第64話 綻び、歪み、簡単に壊れていく

 最初、その意味を男は理解できなかった。


 図形。幾何学模様。陣。

 既存の知識の奔放と共に流れ込む旧来の技法。

 答えの一つ。

 一度は自らそこへ辿り着くも、今は必要が無いと切り捨ていた一例。


 何度と頭の中に広がる。そして、何度も見せられていくうちに、男はいつしか理解した。


 天啓だ。これが自分が求めていた答えだ。


 行き詰っていた研究は、その天啓とも呼べるにより、あっさりと完成へと向かう。


 ただ、男は知らない。

 自身で見出した答えがとある存在によって導かれたことを。

 そして、辿り着いた成果を皆へと公表するその瞬間、その結末は書き換えられることを。





「よし、こんなものかしら?」


 手の中にぴかぴかに光る2本の銀の鎖を見つめ、自分の仕事っぷりに胸を張りたくなる。

 最初は魔力を込めすぎた為か、鎖がボロボロに崩れてしまった時はどうしたものかと酷く慌てちゃった。おかげでいちから作り直し。

 失敗した残骸には目を背け、もう片方の無事な方を参考にして、どうにか苦労して完成へと辿り着いた。


 2人の首飾りに繋がっていた鎖は、ただの鉄を小さな輪っかにしたものだった。

 錆びたり黒く屑んでいたりと見劣りはするが、手に取ってよおく観察してみたら鎖一つ一つが継ぎ目の見えない職人の手によるもの。

 以前の世界の技術力ならいざ知らず、今のわたしの技量ではここまで細かな鎖を作ることはできない。アルバさんですら出来るかどうか……これを2人に与えたラゴンというルイ越しでしか知らない人物に改めて慄くしかない。


 大盤振る舞いとして材質を金の鎖にしてみたらこれがまた悪趣味なものへと変わってしまったので、今度は普通に銀に変えて作ってみたら丁度良いものになった。

 足りない素材は昔ウリウリに耳飾りを作る過程で出来た、作ったままに使わずに棚に入れておいた小物のアクセサリーを潰して足したけどね。


 元々の細い鎖も若干太くなってしまったが、彎曲を描きながらも均等な作りとなる。止め具の部分は釣り針型にしているけど、補強だけはしっかりしておいたので、多少無茶な運動をしても壊れないだろう。太くなったと言ってもほんの少しだし、見劣りはしないと思う。

 ま、これでも造形の腕前はアルバさんから一応のお墨付きをもらっているしね。

 これを見せたら2人とも喜んでくれるかなあ。


「……って、朝日が昇ってるし」


 窓の外にはお日様がおはようとばかりに笑顔を漏らしていた。

 拙い。気が付いたら気が付いたですごい眠い。睡魔が襲ってくる。ここで横になったら確実に意識は落ちると確信も出来る。

 くぅ……今、ベッドを占領しているルイを恨めしく思う。


「うう、失敗した……」


 これも二人の喜ぶ顔が見たいがため――と言う理由もあったけど、もう一つの理由にちょっとだけのつもりで鎖を弄って壊してしまったことによる罪悪感も大きい。その後はお決まりのついついのめり込んじゃった的なね……。


 そろそろウリウリも来るしな……って、そうだウリウリのことだ。


「ウリウリあれからすごい体調崩していたけど大丈夫なのかな?」


 あれからと言うのも彼女が温泉で目覚めた後からだ。

 頭を抱えながら、気持ち悪そうに口元を押さえていたけど……吹き飛ばした時に当たり所が悪かったのかな。

 これでも治癒魔法はかけておいたんだけどね。ごめんね……って違う!


(大体、ああなったものウリウリがシズクに近寄ったせいじゃない!)


 そうよ。ウリウリがシズクのところに行かなかったら、わざわざ奥までいって探しに行くことも無かったし、シズクのあれを見ることも――!


「~~っ!」


 ま、まあ、あの時のことをウリウリは覚えてないって言うんだよね。

 しらを切ってるとも考えたけど、ウリウリの青白く苦悶を浮かべる表情からはとぼけているようなものは読み取れなかった。


「まあ、水に流してやるか……温泉なだけに!」


 …………あ。


 い、今のは無しで!

 徹夜明けのせいで妙なことを口にしてしまった――はっ、とルイを見ても寝てるし、聞いてないよね?

 流石に床をごろごろ転がりまわるほどじゃなかったけど、身体を捩じらせるほどにひとり羞恥に悶える。


 ――トントン。


 理由も知らない人から心配されること間違いなし、と不審な行動を取っていたところで、突如として訪れたノック音に即座に姿勢を正す。

 手にした2人の首飾りはそっと胸元の内ポケットに仕舞っておく。


「はい、どうぞ」


 冷静を保ち普段通りの言葉をドアの外にいる人物に投げかける。ウリウリかな。

 日の昇り具合からしてウリウリが迎えに来てくれたんだと思ったのだけれどね。

 予想外の人物がドアを開けて姿を見せていた。


「メレティミ、失礼するぞ」

「エネシーラ様!?」


 そこにいたのは、この里でいちばんの長寿であり、天人族の長であるエネシーラ様だった。


「……楽にせよ。押しかけたのは私の方だ」

「は、はい」


 そんなことを言われてもわたしの背筋は伸びてしまう。

 長老が姿を見せた時には直立し、緊張からか氷漬けにされたように身体は硬直する。


「……」

「……?」


 あれ……なんだろう。今エネシーラ様がわたしのことを睨んだ様な気がする。

 いやいや、一瞬のことだったから、ちょっと目を細めたのが睨みつけたように見えただけかもしれない。

 でも、今までわたしの、というかお母様の屋敷にエネシーラ様が訪れるなんてこと一度もなかったし、というか、勝手に屋敷に入ってくるどころか、わたしの部屋に直で来るってどういうことだ。


 やはり、何か怒らせることでもしたかな……って、色々あり過ぎて皆目見当がつかない。

 どうしよう。

 他の居住区に行ったことがばれたのかな。それとも、他種族の人と仲良くしていることかな。いやいや……一番は金魔法を覚えたこと?


 確かに前回の神魂の儀では使ったけど、それならその日のうちに怒られているはずだし。

 もしや、誰かがエネシーラ様に告げ口した、なんて最低な考えが浮かんだのでぶるぶると首を振って最悪な自分を振り払う。

 今のわたしはメレティミ・フルオリフィアだ。偉大なお母様の一人娘であるメレティミがそんな他者を疑うような醜い感情を持ってはいけない……シズクの件は目を瞑っておくれ。

 まあ、わざわざ自分から地雷を踏む必要はあるまい。

 

「エネシーラ様、一体どうされたのですか? それに、その、うりう……リウリアは?」

「奴は私の話が終わるまで席を外すよう通してある」

「そうですか。……では、話と言うのは何でしょうか?」


 私の問いにエネシーラ様は深く頷いて口を開いた。


「ルイと言う娘についてだ」

「ルイ……ですか?」

「左様」


 と言うのも、ルイがあまりにもわたしに似てるって報告がたびたび報告されていたみたいで、それが巡り巡ってエネシーラ様の耳にも届いたという。

 四天の娘(わたしじゃなくてルイだけど)が一人だけで外にいるのも拙いっていうのかな。ウリウリの報告から別人ってことで片が付いたはずだとわたしは聞いている。


 でも、どうなんだろう。

 ルイとわたしと似てる? 似てる? って、うーん? やっぱり毎回聞いても納得いかない。わたしはわたしだし、ルイはルイなんだけどな。

 ルイのことが聞きたいと言うので、事情はある程度は伏せながらも彼女について、またこの里に来た経緯をエネシーラ様へと教えた。


「なるほど。外から来たのか……まさか……いや、だが……」


 一人で納得し目を閉じて思考をはじめたエネシーラ様だけど……。

 なんだろう。妙に気持ち悪い空気を感じるのは……。


「……その娘の正体が知りたい。故にその娘の毛髪……爪、言い方は悪いが身体の一部を採ってきてもらえぬか?」

「は、はあ……?」


 ぞくり、とわたしの背筋がひやりとしたものを覚える。

 生理的嫌悪ってやつ? 里の長だとしても、こればかりは流石に、引く。

 しかし、わたしの表情から読み取ったのかエネシーラ様は不機嫌に顔を歪ませて訂正をした。


「……何か思っているかは知らぬが、早合点は止せ。そのものの身体の一部から魔力を読み取りたいのだ」

「と、言うと?」

「私には物質に在留した魔力を読み取る力がある。その力を使えば魔力の残り香で誰がその魔法を使ったのさえわかる。詳しくは話せぬが、ルイという娘の魔力を読み取りたいのだ。本当なら本人に会うのが一番なのだがな……」

「……そういうことですね」


 いや、どういうことだ。

 それに魔力を読み取るってそれはそれでまたヘンタイ的なものを感じるけど、こればかりは表情に出さないように頑張った。

 今一理解はしてないけれど、知ったような顔をして頷いておく。


「それでは……ちょうど彼女ここにいますよ」

「真か?」

「はい。そこに寝ているのがルイです」


 手を向けた先の毛布に蹲るルイを見てエネシーラ様がまたもイヤな顔をするのが見えた。


「里外の者を屋敷に入れるとは……まあいい。今日は大目に見よう」


 ああ、やっぱり。駄目だったのね。

 次からは気を付けることにしよう。まずはばれないように屋敷に入る時は裏口からがいいかな。

 そう一人次の対策を考えているとエネシーラ様はルイへと歩み寄り、細い枝の様な萎れた手をルイへと向けた。

 何をしているのかは見ててよくわからないけど、目を瞑って額に皺をよせている。


(なんだか……今日のエネシーラ様、本当に怖いな……)


 それから直ぐに唸り声を上げてわたしへと視線を向ける。


「この娘、もしやお前と同じく魔石から生まれたのか?」

「え、はい。そう本人からは聞いてます」


 聞いてるなんて、実際はルイの記憶から見て知った情報だけどね。

 その証拠にと、わたしは胸元の内ポケットから先ほど出来たばかりの首飾りを見せた。

 このラゴンが2人へってプレゼントした首飾りの先に付いているペンダントの石は2人が生まれたと言う魔石の欠片だったとわたしは記憶している。


「……これは、魔殻片か!?」

「まかっぺん?」

「左様。お前の生まれと同じく“魔石”の残り……そうか! 手をかざすともわかる! そうか! そうか!」

「は、はあ……」


 大声を上げて歓喜に震えはじめたエネシーラ様に一歩後退りしてしまう。

 ……本当にどうしたんだろう。怖い。

 わたしがエネシーラ様の奇行に恐怖を感じていると、突如として部屋を見渡し始めるのだ。今度はいったい何を……。

 と、エネシーラ様の動向を逐一追っていたわたしの目には信じられない行動が映った。


「なっ、エっ、エネシーラ様!」


 彼が起こした行動に、わたしは思わず悲鳴を上げてしまう。

 エネシーラ様は棚の上に飾っておいた母親の位牌を手に取ると、床に向かって叩きつけたのだ。

 その時の、小さな割れる音が、耳の奥まで突き刺さる。

 わ、割れた……壊れちゃった……そんな、そんな――っ!


「何をするんですか!」


 お母様!

 わたしは叫びながら砕けた位牌に駆け寄って、床に散らばった木片を拾い上げていく。


(酷い……一体なんでこんなことを……!)


 中には話に聞いていた通り、艶の無くなったわたしと同じ青の髪が一房、紐に結ばれいた。

 それもまた大事に拾い上げたところでエネシーラ様が横から腕を伸ばして掠め取る。


「返して!」


 そう、わたしが奪い返そうと伸ばした手は空を掴むだけ。

 狂気に震えるエネシーラ様が先にその髪の房を高く宙へと掲げたのだ。


「は……ははは……そうか。そうか!! これほどに僥倖なことは無い! 僥倖? いや違う! これも必然、全て聖ヨツガによるお導きだ! やはりヨツガ様は私たちをお救いなさる! これも全てはヨツガ様の思惑通りなのですね!」


 仰ぎ叫ぶエネシーラ様の手の平から、これ以上は無用だとばかりにお母様の髪が落る。

 慌てて落ちた髪を受け止めるわたしのことも気にもかけずにエネシーラ様はずっと虚空を見つめて笑い続けていた……。

 この人は里の中でも人一倍この聖ヨツガという神様を信奉している。

 里の人たちからは信仰深い彼を称えるけど、わたしには今一ぴんとこないものだ。これも宗教とは無縁の生活を送っていたこともあるのかな。だけど……。


 ――そんな宗教観なんて今はどうだっていい。


「……ん、何……どうかしたの?」

「おお、目覚めたか! 貴様とこうして相見えることもヨツガ様からの贈り物かもしれんな!」

「……え、誰? ……この人、確かエネシーラって……ねえ、レティ?」


 エネシーラ様の奇声に目を覚ましたルイにまたしても喚起する。

 ……そうじゃないでしょう。


「……ざけないでよ」


 あなたがすることはまず謝ること。なのに、エネシーラ様……ううん。偏屈ジジイはわたしもお母様も、まったくとこちらを見ようともしない。

 ルイからは呼ばれたけど、今のわたしはそれに返事をする余裕すらないほどに怒り、悲しんでいた。

 例え里の長であろうが、まるで死者を冒涜するこの行為は決して許されるものではない。


「ふざけんじゃないわよ! このっ」


 糞ジジイ――と叫ばなかったのは寸で思い止まった良心からのものだったのだろう。

 それでも、怒りを露わにわたしメレティミとしての立場とか四天である身分とか、そういうものを全てかなぐり捨てて思いのたけを口から吐き出していた。


「なんでこんなことをするんですか! 謝りなさいよ!」


 わたしの大声にルイがひっと身体を震わせる。ごめんね。でも、許せないの!

 なのにエネシーラ様はわたしをぎょろりと血走った眼で睨むだけだ。

 気持ち悪いとかそういうのを抜きにして、わたしはただその眼から視線を逸らさず睨み返す。


「……黙れ。卑しい娘が」

「はあ? 卑しい娘!?」


 卑しいって何、どういう意味よ!

 わたしは確かに色々と違反はしただろうけど、自分の母親の位牌を壊される様なほど酷いことをした? してないよね! 天人族の基準とか知らないけどさ!

 ここまで怒られることなの? ねえ、ねえ?


「もうお前に用は無い。ディルツ! インパ!」

「はい」

「……おう」


 そうエネシーラ様が一声かけると部屋の外に待機していたのか、ドナくんのお父さんとドナくんの護衛が部屋に不躾に入ってきた。

 2人はわたしとルイを見比べて目を丸くするが、エネシーラ様がわたしの方を見ながらこいつだ、と告げる。


「もう憂いは無い。空いた穴の代理は見つかった。……後は任せる」

「畏まりました」

「……おう」


 返事をするなりドナくんのお父さんがわたしの腕を掴んで無理やり部屋の外へと強く引っ張る。

 こちらの意思を無視して引きずられ、床を足が踊る。腕に込められた力は強く、締め付ける痛みに小さな悲鳴を上げてしまうほど。


「ちょっと、やめて! 離してよ!」

「レティ!? なに!? やめてよ! レティを放し――っ……」

「――ルイ!? ルイっ!?」


 ベッドの上から飛び跳ねてわたしに向かってきたルイは、インパさんが触れると身体を一瞬振わせて、糸が切れたみたいにその場に崩れた。

 魔法だ。インパさんが雷魔法を使ってルイを昏睡させたんだ。


「ルイ! ねえ、放して! ルイがっ、ルイがっ! いやああああぁぁぁぁっ!!」


 ドナくんのお父さんは腕を放してくれない。更に力を込めてわたしを部屋の外へと運んでいく。

 部屋の外には更に衛兵らしき人がいて、ドナくんのお父さんとは反対側の腕を掴んでわたしを引きずっていく。

 どんなに、どんなに喚いても誰もわたしの言葉には耳を貸してくれなかった。


「ルイっ! ルイっ! ルイっ!!」


 部屋の中でエネシーラ様がインパさんにある命令をしているのが微かに耳に届く。


 ――予定通り、ミッシングと疑わしきメレティミ・フルオリフィアを殺せ。


 だが、その言葉は、わたしの耳には届かなかった。

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