第74話 母国であり異国であるニホン

 喉を震わせながら、強く強く彼女を抱き締め続ける。

 むせび泣きが落ち着く数分間、レティは何も言わずに僕の背中を摩ってくれた。

 日は高くも、屋上にいる僕らへと吹き付ける風は強く、冷たく、寒い。


 そのことに気が付いたのは、レティに手を引かれて建物の中へと導かれようとした時だった。

 こんな寒空の下に付き合わせちゃってごめん。

 謝罪は嗚咽で出なかったけど。


 ――この場所はいったい何なの?

 ――僕はどうしてここにいるの?

 ――レティは大丈夫なの?

 ――僕はどうして女の子の恰好をしてるの?

 ――あれからどうなったの?

 ――リコは――……。…………。…………。


 聞きたいことは山ほどあった。

 でも、未だに嗚咽交じりで暴れる口は、まともに話すことすらできずにいた。

 だけど、今はただ、


(よかった……レティが無事でよかった……)


 意気揚々と助けに入った癖に、結局無様にも助けることも出来なかったレティが目の前にいる。

 このことに感情を露わにするほど喜ぶだけだ。





 ゆっくりと、ゆっくりと、平坦で整った階段を2人で降りていく。

 建物の中は僅かに人声や物音は聞こえてきたけど、誰にも出会うことは無かった。それはそれでよかったと思う。レティに手を引かれてぐずっている姿なんて誰にも見られたくはない。

 もしも遭遇したとしても今の姿を見られて恥ずかしいと思うほどの余裕も無かっただろうけど。

 本当に、本当にレティが傷一つない姿を見て僕は心底安堵したんだ。


「も――! わかったってば。ほら、男の子でしょう。そんなめそめそ泣かない」


 一歩先を進むレティが困り顔で振り向き、僕をなだめる。

 上着のポケットから取り出したハンカチを受け取り目元を拭う。

 ちょっと深呼吸。あ、だめだ。落ち着かない。涙が止まらない。

 胸の奥から熱い呼吸と共に次々と感情が湧き上がってくるんだ。

 本当はここで男らしく泣くことをやめれたらいいのに、やめようと思えば思うほど涙が溢れて来る。


「……でもぉ……うっ……レティが……レティが……」

「いいってば! あの時、シズクが来てくれなかったらわたしとっくに死んでたんだからね!」

「でも、僕、僕はレティを助けられなかった……」

「だ――! 結果的にわたしたち助かったんだからいつまでも泣いてないの! 君、何歳よ! そんな赤ん坊みたいに泣いて!」


 レティが怒ってるんだか困ってるんだかわからない顔でぷーと頬を膨らませる。

 喉の震えは止まらないけど、どうにか我慢して口をつぐむ。

 それから、頑張って口を開いて「年齢?」と聞き返すと、むすっとした顔で深く頷いた。

 あれ……そういえば、最近は日付なんて確認してなかった。

 あっちは確か燭星896年10之月の終わりくらいだったから。


「えっと、あと4か月ちょいで12歳になる11歳です……」

「……あ。そっか、君ったらわたしよりも1つ下だっけね」


 1つ下?


「……レティ……僕よりも1つ上なの?」

「ええ、あっちで言えば3之月に生まれた12歳。まあ、この身体の年齢だけどね」


 この身体の年齢って、ああそうだった。


「そっか、レティも前の世界の人……」

「……あ、うん。まあ……そうね」


 歯切れの悪い言い方にちょっと引っ掛かりを覚えたけど、そういえばと前の身体と今の身体の年齢を足してみる。

 ……前の年齢って……確か高校2年生で16歳だったから……。それに11歳と9か月で……え、え?


「……ええっ、28歳……? って、あっちは1年が420日だったから……うわ、もう30歳前後!? 嘘、信じられない……」


 なんだかショックだ……。

 知らぬ間に中年の仲間入りを果たしている僕。見た目はまだ14、15くらいなんだけどね。


「ん、28歳? どういうこと?」

「……え、その、前の年齢が16歳だったんで……」


 気を落としながらも、今の身体の年齢と前の身体の年齢を足したことを話す。

 ふと、レティも明後日の方向を見つめて片手の指を一つ一つ畳んで数えていく……苦い顔をするのが見えた。


「……うわあ……数えなきゃよかったわ……。ま、まあ、わたしと同い年だったのね」


 ん? レティも?


「わたしも前の世界は16歳……高校2年生だったわ」

「そうなんだ? 学年も一緒だよ。僕も2年生だったよって、あれ? もしかして、国も同じ? 言葉も通じた、でいいんだよね?」

「うん……かはわからないけど、わたしは元々君と同じ国の人だって思ってた」


 思ってたっていったい何時からだろう? ――と、そこでレティが口にした言葉をいまいち理解できなかった。


「ニホン? ニホンって何?」

「何って、国……の名前だと思う」

「思うって?」

「……わたし覚えてないの。昔のこと」

「あ」


 これもまたレティは困り顔で教えてくれた。

 彼女もまた僕と同じく自分の名前、誕生日、故郷……といった情報の一部が抜き落ちているらしい。

 そのため、母国語は理解できるのに、その言語がどこの国のものなのかもわからない。

 自分が住んでいなかった土地や名所なんかは出て来る。だけど、何故か自分の住んでいた場所や、深く関わったものについては出てこない。

 まるで虫食いのように自分と関係する名詞と思われる部分が出てこないそうだ。


 なら……と、互いに都道府県を上から順に全部上げてみた。

 北海道から始まって東北、関東、中部、近畿、中部、四国、九州、そして最後に沖縄……。

 自分たちの記憶を照らし合わせて47都道府県だ。

 ……あれ? 全部?


「どういうこと?」

「まあ、その話、実はわたしとっくに検証済みだったのよね。わたしが住んでいた場所は47だった。……シズクも、だった?」

「うん。僕が住んでいた国も47だった……」

「やっぱり、アサガさんが言ってた通りなのかな……?」

「アサガさん?」


 レティは今から会いに行く人と言い、僕とレティを保護してくれた人、とも言う。

 その人曰く、「自分の関わりのあるものと意識しないでその名を口にするならばきっと違和感なく出て来るものではないか」とのこと。


 例えば、もしも自分の名前が固有名詞である“りんご”が名前だったとしても、浮かぶのは果物である林檎だけ。そのため、自分の頭から抜け落ちてしまっている名前であっても気付かずに口にすることが出来る。

 今回の場合は47都道府県を知識としては覚えていても、自分の住んでいる県名と意識していないので口から出るということだ。


「ただ、わたしの場合桜の品種名が出てこないこともあったから、全てがそうだとは思わないけどね」


 他にも色々とあるけど、それは着いてからアサガさん本人に直接会ってからと言うことで、レティに手を引かれながら僕らは先に進む。


 歩いている最中、何となく……いや確証を持ってここがどこかわかった気がする。


(ここは学校だ……)


 しかも、僕がいた世界の学校のものだ。

 緑色をした背景……掲示板にピンやテープで掲示物が留められている。

 掲示物は僕たちがいたあの世界に比べてアラも無く、手書きではない文字が走り、滑らかな表面は光沢を放つ。

 人の描かれた絵なんて町の偉い人の肖像か、立ち寄った町でたまたま遭遇した見世物小屋くらいの看板しかない。ましてや、この掲示板に張られたポスターに写る人物は手書きではなく、あっちでは見なかった実写のもの。

 何より久しぶりに見る僕がいた国の言葉が書かれているものだった。

 全部読める。


 着いた先は机がたくさん置いてある大きな部屋だった。

 灰色の机は向かい合うように配置されているものもあれば、部屋の中を見渡せるような位置に設置されているものもある。

 引き戸の扉は開けっ放しであったため、外からでも中は窺えた。

 ふと顔を上げて壁から突き出たプレートに書かれた文字を読む。


「しょくいんしつ?」

「……そうね。職員室ね」

「じゃあ、ここって……」


 やっぱり?

 聞こうとしたところでレティは一声入れて室内へと入っていく。遅れて僕も続いた。

 彼女の足には迷いは無く、周囲の大人たちの視線を集めながらある先へと向かっていった。


 ……不思議だ。どの人も髪を染めている。

 赤、青、黄、緑。紫や桃色なんて人もいる。黒髪の人が少数で、ここが職員室か疑ってしまうほど。変装する学校なのかな。

 あのおじいちゃんなんて白髪の中に青髪が混じってる。


 レティが向かった先、机に向かって何やら書き物をしている1人の男性がこちらに気が付いて手を上げた。

 眼鏡を掛けた黒髪のひょろっとしたやせ形の男性だった。眼鏡の奥の細目がもっと細められる。


『アサガさん。ちょっと今いいですか?』

『ああ、フルオリフィアさん……と、リコちゃんは珍しいな。どうかしたか?』


 ああ……懐かしい。

 目の前の2人は懐かしい言葉で話している。が、僕は2人が交わした話の中に1つ気になる単語を見つけた。

 ……リコちゃん?


「え、リコ? どこ? どこにいるの!?」


 リコもこの場所にいるの!?

 でも、僕が周りを見渡してもリコらしきものは見えない。

 あんな大きな体躯をしていて見逃すはずはないのに。むしろ昔のままならいざ知らず、リコが隠れる場所なんてそうそうない。


「ちょっと静かに! 周りの先生方に迷惑がかかるでしょう?」


 と、レティが小声で僕に注意する。

 周りを見渡せば僕が上げた声に不審そうな目を送ってくる人たちと目が合った。


「でも、リコが……!」


 今にも探し回りたい衝動にかられたけど、周りの視線にあの職員室特有の緊張する空気、レティの口止めから萎縮し、僕は黙るしかない。 


『まあ、こんな感じでちょっと相談したいことがあって……』

『……わかった。詳しい事情は場所を代えてしようか。おい、サイトウ』


 眼鏡を掛けた人が隣の席で寝ている紫色の髪をした男を揺さぶり起こす。


『んあ?』

『フルオリフィアさんから相談。お前も付き合え』

『……あふぁぁ……了解。んー……ま、珍しい。高嶺ちゃんたちが揃ってこんな場所に来るなんてな。結構重要な話?』


 高値ちゃん? 紫髪の人は僕とレティを見てそう口にした。

 紫の人は欠伸を上げて僕とレティへと視線を向ける。それからぱしっと自分の頬を両手ではたき、うっし、と喝を入れ椅子から立ち上がる。

 この人たちは一体……?


『では、こちらへ。少し急ごうか。昼休みが終わってしまう』


 どういうことかさっぱり読めないまま、僕はレティと見知らぬ男性2人の後を着いていくだけだった。





 職員室を出て、来た道を戻るように階段を昇り3階へ。

 向かった先、到着したのは人気のない空き教室だった。

 あまり使われていないのか扉を開けると、ふっと埃臭い匂いと暖められた空気がわずかに顔を撫でた。室内は脚付きのホワイトボードに向かい合うように長机が並べられている。


 紫髪の人……サイトウと呼ばれていた人が前から2列目の席に気怠そうに腰かけ、僕もレティに手振りで促されて最前列の席に隣同士に座る。

 後は眼鏡を掛けた人……アサガと呼ばれた男がホワイトボードの前に、立て掛けられていたパイプ椅子を持って僕らと向かい合うように座った。

 アサガさんは足を組みながらレティへと視線を向け、


「では、話と言うのは聞かせてくれるかな?」


 レティへと促したところで話は始まった。

 はい、とレティは返事をする。


「実は前に話していた本来のシズクが目を覚ました」


 ほう、と2人が声を上げた。


「……では、今ここにいるのが話に聞いていたシズク、という少年だと?」

「はい」


 アサガさんは顎に手を当ててふむ、と唸り声を上げて僕を見つめた。

 ……変な言い回しだ。

 僕は僕でしかないのに。一体全体どういうことだろう。僕がいなくなってからこの国ではこういう話し方に変わっちゃったのかな。


「君は自分やフルオリフィアさんの話している言葉、理解できるかい?」

「……はい。わかります」


 アサガさんは僕へと話を振った。

 今までは黙っていたけど、ここは素直に頷いて言葉を出すことにする。今の僕はこの状況はさっぱりだし、この人たちに任せる。


「……まあ、シズクくん、だったね。はじめまして。自分はアサガ・タツオミと言う。突然のことで困惑していることだろう。事情はフルオリフィアさんから聞いている。しかし、自分たちもまたこの事態を飲み込めていないのだ。だから、確認のためにまず、こちらから先に質問をさせてもらおう。それから、君に現状を説明していこうと思うが、いいかな?」

「……お願いします」


 では、とアサガさんは立ち上がると、ホワイトボードにペンでいくつかの図形を書いていった。

 角ばったり、丸っぽく書いたり。最初は何を欠いているのかはわからなかったが、最後の方の図形を書き始めたところでこれが何を示したのかわかってきた。

 サイトウさんが下手くそ、と野次を飛ばすも気にせずにアサガさんはそのを指さしてつづけた。


「まず、ここは“地球”と呼ばれる星の“ニホン”と呼ばれる場所だ。他にも“ニッポン”と呼ばれ、外からは“ジャパン”や“ジャポン”“ジャポネ”と言った音に近い言葉で呼ばれる。――これらに聞き覚えは?」


 アサガさんが書いていたのは僕が前の世界にいた国の形だった。

 だけど、僕にはその“ちきゅう”って言葉も、レティが同じく口にしていた“にほん”という3文字の音、そのほかに上げた言葉にも全くと言うほどに覚えがない。


「いいえ……ありません」

「じゃあ、トーキョーという言葉を聞いたことは?」


 ん……? トーキョー?

 ちょっとニュアンスが違うかな。もしかして僕が以前住んでいた場所が訛りがあったのかもしれないけど。

 いや、でも、それならテレビとかラジオとかで東京って言葉を聞いたら違和感を覚えるはずだ。


「それは、東の京と書いて東京ですか? 東京なら以前僕が住んでいた国の首都でした」

「……なるほど。これはフルオリフィアさんと同じことを言うね。では、次だ」


 アサガさんは立ち上がり、僕を手招きしながら後方へと歩いて窓を開けた。


「この景色に見覚えはあるか? もしくは、こういう景色に似たものを見たかって意味で」


 言われて身を乗り出して窓の外を見た。

 窓の外は先ほど屋上で見たものと同じだ。

 ここはどうやらどこかの島のようで、青黒い海に覆われているのが見えた。

 更に海向こうには陸地が見える。その間を船が何隻か通っている。そして、先ほども見たジャンボジェット機が、また陸路へと……その先にある空港へと着陸していった。


「……はい。直接ではありませんが、見たことがあります」

「では、これは?」


 アサガさんは白衣のポケットから携帯電話を取り出し、簡単に操作して僕に見せた。

 分厚いストレートタイプの随分と古いタイプだ。

 塗装は禿げていたり、落としたのか傷も見えた。見る限りで画質も荒く画面も小さい。分厚くボタンも押し易そうに丸みを帯びている。


「携帯電話ですか?」

「これを見て、君はどう思った?」

「え……と、すごい古い機種だな、と」

「すごい古いね。何年くらい前?」

「10年……それ以上?」

「なるほど。これでも2年落ちなんだけどね」

「え?」


 これで2年?


「まあ、これはそんな重要じゃない。――次だ。君は自分たちの言語を理解し、尚且つ以前の……ニワカには信じられないが、今の君ではなく、今の君になるが住んでいた場所はこことよく似ている。もしくは瓜二つだ」

「……はい」


 そうだ。

 この場所も人種も、髪の色を除けば全てが僕が以前いた国と同じなんだ。

 でも、どこか違っている。懐かしいと思った雰囲気は今では違和感を覚える。

 この世界は僕がいた世界に限りなく似ているけど、僕がいた場所じゃないと思う。


「では、最後の質問だ」

「はい」


 アサガさんは栞みたいな細い紙とペンを取り出すと何やら文字を書いていった。

 紙には縦長の線や斜めの線と言った記号みたいなものも書かれていく。

 そして、書き終わったのかアサガさんは紙を僕に向けると、


「あくせす」


 なんて口にする――と、ほぼ同時に紙に書かれた文字が光りだし、直ぐ近くの空中で火が灯った。

 火だ。ひょろりとろうそくの火のような淡い揺らめきが立つ。

 何これ。どう言う仕組みだろう。

 宙には火種と思しきものは無く、手品の類だと思ってしまう。

 ……手品? 馬鹿を言え。

 これとよく似たことを僕はこの十数年毎日と言っていいほど扱ってきたじゃないか。

 僕の目の前にはゆらりと小さな火が揺らめている。


「君がいた世界にはあったかい?」


 はっ、として僕は直ぐに首を振った。


「いえ、ありません。僕がいた世界には魔法と言うものは存在していません」


 僕の世界に魔法は無い。

 子供のころにはあるとかないとかそう言う考え自体は無かった。でも、大人に成るにつれて、それは漫画やゲームとかアニメでしかないことを知る。

 そして、魔法っていうものは僕の世界にはあってはいけないものでもあった。


「ふーむ……」


 アサガさんは頷くと、後方……サイトウさんへと目を向けた。


「サイトウ、どう思う?」

「ん、まあ……仮説として出た並行世界とかパラレルワールドでいいんじゃねえかね」

「だよな……」


 2人は口にしてうんうんと頷き始める。

 レティもやっぱり……と口から漏らす。

 僕にとってはわからないことだらけだ。勝手に納得されても困る。


「で、ここは一体どこなんですか?」

「あ、ああ済まなかったね」


 アサガさんは僕へと視線を向けた。


「ここはニホンのトーキョー、というべきか……トーキョー湾に浮かぶ人工島。多くはアヤカと呼び、国外の関係者からはトーキョー支部とも言う人もいる。ちなみに現在の日付は西暦2000年の11月30日だ」

「西暦……2000年?」


 オウム返しのように言葉を返した僕へとサイトウさんが不敵に笑って言う。


「そうだぞ。野花ちゃん。ミレニアムだろ?」


 野花ちゃん? ミレニアム?

 聞き覚えのない言葉だけど……まあそれはどうでもいい。

 僕は西暦2000年と言う年号を知っている。だけど、それは過去の話で、僕の中ではそれから先に生きていた。

 ならここはどこだ? 未来じゃない。なら、過去? でも、それなら……。


「……東京にアヤカなんてものはなかった」

「わたしも最初聞いた時は信じられなかったわ」 


 隣で難しい顔をするレティが口を開いた。

 レティも同じく最初に説明を受けた時は混乱したと言う。

 でも、目の前に広がる海……東京湾(ここではトーキョー湾と呼ぶらしいけど)。その先にある空港。

 見せてもらったという地図に書かれた地名。

 新聞やテレビ……これらは全て2000年と表記していると言う。

 大掛かりなドッキリにしか思えない。

 信じられないよ……。


「最初は自分も、フルオリフィアさんも困惑したんだ。しかし、自分の目で確認しただろう。納得してくれないか?」

「……納得はできないことは多々ありましたが、わかりました。そうします」


 一先ずと、僕とアサガさんたちとの会話が途切れた。僕らをそっちのけにしてアサガさんとサイトウさんは2人で話を始めてしまう。

 2人の会話はパラレルワールドとか、転送とか言葉としては聞き取れるけど理解できないことも多々あったためその話には口を挟めずにいる。

 レティがちらりとこちらを見て口を開こうとして、閉じた。


 僕は……聞かなければならないことはまだ沢山ある。

 その中でも一番重要なことを訊ねることにした。

 自分がなぜここにいるか、とかそういうのよりももっと大事なことだ。


「リコはどこ?」

「え、リコちゃん……?」


 レティが目を逸らしたのが見えた。

 口ごもり、視線を彷徨わせ、それから口を閉ざしてゆっくりと首を傾け、顔をしかめた。

 まさか……。


「そんな……!」


 やっぱり、リコは助からなかったのだろうか。


「うーん……説明が難しいんだけど、逆にリコちゃんどこ行っちゃったんだろう?」

「どこに行った? リコいるの?」

「いやあ……いると言えばいるんだけど、今はいないっていうか……」

「変な言い方しないで教えてよ! リコは、リコは重症だったんだよ!」


 あんな沢山血を噴き出して、直ぐにでも治療をしないと危ないって言うのに!

 喚きたてるとレティはちょっと悲しそうな顔をするんだ。

 やっぱり……!?


「リコちゃんはね……」


 あ……。

 この声質の落ちた声。これはやっぱり……。

 いやだ。聞きたくない。


 レティは僕に向き合うと、おもむろにぴん、と指を伸ばして僕の胸を押した。


「ここ」

「ここって……!?」


 そんな!

 それじゃあ、まるで『あいつは今も俺らの胸の中で生きてるぜ』なんて死んだ人を例えるような……。


「あ、ああ……――」


 リコは僕の胸の中に生きているなんてそんなの……。


「おーい! リコちゃん! 聞こえてる! 起きてるなら返事をしなさい!」

「なッ――「ふわあ……! そんな大きな声出さなくてもリコは聞こえてるよ」――え!?」


 突如、僕の声を遮ってから別の言葉が飛びだした。


「どうい――「あれ、なんか、身体が変。またリコに何かしたんじゃないの!?」――うことな、うぇっ!?……痛っ!」


 続いて、僕の右腕から右手にかけて、熱い何かが瞬時に駆け巡り、こちらの意志とは無関係に目の前に大きな火炎を生み出していた。

 目の前に生まれた火炎はまるで意志があるかのようにうねりを上げ、収縮し、そして、1つの形を形成する。

 人だ。

 人の形だ。


 白色をした肌感を生み出し、最後まで燃え上っていた長い炎は艶のある赤い髪へと落ち着いた。

 丸みを帯びたその姿は女性のものだった。身長は僕と同じくらいだけど、子供のそれではなく、大人のものと大差ない。

 炎から生まれた真っ裸な女性がその場で蹴伸びをするとあたりを見渡し、それから背後の僕に気が付いた。

 サイトウさんが1つ口笛を吹き、アサガさんが目を逸らす。レティは顔に手を当てて溜息を上げた。

 あれ、この顔……なんだか見たことがあるって……あ。


「これ、僕……?」


 その炎はまるで僕というか、シズクの顔をそのままに、いや、それ以上に女の子らしい顔をした造形をしていたんだ。

 若干下に視線を落とすと、僕との身体にはない真っ白な盛り上がった双丘……の先に淡い色のものが見えて、慌てて目を逸らした。


「ん――あれ? なんでこんな場所に? リコ、お庭でお昼寝していたんだけど……ってあれ……!? あれあれあれっ!?」


 女は大きな声を上げて、その両手で僕の頬を掴み無理やり向き合わせてくる。

 熱っ……声を上げるほどではないが、まるで高めのお湯の詰まった袋を顔に当てられるような温度が彼女の手から流し込まれる。

 女は目を見開いてまじまじと僕の顔を見つめると、


「シズクっ!?」


 大声を上げて僕に抱きついてきたって、それは拙い!

 こんな全裸の女性に抱きつかれたら……って?


「リコ! リコ心配したんだから! 本当に! もう! 本当にリコ心配した!」

「え、ちょっと待って。誰、誰って、え? リコ? リコなの!?」


 ……リコ?

 今、この人、リコって言った……?


「そうだよっ! リコだよっ! シズク! リコのこと忘れちゃったの!?」


 え……え――……っ!?

 リコっ!? この女の人がリコ!? え、え、え。どういうこと……?

 リコと呼ぶ僕にそっくりな女性は嬉しそうに僕の頬に自分の頬をすり寄せてくる。


「……リコちゃん。喜ぶのはわかるけど、せめて服を繕いなさい」


 戸惑っている僕を見てか、レティはそう言いながら大きなため息をついた。

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