第89話 四天のルイ・フルオリフィア その2

 気持ちは鈍くも、足取りは早く。

 護衛見習いの彼を置き去りにして、ぼくは先に里へと帰ってきた。

 会合は世界樹が立ち尽くす神域の間で行われ、族長とぼくらと護衛以外では入ることは許されない。

 そのため、もしもぼくに着いてこれたとしても、見習いである彼は橋の前でとうせんぼだ。


 橋の架かった先、茶色の枝を見せているケラスの木々の門を見る。

 枝の先には蕾がいくつも付いていて、間もなくしてぼくらの魔法を披露する神魂の儀も開催となる。

 もう3回目の参加だけど、みんなとの連携はちゃんと取れていると、思う。


 そして、やっぱり……というか、予想通りに会合は始まっていた。

 いつもは舞台を組み上げられている場所も今は大きなテントが張られている。

 テントの中からは大きな熊みたいな亜人族の長の声と、お髭が立派な3本角の鬼人族の長の声が響いていた。


 テントの周りには各部族の護衛たちが警護に就いている。

 天人族からも、ドナくんの護衛であるインパさんや、フラミネスちゃんの護衛であるヘナさん(……あ、ヘナさん欠伸を上げた)が暇そうにテントの周りをぶらついていた。


(う……ウリウリに見つかった)


 当然とその中にはウリウリの姿もあり、ぼくを見つけるなり、安堵の表情から一転して、きっと睨み付けてくる。

 人に言わせれば、眉を若干動かしたくらいの違い、だそう。だけど、ぼくにはわかるんだ。

 ごめんねとか、お待たせって、言葉も今のお怒り気味のウリウリには言えそうにもない。


「フルオリフィア様お待ちしていました。こちらへ」

「わかった」


 ウリウリの鋭い視線に背中を貫かれながらも、レドヘイルくんの護衛である青髪のオルファさんに案内されて暗幕を捲ってテントの中に入る。

 ぼくが姿を見せると一斉に視線を向けられ……中でもエネシーラ様からは背筋がピンと伸びるかのような鋭いものを浴びせられる。


 身を縮ませながらエネシーラ様の後方、右手から四天であるドナくんのお父さん、フラミネスちゃんのお母さん、レドヘイルくんのお父さんの隣の席へと向かう。

 席に座る時、四天の後に並び座るドナくんたちの視線に気が付いた。

 ぼくを見るなり、ぎっと睨み付けてきたり、どよんと悲しそうな顔をしたり、ぷーと顔を膨らませたりする。


 テントの中はいつもよりも大所帯だ。

 いつもなら各里の長四人が向き合い、その後方に1つ間を開けてぼくたち四天や、各里の偉い人たちが並び座る。

 でも、今回はその偉い人の後ろ、3列目にいつも神魂の儀で一緒に演技を発表する若い人たちが座っていた。


「失礼。フルオリフィアは急用があったため席を外していた」

「……へっ、噂には聞いてるぞ。天人族の中にも血の気の多いやつがいるってなあ。まるで昔のあいつブランザにそっくりじゃねえか」


 鬼人族の長が愉快に笑ってぼくを見た。


「話を脱線するのもいい加減にしろ。こちらはお前たちよりも魔物の被害は甚大なんだ。このままだと里の内部まで被害が及ぶ可能性もある」


 ウォーバンみたいな大きな熊、亜人族の長が唾が飛ぶかと思うくらいに大声を上げる。

 亜人族の長の横やりを聞いてか、鬼人族の長が舌打ちをした。


「近場に出た魔物は目に付き次第、ぶち殺せばいい話だろ。それをうだうだ躊躇してっからそうなるんじゃねえか」

「魔物だからとやたら無闇に殺していいわけじゃない。乱獲した分、数は減る。魔物との共存によって我らの食は成り立っているんだぞ」

「減ったところで次第に別の魔物が縄張りを求めて出てくる。次にそいつらを狩ればいい。それで肉が減るなら魚を食えばいい」

「肉にしたってその魔物とやらは食えるものなのか? 大型の虫だったらどうする? 骨と筋ばかりの髑髏兎ボービットが大量発生したこともあっただろう。そして、だ。ゴブリンを鬼人族であるお前たちは食え――」

「うるせえなあっ、冗談に決まってんだろ! これくらいわかれよ!」

「冗談? 冗談だとっ!? お前、この大事な場を何ととらえているんだ!?」

「大声でわめくな! 獣くせえ! 甘ちゃんのお話を聞いてると反吐が出る!」

「なんだと! それでも長か!」


 互いに立ち上がり、怖い顔をして睨みつけ合う。

 周りがざわつき始め、掴み合いになるその前に、両者の後方に控えている偉い人が彼らを抑え込む。

 ――っていう、またいつもと同じ展開。


 毎回、会合はこんな感じで鬼人族と亜人族がぶつかり合うことで中断する。

 あーあ、なんでぼくこんなところにいるんだろう。

 鬼人族の長が力任せに抑えに入った人を弾き飛ばして悪態を吐いた。


「……で、今回もだんまりを決め込んでるあんちゃんはどうなのよ? びびっちまったのかい? 長になって日が浅いからなんて言い訳はこの場じゃ通用しねえぞ。こちとらあんよを教えるほど暇じゃねえ」


 怒りの矛先を変えたのか、鬼人族の長は魔人族の長へと喧嘩腰に話しかける。


 魔人族の長は目深にフードを被ったまだ若い銀髪の男性で、ぼくがここに現れてもずっと腕を組んで2人のやり取りを見続けているだけだった。


(魔人族の長を見るとついついイルノートを思い出しちゃう)


 この人が長になってからはまだ日が浅い。

 ぼくが里の会合に参加し始めてちょっとしてから長になった人で、元は四天と同じ位の息子だって話をウリウリから聞いた。

 長になる最近まではドナくんたちと一緒に神魂の儀で舞台の上にも立ってたんだって。ぼくは丁度入れ替わりで一緒に演技は出来なかった。

 ……親や同職の人を抜いて長になったって一時期里中で色々な噂が流れたっけ。


「鬼人! ふざけた口を!」

「ラアニス様を侮辱すること、許しませんよ!」


 大声を上げたのは言われた本人ではなく、後ろの席……天人族の場所で言えばドナくんたちが座っている席あたりにいる女の人2人だ。

 2人とも顔はばっちりと化粧が施されていて、とても綺麗な人たち。今は眉間に皺をよせ、眉も吊り上げてとても怖い顔になってる。


(この2人……確か、この新しい魔人族の長の奥さんだったかな)


 結婚って何人もできるんだ、って驚いたら、それはそれで珍しいことだが、あまり褒められたものじゃないってウリウリがぷんぷんと怒ってたっけ。どっちなの?

 いつもなら彼女たち2人はテントの外で護衛に混じってるのを見かけていた。護衛でもないのに神域の間に入れる2人をいつも不思議に思っていた。


 今にも飛びかかろうとしていた2人だけど、前の席に座る3人のおじさんのうち2人が慌てて止めに入る。


「止めないで! お父様!」

「よしなさい! リター! 今は大事な場なんだ!」

「パパ! どうして邪魔をするんですか!」

「いい加減になさい! フィディ、お前まで熱くなってどうする!」


 なんて、どうやらあのおじさん2人はあの子たちのお父さんだったんだね。

 じゃあ、むすっとした残り1人が今の若い長のお父さんかな。よおく見れば似てる……気もする?


「大丈夫だよ。フィディ、リター。別に僕は尻ごんでなんかいないさ」


 魔人族の長は背後を振り返ることもせずに片手を上げるだけ。

 2人には見えてないけど涼しげに微笑み、フードを払って髪を掻きあげる。


「ただ、僕は争い事が嫌いなだけ――争いは悲しみを生むだけさ」

「はっ! 争いが嫌いだあ? おいおいおい! じゃあ、今はなんだ! 互いの思想が衝突しているこの場所で、争うななどと綺麗事がほざけるのか!」

「……この場所で衝突をしたいと思っている者なんていない。―貴方が1人熱くなっているだけ。僕もあたる理由が無いからこそ、今まで口を挟まなかっただけだ」

「はっ、何も知らない小僧がっ! 身の程を知らないその口が現に今、争いの火種を生んだぞ!」

「そんなつもりはなかったけど……では、すみませんでした。まだ長になってから日が浅く、身分をわきまえない発言でした――と、でも言えば許してもらえるのかい?」


 あ、鬼人族の長の額に青筋が浮かんだ。


「……馬鹿にしてるのか? お前の“大っ嫌いな争い”ってやつを起こしてもいいんだぞ? そうなればお前だけの問題じゃない。お前が大事にしている後ろの女2人だって――」


 そう……鬼人族の長が話している時のことだ。


 ――ぞくり。


 ぼくの背筋が震える。

 冷たい水が突然このテントの中全体に浸ったかのようなそんな……先ほど遊んでいた四つ手の比じゃない殺気が魔人族の長から発せられた気がした。


(……ううん、気のせい?)


 今はもうそんなものは感じられない。発生源だと思しきそこには、眉を曲げて困ったような顔をしている魔人族の長しかいない。

 ぼくの勘違いだった……いいや、亜人族側の人たちが身体を少し震わせている。鬼人族の若い人のうち、白髪頭の女の子が立ち上がろうともした。

 他の人は気が付かなかったか、もしくは気が付いても知らないふりをしているのかもしれない。


 後ろを振り返ってもレドヘイルくんもフラミネスちゃんもドナくんも2人のやり取りに強張った顔をしているけど、どうしたの? とぼくの顔を不思議そうに見るだけだ。

 隣のレドヘイルくんのお父さんも険しい顔をしているけど、これはさっきから変わってなくて、あの殺気からくる何かを警戒している素振りは無い。

 鬼人族の長はまったく変わらない態度……いや、口元を僅かにニタリと緩ませているように見えた。

 その殺気を感じた時に一度、口を閉ざしかけたけれど、口調を変えず止まった言葉の先を口にした。


「……――ああ、2人がどうなるかわかっているのか?」

「それは困る――今度こそ心から謝罪するよ」

「へっ、言葉だけで済むと思ってんのか? 誠意ってやつを見せてみろよ」

「なるほど――では、頭を下げればいいのか?」

「できるのか? 魔人族の総意であるお前が頭を下げるなんて真似をよ!」

「できるさ。この頭ひとつ下げて2人に危害が及ばないというならね――僕は喜んで頭を下げよう」

「口だけならどうとでも言え――」


 魔人族の長は椅子から立ち上がると、その場で腰を折り鬼人族へ……ううん、ぼくたち全員に向かって頭を下げた。

 サラサラの銀髪が揺れ、みんなの視線が彼へと1つに向かう。

 さっきまであんなに怒っていた2人の女性も目を見開き、口元を手で覆って長を見ていた。

 鬼人族の長も、真っ赤な顔を忙しなく動いていたのに、今の行動に苦虫を噛み潰したような、何とも言えない顔をする。

 だが、それを取り繕うみたいに、頬を緩ませてから、高笑いを始め出す。


「はっ、はは! 今回の長様はどうやら腑抜けもいいところだな! 威勢のいい割に弱腰……いいや、世渡り上手か。これは魔人族も安泰だ!」


 このテントの中で、鬼人族の長が笑い声だけが響いた。

 毎回のことだけど、聞いてて嫌な気持ちになる笑い声だった。


「……もうよさないか。魔人族の長も頭を上げなさい。礼節を重んじることは大切だが、人の上に立つ人間がそう簡単に頭を下げるものじゃない。そこを付け込まれ、争いの種となる可能性もある。そして……その時に悲しむのは君か、それとも後ろのご婦人たちか……」

「感謝します。獣人の長よ」


 頭を上げ魔人族の長は小さく亜人族の長へと会釈をし、また自分の席へと座り直した。


(いつもとは違った嫌な気持ちだ……)


 気まずい雰囲気がこの場に流れる。重苦しいこの空気に部屋の中の蒸し蒸しを格段に感じてしまう。


(暑い……。いやだ、もう出たい)


 鬼人族の長も笑い飽きたのか、自分の席にふんぞり返っては不機嫌そうにして、それ以上は何も言わなくなった。


「兎も角、だ」


 ごほん、とエネシーラ様が咳き込み、注目を集めた。


「……各族ごとに早急に対策を練り、凶暴化した魔物の駆除を優先させることとしたい。しかし、亜人族の長の言うように、むやみやたらと殺すことも控えるよう努める……どうだ?」


 鬼人族の長が「けっ」とも「へっ」とも聞こえる声を上げて、亜人族の長が「助かります」と口にした。

 エネシーラ様は続ける。


「また、里外での天人族・亜人族の領地境に発見されたという大型の魔物の痕跡についてだが、我々も遅れながらに確認が取れた。まだ実際に見たという報告は上がってはいないが……各部族、十分に留意されたし」

(大型の魔物? そんなのぼく聞いてない!)


 隣のレドヘイルくんのお父さんに視線を向けたら、まるで「あ」と驚愕したような顔をしてからふいっと視線を逸らされた。

 あ、これ、ぼくだけ知らないってこと?

 ……ふん、いいさ。


 一体どんな奴だろう。

 ぼくが今まで相手にしてきた大きなものって言えば、鼻が長く反った角を持った魔物か、船旅の時に襲ってきた大海蛇くらいだ。

 後は旅の中、馬車で移動している時に大空を気持ちよさそうに泳ぐ大きな魔物――龍。

 あれを見た時はすっごいはしゃいだっけ。思わず自分で魔法で作っちゃったほどに。


「足跡だけとはいえ、あれだけの巨大なものは我々亜人族では対処し辛い。今後も引き続け我らも調査を続ける」

「ふん……うちの陣地にそんな大層な魔物がいたら若い衆がこぞって狩りに出向くわ」

「僕らの方でも善処いたします――尊い犠牲が出る前に」


 その言葉を最後に、この会合は幕を閉じた。







 まず鬼人族の長を先頭にテントから鬼人族が荒れながら出て行き、続いて亜人族の長がこちらに首を動かす程度の会釈をして出て行った。

 ぼくら天人族と魔人族は同じくらいに席を立ち、エネシーラ様がぼくの横を通る時に耳元で「後で顔を出すように」と怒り気味に囁かれた……はあ。


 テントを抜けるといつもは肌寒い空気が心地いい。

 新鮮な空気はこの場所のおかげか、いつも以上に澄んでいるように感じて、重く溜まった胸の空気を入れ替えてくれた。


 エネシーラ様を筆頭に四天の3人が神域の間から天人族の居住区へと足を向け、インパさん、オルファさん、ヘナさん、ウリウリが(ぼくのほうをちらっと見て)その後に続いた。


 ぼくは……というと、馴染みの3人が立ち塞ったため、皆の後に着いていくことは出来なかった。


「まあたフルオリフィア無断で外出ていったの!? だめだよ! だめだめ!」

「そうだぞ、フル! お前はもう少し四天という自覚を持った方が良いぞ!」

「フルオリフィアさん……大人しくしよ?」


 はあ……エネシーラ様よりも先に3人からお説教を貰ってしまう。

 こつん、と最後にドナくんの小さなげんこつ付きだ。


「話は後で聞くよ……」

 

 ……もう、なんか疲れちゃった。

 エネシーラ様や四天たちの後を追うのやめて、膝を折ってその場でしゃがんで空を仰いだ。青々とした世界樹がぼくの目に映る。

 どうせ怒られるなら、とぼくはもう少しだけこの場所に留まることした。


 会合の行われたテントの片づけが終わるとこの神域の間は閉鎖される。融通は利かない。

 ぼくが四天だとしても特別扱いは無いほどで、ウリウリにすら引っ張られるようにして神域の間から追い出されてしまう。


(だから、その短い間だけでも……もう少しゆっくりしたい……)


 もうこの神域の間には殆ど人は残っていない。

 後はテントを片付けている亜人族の人と、ぼくにクドクドとお説教をするドナくんたち。

 それに……あれ?


 ぼくら以外にも魔人族が3人残っている。

 魔人族の長とその奥さん2人だ。


 片付けの始まったテントから少し離れた場所で、魔人族の長が1人の奥さんに抱き締められ、もう1人には肩を何度も叩かれている。

 2人とも怒ったような悲しんでいるような泣きそうな顔をしていた。

 魔人族の長は困ったような顔をしつつも……2人の顎を引いて、自分の口を彼女ら2人の口へと交互に押し付けていた。


「……口づけ」

「いいな。いいな。ああいうの憧れる!」

「……ちっ! 神聖なこの場所で何してんだよ!」


 同じく魔人族の長のやり取りを見ていた3人が思い思いの感想を口にする。

 ぼくは……というと首を傾げるだけ。


「なんだろう。あれ?」


 口と口を付けて、それから、3人とも幸せそうに笑っている。

 さっきまで怒っていた2人が頬を赤く染めて、嬉しそうに魔人族の長の両腕にしがみ付く。


「あの……」

「お、おいフル!?」


 その行為にどんな意味があるのかを知りたくて、ぼくは声をかけてみることにした。

 ぼくの言葉に気が付いたのか、2人の奥さんに挟まれた魔人族の長がこちらへと視線を向けてにっこりと笑ってきた。軽く手を上げて近づいてくる。


「やあ、君が巷で有名な四天のフルオリフィアか。こうして話をするのは初めてだね。でも、僕は君のことはよく知っているよ――盟友であるを探った都合でさ」


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