第72話 あの晩の会話を夢の中で
ふと、目を凝らせば視界は広がった。
最初はぼかしがかった世界もピントが合えば鮮明に映る。
小刻みに揺れる振動はうろ覚えでいて懐かしく。
ここは……。
(ああ、これは夢だ)
僕はもう何年か前に見た夢と同じ汽車に乗っている。
いや、同じ汽車かどうかはわからない。客車の内装が前と同じだったかなんていちいち覚えているほど僕の記憶力はそういいものじゃない。
でもそんなことは些細なこと。
前に一度だけ見た夢にそっくり。同じ汽車だと思う理由はそれだけで十分だ。
今僕が身体を預けているボックス型の座席はクッション性のある座り心地の良いもので、以前と同じく最前列の進行方向と反対向きに座っていた。
身体は自由に動かせないが別に抗う気は起きない。不自由にも感じない。身を任せてその夢の登場人物である僕自身に身体をゆだねる。
夢の中の僕の視線は膝元に向けられている。
そこには真っ白な体毛と立派な赤い鬣を携えた動物がいた。
(……これはリコ?)
鬣も生えそろって立派に成長したリコが、まるでぬいぐるみのように、出会った頃以上に小さくなって僕の膝の上で丸まっている。寝ている様だ。
ありえないリコのナリを見て、まさしく夢だな、と僕の中で僕は微笑ましく感じてしまう。
僕がリコの頭を優しく撫でる。その動きに合わせてリコが身を捩じらせた。
くすぐったそうに、みゅう、とか細い声で鳴いて、頭に置かれた僕の手の動きを止めるかのように前足で挟む。肉球がぷにぷにと押し返してくる。
僕が声を漏らして笑みを浮かべた。
それから視界を前へ、相席している彼に目をくれずに、車内を一望する。
車内にはまた僕以外に乗客が乗車している。
赤、黄、緑の髪の色をした子供たちがわいわいと談話に明け暮れているのが見えた。
背を向ける筋肉質のおじさんと枯れ木のように細いお爺さん、それとこちらを向く見たことがあるようなないような青髪のお兄さんが見えた。
(誰だっけこの人?)
……ああ、確か、あの集団の中で顔を隠していなかった1人……だったと思う。
でも、僕と僕はそこに座る大人たちを快くは思わなかった。
瞬きをするかのような一瞬で、別の座席へと視線を向けた。
赤黒い鬣に金色の体毛を持つ大きな獅子男と、細見で縞模様の猫の顔をした女が見えた。
こちらに背を向けてはいるが、2人掛けの席なのに無理やり3人で座っている魔人族の男女の仲睦ましい様子を見られた。
他にも、寝床を紹介して貰ったりとお世話になったお爺さんとか、顔を頭巾で隠した集団とか……前の夢に比べると仮装大賞に参加でもするのかという面々が多い。
(それから……)
斜め横の席に座る3人、そのうち僕の方へ顔を向ける金髪の尖った耳のお姉さんが髪を掻き上げた。その髪の隙間から綺麗な青い石のついた耳飾りが揺れる。
こちらの視線に気が付いたのか、お姉さんは実際には見たこともない微笑みを僕に向け、流れるようにそっと視線を逸らした。
そのお姉さんの向かい側、こちらに背を向けた、互いに寄り添っている青髪の子が2人いる。
後ろ姿でどっちがどっちかわからなかったけど微動だにする事は無く、もしかしたら寝ているのかもしれない。
僕の中の僕の胸の内が暖かくなる。
これで全員だ。
そう、この車両に乗る乗客はこれで全員だ。
また、父さんに、母さんに、家族に会えるかなってちょっと期待したけど、いなかったのは凄い残念だった。
そして、また、あの子に……。
(……馬鹿だな。夢にすがって。もうあの子はいないのに……)
そうだ。もうあの子はいない。
もうあの子はいないんだ。
シズクの世界にも、僕だった世界にも。
(だって、あの子は僕の目の前で……)
――何度も、何度も、何度も何度も何度も。
忘れたくても、忘れようとしても、治りかけた傷跡を無理やり抉り込むようにその事実を夢となって突き付けて来る。
忘れるな。忘れさせるものか。お前は忘れてはいけないのだ。
まるで意志があるかのように悪夢が僕に辛い過去の記憶を押し付けて来る。
その夢については、これからもずっと僕に付きまとってくるものだと諦めてはいるが……。
(だけどさ、これも夢なんだから……少しくらい融通効かせてくれてもいいのに)
そうしたら、あの夢の最後の無理した作り笑いじゃなくて、本当の(それでも僕の願望だけど)笑みを見れるかもしれなかったのに――……。
「シズク」
呼ばれて僕は、ようやく同じボックス席の対面に座る人物へと顔を向けた。
イルノートだ。
僕のことを呼んだくせに彼は肘掛けに肘を付き、窓の外へと視線を向けている。
外はトンネルの中みたいに真っ暗で何も映ってはいないというのに。
「何? 呼んだ?」
僕の口が開く。
イルノートはそのままの姿勢を保ち、僕に目を向けることも無く口だけ動かした。
「……コルテオスへ行かないか?」
……これは。
イルノートの放ったその一節は、あの晩の続きのものだと瞬時に悟った。
あの晩、僕がルイと別れを決心した時の会話のはじまり……だから、僕はその時と同じ言葉を続ける。
「また、移動するの? じゃあ、ルイに伝えないと。あ、レティともお別れしないと――」
「いや、ルイはここに置いていく」
「…………」
そう。
一瞬の沈黙の後……そこで僕は「なんで?」って聞こうとして、
「――元々、ルイはこの里で生まれるはずだった」
イルノートが先に昔話の先端を開いたことで、僕の開きかけた口を閉じさせるのに十分な理由となった。
(ルイが、この里で生まれるはずだった?)
……以前ラゴンから薄らと聞いたことを思い出す。ルイは僕たちの勝手な事情の巻き添えになったと。
イルノートは僕の僅かばかりの動揺も気にかけてくれることも無く話し続けた。
「ルイはこのユッグジールの里で生まれるはずだった。だが、私とラゴン……ベルフェオルゴン様とでルイの魔石を奪い、そして、あの奴隷市場へと流れ着いたんだ」
「ベルフェオルゴン様?」
「ラゴンの本当の名だ。ラディオ・ベルフェオルゴン。それがあの方の本当の名であり、ベルフェオルゴン様は私の恩人であり恩師であった」
ラゴン……ラディオ・ベルフェオルゴンはある国の重鎮であり、イルノートは彼の補佐でだったと教えてくれた。
元々イルノートはこのユッグジールの里……いや、里が出来る前、まだゲイルホリーペで魔人族、鬼人族、天人族の3種族がいがみ合っていた時の天人族の村にいたんだって。
詳しくは教えてくれなかったけど、イルノートは旅人だったラゴンに連れられて、コルテオス大陸のそのある国に身を置いたという。
イルノートは控えめながらにその国で武勲をたて、そしてラゴンの右腕と自負できる程の立場になった……と言う。
口数は謙虚であったけど、話している時のイルノートの口調は穏やかであり表情は誇らしげなものだった。
だけど、しばらくして国は亡んだ……らしい。
「……あっという間のことだった。城も、町も、何もかも……。栄華を極めていた我が国は、一夜にして雪の下に埋もれたんだ……」
苦々しく語るこんなイルノートの表情は僕は一度だけしか見たことがない。
「敵の正体も規模も全てが不明だった。見えない敵だと言うのに確かに我が国は攻撃を受けていたんだ……」
まだ奴隷市場で商品だった頃。管理人から暴行を受けていた僕を助け、謝罪した時にだけ見せた表情だ。
「本来ならば私もあの国と共にするはずだった。だが、あのお方が……お前の母となる人からお前という魔石を託されて……私とベルフェオルゴン様は逃げ延びたんだ……」
「僕の母親……?」
「ああ、お前という魔石を生み出した母となるお方だ」
覇気のない淡々とした口調で話していくイルノートだったけど、その表情には若干の憂いや悔いなんかの色が読み取れる。
もう終わったこと、なんて言うけどまだイルノートの中では完結してないんだってわかる。
ただ、その時の僕は……まるで他人事のように話を聞いていた。
当然だけどこの世界の僕にも母がいるはずなんだ。
――お前の母さんと呼ぶ人からお前を任された。
けれど、そんなことを言われても実感は無い。
僕にとって母と言えば。前の世界の母さんだけだったこともある。
「ただ、あのお方より託された魔石は、とても弱々しく、不安定な状態だった。このままでは魔石が崩れてしまうのではないか――死んでしまうのではないかと危惧した私達は他の魔石を求め彷徨った」
ん……どういうことだろう。
「不安定だと他の魔石が必要になるの?」
「ああ。魔石には共鳴というものがあってな――」
イルノートが言うには、魔石同士を近くに置いておくと本来は外に出ない内包された魔力が結びつき、互いに刺激を与えて孵化を早めることが出来るそうだ。
それを応用し他の魔石……ここではルイの魔石を使って僕と言うシズクの魔石の魔力不足を補おうとした。
蛇足として、魔石を生み出した母親が寄り添うことで同じ効果を生み出すと付け加えて。
「魔石と言うのは探そうとして見つかるものではない。魔石を生み出すということは子を成し難い魔族でも即座に子を成せる利点があるが、その反面、生命に関わるほどの多大な負担が母体にかかる」
魔石を生み出した人は確実に寿命が減る。イルノートは又聞きだと言っていたけど、例外も無く魔石を生んだ人は早死にしているそうだ。
個人差はあるが、まだ10代ほどの見た目の人(百歳未満の意)が数十年くらいで死んじゃったり、生み出そうとして、そのまま死んじゃった人もいるらしい。
過去にはわかっていながら人手が欲しくて無理やり魔石を何度も生ませて数を増やしたこともあるとかなんとか……。
でも、その方法は完成された器を割ってその破片で新しい器を複数作るということ。
長期的に見れば有効だけど、その間の子供の成長期間を鑑みるとその手法は愚策でしかない……。
掘り出し物として出された魔石を探し求めるには時間も無い。
途方に暮れていた2人であったが、ある時、風の噂が流れ込んできた。
――ゲイルホリーペの中心であり、顔である世界樹の下、他種族が共存するユッグジールの里に魔石を生み出した稀有な者がいる。
ユッグジールの里というものが出来たということ自体は、その国に所属した時には知っていたが、当時のイルノートにしたら鼻で笑うものだった。
――蔑み傷付けあい、互いに領地争いをしてきた種族が同じ場所で暮らすことなどできるはずがない。
その里にも、ゲイルホリーペにももう訪れることは無い。あるとしたら、攻め落とす時だろう――
その程度に思っていた彼がこうして藁にもすがる思いでまた故郷へと渡ることになった。
「多少の詰問はあったが、里に入ることは容易であった。後は……そう、私が囮となって周りの目を惹きつけている間にベルフェオルゴン様が盗みに入り、そして直ぐに里を後にした。盗んだものには申し訳ないが……私達にはあのお方の命を優先させるほかになかった」
それから僕とルイを抱えながらベルフェオルゴン……ラゴンとイルノートはあの奴隷市場にたどり着き、そして、僕は無事に(いや、僕という存在が入り込んだこの身体が無事かどうかはわからないけど)ルイの居場所を犠牲にして生まれることが出来た、という訳だった。
「……そっか」
イルノートは多分、まだ何か話していないことがある。
けれど、その時の僕はこれ以上踏み込もうとは思わなかった。
まだ僕が知らないことは多かったけど、これ以上聞く必要を感じ得なかったからだ。
「……わかった。ルイの話はそれでいいとして、じゃあ……なんでコルテオスに行こうとしたの?」
「それは……」
ボロ小屋の中で話した時、イルノートは一度口をつぐみ、かぶりを振ってから僕に向き合って話を始め……今は僅かばかりに目を閉じて、そしてゆっくりと開いてから口を開いた。
「……お前たちと別れた後、私は自分の生まれ育った村へ戻ったんだ。そして、知人からあの国の生き残りがいるという話を聞き……私たちがお仕えしていた王や、あの方のその後について聞けるかもしれない、会えるかもしれない……会いに行ってみたいと思った」
「……国が亡くなった後のことは、全く知らなかったの?」
「ああ、私はその後を知ろうとはしなかった……いや、知りたくもなかった。けれど、だから、一縷の望みでもあるならば、もしかしたら――なんて淡い期待を私は……私は……っ……!」
最後の方は興奮気味に語尾を荒くしたのに気が付いたのか、イルノートは何度か口を開閉した後、鼻で1つ自嘲気味に笑って話すのをやめた。
そのしぐさで話は終わり、ということ。
あの時は、俯いて視線を逸らすだけだった。そして、その先の続きがないことも僕はすでに知っている。
今のイルノートはまた視線を外へと向け始めた。それ以上に話すことは無い、という意志表示に見える。
僕も同じように外へと顔を向ける。外は変わらず塗りつぶされたかのように真黒だった。
室内光で反射したガラス面は顔を近づけなければ外が見えないほどだ。
今窓には僕の顔が映っている。未だに見慣れない僕の顔。そこにはもう幼さは残っていない。
ふと、気が付いた。
髪をばっさりと切ったらしい。
ルイにせがまれて伸ばしたままだった髪を落とし、今は若干量のある僕がそこに映る。隣にはイルノートの愁いを帯びた表情があった。
窓を使った鏡越しにイルノートの口が動く。
「もう話してもいい頃合いだと思ったからな……だが、まさかここでするとはな……」
本当にね。
その約束はもう10年近く昔の話で、僕自身忘れていたようなものだ。
長く待たせてくれたイルノートに思うことは何もない。むしろ、その時の僕は……。
(ルイごめんね。僕のせいでごめんね……)
ルイにひたすら謝罪を心の中で呟いてた。
謝って済む問題じゃないことはわかっている。
本来なら彼女はちゃんと両親に精一杯愛されるはずだったんだ。だけど、僕……シズクのために目も開けられないほどの眩い生活を犠牲にさせちゃったんだ。
もっと、日の輝く中でルイは笑えるはずだったんだ。
もっと、もっと、何の憂いも知ることも無く日の下で生きれたはずだったんだ。
もっと、もっと、もっと、年相応の普通の女の子として笑っていられたはずだったんだ。
だけど、奴隷として生を受け、働かされ、重たい剣を持って……長い旅に危険なことも何度も体験させ、普通の子供らしいことなんて殆ど知らずに今日まできたんだ。
(……ルイを元いる場所に戻らせてあげる方がいいんじゃないか)
その時も、今の僕も思った。
失った時間は戻ってこない。本当なら、戻っては来ないものなんだ。
それは2度目の身体を受肉した僕が口にするのはお門違いだけど、それでも彼女には、ルイには僕たちの、いや、僕のために犠牲になった時間を少しでいいから戻してあげたいと心の底から願ったんだ。
出来れば、本当の両親に会わせてあげるくらいの手伝いはしてあげたかったけど、そこまでの時間は僕には無いし、出来るはずもない。
「で、どうする? 私とコルテオスに行ってくれるか?」
「……わかった。一緒に行くよ」
それが僕はルイを置いてコルテオスへと向かうことを同意した、この前のボロ屋での話の全貌だ。
ただ、ここにいる僕らはその後の続きを、言葉を交わすことは無かった。
今はイルノートはおもむろに立ち上がると、僕に一瞥もくれることなくボックス席から、この車両から出て行ってしまった。
残された僕は、未だに暗いままの窓を見つめ続ける。
自分の顔を見ているのか、その奥の何も映らない外を見ているのか。それは僕自身にもわからないことだった。
◎
暗い闇に遮られた窓を見続けていると、その中で真っ白な何かが動くのが見えた。
その真っ白な何かは僕の背後にいて、隣に腰を下ろす。
その後、白い何かは寄り添ってきて、僕の腕に自分の腕を絡めはじめる。
僕はそこでようやくその白い少女へと視線を向けた。
床まで届きそうなほど長い白髪に血の気の帯びていない陶器の様な肌。
若干の灰色に近い光彩を持つ白い眼。
目を合わせると年相応とかけ離れた艶を持つ笑みを向けられる。
この子は……。
薄紅色の唇が震える。
「以前ワタクシと話したこと、覚えてらっしゃるかしら?」
……覚えている。
ゲイルホリーペ大陸に渡る前に立ち止まった、あの海辺の町で出会って突然そんなことを言って消えてしまった子だ。
その時は白昼夢でも見たのかと思ったんだ。
もしかしたら、これも記憶が混濁しあの時の延長線上のものを作り上げているのかもしれない――。
「別にどう取ってもらっても構いませんわ。ただ、約束通りこうして時間は作りました。なので、今度はそのワタクシの作った時間の中でお話をさせてくださいね。そう……こんな夢の中ではなく、実際に会ってね?」
夢の中の登場人物である彼女が不思議なことを言う。
「……夢の外で?」
「ええ、そう。夢ではなく、ね。……ああ、貴方の大切な女の子にも話は付けてありますの。ふふ、楽しみね」
「大切な、女の子?」
それって……。
「ふふ、これ以上の話は目を覚ましてからで。貴方には結構期待しているの。今までの駒の中で貴方は中々に良い方向へ向かっているわ」
白い少女は細い指を僕の首から顎にかけてなぞり、最後にそっと唇に添えてなぞってきた。唇に振れた指先を自分の唇に当てて、気恥ずかしそうにはにかむ。
その笑みは、年相応の可愛らしいものだった。
「じゃあ、お目覚め。直ぐにとは言えませんが、そのうちワタクシも貴方たちに会いに行きますわ――」
目覚めとも別れとも取れる言葉と同時に、窓の外から一斉に光が差し込んだ。
それは一瞬の出来事だったけど、ぼくの目を閉じさせるには十分な光量だ。
そして、目を閉じた先、僕が目を開けると――。
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