異世界の摩天楼
第71話 アサガ教員の実技試験
“お馴染み”の夢を迎えて目を覚ました。
枕元に置いておいた眼鏡をかけて目覚まし時計を手に取る。
時刻は午前6時23分。起床予定時間より30分も早い。
サイトウに言われた通り10時という普段の自分からは考えられないほどの早晩で寝床に入ったのが幸いしたのだろう。
眠気は微塵も無い。爽快だ。
洗面所へ向かい洗顔と髭を剃り、朝食を取ろうと食いものを探した。
グッド。運がいい。食パンが一切れ残っていた。
直ぐにトースターに見つけた食パンをセットする。
目分量で淹れたインスタントコーヒーに湯を注ぎ、焼いている間にラジオ専用となったラジカセの電源を入れた。
この数週間、自分の朝の開始はFM放送を聞きながらのスタートが日課となっている。
お、贔屓にしているDJカブラキの「カブラッキーウェーブ」も丁度に始まった。
グッドだ。運がいい――いや、しまった。
グッドと来てしまったか。
「やばいな。グッドが2度続いた……」
グッドが2回続いた。つまり、この後はバッドな展開が待っているということだ。
何が起こる。
あたりを見渡して警戒する――なんて、案ずるなかれ。
今年の7月、つまり自分の誕生日を過ぎてから思いの外、小さなバッドで済んでいる。少なくとも、怪我を負うようなバッドは一度たりとも遭遇していない。
これも自分の実験が順調であるからだろう。7月前までは暗闇の中を手探り状態で彷徨っていたのに、今は確かな手応えも目指すべき光も見えている。
21年生きてきて、今が絶好機なのだ。
書き損じの書類や計画書。
読み途中の参考書。
整頓されていない虫食いの本棚。
叩いても直らなくなったブラウン管のテレビ。
洗った洗濯物の山……。
(どこだ。どこにバッドが待っている?)
カブラキのムーディーでリズミカルな声がスピーカーから流れる中、自分は小さな部屋に佇みバッドな展開に留意する。
「…………お?」
パンにセットしていたトースターから異音が聞こえてきた。
目を向けると投入口からわずかな黒煙が漏れだした。慌てることなく電源コードを引っこ抜きそれ以上の被害を防ぐ。
きた。バッドだ。ついてない。
チン……食べるには躊躇ってしまうほどの焦げた食パンが飛びだした。
「はあ……よかった。これだけで済んだ」
そう、今回もこれだけで済んだ。本日も継続して絶好機を迎え続けている。
焦げてしまったパンを引っこ抜き、どうしたものかと手で弄んでみる。
「あ……しかもこいつ、カビてらぁ……そういや、いつ買ったのかも覚えてないな」
ああ、バッドだ……いや、よかった。
もしもトースターが故障しなくても、これを食べていたらカビたトーストを食ったという悲壮感に包まれていただろう。
一日の始まりから、ましてや今日に限っては凹むような気持ちでスタートはしたくはない。
トースターの故障。
食べようとしていたパンの腐敗。
2度の小さなバッドが続いた。
これで次はグッドが待っていることになる。
やっぱり、今の自分はついている。
「……朝は外で買っていけばいいか」
一つ呟き、脱ぎ散らかしていたジーンズを穿く。
椅子に座ってちょっとぬるくなったコーヒーをかき混ぜて口に運ぶ。
本来ならトーストをかじりながらもラジオを聞くはずだったのに……。
良いバッドだとしても気分は若干だが落ちた。
『では、お便りコーナーでしたっと。続いては国内外の情報をこのカブラギが厳選し――』
引き続きスピーカーに耳を傾けると、パーカッションをBGMにニュースへと変わったようだ。
ハマツ動物園でラッコのシータくんが突然死。
グアムで現地住民とカルト教団との衝突。
カナダの空港で爆破予告。
国民的アイドルであるミヤノマイの熱愛騒動。
南米での大型ハリケーン被害報告――。
ああ、今日も外は騒がしい。
程よく時間も潰せたので、白衣に袖を通してカバンを持って部屋の外に出た。
寮から学園は徒歩10分ほどの距離にある。
その間には、この特区運営の24時間営業のコンビニもある。他にも朝8時から夜9時までのマーケットも存在する。
ただし、自分は自炊するよりも外食や出来合いで済ませてしまうことが多い。
コンビニに向かって適当におにぎりを購入した。
ここではグッドは発揮されなかったらしい。
「グッドだとちょうど仕入れたばっかりだったり、バッドだと嫌いな梅おにぎりだけが残ってるとかあるんだよな……」
今回はそういうこともなく好物のものもあれば嫌いなものもある。つまり並。平常運転。
まだグッドは来ないようだ。
ただ、こういう事態は慣れたもの。この体質に気を張っていても仕方がない。
次のグッドを気にしない程度に待っていよう……なんて、気にするなと言ってしまえば人間逆に気にしてしまうもの。
コンビニを出た後も、無意識にあちらこちらと視線を向けてしまうも学園の正門に着くまで何ひとつとしてことは起こらずに学園へと到着した。
その後も学内を、教員棟を進んでいる間も、誰とも会うことも、何事もない。
普通である。
グッドなときは、朝から同期のシオミさんと鉢合わせ、他愛も無い会話に幸せを感じてその日一日噛みしめることもあった。
何もないまま準備室に着き、早々に今日の準備を開始する。
用意と言っても生徒のための“授業”の、ではない。放課後にある“技能試験”の、だ。
ただ、前日に――3日前には終わらせているので、今はただの再確認である。
自分、アサガミツオミは教員としてこの学園に席を置いている。
と言ってもまだ自分は着任2年目のペーペーであり、二次教員である。
普通の学校の教職員がどんなものかは知らないが、ここでは5年の実務経験を積むか、実力を評価されて一次教員……正教職員となる。
「神童も20過ぎればただの人、か……くそ。こんなところで足踏みなんてしてられないって言うのに」
……いいや、焦ることは無い。
開花は自分でも遅いと思うも、未だに咲き続けている自信はある……しかし、その自信は1本の綱の上に立つヤジロベーのようだとは自分でも気が付いている。
不安定な、少しでも傾けば容易く落ちてしまうような自信。
正直に言おう。半分は尻込んでいたりするのだ。
これも前年度の意気揚々と参加した実技試験で、何の成果を上げることも、審査員のお眼鏡にかなうことも無かったことにある。
着任1年目の緊張や3年通った学び舎であっても、真新しくなってしまった環境に戸惑いもあった。そう言い訳してしまえば簡単だ。
いや、正直に言おう。今思えば自分が用意した課目はお粗末もいいものだった。
(なんだよ。“魔法文字”の書かれた護符で遠く離れた人間と通話が出来るって……)
そんなもの子供にも広まり始めた携帯電話を買ってしまったほうが早いではないか。
しかも、自分が用意したものは対合わせの護符同士でしか話が出来ないと言う欠品ぶり。電波の通らないところでも話せるというメリットはあることにはある……が、魔法適正のない一般人には使えない代物だ。
そんなものを仕事終わりに共同研究室に籠って毎日何時間もかけて作ったのだ。
自分では2段飛ばしとは言わないが、すんなりと階段を上がっていくものかと思っていた。
頭に描いていた階段よりも現実の階段は思ったよりも高かったようだ。思い上がりも甚だしい。
――ただ、今回は違う。
「今回のものなら、この魔法陣ならば……きっとうまく行く!」
今、目の前に折りたたんである布……魔法陣は完全に自信作だ。
この数か月、この魔法陣に取り掛かった期間は、頭を悩ませていた日々が嘘のように充実し、自分の失いかけていた自信に息を吹き返してくれるかの様に輝いていた。
手に持つペンはすらすらと動き、そして修正個所を見つけては即座に書き込んでいく。間違えたところで嫌な気分は無く、新しい発見となって創作意欲を掻き立ててくれた。
結局出来たものは前回の通話護符と方向性は同じだが……あれは失敗であり、成功へと導くカギだったと思うことにする。
「これは今世紀初の大発明となる……! 間違いない。絶対。そうだ。これを発表した瞬間、自分は……!」
息巻いているとトントンと部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「タツオミ。入るぞー」
そう言うなり紫頭が断りを入れる前にドアを開けて入室してきた。
サイトウ。サイトウ・コウだ。
これはバッドでもグッドでもない。彼はいつもこんな感じだ。ドアを叩くだけまだ礼儀がある。
「おー、ずいぶんと調子よさそうじゃないか」
サイトウは自分と同じくこの学園の二次教員だ。
紺のジャケットに青いジーンズという未だに学生っぽさが抜けていないが、これでも列記とした教員である。
……服装に関しては自分も人のことを言えず、かといって、この学園に所属している生徒も教師も服装が何だとか髪がどうなんて話は馬鹿馬鹿しくてしない。
彼とはこの学園に入学して割り振られたクラスで、偶然席が隣同士で、偶然抱えている悩みが類似していたこともあって関係を持つようになった。
それから5年経つも、以後も関係は切れないまま腐れ縁のように繋がっている。
「ようやくこの3か月の成果が日の目を見るんだ。今朝も朝からハッピーだし最高だよ」
「ハッピーか。なるほどね。これでアサガセンパイも晴れて正職員か」
「先輩はいい加減やめろ。もう1年も経ってるのに未だにそのネタを振るのはお前くらいだぞ」
「いいじゃねえか。誰も言わなくなっても俺はこれからもセンパイって言い続けてやんよ」
自分は飛び級で1年早く学園を卒業、上級専門科に進学したこともあってサイトウと1学年離れていると言うだけだ。
(く、本当なら上級も1年で卒業することも可能だったと言うのに……)
まあ、おかげで一つ年上のシオミさんと上級で知り合い、同期になれたのだから人生はどう転ぶかわからない。
……と、サイトウの言う通り、今回の技能試験はまさにそれだ。
二次教員となった後、個人差5年前後の実務を終えることで正式に一次教員……正教職員として採用される。
それ以外にも正教職員となる方法が、毎年1回行われるこの技能試験だ。
これに合格することによって5年の課程をすっ飛ばして正教職員として地位を得ることができる。
ここで実技試験を受ける1番のメリットは専用の研究室を貰えることにある。
そして、専用の研究室を手に出来ると言うことは魔法の独自研究を許可されると言うことだ。
そして、独自研究で魔法を生み出すことが出来たら、それはまだ100年程度の浅いものだが、歴史に名を刻むことになる。
正直に言おう。
自分は、歴史に名前を連ねたい。
そして、そのためにも自分はこの実技試験で正教職員となって研究室を手にしたい。
「まあ、俺も2階のギャラリーから見守ってるよ。成功することを祈ってる」
「祈るって……成功するに決まってんだろ」
「ああ、そうだな。お前がそう言うならそうだ。じゃあ、また午後にな」
そう言い残してサイトウは部屋から出ていった。
◎
日中は学生相手に自分の担当課目である付与魔法についてテキストになぞった言葉を声に出して一日を潰す。
……生徒からの授業評価は良く無いことは知っている。
声に出している間にも今日の試験での流れを頭の中で何度も何度も組み立てる。
抜かりはない。あるとしたら本番の緊張によるケアレスミスくらいだ。
(自分ならいける。100の言葉よりも100の態度よりも1の結果を見せるだけだ)
そして、日中の授業も終わり、雑務を済ませて体育館に向かう。
2階のギャラリーには自分たちの技能を見ようと幾らかの人が溢れていた。
その大半は特区内にある各学園の生徒で、残り一握りがサイトウのような二次教員から正教職員だ。
スポットライトの当たる檀上では自分を含め、正教職員を目指す3名のライバルたちがパイプ椅子に座って今か今かと待ちわびていた。
段下のホールには長テーブルに肘をついている今回の審査員でもある学園のお偉いさんたち3人が自分たちの技能を楽しみに……。
いや、正直に話そう。上っ面だけ笑みを浮かべて、とてもつまらなそうにしている。
内心は無碍な時間だと思っているのだろう。
これは去年も、自分が生徒の時も同じ反応だった。
(しかし、今回自分が用意したのは世紀の大発明だ。今に見てろよ。そのカエルみたいに弛んだ笑顔を引き攣らせてやる……!)
お偉いさんたちの簡単な挨拶も終わって実技試験は開始した。
一瞬で種子から花へと成長を促進。
錬金術による鉄の造形。
風の瞬間温度調整。
今回の3名は皆、初見の顔だ。上級の学生か、他校に勤務している二次教員か。
3人とも火水木金土の自然魔法、一般魔法ユーザーであったらしく、その関係上自分は最後となった。
そこを考えると付与魔法を発表するのは自分だけだったらしく、多少は優位に立てる。
例えそれこそ優れた自然魔法をこの場で発表されたとしても、今回は負ける気はしない。
「では、次、アサガ・タツオミ教員」
「はい!」
呼ばれて自分は壇上から体育館のホールへと降り立つ。
その場に用意した今回の自信作である“魔法陣”の書いた布を2枚敷いていく。
片方にはいつ入手したのかもわからないブサイクな兎のぬいぐるみを置いておいた。
――会場がざわつき出す。
その反応は……予想としていた通りの嘲笑や苦笑に近いものだった。
丸や三角といった記号を重ね、魔法文字で命令式を書き込む魔法陣なんてものは現在では殆ど使われなくなってしまったものだ。
理由としては使い勝手が悪いのだ。
簡単な自然魔法を生み出すくらいなら魔法陣を地面にちょいちょいと書いてしまえばいいが、そこから命令や操作するのに複雑な術式を書き込まなければならない。
そんなもの属性、操作、範囲、威力等を魔法文字を書き込んだ手軽な媒介が持てばいいのだ。
そして、魔法陣は書き込む情報量が多い程、陣も大きくなってしまう。
メリットとして、大掛かりな魔法の補助や魔力の底上げとしては最適であること。
ただ、この平和な現世で、そんな大掛かりな魔法の利用は許可もされなければ使う必要もないってことだ。
自分も最初は古臭く、手間のかかるものだと一蹴したこともある。
しかし、そこでこの数か月の出来事である。
この数か月、毎晩と夢の中にこの魔法陣が頭に浮かんできたのだ。
最初は何を示しているのかもわからず、目を覚ませば魔法陣があったとわかっても、その魔法陣の術式が何と書かれていたのかもおぼろげなものだった。
魔法陣なんて……と鼻で笑うも、煮詰まっていた自分には藁にもすがりたい思いで手を伸ばし、そして今に至る。
……学び直せば鱗が落ちる様だった。
ただ、使い勝手が悪いと言うだけで、風化してしまっただけである。
「……ふぅ、よし」
陣の端で膝を付き、自分の両手を置いて目を閉じる。
身体の胸の奥、心臓を意識したさらにその奥で魔力を練り込み両手へと流し込む。
触れた魔法陣が光り出し、続いてもう片方の兎を乗せた陣も共鳴するかのように光出す――今だ!
『
言霊を用いて陣に貯め込んだ魔力を発動させる。
やっと見せられる。この大発明を。
――自分が今ここで見せるのは空間移動魔法だ。
2つ離した陣は互いに出入口を表している。
現在の欠点のうち1つ上げるなら、自分が直接触れた陣が出口になると言うことくらいか……。
事前のテストでは成功した。
自分が許容する魔力量から1日に3度が限界で、3回目を発動すると吐き気が伴うほどに体力を失う。
だが、この数日、1日2回の結果全てがうまく行ったのだ。
これで試験を突破出来れば自分の研究室を手に入れることが出来る。
研究室ならば学園に貯蔵されている魔力炉に直接つなげ、自分のキャパシティー以上の魔力を使用することができる。そうなればこの魔法陣ももっと発展させることができる。もっと複雑な術式を書き込めることもできる。
そうして、完全な空間移動魔法を完成させ――だからこそ、今回の試験には是非とも通過しなければならない。
だが……。
「……くっ……」
何かがおかしい。
自分の身体から魔力量が思いのほか大量に陣に流れている。
制御しようにも無理やり繋げた手の先から引っ張られる。今までこんなことは無い。
陣は今まで見たことも無いような光を帯びている。周囲がざわつく音が聞こえた。
「タツオミ!」
サイトウが自分を呼ぶ声が聞こえる。でも、それに答えられるほど余裕はない。
糞、なんだこれは。緊張で魔力制御に失敗した?
(どうする……やめるか?)
いや、ない。そんな選択肢は無い。
ここまでやった。これで失敗したらまた来年待たなければならない。
また1年待つ? ありえない。
常人なら兎も角、自分は飛び級で学校を卒業した身。
自分が最高だとは思わないが、抜きんでているとは自負している。
そんな自分がこれ以上何の成果も出せずにまた1年腐っていくのか。ありえない。
「……あぁぁ……っ!」
2回目を行うほどの魔力を注ぎ込む……いや、吸い取られている。
入口の陣の上にあるぬいぐるみは一向に消えようとはしない。
おかしい。これではただ魔力を、命を捧げているようなものだ。
(糞、なんでだ。なんでこんな……バッド! こんなものバッド以外の何ものでもない!)
ありえない。バッドが2回続いているんだぞ。だから次はグッドしかありえない。なのに3回目もバッド? 今までの経験からバッドなんてことはない。
ここで起こるならグッド以外ありえない。どうした。どうした今までの自分は!
そして、魔力は3回目分まで消費され……頭はぐわぐわと震え、最後には目の前の陣から放たれていた眩い光はたちまち、消えた。
……気が付けば自分は陣に倒れていた。涎が溢れ泡となって口から洩れていた。
多分それは一瞬のことで、はっと身を起こせば、周りは静寂に包まれ、また騒めきを始める。
――陣には何も、無かった。
慌ててまた陣に腕を回して魔力を注ぎ込もうとして……。
「……そこまで」
審査員の無慈悲な発言がざわついていたこの場に静寂を落とす。
試験が終わったことを意味していた。
「ま、待ってくれ! これは何か何かの手違いで!」
「……ただの照明ならそんな見苦しい真似をしなくてもどこかで買えば良い」
「照明って! 待ってくれ! 自分は自分は!」
それでも、試験管は目を伏せて首を横に振るだけだった。
――今回の試験結果。合格者無し。
◎
そう後日に張り出されるわけでもなく、直接その場で結論が下された。
即座に席を立つお偉いさんたちに続き、今回の受験者や見学者たちが転々とその場から去っていく。
後には暇つぶしのようにギャラリーで会話をしている生徒が数名に、いつの間にか降りてきたサイトウ、そして自分だけがその場に肩を落として沈んでいた。
「一体どうしたって言うんだよ。あんな反応今までなかったじゃないか」
「自分にもわからない。勝手に身体の魔力が陣に注ぎ込んでいったんだ……」
……こんな変な命令を下した覚えはない。
なんでだ。どこでイレギュラーがあった? もしかして、書き損じたか? 気が付かないうちに汚して線を潰したとか?
自分は目の前に広がる魔法陣を隅々まで見渡してみる。しかし、どこにも傷も無ければ書き込まれた様子は無い。
「テストで行ったままの状態なのに……どうして……」
と、自分はおもむろに陣に触れてその線を指でなぞった。
指に振れた線にはまだわずかに魔力が残っている……残っている?
「どういうことだ?」
「あ、どうした?」
「自分はこんな命令式は知らない」
「こんな?」
そう……自分は、魔力が残留する命令式は書き込んでいない。
この魔法陣は魔力を注いでる間だけゲートが開くようになっている。いや、最終的にそういう結果になったのだ。
例えるならソーラーパネルで動くおもちゃだ。
光が当たっている間は動くが、影に入ってしまえば……魔力が注がれていなければその場で行動をやめてしまう代物である。
魔法陣による移動は一瞬のことだが、もしもその一瞬の移動中に魔力注入をやめてしまえば入口に置いた物体は半ば半分でここに転送されるようになってしまうのだ。
あのぬいぐるみなら腰半分から下が切断されてこちらに来るという具合に。
そういう改良点は必要で、これ以上のものは個人では開発できないからこそ……。
だと言うのに、これではまるで……。
「ゲートが開いたままになっている、ってことか?」
そんな命令式なんてどこを見ても無い……。
かと言って自分は魔法陣というカテゴリーの全貌を知っているわけでもない。
それに、この魔法陣は夢の中に出てきたものを模倣し……いや、正直に言おう。
殆どが模写だ。
そして、また正直に話すと、書いている魔法陣については書いている途中で効果を悟った。
夢の中に出て来るおぼろげな魔法陣に影響されて書いていくと、次第に夢の中に出て来る魔法陣がくっきりと見えるようになってきたのだ。
目を覚ました後にその書かれていた命令式を調べ、自分の書いていた魔法陣に照らし合わせるという形式を取っていた。
そして、次第に修正していくと夢と同じ魔法陣を書いていることに気が付いた。
当然、実際する魔法陣を気が付かないうちに夢で思い出したのかと調べもした。が、そういうものはこの学園内の資料には見つからなかった。
では、学園外で? いいや、違う。
そもそも、空間移動魔法の成功例と言うものが無かったのだ。
それは通話魔法の時に調べている。
通話魔法は元々あるもので、過去の記録では20世紀初頭、宝石に属されるような希少な鉱石を媒介にした通話機器が存在したと文献に残っている。
それが次第に形を変えて……自分はそれをもっとコンパクトにしようとした、とそんな過去の話はもういい。
調べているうちに空間移動魔法の報告例、物質を他の場所へ移動させる魔法と言うものは見つからなかった。
そういう実験があったという文献はいくつかあったが、どれも成功したという報告はない。
その為、今に至るまで、これは自分が生み出したものだと信じてやまなかった。
だが、こうして実技を失敗して冷えた頭で考えると、この自分が作り上げたこの魔法陣は夢の中に出てきた模造品。
手を加えたと言えば規模や必要魔力量の減少くらいだ。
あの時は自分が空間移動魔法を作り出したと歓喜に震えたのだけれども……それがこうして日の目を見ることは叶わなかったのだ。
もう失敗したものだ。
ただ……そうだ。
沈静したこの頭で考える。
自分は魔法陣について調べたのはこの数か月だけだ。そんな自分はまるでプロフェッショナルにでもなったのかように魔法陣を書いていた。
もしかしたら、何か自分も知らない符号や文字の配列で、本来の意味とは別の作用を起こす可能性があったのであれば。いや、それなら試運転時にも起こるはず。なら、特殊な条件下で発動することで、とか……いや。それも全て憶測の域を越えない。
だが、今がその特殊な条件下だとしたら、原因を追究するしかない。――いや、追求したい!
「タツオミ! お前何して!」
「ちょっと試させてくれ! もしも気を失ったらよろしく!」
「おい、ざけんな!」
サイトウが肩を掴んで止めに入った。が、自分は構わず陣に魔力を注ぎ込む。
陣は再び光り輝き、残っていた数名の生徒たちもざわつき始めたがそんなのは元々気にしてはいない。
いや、正直に言おう。注目されたくない、と言えば嘘じゃない。
「……ぐっ……」
「やめろ! それ以上突っ込んだらお前、魔障喰らうぞ!」
魔力障害か。体内の魔力が暴走し、日常生活に支障を残すほどの後遺症を与えること。
そんなのはわかっている。
今自分を突き動かしているものは見栄や虚勢だけでなく、ただの好奇心や追及心という純粋なものだった。
この先に何かがある。魔力を注ぎ込む過程で直感した。
それが果たしてグッドか、バッドか……。
――いいや、わかる。
バッドが3回続いた。なら、もう次はグッド以外ありえない!
「うぉぉぉおおおおおっ!!」
痛みとも苦しみともわからないものに対抗して咆哮を上げる。
こんな猛り声、自分の人生で一体何度上げたことがあるだろうか。記憶にはない。もしや初めてのことか? ……だがいい。
呼吸をする間もなく両手の先からは血の気が引いていく。視界がぼやける。身体が痙攣を始める。脳が危険信号を発している。これ以上は危ない。一生残る後遺症に悩まされるかもしれない。
でも、止めない。
冷たい指先に何かを引っ張る感触がある。
来る、何かが来る。
この先に何かがいる。
陣の光は一層煌いて、眩しくて目を開けてはいられない。
目をきつく閉じる。あと一歩だ。
「さっさと――」
そう。
「――出てこい!」
最後の一喝と同時に魔力を力任せに注ぎ込んだ。
――瞬間。
四散する光と共に吹き荒れた風圧に、自分はサイトウを巻き込んで後方へと吹き飛ばした。
「うわったったぁああああああああああっ!!」
「げへっがっががががっあへあっあっ!」
2人で抱き合いながら揉みくちゃになり、身体のあちこちが物理的なダメージに覆われる。痛い。
何度か2人で縺れ合いながらも回転をしてどうにかその身を止めたけれど、目は眩んで前は良く見えない。
「んあ……ああ……?」
前はどっちだと、サイトウが妙に震えた声を上げて顔を向けている。そっちか。
未だに目は良く見えない。いや、違う。眼鏡がずれているのか。
「どうなった?」
「ど、どうってよ……なんだよ……あれ……」
問いかけるもサイトウはそんな訳の分からない言葉を呟いた。
ずれた眼鏡を一度外し、幾度か目を擦った後、掛けなおす。
そして、陣のあった場所へと目を向け……瞬きを何度も繰り返した。
「はあ?」
そんな変な声が口から洩れる。
……今一、状況が理解できない。
先ほどまで発光してた魔法陣の上に少女が2人、抱き合い横たわっていたのが見えたからだ。
「お……女の子?」
「だな……」
現れた2人はまだ中学生ほどの少女たちだ。しかも、テレビですら拝見したこともないほどの異国のとびっきりの美少女たちだ。
(青髪の子は耳が……何か尖がっているような……? 巫女服っぽいのも着ているし、コスプレか? いや、それよりも黒髪の方はなんだ? ぼろぼろに切り裂かれた服は真っ赤に染まっている。怪我をしているのか……?)
いきなりコスプレをした少女に血みどろのぼろぼろ少女なんてものが現れ、自分とサイトウはただ硬直するしかない。
2階のギャラリーでも生徒たちが騒ぎ始めているようだった。
「これは……どうしたら……」
と、戸惑いながらも注目していた美少女たちの片割れ、青髪の女の子がふと半身を起こした。
あたりをきょろきょろと見渡して、目を見開いていた。
その様子に、自分は恐る恐る少女へと近寄って声をかけることに。
「お、おい。大丈夫か?」
『××……? ×××……×××……×××××××××――!』
「ひぇっ!?」
そう、その青髪の少女は聞いたこともない外国語を発して、大声を上げて泣き出したのだった――。
この出会いは果たして自分にとってグッドなのか、それとも4度目のバッドなのか……。
ただ、これが自分の作っていた魔法陣の本当の姿――召喚陣であったことは、その時の自分には理解できるはずも無かった。
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