第69話 絶望の渦
くるくるくる……。
人っていうのは延々と回り続ける歯車だと、わたしは思う。
それは自分を取り巻く環境、人、事象という多様な歯車と噛み合い、絶えず回り続ける。回り出したら緩急は付けられても止めることは出来ない。
歯車の回し方には2通りあるとわたしは考える。
1つに、己の意志を持って回すこと。
2つに、他者の回転に身を任せること。
わたしは、他人によって回されることを良しとする歯車が嫌い。だけど、頭ごなしに否定するつもりもない。
自分自身で歯車を回していこうとする人はあまりいないことを知っている。自分で回すより流れに身を任せた方が楽だしね。
それに自分で回しているつもりでも、実際は周りに回されていた、なんてこともある。
だから、わたし自身「お前もそうだろ」って言われたら否定できるほど自信は無い。
幼馴染のあいつは自ら他人に身を任せることを良しとする人だった。
そして、基本的にあいつが回される他人とは、つまるところ……わたしだった。
小さい頃はいつもわたしが何かを始めるとあいつみ一緒に始め出す。
習い事も、好物も、スポーツも……あいつはいつだってわたしの後ろにいた。
時には自分で回そうとしたこともある。
けど、それはやはり、他の人によって影響を受けてのことだ。
わたしだって他者や何かに影響されて自分もそう言う方へと回すこともある。悪く言える立場ではない。
だけどさ。
そう……なんとなくだけど。本当。なんとなくよ?
わたしに影響されてならまだしも、他の何者かによって回されるあいつを見てるのが心底嫌で仕方なかった……と思う。
言ってることがごちゃごちゃしてるよね、
自覚してる……これはただの嫉妬ってことも。
この気持ちに気が付いたのはもっとオトナになってからだから仕方ないって。
でも、そう。
一度だけ。
あいつが自分の意志を持って回りだしたことがある。
それというのも、自分で回しているつもりだったわたしの歯車が、別の方向へと無理やり回されたことがあった。
先人たちが生み出していた大きな歯車は女というだけで、わたしという小さな歯車の回転なんてものは無いものだった。悔しいけど、それには従う他にない。
同じような歯車へ噛み合わせることも出来たけど、わたしは……もう他の歯車と噛み合わせることを良しと出来ず、歯を折ってしまったんだ。
……その時はかなり落ち込んだ。
だから、かな。
わたしをきっかけに回し始めたあいつが、わたしの代わりになってその歯車の一部になることを願い実行したんだ。
わたしという影響があって回し始めたようなものだけど、今までと違ってそこにはあいつの明確な意志が確かにあった。
その後のあいつの努力は目覚ましいものだった……まあ、いいか。その話は。
歯車は役目を終えると、いつしか、衰え、軋み、そして、抜け落ちる。
その歯車が抜け落ちた後も、集合体の回転は続いていく。
最初は抜け落ちた歯車の影響からぎこちなく回り始めるも、その動きがいつしか当然となったり、別の歯車をはめ込んで修正していく。
勿論、抜け落ちたまま、隙間を抱えて回り続けていく歯車もある……後を追って一緒に落ちてしまう歯車だってある。
それでも、歯車は回っていく。最後の最後まで回り続ける。
人として生まれた歯車はどんなことがあろうとも、回り続けるしかないんだ。
◎
「イルノート……なんで、そこにいるの……ねえ、どうしてっ!?」
「昨晩、言った通りだ。私は用事があると……つまりは、こういうことだ」
「こういうこと? ……どういうことだよ!」
「とある少女の殺害または補助――つまり、そういうことだ」
「本気で……言ってるの……?」
「……ああ」
先ほどの悲哀を見せたイルノートはもういない。無表情なまま抑揚のない声で、機械的に頷いた。
これが、わたしとイルノートの初めての対面だった。
記憶通りのさらさらの銀髪に、ミルクチョコレートみたいな茶色の肌。シズクとはまた違った女性にも負けない端整な顔立ち……。
記憶のままのイルノートがそこにいるのに、目の前にいる彼からは記憶の面影は一つとして見られなかった。
まるで血の気の通っていない人形みたいで……宝石みたいな紅眼を覗くとどこまでも深い底に沈みこんでしまいそうだった。
無言のままに見つめ合うシズクとイルノートの視線に籠る熱は真逆に見える。
シズクには困惑と同時に憤りにも似た燃え上る怒りが灯り、またイルノートには侮蔑の様な凍り付く眼差しを向けている。
みゅぅ、とリコちゃんがシズクとイルノートを見比べて悲しそうに唸った。
がちり、とシズクの左腕の指先が擦り合った。
どくん、とわたしの胸の内で静かに、深く高鳴る鼓動を感じていた。
「……」
「……」
わたしもシズクも聞きたいことは沢山あるのに、お互いに口を開くことは無い。
一触即発の空気が漂う。
(これが、温情ってやつなのかな……)
イルノートの後方に控えるエネシーラ様を含めた衛兵たちはわたしたちを注意深く監視しているだけに留まっている。けれど、下手に動いたら“どこ”からでもわたしたちへと牙を突き立てるに違いない。
その中で唯一温度差が違うのはインパさんだ。彼は地面に座り込んで、レドヘイル君の護衛であるオルファさんの力を借りて治療に専念している。
殺気だったこの場所で傷を負った彼だけが落ち着きを見せている。
何かを企んでいるようでも無く、わたしたちに面を上げて……何か悲しそうな目を向けてくる。
そうして周りを見てから、やっと……見ないようにしていた人物へと、わたしも、シズクがイルノートを見つめ合っているように、ウリウリを見た。
視線が合うと彼女はきっ、と親の仇の様なきつい視線を送ってくる。
他人を前にした感情の乗らない仏頂面ではなく、本当に、本当に……怒りと言う感情を乗せてわたしを睨みつけて来る。
(いや……そんな目で、見ないでよ……)
目の奥が熱くなりかけてこぼれないよう、若干顔を上げた。
大丈夫。大丈夫じゃない……わかってる。わからない。
なんで、どうして? どうして?
本当はそう。
喚き散らしてウリウリを問い詰めたい。
なんでそんな意地悪をするの――違う。
意地悪で彼女はこんなことをしない――違う。
彼女は意地悪どころか、冗談なんて一切言わない――違う。
こんなの彼女じゃない――そうだ。
――きっと顔の似た別人だ。そうだ。そうに違いない。
「違う……そう思いたいだけ……」
「……レティ?」
「シズク……わたし、わからないよ……なんで、ウリウリからあんな目で見られなきゃいけないの……? どうして、イルノートとシズクがいがみ合ってるの? どうして……どうして……っ!?」
シズクの胸ぐらを掴んで、わたしはウリウリにぶつけられない不満を吐き出していく。
こんなのは八つ当たりだ。
でも――
「どうして、わたしは
――そうでもしていられないとわたしは理性を保てそうになかったんだ。
ここで怒鳴り喚き散らし、みっともない姿を晒さなかったのは最低限の理性が働いたおかげなんだろう。
本当に、泣きそうになった。違う。もう本当は泣いていたんだ。
でも、その時のわたしは、自分の瞳から涙が溢れていることに気が付くことも、気が付こうともしたくなかっただけ。
「レティ……泣かないで……」
「泣いてなんかっ――」
そっと、シズクの右手がわたしの頭を撫でながら抱き寄せる。
わたしと同じくらいの背丈の男の子のくせして、触れ合わせたその身体は何倍にも大きく感じられる。
耳を塞ぎ、目を瞑って、その大きくて小さな体に身を任せて泣き叫びたい。
でも、そんなことは……できない。
わかっている。
今の状況はそんなことを許してくれるほどやさしい場所じゃない。
なのに、彼はそんな絶望的な状況においても竦むことなく、果敢に面を上げて大勢へと胸を張っている。触れ合っているのに彼は身動ぎ1つすることない。
(……強いよ。わたしはもう折れちゃってるって言うのに、シズクはまだ諦めてないんだね)
完全に諦めてしまったわたしへと、彼はそっと耳元で囁く。
(時間を作る。だから、リコに乗ってこの場から逃げるんだ)
(無理だよ……後ろの壁超える間に狙い撃ちされるよ……)
(無理じゃない。やるんだ。魔法を使って――)
でも、わたしは彼の言葉を遮る形で首を振った。
――駄目なの。魔法は使えない。わたし、魔法が使えなくなっちゃったんだよ。
そう口から音を出してしまえば、今言葉を出そうものなら、堰き止めていた嗚咽が漏れてしまう。そうしたら、もう……止めることは出来ない。
ごめん……。
「逃げるのか?」
「……っ!?」
口を閉ざしたわたしの代わりとばかりにシズクに答えたのはイルノートだった。
シズクの口の動きから読み取ったのか、長年の付き合いからか。
それとも、いや……もっと単純に、この次の行動はこの場にいる人たちにはバレバレだったのかもしれない。
「……だったらどうする?」
威勢を張っているだろうにシズクの表情には動揺を隠せない。
イルノートはそっと目を伏せ、
「もしも逃げれるような素振りを見せれば……」
少しの沈黙を漂わせて、
「……私はルイを殺す」
ここにはいない彼女の名前を口に真摯にシズクへと眼を飛ばす。
「なっ」
「えっ」
ルイを……殺す?
シズクもわたしも予想外の回答に驚愕してしまう。
「なんで、なんでルイが出てくるんだよ!」
「お前にはルイという言葉が一番効く」
「……っ!」
……確かに、シズクにとってルイはどんなものより大切なものだってことは他人であるわたしでもわかった。
今のシズクにとってルイの2文字は一番効果的だ。
苦虫を噛むようにシズクは悔しそうに俯き、また顔を上げた。
「ル……ルイなんて……どうなっても……僕は、もう、ルイのことを忘れるつもりだった……だから、だからっ……!」
「え、シズク何を言って――」
何……シズクはルイを忘れる? どういうこと?
でも、わたしが口出しをする前にイルノートが遮り、話を続けてしまう。
「では、良いのか? 今までお前が大事にしてきたものだぞ。それを摘み取っても構わないと?」
「くぅ……」
それ以上シズクが口を開くことは無かった。
シズクは悔しそうに奥歯を噛みしめる。
今、2人の中で勝手に話が進んでいる。わたしは蚊帳の外にいるようなもの……だけど。
だけど、だけどさ! それでも口を挟まずにはいられない!
「イルノートがそんなことするわけないじゃん! わたしはルイの記憶でしか彼のことを知らない! だけどさ! ずっと一緒にいたじゃん!! あんなに2人のこと面倒見てくれたのに、そんな殺すなんて!」
「……イルノートは本気だ……嘘じゃない。冗談じゃない。こんなこと、嘘や冗談でも言わないってことは良く知っている……」
「それでも! そんなことやるはずが……っ……!」
シズクはそれ以上に言葉を交わすことは無かった。
ただ、左手を前に出してイルノートへと構えを取り始める……そんなの駄目!
「きっと、イルノートにも訳があるんだよ! 何か、こうしなければいけない理由が――」
シズクの肩を掴んで引き留めようとしたいのに、今度はリコちゃんがわたしの服を噛んで後ろに退いてくる。
「どうして邪魔するのリコちゃん!」
「……みゅぅ」
申し訳なさそうに鳴くリコちゃんだけど、わたしが前に出ないよう身体を擦り付けて押し退ける。
ゆっくりとシズクがわたしの元からイルノートへと進んでいく。
「だめ! はなして! このままだと2人が、2人が!」
イルノートもまた同じように胸元から小さな短剣を取り出して構えた。
シズクは右腕を後ろに回して大きく手の平を開く。
「……え?」
だけど、直ぐに怪訝な顔をして右手を顔に寄せて見つめた。
「どうして……?」
「口を挟むようですが……」
「ウリウリっ!」
思わずわたしはウリウリの名を呼んでしまう。だけど、ウリウリは一瞥もくれることなく前に出てイルノートの隣に並び立つ。
なんで、無視するの……!
まるでいないかのように扱うウリウリはわたしを気に掛ける事無く話を続けた。
「既に、この一帯の魔力は私が支配していました。よって……」
ウリウリが両手を振り上げるのと同時に、この場所に激しい猛風が吹き抜けた。
粉塵を掴んで叩きつけられる風は、痛い。
「この場で魔力を放出出来ても、それを形に変える権限は私が握っております。シズク、あなたが今感じている違和感の正体はそれです。魔法……出ないでしょう?」
魔法が出ない……? わたしと同じでシズクも出ないの?
肯定するようにシズクの横顔には焦りが見られる。そんな……!
周りを見渡すと、巻き上げられた砂塵が形としてわかるほどの風の壁となった。
これは……まるで竜巻の内部にいるみたいだ。
背後の土壁ですら削る勢いで、その風に触れてしまえば身が引き裂かれるような力を感じる。
風は煙が上がるかのように土壁よりも高くそびえ立つ。
「余計なことを……」
「貴方がもたもたしているからです。さっさと終わらせてください。例え中が違っているとしても、子供が死ぬところは見たくはありません」
そして、また後ろに下がる。
最後に、ウリウリがやっとわたしを見た。
けれど、その眼の奥には何もない真黒な影に包まれそうになるほどに拒絶を彩っている。
ウリウリ……。
「……シズク、来るのか? そんな状態で」
「……行くよ。もうこれって、ここにいる全員倒す以外方法は無いんでしょう」
何馬鹿なことをっ!?
「駄目だよ! やめて! シズクお願い!」
「レティ……駄目じゃない。やるしかないんだ。やる以外に生き残る方法は無いんだ」
魔法も使えないのに!
魔法が使えなきゃシズクなんてただの女の子じゃない! なのに! それなのにっ!
わたしの制止も無視して……。
「はああああっ!」
――無謀にもシズクは飛び出していった。
◎
その後は、一方的だった。
魔法が使えないのに、シズクは前へと突撃を開始する。その動きは先ほどよりもキレは無い。
強化魔法はある程度作用しているのに、その効力は半減してしまっているのは目に見えてわかった。
けれど、イルノートはインパさんみたいに当然と避けられてしまう。
だが、イルノートはインパさんの時とは違って、避けるだけじゃなくてシズクの出す攻撃に合わせて短剣を滑らせていく。
シズクの一挙一動ごとにシズクの身体には無数の切り傷が生まれていく。
幾つもの悲鳴と苦痛を吐き出しながらもシズクは前へ前へ……。
(……やめて)
短剣は滑らせるだけでなく、殴りかかった右腕を、蹴り上げた右足を突き刺していく。切り傷以上に派手な鮮血が舞った。あの、真っ白だったコートが今ではもう赤いまだら模様と化している。
(やめてよ……)
ぼたぼたと……赤い血が流れる中、それでもシズクは立ち上がり続ける……。
(やめてったら!!)
目を閉じたくなった。
やめてと叫んでもシズクは言うことを聞いてくれない。飛び出して無理にでも辞めさせたいのにリコちゃんが止めに入ってしまう。
(お願い。もう、こんなことやめて……!)
この短時間で、2人の足元はおびただしいほどの血だまりが黒く地面に跡を残す。
もちろん、全てシズクのものだ。
「くぅ……」
全身を切り刻まれたところで、今度こそシズクは……膝をついた。弱々しい彼の背は小さくて、それでも前を向く。
イルノートは短剣に付いた血を指で拭った。
「お前は、結局……最後の最後までその醜態は治らなかったな」
「……醜態……なんの……話?」
「わかってないのか? お前は今こんな状況で笑っているんだぞ?」
「え?」
「……無意識か」
笑っている? 背を向ける今のシズクの顔はわたしにはわからない。
でも、シズクはそっと自分の頬を右手で触れた。確認しているのだろうか。
「そして、最後の最後までお前に欠けていたものは埋まらなかったな」
「欠けているもの……?」
「本来なら自分で気が付いてほしかったよ……だが、最後だからこそ、教えてやる。それは――」
イルノートは1つ――“恐怖”と口にした。
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