第78話 久しぶりの故郷の味

 僕らは着替えもそのままに、サイトウさんに促されて食堂へと招かれた。

 中はグループごとに女子が固まり食事を楽しんでいる。現在ここにいる10名ほどがこの寮で暮らす人たちみたい。

 レティは周りの人に挨拶をしながら奥の、寮生たちとは少し離れた席へと腰を下ろした。

 僕も……食堂の入口でサイトウさんに貰ったお盆を凝視しながら、レティの後に続き対面へと座る。

 テーブルに受け取ったお盆を置いて、何度も瞬きを繰り返しては、眼前に広がる料理に心を奪われた。


(これが今晩の夕食……!)


 生姜の香り漂う白身魚の煮つけ。生野菜のサラダ。ホウレン草のお浸し。熱々のお味噌汁。

 そして、何よりふっくらとお茶碗に盛られた白い白い……!


「ああ……白いお米……!」


 ああ、すごい。

 嬉しさのあまり目頭が熱くなる。

 鼻孔をくすぐる甘いごはんの匂い。こんな香りだったっけ……。

 以前は毎日と口にしてたのに、まさかこんなにも食べたくなるなんて思いもしなかった。

 口の中でまだ食べてもいないのに唾が溢れる。


「わかる……! すっごいわかる! わたしももう食べれないものだと思ってたから!」


 うんうん、とレティが僕に共感してくれるかのように頷いてくれる。

 ……そうか! 僕だけじゃなかった! やっぱり、レティも白いご飯が食べたかったんだね!

 ああ、夢みたいだ。まさかこんなしっかりとしたご飯が食べれるなんて……本当に……本当に…………? はっ!?


「れ、レティ! これ、本物だよね!? 本物のお米だよ!? 実はこの世界は見た目がお米でも実はパンだったりとか、他の味だったりしないよね!?」


 あっちの世界でも穀物は主食としてよく食べられていたけど、大抵は練り物だったりぐずぐずの粥状のものばかり……味だって全然旨味が少ないものばかりだった。中には甘かったり渋かったりしたものもある。

 もう、ご飯は食べれないものだと半ばあきらめていたものだ……恐る恐るとレティを伺うと、彼女は慈悲深く笑って、ゆっくりと頷いてくれる。


「安心して……わたしが保証する!」

「じゃ、じゃあ!?」

「ええ、これはふっくら炊きあがった正真正銘、わたしたちが望んだ白米よ!」

「――――っ!!」


 レティと共に両手を合わせて食事前の挨拶をこなす。

 そして、箸を持って僕は……っ!


「はむっ!」


 お箸に乗るだけ乗せて口に頬張り、何度も何度も咀嚼し口の中で転がす。


「……ふわっ……ふわぁぁん……美味しいぃぃぃ……!」


 お米ってこんな美味しかったの!?

 甘みがあって尚且つ噛んだ時の弾力に舌の上で踊る粒の群れ。

 お味噌汁にも手を伸ばして、ゆっくりと器に口を付ける。まだ熱々で舌を火傷しそうになるけど、味噌の味が口の中に残っているごはんと相まって広がっていく。


(これ、これだよ! お味噌汁とごはん!)


 生姜の香り漂う白身魚の煮つけはしっかりと奥まで火が通っていて、箸でちょっと触るだけで簡単に身が崩れる。味付けは甘めの味噌ベースだけど、これもまたごはんに合う!

 うわあ……本当に久しぶりのものだ。

 これを全部サイトウさんが作ったものだなんて信じられないよ。


「美味しい……ああ、駄目だ……ごめん、ごめんなさいぃ……」

「え、何? その反応、コワっ……誰に謝ってるの?」

「サイトウさぁぁぁん……」

「えぇ……?」


 胃袋を掴むのも大事なんてよく言うけど、僕の胃袋もがっちりと掴まれてしまいました。

 おかげで、先ほど働いたサイトウさんへの無礼を心から申し訳なく思い、声に出して謝罪してしまうほど僕は感激してしまった。


『うー、リコも食べたい!』


 と、僕が自分のごはんに夢中になっている時、頭の中からリコが恨めしそうに叫ぶ。


『ごめんリコ! 今、僕それどころじゃ! それに食べたいって無理だよ!』

『やだ! リコもでる!』

『駄目だって! こんなところに2人いるなんて大騒ぎになるよ!』

『じゃあ、リコがシズクの姿してなければいいってことでしょ?』

「え、どういう――!?」


 と、直ぐに僕の右手にお昼間と同じ熱が通った。

 途端に、ぼう、と火炎が放出され、空中に火球として漂う。


「うわっ!」

「きゃっ、シズク何やってるの!」

「違う! リコが……あ」


 周りの視線が集まる中、その炎はまた形を作り変え、四足を生やしたものへ。しっかりとした輪郭を形成していく。

 後には赤い鬣を持った白い大きなライオンがこの場へと体現していた。


「な、なに……ライオン!?」

「り、リコっ!?」


 ライオンよろしくリコは大きな口を開けて、僕のお盆の上の食事を器用に舌で運んで口にしていく。


「あー! ひどいよ! 僕まだ食べ途中だったのに!」


 十数年ぶりの昔の味なのに!

 なんて酷いことをするんだ、この子は!


「それどころじゃないでしょう! ……これはリコちゃんなの……あ、シズク……周りをちゃんと見なさい!」


 あ……とレティに言われ、周りの寮生たちが大きな悲鳴を上げて怯えだしたことに気が付いた。

 突然何もないところで体長2メートルは超えるライオンが出てきたんだ。そりゃあ驚くよ。

 それはもうあちらこちらで阿鼻叫喚と化している。


「おーい! 一体何を騒いでんだ……って、うわっ! ライオンっ!?」

「あ、サイトウさん……」

「ちょ、ちょっと2人とも危ないから早くこっち! こっちおいで!」


 サイトウさんはちょっと腰の引けた体勢だったけど、他の女子たちを背に庇いながら僕らを呼びかける。

 口のまわりを汚して不思議そうな顔をするリコと、おっかなそうにする怯えるサイトウさんたちを見比べて、僕はどうしたものかと……。


「わたし、しーらない」

「そんなっ!」

「みゅ~?」


 その後、リコに害がないことを教えてからサイトウさんを手招いて3人で相談。

 サイトウさんはこれが!? とリコの元々の姿を見て驚いていた。


「リコちゃんはシズク以外にも身体を作り出すことが出来るのね」

「これがもともとの姿かあ……本当にライオンだったんだな」


 レティもサイトウさんもどうやらリコが僕以外に身体を変化させることが出来ると言うことを知らなかったみたい。

 リコに事情を聞こうとしても「みゅうみゅうしらない」と、獅子の姿ではこっちの言葉を話せないようだ。

 一先ず迷惑になるから戻ってって説得しようにも、ごはん食べたいから戻りたくないっていやいやと首を振っている。

 どうしたものかと思ったけど、とりあえず、リコが食事をしたくて出てきてしまったことを伝えるとサイトウさんは呆れ気味に承諾してくれた。

 すみません、サイトウさん……。


 そして、次に驚かせてしまった寮生たちにも事情を説明。

 このライオンは僕の魔法で作ったもので、出てきたもの、ということにした。

 流石魔法の存在する世界というべきか、皆は直ぐに納得してくれてひとまず安心。


「みゅう……」

「みゅうじゃないよ……もう」


 僕のごはんはリコに殆ど食べられちゃったけど、レティが少しだけ別けてくれたことにはもう涙が出そうになるほど嬉しかった。

 別のお茶碗に新しいごはんを盛ってもらって、今度こそ3人で食べることが出来た。


「も――! 大袈裟だよ! ごはんくらいでー!」

「いやいや! もしもレティが逆の立場だったら僕と反応するよ! それだけ嬉しかったんだから!」


 そんな話をしながら食事をしていると、他の寮生たちがちょっと怯えながらも僕たちに近づいてきたんだ。

 どうやらリコに興味があるらしい。

 触っていいよって伝えたら寮生の1人の女の子がリコに恐る恐ると手を伸ばしたけど、リコは首を振って抵抗を見せてしまう。


 ありゃ、食事中だからかな……と、女の子に謝ろうとしたけど、その子には逆に感激と喜ばれてしまった。

 魔法で動物を作り上げる人はいるけど、動きや仕草や反応など、ここまで再現しているものは初めて見た、とのこと。

 殆どは土や水といった素材をそのままに形作って、それらしい動きをさせるのが殆どなんだって。

 本物みたいな反応って、中身は本物だしね。全部リコがやっていることは伏せておくべきかな……。


「そうなんだ。レティ知ってた?」

「う、うん、一応、ね」


 その後、僕らの食事が終わるまで、寮生の人たちとリコを囲んで談話を楽しんだりもした。

 まあ、会話の殆どは僕とレティへの質問責めだったけどね。

 ちょっと話せない内容もあったけど、そこはごめんってことで皆に残念がられた。


 ……少し離れた席で僕たちを見ているひとりの寮生がいた。

 でも、僕はその視線に気が付くことはない。


「……へえ……あんな一面があったんだ」


 その言葉は僕たちには届かない。


 後でレティから聞いた話だけど、他の人と壁を作っていたレティはこの寮でも同じく孤立していたそうだ。

 挨拶はするけど、それだけの間柄だったと言う。

 だけど、今回のリコの仕業で起こったハプニングによってレティも周りの女の子と多少は打ち解けられたみたい。

 結果的にはよかったのかな。





 お腹も満たして(もう少し食べたかったけど)ご満悦。

 さっきまでの抵抗なんて嘘みたいに、僕はふらふらとレティに連れられて2人が使っている部屋へと向かう。

 

 部屋は想像していたよりも大きくて、机とベッドが2つ、それに小さなテーブルが1つ置かれていた。他にもトイレとセットになったユニットバスが全部屋に配備されていて、学生の寮にしたら随分と設備が整っている。まるでビジネスホテルみたい。


 2人の部屋は小奇麗に整えられているけど、片方の机の上にはごつごつとした石ころみたいな金属片が散らばって、他にも手のひらほどの文庫……いや、漫画が平積みされていた。

 もう片方は使われた形跡すらない。多分こっちがリコので、物に溢れているのがレティが使っているんだと悟った。

 でも、そんなことはどうでもいい。


「ふわ……」


 内と外、2人から教えてもらっていつもリコが使っていたベッドに仰向けに倒れた。

 ベッドも、柔らかい。ふわふわしてる。肌触りもいい。しかも清潔だし。最高。

 ああ、駄目だ。現代の生活は人を駄目にする。こんな生活をしてて僕はどれだけ幸せだったんだろう。ああ、辛い。

 このまま眠っちゃいそうになる。


「シズク」

「んーなあに?」


 呼ばれてベッドの引力から精一杯抵抗して身を起こしレティへと向き合った。


「これ、君が以前着てた服と所持品ね」

「あ、残ってたんだ」


 言われてクローゼットから取り出されたダンボール箱を受け取った。


「一応洗濯したけど、白いコートは血の痕が残ってたりぼろぼろでもう着れないかも……」

「そうだよね……」


 中を開けると折りたたまれた服の上に赤色のカードが一番に目についた。

 ギルドカードだ。カードは失くさないように何かケースでも欲しいかなと思いながらも横に退けて、黄ばみを見せているコートを広げた。


「あちゃあ……確かにボロボロだ」


 あちらこちらに切り裂いた跡が残り、左側の袖口は肘前位まで消えてなくなっている。あ、これ闇魔法使ったせいだ。

 あの魔法は体力の消耗も激しいし服も破けちゃうんだよね……。

 他は……ズボンも所々で傷だらけ。マシなのは靴くらいかな。

 

「それと、2か月待たせちゃったけど、はい」


 次に渡されたのが2つの、ラゴンから貰った僕とルイの首飾りだ。


「うわぁ……綺麗になってる!」

 

 ぴかぴかの銀色鎖に吊るされた黒い石には、今までなかった意匠の施された銀の淵で覆われている。ルイのも同様で僕とお揃いに仕上がりだ。

 海に入って鎖の隙間に茶色く錆が出来ていたり、入る以前も白く濁った色をしていたのに、今じゃ自分の顔すら映るんじゃないかってくらいぴかぴかだ。

 下手するとラゴンより貰った時よりも綺麗で、それ以上に質が良くなっているのかもしれない。

 これは、嬉しいなあ!


「熱が入ってちょっとアレンジ加えちゃった。もしも嫌だったら戻すから言ってね」

「ううん、すごい素敵だよ。ありがとうレティ!」

「そう? どういたしまして!」


 直ぐに自分の分を胸に下げた。じゃらりとした鎖の感触が久しぶりと肌に馴染む。

 冷たい鎖も次第に体温に熱を与えられて気にならない。

 ルイの分をどうしたものかと悩んでみたけど、僕が持つよりもレティに預かってもらう方が良いかな。

 それに直接返した方が良いしね。


「……わかった。そうするね」

「……? うん。お願いね」


 なんだか、浮かない返事。

 レティは恐る恐ると、大事そうに僕から受け取ると自分の胸に下げる。胸元に視線を送り石を指でつまんで転がした。

 僕の視線に気が付いて、にこりと微笑み返された。やっぱり、ちょっと様子がおかしいな……?


「……レティ」

「あ、シズク。お風呂入らない? お先に入りなよ?」

「あー……お風呂……そっか。お風呂もあるんだー……いいの?」

「いいよー。今日は目覚めたばかりで大変だったでしょう。今日くらいはゆっくりしなさいな」

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

「うんうん。じゃあ、こっちこっち」


 レティに案内されてユニットバスへと入ったはいいんだけど……。

 入ってまず目に付いたのは色とりどりの布切れだ。シャワーカーテンの仕切りのレールにぶら下がって干されたものを見つけてしまった。

 水色や白、ピンクといった布切れ。あ……。


「これ……下着?」

「えっ!? 下っ!? ぎゃぁぁあぁぁああぁぁっ! シズク待って! ちょっと待って!」


 慌てて下着を取り外していくレティだったけど、1つブラジャーだけは掴み損ない手の平から落ち宙に舞う。ついついそれを取ってしまう。

 手に取ったのは花柄の刺繍が施されたピンク色のブラジャーだ。胸元に小さなリボンが付いていて可愛い。

 普段はルイので見慣れていたけど、やっぱりこっちの方が生地も造りもしっかりしているしデザインは凝っている。

 何より目に付くのはそのカップの大きさだ。ルイの下着と比べると1回り……いや、2回りほど大きいと思う。


「うわあ……ルイが付けてたのよりも大きいね」


 2人の背丈は同じくらいだったけど……。

 うーん。この成長の差はなんだろうね。


「ば、ばか! 何拾って……まじまじと見ない! も――! ちょっと待って!」


 無理やり僕から奪い取って下着を持って外へと飛び出て行ってしまった。下着ぐらいで大袈裟な……なんて。

 ルイと一緒にいたせいか、下着類を見てもそんなに動揺することは無くなっているつもりだった。


「う……」


 ……つもりだったけど。

 冷静に考えたら、あれをいつもレティは身に付けているんだよな……なんて考えが頭を過ぎる。

 あのブラの大きさ。あれを身に付けたレティが僕の頭の中に………………い、いやいや! 想像しちゃいけない!


『シズクどうした? 虫でもいた?』

「な、なんでもない! なんでもないから!」


 頭を振って雑念を捨てようしたらリコに指摘されてちょっとびっくり。

 なんとか下着のことを頭の片隅に追いやっていざどうぞとお風呂の扉は閉められた。

 後でタオルを持っていくからって言ってたけど……。


 マフラーを外して上着を脱ぎ、そして、最後の砦と化したその部分を思い切って下ろす。

 ……よかった。

 あえて何も言わないことにする。

 ほっとするのも束の間、ゴムで留めていた髪を解いて空の浴槽の中へと足を入れようとした時のこと。

 洗面所の壁に貼られた鏡の中の自分に視線を向けた。


「……あれ?」


 鏡に映る自分の身体を見て気が付いた。

 傷がない。

 イルノートにあんなにも切り刻まれたのに、僕の身体にはその傷跡の1つも無かったんだ。

 完全に回復……?

 もしかしたら、レティか腕のいい治癒魔法を使う人に治してもらったのかもしれない。だけど、あまりにも綺麗すぎじゃ……?

 リコに聞いてもわからないみたいだ。


「まあ、いっか……」


 不思議だけど、今はお風呂に専念することにする。水が漏れないようにシャワーカーテンを引いてから僕は蛇口を捻った。


「ああ、人工のお湯もまた懐かしい……」


 いつもは魔法で作ったお湯を浴びて直ぐに身体を洗い、ばしゃんって流し落とすだけだったからね。ルイならできるかもしれないけど、僕にはシャワーみたいな細かなお湯を均等に流し続けるなんて技術は無かった。

 魔法を操作しなくてもお湯を頭から浴びるという自然な行為に思わず蕩けそうに――。


『リコもシズクの背中流す』


 と……突然リコが話しかけてきて、僕が返事をする前、先ほどと同じくぼっと炎となって外に。そして、今度は昼間に見せた女の子の身体になってこの狭い浴槽の中に現れる。

 ……裸で。


「……っ! ちょ、ちょっとリコ! 勝手に出てこないで!」

「安心して。これでもリコはメレティミの背中を流すのは得意だった!」

「へ、せ、背中を流すってちょっと!?」

「最初の頃はリコお風呂の使い方わかんなくて一緒に入った!」

「それってどっちの体で!? って、ま、まって!」


 リコは自分の身体を隠すことなく近くにあったスポンジを取り、泡立てていく。


「だ、だめだよ! リコ! 落ち着いて! それは駄目だって!」

「任せて! リコね! この泡は食べれないこと知ってるから!」

「いや、違う。違うから! 待って! 本当に! 待って待って待ってってば! まっ……い、いやああああ――!」


 …………と、いうことがあり。


「シズクお湯作ってお湯。このお風呂にいっぱいね!」

「――ハイ」


 身体どころか心までリコに洗いつくされた思いから、呆然とながら僕はリコの言われるままに浴槽8分目程ほどにお湯を満たした……。


「おおーさすが! 直ぐにいっぱいになった! いいな! やっぱりリコも魔法使いたい! ほら、一緒に入ろ!」


 ……はっ!

 そんな、この浴槽で2人も入るスペースないよ!


「い、いや! それは駄目だって! 僕外で待ってるかー……ら――っ!」


 と、拒否する前にリコの両腕が背を向ける僕をぎゅっと羽交い絞める。そして、背中に当たる2つの柔らかい感触に身体が石のように固くなる。


「ほら、捕まえた! ……ほら、ざぶーん。うんうん、あったかいなー! リコ、温泉も好きだったけど、この小さなお風呂も好き!」


 浴槽に引きずり込まれた僕はお風呂の温度かリコの温度かもわからない。

 お風呂に入った後もリコは腕を解いてはくれず、僕の首へと自分の頭を乗せて恍惚とした深いため息を落とす。

 たじろぐことすら、一切できない。


「シズク! 気持ちいいなー!」

「……ハイ。気持チイイデスネ」

「シズクどうしたの! かちかちだな!」

「……ソウデスネ」


 それから数分くらいした後だろうか。

 とんとんと扉を叩かれ、断りを入れてからレティが入ってきた。


「シズクー入るよー? タオル置いておくね」

「……ウン。アリガトウ」

「何どうしたの? 片言になって?」

「メレティミー! 気持ちいいぞー!」

「……リコちゃんっ!」


 レティは勢いよくシャワーカーテンを開けた。

 彼女の目が見開き、僕とその後ろにいるリコへと視線を彷徨わせる。


「…………れ、レティ……こ、これは……」

「…………っ!」

「ん、2人してどうしたの? かちかちだな!」


 満足顔なリコに背中から抱えられ、がちがちに固まっている僕を見て、同じように硬直したレティが怒鳴り上げるまで、時間はそんなに必要としなかった。





 ちょっと騒がしくも、なんだか、胸が暖かくなる晩を過ごさせてもらった。

 今日1日でいろんなことがあって、恥ずかしい思いも一杯したけど、それでも本当のことを言えばすごい楽しかった。

 そして、すごい幸せだったんだ。


 ……でも、さ。


 そんなに日に限って、僕はあの悪夢を見た。

 まるで、楽しい思いをした分の代価を払うみたいに、その晩の僕はあの悪夢に飲み込まれることになった。

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