第85話 ジャンクフードと都内観光


 午後2時過ぎ。

 先にカナギさんを見送り届けてから僕らもアリアケフェリーターミナルを後にする。

 お昼を食べるにはちょっと遅い時間だけど、お腹はぺこぺこだ。

 どこに行こう、何を食べようか。

 先ほどのしんみりとした空気を忘れるみたいに、和気あいあいと僕らはターミナルを出発し――ものの数分で、僕らは足を止める。

 そいつは、逆三角錐が目に付く大きな会場近くのビル前のベンチに両手を広げふてぶてしく座っていた。


「こ、ここはっ!?」

「なっ、こんなのってずるい!」

「みゅう?」


 動揺する僕らを見てか、訳がわからないとリコが首を傾ける。


「レティどうしよう!? 僕、今なんか変だよ! ここ、ここなの!?」

「シズっ、シズク! 落ち着いて! 他にも他にも食事する場所は沢山あるよ! ほ、ほら、ここフードコートみたいだし、他にもしょく、食事……ううっ!」

「ここ、ここにしちゃうの!? もっとおいしそうなものは沢山あるのに! なのに、なのに! レティ! ここ、ここかな! ここがいいのかな!?」

「シ、シズク! 待って! 落ち着いて! まだここって決めたわけじゃないから! 決めたわけじゃない、ないけど……!」

「みゅうみゅう?」


 僕もレティも、赤いアフロと黄色いがトレードマークのピエロを前に震える他にない。

 口ではどうとでも言っても、足はもうぴったりと地面にくっついて離れない。

 リコは僕らを不思議そうに見つめて足元にじゃれてくる。

 無理だ。思い出したら口に唾が溢れてくる。


 だって、目に付いてしまったのだ。

 そこのビル2階フードコートに、世界的に有名なハンバーガーチェーン店の名前を……もっとおいしいものだってあるはずなのに、ついその慣れ親しんでいた懐かしいものを見つけてしまっては、僕もレティも目が釘付けになるのは当然だった。


「……ハンバーガーが65円?」

「……チーズバーガーが80円?」


 気が付けば2人してふらふらとビルの中へ、そしてお店の受付前にきてしまっていた。

 そして、2人してその価格の低さに何度もメニューを見比べてしまう。

 いやはや、この世界だと物価が違うのかもしれない。

 これもまたあっちの世界とこっちの世界とでの差異だろうか。セットメニューもないし。

 スマイル0円はあったので何がどうしたものかと……。


「ありがとうございましたー」


 飲食スペースはあったけど、外でリコを待たせているので僕らは注文を頼んで即座にビルを出た。

 そして、直ぐにビルの端で丸まって欠伸を上げているリコの元へ。

 僕らに気が付くとくっと首を上げてこちらに駆け寄ってきた。

 鼻をすんすんと鳴らしながら、僕の身体を木登りのように駆け上がり、腕に抱えた紙袋へと顔を近づける。

 通行の邪魔にならない場所に腰を下ろして僕らは食事を始めた。


「……ああ、これ。もうほとんど覚えてないけどこんな味だった」

「うんうん。こんなにも油っぽかったっけ。けど、懐かしい――!」


 塩気が強かったり無かったりと、ごちゃごちゃとしたポテトフライを口に放り込み歓喜の声を2人してあげる。

 もっとおいしいものは沢山あるのに。味も予想できるのに。

 ウォーバンの店でラーメンを頼んだみたいに僕は(もしかしてレティもかな)ジャンクフードに手を出してしまっている。

 でも、後悔は無い。

 バンズは昔ノズ店長から貰ったパンよりもぱさぱさしている。肉は噛み切れるゴムみたい。野菜はしなびてて合っても無くても同じもの。

 けれど、これがとてもおいしいんだ。

 薄っぽいジュースもあっちでは絶対飲めない味で感動さえも覚える。

 思い出補正もかかっているのかもしれない。けれど、ああ、至福。


 僕とレティは感動に震えながら各自でMサイズのポテトとハンバーガーを2個ずつ頂いた。

 リコは包みに顔を突っ込んでがつがつと食べていた。

 うん、選んでよかった。大満足だ。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさま」

「みゅ~う」


 挨拶をし食事を終えた僕らはゴミを処分し、満足感に浸りながら歩き出す。





 最初、向かう先は決めておらず、あっちだこっちだと歩いているうちにレティが思いつき、途中人に道を尋ねながらそこへと向かうことにした。


 コウトウ区を抜けた先は高いビルがいくつも連なっている。

 片側2車線の道路。行き交う数多くの車と人。騒音に包まれた街。


 すれ違う人は背広を着たサラリーマンやOLといった人が多い。学生は当然と言うかこの時間にはいない。平日のオフィス街だ。

 学生が楽しめる場所は少ないだろうってことはこの場所の空気から、そして前の記憶から知っていた。

 見上げた空はビル群に阻まれ、僕たちがいたあの世界の空よりも狭く、薄く、そして高い。連なる高層建築物の溝の中は、こんなにも異質な世界なのに、周りの人は誰もそのことを気にもかけない。

 誰も空を見上げようとはしない。


 僕だけなのかな。

 もしも、僕もあの世界を知ることが無ければ、こんなにも空が高いことを知らないで当然だと思ったのかな。


 娯楽を求めるならばもっと違う場所へ行けばよかったけれど、先にも言ったけどここに行きたいと提案したのはレティだった。

 幸い距離は歩いて1時間弱。

 初めて見る街並みに、きょろきょろと見渡すしながら歩く僕たちは、周りの人の注目を浴びた。おのぼりさんと思われたんだろうか。だけど別に構わない。

 トーキョーは僕が知識として知っている東京と瓜二つだったけど、それでいて地方に住んでいた(と思う)僕はどちらも初めて来たんだから。


 歩いて空を見上げて、周りの建物に視線送るだけ。

 それだけでも、十分に僕は楽しかった。

 でも、どうやらリコは飽きたみたいで、疲れたからって僕の腕の中に納まることになったけどね。


「あ、これこれ。ライオンだよライオン。これ見たかったんだよね」


 レティが行きたがっていた場所とは有名な百貨店の……ライオンの像だ。

 ドラマなんかでこのライオン像はよく使われるから、一度は行っておきたかったそうだ。

 確か、待ち合わせの場所によく使われていると聞いたことがある。

 今は通り過ぎる人は多くも、ライオンの近くに寄って立ち止っている人は誰もおらず、静かに目の前の百貨店を見張る門番と化している。

 

 レティはへえと声を漏らしながらライオンに触れ、リコも同じく僕の腕から飛び出してライオンの頭に乗って……って駄目だよ。そんなのことしたら、と無理やり引っぺがした。いやいやとばかりに鳴き声を上げるリコの頭を撫でて宥める。


「はー、ありがとう。ずっとどんなんだろうって思ってた」

「実際に見ての感想は?」

「まあ……こんなものかな、って言うのが実のところね。もっと凄みがあるのかと思ってた。案外普通でしかも小さい。もっと大きいものかと……あ、うん。わざわざ付き合ってくれてありがとう。見れてよかったよ。じゃあ、折角だからこの店入ってみる? 買い物なんてできないと思うけどさ」

「うん。そうだね。せっかく来たんだから――」


 そんな時だ。

 僕らが現在いるライオンの像の真上、ビル壁に設置された街頭テレビから盛大な音が鳴り響いたのは。

 なんだろう、とレティと顔を合わせ、真上を見上げる。

 テレビは5、4、3、とカウントダウンを読みはじめ、そして0を刻んだ時、爽快な音楽と共に3人の男女が踊りを始めた。

 どの子もまだ15・6くらいの若い子たち。


(あれ……右側で踊っている女の子……見覚えがある……)

「あ……嘘。そんな……カズハだ」

「カズハ?」

「そう、カズハ。知らない? 歌手の羽柴カズハ」

「……はしば、かずは……あ」


 そうだ。思い出した。

 あの右側の子は幼馴染のあの子が好きだった歌手だ。

 たまにカラオケに行った時、いつも彼女はこの人の曲を歌っていたっけ。1番好きだったのがとても寂しい別れの歌だったけど……。


「ああ、そっか。この人、最初は3人グループ“ノルン”に所属してたんだ」

「そうなの?」

「うん、でもデビュー数年で他メンバー2人が海外で事故に遭って、それから数年の休止後にカズハが1人で歌手活動を再開したって……」


 僕は幼馴染のあの子が見ていたテレビ越しにしかこの人のことを知らない。

 でも、言われれば確か、どこかのグループに所属していたと言うのをあの子から聞いたこともあったような……おぼろげでもうすっかり忘れちゃったけどさ。


「で、その時はメインボーカルが真ん中の人だったから、カズハはおまけみたいな扱いだったかな。だからわたしもまったく聞かなかったわけだけど……その、ノルンはあまり見向きもされなかったっていうか――」

「ねえ、そこのあんた! ちょっと聞き捨てならないこと言ってくれるわね!」


 突然、1人の少女が怒鳴り声を上げる。

 何事かと振り向くと、そこには2人の女の子が立ち尽くしていた。

 顔を見合わせると、声をかけたと思しき少女は口をぽかりと開けて硬直したけど、直ぐに眉を吊り上げて僕らを指差す。

 一応、後ろを振り返っても誰もいない。いや、わかってる。彼女は僕らをご指名のようだ。

 少女は目深く帽子を被り、顔に合わない大きめのサングラスを付けていて、ちょっと不審人物のようにも見えた。厚底のブーツをかつかつと鳴らす。


「ノルンが見向きもされない!? 数秒見たばかりで何がわかるって言うの!」


 顔の殆どは隠れてわからなかったけど、うん。この状況誰だってその少女が怒ってるのは目に見えて取れた。

 彼女の罵声は街頭テレビを見上げていた人も、通行をしていた人の目を集める。勿論彼女だけではなく、彼女が指を指差した僕たちも。


「ぐるっ……みゅっ!」


 リコが不機嫌そうに喉から低い声を出しそうになったので、慌てて口を塞ぐ。

 きっと勘違いしている――そのことに気が付いたのは僕とレティの2人だけ。

 レティはどうしたものかと慌て出し、仕舞いに僕を見る。助けて、と懇願した眼差しだ。でも、そんな目で見られても僕にはどうすることも出来ないよ。


(ファンの人じゃない? 事情はどうあれ好きなものとぼされたら怒られるよ)

(う……わたしも一応ファンなんだけど……)


 囁きあっていると何2人で話してるのよ! と目の前の女の子が唾が飛びそうなほど大声を上げて僕らを責める。


「あ、えーっと、そのごめ――」


 レティは若干納得してないような不満な顔をしながらも、謝罪を口にするそんな時だった。


「はいはい、リョーコやめようよ」

「カズ止めないで! あたしは陰でグチグチ言われるのがすっごい嫌なの! こんな――」

「でもでも、人の感想を聞きうけないと。ほら、落ち着いて落ち着いて!」


 と、同じようにサングラスをかけた不審者っぽい女の子の片割れが、そのリョーコさんとやらを羽交い絞めにして止める。だけどリョーコさんは暴れ牛のように手足をばたつかせている。


「こんな、たった数秒しか聞いてないのに、下手って言われて頭に来ない方がおかしいよ! 今日はあたしたちの記念すべき街頭デビュー日なのよ!」

「ほらほら、初見で気に入らないことなんてよくある話でしょう!」

「だとしてもっ、こんな人前で大っぴらげに口にする人が許せないのよ! それがこんな、良いから放して――よっ!」

「ちょっと、あっ!」


 リョーコさんは暴れに暴れたことで、羽交い絞めにしていた1人の少女は押し退けられるように体勢を崩した。

 何度も後方へとたたらを踏み、その身は車道へと仰向けに倒れそうに……。

 そして、運悪く少女のもとに車がクラクションを鳴らして――。


(駄目だ、轢かれる!)


 一瞬のことだったけど、僕はその場に対応できた。

 僕は即座に水魔法を使い、少女が倒れる位置へと大きな水球を生み出し、また不慣れながらに“硬化”させる。

 これは凍らせて固めるんじゃなくて、水のまま表面を固くして固形物にするという水の硬化魔法の応用だ。ルイは器用にこれで水の龍を作ったり、空中に固定して足場にして移動なんてこともしていたけど、僕にはそこまでできない。

 旅先でルイに教わって少しだけだけど身に付いた魔法だった。

 空気中に漂う水分を固定して足場を作るなんて細かな硬化は無理だけど、この大きさなら僕にだってできる。

 また同時に雷の瞬動魔法で移動して彼女の元へと走り込み――!


「――たあっ!」


 彼女が設置した水球に1度跳ねて起き上がったところでまた歩道側へと引き込んだ。彼女を抱きかかえ地面を転がる。

 危なかった。間一髪だったと思う。

 ここまで身体がうまく動いてくれたのもなんだかんだで魔物を退治したり、イルノートに鍛えられたお蔭かな。


(……いや、きっと、あの子の夢のおかげかもしれない)


 彼女が倒れようとしたところには車が通り過ぎて……あれ? 彼女が倒れるはずだった場所の少し手前で、ぶつかりそうになっていた車はフロント部分がひしゃけて止まっていた。

 車の中の運転手が呆然とした顔をしているのが見える。

 なんだ。何か見えない物にぶつかったみたいに……って、僕が生み出した水球の残滓がしっちゃかめっちゃかに見えない壁の中を走り回っているのが見えた。


「これ、風?」

「うん、わたしの風で作った壁……よかった」


 見上げた先、レティが手を伸ばしほっと息をついていた。どうやらレティも魔法を使ってくれたみたい。

 抱え込んだ女の子は擦り傷はあれど、他に他に大きな怪我は無いみたいだ。

 車を壊しちゃった運転手さんには悪いけど本当によかった。


「大丈夫?」

「え、ええ。あり、ありがとうございま……」


 ずれたサングラスから覗いたその眼は未だに信じられないものを見た、ってくらいに見開いていて、呼吸も荒れていた。

 僕もふう、と一息ついて……から、どうしよう。

 僕らを囲んでいる人たちがざわつきだした。

 その中の代表とばかりにリョーコさんが僕らを再度指差して、震える声を上げ始める。


「あ、あんたたち……今魔法を使っ――」

「おい、君たち!」


 と、リョーコさんが声を上げる前に、僕らの間に入ったのは青い制服を着たおまわりさんだ。

 まだ若くも彫りの深い箔のある顔をしている。その恰好をしてなかったらの人に見える。体格のせいかそれともサイズが合わないのか制服がぴっちりと窮屈そうで、長身の胸板が厚さを主張している。

 イカついおまわりさんの眼光は鋭く、尖端は僕らを捉えている。


「君たち。今魔法を使用したね。それに、その髪の色……アヤカ区の学生か? こんな時間に何をしているんだ」

「え、え? え?」

「ちょっと、まって!」

「どう言う経緯か……本官はよく見てはいないが……何かしら言い分はあるだろう。少し、そこまで来てもらおうか」


 そこ、というのはつまり交番だろうか。流石に親指であっちとは指されなかったけど、僅かに動く顎は同じ意味を持つ。変な貫禄があるよ、この人。

 こくり、と唾を飲む。うーん、拙い。

 この状況を説明する程度ならいいけど、それ以上だったら本当に拙い。

 ここで捕まったら後でどんな対応を取られるか。通報されて、学園側に連絡が入ってアサガさんが保護者として現れて……それだけなら100歩譲っていい。

 いや、迷惑をかけるから嫌だけど。

 ただ、それ以上に身元がしっかりしていないと知られた場合、僕らがどんな扱いを受けるか……考え過ぎかな。

 でも、何が起こるかはわからないけど好ましくない状況だろう。


 じわじわとおまわりさんが僕らとの距離を詰めてくる。それに合わせて僕らも1歩、2歩と後退する。もう後がない。よし。

 「リコ!」と呼んで駆け寄ってきたその小さな体を抱き寄せる。

 暴れるわけにもいかないし、かといってそう簡単に捕まるわけにもいかない。だから、これしかない。

 ここは逃げ――


『シズク逃げるよ』

「え、レティ?」


 あっちの言葉を使って僕へと声をかけるレティ。


『いいから! わたしが引っ張るから。風の浮遊魔法使って身体軽くして! 一気に飛び上がるよ!』

「おい、何を話している!」


 言うなりレティは僕の手を繋ぐと、宙へと浮かんだ。

 周りが悲鳴ともつかない声を上げる中、僕らは急上昇し、この狭く高い空へと掛け昇った。


「ざ、ざむいっ!」

「ががまんしなざい! 君のせいでこんなことになっちゃったんだからね!」

「みゅ、みゅぐう……」

「レティだって悪いのにー!」


 たった数十メートル空に上がっただけなのに、ビル風は強く凍てついて肌に突き刺さるみたいに痛かった。

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