第63話 イルノートとの再会

「無用な心配だと思うけど、2人とも夜道には気を付けてね」

「それはわたしのセリフ。シズクこそ気を付けなさいよ? 君は普通の女の子よりも女の子しているんだから」

「ははっ、嫌だな。そんなことあるはずが……」


 ……レティの別れ際の言葉は半ば否定はできなかった。


 以前、他の町に滞在中、夜道を歩いているとそういうことがあった。滞在出来た町なんて指で数えるほどだっていうのにさ。

 それも決まってルイがいない時、僕一人の時ばかり遭遇したんだ。


 多分、半分が人攫いで、もう半分は痴漢だとは思う。

 前者はメイド時代の僕たちのように、黒や灰といった地味目の変装と顔を隠した2、3名ほどの集団で、後者はそこら辺にいる一見普通に見える人だ。犯行に及んだら普通じゃない顔になったけど。

 ……全部撃退してやったけどさ。


 人攫いなら見てすぐに怪しいってまだ身構えれるけど、たちが悪いのは痴漢の方で、一見して普通の人と区別がつかないんだ。すれ違い様に抱きつかれたなんてこともある。

 ……死なない程度にコテンパンにのしてやったけどさ。


 このままだと男性恐怖症になってしまうかもしれない!

 ……なんてことはない、と思うけど人間不信にはなりそうだ。


 今は天人族と亜人種族との境である橋の上。

 急な呼び出しを食らったとかで、リウリアさんはレティの屋敷の前まで僕らを送ると直ぐに職場へと向かっていった。

 ルイはそのままレティの部屋でお泊りをするらしく、今はこうして僕とリコの見送りとして橋の上まで2人に見送られていた。


「シズクも泊まっていけば? いっしょにレティの部屋で寝よう? 詰めれば3人いっしょに寝れるって!」

「なっ、ルイ! 駄目よ! シズクはこれでも男の子なんだからね!」

「えー、ぼくいつもいっしょに寝てたよ?」

「それは知ってるわ! でも、もう同じ布団で寝るには幼くないでしょうよ!」

「そっかな……?」


 ルイの提案に驚き戸惑うレティという、ふたりのやり取りに僕は思わず苦笑してしまう。


「ほら、わがまま言ってレティを困らせないの。それにリコだっているんだからね」

「みゅみゅみゅう」

「あれ、リコは良いってよ?」

「それでもダメ」


 自分には構わずにどうぞ、と言う感じのニュアンスをリコが発しているのはわかった。同じようにリコの反応がわかるルイは顔を輝かせるが、僕は首を横に振るだけだ。

 ルイの頬をが膨らませるルイの頭をがしがしと力を加えて撫でまわす。


「じゃあ、そろそろ行くよ。2人ともおやすみ」

「……ぶう! おやすみ!」

「シズクおやすみなさい」


 2人に手を振って僕はリコと共に自分の住処へと足を向けた。

 もう夜も遅い。いつもだったら就寝している時間でもある。こんな遅くまで起きていたのは夜中に依頼を受けたあの時くらいかな。

 里の中は昼間の活気が眠りについて、静寂が包み込んでいる。僕らの、リコの足音がやけに反響して聞こえる。

 帰り道は疲れもあってリコの背に乗せてもらった。昔はだっこをしていた側だったのに、今では僕くらいなら軽々と乗せてもけろりとしている。


「いつもありがとうね。リコ」

「みゅ~う!」


 リコはどうってことない、って言っているようだ。これでもリコの体重と同等にはあると思うんだけどな。

 ただ、久々の遠出による疲労を覚えている体には正直ありがたい。リコの真っ白な体毛にほふりと身体を埋めると暖かな体温に包まれる。

 いつもならリコの背を揺り籠にしてまどろみに包まれている僕だけど、今は先ほどのルイの発言が尾を引いていた。


「一緒に寝よう、か……」


 本音を言えば、僕もルイと一緒にレティの部屋に泊まりたかった。

 生まれた時から共にいる僕の大切なルイ。

 懐かしい空気を思い出させてくれたレティ。

 ……きっと、あの2人と一緒に眠ることが出来たら、僕はいつも見る悪夢のことなんて気にせずに、ぐっすりと寝れると思う。


 ――でも、駄目だ。


 あの時レティから良いと言われたとしても、僕はきっと首を縦には振らなかったと思う。

 

(だって……僕はルイから距離を取りたかったんだから……)


 そうこう考えていると亜人種の居住区と魔人族の居住区との境の橋を駆けていた。

 頭を切り替える。終わったことだとこの話は頭の奥にしまっておこう。


 魔人族の居住区はちょっと気を張らせる必要がある。

 彼らは夜行性であり、この深夜という時間帯こそ一番の活気を迎えている。

 今も離れた繁華街の方から、真夜中とは思えないほど活気に満ちた人の賑わいが耳に届いている。


 そんな人気の多い場所にリコを連れて歩けやしないことは今までの経験から十分学んでいる。

 無用な衝突を避けるため、他の場所もそうだけど、ここでは特に表だって歩けないので裏路地を進むことにしている。


 人通りが少ないからと選んだ路地裏だとしても、時にはそこの住民と出くわすこともある。

 そこは魔力の発光を察して進路を変えてはいるが、大抵は指示を出す前に鼻と夜目の利くリコが先に動いてくれる。


 夜の下の魔人族はフードを外して素顔を晒すのが当然で、昼間以上に体に纏った魔力の発光が強く見える。発光してると言っても、淡い蛍火みたいに体の周りを光が纏う程度だ。

 ただ、自分自身では纏っている魔力を見ることができない為、長年自分の体が光ってるなんて知らなかった。


「もうそろそろ着くね。お疲れ様、リコ」

「みゅ~う」


 ギルドがある大通りよりも奥のもっと奥。

 住宅地を抜けた先の舗装もされていない荒地にある、とある一軒の廃墟に僕とリコのふたりはお邪魔させてもらっている。

 ここはギルドのお爺さんからの紹介で(さんざんやめとけって止められたけど)まあ、勝手に住まわせてもらっている。

 ボロボロでいつ倒壊してもおかしくない見た目の小屋だけど、住んでみたら案外頑丈なんだ。家賃もタダだしね。

 なんかもう本当に、どれだけ逞しくなってるんだろうね。

 現在だと屋根さえあれば普通に睡眠が取れそうだよ。雨風が凌げれば文句はない。


「みゅう?」

「何、誰かいるって……?」


 リコの鳴き声に視線をそちらに向ける。

 誰だろう。見たことも無い3人組が家……廃屋の前に屯っている。

 銀髪の男性が1人に紫と緑の女性が2人。背丈からして年上の人たちだ。

 3人とも魔力を帯びているから魔人族だとは思うけど……僕に同族の知り合いはまだいない。





 もしかしたらこの場所は彼らのたまり場だったのかもしれない。

 どう接していいかわからずリコの上で戸惑っていたら、こちらに気が付いたのか銀髪の青年が顔を上げて僕を見た。


「やあ、だいぶ待たせてもらったよ。新入りくん」


 真ん中にいた青年が言葉を投げてきた。銀髪の垂れた髪をふさりと払う。

 コートを着ていないためか、彼の周囲を囲う魔力がその3人の中で一層際立って目立っている。

 警戒を残しながら若干の距離を取って僕はリコの背から降りた。


 敵意は感じられない……ていうか、未だに殺気がわからない僕に敵意とか見えないものを読み取れる力は無い。ただ、敵意がないって思ったのはその青年が気持ちのいい笑顔を向けてきたからだ。

 とても爽やかな好青年のような笑みには毒気を感じられず、きっと10人に8人はその笑みに頬を緩み返してしまうかもしれない。

 でも、青年とは対照的に左右にいる紫髪と緑髪の女性2人は、きつい視線を僕に送ってくる。

 眉が吊り上がって紫のアイシャドーの引かれた綺麗な顔が台無しになる。


「ラアニス様を待たせるなんて失礼じゃありませんか!」

「そうよ! あんた外部者のくせして何様のつもり!」


 言葉を発する間もなく彼女たち2人から視線以上にきついお言葉を浴びせられ、僕は思わずたじろいでしまう。が、そこを2人に挟まれた青年が宥めて続けた。


「まあまあ、レディたち。僕らと違って、彼は日の出ているうちから働くほど忙しいんだ。大目に見てあげようよ――僕は君たちがいたから時間なんて全く気にならなかったよ」


 薄らと笑みを向け2人の肩を抱き寄せて宥める彼、ラアニス様だ。

 2人は頬を緩めてその身を彼に預ける……あれ? 2人に漂っていた魔力の量が溢れたような。もしかして、目視できる魔力って感情に左右されるのかな。


「そうラアニス様が仰るのであれば……」

「なんてラアニス様は心が広いのかしら……」

「そうだろそうだろ」

 

 称える2人をぎゅっと抱擁してから彼は僕に歩み寄り始める。

 ……が、リコが「ぐるる……」と喉の奥で鳴らしたところで青年の歩みが止まった。彼の笑みに若干引き攣りを見せる。


「……大丈夫だよ。リコ」

「……みゅ」


 優しくリコの頭を撫でて治めると僕も同じ様に一歩前に出た。

 リコを庇うってよりも、リコが飛び出さないようにするって意味合いが強い。リコはそんなことはしないけどさ。

 向かい合ったラアニス様の背丈は僕よりも頭半分ほど高く、中々に美形の面構えをしている。

 ただ、髪の色が銀髪ってところで、まっさきにイルノートが頭の中で出てきて、つい彼と比べてしまったら目の前の青年の方が大分悪いように思える。僕の主観だけどね。


「済まなかったね。僕の妻たちが無礼を働いた」

「いえ……」


 ん? 妻たち?

 ラアニス様は1人をフィディと呼び、もう片方をリターと呼んだ。でも、どっちがどっちかはわからず、別に気にすることでもないので聞きはしない。2人はぺこりと頭を下げるだけで言葉は無い。


 ラアニス様は再度「僕の妻たちだ。今は機嫌が悪いのか、雲に笑みを隠しているが、いつもは一等星のような輝きを僕に放つのさ」なんて言う。

 ああ、聞き間違いじゃなかった。

 はー……魔人族って一夫多妻が許容されているのかな……。


「僕の名前はアニス・リスス。これでも魔の先頭に立っている――いや、予定だけどね」

「はあ、さいで……でも、アニス? すみません、おふたりが言っていたラアニスっていうのは?」

「あれ、君はもしかして学を蓄えられずに育ったのかい?」

「すみません……外から来たので、里の事情は詳しくなくて……」

「そうかそうか。それは済まなかった。里の外は野蛮だと聞く。そういう知識は必要ないとされたのだろう」

「はあ」


 辛辣な言葉を吐くラアニス様だけど、悪気は感じられない。多分、これが普段の彼なんだろう、と思うことにする。

 ラアニス様曰く、ラと言うのは自分よりも位の高い人を呼ぶときの冠詞だと教えてくれた。

 男性の場合はラ、女性の場合はレを名前の先に付けて呼ぶ。サーやロードと同じ意味かな。これは魔人族だけの決まり事らしい。

 また彼、彼女らは天人族で言う四天と同等の位にいるの子供たちだと言う。レティと一緒だ。


「……じゃあ僕は――」

「まあ、待て。君の両親からは人前で挨拶をする時は帽を外せとは言われなかったのかい? とうに日も死んだんだ。フードを被る必要もないだろう。――礼を欠いては心は通らない。そんな態度では話すらままならないさ」

「あ、はい……」


 ああ、確かにそうだ。って、突然押しかけられて(?)勝手に自己紹介を始めたのはそっちなのに。

 とりあえず、指摘されたように僕はフードを外した。背に入れて隠しておいた髪を手で払って首を振る。

 すると、ラアニス様は目を見開いて僕を凝視してくる。

 あ、しまった。


「……驚いた。先生からは男の子だと聞いていたんだがな……実は女の子だったとは……」


 そう、予想通りの返答に「はあ……」と溜息をついて自分が男であることを説明する。もう一つまた驚かれるのも予想通りだ。

 ちなみに先生って言うのはギルドのお爺さんだと教えられた。

 魔人族は年上の世話になった人には種族関係なく敬い、○○先生もしくは先生と呼ぶと言う。

 この人も結構前まであのギルドを使っていたんだって。小遣い稼ぎって訳じゃなくて、人生経験として両親から行かされてたと言う。


「その……で、何の用があってここに?」


 黙って聞いていたらギルドを利用していた時の冒険譚が始まりかけたので僕は即座に本題を始めることにした。

 もしかして、この場所は彼の私有地だったのかな。


 一応ギルドのお爺さんに住める場所が無いかって聞いて家賃もかからない場所だってことで紹介されたんだけど……あ、お爺さんからは紹介してなんだけど辞めておけって言われた。人が住む場所じゃないって。そりゃそうだ。

 でも、僕は結構気に入っている。物静かで人気もないからルイが来ても誰にも迷惑かけないしね。

 ラアニス様はどうやらその心配とは違ったらしい。ただ、一つ高笑いをする。


「いいや、特にない」

「はい?」


 つい聞き返してしまった。自分の耳を疑ってしまう。


「強いて言えば、君と言う存在を見ておきたかっただけさ」

「僕を、ですか?」

「ああ、君をだ。――ここらでは有名だぞ。魔物を従えている魔人族がいるってな。そんなやつ僕は見たことは無い。――光栄に思うがいい。僕と言う偉大なる魔種の興味を引き、ここまで待たせたのは君だけだ」


 それはなんともうれしい話で……。

 だけど、そこでラアニス様は僕に背を向けて妻2人の元へと戻った。


「はははは、まあいい。今日はあいさつ程度で失礼するよ。君は実に興味深い存在だ――これから先、君とは長い付き合いになりそうだ」

「そうは思いませんけど……」

「ははは。恥ずかしがらなくていい。胸を張れ。君は僕を惹きつけた数少ない魔種だと。――あ、そうだ。すっかり言い忘れていた」


 と、奥さん2人の肩に手を回して去ろうとするラアニス様は後ろ向きのまま手を振った。


「銀髪の天人がこのボロ屋に入っていくのを見たよ。――中に入る時は十分に気をつけたまえ」

「銀髪の天人!?」


 また高笑いを浮かべて彼は去っていった。


(ねえ、アニス。あんな感じで良かった? あたしいけてた?)

(上出来だよリター。フィディもお疲れ様)

(アニスさんこそお疲れ様。……とても綺麗な人でしたねぇ)

(そうだね。噂以上だ。ますます彼のことを知りたくなったよ)


 というか、それはどうだっていい。

 彼にとっては些細なことかもしれないけど、僕にとってはとても重大なことじゃないか。

 ラアニス様を見送ることなく僕は、廃屋の中へと駆けこんだ。





「イルノートいるの!?」

「……いるから喚くな」


 なんて、そこには見慣れた銀髪と闇と同化した褐色肌のイルノートが我が物顔で僕が使っている布を積み重ねた簡易ベッドの上に横たわっていた。

 両手両足を組んで仰向けに寝ているとは、随分とふてぶてしい態度だ。


「今までどこに行ってたのさ! ずっと心配してたんだからね!」

「それは悪かった。ちょっと野暮用でな……気にするな」

「何が気にするなだよ! 今回は流石にひどくない? どこへ行ってたかくらい教えてもらってもいいはずだよ!」


 でも、イルノートは一言たりとも言葉を発することはなかった。

 どんなに追及したところで、肩を揺さぶっても、彼は首を横に振るだけ。

 もうっ! と嘆息をついて僕は横たわるイルノートの隣に座る他になかった。

 それから無言が僕とイルノートの間を漂うけど、僕はむくれながら空気に続く。

 イルノートがそんなのなら僕だって同じく黙っているよ!


「……みゅ」


 まったく……と、ふくれっ面になっていると、寂しそうにリコが鳴く。

 心配そうに僕らを見比べたので彼女にだけは優しく喉元をくすぐってあげる。

 気持ちよさそうな声を上げるリコに僕の胸の内の靄が若干晴れ、イルノートもそれを見たのか腰を上げて僕の横に座りなおし、やっと口を開いた。


「……コルテオスへ行かないか?」


 コルテオスって言えば、サグラントから出発するときに移動先に出た大陸の名前だ。


「また、移動するの? じゃあ、ルイに伝えないと。あ、レティともお別れしないと――」

「いや、ルイはここに置いていく」


 と、僕の口はそこで止まり、静かに閉じることになった。

 なんで?

 そう聞く前にイルノートはもう何年と前に交わしただったものを話し出したからだ。


 唐突だった。

 前触れもなくそんな話をして僕はただ黙々とその話を聞くほかにない。

 それは僕自身すっかり忘れていた話だった。


 ――もう少し、お前が大人になったら……全てを話す。だから……それまで、待ってくれないか……。


 あの日、あの晩の忘れたくて仕方がないイルノートが僕を始めて助けてくれた日の約束を。


「もう話してもいい頃合いだと思ったからな……だが、まさかここでするとはな……」


 そう言ってイルノートは小さく苦笑する。


「で、どうする? 私とコルテオスに行ってくれるか?」

「……わかった。一緒に行くよ」

「随分……聞き分けがいいな。もっとごねるかと思っていた」


 その話を聞かなければね。

 でも……それとは別にあったんだ。だけど、本音は口にはしない。

 僕も大きなわだかまりを胸に抱えながらもその話を聞いてやっと決心がついたんだから。


「前々から思ってたんだ。ルイはここで暮らした方が良い。ここなら大人たちが守ってくれるからね」

「……そう、だな。この里ならば……」


 この里なら、リウリアさんにならちょっと過保護過ぎるけどルイを任せても大丈夫。

 レティだっている。レティはルイにそっくりだけど、同年代であるルイよりも大人でしっかりしている。時には我儘なところや年相応なところも見るけど、彼女にならルイを任せても大丈夫。

 他にもウォーバンだっている。ドナ君もレドヘイル君、フラミネスちゃんもいる。

 だから、もうルイは独りじゃない。

 僕がいなくても……ただ、やっぱり悲しいし寂しいのは変わりないけど。


(きっと、泣いちゃうよね。ルイはいつも強がってるけど泣き虫なんだから。恨まれちゃうかもしれない。……あ、いやだ。そうしたら彼女の胸の中に僕がずっといられる……なんて黒いことが頭に生まれた。いやだな。出来れば、僕のことは忘れてこの先幸せになって欲しい――……)


 でも、本当は僕の隣に――……いいや、もう。


「そうだ。リコは?」

「一緒に着いて来たいと言うなら構わない。しかし、そこはリコの意思を尊重するが……」


 僕とイルノートはわかっていた。

 この里でリコが住むにはあまりにも狭いことを。ルイへと預けるにしてもその体躯は成獣のそれで、天人族の里で住むには……。


「リコはどうしたい?」

「……みゅう!」

「だって」


 そう、リコの回答に僕は頷くけど、イルノートはリコを凝視し、少し考えるそぶりを見せた後に首を横に振った。


「済まない。私はお前たちみたいにリコの反応には疎い。何て言ったんだ?」

「一緒に着いていくって」

「そうか。わかった」

「……ルイにお別れは言わない方が良いよね」

「ああ。そうだな」

「うん。わかった。いつ出るの?」

「明日は私も用事……があって朝から晩まで顔を見せられない。出発は2日後とする。それまでに準備を整えておいてくれ」


 明日何があるのか。イルノートは言えないとだけ口にした。

 表情は暗くて確認できなかったけど、声からは酷く低いものが出た。何か、嫌なことがあった時の声色だ。


 僕の方はそんな荷物なんてものは無いし、今出発だと言われても直ぐに動けるようなものだ……あ。駄目だ。

 そうだ。ペンダント返してもらわないと。しまったな……。

 明日待って直るとは思わないし、最悪そのままで返してもらうしかないかな。

 理由を聞かれた時はどう濁せばいいか……。


「それと……」

「何?」

「……いや、なんでもない。気にするな」

「うん、わかった」


 何か言いたそうなイルノートに僕はそれ以上に追究することはしない。

 何かを聞きたがっていた、そんな素振りだったけど……。

 こういう時のイルノートは聞いても答えてくれないのは長年の付き合いからわかっている。


 それからはもう言葉を交わすことは無かった。

 ただ2人並んで座るだけだった。

 暫くして、リコが次第に丸くなり寝息を立てはじめてから、イルノートはこの廃屋から出て行った。

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