第68話 僕も彼女と同じだから


 シズクの左腕に生み出された鈍色の手甲は、インパの重い斬撃に切断されることも、歪曲することもなく、しっかりと受け止めきった。


「なんじゃそりゃっ!?」

「……はぁっ!」


 そのまま受け止めた腕を振り払うようにしてシズクは力任せに剣を押し返す。突然の出来事に虚を付かれたのかインパは体勢を崩してよろけた。

 そこを見計らってシズクは更に大きく一歩踏み出して、インパの中へと忍び込む。

 右の掌底で腹を叩き、そのまま電流を流し込んだ。


「グギギっ……がぁっ!?」


 これにはインパにも効いたようで若干の呻ぎ声を上げながら剣を手から落とした。

 だが、インパへと与えた損傷はそれだけのよう。

 常人ならばその場で倒れてもおかしくないものを、インパは一つ身じろぐだけに留め、即座に反撃とシズクを蹴り上げた。苦悶に顔を歪めながらシズクは地面を転がった。


「つぅ……効いたぜ。なんだよそれ。金魔法? ――いんや、ちげえな。それだけの量の媒介がこの場で消費された痕跡は無い。どう言う魔法だ?」

「……闇魔法だよ。知らないの?」


 身を起こし、身体に付着した土を払うかのようにシズクは身体を叩きながら口にした。蹴られた痛みはないとばかりにけろりとしている。

 しかし返しとしてインパはまったくと首を振って否定した。


「あん? 闇魔法にそんなのあるかよ。俺は知らねえぞ?」

「知らないって言われても、僕はこれが闇魔法だと教わったから何とも言えないよ。ただ、この魔法は使い手によって形が変わるみたい。僕の場合はこの手甲、焔迎ひむかの籠手って呼んでる」

「魔人族の秘術か何かか……くそ、隠し玉かよ」


 ……ルイも使えるから魔人族だけのものではないはずだが。そこについてはシズクは説明はしなかった。

 ただ、まっすぐにインパを捉え、籠手を宿した左手を下方に向けて腰を深く落とす。


「……そんなところ。出来れば使いたくなかったんだ。反動で次の日は全くと動けなくなっちゃうからさ……それに焼ける匂いがあまり好きじゃないんだ。その匂いを嗅ぐと、我を忘れちゃうから、ねっ!」

「焼けるってどういう……ちょっと待て!」


 言うなりシズクはまたもその身を前へと突き出した。

 今度は籠手を利用しての打撃へと向かう。

 シズクの左腕が通った――手甲がなぞった空間の後には火が灯り、まるでシズクの追う蛇のようにリコには見えた。後には蛇の足跡のように陽炎が走る。

 下に降ろしたままの手甲をインパへと大振りに振り上げる。高速で動くシズクをどうにか捕え、インパは一歩後退するが、手甲から発生した熱風に吹かれて苦悶を浮かばせ声を漏らす。


 シズクは突き進み、左手の手甲を主として攻撃を始める。前へ前へと手甲を薙いでは突き刺し、時には右手で雷魔法を放ちながらインパへと攻め込んでいく。

 しかし、それも全て躱されてしまうが……今度ばかりはインパに余裕の色は無い。

 速度は変わらずとも、先ほどよりもシズクの攻撃が奥へと踏み込んだものへと変わったからだろう。

 これもお互いに素手でのやり取りになったためか……インパの表情は引き締まり、焦りすらも浮かんでいるようにリコには見えた。


「このやろっ……熱っ!」


 インパは攻撃をしようにもシズクは左腕を盾にして受け止めてしまう。

 殴りかかった素手も、蹴り上げた足も、シズクはまるでわざと左腕で受け止めようとしているように見える。そして、触れた瞬間には籠手より発する熱で攻撃したインパの方が苦しむ。

 インパの顔が焦りや苦痛に歪むたびに、シズクの顔に笑みが浮かぶ……ああ、楽しんでいる。

 こういう時のシズクは普段からは想像も出来ないような歪んだ笑みを見せる。この時ばかりは本当に目を背けたくなる。

 しかし、リコの目は離さない。

 こうなったもの全部あの男が悪いんだ……そう、リコは自分に言い聞かせることにする。

 今のシズクを見てか、メレティミが回す力がまた強くなった気がした。


「ぐっ……痛っ……ぐお……っ!」


 と、そこで、シズクの薙いだ左腕が、手甲を纏った指先が、インパの右腕に薄い一閃を刻み込んだ。

 小さな裂傷だ。

 けれどその小さな傷口にはぽっと火が灯り、次第にその勢いを強めていった。

 インパは無事な左手で点火した腕を擦りつける。それでも、消えない。地面に傷を抑え付けても、火は消えることは無かった。


「熱っ、熱ぃぃっ! なんでっ、消えねえんだよっ!」


 焼き爛れる皮膚に苦しむインパを見て、シズクがとても嬉しそうに笑う。


「クスクス……それ、切り落とした方が良いよ。この籠手ってよりも、この爪で傷つけたものは燃え尽きるまで消えないから」

「なん……冗談っ……!」

「嘘じゃない。ほら……あは、あははっ!」


 そう、シズクは嗤いながらインパに向けてまるで水撒きをするかのように、水魔法を放水した。

 水がインパの傷口に当たるも、火は多少は勢いを弱める程度。

 放水が終わると、また同じく火は勢いを増し始めた。


「ぐぅぅ……嘘だろ……くそっ!」


 インパは落としいた剣を拾い、一瞬の躊躇の後、自分の腕を斬り落とす。

 鮮血が溢れ出し、絶叫しながら即座に治癒魔法を発動させて止血を始める。


「……はあ……はあ……くそ……いてえ……腕1本……ふざけんな……畜生……なん、だよ。これ……」


 インパは未だに燃え続けている自分の腕を見つめて悪態を吐く。

 傷口に右手を当てて治癒魔法を施すも、血が止まるまでは時間はかかった。

 落とした腕が消し炭と化したところでようやく顔を上げる……その顔には大粒の汗がいくつも浮かぶ。


「……お前の前世は、暴れ牛か猪か何か?」

「暴れ牛? 猪?」


 きょとんとした顔でシズクは聞き返した。

 む、確かに。

 シズクは猪突猛進的なところがある。あまり考えずに一気に突っ込み先制で敵を鎮圧するのを好む傾向にあった、とリコは考える。


「……前世は人間だったけどね」

「は……今、この場この状況でその冗談は、嗤えねえ、よ……」

「冗談……? 冗談、ね……」


 と、シズクは一度こちらに視線を向た。

 いや、あの視線の先はリコではなく、リコの首元にいるメレティミへと注がれている。少し視線を下げればメレティミも気が付いているらしく、シズクを心配そうに見つめるだけ。

 またシズクへと視線を戻したところでパクパクと口元を動かしている。

 小さな、それこそリコでしか聞き取れないような声を発していた。


 ――レティモオナジダッタンダネ。


 聞いたことも無い言葉、いや、音か?

 シズクの口からはそんな音が出た。

 それからまたあの笑みを、儚く壊れそうなものを浮かばせてシズクはインパへとまた顔を向けた。


(その表情は、何か……覚悟を決めた様な……)


 メレティミはシズクの口の動きを真似して音を出した。

 一人で「違う」とか「じゃない」とか呟きながらも、着々とシズクと同じ音へと近づけいく。

 殆ど同じような音を紡いだとき、メレティミの顔が険しくなった。


「シズクっ!」


 メレティミの叫びにシズクは何も答えない。

 ただ、インパへと視線を向けたままに、籠手を装着した左手をこちらへ向けて振る。


「冗談じゃないよ」


 シズクが言う。


「はあ?」

「僕は――」

「シズクやめなさいっ!」


 メレティミがその場から立ち上がってシズクへと走り出した。

 はっとする。


(……なっ、このっ! なんで前にっ!?)


 リコも続いてメレティミの後を追う。

 あの2人の間に入ったら、リコにはメレティミを守れる自信は無い。

 それに。


 何か嫌なものを感じる。

 シズクのその口にする言葉の先に、この場をもっと不吉にするような気配を感じ取る。


 メレティミの待ったの声に、シズクは首を振って拒絶と否定を表してから、口を開いた。


「シズ――!」

「僕もレティと同じく別の世界の人間だよ」


 ……瞬間。


 この場所に音が消えた。

 リコも息を飲み、追う足を止め、シズクへと視線を向ける。

 メレティミもその場で固まり、伸ばした手も力無く落とされる。

 ……どういうことだ?


(シズクが別の世界から来た? 別の世界ってなんだ? そもそも世界って言うのは何?)


 理解するにはリコの持つ知識では限度がある。

 今もレティが襲われている理由を理解していないのだから。

 それ故に迷いから生じる隙を出すまいと、それ以上はあえて思考を停止していたというのに。


 けれど、その話の通りならば2人は同じ場所から来たっていうことになる。

 いや、そんなことはない。

 シズクの生まれた場所はルイと同じ場所だ。そして、メレティミはこのユッグジールの里に以外の外の世界は知らないって聞いている。

 第一、2人は初対面であったし、シズクもルイ越しでしか彼女を知らなかったはずだ。

 なのに、同じ場所……同じ世界にいた? 意味が解らない。


「……っ!?」

(なんだ?)


 その言葉に今まで黙って2人のやり取りを見ていた“顔無し”の1人が、その場でよろけるみたいに大きな反応を示した。

 ……どういうことだ? リコも知らなかったとはいえ、なぜはそんなにもリコ以上に動揺を見せるのか?


「……おいおい。そりゃあ今1番言っちゃいけねえ言葉じゃねえか。お前、今の嬢ちゃんの立場わかってんのか?」


 そんな沈黙を崩しインパが辛そうにシズクへと言葉を投げた。

 シズクは小さく頷く。


「うん。わかってる。インパさんの言う通り、今1番触れちゃいけない発言だとしても、言わずにはいられなかった」

「……例えそれがホラだとしても、この地、この場所でそれを口にした以上、今さら嘘でしたじゃあ通らねえぞ」

「それでも――」


 シズクは言葉を紡ぎ、続ける。

 

「言わなきゃいけないって思ったんだ。レティ1人だけ責められて、僕も同じ立場なのに隠していることなんて、そんなのは我慢できなかった……今でも実は信じられない。レティが僕と同じく別世界の人だったなんて――」

「だ――! このおバカっ!」

「――あいたっ!?」


 と、いつの間にか距離を詰めていたメレティミがシズクの言葉を遮って、ぽかりと頭を殴った。

 先ほどまでの怖気ようも打って変わり、怒りを露わにするメレティミだ。

 身を屈めて痛がるシズクにも構わず、メレティミは彼の胸ぐらを掴んで持ち上げる。

 

「なんでばらしちゃうのよ! 君が別世界の人間だって言ってこの場が改善すると思ってるの!?」

「え、何? ばなすって……レティ、僕のこと知ってたの?」

「知ってたわよ! あ――! もうっ、説明は省くけどわたしはこの里に来る前からシズクが同じ世界の人だって思ってたわ! あん? 何! 何よ、その目は! なんか文句あるの!?」

「ないけどぉ……それならもっと早く言ってくれていても良かったんじゃない?」

「お母様から言うなって言われてたの! 本当なら誰にも言うつもりは無かったわ! なのに、なのに! も――! なんなのよこの状況!」


 先ほどまでの怯えが嘘のように、いや、もしかしたらそれまでの鬱憤が爆発したかのようにメレティミは怒り任せに叫んでいた。

 リコも遅れて2人のもとへと向かい、彼らの周りに構える。

 2人から1番近いインパも、その後ろに控える“顔無し”の2人も気を削がれたように立ち尽くしている。

 これは……。

 メレティミに責められながらもシズクと、目が合った。


 ――今なら逃げれる。


 そう互いに言葉も無く意志を伝えあい――シズクが何気なくメレティミの腰へと右手を回し、リコもおもむろにその場で小さく伏せ――さっさと背に乗ってこの場から逃げればよかったのだが…… 


「はあ……子供を殺るってだけで気が滅入りそうなのに、それを2人もだと? こんな予想外の深手も追うし、今日は厄日だな……」

「ならば奴の言う通りミッシングとして処理してやればいいだけのこと」


 と、茂みの奥から老人を先頭に“顔無し”の集団が姿を現した。


 ……最悪だ。

 あと少し行動に移せばこの場から逃げれるはずだったのに。

 時期を逃したこの場で背を向けるのは得策ではない。

 リコはまた直ぐに立ち上がり、シズクも同じくその面々へと身体を向けた。


「フォロカミ。ウリウリア。貴様ら何をしておる。何故インパがこの小僧を足止めしている間にメレティミを殺さない」


 そう、先頭に立つ老人が今までずっと身構えるだけであった“顔無し”2人へと咎めた。

 その老人の言葉に「え」と声を漏らしてメレティミがこの場を見渡し始めた。その呼ばれた名前の人物を探しているようだった。


 ……リコは知っている。

 メレティミが探している人物、老人に咎められた2人の内、女の方……リウリアが前に出て、簡易的に頭を老人へと下げて口を開いた。


「……私はフォロカミから手を出すなと命を受けていましたので」


 頭巾も取らずにリウリアは淡々とした口調でその老人へと説明をする。

 それ以上に言葉は無く、老人もまた何故かフォロカミと呼ばれた“顔無し”の彼を睨み付けるだけだ。


「あ、あなた……ウリウリ……なの?」


 その声に恐る恐るとメレティミが尋ねると、リウリアは頭巾を軽く流し素顔を見せた。それを見てメレティミの顔が華やぐが、一瞬にして凍り付く。

 リウリアの視線は鋭い。眉間に皺を寄せるほどにメレティミを、いや、こちらを睨みつけているのだ。


「お前の様な災禍にその名で呼ばれるのは至極不快だ。で礼儀を欠くのがミッシングというものか?」


 ……初対面?

 リウリアは唐突に変なことを言う。


「え……ウリウリ? 何を、言ってるの? なんで、ウリウリがそこに――」

「黙れミッシング! その名で呼んでいいのは私が忠誠を誓ったフルオリフィア様だけだ! とは違う! 口を慎め!」

「――っ!」


 怒声にメレティミは絶句し萎縮する。

 どういうことだ。様子がおかしい。

 リコと同じくシズクも異変を察してか、直ぐにメレティミを庇うように前に立ち、リウリアへと言葉をかけた。


「リウリアさん何を言ってるの? それにどうしてあなたがそこに……」

「……シズク様……いえ、シズク。あなたには失望しました。まさかミッシングだったとは……」

「ちょっと、待ってどういう……?」

「あなたとはこれ以上言葉を交わすつもりはありません。命もありましたが、今までは温情から黙ってインパに任せていました。ですが、これより先は私も加勢させていただきます」


 いいですね、とその言葉は隣にいる“顔無し”の男へと投げられたものだった。

 言うなり彼女もまた細身の短剣を腰から抜き取る。高く掲げて、こちらへとその切っ先を突き刺し……隣の“顔無し”の男が手を伸ばしてその剣先に触れた。

 面越しにリウリアが男へと睨みつけるように顔を向けた。


「フォロカミ……お前には何かと言いたいことが山とあるが、今は忘れてやる。だから、これ以上私の邪魔をするな」


 言われるも“顔無し”は剣先に置いてた手に力を込めて下げさせた。

 そして、リウリアよりも一歩前に出て言葉を紡ぐ。


「……この少年の処遇は私に任せてもらえないだろうか?」

「まだそんな――」

「その声は……」


 そして、その1人の“顔無し”がようやく頭巾を脱ぎとって、リコたちの前に立つ。

 リコは……当然、最初から知っている。


「イルノートっ!?」


 そう、シズクが驚愕する中で、“顔無し”だった男は悲しそうな顔をして、リコたちの前に立った。

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