第73話 目覚めた孤独
目を開けると僕は芝生の上で手足を縮めて丸まっていた。
上半身を起こして周りを見渡す。頭は重く、覚醒したばかりだからか今一思考は働かない。
「どこ……だ……ここ?」
黒い束がばさらばさらと僕の目に落ちる。
何だ、と思ったら自分の髪だったようだ。結び目がほどけたのだろうか。片手で掻き搔き上げて後ろに流した。
「……え? ええっ!?」
それから、自分が今身に付けている衣服を見て驚愕した。
真っ白なジャケットを羽織って赤いロングマフラーを深々と首に巻いている。そこまでなら最初の「え?」だけで済んだ。
2度も驚いた理由はマフラーと同じく真っ赤なスカートを下に穿いていたからだ。
(以前着ていた服は……!? あのお気に入りだった白いコートは……って、切られたり転がったりでボロボロだったけど……。でもさ。なんでなんで、スカートって……っ!?)
はっとなり、スカートを捲って中を見た。
「……良かった」
膝上までの黒いスパッツを身に付けていた。
これが幸か不幸かはさておき……。
「はあ……」
1つ溜息を漏らし、衣服については……ひとまず置いておく。
まずはと、改めて周りを見渡した。
「何、ここは……?」
前を向けば離れた先に赤い煉瓦壁の建物。
右を向けば同じく赤い煉瓦壁の建物。
左を向けばまた同じく赤い煉瓦壁の建物。
どの建物も均等に並びはめ込まれた窓が見える。四階建ての建築物で、こんなに大きくて頑丈そうなものは見たことは無い。随分と立派な作りをしている。
背には腰かけるには丁度良い樹木があって、僕は今木陰の下だ。
どうやら周囲を囲うように建っている建物群の中庭に僕はいるらしい。
この中庭は軽く足を上げれば跨げる程度の柵で覆われている。柵の奥はこの中庭を覆うように道が敷かれている。
……ゼフィリノスの屋敷もこんな感じだったなと思い出す。庭師でもいるのか、芝も程よく刈られていて綺麗に整っている。
(なんでこんな場所に。おかしい。あれから僕は、助かった……のか?)
確か、あの時は……と気を失う時のことを思い出す。
巨大な塊が僕らを押し潰そうとしてて、それに気が付いた時には避けるほど頭が回らなくて。でも、そこでレティが僕を押し退けて。それからついあの時の二の舞は嫌だってレティに飛びついて……結局その行為は今思えば無駄なものしかなくて……なんだろう。頭が働かない。
いや、それより……!
「レティは!? リコはどこっ!?」
レティは無事なの!? 僕だけが助かった? いやそんなはずは!
リコはどこ!? あんな大怪我を負って血も沢山出て……! 早く治療しないと!
「どうしようどうしよう! 2人が2人が――……ひっ!?」
――キーンコーンカーンコーン。
1人慌てていると、突然鐘の音が鳴り響いた。
いや、鐘……かはわからない。鐘らしき音は音階を変えながら同拍子で流れていく。
「……びっくりした」
不意のことだった。音は四方の建物から聞こえてきた。
銅鑼を叩きつけ空気を震わせるようなものではなく、ある程度大きな音量なのに振動も無く耳に届く。
なんだろう。この音すごい懐かしいような気がする。
……駄目だ。わからないことが多すぎる。
「どうしよう……どうしたら……」
その後もその場で座り込んだまま頭を抱えていると、妙に騒がしい物音が聞こえはじめてきた。
雑音に人の足踏み、何か引きずるような音、聞き取れない声。
……これは。
「人!? 人がいるの!?」
敵……!? また、天人族の人!?
その音は、鐘が鳴り終わってから突然大きくなった。
今まで身を潜めていたのだろうか。何かの訓練中だったとか。鐘がその終わりを知らせる合図?
柵向こうの通路を歩く緑色の髪をした男の子がこちらを見て、ぎょっとした表情を一瞬作り、直ぐに目を逸らして歩きを始めた。
人だ。しかも、普通の。
天人族でも、魔人族でも、鬼人族でもない。
普通の人だ。
「あの……すみません! この辺に大きなライオ……大型犬と青髪の女の子見ませんでしたか!?」
「……っ! ×××、××××××××っ!」
「え、ちょ、ちょっと!」
声をかけたところで緑髪の男の子は僕以上に驚いて、聞き辛い言葉を口にし、ぎこちない笑いを浮かべて早足で消えてしまった。
「……待ってよ! ねえ!」
その緑髪の少年は、僕の呼びかけに一度たりとも振り返ることなく、赤煉瓦の建物の中へと入っていった。
……ここでもう少し落ち着いていられれば彼が何を言ったのか聞き取ることが出来たはずだった。
だけど、今の僕は混乱しきっていて、そんなことすら気が付く余裕は無い。
その後も徐々に人が建物から姿を見せはじめた。
男の子も、女の子も、その全員が子供だった。子供、と言っても今の僕と同い年ぐらいか2つ3つ年上の人たちが姿を見せる。
みんな僕と同じ白いジャケットを上に着て、男の子は藍色のズボンに女の子が赤色のスカートだ。ネクタイやリボン、また着用していない人もいる。後は若干の差異はあるものの履物がみんな同じ。
そして、赤、青、黄、緑……とカラフルな髪の色。
なんだろう。この施設は共通の服を着ないといけないのかな。
でも、その服のデザインには見覚えがあって……1つありえないことを考え付いた。
まるでこれは……。
「いや……そんなことはない。そんなことが……」
頭に過ったその1つの可能性。それはあり得ないと被りを振って否定する。
そんなはずはない。
ここがそうであるならば……いや、だって、今目の前を疎らに歩いている彼らの髪はちょっと大らかすぎる。
これが許されているところがあるなんて僕は知らない。
……いい。
今はそんなことより、レティとリコのことだ。2人は無事なの!?
「……そうだ」
何がそうだ、かは自分でもわからなかったけど、僕は風の浮遊魔法を使うことにした。
若干の間を空けてから体を宙に浮かせる。
人を探すなら高い場所と安直な思考で上を目指す。
浮遊した僕を見て周りが騒ぎ出すけど気にしてはいられない。
そのまま背にした樹木の天辺まで上昇し、そこを足場に蹴り上げて、四方に立ち並ぶ建物の1つ、その屋上へと降りる。
屋上の周りには落下防止か金網の柵が引かれていたけど、そこをくるりと1回転しながら飛び越して、すぐさま反転。
僕はその金網を掴んでその奥へと視線を向ける。
(ここはどこ?)
まだユッグジールの里? それともイルノートが僕が気を失っている間にコルテオス大陸に渡ったとか……。
いや……なんだろう。あれは――。
僕が金網を挟んで目にしたその先は海だった。
この建物から結構な距離があるが、そこは間違いなく海であり、その海の先にはこことは違う別の陸地が見えた。
「あ、あれ……」
そして、僕は目を大きく開けて海に浮かぶ、いくつかのものを凝視した。
「……船……だよね」
そう。浮かぶと言うよりは海を走っている船だ。
船自体は旅をしている間、海沿いの漁村や水場に近い町に寄らない限りでは目にしなかったので、珍しいと言えば珍しい。
ただ、珍しいと言ってもゲイルホリーペ大陸に渡る時には船に乗っていったし……って、違う。そうじゃない。
僕が今目にしている船はこんなに離れていても輪郭がわかるほどに巨大で、帆船じゃないのにすいすいと海の上を走っているんだ。
「……あれは、何か魔道具……? いや、違う。でも、まさか……」
先ほど浮かんで可能性がまた顔を覗かせる。
(違う。そんなことは――……っ!?)
そこで、耳をつんざくような音が上空よりこだました。
空を見上げると、僕は口をぽかんと開けるしかない。
それは……。
「飛行機だ……」
あっちの世界で一度だけ荷物として乗った飛空船じゃない。船に羽を付けたようなものじゃない。
鳥のような十字に形取った鉄の塊が目の前の陸地へと滑空し始めた。次第に大きくなるその姿はまさしく昔の記憶のままだった。
旅客機……ジャンボジェット機だ。
「じゃあ、やっぱり……」
可能性だったものが確信へと変わっていく。
「ここは……まさか……!?」
そんな、でも……いや、でも……っ!
思ってしまえば、直接見てしまえば、もう頭から消すことは出来ない。
もしかしたら、似ている場所。あの飛行機だって、誰かが偶然似たものを作っただけ。違う。そんなことはない。
あの世界の技術力で、あれほどのものを作れるなんて話が合ったら嫌でも耳にしている……。
……視線を下に、周りの街並みを見渡してしまった。
一軒家というものは少ないが、長方形の扉や窓のついた建造物……マンションやビルが立ち並ぶ。
その下の白線の引かれた道路には、四角い鉄の塊……自動車が走っている。おまけに信号まであった。
もう、頭から切り離せない。
「ここは前の世界なのか……?」
思ってしまえば、いや、気が付いてしまえばこの世界の空気も、音も、匂いも、何もかもが懐かしく感じてしまう。あの世界とは何もかも違う。
ぶるり、と身震いが起きた。
「……そんな……そんなことって……!」
続いて、血の気が引くのを感じた。
胸のうちにちくりと痛みを覚えた。
腹部から上へと、おぞましいものが込み上げてもくる。
それは喉元へと通り……。
「うぇ……うぇぇ……」
嗚咽となって口から出て来る。
涙も流れる。流れ出したら、止まらない。
身体の震えは増して、ちゃんと立つことが出来ず、金網にしがみ付きながら、その場で尻もちをつくように崩れ落ちた。
「うぇぇ……ん……うぇぇぇ……ああぁぁ……ああぁぁぁ……っ……!」
泣き声は延々と漏れた。
帰還できたことでの嬉し涙が出た――訳じゃない。
本当なら、戻ってこれたことを喜ぶべきだったのだろうか――違う。
もう僕は、今いるこの世界に未練はない。
あの世界で生きていく決意をしたんだ。
だから……僕は……そんなことよりも……。
「……ごめん……ごめん……僕1人だけ……戻ってきちゃった……!」
青髪の2人の少女のことを思い出していた。
1人、この場所にいることを嘆いた。
こんな遠くへ来てしまったことを……悔やんでしまった。
ルイを置いていこうとしたつもりが、こうして離れて未練たらたらだったことを知り。
レティを助けようとしたつもりが、結果安否もわからない状態になってしまったことを悔やみ。
自分1人がのうのうとこんな場所にいることを恥じた。
色々なことを残してここにいることがとても悲しくて悔しくて、そして――しくて、泣くことしかできなかった。
胸の内でちくりちくりと突き刺さる、気持ち悪いものが肥大して僕を包み込もうとする。
それが嫌で嫌で。大声を上げて喚き叫ぶしかない。
「あああああぁぁぁ……っ! ああぁ……あぁああっ……!」
……僕は、悲しくて泣いていたんだ。
いや、――くてた泣いていたことに気が付かない。
胸の奥に渦巻くこの感情がわからない。
胸を締め付け、身体が震え金網に力を込めて握っていないと、その場で蹲って身を抱きしめてしまいそうなほど。今この手を放してしまえば僕はきっと壊れてしまう。
僕は独りだけになってしまったのか。身体の震えが止まらない。
「誰か……誰かいないの……!」
声に出して助けを求める。
答えてくれる人もいないはずなのに、それでも求めずにはいられない。
僕の知る誰か。誰か……っ!
ルイ――。
リコ――。
イルノート――。
レ――……!
『――コちゃん! 心配したんだからね!?」』
「……っ!?」
――聞き覚えのある声が耳に届く。
振り返ると、そこにはレティ…………いや、それらしき人がいた。
長く青い綺麗な髪。
先の尖った天人族の耳。
眉を少し吊り上げて怒っているけど、愛らしい顔立ちは崩れていない。
レティなのに、レティだと確信を持てなかったのはいつも着ているちょっと際どい装束じゃなくて、今の僕や、先ほど見かけた女の子たちと同じ真っ白なジャケットに、赤いスカートを身に纏っていたからだ。
衣服以外はレティなのに、見慣れない恰好に掛けられた別の言葉、それらから本人かどうか疑ってしまう。
制服を着ている目の前の少女は、幾分年上に見えたこともある。
レティ(?)は走ってきたのか、息を上げていた。
『いつもの場所にいないから、わたし探しちゃって……ってちょっと、どうしたの!? 誰かにいじめられたの!?』
彼女は僕の肩を掴んで揺さぶってきた。
僕を心配そうに見つめるその顔は、いつも僕の隣にいた少女ルイの面影と重なる。やっぱりレティなのかな。
レティとルイは似ている。まるで姉妹みたいに。
似てると言ってもやっぱり差異はあって、その中でももっとも違うのは2人の瞳の色だ。
ルイは沈み始めた夕日のような赤い双眸をしていたけど、この少女は澄み渡る晴天のような青い瞳を宿している。
今、目の前の少女は青い瞳を僕に向けていた。
……見間違いじゃない。だけど、確信は持てない。
最後に見たレティは、泣いて、怯えて、そして、僕の悪夢とそっくりな無理して笑って僕を突き飛ばした少女だ。
あの時の笑顔が僕の頭から離れない。
本当に、目の前の少女がレティなのか。今の錯乱に近い状態の僕には見分けがつかない。
震える唇で聞いてみた。
「……レティ、なの?」
レティ……だよね。
恐る恐る尋ねると、目の前の少女は見開いた眼で僕を見て、少しばかりの間を置いてから口を開いた。
「…………シズク?」
「……う……ん。レティ……なの……?」
「……っ……そうだよ! わたしだよ! レティよ!」
「……っ……レティ! レティなんだよねっ!」
ぁ、ああ…………っ!
目の前にいる人物がレティだとわかった時、
「そう、そうだけど……え――ちょ、ちょっとシズクっ!?」
――僕は強く彼女を抱きしめていた。
守れなかったと思っていたもの。
また、あの悪夢と同じ結果になってしまったと嘆いていたもの。
助かったのは僕だけじゃなかったんだ。
レティもまた、同じように助かった……!
「レティ! レティ! 無事だったんだね! よかった! 本当によかった!」
「ちょっと、痛っ! 痛っ……シズク……? シズクっ!? シズクなんだよね!?」
「うん……っ……うん……っ! 僕だよ! シズ……っ……うぇ……うわぁぁん……!」
「ちょ、ちょっと……もう!」
レティの無事を知ったら、僕の胸の奥から言葉に出来ない感情が溢れだす。止まらなくてわんわんと大声を上げて泣くしかなかった。
レティが痛がっているのはわかっていたけど、それでも今だけはこの腕から放したくはないと思ったんだ。
抱きしめているレティの体温もやわらかな身体も、優しい匂いも全部。
今ここに彼女が生きている証なんだってわかる。
僕はレティが生きていることを心の底から喜んだ。
嬉しい。本当に嬉しい。
1人で泣いていた時とは違う。別の意味で涙が止まらない。
先ほどまでなんで自分が泣いていたのかも忘れるほどだった。
レティに会う前、胸の中で暴れ出しぎゅっと締め付けられたあの感情はとても嫌なものだった言うのはわかる。
ただ、あまりにも長い年月、離れ過ぎていたことでその時の僕では考えたり思いだすこともできなかった。
今はレティが無事であったことへの安堵で溢れ、先ほど抱いた感情はあっさりと胸の奥へと消えていった。
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