第79話 真夜中の2人

 ――いつも思う。


 僕がもっと彼女のことをもっと強く抱き留めておけば、と何度も後悔を重ねて。


 そうしたら、一緒に死ねることができたんじゃないかな。

 そうしたら、彼女のあの笑顔を見なくて済んだんじゃないかな。

 そうしたら、僕はあの子とに行けたんじゃないかな。


 でも、この夢の中の僕は僕の言うことを一度だって聞いてはくれない。

 今回もそうだ。力を込めるのは最初だけで、彼女の泣きじゃくる声を聞いているうちに弱まり、最後にはまるで覆いかぶさる程度の抱擁になっていた。

 彼女のすすり泣きがぴたりと止まる。


(きた……)


 とん、と胸を押されて訪れる浮遊感。尻もちを付きながら彼女をきつく睨み付け、そして目にするあの無理やり繕った笑顔……。

 顔をぐちゃぐちゃにして、精一杯の笑みを浮かべて僕を見送る。


(……いやだ! やめて! 逃げて! ――僕を置いていかないで!)


 僕は上がるはずがない腕をすがるように彼女へと突き出す。だけど、届かない。届くはずもない。

 これは夢で、夢の中の僕は一度たりとも動くことは無くて、彼女が消えていく様を無様に見ているだけで、僕が突き出したつもりの腕は、未だにだらりと下がっているのだから。


 もう、何度も、何度も何度も何度も目にしたこの光景。

 同時に何度も、何度も何度も何度も願った言葉たち。

 だけど何度も、何度も何度も何度も無情にもその時は降り注ぐ。


 ――空から落ちてきた瓦礫が彼女を覆い隠し、赤い血溜りと腕だけを残して消えた。


 今回も変わらない、いつも通りの結末だ。


(ああ……もうすぐ終わる……)


 夢の中の僕が叫ぶ。

 夢の中の僕は茫然とその時を待つ。

 夢の中の僕が叫びながら空を仰ぐ。

 夢の中の僕は結末へと目を向ける。

 夢の中の僕が。夢の中の僕は。夢の中の僕たちへ。


 ――続いて落ちてきた瓦礫に僕たちは飲み込まれ……。





「…………っ…………はっ!」


 掛布団を払いのけて勢いに任せて半身を起こす。

 乱れた呼吸は何度も僕の肩を上下させる。真っ白な頭は、両目からこぼれ続ける涙を感じて次第に落ち着きを取り戻していった。


「そうか、僕は……」


 また、あの夢を見ちゃったんだ。

 もう何百と見ているのに心も、身体も一向に慣れない。

 目からは後にも先にも涙がこぼれ続け、全身に強く悪寒が走る。


 駄目だ。

 辛い。


 この夢を見た晩は朝になるまで眠れない。

 あの光景が頭から離れなくて、それでずっと眠れないままで。日の光を見て安堵し眠気が襲ってくる。

 奴隷として生きていた時は、そのまま起き続けていることもざらだった。次の日が休みだった時は心から喜んだ。

 ルイとイルノートと旅をしていた時は、昔から事情を知っていてくれたために、眠った後はそのままで運んでくれた。未だ、2人には夢の内容は打ち明けたことは無いけれど……。


「…………ぅ……っ……ひっくっ……ぅ……くっ……っ!」


 悪寒が、震えが、嗚咽が止まらない。

 声を噛み殺して布団の中に蹲り、自分の身体を抱きしめる。

 いつもと違う。

 いつもは目覚めても寝れないだけだった。けれど、今はこんなにも身体が震えて仕方がない。


「……っ……ひっ…………つぁ……」


 いつもなら止まる涙は、今日に限って後から後から押し寄せるかのように流れ落ちる。


(…………どうしよう)


 この状態で朝が来るまで耐えないといけないのか。朝まであと何時間あるのか。

 わからない。

 今はいったい何時なんだ。


「時間……そうだ。ここは、この世界には時計が……」

「……っ……やだ……っ……いや、いやだっ……!」

「……っ!?」


 布団から這い出て時計を探そうとした矢先、隣のベッドから悲鳴混じりのくぐもった声が聞こえてきた。カーテンの閉じられた部屋は真っ暗闇で、僅かに見えるのは身を震わせる姿だけ。

 魔法で指先に光を灯し、宙に固定しながら声の主を探す。

 仄かに灯る光玉は長い耳のついた真っ白なうさぎの顔を照らし出した。

 いや、これは隣人の寝巻に付属しているフードのデザインで、その下には顔を歪め苦しそうに呻いているレティがいた。


「レティ……レティ……大丈夫?」


 苦しむその姿に自分自身と重なる。僕ももしかしたらこういう感じだったのだろうか。

 肩を揺さぶり何度目かの声掛けで、レティがうっすらと、そしてはっきりと目を開けた。


「……っ……? ……はっ――……っ……! ……あっ……シズク……かあ……」


 レティは辛そうに、それでいてほっとしたかのような声色で僕の名を呼ぶ。

 それから……無理して微笑む。

 眉間に皺を寄せながらも、目を細めて、口を弱々しく曲げて。

 まるで、今の姿を見なかったことにして、と言わんばかりに。


「大丈夫? すごいうなされていたよ……」

「ううん……なんでもないよ……」


 心配を掛けまい、とばかりに彼女は首を小さく振る。


「なんでもないって……」

 

 光玉が照らして光るレティの目元……今も流れ続ける涙の痕を見てしまっては。


「そんな風には見えないよ……」


 僕はベッドの間にある照明に明かりを灯した。

 魔法で灯した僅かな明かりが掻き消えるように、電球の光がこの部屋に色を落とす。その先で僕は見つける。

 やっぱり、とレティの瞳からぽろぽろと涙をこぼしていた。

 ――レティ、泣いてるよ。


「シズク……泣いているの……?」

「……っ……うん……」


 言おうとした言葉を先に言われてしまい、口を閉じ、躊躇ってから返事を返した。

 レティが弱々しく腕を上げて僕の頬に手を添えてくる。

 冷たい、手だった。


「酷い顔だよ。涙でぐっしょり」

「レティだって……」


 自分の顔がどうなっているかは頬を伝う涙でしかわからないけど、多分レティと同じくらい泣いていたと思う。

 指摘した後にレティは自分の頬を触って、ごしごしと布団で顔を拭く。それから照れ隠しみたいに小さく笑って身を起こす。

 起き上がった拍子にうさぎのフードが脱げて、綺麗な青色の髪が舞う。

 ぱらぱらと落ちた髪を掻き揚げる仕草の一瞬、レティの顔が悲痛に歪むのを見てしまう。

 でも……。


「えへへ……心配させちゃったね」


 彼女は笑う。


「心配だなんてそんな……」

「わたしのことはいいよ。それより、それよりもさ。シズクこそ、大丈夫なの? 顔色悪いけど……」


 人の心配ばかり。


 レティだって同じ。

 笑顔を作っても、気丈に振る舞っても、覇気のない真っ青な顔をしている。

 ……僕に対してなのか、何に対してなのか、それはわからない。

 でも、彼女がその何かに強がっているように見える。


「……こんな時に無理しないで。レティこそ酷いよ……何か病気とか……?」


 訊ねると、レティの作った笑みが固まった。

 それから大袈裟にえっととか、そのとか、口ごもりながらも病気ではないと否定する。

 でも、じゃあ……どうして?

 再度聞き返すと、レティは言い難そうにぼそりと答えてくれた。


「……夢?」

「あはは……馬鹿みたいだよね。こんな大きくなっても夢で泣いちゃってさ。うん……だから、気にしないで。本当に夢のせいだから」

「……本当に?」

「うん、もう何回見たのかもわからないくらい、何度も同じ夢を見るの。今回もそう……わたしがね。メレティミになる前の普通の女の子だった時の最後のこと……」


 夢。

 夢を見た。もう10年以上も前の前の世界の最後の夢を。

 僕と同じく、レティも……。


「僕も……」

「うん?」

「……僕も、同じなんだ。この身体になってからずっと同じ夢を見るんだ。昔の、最後に見た光景……。それで、同じくいつも泣きながら起きちゃう……」


 そっか……と、レティは憑き物が落ちたように呟く。


「シズクも……同じ、なんだ……」


 もう無理して笑ったり強がったりはしない。

 感情の無い顔でレティはこちらを一瞥してから俯き、僕も向き合いながらベッドの上に座り続けた。


 僕らの間には見えない壁が出来ていて、どちらからも何も通さない。

 かちかち、と時計か何かの音だけが部屋の中で鳴り響く。

 顔を上げてレティの様子を窺うと、悲壮感の漂う落ち込んだ表情をしている。ベッドに戻ろうとする気配はない。


 レティも起きてしまったら寝れないのだろうか。

 もしかして、起こさない方が良かったのだろうか。


 ――聞くことはしない。

 きっと答えはどっちにしてもレティは、強がって大丈夫って言うと思うから。

 でも、今の僕には「大丈夫」と言うレティの姿を頭に思い浮かべるだけで、すごい寂しく感じてしまう。

 生まれた寂しさは、僕の中で冷たく漂う。


(…………寒い)


 自分の肩を抱いて擦るも意味は無いと感じる。

 室内は肌寒いほどではあるが、この寒気は外気のものではない。僕の身体の内側からじわりじわりと、まるで悪夢から生まれた心の隙間から染み出るように溢れてくる。

 寒い。暖が欲しい。温かくなりたい。


(温かくなりたい?)


 ……違う。

 肉体的な暖ではなく、精神的な暖を求めてる。

 人肌が恋しいとはこのことを言うのだろうか。

 僕の空洞を外から埋めてほしい――……。

 僕の中の渇望が、レティへと誘い覗き見る。彼女もまた、僕と同じく腕を摩っていた。


(レティも寒いんだろうか――…………)


 ……きっと、そうだ。そうに違いない。

 だから、僕らは暖を取る必要がある。なら、どうすればいい。どうしたい。

 ――こうしたい。


 そんな自分勝手な欲望から生まれたものだったのかもしれない。願望は声に出ていた。


「……一緒のベッドで、寝ない?」

「……は……はあ!?」


 あ……。

 レティが裏返った声を聞いてから、やってしまった、と思った。

 心の寒気とは別に身体の芯が冷えるかのように僕の頭は冷静になって凍っていく。

 何を馬鹿なことを言っているの、と彼女の表情からでも読み取れる。

 なんてことを口走ってしまったんだ、と……後悔するにはもう遅い。


「ご、ごめん。なんでもない! 忘れて!」


 慌てて僕は自分のベッドに入って横になった。レティに背を向けて頭から布団を被る。

 後悔と羞恥と罵倒が入れ混じって僕の頭の中で騒ぎ出す。無理だとわかっているのにきつく目を瞑って眠れ、眠れと強く念じる。念じるけど……やっぱり無理だ。

 今の状態で拒絶された悲しみはもっと僕を凍えさせる。


「あ……えっと……その……」


 レティが戸惑ったような声をいくつか上げるのが聞こえた。でも、間もなくして背後で衣擦れの音が耳に届く。レティも同じくベッドに戻ったんだろう。

 ほっとしている自分と残念がっている自分がいた。


(何を思ってるんだ。レティが来るはずが――)

「……シズク」


 ぼそりとか細い声で背後から少女の声が届き、若干躊躇いながらも、恐る恐ると振り返る。

 そこには自分のまくらに胸に抱えたレティが立っていた。

 フードは被りなおしたのか、真っ白なうさぎの肌はレティの頬を染める赤を引き立てる。

 僕と視線が合うと口元にまくらで隠し、こくん、と小さく頷く。


「……いいの?」

「……うん」


 布団を巻き上げながら端に移動し、レティが横になれる隙間を作った。

 彼女は自分のまくらを置き、それから僕のベッドへと腰かけ、横になる。

 布団を掛けなおすと言葉も無く2人して天井を見上げていた。

 照明は点いたまま。消す必要はない。


 肩と肩が触れるか触れないかという距離だけで僅かに感じる隣の体温。

 ゆるく、ぬるく、でも淡い光が差し込むように温かい。

 寒気は、先ほどよりも断然マシにはなった。

 でも、まだ……足りない。


「……シズクっ!?」


 レティが驚いて僕の名を叫ぶ。

 僕が彼女の背に手を差し込み、彼女を抱き寄せたことが原因だ。

 向き合った彼女の顔は驚き、戸惑い、最後に口をとがらせて僕を睨んだ。


「この体勢、駄目かな?」

「……もぉ……へんなこと、しないでよ」


 声に力は無くも、ちょんと、僕の胸を軽く押し退ける。

 彼女なりの抵抗だったのだろう。口をへの字に曲げながらも困ったような怒っているような、でも拒絶とかそういうのではない反応だった、と思う。


 僕は、拒まれていない。





 無言のまま時間だけが過ぎていった。

 目の前にはレティの顔が合って、顔を真っ赤にして、涙に滲んだ瞳は上目遣いで。

 どちらからでも目を閉じればいいのに、僕もレティもそのまま目を開けたまま互いに視線を逸らそうとしない。

 視線をそのままに上に意識を向けると顔を変えないうさぎさんも僕を監視しているように見える。三者三様の笑えないにらめっこだ。


「……胸が当たってる」


 実際に胸がどこにあるかなんてわからなかった。わずかに腕に当たる重量のある軟体のものがそうかなって思ったくらい。

 恥ずかしさを誤魔化すために出たものだった。

 レティの目が見開かれる。


「ばか……戻るよ」

「ご、ごめん。悪かったって」


 悪乗りが過ぎた。

 若干レティが身体を引いて僕の腕から逃げようとする。ちょっとしたフリだったのかもしれないけど、そんなのは嫌だ。

 僕は逃がしまいと彼女の細い腰に手を回してもっと強く引き寄せた。


「……ぁ……」


 レティがまたも小さく声を上げる。

 今度はもう何も言わない。今晩だけは彼女と離れたくはない。胸に隠した彼女の顔はもう見えない。

 引き寄せた時に掴んだ真っ白な寝巻越しのレティの脇腹は、触れると骨の感触が指の腹をなぞった。ぴくりと彼女の体が震える。


「レティって細いね。ちゃんと食べてる?」

「……もっ、も――! 食べてる! 食べてるわよ! ……けど、昔っから肉が付かないの。本当……前の身体に比べてこの身体は恨めしいわ」

「胸は大きいのに? いたっ!」


 レティが僕の胸に頭突きをする。


「……さっきから胸胸ってシズクって大きいのが好きなの?」

「……男の子ですから」

「ふーん、小さい方は好きじゃないの?」

「どっちかといえば大きい方が……」


 と、本音を口にすると盛大な溜息がレティの口から洩れる。

 ……女の子に胸の話なんてするもんじゃなかったね。


「もう……あいつといい君といい……も――! 絶対にっ! 絶対に……変な気、起こさないでね……」


 胸の中に納まったレティが顔を上げて僕を睨みつけた。

 でも、そんな態度とは別に僅かに身体が震えている。弱々しく、がちがちに身体を固くして震えていた。

 ああ……この反応は……。

 身体を僅かに震わせるレティのその反応は、ちょっと浮かれていた僕の心を落ち着かせるには十分だった。


「……そういう気持ちが無いと言えば嘘になる」

「シズ……ク……?」


 僕らはまだ出会って2か月程度と日も浅く、お互いのことを何も知らないに等しい。

 同じ境遇から勝手に僕はレティに仲間意識を持っていたけど、レティにしたら僕はその辺にいる男と同等だったのかもしれない。

 そんな男のベッドの中にいるというこの状況は、レティを不安にさせても仕方ないことだったんだ。


 別に僕は拒まれていない。でも、受け入れられてもいなかった。


 僕はただ……ただ、触れ合いたかっただけ。

 でも、その真意は僕らが男女である限りに100パーセント伝わることは無い。

 ……弱みを握ってしまったのかもしれない。

 もしも、ここでレティにを強いたとしても、きっと彼女は嫌々言いながらも僕を受け入れる他にないと思う。

 現にレティは僕の腕から逃れようとしない。力を緩めてもレティは僕の腕から出て行こうとしなかった。

 それだけ、彼女の心が僕と同等に弱っているんだ。シズクに襲われるかもしれないという恐怖も抱き合わせているのかもしれない。

 こんな考えに至ったのは僕の心も弱っているからだろう。レティはそんなつもりもないかもしれない。


 一緒に寝ようと誘ったのは僕だ。

 伝わるかどうか、言葉の力はちょっと借りて、後は態度で示すしかない。


「……でも、これ以上のことはしない。レティを抱き締めているだけなのに、とても安心するんだ……今だけは僕を信じてよ」

「…………ばか」


 レティの一言を最後に僕らの会話は終わった。

 とくんとくんって強く胸の鼓動が高鳴るのが自分でもわかった。レティにも聞かれているだろう。

 今度こそ、弱めた力を元に戻してレティを包み込む。


(……あ)


 ……レティも同じように僕の背に腕を回してぎゅっと抱きしめてくれる。

 互いにそれ以上の言葉も、行動も、態度も何1つとして取ろうとはしなかった。


(……暖かい)


 僕は拒まれてはいない。だけど、受け入れられてもいない。

 それでも、レティは僕を信じてくれた。


 僕の心の隙間に入り込んでくる寒気をレティが包み込んでくれたような気がする。

 もしも、レティも同じく、僕で安心してくれてたら嬉しいな。


 その晩、僕は珍しく、いや、初めて……あの夢の後、彼女のぬくもりに包まれながらまどろみに沈んでいく自分を感じていた。





 あれから4時間ほどが経った。

 もう空は白みを帯びているのは女を呼びに海上へと上がったことで目にして知った。

 寝起きで機嫌の悪い中、早々に海底へと降り立ってみては女は苛立ちを隠すことなく悪態を吐くばかり。

 女が息を吐き出すたびに強いアルコールの香りが男の鼻に届く。どれだけ飲んだんだ、とは口にはせず顔をしかめるに止める。


「……で、これがお宝? は?」


 女は男に呼び出されてまたも海底へと潜り目の前に鎮座する巨躯を見上げた。

 目の前には200メートルを越えた怪物が今だ宙に浮かんでいる。

 錆や岩礁は落ち、鈍い光沢すら放っている。


 男はその姿が浮かび上がったところから作業を見ていたが、その工程作業を知らない女にとっては別にどうでもいいらしい。

 寝起きも相まって射殺せるほどの視線をその艦艇へと送り、また男を睨みつけた。

 その反応をどうとったかはわからないが、男と女の前に立つ太った男と細木のような男のうち、太った男1人が前に出て胸を張った。


「これで驚いてもらっては困る。これは試作に過ぎない。本番はこっちのアーカンサスを改修し終えた時に終わる。それに、この船もまだ終わりじゃない。現在内部では同士による“生体デバイス”の取り付け作業の最終チェック中だ。この後に控えるメインディッシュでの失敗は避けたい。このニホンの艦で我々が開発したデバイスがうまく機能するか――」

「で、これがどうだっていうのよ。本当にこんな時代遅れなボロ船が宝だっていうの?」


 と、女は男の言葉を遮る。

 女の態度に興奮気味に説明をしていた太った男の顔の眉間に皺が寄った。


「――チっ。そうだ。これが宝だ。世界に2つとない人類の至宝だ!」


 豪語する太った男だが、女は手のひらを上げて首を振る。


「……は、呆れた。私もうこりごり。もう抜けるから後は好きにしてよ」


 振り返り天井へと女が話しかけようとしたところで、細木のような男が飛び出した。


「い、いいや、まだ貴方たちにはきょ協力を願いたい。ほ本番である2隻が残っている。そその改修が終わるまでわ我々と行動を共に、ししてもらおうか」

「――ふざけ」


 じゃり、と砂を強く踏む女に同僚の男が前に出る。


「……ちなみに、あとどれだけかかる?」

「そうだな。ニホン艦はこれでいいとして、残りの2隻……1隻あたり7時間はほしい。だからあと半日ほどはご同行願おうか」

「半日か」

「半日!?」


 ほう、と感心して声を上げる男と、ありえない、と叫声を上げる女。

 その時間の長さは2人にとって対極なもの。


 本来目の前に漂う存在は数年の歳月を費やして建造するもの。

 しかし、彼らはそれをこの短時間で修繕、いや、作り上げてしまったのだ。

 男は実際にその製造過程を目の当たりにしていたが、何も知らない女にとってはゴミを再生するだけで数時間も、としか考えていない。

 その違いから女の怒りは極限まで高められることになる。


「こんなぼろ屑に私の大事な時間が費やされたっていうの……?」

「おい」


 男は長年の付き合いから女の心情を理解し、そして再度止めに入る。

 女は「だって!」と口にしながらも男の制止にどうにか最後の一歩を踏み留まったものの、そこを空気を読まずして目の前の太った男が更に口を挟む。


「あと、そうだ。ちょっと町まで行って3人ほど拉致してきてほしい。なるべく若くて健康な成人男性がいい」

「なっ……」

「おい、お前も少し黙ってろ」

「いや、事態は急を要する。お前たちには既に金を払っている。これも仕事の1つだ。――ほら、早く行け」


 太った男が手の平で追い払うかのような仕草をして2人へと指示を出す。

 一体何様だ……と、この態度には男は手で顔を覆うしかない。

 終わったな、とぼつりと呟いた。


「……もういいわ。あなたたちの程度、知れたわ……」

「はあ? この程度だとみくびってもらいたくはない。アーカンサスの修繕が終わった時に評価してもら――」

「……解放リリース


 1つ口にすると、女と男がいるところを除いた空間が一瞬にして瓦解した。

 一瞬のことだった。


「ぼ、ばァっ……!」


 頭上から海水という塊が目の前の2人と、そして、3人が一夜にして組み上げたそのお宝へと降り注ぐ。

 2人は表情を変える間もなく瀑布の様に吐き出された水塊に飲み込まれ、一呼吸の間に体中の気体を吐き出し、潰れ、縮む。

 海水の塊は海底の土砂を掴み、巻き上がり視界を白くと黒く染める。2人の亡骸は一瞬にして砂と石に交じって消えた。

 男と女はそれを眼を覆うでも、逸らすでもなく感情の乗らない冷めた眼差しで見続けていた。


「あーあ……実力は一級品だったと言うのに……」

「いい気味よ。セイレーンの化身と呼ばれた私をここまで連れてきて、結果があれ? 冗談じゃないわ」

(セイレーンの化身? 確か、海喰らいのクラーケンと呼ばれていたが……)


 男は以前昔虫の息だった商売敵の最後の言葉が頭に過ったが、口にはしないことにする。


「……一応、上からの命令だし、金だって貰っているが……」

「ふん、その時は不幸が重なってしまったことにしなさい。あーあ、もう最悪」


 とん、目の前の水の壁を蹴り上げる女に、多少は勿体ないと思ってもふんと鼻を鳴らして3人のことは直ぐに男は頭から追い出した。

 もう残るのは目の前でほぼ完成された戦艦だけが水中に浮かぶだけとなった。


「あそこに浮かんでる完成品はどうするんだ?」

「……さあ? どうしたらいい?」

「ま、船だし浮上させてみたらどうだ?」

「いいけど……あんなの浮かべたって直ぐに沈むわ」

「さあ……どうだろうな」


 と、女は嫌々に水壁へと手を添えた。


接続アクセス


 女が1つ声に上げて海水を操り、目の前の巨体は時間をかけて浮上していく。

 同じくして2人も海底から上がっては停泊していたクルーザーに乗り込んだ。


 男は最後にとクルーザーの後部から浮上した艦艇を見上げる。

 自分たちが乗る船よりも何十倍と大きなその身からは、身震いを起こしそうなほどの威圧を放っているかのように感じる。

 船はあの海水に押し潰されることも無く、無傷なままそこに君臨していた。

 

「……これは勿体ないことをしたかもしれんな」

「何が?」

「あの3人だ。あの技術を他のものに応用できたかもしれん」

「……もう、過ぎたことよ」


 2人がその巨躯を見上げて話をしていると、その船は音も無くゆっくりと、その身を海へと滑らしていく。

 穏やかに流れる海流に乗る様に。次第に速度を上げて歩み始める。


「あの船、どこへ行くんだろうな」

「さあ? 乗ってみたら?」

「冗談。棺桶に収まる気は当分ない」


 男はクルーザーのエンジンに火を灯すと、船とは反対の方向へと走らせた。


「なんで上はこんな依頼受けたのかね。依頼内容と仕事の内容に穴があり過ぎだ」

「さあね。でも、聖母ちゃんがこんなの受けるとは思わないケド?」

「そうだな……おい、聖母様と呼べと何度言えば!」


 2人は言い争いながらも島へと戻っていく。


 ……そして、船はまるで誰かに誘われるようにその場所へと向かう。


 進路にして北西へ。

 その船の短くも儚い航海の始まり。

 もう、待つ人も、帰る国も無いと言うのに、その戦艦は流れに乗る様に自分の国へと歩み始める。

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