第67話 窮地
メレティミの匂いを追って走ること暫し。
辿り着いたそこは住宅地から離れた林の中で、その奥から耳に届いた声は刺々しくも怒気を孕んだものである。
どうやらメレティミと誰かが言い争っているらしい。状況は緊迫しているのはわかった。
(どうシズクに説明しようか……)
こういう時、人語を発音できない自分を恨めしく思う。しっかりとリコの身体にしがみ付くシズクに細かに伝えられるとは思わず、足を止めることも出来ない。
今から向かう先に、部外者であるリコたちが接近していいものかと走りながらに悩むが……そんな心配も無用のものだった。
「みゅみゅうっ!!」
「なに!? 何かあったの!?」
メレティミが更に林の奥へと遠ざかった。
細かな息遣いには震えや怯えの感情が色濃く残る。何に怖れている? 明らかにその老人から逃れようとしている。
また、その老人の他にも大勢いるらしく、メレティミの後を追うもの、その場に留まるものと二分した。
追跡する集団のものは奥に向かうメレティミの乱れた足音とは真逆で落ち着き、洗礼されている。これはまるで獣が集団で狩で獲物を追い詰めているのと同じだ。
状況を把握するにしても音以外には判断付かず、かと言って呑気にしていることは許されない状況だ。急がなくては。
今よりも力強く地を蹴る。シズクがリコの身体を更に強くしがみ付いた。シズクには意味のない心配ではあるが、振り落とされないでほしい――ふと、身体が軽くなった。
この感覚には覚えがある。多分シズクが魔法でリコの身体を軽くしているのだろう。その証にとシズクが軽く肩を叩く。これならば!
道中に邪魔をする樹木を蹴り上げてなるべく最短距離で先に進む。
予想外に跳躍してしまうも、慌てることなく近くの樹木の肌へと足を付け、蹴る。道を走るよりも木々を跳ぶ方が早くなった。
先へ先へと、全力でその場へ向かっていた時、視界の先で隆起した土塊が見えた。メレティミの匂いも音も強くなる。
しかし、不運なことに土塊は今リコたちがいる場所とメレティミの間を埋めていった。
やっとのことで辿り着いたと言うのに、この高く摘み上がった土の山がリコたちの進行を邪魔している。まるで壁だ。垂直のこの山を登るには時間がかかる。どうする……。
しがみ付いていたシズクがもぞりと身を捩じらせた。顔を上げたらしい。彼もまたこの盛り上がった“土壁”を眼にしたのだろう。
「……この奥?」
「みゅう!」
「わかった。リコ、飛ぶよ!」
「みゅ? ……みゅう~~~っ!!」
言うなりシズクはリコを掴んで宙に浮かんでいた。“何?”くらいの返事程度しか返す間もなくシズクは即座に実行するため、思わず手足をばたつかせてしまった。
はあ、仕方のない子だ。
リコはだらりと四肢を垂らしてシズクに身を任せる。ただ、どうやら自分は重いらしくシズクは辛そうに踏ん張りを見せていた。こればかりは仕方がない。
ゆっくりと浮上し、土塊の真上へと登り詰める。
ふうと息を吐いたシズクにはお疲れと声を掛けてあげたいがそんなのは後回しだ。2人で下を覗きあったとき、5名の大人に取り囲まれた少女を見つけた。
メレティミだ。恐怖に震えその場にしゃがみ込んでいるその小さな姿を今リコは視認した。
声をかける、間は無い。
メレティミを追い詰めた顔を頭巾で隠した集団……そのうちの1人、短い金髪の男が彼女の前に立ち、剣を振りかざす。
――メレティミへと男が危害を加える瞬間に立ち会ってしまったのだ。
今から下へ行っても間に合わない……! それでもリコは土塊の山から飛び降りた。
シズクは……!? 飛び降りるのと同時にシズクへと視線を向けた、その時だ。
「レティ――――――っ!!」
シズクはメレティミの名を叫びながら、真下へと電撃を落としていた。
◎
シズクの手に纏う紫電を眼にし、短い金髪の巨漢が薄い笑みを浮かべて剣を構える。
リコはこの金髪男を知っている。以前温泉に行った時に近くに居た奴だ。あの時は男の隣にはドナがいたので少年の知人だと、危害を加えないと察知で来たので放っておいたのだが……。
シズクと金髪男と、また、男の後ろに佇む覆面の4人にもリコは留意する。
男が4人、女が1人。どんな行動を取るかもわかったものではない。彼らからは身に潜む殺気を感じ取る。
ただ、そのうちの2人……何故、その2人は顔を隠しているのか。また、どうしてあんなにも親し気だった彼女がメレティミに殺気を放っているのか……。このことをシズクへと説明する間は……今は無い。
彼らがどう行動を起こすかでリコ自身もそれなりの対応を取らなければならない。
今はそう、シズクから命じられたことをただ素直に実行するだけだ。
リコは目前にいるシズクと、その先の5人の挙動1つ1つに見落とさず、メレティミに寄り添うように屈む。勿論、いつでも跳躍しこの場から動けるようにはしている。
リコ自身この状況は未だによく理解はしていなかったが、あの金髪の男からはメレティミを傷つけようとする意志は感じている。……現にメレティミを傷つけようとしていたところも目にしている。
ここにいる5人の中でも目の前の金髪男の殺気は特に強い。
大きさで言えば後ろにいる“顔無し”の男2人の方が殺気は強い。ただし、そんなものは普通の人間でも出せるもの。金髪男のそれとは違うのだ。
彼ら2人の殺気や、今までの旅に出会ったような魔物や賊のように感情のままに垂れ流した分かり易いものではなく、この金髪男からは身に纏いながらも外に出しまいとする研ぎ澄まされた殺気を感じる――強敵の類だ。
今にもシズクの加勢したい。
だが、この場所に降り立った直前に彼から耳打ちで頼まれたのだ。レティを守って、と。
なら、リコはその“命令”に従うしかない。
「リコ、ちゃん……!」
メレティミがリコの首に手を回してくる。その手はとても冷たく、震えていた。
彼女へと視線を向けると、きつく閉じられたその眼には涙に濡れ、恐怖が浮かんでいた――こんな幼い子を脅かすなんて許せない!
「――略術式。【火楽】」
「――簡術式。【氷華】」
「……っ!?」
――ただ、それだけの間目を放しただけで、わかりやすく殺気を放っていた“顔無し”の2人がリコたちへと……1人が手をかざして火球を、もう1人は杖を掲げて氷針を生み出し、射出した。
しかし、この程度なら!
反射的に避けようとした瞬間にリコは身を震わせたがメレティミがリコの首に回す力が強くなったため、思い留まる。
いけない。自分はこの少女を守らなくてはならない。
人の腕ほどある大きな氷針は大木ですら貫通してしまうほどの速度を持ち、その後を続く炎は発射地点から3つに分かれて曲線を描いてリコへ……いや、メレティミへと意志があるかのように向かってきた。
この程度、リコならば余裕で躱すことは出来る。しかし、それは1人の時だ。
メレティミを守りながらでは、この2つを避けることは出来ない。
だから――先に高速の氷針は前足で叩き割り、後続の火魔法はこの身で受けることにした。
同時に来た3つの炎に抱き締めるメレティミに構わず無理やり身体を反す。
メレティミを庇うようにこの身を盾にして反対側の腹で受け止める。
「……ひゅぅ……」
付着時に腹の奥から息が漏れた。
「リコちゃん!」
「みゅ、みゅう!」
悲鳴交じりのメレティミの呼び声に、慌てて大丈夫だと声を上げた。
しかし、シズクやルイとは違ってリコの言葉はメレティミには伝わっていない。動揺はいつまでも消えない。
大丈夫。大丈夫だよ。と、メレティミの頬を優しく舐めとる。伝わっただろうか? どうにか冷静を保ってくれたようだ。
確かに熱い痛みが広がった。受けた炎は身体に触れた瞬間に燃え広がろうとした。
だが、それも一瞬のこと。
大きく身震いを起こしてへばり付いた火を払いのける。
リコの毛皮はそんなちんけな火は通さない。毛1本、焦げ1つとしてないのだ。
だが、燃えないだけであって、体毛の隙間から侵入してきた熱はリコの皮膚に軽度の火傷を負わせている。
暑さには抵抗もある。熱にも多少なりとも我慢できる。体毛のおかげでこれくらいの火力ならもっと焚きつけられても大丈夫だ。……しかし、痛いことには変わりないし、好んではしたくはない。
シズクが心配そうにリコに視線を向ける。リコも同時に心配無用だ、と遠吠えを上げようとして、「――みゅ!」と言い直した。
「……このっ!」
事の成り行きを見ているだけでしかなかったシズクも、即座に水球を生み出し術者2人へと放つ。
2人の“顔無し”はシズクの水球に驚き回避しようとするも、遅い。
反応した時にはその身は水球を浴び、勢いは留まることを知らず彼らは宙に舞い、地に触れると同時に呻ぎ声を上げる。水球に吹き飛ばされたその身は地面を弾むこと数回、その勢いは留まる事を知らず奥へと転がり続ける。停止した時には2人の身体は微動だにせず静止した。
金髪男が首を後ろへと、転がっていった2人へと顔を向けて咆哮を上げた。
「か――っ! 馬鹿かてめえら! ガキだからって甘く見やがって! これだから戦後生まれの実戦経験ゼロの甘ちゃんはよお! てめえらそれでも近衛かっ、もう一度地獄見て来るかコラっ!」
気を失っている2人の耳には届かないとはわかっているだろうに。苛立つ男は目の前に対峙するシズクをそっちのけにして罵声を浴びせた。
この攻撃、あの男の指示か、それとも2人の独断だったかはリコにはわからない。
「今の2人呪文を唱える素振りが無かった……」
ぽつりと呟いたシズクの声に男は振り返った。
「おいおい、そりゃあ俺のセリフだぜ? お前さんこそなんで無詠唱でいけんだよ。くそ……一応言っておくが、そこで伸びてる間抜け2人を含め、俺ら全員魔法は呪文を唱えなきゃ魔法は使えねえからな!」
その嬌声に事の成り行きを見ているだけであった残りの“顔無し”の1人が前に出ようとして、もう片方の“顔無し”がその行動を止めた。
「そうなんだ。じゃあ、どう言う原理なんだろう……」
「まあ、ネタばらしすりゃあいつらのは無詠唱じゃなくて簡略式詠唱術ってやつだ。事前に呪文を唱えて終わらせておく略術式と魔道具の手助けで詠唱を必要としない簡述式の2つがある」
「あ、え、うん。そうなんだ。って、その……教えても良かったの……?」
「……あー……よくは、ないな」
男は戦闘中だと言うのに気にせずに大声を上げて笑い出す。
まるで毒気を抜かれる様な気持ちのいい笑い方であった……それが殺気を纏わないものであるならば、だ。
「おじさん、変わってるね」
「よく言われる。一応、子供には甘いのよ。それに里では親切で紳士なインパさんだと評判だ」
ならメレティミをここまで怖がらせるのはどういうつもりだろうか。リコは怒りを乗せて金髪男……インパへと睨み付ける。
この激情に任せて咆えてやりたかったが近くにはシズクが、更にはメレティミがいるので控えて置く。
ちらりとインパがリコと視線を重ねたが、ひゅうと口笛を吹くなり、気に構わずとまたシズクへと顔を向けた。
「じゃあ、親切なインパさん。ついでに武器を抑めてくれない? 素手の相手に刃物を使うってどうなの?」
「ああ? そりゃおめえ…………んー、言われるまで何も思ってなかった。そりゃあまあ少しくらいは申し訳ないなって思うな」
「なら素手でやらない? 丸腰の子供相手にその剣は卑怯だよ」
「ははっ、それは出来ない相談だ。……脅してるのに獲物が無きゃかっこつかねえ。それに、これはどーろどろに汚れたお仕事。卑怯だ糞なんて言ってたら初っからやってねえよ」
「ちぇっ……――っ!」
と、舌打ちをした瞬間、シズクが動いた。
殺気が一気に放たれたのを感じた時には、彼の姿はリコの目から消え――音を立てて男の背後へと移動した。
ただ、不思議なことにシズクは地面に背を付けて倒れ滑っていったというものだったが。
「おお、すっげな。久々に見た。強化魔法か。その年で雷の瞬動魔法をそこまで操れるなんて大したもんだ」
「え、何……? 避けた?」
「そりゃあ避けんだろ。隠す気のない殺気が溢れだしたんだからな。そんなんじゃ避けてくださいって言ってるもんだ」
「くそう……ならこれはどう?」
即座に起き上がるとシズクはまたインパへと特攻をかけた。今度はリコも目で追えるものだ。
飛び掛かり、右手左手と交互にインパへと突き出していく。その両腕には音を立てて弾ける雷糸が巻き付いている。これにはひとたび触れれば相手を行動不能させてしまうほどには威力はある。
……そう、触れさえすれば。
「はいっ! よっ、ほいっとな!」
「くぅ!」
インパは感嘆とした声を上げながらもその攻撃を全て躱し続けた。避けきれない手筋には手刀を落としてシズクの腕を落とし払いのける。
表情には笑みが浮かび、まるで楽しんでいるかのよう。
「おら、どしたどした? 鬼さんこちらってね!」
完全に手を抜かれている……。
リコの目にははっきりと2人の技量が目に取れて、シズクの顔にも若干の焦りの色が浮かんでいた。
「よっ」と気の抜けた声を上げるインパが剣を軽く振り下ろされたところでシズクは後方へ跳び……リコのいるこちらへと着地を決めた。
深く息を吐いてシズクはリコたちを背に隠してまた立ち上がる。リコの目にシズクの横顔が映った。眉を顰めて困ったような顔をしている。
「もうやめようぜ。俺は強いやつと戦うのは好きだが、別に人殺しが趣味って訳じゃない。ただ、仲間に害を及ぶものは容赦しねえだけ……」
「じゃあ、レティは害だっていうの?」
「ああ、そうだ。そいつはな。前世持ち……異界の魂がな、そいつの身体の中に住み着いてんだよ」
「……前世? 異界の魂?」
言われてメレティミへとシズクは目を落とした。
シズクの双眸に捉えられたメレティミが身体を震わせる。
メレティミが「違っ」とか「わたしはっ」とか、口込みながら呟くように否定するが、シズクはただ優しく、リコも見てて安心するような笑みを浮かべて「大丈夫だよ」と口にしてまた前を向いた。
「……それで、レティが何か悪いことでもしたの?」
「いんや。まだしてない。まだ、な」
「まだ?」
「そうだ。まだだ。だが、これから何をするかはわからん。だから起こる前に災禍は先に摘み取っておく――」
そうインパが話し始めた内容はリコにはさっぱりと理解できない。
メレティミがいればこの世界の秩序が歪むだとか、文明が破壊されるとか、本来生きるものが殺され、生まれるはずだったものが生まれず、逆に望まれないものが生まれる、だとか。
だが、インパが言葉を発するたびにメレティミがまたも力強くリコの首を絞めて来る。震えもひとしおに……。
それだけの理由だ。
――リコは目の前の男の話には正しいものなんてない。
そう思うのにはそれだけの理由で十分だ。
それにシズクも同じく苦い顔をしてインパを睨みつけている。リコと同じ気持ちなのだろうか。
「ガキのお前に言ってわかるかな……あー……うん。例えば収穫物を食い荒らす害虫がいてだ。そいつ自身はまだ作物を荒らしてないからって駆除しない。――違うだろ? そうなるであろうと思ったら対策を取るだろ?」
「レティは虫じゃない!」
「馬鹿野郎。例え話だって言ってるだろう」
「……例えじゃない! レティは人だ! 虫と同じに考えるな! 虫だって人に対して害を与えようと食い荒らしているわけじゃない! 生きるためだけだ!」
「たく……聞き分けのねえ奴だなあ、おい」
「どっちが! ちゃんと聞け! 僕はレティとの付き合いは短い。でも、彼女は好き好んで人に害を与えるような人じゃないってことを知っている! どこにでもいる優しい女の子なんだ!」
「だーかーら、例え話だってつってんだろ! 本人は害と思わずに生み出したもんが俺らには害になるかもしれないって言ってんだよ!」
「ふざけるな! 最初っから害になるって決めつけるのが間違ってるんだよ! そんな仮定の話でレティを殺させやしないっ!」
ガリっという歯ぎしりが鳴らしながらシズクはまたも前へと飛び出した。
先ほどよりも一段階ほどその身は風になってインパへと襲いかかる。
左手を掲げて雷光を灯し、振り下ろすと同時にインパへと暴雷を殴り落とす。
だが、インパが一歩後ろに下がるだけで、シズクの放った雷魔法を全て避ける。雷撃は地面を抉り、周囲へと飛び散る。
構わずにシズクはその先へと足を出し、インパへと右手に蓄積させていた雷光を直線状に放出する。
光は幾重もの細い蛇が絡まったかのような線を描いて背後へと移動したインパへと向かうが、それすらもインパは身体を捩るだけで避ける――ふと、雷自身がインパから避けた様な……そんな風にリコの目には見えた。
「くそぉっ、まだまだっ!」
シズクの足は止まらない。今度こそと左手を突き出してインパへと触れようとして、
「いや、もう終わりだ」
それに合わせるかのようにインパは剣を振り下ろした。
剣の軌道は突き出したシズクの左腕――……。
「――貰った」
「……っ!?」
斬られる……!
それは瞬きすらも許されない時の間でのこと。
剣は吸い込まれるようにシズクの腕へと向かう。次の間にはあっさりとシズクの左腕は斬り落とされる。
――はずだったのだが、
「まだぁぁっ!」
切断される寸前、シズクの左腕は黒いモヤが包み込み、インパの放った斬撃を受け止める。重い交差音がこの場に響く。
シズクの左腕には黒霧を纏った鈍色の手甲が発現していた。
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