第77話 この世界の夜

 ある晩、ある海の上での出来事だ。


 その海には人口の灯は1つとして無く、さざ波が小さく音を立てて啼いていた。

 晴れていれば満天の星空がちりばめられ、見る者の心に無限の宇宙を感じさせていただろう。

 しかし、今夜はシーツを被せた様な曇り空。朧から盛れる月光も霧を吹きかけた程度の明かりを落とす。

 深く、暗く、穏やかで、静かな黒い海がそこにはあった。


 その漆黒の海に船が1隻、点を残すように浮かんでいる。キャビンを設けた白い小型のクルーザーだ。

 晴天の下なら白のボディも生えるが、月明かり届かないこの場では空とも海とも区別のつかない黒に飲み込まれている。もしも、近くの島から目を凝らしてみれば、小さな黒い物影くらいには見えただろうが。


 それは不思議な船だった。

 海の上にあるというのに微動だにしなかった。優しくも強い波が船体を押し付けるも、その身を揺らしはしない。

 何かに固定されている――いいや、船底には何もない。今船がいる場所の水深は50メートルほどだが、海底には船が乗り上げる様な柱も支えるものも見当たらず、錨すら落とされていない。

 この場に縫い付けられたように、船はその身を留めていた。


 船は室内灯も、照明も灯していない。エンジンすら起動していない……船は誰も乗ってはいない。

 流れ着いたものか――違う。

 船は僅かに熱を持ち、今も徐々に冷めていく。先ほどまでエンジンに火が灯っていた。

 デッキには空になった飲料水の容器や飲みかけの酒瓶が転がる。乗員が先ほどまでいた痕跡が残る。

 なら、乗員はというと……。


 船からは海へと縄梯子が落されていた。

 縄梯子が落されたところは、人ひとりが優に通れるほどの穴が開いている。

 まるで透明なパイプが突き刺さっているかのように……実際にはそんなものは水中には無く、縄梯子は濡れることなく海底まで届いていた。

 風に煽られてか、縄梯子の足場が空洞を支えている水の壁に当たるとからんと音を立てる。


 縄梯子の降り立った先は半球状の大きな空洞が存在していた。

 空洞は縄梯子の到達地点から大きく湾曲し不自然なドームのような造りと化している。その空間は見えない壁で遮るように海水を押し上げて形成されていた。

 ある魚がその空洞と海水の狭間で頭をぶつけ、身震いを起こすも直ぐに見えない壁に沿うように泳ぎを始めた。

 海の上、もしくは海中からその空間を見ても闇夜の深く暗い海に同化しているために見分けることは難しい。だが、内部は薄い白色の光量で満たされていた。


 そして、空洞の内部、縄梯子の落とされたところ、海底50メートルの地点に2人の男女が、その奥の“ある残骸たち”の付近に3人の男たちがいた。


 1人は、長身で筋肉質。後ろに撫でつけた白髪交じりの黒髪にサングラス。顔の彫は深く堅物のような険しい面持ちでありながら、服装はアロハシャツと白のスラックスとラフなもの。

 男は苦笑しながらじゃり、と湿った海底の砂利を踏み鳴らした。


 もう1人は、サングラスの男には届かないものの長身で細身ながら豊かな肢体で、背中の開いたホルターネックの黒いワンピースドレスで身に包んでいる。

 長い波立つ金髪と同じく細い眉は吊り上がり、その動きに合わせるように碧の目もその“原因”へと睨み続ける。


 そして、最後の3人は細木のような男であったり、恰幅がよかったり、またどちらとも言えないような中肉中背な男たちだ。

 彼らは2人とは違ってバックパックを背負い、長袖の作業着、厚めの手袋、ライトのついた作業用のヘルメットを被っている。

 彼らにしてみたら未開の地へと探索をする冒険者だと息巻いていたが、服に着せられている素人の演芸会のようだと、女は大いに馬鹿にして笑っていた。


 3人の男たちはこの場所に来るまでも来た後も、侮蔑の視線に気にかけることはなかった。

 良い意味でも悪い意味でも慣れているのだろう。

 今も男の呆れ気味の視線や、女の声に出すほどの苛立ちに構うことなく、“残骸たち”を見渡しては喚起の声を上げ続けている。


「ご機嫌だね、令嬢」

「……ええ、そうね。最高のデートだわ」


 額に青筋を浮かべる金髪の女に男は苦笑する。

 女は男の態度にますます腹を立てて泥の砂を蹴り上げた。


「聞いていた話と全然違うじゃない。何が南の島でのバカンスよ。何が良い男がいるよ。……あれが貴方の中での良い男なら随分といい趣味してるわね。最悪!」

「すまんな。これもビジネスでな。見た目はあれでも優秀な技術者だが――…………ふ、いや、ノーコメントにしておくよ」

「ええ、そうしてくれる? これ以上身内の評価は下げたくないわ。ねえ、知ってる? あなたが船を操縦している間、あのナードたち、私を一瞥することなく“オナ”話に耽ってたのよ? あいつらきっとホモよ。仕事じゃなかったら殺していたわ」

「おいおい、そんな差別的な発言はよろしくない。最近は何かとうるさいんだからなあ……」


 男は宥めながらも、ヒステリック気味に話す女の指さす方、男たちへと目を向ける。

 女が怒るのも無理はない、と男は思う。


「見ろ、アーカンサスだ! これがあの有名な……おい! 早くライトを当てろ!」

「まま、まってくれ! 被爆除去を、お、おい!」


 女の罵声もものともせず、男たちは無数の残骸へと走り回る。まるで新しいおもちゃを与えられた子供のようだ。

 3人のはしゃぎ様に、男はこの依頼を受ける前に熱心に思い入れを聞かされたことを思い出した。


 ――あの海のお宝を復活させたい。私達はそのためにこの身を削り、多くの尊い犠牲を払って術式を完成させた。そして、雄姿をこの目でしっかりを見てみたい。この魔法は今世紀初の大発明となる。自分たちがどれほど苦労したか。些細な犠牲は出したがそれも研究の為。なのに学会はわかってくれない。研究所から追い出された後で設備のない中でも自分たちがどれだけ惨めな思いをしたか。しかし、そんな汚泥に浸かりながら3人で独学で開発したこの――とか。


 顔を真っ赤にし雄弁に自分たちの努力の結晶について語り始めるも、後半はこちらに聞かせるつもりが3人で熱弁を繰り広げそうになったあたりで咳払いをし中断させるほどだ。

 ともあれ熱意は嫌ってほどに伝わってきた。


「……で、これがお宝? 私には埋もれた瓦礫、錆だらけでこけ毟った鉄屑……ゴミにしか見えないけど?」

「お前にとってはゴミだろう。だが、あいつらにとってはそれこそ至宝に違いない」

「そう……ふーん、じゃあ、あなたは?」

「俺か……」


 目の前の3人とは違い、男にとって目の前の鉄屑には思い入れ自体は無い。

 もう半世紀は前の遺物だ。

 海底に沈み長い年月の果てに土砂に埋もれた瓦礫……依頼を受けた後、男自身もその遺物について調べてはいた。

 だから男は、その時に思ったことを素直に言えばいいと考え付いた。


「――あれは棺だな。鉄の棺桶。老兵たちの眠る場所。もう触れずにそっとしておいてやるべきもんだ」

「ふーん……棺桶ね」

「以前であれば、この“兵器”たちは敵味方共に脅威なものだと聞いた。国の顔、力、象徴……。存在するだけで牽制となった存在だったと。だが、もうそれは昔のこと。今では歴史的な価値しかない。なのにあの男たちはそれを蘇らせると言った。そして、また表舞台に立たせるとも。しかし、今更あれを出したところで、現代であの老兵たちは海に漂う馬鹿でかい砲台でしか…………ふむ、失礼」


 と、男が何気なく口にするも女の目つきが鋭くなっていくだけ。

 男も一つ咳をして明後日の方向を向いた。


「いいわ。私上で寝てるから。終わったら呼んで頂戴」

「良い夢を……寝てる間に魔法を解いたりするなよ? 俺まで溺れ死んじまう」

「あはっ、それもいいわね。……大丈夫。私を誰だと思ってるの? あの聖母ちゃんの右腕よ?」

「おい、だから聖母様と言え――」


 女は男の言葉を遮るように唇に指を添え、その場で1つ言葉を口にする。


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 その言葉に反応し、天井から枝のように伸び出した海水が、女の肢体を絡め取る。

 女は臆することなく伸びた海水に身を任せ、浮上していった。


「やれやれ……お嬢さんには男のロマンと言うものがわからないもんだ……。といっても、怒るのも無理もないか」


 海の底に眠る昔の瓦礫を修繕するから手伝ってくれ。

 そんな仕事を女が簡単に引き受けてくれないことは重々承知しており、南の島での仕事だ、なんて騙してまで連れてきたのだ。


「こんなもののために注目を逸らし、俺らの変わり身まで立てたしな……」


 2人の顔はその道では良く知られている。

 今回のこの仕事もわざわざグアムで男たちが所属する『ファティマ』の教団員を騒がせ、世間の、自分たちを危険視する組織グループの注目を集めさせている。


 そこまで用意して、やっていることは隠れて墓荒らしという……男にとっては「仕事だから」と割り切れる程度であったが、女にとっては地味で無駄に疲労して、更に同伴する依頼主が彼女にとって軽蔑する対象と言えば最悪の仕事でもあった。


 ……依頼者である3人の金の羽振りはよかった。

 しかし、それは個人で仕事を受けるならば、だ。ここまでの規模に膨れ上がった場合、トントンどころか大きく下回っている。

 何故上層部はこんな依頼を受けたのか……。

 それは男の預かり知れぬことだったが、これも仕事だと小さく悪態を吐くに留める。


 男は適当にそこらに転がっている石に腰を下ろすと3人の作業を見守り続けた。

 3人は図面を広げて、ああだこうだと声を荒げてに夢中になっている。

 アーカンサスと男たちが呼んでいた“老兵”にはまだ手を付けていない。

 まずはニホンのもので自分たちの術式を試すと男は事前に聞いてた。


「そうだ、ゆっくりだ。腐食して脆くなってるぞ。魔力配分を均等にして……そう、そうだ」


 鉄の棺桶であり老兵の周りに魔法文字の描かれたが無数に宙に舞う。

 泥に埋もれた残骸がカードから放たれた光る紐によって掘り起こされ、宙に浮く。

 全長200メートルを超える鉄の塊が宙に浮く。


(見た目はアレだったが、これがなかなか……言うだけはあって能力だけは本物だったか)


 数年前までこの3人はイギリスの魔法研究所に所属し、共同研究に置いて魔法を使った修繕技術のさらなる最適化に成功し、業界でも名の通った学者……と彼らについて、部下に経歴を調べさせたこともある。

 だが、花やかしい表舞台の裏では某国の軍部と密約し、兵器開発や生きた人間を使った実験を行っていた記録も残る。それも死傷者を出す大規模な実験事故で発覚し、その後は追われる日々を送っていたとは本人らの談。

 研究のためには必要な犠牲だった……と、3人は自慢げに口にしていた。

 学者としては優秀だが、人としては難あり……部下は最後にそう添えて報告を終えた。


(……腐っても鯛、というところか。不愉快極まりないがな)


 3人の経緯を思い返し終わったところで、錆だらけのその身はいつしか男へと首を前にしてゆっくりと鎮座した。

 次の段階と、カードから残骸へと紫電が散り始める。

 紫電は錆び付き腐敗したその巨体を少しずつ以前の姿へと、黒い鉄の素肌を晒していった。

 錆を落とし、減った鉄は近くに晒されている他の老体たちから回収し補強する。

 ただそれだけの工程なのに、その速度はまるでビデオの早送りを見ている様だ、と男は思う。

 男の目の前で鉄屑だったものは見る見るうちに元の姿を取り戻していく。 

 ふと、男の目にその鉄屑の一部へと目に留まった。


「あれは……確か、花だったか……」


 船首についたもう緑青のように錆び付き変色してしまったシンボルに1つ呟きを残す。

 カードから放たれた紫電が男の目に留まったシンボルに当たり、まるで塗り替えるように金色の輝く菊紋を浮かび上がらせていく。

 こちらに見せびらかすように、見ろと言わんばかりに、無骨な黒鉄の船体の中で、その光沢と紋様はより一層際立っている。


 今、その残骸だったものは3人の狂気によって蘇生……いや、生まれ変わろうとしていた。

 その老兵は、この海底に眠る以前、戦艦と呼ばれているものだった。





 日が落ちるのも早い。

 校舎を出た頃には日は彼方に消え、藍と紫の入れ混じった空が見えた。

 外灯には火が灯り、僕らと同じように部活動に励んでいた生徒も帰路につく。

 

 僕がまだ高校生だった時、真っ暗になるまで練習をしていた記憶が微かによみがえる。

 あの頃の僕と比べると、この学園の部活は趣味や息抜きと言ったものに近いのかな。


 校門を抜けた後は記憶に懐かしい街並みが目に届いた。

 街路樹の並ぶ舗装された歩道をレティと隣同士に歩く。

 学園の教師のものか、隣の車道を走る乗用車が僕らを追い抜いて、赤いテールランプの跡を残していった。


「車だ……」


 馬車や人力車とかそういうものじゃなくて、機械の、燃料を消費して走る車。廃棄ガスが鼻に届くも、その嫌な匂いも懐かしい。

 屋上から外の世界を見下ろしたときにも車を目撃していたけど、こうして近距離で見ると本当に、僕は別の世界に来てしまったんだと改めて思い知らされた。


 この世界には魔法がある。だけど、車も走っている。魔法があるといっても科学が発達していないわけじゃないのか。

 ぽかんと口を開けて車の行き先を眼で追っていたみたい。

 口が開いているぞ、とくすくすとレティに笑いながら指摘された。


「来てすぐにリコちゃんも車に驚いてたっけ。馬もいないのに鉄の箱が走ってる。中にはどんな魔物がいるんだって」

「タイムスリップものの作品なんかじゃ昔の人が飛行機や電車を見て驚くよね。感じ方は逆だけど、今の僕も同じ気分だよ。今まで当然だったものが、今では驚きの対象でしかないや」

「うん、わたしもそうだった……」


 話をしていると自転車に乗った少年が前から走ってくる。学園に戻るのか、ちょっと急いでいるような表情だ。

 端に避けながらも自転車が珍しくて眺めていると、僕の視線に気が付いてか、乗っていた少年と目が合う。

 あ……少年が突然体勢を崩して何もない場所で転倒した。

 大丈夫? って駆け寄ると、少年は顔を真っ赤に噛みながら無事を知らせ、直ぐに自転車を起こして走って行ってしまった。

 心配しながら彼の後姿を見届けていると「シズクに見蕩れていたのかもね」なんてレティが言う。

 見蕩れるなら僕よりもレティの方だと思う。


 僕らの帰路は続く。

 遊具の置かれた小さな公園。

 外装も名前も見たことがないコンビニエンスストア。

 逆に何度か足を運んだ覚えがあるチェーン店のファミリーレストラン。

 等間隔に配置された外灯や、赤青黄色の信号。

 剥げて薄くなった車線すら僕の目を惹く。

 帰り道に見かける街並みは見覚えのあるものもあれば、初めて見るようなものも多い。

 でも、何もかもが懐かしい。


 この辺りは一軒家というものは珍しく、マンションやアパートと言った集合住宅が多い。

 それもアヤカ区の住民の大抵が学生であり、全体で見れば県外からの入学者が大半だ。区外からの通学を禁止されているわけではないけど、まず通学の便から区外から通学している生徒はいない。

 基本的にはどこかの寮なんかを借りるそうだ。


 すれ違う人は若い人が多く、どの人も僕らへと視線を向けて来る。……もう周囲は暗いのに、視線が僕らに集まっていることを察知した。

 まるで感覚が研ぎ澄まされたみたいに、あの時以上に人の視線を強く感じた。

 しかも、それが隣のレティへのものもあるけど、その半分は僕自身へと送られていることにも気が付く。


(なんだろう。これ……?)


 見られるのは2人のおかげで慣れっこになったつもりだったけど、以前とは違った……変な気持ちが芽生えて来る。


 そうこうしている間に、僕はレティたちが住まわせてもらってると言う寮へと辿り着いた。

 その寮の名前はかえで女子寮……って女子寮!? 大丈夫なの!?


「あ……すっかり忘れてた」

「じゃ、じゃあ、拙いって! 僕男だし、外でいいよ!」


 直ぐに回れ右。だけど、がっつりとレティが僕の首元……いや、リコの愛用品のマフラーに手を伸ばしてきた。


「外って今からどこに行くつもりよ。もう仕方ないから一緒にここで寝るしかないでしょ」

「駄目! 駄目だよ! ほら、泊まる所ならアサガさんとかサイトウさんのところだって――」

「だ――! いいから! 君がボロださなきゃいいだけじゃない!」


 じたばたしているけど、レティは僕の首根っこを掴んで寮の中へと引いていく。

 『シズクはなんでそんな嫌がるの?』なんてリコが“かえで女子寮”と年季の入った木板を目の前にして僕に言う。

 文字は、読めないのかな。それとも、まだ男女というものを理解していないだろうか。

 僕の抵抗も空しく、レティは寮の玄関の引き戸を開けていった……。


「おー、高嶺ちゃんたちおかえりー……実習室こねえから先に帰らせてもらったぞ。……ん、2人して何してんの? まるでペットの散歩帰りみたいじゃん?」


 玄関を抜けた先、奥の方から三角巾を巻いた紫頭の男性がおたま片手に僕らを出迎えてくれた。


「……サイトウさん!?」

「おう、野花ちゃ……シズク……あ――もう面倒だ。野花ちゃんって呼ぶわ。で、そんな驚いてどうしたよ?」


 呼び方はどうでもいいけどさ……って、そりゃあ、驚くよ。

 女子寮なのに男性であるサイトウさんがここにいる。え、もしかしてサイトウさんって実は女性? って、痛い!

  サイトウさんが僕の頭を軽くおたまで小突いてきた。


「なわけあるか。俺は副職で寮の管理人を学園から請け負ってるだけだ」

「でも、でも、こういうの普通、男は駄目じゃ……」

「まーそこは色々とな。金が欲しくてなあー……上に頼んだから、丁度ここの管理人が空いてて飛び込んだってわけ」

「いや、だからそれでも男……」

「ま、野花ちゃんの言いたいことはわかる。当然と最初は信用されなかったっけね。だけど……んー、多少端折るが空き巣を捕まえたことで信用を得て、どうにかこの寮の管理人続けさせてもらってるな」


 多少どころか結構端折ってるよね。それに空き巣が来なかったら駄目だったってことじゃ……。

 けれど、それまで険悪な雰囲気が漂っていた寮生との関係も、その時の雄姿が認められて今はどうにか良好らしい。


「でも、だからって僕がここにいたら拙いんじゃ……」


 それこそ僕がばれたらサイトウさんに迷惑をかけるのでは……と思ったのに、


「ばれなきゃいんじゃね?」

「いいの!?」


 すっごい軽い調子で返された。


「みんな野花ちゃんは女の子だって思ってるしな。風呂は部屋事に完備されてるし、裸の付き合いがあるわけでもない。あ、もしものために内外どっちも便座の開けっ放しは気を付けた方が良いな。最悪俺のせいにすればいいけど……」

「でも、だからって……やっぱり今からアサガさんのところで頭下げてでも泊まらせてもらうって!」

「あーそりゃ無理だ。タツオミんとこは物で溢れてて人ひとり寝るのが精一杯だし。あいつ研究室に籠ってばかりで帰る時間も不規則だぞ」


 では、サイトウさんの部屋は……と聞いたらそれこそ職を失う可能性があるから絶対にダメ、と強く念を押されることになった。

 なぜ!? って、一応僕はリコとして、女の子としてここの寮生に認識されているわけで、女の子が管理人の部屋で寝泊まりって「ねえ?」ってねえ、って言われたって、うう駄目だ……。

 今から部屋を探すのも大変だし、もう仕方ないからとここに住むことを勧められ渋々レティと同じ部屋にいさせてもらうことになった……本当に渋々だから!


「まあ、ただし」

「ただし?」

「ふじゅんいせー行為は禁止な!」

「しませんよっ!」


 ……それでもまだ踏ん切りがつかずにいる。

 泊まることを許可されたとしても僕の中では女子寮に泊まるという行為にかなり抵抗があった。

 ただ僕が恥ずかしいことと、変な意地を張っていただけのことだったけど。


 女子寮で男1人だけ生活なんて男の夢なんて思ったりもするんだけど、今は羞恥の方が割合が大きい。

 出来れば今からでも外で野宿でもなんでも寝た方が精神的に落ち着くんじゃないかって思ったんだけど……。


『サイト―の作るご飯美味しいよ』

「……ごはんっ!?」


 リコが口にしたその言葉に、僕の少なからずあった抵抗はお腹の音と共に消えていった。

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