第86話 2人のからだ

 正午を大きく過ぎ、午後4時に届くかといった時間帯。

 その日、自分アサガ・タツオミは職員室に1人だけとなっていた。


 次々と席を立つ先輩方からは挨拶を受けた記憶があり、自分も生返事で挨拶をした記憶もある。それでも誰かしら残っているとは思ったが、まさか最後の1人になるとは思いも知らなかった。

 原因は目の前のデスクに広げた魔法陣のせいだ。


 本日分の期末考査の試験管の任も終わり、職員室で一息を入れるつもりで自分の席に腰かけたところ、教材の山に埋もれたそれが目に付いたのが失敗だった。

 一向に糸口の見つからない今最大の悩みの種である魔法陣の修正は、やはりというか今回も全くといっていいほど進歩は無い。

 解決の見つからない問題を眺め続け、得るものもない無駄な時間を過ごしてしまったと思ってしまう。


 ずっと机に向かって作業に集中していたが、顔を上げてからというものの、誰もいない妙な雰囲気が背筋を震わせる。

 いつもなら残った学生の喧騒が耳に届くのに、今は暖房機具の唸り声が耳元で飛ぶ季節外れの羽虫のように耳に届く。


 ――嫌な予感がする。


 この時の自分の勘は体質のおかげかよく当たり……間もなくして自分と暖房以外の物から音が鳴った。電話だ。

 受話器を取るべきか躊躇ってしまう。

 だが、取らないわけにいかず、うんざりとしながら手に取り自分の耳に押し付けた。


「はい――」


 電話は事務室からの内線で、第一声が「あ、あなた先生?」と年輩の女性からのものだった。

 自分のことを知らず、かと言って誰でもいいからと慌てふためいていることは容易く想像できる、そんな焦りを見せる声が聞こえた。


『――で、ちょっと対応してもらいたいんだけど、いいかしら?』

「……警察、ですか。わかりました」


 いや、わかりたくない。関わりたくない。断りたい。……そうはいかない。

 引き継ぎ再度電話に出直すと、今度は若い男の声が耳に届いた。


『私ドバシ交番勤務のタカザワと言います』

「はあ、タカザワさん……えーっと……」


 名乗られたのだから自分も名乗るべきかと一瞬考えたが、やめた。


「……一体、警察の方が何か?」

『はい。実は先ほどギンザミツコシ前で魔法を使用した少女たちを発見しまして』

「魔法を?」

『はい。それで少々揉め事になりまして。幸い大事には至らなかったのですが、その少女たちについて現在アヤカの各学園に確認を取らせてもらっているところです。……在学中の生徒に、黒い長髪と青い長髪の少女に心当たりはありませんか?』


 思わず唸り声を上げそうになって奥に引っ込める。

 ……ピンポイントで心当たりがある。

 もしも、この電話に対応したのが自分とは別の人であったとしても、この学園の教師であれば十中八九自分と同じ人物を思いつくだろう。あの2人だ。

 なんてことだ。一体何をしたと言うのだ。

 揉め事を起こしたと言うが、こちらこそ揉め事は勘弁だった。


「……はあ、でも、そんな色の髪の子はうちの学園にも数多くいますから」

『そうですか。しかし、学生のユーザーと言えばアヤカ区の学園関係者しか心当たりがありませんが?』


 でしょうね。

 自分も外で魔法を使った少年少女がいればアヤカ区の学生だと思っただろう。

 ここで事実を認めるのが教師としては正しいのだろうか。その2人は我が学園の生徒ですとでも言えばよかったのか。

 だが、自分はまるで言いはぐらかすように別のことを呟いていた。


「あー……その魔法とはどんなものを使われたんですか? 大ざっぱでいいので」

『……は? ええ、っと、確か、黒髪の少女が何もないところに水を生み出し、青髪の子は黒髪の子の手を引いて空を飛んでいきましたね』


 ……あの2人だ。

 確実にあの2人だと断言できる。口の中で舌が踊る。

 まるで自分の首を絞めている様だ。


(いや、落ち着けタツオミ。よく考えろ。2人が魔法を使ったことは逆に好機だ)


 2度ほど唇を舐めて、何でもない様に相槌を打つ。


「すみませんが、どうやらうちの学園の生徒ではなさそうですね」

『……はあ、あの2人は学生ではないと』

「ええ。まず、我々が扱える魔法は安易に髪の色で決まります。黒髪の子が水を出した、というのは可能性がありますが、青髪の子が空を飛ぶ……全部がそうとは言いませんが、まずありえませんね。……反対に青色の髪の子が水魔法を使用していたなら、話は違いましたが」

『……話には聞いています』


 タカザワの声調トーンが落ちる。これは……いけるか?

 自分の勝手な決めつけだったが、警察というものは自分の言葉を頑なに通したがる人種だと思っていた。なので、こんなことを言ってもごねるかと思っていた。

 一般人の中には、自分たちはどんな魔法も使えると思っている人も少なからずいる。ユーザーという言葉も知らず、魔法使いだ魔導士だと呼ぶ人も多い。

 そういう人間と比べてしまえば、タカザワという警官は多少なりとも魔法について心得があるのだろう。

 ただし、ここでデュアルユーザーだと言われてしまえばこちらも口を閉ざさなければならない。

 だが……それはそれで次がある。


「現在うちの学園は期末考査中でして、全生徒は出席しているはずですからね。えーっと、その揉め事? が発生した時刻は何時頃でしょうか?」

『……3時を過ぎたくらいです』

「3時ですか。生徒たちの下校時間が早くても14時半……出港するフェリーも無ければ、時間的にその場に行くには無理だとは思います」

『……はあ』

「こちらも全てが正しいとは言えません。欠席者、早退者の有無等、また後日にでも確認に来てもらっても構いませんよ」

『そう、ですか。それは失礼しました。……実は期末考査中というのは他の2校も同じことを言われました。駄目もとでもと思ったのですが……とすると海外のフリーユーザーか……』

「ちなみにどういう経緯で魔法を使用したか、わかります?」

『あ、ああ、失礼しました。本官もその場には偶然居合わせたんですが、車道に飛び出してしまった女の子を救うために使ったと、助けられた本人からも話を伺いました』


 なるほど。それで2人は仕方なく魔法を使ったと。


『ですが、車道に飛び出してしまったきっかけがそのユーザーとの口論によるものでして……また、その時に車両1台を駄目にしてしまいましてね。事情を聞くためにもそのユーザーを捜索中でして……あ、ああ、話が過ぎました。一応ですが、先生の方でも生徒に魔法の使用について注意を促すようにお伝え願いますか』

「はい、わかりました」

『では、本官はこれで』


 耳の奥で回線の切れる音が聞こえた。


「……バッドだ」


 むう、と今まで溜めに溜め込んだ唸り声が口からやっと洩れた。


 あの2人だ。間違いない。

 シズク君には検査後のことは何も言わなかったが、そこは普通に帰ってくるところだろう。ましてやフルオリフィアさんまで……。

 わざわざトーキョーまで出向いて一体何を――……いや、と頭を振る。

 この場所は彼らとは別の世界でありながら同じ世界と遜色ないものだと聞く。

 彼らにしてみたら瓜二つの自分たちのいた国を見てみたいと思っても仕方ない。


「けれど保護者である自分のことも少しは考えてくれ……」


 彼らが魔法を使った経緯は多少はわかった。それがトラブルでの出来事だとしても。

 ただ、それならトラブルを事前に回避するくらいはしてほしいものだが……。

 頭を抱えて肺の空気を一度に吐き出すほどの大きなため息を吐く。


 生徒が起こした問題に自分たち教師という存在は多少なりとも責任を持たなければならない。

 昔のドラマのように熱血教師が生徒のために走る時代は今にはない。

 そして、自分は対局の位置にいるような人間である。だが、そこで知らないふりを通すほどの器用さは持ち合わせていない。


(これだから教師というのは面倒で仕方ない……)


 この道を選んでしまった自分に後悔してしまう。もっと器用に立ち回れるならそうすべきだろうが、そんなことなら自分は学園に居座る真似はしていない。


 別に自分は教師がやりたかったわけじゃない。

 魔法の研究は楽しかったし、元々はそっち方面に向かうつもりで教師と言う職を選んだに過ぎない。

 空いた時間は自由に研究に勤しめるという話も聞いていたこともある。


 自分にとって教師とは教壇に立ち授業を流すだけの簡単な仕事だった。

 教員用のテキストを読み上げ、黒板に文字を這わせていく。そこに自分という個は無く、先人たちの積み上げられた結果を必要最低限の回答として生徒たちに教え……いや、聞かせ書かせる。

 去年は最初に色々と気を配り過ぎたこともあり、自分のペースを崩された結果でもあるからな。

 今年は抑揚も無い授業を心掛けて――……ああ、ほんとうに容易い仕事。


 ……遣り甲斐は無かった。


(遣り甲斐はない……か)


 今年で2年目になるが、教師として祭壇に立ち、初めこそは緊張したものの今では作業と化したものだった。

 まるで一方的に音を流し文字を見せる機械だ。

 機械と化した自分の評判は良くないことは重々承知している。

 ――だが。


(だけど……あの日は違った。機械ではなく、人として自分は生徒に物を教えていた)


 その生徒というのがシズク君。

 数日前、彼が魔法の授業というもの……自分の授業を見てみたいと申し出たことがあった。

 別に断る理由は無かったので、同伴することを1日許可したのが始まりだった。





 シズク君を後ろに控えて教室に入った時、生徒の喜び様は嫌でも思い出せる。

 彼が登場するなり、自分が教室に顔を見せた時に流れる暗雲とした重い空気を一気に吹き飛ばしてしまったのだ。

 顔を見せた本人が一番驚いてはいたが……毎クラス事、膨れ上がった生徒の歓喜を宥めるのに5分以上はかかり、普段なら出すこともしない大声を上げ生徒を鎮めさせたりもした。


(君はアイドルか何かかと耳打ちをした時の、ふるふると顔を振って否定するシズク君は面白かったけれど……)


 生徒の注目は殆ど教室後ろに佇むシズク君へと向かっていたが、期末試験も数日と迫り、その日は試験の要点だけを説明する簡易的な授業を展開する。

 これはシズク君にも事前に知らせておいたので予想していただろう楽しい(もともと楽しいものではないが)授業とはならないまま、その後は自習にし終わるはずだったのだが……。


「魔法を物に付与するってどう言うことなんですか?」


 とか。


「魔法文字ってなんですか?」


 とか。


「それは僕にも使えますか?」


 とか。

 自習となった途端、シズク君は自分へと忙しなく質問を投げつけてきた。

 まあ……残り時間は暇であったこともあり、別に断る理由も無かったので自分はシズク君への質問に答えることになった。

 彼は本校の生徒ではないために、試験等に出すために使用する専門用語を取っ払い、付与魔法について教科書通りの言葉ではなく、自分の言葉で説明を行い……気が付けば生徒たちも自分たちへと授業中には見たこともないほどに注目しているがわかった。


 結局、時間中には彼の質問は答えきれるはずも無く、次のクラスでも、その次のクラスでもシズク君は自分の授業に出て、残り半分の授業時間を彼のために使いもした。


 ――そして、同じ様に生徒が自分たちの話を聞いていた。


 あるクラスでは女子からルーズリーフを1枚譲ってもらい、それに簡易的に魔法文字を書き、紙飛行機を自在に飛ばして披露したら、それを見たシズクくん以外の学生にも喜ばれたのは……驚いた。


(こんな遊びは自分が学生の時にやっていたことだというのにな)


 この学園に入学した当初は自分が一般魔法ユーザーではなく、付与魔法ユーザーであることに少なからず落ち込んでいたこともある。

 普通の魔法に憧れていた存在として、付与魔法でなるべく普通の魔法らしい魔法を使えないかと色々と試行錯誤していた時の遊びだったりもする。


 試しにシズク君にも紙飛行機を手渡して、口頭で説明しながら実際に飛ばさせてみたりもした。彼はものすごい喜んでいた。

 また、そのクラスの生徒も試してみたいと言い出したので、一般魔法ユーザーの生徒には多少の魔力を流す程度でも虹色に発光する魔法文字を即興で書いて渡し、また付与魔法ユーザーには黒板に書いた魔法文字を映した紙を使って鶴を折らせ飛ばすということもさせてみた。

 自習だと言うのに少し羽目を外し過ぎた気もする。

 もう、次があったとしたら、シズク君を同伴させたくはないと思ってしまうのだが……。


(……なんだろうな。この胸の内に生まれた気持ちは)


 教師という職は自分にとって学園に残る手段の1つでしかなかった。

 生活のために止むを得なくついている遣り甲斐の無い仕事だったというのに。

 この数年、研究以外で全く感じていなかった充実感が確かにそこにあったような気が――……。





 ――ぐう。


 自分の腹が鳴る。

 そういえば、最近は研究ばかりでろくに食事に手が回らなかった。今日だって朝食べたのかも覚えていない。

 時間は昼と言うにはあまりにも遅く、あと数時間もすれば夕食と呼ばれてもいい時間だが……いいか、早めの晩飯とどこか食べに行くか……。

 思い立ったらすぐとばかりに席を立ち、職員室を後にして廊下に出たところで1人の女性と鉢合わせした。


「……シオミさん!」

「アサガくんか」


 これはグッドだ。

 こんなところでシオミさんと会えるとは思わなかった。


「今戻りで?」

「ああ、やっとな。検査結果が出て病院から戻ってきたところだよ」

「フルオリフィアさんの件といい、シズク君の件といい、ありがとうございます」

「いいんだ。おかげで私の方でも俄然2人に興味が湧いた。これからも研究に付き合わせてもらいたい」

「はい、シオミさんが良ければこちらこそよろしくお願いします」


 普段は無表情なシオミさんだが、この時は小さく口元が笑う。

 いつものクールな彼女もいいが、こういう可愛い仕草をするシオミさんは自分は大好きだ。

 ……そうだ。


「ところで、シオミさん。実は自分まだお昼まだでして……って、もうこんな時間ですが、よろしければシオミさんも簡単な軽食なんてどうですか? ご馳走しますよ」

「ん? ああ、すまない。間食は控えているんだ。気持ちだけ頂いておくよ」

「そうですか。それは残念です」


 うーん、残念。だが、これは予想の範囲内。

 バッドの後のグッドだったから、あわよくばと期待していたのだがここではグッドは発動しなかったらしい。

 ははは、と空笑いが口から洩れる。

 シオミさんは断る時にはきっぱりと断る。もう慣れた。


(……食事は断られたが……出来ればもっとシオミさんと話がしたい。引き留めていたいが……)


 如何せん話題が出てこない。

 異性との付き合いはそれほどなく、教師になってからはめっきりと減ったこともある。昔の自分はどうやって彼女を作ったのか……さっぱりわからん。

 ああ、そうだ。

 以前作った小型の電磁誘導の話はどうだ? 魔力を流しながらトリガーを引くことで物体を高速射出させる……って、誰がそんな話をして悦ぶ。

 ……いや、シオミさんなら食いつきそうな話ではあるけれど、そういう話とはまた別の話がしたいのだ。

 何かないか。出来れば、シオミさんとはもっとプライベートでお近づきになれるような話を――……。


「なあ、アサガくん。“生命”とはどういうことなんだろうな」


 頭の中で会話の糸口を探していると、シオミさんから話を振ってくれた。


「生命……ですか?」

「ああ、生命、だ」


 生命……か。


「やっぱり、心臓が動いて……いや、生命とはどんな形であれ息吹を持ち自発的に行動を行うという――…………まさか?」


 回答を探して言葉にしていると、何故シオミさんがそんな話を振ったのかを理解する。

 シオミさんが何を言いたいのか、わかった。


「……シズクくんにも臓器は無かったよ」

「そう、ですか」


 言葉に詰まるも、そこまで驚くこともなく聞き入れることが出来た。むしろ、やはり……とも。

 自分もシオミさんも、またここにはいないサイトウも、そして、フルオリフィアさんも……その検査結果を聞くの2度目のことだから。

 事前に聞いていた2人の出生を考えれば、予想通りのものだから。


「フルオリフィアさんと同じだった。レントゲンでもCTスキャンでも彼らの身体の中を見ることは出来ない。超音波検査では機械の故障かと思うほどに、彼らの体内は空洞のような反応を示す。だというのに胸部からは鼓動音が聞こえる」


 機械には映らないのに彼らには骨の感触もある。

 それは自分もフルオリフィアさんの四肢に触って確認を取らせてもらっている。


「体液や尿は我々と限りなく同じだが、多少の魔力を帯びている。採取した爪や毛髪は固形化した……血液に至っては液状化した魔力だ」

「と言うとやはり……」

「ああ、フルオリフィアさんと同じく彼もまた魔力の塊だ」


 生きた魔力とでも言うのだろうか。彼らは人ですらない。

 しかも、魔力とは呼んではいるが、彼らの魔力と自分たちが認識している魔力とは類似こそするが全くの別物でもある。

 彼らの生い立ちに関係しているのかもしれない。二人とも母体からではなく信じられない話だが“卵”から生まれたと言う。

 それが彼らがいた場所では極めて異例なことだとも。


「どう言う仕組みかはわからない。むしろ、魔力なんてもの未だにしくみはわかっていないことは多いが……しかし、彼らは我々と同じく空気を吸い、水を飲み、食事を取り、睡眠を欲する。――なあ、アサガくん。彼らのこと君は思う?」


 ――彼らのこと。

 自分、アサガ・ヨミクサは考える。彼ら、シズク君もフルオリフィアさんをどう思っているかと。


 彼らは自分の昇進に関わった実験で呼び出してしまった産物。少年、少女。自分らとは異質な魔力を使用するもの。自分の魔法の解決の糸口になってくれるかもしれない存在。

 ……それらの自分にとって都合のいい考えは否定できない。


 だが。


 この世界の魔法を知って喜ぶシズク君。

 自分の身体のことを知って落ち込んでしまったフルオリフィアさん。

 今も自分を困らせた存在。一喜一憂をはっきりと体に出す2人……。


(違う。そうじゃない。自分は………………なんだ)


 答えは、頭を悩める必要がないほどに簡単なもので、だけれど、どちらかを選ぶ必要があり、そして、自分はその答えを選ぶ。


「自分は……人として彼らを見ています。それが答では駄目でしょうか」


 勿論、貴重なサンプルという考えも捨てきれない。

 研究者としての回答か。教師としての回答か。

 どちらの回答も自分にとっては正解なのだ。

 シオミさんが弱々しく微笑むのが見えた。


「そっか。よかったよ。君からそんな言葉を貰えて……」

(この回答で……よかったのだろうか)


 2つの回答を天秤にかけた時、比重は人寄りに傾いただけ。この言葉をシオミさんに伝えるか、どうかは……今の自分には出来そうにはない。

 しかし、それでも人として、とまるで体裁を保つために答えた自分に後ろめたさを感じてしまう。

 思考に落ちてしまえば、今の自分はシオミさんに見せられるものではない。


 仕切り直しだ。

 今日は1人で食事を取ってまた研究に戻ろう。

 では、と素直に立ち去ろうとした時のこと。


「あー、アサガくん」

「……はい。なんでしょうか?」

「今晩なら空いている。女の私から誘うのもマナー違反だろうけど……」


 と、シオミさんは自分に近寄ると少し腰を落とし自分の顔を覘き込むように見上げていた。


「……一緒に食事でもどうだい?」

「……は、はい! 是非!」


 錯覚だとは思う。

 シオミさんの頬が少し赤くなって照れている……? だが、彼女は直ぐに自分から背を向けると7時に校門前に集合とだけ言って、早足で去って行ってしまったので再確認は出来ず仕舞いだ。

 でもいい。

 この約束は、この数か月のうちで1番グッドなことだった。

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