第65話 不穏が照らす朝
朝一で天人族の里に訪れてみた。レティからペンダントを返して貰う為だ。
でも、どうしよう。
リコと並んで里中を移動する最中、僕は1つの問題に頭を抱えていた。
「昨日の今日でペンダント返してって言って素直に返してくれるかな。僕がレティの立場だったらなんで突然? って変な疑りしちゃうよね……。リコはどう思うって……何? どうかした?」
「みゅーうみゅーう」
「……そういえば、妙に静かだね。朝だからってもっと活気があってもいいのに」
リコの言う通りに耳を傾けるが、天人族の居住区はあまりにも音が無い。
昼時の魔人族よりも静かなんだ。まだ1か月程度しかこの里のことは知らないけど、ここまで静か過ぎるのは初めてのこと。時折吹き付ける冷たい風の音すらよおく耳に響く。
人通りももちろんと無い。
あっちは昼間だとしても1人2人はいるのに、ここでは誰とも遭遇する気配はない。
リコが言うには家の中から物音はするっていうんだけど……?
「…………先を急ごう」
「みゅう!」
断りを入れてリコの背にしがみ付き、レティの住む屋敷へと急いでもらった。
やはり、その道中でも誰1人として天人族の方とは会うことは無い。
リコや魔人族である僕の立場からすれば動きやすいことこの上ないけど、あまりにも不自然に感じる。
天人族の居住区は今までにない静けさを保ってるんだ。
「レティがいない?」
「みゅう……」
屋敷に到着し、声をかけようとした手前でリコに止められた。
リコが言うには屋敷からレティの匂いがしないんだって。もちろん、嗅ぎなれたルイの匂いも同様だと。
「どうしよう。ふたりとも外出中なのかな……授業に合わせて早く来たのに一体どこに……」
これはまた時間をずらして来るべきかな。コルテオス大陸へ出発する猶予は今日一日まるまるとある。
その時には鎖も綺麗にしてる可能性高いしね。1日2日で出来るかは知らないけどさ。
もしも出来てなかった場合、レティにどう誤魔化すか。ルイになんて言い包めるか――最悪、ペンダントは置いていくかな……。
肩を落として踵を返し、屋敷を後にしようとした、その時だ。
「シズク……さん?」
「レドヘイル君?」
呼ばれて背後を振り返ると、息を切れ切れに膝をつくレドヘイル君の姿があった。
今の彼はレティが着ている色違いの普段着ではなく、白いシャツに白いズボンと普段と比べると普通というか、結構ラフな格好をしている。
いや、彼らの恰好がまともじゃないってことじゃないけどさ。他の人たちに比べたら目を惹くってことで……寝巻かな?
「おはよう。レドヘイル君、どうしたのそんなに慌てて?」
「……おはよ……ございま……」
それだけを口にするのが精一杯みたい。
レドヘイル君は呼吸を整えようとするも一向に落ち着くようには見せない。未だ肩で息を吸うほどに乱れているんだ。ここまで走ってきたのかな。
大丈夫? って心配をして彼に触ろうとしたところで、ぱちんと手を払われた。
……ちょっと痛い。
まだ苦しそうなのに、まるで怒りともとれる感情を浮かばせて僕を睨みつけて来る。
「……シズク……さん。なん……で? え……あ……フルオリフィアちゃん…………見て、ない?」
「う、うん。今ちょうどここに来たところなんだけど、どうも留守みたいで……」
「そん……っ!?」
レドヘイル君は息苦しさか、それとも何かに対して不満をぶつけているのか。
どちらとも取れない歪んだ表情のままに僕を見た。
それからやっと息が整ったのか、その場で背筋を伸ばして僕たちと向き合う。
未だに僕を睨み続けているのは変わりないけど……。
「……実、は……今朝から、里で――……」
「うん?」
声が小さくて聞き取れず、聞き返したところでレドヘイル君がおろおろと狼狽えはじめた。
それから僕に一度視線を向けた後、物静かなイメージから遠く離れたくらいに頭を掻き毟ってまたこちらへときっと睨みつけてくるんだ。
「今! 外出禁止令がこの里に出ているんです!」
「え?」
驚いた。
彼との付き合いは特に短く、一言二言程度にしか言葉を交わしたことが無い。
それでも他の子たちと話をしている時も大体、か細く繊細な様子は窺えた。だから、いつも誰かの影に隠れていた彼から、そんな大声が飛び出て来るとは思わず、また一瞬何を言っているのかは理解できなかった。
聞き返す間もなく彼は上げた声量で話を続ける。
「僕の護衛のオルファが兵装して外に出ちゃって! フルオリフィアちゃんがどうって言うのをお父様と話をしているのを聞いて! 何か大変なことに巻き込まれてるのかと思って!」
「……一体何のはな――」
「お願い! 僕の勘違いならいい! でも、心配なんだ! フルオリフィアちゃんが! フルオリフィアちゃんを助けてっ!」
「……うんっ!」
フルオリフィアちゃんを助けて――唯一理解したその言葉を聞き、僕たちは走り出した。
物音がして背後を振り返るとレドヘイル君がその場で膝をついて何かに祈っているかの両手を組んでいる。
声をかける間はもうない。前を向いてリコの背に跨って走り出す。
何が起こっているかは未だにわからない。
レドヘイル君も混乱してるのか、交わした会話も今一理解できなかった。
でも、彼のその緊迫した態度には嘘も無くレティのことをひたすら願っているように見えた。
レティの不在。レドヘイル君の動揺。周囲に漂う静寂と不穏な空気。
変わらない日々が来るはずであった今日の噛み合わないずれ。
それらが交わった時、僕の鼓動は深く音を立てて走り出した。
何もできないかもしれない。ただの気のせいかもしれない。僕とレドヘイル君の勝手な思い過ごしかもしれない。
また、その先に何かあったとして、僕が行ったところで何が出来るか。
それでも駆けつけなくっちゃって思ったときにはその身は勝手に動いていた。
「みゅう!」
「匂いでわかる? お願い。レティのところまで僕を連れて行って!」
ただの杞憂ならいい。それに越したことはない。何を心配する必要がある。
何もない。僕と彼が知らなかっただけで、ちょっとした天人族の事情でレティがいないだけじゃないか。そうだ。そうに違いない。
でも……。
なんだろう。この悪寒は。
嫌な感じがする。
吐き気に似た胸の奥から込み上げてくる熱くて寒い理解しがたい何か。鼓動が静かに高鳴る。
それらの不安を胸に抱えて僕はリコにしがみ付いてレティの元へと向かう。
朝はあんなにも綺麗な太陽が見れたというのに、空は今の僕の心を映すかのようにどんよりと曇り始めていた。
◎
重苦しい空気の中、わたしはエネシーラ様他この里を守る衛兵10名ほどと共にその地に足を運んでいた。
天人族の衛兵や、わたしたちを含む天人族の子供たちが魔法を練習する訓練所だ。
住宅街からは離れ、集団演習や派手な音や威力の大きな魔法を使っても被害が及ばないということで技術を磨くには最適な運動場みたいなものだけど、それが今裏目に出ている。
ここでどんなに大声を上げたとしても里の人たちにわたしの、今この場にいる十数名の声なんて届くことは無い。訓練場は林の奥と言うこともあり、視界も悪い。そびえ立つ常緑葉樹には秋季と冬季の間だと言うのに、どれも青々と葉を茂らせていた。
半ば無理やりという形で、わたしの両脇には2人の衛兵が並び、監視を続けている。
部屋を出てから、そして道中でもずっとこの形を保ち続けている。
途中、わたしの両手両足に見覚えのある輪っかを身に付けられた。
なんだろう。これどこで見たんだっけな。今になってもこの四肢に装着された輪っかについて思い出せない。
その輪っかが皮膚に触れた瞬間、金属の冷たさに身体を震わせるも、今はもうわたしの温度と同化している。しゃりしゃりと足首に嵌った輪っかが地面に擦れて音を鳴らすくらいにしか気にならない。
ただ、重さは全くと言っていいほどないのに、それはまるで足枷や手錠のように思えて余計に重く感じたけど。
道中では抵抗しようものならどんなことをされるかもわからない程の張りつめたものを感じ取り、母の位牌を破壊したエネシーラ様に怒りを募らせることしかできなかった。
10名の衛兵の中にはドナくんの護衛であるインパさんや、レドヘイルくんの護衛であるオルファさんもいる。それ以外の他の人たちは、黒子の様な白い頭巾で顔を隠しているので誰が誰だかはわからなかった。
ただ、ひとりだけ。
部屋を出る直前、とある衛兵の1人がわたしへと頭巾越しに顔を向けてその身体を1つ硬直させるように動揺を見せていた。
わたしの知り合いだろうか。
周りの衛兵に比べたら彼は細見な体格をしていた。横切る時、微かな花の香りが鼻に届く。
そんな香水の様なものを付けている男性をわたしは知らない。
◎
いつもわたしたちが魔法の練習に使っている広場よりもやや先に行ったところでこの進行は止まった。
無言のままに前に出ることを促され、わたしは今エネシーラ様を先頭とする集団を前に立ち尽くす。エネシーラ様が片手を上げると、衛兵たちは後方へと退いた。
後にはわたしとエネシーラ様だけの2人が残る。離れたところから皆の刺さるような視線を感じる。
「メレティミ・フルオリフィア」
「……はい。なんでしょうか」
低い声を上げるエネシーラ様の声にわたしは訝しげに返事をする。
怒気や憎悪、哀愁、憂い。
負の感情をごちゃ混ぜにした様なその声は早朝であり、人気のないこの場では異様に澄んで通ったように聞こえた。
エネシーラ様の鋭く尖った眼光がわたしの両目を突き刺す。この集団の中でひときわ鋭いそれには思わず怒りを滾らせていたわたしも、その視線から逃れようと視線を泳がせてしまう。
……嫌な汗が浮かぶのがわかる。
萎縮するわたしの身体は見えない鎖に巻き付かれたように愚鈍になる。
足を組み替えようとしても思うように足が上がらない。下手をするとその場で姿勢を崩して転倒してしまったかもしれない。
視線を逸らした先、わたしをまた別の多くの目が、目が、目が……遠くから突き刺さる。
ルイがフラミネスちゃんに送っていたような、あんな甘く笑みが漏れる棘とは全然違くて、本当に皮膚が突き破られそうな痛い視線だった。
この場所にわたしの目を置く場所は無い。でも、目を閉じることも出来はしなかった。
異常な雰囲気がこの場を支配している。
でも、この空気に飲み込まれないように精一杯わたしは勇気を振り絞って、エネシーラ様を睨み返す。
ただの強がりなのは自分でもよくわかっている。
「今この地にお前が呼ばれた理由に何か心当たりはあるか?」
「……っ……あっ……」
エネシーラ様の問いに震えながらわたしの口は開くけど、自分でも驚くくらいに動揺してたらしく、声にならない音を漏らすだけ。
どうしよう。やっぱり色々なことがばれているんだ。
でも、それらのことがばれただけで、お母様の位牌を破壊するほどのことなのか。こんな手荒な真似をしてまでわたしを連れてくるほどのものだろうか……。
しらを通すほどわたしの心が強くないし、この状況に冷静でも居られない。
今この態度を晒している現状で嘘を付けれるような立場ではない。
ここは正直に話そう……でも、何から話す?
「いくつか、心当たりはありますが……どれに対してかはわかりません」
「どれ? どれだと?」
エネシーラ様の喉の奥から嘲りとも取れる小さな笑いが漏れる。
この場にそぐわないそのエネシーラ様の声は不気味に響き渡るんだ。……こんな人だっけ。
紙をくしゃりと手の平で丸めた様な嗄れ声が薄気味悪く、また不快。
「……お前を生み出したブランザは愚かな女であった」
「は?」
なんでここでお母様の話を出すの? エネシーラ様の意図が読み取れない。
ましてやお母様を愚かな女? ……許せない。
胸の内にまた怒気が込み上げてくるが、わたしの気持ちも察する事無くエネシーラ様は話を続けていった。
「この大陸は古来より4種族が睨み続けてきた……この話はブロスあたりから聞いてはいるだろう――」
と、唐突にエネシーラ様はこの大陸の話をしていた。
大体はわたしの知っている話で、遥かよりこの大陸は魔人族、鬼人族、天人族、亜人族が、数千年単位で何度も領地争いで何度と大きな戦が起こり、毎日と小競り合いの続く状態だったというもの。
そんな4族の仲を取り持ったのがわたしのお母様であるブランザ・フルオリフィアだ。
お母様からは直積聞くことは出来なかったけど、ブロス先生からは話し合いの場を設けるだけで数十年もの時間を要したと聞く。そして、話を纏めるのにさらに10年ほどの月日がかかったとも。
その辺の話はお母様を蔑ろにしていた節もあったことで、詳しい期間はわかっていないそうだ。
でも、それが功を奏し、わだかまりは残しながらもお母様は立派にことを成し遂げて、現在のユッグジールの里が生まれたのだ。最初は各種族の理解ある人たち数十名から始まり、次第に住民は増え、
これほどの偉業を成し遂げたお母様を褒め称えても貶すことは間違っている。
ただ、この話にはわたしたちが教えてもらっていない続きがあった。
「我々がこの大陸を静定しようと考えたのも元々は和平のためである。我ら選ばれし天人族が他種族の頂点に立つことで皆を纏めようと考えてのこと。そして、戦局の優勢は我らにあった――予測ではあと10年だ。各族の戦力の増減、進行速度、間に起こる障害の排除。そして、先代の長と共に長い年月をかけて編み出した秘術の完成……それら含め、たった10年で我らはこの大陸全てを手に入れられた!」
淡々としたエネシーラ様の声は、最後の方向かうにつれて感情を込めた怒鳴りになった。
顔を真っ赤にして血管すら浮き上がらせるほどで、それだけ感情が高ぶっているのもわかった。
でも、それはただの八つ当たりじゃない。
そう口を挟むほどの間を与えず話は続く。指摘することも出来なかったけどね。
「それも全て瓦解と化した。周りの種族たちが身を固めるのは思いのほか早く、我らが手を打つ前に話は先にと進んでいく。気が付けば、我らも否応にもその共同体へと参加しなければならなかったほどに……それは無念にも散っていった先代や同朋が目指した夢が脆くも崩れ去った瞬間でもある――お前にこの屈辱がわかるか? 我らの悲願があと一歩のところで潰されたのだぞ!」
「そ……そんなのわかるはずないじゃない! だって、それで平和になったんでしょう! 例えぎくしゃくしたって争いが無くなったことには変わりないわ!」
「争わないことが平和だと? 臭い獣や異形共と上っ面だけの関係を保つことが平和だと? いつ寝首をかかれるかもわからないこの状況で平和だと!? 甚だおこがましい!」
「それはあなたが勝手にそう思い込んでるんじゃない! 誰も争いなんて望んでない!」
「はっ、これは笑い種だ! 痛みを知らない小娘がまるで知ってるかのように口を開く!」
エネシーラ様は小さく鼻で嗤う。
何も知らないって、その態度には本当に腹が立つ。
今も昔も、わたしは戦争に巻き込まれたことは無いけど、理不尽に人が傷つき亡くなってきたところは見てきた。
大切な人を失って喪失感に襲われた人も間近で沢山見てきた。
わたしも、また形は違うけど、別れから寂しい思いもしたんだ。
だからこそ、人が傷つき悲しむところは知っている! 勝手に決めつけないでよ、そっちこそ何も知らないくせに!
「痛みのない平和がどこにある。平和とは血肉を積み上げた上での束の間の安らぎでしかない。問題なのはその後だ。その掴み取った束の間をどれほど長く伸ばせるか。思慮も無く配慮も薄い短絡的な鬼人族に出来るか? この場に甘んじて拭抜けている魔人族に出来るか? 数は多くとも総統の取れていない畜生どもに出来るか? ――答えは否だ」
エネシーラ様は大層に勿体ぶって首を振る。
「なら、私達が彼らを導いてやればいい。聖ヨツガの使徒である我らの下に彼らを束ねればいいのだ……と……ははっ……そういえば、ブランザも同じ様なことを言っていた。力で人を従わせるのは間違っている、とな。これはそんな野蛮な話ではないと言うのに。ふ、ふふ……そうだな。メレティミ、お前の思考はあの穢れた売女にそっくりだ」
……。
そう。エネシーラ様は。
最後に。
母を、侮辱して。
話を終えた。
(……は? 何それ……穢れた……お母様が穢れている……?)
「お母様のことを悪く言わないで!」
「……母親? 母親か? お前が、お前があの女を母と言うのか?」
「お母様はお母様よ! 命を削ってわたしを産んでくれた人よ!」
「くくっ……もう一度聞くぞ。お前はブランザを母親と言うのか? そう……股から産み落とされたわけでもなく、魔石として生み出されたお前が……お前がブランザを母親と呼んでいいのか!」
「生まれ方なんて関係ないっ!! 確かにわたしは普通の生まれじゃないけど、それでもお母様の命を分け与えてもらったのよ!」
「新たに生まれ直したこの世界でかっ!!」
「……っ!?」
この、世界で……?
「な、何を言ってるの? この世界――……っ!」
エネシーラ様が胸元からあるものを取り出し、わたしに向けたところで言葉はそこで止まってしまった。
一瞬それが何かはわからなかった。
でも、その一瞬を過ぎれば即座に昔の記憶から掘り起こされた物が頭に浮かぶ。
実物は今まで一度として見たことはないが、前の世界では、ドラマや漫画、ゲーム、多くは映画の中なんかでよく見ているものだ。
――それは。
「なぜ、この鉄屑に驚く……いや、その様子だと怯えているのか?」
「なんで……」
「これが何かお前にはわかるのか? ――決まりだな」
「……なんで、それをあなたが持っているの?」
エネシーラ様はわたしにそれを――拳銃を突き付けてきた。
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