い少女は僕の耳元に顔を寄せて話を続ける。

 その声量は囁くと言うものではなく、周りの……アサガさんたちにわざと聞かせているかのようだった。

 目を開けたくない。

 目を開いた先、皆は僕のことをどんな目で見ているのか……それを知るのが――。


「……


 指摘されて、自覚して、やっと僕はこの感情が何かを改めて知った。

 あの楽しかった行為が、その行為を、今やっと僕はこんなにも恐れている。


「何をやめる必要があるの?」

「や、やめてあげて!」


 蹲る僕の身体が温かいものに包まれる。

 レティだ。隣にいたレティが僕に被さっているんだ。

 レティの震えた手が僕の背中をきつく抱き締める。


「あ、あなた一体どうしたいの!? さっきから勝手なことばっかり! 人に物を頼んで、それで怖がらせて、わたし、あなたが何をしたいのかわからない!」

「レティっ……そう。貴女も面白いわ」

「なにが、面白いのよ!」

「うふ、貴女はね、元々別の子の駒だったのよ。でも、気に入っちゃったから、この世界に連れていく最中にワタクシの手持ちの駒と交換しましたの。もう、貴女はワタクシの駒。貴女のことは、とシズクと出会った後のことしか知らないけれど、貴女の最後の生き様は他人の駒だと知っていても見ている分にはとても面白かったわ。だからこそ、気に入ったのだけれども」

「わたしの……生き様?」

「ええ、自己犠牲による散り際は喜劇以外の何ものでもない。可笑しくって声もあげられないわ」

「……わたしの行動が笑えるっていうの!?」

「だって、そうでしょう? 貴女は自分が良かれとしたことでも、自己満足の何ものでもない自殺の延長に酔いしれただけじゃない。悲劇のヒロインでも演じていたのかしら」

「……っ!」


 そんなことはない。

 レティはあの子のように僕を庇ってくれたんだ。その時にはなんでそんな真似を!? って怒りたかったけど、今となっては凄い勇気のいることだし感謝だってしているんだ。

 そのことを馬鹿にするなんてことは絶対に違う。


 ……でも、僕はレティを庇うことは出来ない。

 今の僕は惨めに蹲ることしか出来ない。

 声にして伝えたいのに、今の僕には庇うほどの気力は無かった。

 だから、僕は覆いかぶさってくれているレティの腰に手を回してきつく抱きしめる他にすることは出来ない。


(そんなことはない! そんなことはないから!)


 どんなに願っても、言葉にしなければ通じないことは知っているし、震えたこの手では彼女の震えを止めることも、支えられないことは知っている。

 

「……シズク。ちがう。わたし、ちがうよ。わたし。わたし、シズクが助かって欲しいって思った、思っただけ」

「……ってる。……ってる」

「そんな、しにたい……だなんて、思って、おも……あの時、あの時だってわたしはあいつに……」

「……ない。そんな……ないよ」


 もっと、声をかけてあげたい。否定してあげたい。でも、これが限界なんだ。

 ……届いてと、レティをきつくに抱きしめる。

 レティも縋りつくように僕へと力を込める。

 2人が嗚咽を漏らすのも時間の問題だった――。


「いいわ。2人とも素敵よ……その顔で、その悲しみに暮れ、絶望に浸るその表情……受肉してからは初めて見たけれどもそれも眼福ね。ああ、もっと悲しんで、嘆いて、恐怖して! ワタクシをもっと楽しませて――」


 ――カツン。

 またヒールの音が大きく鳴る。

 白い少女の歓喜の声がそこで途切れた。


「そろそろ、時間ね。あなたの魔力が干渉を始めたわ」

「もうなの? ワタクシまだ2人を眺めていたいのに……」


 はあ、と白い少女がため息をつく。

 そして、踵を返し僕らから視線を外して横を向いた。


「では、今まで黙ってもらっていたけど、部外者さんたち。ワタクシの話は理解できたかしら? 蚊帳の外ではありましょうが、中でも貴方……アサガタツオミ。貴方には感謝しているからこそ聞かせたのよ」

「…………じ、ぶん、が?」


 アサガさんが咳にも似た呼吸音を鳴らして答える。

 頭を押さえてふらつきながらも顔を上げて白い少女へと問いかける。


「ええ、貴方に夢の中で魔法陣を見せたのはワタクシ。そう言えばわかってもらえるかしら?」

「……君が? 君があの魔法陣を自分に見せたと?」

「ええ、そうよ。夢という曖昧なものに縋り、成就させた貴方がいなければワタクシは今回のゲームに負けていましたの。そして……気に入ったもの以外には触りたくはないのだけれど……近寄りなさい」


 アサガさんがゆっくりと白い少女へと足を運ぶ。思うように足が動かないのか、靴底を何度も擦り、ふらつく。

 手を出して、と白い少女に言われた通りにアサガさんが手を伸ばす。

 白い少女は出されたアサガさんの手を握り、目を閉じた。


「ぐっ……!」

「アサガくん!」

「タツオミ!」


 アサガさんが苦痛に顔を歪ませ、直ぐに手を放して頭を抱えた。

 2人がアサガさんへと駆け寄るも、大丈夫だと手で制す。


「どう? 理解した?」

「……2人を還す術式……そうか。今まで魔法陣が反応しなかったのは既に呼び出した後だったから。無いものをどんなに呼んだところで反応しない。知ってしまえばこんなにも簡単なことだったのか……!」

「ええ、そうね。貴方は物質転送だと思っていたものは、ワタクシが見せた召喚のもの。ただし、2度とシズクたちを呼べると思わないで。今は貴方の使役、使い魔と化している2人だけど、元の場所に戻したらワタクシがその繋がりを絶つ――」


 白い少女が僕らへと声をかけた。


「……残念だけど。シズク、レティ。この男には送還術を教えたわ。これでいつでも帰れるから、さっさとあの世界へと戻りなさい」

「……戻らないって言ったら?」


 顔を上げるのが嫌で、レティに覆われて身を隠したこの状態で、虚勢を張って僕は反抗を見せる。

 ただの強がりだ。身体の震えは止まらず、言葉もたどたどしいものだったけど。

 そのことを知ってか、浮きあがったかのような嘲笑じみた声を返してくる。


「無理よ。死ぬだけ。貴方たちの魔力はこの世界の魔力とは別物。あっちの世界とは違って体内の魔力は日々消費されていく。補給できない身体はいずれ朽ちるわ。例え魔力を抑えてとしてうまく生きていけたとしても、もって3年ってところかしら。早死にしたいと言うなら構わないわ。でも、それはレティに限った話。シズク。貴方の場合――」


 白い少女の声色が落ち――。


「――ワタクシは貴方を消すわ」


 口角を吊り上げて彼女は細く笑う。


「……っ……僕を、消す?」


 全身の気が逆立つかのような悪寒が広がる。


「ええ、消すわ。だって王不在のチェスなんてゲームにならないじゃない。使えない駒なんていらない。言ったでしょう? ワタクシの敗北条件は貴方だって」


 つまり、今の僕は彼女のお気に入りの駒ということか。


「前のワタクシのお気に入りはね。最後は寝たきりで使いものにならなかったのですから。だから、その駒も消し、同じように貴方も消す。そして、次のお気に入りを探し求めるの。ね……貴方たちは結局のところ帰らないといけないのよ。この世界ではワタクシも思うように動けなくて不自由で苦しんでるのよ?」

「……早くなさい」

「――え、もう! はいはい。行きますわよ。そんな怖い顔なさらないで。では、ワタクシの王様、シズク。またね」


 言うなり、白い少女はひらひらと小さな手を振って、黒髪のお姉さんと共に去っていった。

 彼女たちが校舎へと姿を消した後、やっとこの場所は元の場所に戻ったみたいに音を取り戻す。


 町の奥から届く微かな喧騒、車の音、飛行機、鳥、風、海の香り。

 何もかもが元に戻る。

 アサガさんたちが一斉にその場に腰から崩れ落ちる。

 ただ立っていただけなのに誰もが満身創痍で疲労している。誰も何も言葉を交わさない。


 世界がいつも通りの動きを始める。

 僕たちの時間は止まったままに。


 暫くして、レティが一言「ごめん……」なんて僕に聞こえるくらいに呟いて、その場から去っていった。

 続くようにして、他の人たちも立ち上がり、この場から逃げるように去っていく。


 後には地面に蹲る僕が残った。

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