第80話 長い夜を迎えて

 目を開けると、部屋は薄暗く僅かな白光が物陰の隙間から差し込み部屋の中を染めている。まだ早朝。

 柔らかくぬくもりの詰まった布団の心地よさは開きかけた瞼を優しく押さえつけて閉ざそうとする。まだ眠い……。


 なんでこんな時間に起きたのか。

 身体が勝手にこの時間に起きることを決めていたように目が開いた気がする。だけど、身体は睡眠を欲していて頬に触れる寒気に反してぬくぬくの布団は僕を掴んで離さない。

 起きろと僕の中の誰かが呼びかけてくるけど、その言葉は布団の魔力が追い払っちゃう。

 こんなのに抗えるはずはない。


 もう一眠りしようと、寝返りを打とうとした――その時、僕の身体は何かに阻まれるように動きを止める。

 片腕は何かの下敷きにされていて、太股と腰はがっちりと何かに捕まれていて……どうやら僕の身体に温かい何かが絡みついているようだ。

 おもむろに布団をめくり上げてみる。


「……ルイ」


 そこには青髪の少女がいた。

 寝ぼけて僕の寝床に入ってきちゃったのかな。布団を上げた時、冷たい外気を嫌がるみたいに、ぎゅっと背中に回された腕が強く僕を引き寄せる。

 今日は寒いからね。僕の腕を枕代わりにしている“ルイ”に思わず一つ笑みを落とす。


(一緒の寝床で寝るなんて久しぶりだね……)


 旅をし始めた最初の頃までは一緒の毛布で横になっていたのにね。

 自分の寝床に戻ってもらおうとも考えたが、その寝息はとても安らかで起こすのも忍びないと思い踏みとどまった。


「仕方ないな……」


 僕は“ルイ”を起こさないように布団を掛け直し、自分もまた眠りにつくことにする。


(……ん? 今、何か弾力のあるものに触れたような?) 


 手を布団の奥に仕舞おうとしたはずみに、指先が重みのある肉の塊を弾いた。

 布団を少し上げて中を覗き込む。接触した部位はどうやら“ルイ”の頭の下あたりで、記憶にはない膨らみがある。衣服の弛みかと思うも、少し不思議に思ってそこに手を伸ばす。


「あれ……柔らかい……?」


 硬い二重の布地に包まれたそれは押し返してくるほどの弾力があるし、あったかい。大きさは自分の手の平大のはみ出るくらいで重みもある。揉んでみると手の中で色々と形を変える。


「……ぁ……ん……」


 力を入れて強く指を食い込ませると“ルイ”が苦しそうに呻いた。

 あ……と直ぐに力を弱める。これ、ルイの身体の一部だったんだ。


「ごめんね……」


 寝ている本人に聞こえるはずもないのに謝っておく。

 勿論“ルイ”からの返事なく、僅かな寝息を立てるだけ。よかった。起こしちゃったらかわいそうだよね。でも、温かいし感触もいいから手は放さなかったけど。


(しかし、ルイにこんなやわらかい部分があったなんてなあ……)


 その後、五指を動かしてその感触を楽しみながら、考える。

 ――女の子の、柔らかくて、丸いもの。


「…………あ」


 急激に頭が冴えていく。今までまとわりついていた眠気が吹き飛ぶような……僕の鼓動は高鳴っていく。

 え、ももも、もしかして、ここれってえ? いやでもまさか……。

 しかし、実際に考えられるものといったらそれしかない。

 女の子の持つ柔らかくて丸いもの。


(これは、胸……? い、いやいや! ルイは確かにそれなりに膨らんできたけど、こんなに大きなものじゃなかった! 不可抗力とはいえ半年前に触ったんだから! だから、こんな劇的な変化が起こるはずはない! じゃあ、どうしてって、あ……そうだ……)


 即座に手を放し、ぴんと腕を伸ばして硬直する。

 そうだ、僕は――


「レティと一緒に寝たんだった……」

「ん……」

「ひぐっ!?」


 悩ましげな声を上げながら、レティが薄らと目を開けて僕を視認した。

 ぱちくりと瞬きを繰り返した眼と見つめ合い、はっとレティは驚く。

 その後、若干俯いて恥ずかしそうに僕を睨むような、はにかむような……そんな曖昧な顔をレティはする。

 動悸が激しくなりながら。顔が熱くなりながら。息を止めながら。

 頭の中がぐちゃぐちゃで混乱しながらも……可愛い、なんて思ってしまう。


「……おはよう」

「……お、おはよう、ございます」


 戸惑いつつも挨拶を返したら、レティはゆっくりと僕がいるベッドから離れ、自分のベッドに座った。いそいそと後ろにまわっていたうさぎのフードを被り直し始める。

 そのまま、僕もベッドから抜けてレティに向かって座り直す。

 布団を抜けた後、ひやりと身体を寒気が襲う。この寒さは部屋のものか、それとも僕自身の今の立場から来るものか。


(やっぱり、胸を触ったことを怒って――)

「……ありがとうね」

「え?」


 聞き返してしまう。ありがとう? 聞き間違え?

 レティは小さな唸り声と共に僕を睨み付けてくる。

 やっぱり、胸を触ったことを怒っているんだ……と思って、怒られるのを覚悟した――ところで、レティは直ぐに口元を緩め、目尻を落とす。

 照れを見せながら、赤みのある頬で薄らと微笑む。

 それから、再度口にする。


「だから、昨晩はありがとうって言ったの。……一緒に寝てよかった。悪夢を見たっていうのに、こんなに目覚めがいいのは初めて」

「いえ、こちらこそ……ご立派なものをありがとうございます……」

「え、どういうこと?」

「な、なんでもない!」


 うわ、何を言ってるんだ。

 気が動転して思わず口を滑らせる。僕の馬鹿!

 でも、レティは変なのと首を傾げるだけ。どうやら胸を触っていたことに気が付いてなかったみたい。

 心の中で盛大に安堵した。


「……でも、よかった」

「何が?」

「ううん……やっぱり、男の人のベッドに入るのが不安だったんだ。だけど、うん。シズクを信頼してよかったってこと」

「あ、ははは……それは、僕こそ、よかった……」


 ……乾いた笑いが漏れる。罪悪感に押し潰されそうになった。

 ごめん。レティ……寝ぼけてたとはいえ、レティのおっぱい触っちゃいました、とは胸の内に秘めておくことにする。物凄い反省。


(そういえば……今朝の目覚めは僕もよかった)


 レティの言うように、あの悪夢を見たその日は一日中体調不良と気だるさに苛まれていたというのに、今はまるで快眠後みたいに調子がいい。暗雲とした心の疲労もこれっぽっちも感じない。

 どうして――なんて考える必要はないかも。理由は……薄々とわかっている。

 それは――


『……ズク! いい加減気づいて! きたっ! シズク、きたよっ!』

「あれ、リコおはよ……ん、きた? 来たって何?」

「どうしたの?」

「ん、なんかリコが――「ミヨがきたよ!」――……みよ? みよがきたってなに?」


 リコの言葉が僕の口から勝手に漏れる。

 僕の声を伝ったリコの発言にレティが顔をしかめた。


「ああ……ミヨさんね……」


 え、みよさんってなに?

 尋ねる前にレティは僕に、いや、リコに向かって言い放つ。


「リコちゃん今どの辺にいるの?」

「え――「もう部屋の外」――……だって」

「わかった」


 リコ、僕の口で話すなら事前に言ってほしい。思わず舌を噛みそうになるんだ……なんてことは言ってられない状況みたい。

 レティは大きく溜め息をつくと部屋の入口へと足を向ける。

 一人置いてけぼりを食らいつつ、首を傾げながらも彼女の後ろに続く。ひらひらと彼女の頭から生えた白い耳が揺れる。


 部屋の扉の前まで行くと、ドアノブの付近から小さく金属が擦り合うような音が聞こえてきた。

 これは……?

 レティはその音を気にするでもなく、扉の鍵を開けては即座にドアを開け放った。


「あ痛っ!」


 何かにぶつかる音と同時に悲鳴が上がる。……人の声?

 今度はゆっくりとレティは扉を開くと。ドアの後ろ、というか前には銀髪をツインテールをした女の子が鼻を押えてうずくまっている。見るに、開け放たれたドアに顔をぶつけたようだ。

 女の子は悲痛な声を漏らしながら僕らを見上げる。

 一瞬、女の子の手に銀色の細い棒が見え、確認をする前にすっと袖口の中へと消えていった。

 これ、もしかして鍵を開けようとしてた?


「おはようございます。ミヨさん。扉の前にいるのは危ないですよ」

「いふぁ……あ、ああっ! フルオリフィアさん! 今日は早起きなのね! それにリコちゃんまで! てっきりまだ寝てるものかと……ちっ」

(ん、今舌打ちをしたような?)


 彼女はそんな悪態が無かったかのように笑みを作ると、レティへとしな垂れるように腕に絡みつく。涙目で鼻が赤く、やせ我慢か笑顔は若干引き攣っているのがわかった。

 僕らよりもちょっと背の高い女の子。これがミヨさんかな。


「改めておはようございます――あら、まだ可愛いパジャマのままなのね。その動物さんパジャマ、ライオンさんにウサギさんでとっても可愛い! ふふ、お姉さん捕まえちゃいたい! そんなライオンさんとウサギさんなら私がいつでも起こしてあげるのに!」


 ミヨさんはレティから僕、僕からレティと眼球を忙しなく移動させて着ている寝巻にうっとりしながら早口で捲し立てる。


 ミヨさんの言う通り、僕らは動物をモチーフにした着ぐるみパジャマを着ている。

 フードには僕のだとぎざぎざの鬣と耳が、レティのは垂れ下がった長いウサ耳が付いている。

 このパジャマを選んだのはリコだと昨日着替える時に教えてもらった。


「いいえ、結構です。自分で起きれますから」

「うふっ、恥ずかしがらなくてもいいのに……いいわ。また来るわね。あ、リコちゃんどうしたの? 今日は機嫌悪い? いつもよりちょっと目が吊り上がってて、でも、それも素敵……じゃあまたね!」

「ええ、では」


 別れの挨拶を告げるなり、レティの頬に一つ唇と落とすとミヨさんは早足で去って行ってしまう。

 後には呆気に取られる僕らだけが残った。


「あれね……今頭を悩ませている1つ。外では普通なのに、人目が無いところだと過剰なスキンシップがちょっとね……」


 レティはキスされた頬をさすり、うんざりとしながら答えた。


「そうなんだ」

「そうなんだって、一応、君もマークされてるんだからね?」

「はあ? 僕が?」


 僕が、そのミヨさんにマークされている? レティならわかるけど、なんで僕が……って、僕は首を振って考えるのをやめた。


 カガミ・ミヨ。このかえで女子寮に住んでいる、第一分校に籍を置いている三年生だ。

 周囲からの評判は控えめながらも良く、普段は物静かで礼儀正しい人だという。

 ただ、一部の行動に目を瞑れば、と皆は口々に言ったとかなんとか。


 部屋の中へ戻り、着替えをしながらミヨという人について、聞いた内容がこんな感じだった。

 この世界に来た当初、レティはミヨさんには面倒を見てもらっていた時期があったそうだ。

 最初の数日は面倒見のいいお姉さんだったが、次第に……身体的接触が過激になっていったらしい。


「決め手は一緒にお風呂に入ったときかな。断る理由も無かったし、そういう親睦だと思って入ったんだけど……なんか、もう身体中を執拗に触られてね……」

「へえ、身体中を……か、身体中をっ!?」

「そう……って、そこ興奮しない! ……も――シズクやめてよ。その変な反応、昨日とギャップあり過ぎ!」

「う……ごめん……」

(……たく……昨晩はあんなに頼もしかったのに……)

「え、なに? 今なんて言ったの?」

「ななんでもない!」


 ……ごほん。

 それからは距離を取り始めたんだけど、その対応が逆に彼女の行動を増長しちゃったみたい。

 朝は今みたいに勝手に部屋に侵入してくるほど、とか。

 今まではリコが先に起きて先手を取っていたという。


「……もしかして、そっちの“ケ”があるの?」


 って聞いたらレティは唸り声を小さく上げ、ノーコメントとだけ口にした。そういうことなんだろう。

 ちなみにリコはリコで自分から遠ざかってうまくやり過ごしているらしい。


 今のところは過剰なスキンシップ以外は危害もないし、外では親切なお姉さん。心配なのは1人でいる時や、気を抜いた時だけだから大丈夫、なんて全然大丈夫そうじゃないけど……。


「シズクも彼女には気を付けてよね。いい? 何かされて君が男だってばれるのが一番困るんだから」

「……うん、わかった」


 先に着替え終わった僕はバスルームの中で返事を返した。


『ほーら、やっぱり似合ってる!』

「嬉しくないよ……」


 鏡に映る自分の格好を見て、先ほどの調子の良さが嘘みたいに沈み込む。


「着替え終わったから外に出てもいいよ」


 僕から遅れること数分、着替えを済ましたレティの許しを得てバスルームから出た。

 多少の抵抗を覚えながら……。


「……はぁ? え、ちょっと待って。何? どしたの? あんなに嫌がってたのに、どうして女子の制服着てるの?」

「これには深い事情がありまして……」

「……もしかして、女装癖――」

「やめて! レティにだけはその勘違いをしてほしくない!」


 それと言うもの、現在の僕は目の前にいる青髪の少女と同じ、白いブレザーにスカートを穿いているからだ。

 メイド時代よりも丈の短いスカートは思った以上にスース―して落ち着かない。

 後退りながらレティが向けてくる白い目に居た堪れず、すぐにでもサイトウさんから借りているジャージに着替え直したいが……それを許してくれるはずもない。


「……ま、まあ、趣味は人それぞれだしね」

「ね、ねえ! 違うんだってば!」

「ううん、私は別に何とも思ってないよ! ほ、ほら、2か月間君は意識が無かったとはいえ、その恰好で過ごしていたのは事実だし! 大丈夫、私はすっかり見慣れてるから……」



 


 その後、若干距離を取られながらも2人で食堂へ向かったところで、昨夜と同じくリコが僕の腕から飛び出てきた。

 驚いたことに今回リコの身体はあの大きな成長した獅子の姿ではなく、鬣もまだ生えてない出会った頃の猫のような小さな姿だった。

 これを見て僕とレティは目を丸め、同時に朝食に来ていた寮生の人たちからは昨夜とは違った悲鳴が上がる。


「みゅみゅ~」


 困ったような鳴き声を上げながら寮生から身体中を撫でられていたが、嫌ではなさそうだ。


「よーおはようさん。朝から騒がしいなって、野花ちゃんどしたの? そんな暗い顔をして」

「サイトウさん……僕の格好を見て何か思うところ……いえ、なんでもありません」

「ん? いつも通りだけど?」

「ですよね」


 その後のリコはサイトウさんから出された昨夜の残り物とは別に、可愛がってもらった寮生たちから食事を別けてもらい、大喜びで容器に顔を突っ込んでむしゃぶりついていた。

 がつがつ食べては寮生に可愛がれているリコをそのままに、僕らは僕らで朝食を開始する。


 今朝はソーセージと目玉焼きと生野菜と軽いもの。

 パンかごはんから選べるって聞いたらそれはもう迷うことなくご飯を選ぶ。

 お味噌汁もいただきます。


「ご飯が終わったら登校だよね?」

「うん。でも、実はわたしもリコちゃんも授業は受けてないの。代わりにわたしはアサガさんやサイトウさんのTAをしてるんだ」

「TA?」

「うん、ティーチングアシスタント。授業中のお手伝い。昨日も言った通り殆どが機材運びとか雑務だけどね。ちょっとだけどお金も出るの」


 レティはこの二か月、アサガさんとサイトウさんの手伝いをしてお金を稼いでいたと言う。

 リコは面倒だからってことでお昼寝ばかりしているみたい。体育の時間や、放課後になったら部活動の時に学生に混じって参加しているとのこと。


「じゃあ、待って。リコの生活費もレティが?」

「生活費って言っても朝晩は寮で取れるし、お金使うのは昼食の時くらい。でも、サイトウさんのツテもあって別口でお金は稼げてるからそこは気にならない程だったかな」

「でも、悪いよ。今度は僕も働ければいいんだけど」

「気にしなくてもいいって。これでも楽しんでやってるんだ。リコちゃんも何かと手伝ってくれたりもしたしね」


 不思議なことに制服は支給され、家賃も無料で学園が寮を提供してくれたからお金にはそこまで困ってないそうだ。アサガさんも知らない学園の上の人からの計らいとかなんとか……。

 食費も、リコは沢山食べるけどそこまで負担にはなってないってレティは言う。

 また、食費よりも衣類や雑貨の方が大きく懐を痛めているなんてレティは苦笑し……そんな話をしながら僕らは朝食を口にしていた。


 ただ、食事を始めてしばらく経った頃、僕の箸の進み具合は遅くなっていった。  一口ほど箸でご飯を掬って、口へと運ぶ。

 美味しい……美味しいと思う。でも、本当は味なんてわかってないかも。

 二回目のごはんだっていうのに、美味しそうなのに。席に着く前はあんなにも食欲があったのに。


 原因はわかっている。目の前にいるレティだ。

 朝からミヨさんと遭遇してて考える間もなかったけど、こうして席について、レティと向き合った時。

 彼女の顔を直接見ている今。


 レティに対する何かが僕の中で大きくなっていくのを感じてしまう。


 ……綺麗な人は、たくさん見てきた。

 元の世界でも綺麗な人はたまにすれ違ったり、テレビの中では毎日と目にしていた。

 あっちの世界では、旅をしていると僕のいた世界が狭いことを教えてくれるほどに色々な人とすれ違いそして交流を交わした。

 綺麗な人を見かけたら思わず目で追ってしまうことだってあった。その後に決まってルイが僕を見ていた……そう、その中でもまだ子供で幼いのに1番目を惹いていたルイを僕は見てきた。


 ルイとレティは似ている。それこそ血縁関係者のように。

 イルノートや人が変わったようなリウリアさんもそれらしきことを最後に言ってた。だとすると、2人は血の繋がった家族なのかもしれない。

 真相は、未だ知らない。

 でも、2人が家族だったとしたらそれこそおかしい。

 今では2人を見分けれると思っている僕が、昨晩の一件により、レティを意識してしまっている。

 ふと、気が付けば僕はレティの一挙一動を無意識に目で追ってしまうほどだ。


 ご飯を美味しそうに食べるレティ。ふと髪を掻き揚げるレティ。僕と目が合うと薄らと細めるレティ。

 些細なレティの反応に僕の胸は酷く締め付けられる。

 もしかして、僕はレティに……。


「食欲ないの?」

「そんなことないよ!」


 そんなことない。

 彼女はルイの大切な友人だ。そして、僕の――……。

 言葉が出ない。


(僕の……なんだろう)


 僕とレティは友人? 僕とレティの関係って何だろう。

 なし崩れでこんな間柄になっちゃったけど、僕らは友達なのかな。

 レティと友達になりたくないわけじゃない。

 でも……今僕が抱いているこの感情は何?


(……僕は、レティを、好きになってる?)


 いいや、そんなはずはない……ないよ。

 レティだよ? レティはルイの大切な友人なんだ。それ以上のものなんて存在しないし僕から生まれることなんて……それに。

 この感覚は、昨夜の性的な欲求から来たものだってことも否めない。


(何もないとはいえ、僕はレティと一緒のベッドで寝たんだから……)


 性的欲求からって、それはそれでレティには失礼な話でもある。

 この気持ちが果たして恋心なのか、それとも、女の子と身体の接触をしたことによる欲求的なものか。

 それは、自分自身のことだとしても、今の僕にはわからない。


(……あ……)


 頭を悩ませていると、また1つ疑問が浮かんだ。


(……僕が誰かを好きになる?)


 ……考えたことも無かった。


(僕は……あの子を忘れて誰かを好きになれる?)


 この身体になって、生きることに精一杯で、昔のことで縛られて、ルイを守ることを第一にして。

 でもそれは昔と今しか見ていなかったってこと。

 その後について僕は一度も考えたことは無い。


(僕は、この先……誰かを好きになって一緒になることがあるのかな)


 百歩譲ってこの気持ちがレティに向けられているものだとしても、未だに僕の心の中にはあの子がいる。

 なのに、レティの笑顔にルイの笑顔とあの子の笑顔が被る。

 守るべきもの。守りたかったもの。守らないといけないもの。

 レティは……。


 結局考えはまとまらず、僕はこのどうしようもない思いを食事にぶつけることしかできない。

 お茶碗を持って口の中に十何年と焦がれた2度目の白米を無理やりかき込み、お味噌汁で流す。

 美味しいことはわかるのに、味はわからなかった。





 その後、僕はレティに心配かけまいと、ついついごはん2杯も食べてしまった。

 食べ過ぎたってやった後で後悔してたら、リコは毎日3杯以上食べていたらしい。僕の身体で3杯以上って……2杯だってお腹いっぱいなのにな。


 食堂ではミヨさんが奥の席で食事を取っていたけど、僕らに気が付くなり小さく笑みを浮かべるだけ。それ以外では相席している他の寮生と和気藹々と食事をこなしている。

 涼しげに笑う彼女が僕と目が合うと目配せをしてきた。

 朝見たあのはしゃぎようからは想像できない。


「ごちそうさまでした」

「……ごちそうさま」


 味気ない食事を終えて部屋に戻り、レティに急かされて準備を終えると女子寮の玄関へと向かった。

 ずっと悩んでいたために体調不良かと思われて心配されたけど、そこは食べ過ぎたことにした。


(ええい! こんなんじゃだめ!)


 自分の頬を強く叩いて気持ちを切り替える。リコから不思議がられたけど……いいや。ひりひりする頬を撫でながら僕は玄関へと目指す。

 まだ登校するには時間は早く、廊下では未だに寝巻のままの生徒と通路ですれ違ったりもする。

 改まって朝の挨拶をしてくれる人もいた。


「いい人も多いの……なんて、わたしも昨日まで避けてたんだけどね」

「これから仲良くしていけばいいよ。リコのおかげできっかけは見つかって、やっと開いたんだからさ」

「……うん」


 行ってきます、と声に出して玄関を抜ける。

 サイトウさんはもう出発しているそうだ。一応教師だしね。


「鍵はどうするんだろう?」

「さあ? そんなの気にしたことなかったわ」


 そんな不用心な。だから泥棒に入られたんじゃないの……?

 まあ、いいか。

 リコの赤いマフラーを巻いて僕は空を見上げた。


 12月1日。天気は曇り。雨は降りそうにはない。

 空を見上げて歩みを始めると、レティが意地悪そうに笑って僕を見た。


(もう、大丈夫)


 レティの顔を見ても先ほどみたいな動揺はない。僅かに胸の中でしくりと痛みがあるだけだ。


「じゃあ、まずは……トラブルも無く学校にたどり着くことが目標よ?」

「え、どういう――」

「あ、来たぞ! 高嶺ちゃんたちだ!」

「青百合ちゃん! 野花ちゃん!」


 寮の外に出た途端、押しかけてきた男女に僕は目を丸くするだけだった。

 食堂での悩みは、この騒動から逃げている間に頭の片隅へと押し込まれ、学園に着いたころにはすっかり忘れていた。





 こうして僕はこの世界で懐かしくも真新しい生活を送ることになった。

 日中は図書館で過ごし、その間暇だと言うリコには人型(リコの希望)で外に出てもらうようにもなった。

 一応、僕らが鉢合わせしないよう注意してね、とは言っておいたけど……。


 サイトウさんには誰もいない時に改めて謝罪した。そしたら、変な顔をした後にくつくつと笑われてしまった。


「野花ちゃんは青百合……フルオリフィアのこと好きなの?」

「ち、違います!」


 違う。

 違う……と、否定しつつも、心は否定はできずにいた。


「俺はどっちかというとスレンダーな女の子の方がタイプだしな。フルオリフィアは可愛いけど、まあー年下過ぎっていうか、生徒だし? 安心しなって」


 別に心配してないけど――とは思っても口から出ることは無い。

 だって、心のどこかでほっとしている僕がいた。

 にたにたと笑うサイトウさんを前に、ただ顔が熱くなるのがわかった。

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