第61話 レティの秘密

 更衣室があると言うのに僕だけ岩陰に隠れて服を脱ぐのはちょっと風情が無い。


「……いや、一緒に着替えたいって言ってるんじゃないんだよ。せめて時間差で着替えさせてほしいくらいで……うん。無理だよね。でも、外寒いんだよ……」


 独り愚痴りながらも僕は身に纏っていた真っ白なコートを脱いでいく。

 このコートは里に住むと決めた時に購入したもので、色の指定はルイとレティによるもの。

 僕は皆と同じく黒でいいって言ったんだけど「周りと同じじゃつまらない」ってことで白のコートを着ることになった。

 今では結構気に入ってるから2人の意見を聞いて正解だったと感謝している。


 郷に入れば郷に従え。

 魔人族ではコートは学生服や背広と言った正装としての意味合いが大きい。

 勿論、少数だけどコートを着ない人もいる。そういう人は決まって若い人……ただ、若いって言っても長寿である魔族では外見からの年齢は予想できないけど「脱いで出歩いちょる魔人族っちゃあ15前後の成人を迎えた若造じゃろう」とギルドのお爺さんがそんなことをぼやいていた。一種のファッションなんだろうね。

 このコートのおかげで僕も魔人族の仲間入りを果たしている……交流は殆ど無いけどね。


 コートは一張羅として毎日愛用し、ルイとレティが一緒の時はフードを外しているけど、1人の時や魔人族の居住区内では皆に倣ってフードを目深く被ることにしている。

 コートを頭から被っている時、僕のことを女の子と呼ぶ人も見る人も少ない。以前冒険者ギルドで出会った少年3人にすれ違った時も何も言われなかったしね。

 でも、そんなに女の子に見えるのかな。髪が長いだけだと思うけど。

 男として自信を無くしそう……。


 と、そんな気が滅入る話はどうでもいいじゃないか。今は温泉だよ。温泉。

 温泉は家族や幼馴染とも旅行で行ったけど、ここの温泉は僕が今まで入ったものと比べても大きい。


「はあ……早く早く……さむさむ……」


 湯に浸からないよう、いつもよりも高い位置で髪を結ぶ。

 体を震わせながらコートを折りたたみ、上に着ていた衣服を重ね、最後に履いていたブーツを重し代わりにおいて岩陰から出た。


 よし! と湯気か霧かも判断しがたい温泉に入らせてもらうことにする。

 濃霧はこの岩場へと向かう最中に突如として立ち込めたものだ。

 多分、リウリアさんが作り出したんだろう。僕は全然構わない。


「みゅっみゅ~」


 道中、この温泉に近づくにつれて変な顔をするリコだったけど今ではもう慣れたのかな。

 水面を舐めたり前足で突いたりしているリコを微笑ましく思いつつ、僕が先に温泉に入ってしまえば彼女も渋々と後に続き、今では“なるほど”という顔をして湯に浸かりだす。

 でも、その場にじっとしているのは辛抱できなかったのか、幾らかして霧の奥へと姿を消していった。

 少し寂しいけど一人湯を楽しむことにした。

 温度はやや熱く感じるけど、この寒空の下であれば長湯するには丁度良い。


「ふぅ……気持ちいい……」


 湯の中で身体いっぱいに伸びをし疲れをほぐす。

 極楽極楽――そう、この時ばかりは本当によかったんだ。

 久々の温泉であり、湯の張ったお風呂自体も久々で最高に気持ちよくて、まるで楽園にいるかのようにさえ思えた。

 だから……1人でこの場所から動かなければデバガメ扱いも変態扱いもされずに済むはずだった。


 いったいどうしてこんな状況に陥ってしまったのだろうか。





「あ……シズク様」


 突如として霧の奥からリウリアさんが現れ、今ではどうしてか僕の身体に覆いかぶさってきて、まったくと離れようとしてくれない。

 

(なんで、リウリアさん!? あんなに厳しかったのにどうしたって――ひぃ、胸がっ胸がっ、当たってる!?)


 こうなったのは全部リウリアさんのせいだけど、彼女は頬を真っ赤にして、とろんとした熱っぽい目でしっかりと僕を捉え続けていた。

 もしかして、体調が悪かったのだろうか……いや、それにしたって道中はいつも通りだったように思える。


「シズク様……すみません……このウリウリア・リウリア……どうしてか、力が入らず……」

「た、体調が悪いんですか? それなら、一度湯船から出ないと……早く、早く出ないと!」

「出る、だなんて……私がいなくなったら、誰が、貴方を……監視すると、いうのです、か……」

「いやいや、だから皆と一緒にならないように僕は奥にいたんだよ! それこそなんでリウリアさんはこっちに来たのさ!」


 慌てる僕の問いにリウリアさんは首を傾げる。

 まるで悪戯をしたのに自分じゃないよ? ってわかっていないリコを見ているようだ。


「……そういえば、何で私はシズク様の元へ向かわなければいけなかったんでしょう? シズク様わかります?」

「それを僕が聞いているんだけど……って、もう、本当に離れてよ!」

「離れてって……そんな……お嫌、ですか? 私が共にいるのは、シズク様はお嫌、ですか……?」


 嫌って……か細い声に頬を真っ赤に染めて、リウリアさんは寂しそうに、伏せがちに視線を逸らした。

 その羞恥に染めたリウリアさんの艶めかしい仕草一つ一つに僕の心の内がざっと騒めくのがわかる。

 ちらり……。

 ついはだけた彼女の胸の谷間に視線が向かう。一筋の水滴がたらりとその盛り上がりの間をなぞる様に落ちる。

 ごくり……。

 僕の喉が鳴り、それに気が付いたのかリウリアさんが妖しく笑った。


「……どこを、見てらっしゃるんですか?」

「ち、違っ! べ、べつにどこも見てなんか!」

「ふふ……シズク様もやっぱり男なのですね……このウリウリア・リウリア……少し恥ずかしく存じます……」


 そう言って、リウリアさんは僕の頬をくすぐるみたいに指でなぞる。

 温泉の中にいると言うのに、ぞくぞくっと背筋が震えてしまうが……駄目だこれ! これ以上はちょっと男として限界!


「も、もぉ! やめてください! リウリアさんしっかり――」

「……何やってんのよ」

「――しっひうっ!?」


 と、思わず変な声を出しながら僕はその場で飛び上がるように驚く。

 声のした方へとはっと頭を向けると、そこにはリウリアさんと同じく浴衣っぽいものを身に付けたレティが両腕を組んで立っていた。

 た、助かった……。


「れ、レティ!」

「あ……フルオリフィア様……?」

「ウリウリ、あなた何をしているの……?」

「え……っと、その、シズク様の監視、を……あ……れ……?」

「監視……って、ウリウリ!?」

「リウリアさんっ!?」


 リウリアさんはふらりと僕から離れるかのように体を滑らせた。

 受け止める間もなくリウリアさんは温泉の中へと沈む。


「ちょ、ちょっとウリウリあなた大丈……ひっ!?」


 直ぐにレティがリウリアさんへと駆け寄ろうとした……が、そこで奇妙な悲鳴を上げだした。

 彼女の目は沈んだリウリアさんではなく、お湯の中を注視しているようだ。


「レティどうし……いっ!?」


 青い両目を見開いて、彼女がどこを見ていたのか。

 ……それは、彼女の視線を追うことで嫌々にもわかってしまい、僕もまた変なことを上げすぐさま足を閉じて隠そうとするが……。


「ねえレティーシズクいたー?」

「フルオリフィアどこー?」

(げ……この声は!)


 レティの登場に遅れ、霧の奥から残りの2人も姿を見せる。フラミネスちゃんは2人と同じく浴衣っぽい服を着て、ルイはなんでか水着を着ていたけど……。

 僕たちを見つけるなりはしゃぎながら駆けつけて……僕のそれを凝視したまま硬直していたレティの後ろから顔を覘かせて、2人も同じく僕のそれへと視線が注がれ……。


「なぁに見てるのフルオリフィア! 何見て…………へっ!? し、シズクさ……ん……お、おと、おと……おととととととっ!」


 そう口にしてフラミネスちゃんが湯の中へと勢いよく飛沫を上げて倒れ、ルイは目をぱちくりと僕のそれを見つめながら口を開いた。

 

「あ、シズクおちん――」

「――うがああああぁぁぁぁっ!」


 ルイの発言をきっかけに硬直状態だったレティが奇声を上げ、僕たちへと風魔法を放った。

 声を上げる間もなく僕と湯の中にいたレウリアさんは吹き飛ばされて……温泉の外へと放り出される。

 すぐさま地面にぶつかったところで僕の意識はかき消された。


 あれ、こんなこと前にもあった様な……?




 

 レティが落ち付かせるまで本当に大変だった。

 あちらこちらと魔法を連発するレティは嵐みたい。羽交い絞めながら大声を上げたらどうにか正気に戻って貰えたけど……。


「ご、ごめん。ちょっと混乱した……」

「まったくぅ……あんな慌てるレティはじめて見た。いったいどうして?」

「ど、どうしてって、その男の子のあれがあんなで、近くで……だから……」


 あれ? あれってなんだろう。

 真っ赤になった顔を両手で覆って狼狽えるレティを見ていたら、ああと思いついた。


「もしかして、おちん――」

「言わないで! わかってる。わかってるけど、言わないで!」

「……うん。わかった」


 レティは自分の肩を抱きしめ、身体を震わせる。

 ぼくは昔から何度もシズクの裸は見てきたからそこまで思わなかったけど、これが普通の女の子の反応なのかな。フラミネスちゃんも倒れちゃったし。


(……それに、なんだろ? シズクのあれ、ちょっと……)


 以前見たものとは形が変わっている気がする。でも、そんなまじまじと見るのも恥かしいし出来ないや。

 まあ、嫌なら仕方ないよね……その話は触れないことにして、ぼくたちは倒れた3人の介抱へと向かった。

 フラミネスちゃんとウリウリは脱衣所へと送り届け、濡れた身体から水気だけを取り除いておいた。

 後は服を着せるのは一苦労なので風邪をひかない様に室内に暖かい風を送り込み暖めて服を上からかけてあげる程度にしておく。フラミネスちゃんはうなされていたけど大丈夫かな……?

 シズクは……レティが拒絶したのでぼくがひとりで運ぶことになった。


(あ、やっぱりさっきのは見間違いだったみたい)


 治癒魔法をかけて体の怪我を治し、近くにあったシズクの服を被せて置いた。これでいいと思う……。

 風邪引いたらごめんね!


「お疲れさま。ひとりでやらせて……その、ごめんね」

「うん、レティこそ。気にしないで。見慣れたものだよ」

「み、見慣れた……そう……“そう”だったわね」


 見慣れたって言ってもこの数年は見てなかったけどね。別々に着替えるようになっちゃったし、もう昔とは違うんだなあ。

 背だけはいっしょに伸びたのに、もう身体はぼくもシズクも全然違うんだ。不思議だよね。

 ……でも、シズクを運んでる時は、なんかわからないけどドキドキしたのは誰にも言えないや。


「ルイ、顔が赤い……?」

「ひえっ! え、なんでもない! なんでもないから!」

「そう……ならいいけど……」


 ちょっと思い出しただけで恥ずかしい。

 おかしいな。昔は何とも思わなかったのに。今じゃシズクの裸を見るのもシズクに裸を見られるのも恥ずかしい。

 ぼくの反応を察したのか、レティも「あ」と口にして俯いた顔を真っ赤にした。


「えへへ……変なの」

「うん、ふふふ……おかしいね」


 2人して顔を真っ赤にしてね。レティも笑っちゃって、ぼくも笑っちゃって。

 恥ずかしくて笑っちゃうっていうのは初めてのことだ。でも、全然いやじゃない。レティと同じことで笑えるって、とっても胸の中があたたかくなるの。

 でも、ぼくたちの身体は胸の内とは逆に冷たい風に当てられていて。


「くしゅんっ!」

「はっくしょんっ!」


 なんて、いっしょにくしゃみをしたところで、やっと温泉に入ることになったんだ。

 さっきまでもくもくとしていた湯気はウリウリが気絶してから徐々に消え始めている。ウリウリが魔法を使っていたのは知ってたけど、なんでそんなことしたのかはわからない。


 眺めの良くなった温泉にはリコがひとりでばちょばちょと音を立てて満喫しているんだ。

 もう! ぼくたちが頑張って3人を助けてたって言うのに!

 恨めしそうにリコを睨みつけたら「ん、どうしたの?」って言わんばかりにとぼけた顔をしていた。





 温泉はちょっと熱いくらい。でも、冷えた体には丁度良い。肩まで浸かった頃にはふるふると身体が震えて、とても気持ちいい。

 温泉から見る外の景色もとても綺麗なんだ。

 温泉の後ろ半分は木々で覆われているけど、もう半分は遠くの山が良く見える。ケラスの花が咲いてたらなあって恨めしく思っちゃう。

 レティは顔が蕩けたみたいにとても気持ちよさそうな顔をしているし、こういうのもいいよね。

 レティの屋敷にあるお風呂もまたよかったけど、これはまた格別だね。

 海とか川とは違ってずっと入ってても気にならない。温泉ってこんないいものだったんだ。


「レティ?」


 と、温泉を楽しんでいると、隣にいたレティがむぅと頬を膨らませて……すっごい顔をしていた。

 何か我慢してるのかな? ちょっと心配で声をかけたんだけど、ぼくの声に気が付いたところで大きく息を吐いて首を振った。


「……だ――! ぜぇぜぇ……その様子だとだめかぁ……やっぱり、神託オラクル届いてないよね」

「あ……うん。そう、だね。全く気が付かなかった」


 そう、ぼくとレティは神託を通して連絡が取れなくなっちゃったんだ。

 ……原因はわからない。

 使えなくなったのは多分ぼくたちが出会った日以降のことで、使えなくなったとわかったのはそれから結構後のことだ。

 数日はお互いに神託を使う必要が無かったことや、使っても都合が悪くて話せないのかなって、いつから使えなくなったのは正確にはわからないんだ。


「今まで当然にあったものが無くなるって本当に不便だわ」


 確かに不便だとは思う。

 今まではちょっとしたことでも会話してたくらいだからね。


「でも、もうぼくたちはいつでも会いに行けるから、ぼくは無くても大丈夫だよ!」

「……あ、うん。そうだったね。もうルイとはそんな力使わなくたっていつだって話せるよね」

「うん!」


 そう言って、はにかみながらレティがぼくの方へと寄りかかってきた。ちょっと驚いたけど、ぼくも同じようにレティに身を任せる。

 2人で身体を寄せ合っているとまた心の中が暖かくなる。

 まるでくっ付いているレティの優しさがぼくのなかに入ってくるかのように思えちゃうんだ。


 レティは普段はぼくと神託と会話した時みたいに大人な対応を取るけど、結構甘えん坊さんの時もある。

 甘えん坊さんレティはぼくが持つ記憶の中ではウリウリの前でしかそんな態度を取らないけど、最近はぼくにも同じように接してきてくれる。

 えへへ、なんだかレティの特別に入ったみたいで嬉しい。


「……それ。結構汚れてるね」

「これ?」


 と、レティはぼくの首を見ながら呟いた。ラゴンからもらった首飾りのことだ。


「うん、最初はもっとぴかぴかだったんだけどね。次第に汚れていっちゃって、この前の海に入った後は茶色い汚れが目立ってきちゃった」

「そういえば海行ってたね。いいな。わたしも行きたい……って、海水に濡れた金属は真水で洗っておかないと駄目よ。だからそうやって錆びちゃうんだから」

「えー! そうなの!? どうしよう……落ちるかな……」


 この茶色の部分はごしごし洗ってもまったく落ちないんだ。

 シズクにそれ以上力を込めると鎖が切れちゃうって言うから仕方ないって諦めてたんだけど……。


「ちょっと貸してもらえる?」


 言われてぼくは首に手を回し、鎖の止め具を外して……あれ? 鎖の隙間隙間に黒ずみが広がってる……どうしよう。温泉に入る前より汚れてる……。

 新しい汚れに落ち込みながら手渡した後、レティはまじまじと汚れを見つめながら鎖を手の中で回していった。


「これなら直せるかな」

「本当っ!?」

「まあね。これくらいわたしの魔法でちょちょいのちょいってね」


 あ、レティは金魔法が使えるんだった。これくらいのだったら材質を変化させる? 酸化を追い出す? ちょっとぼくにはわかんないけど錬成して作り直せばいいんだって。

 失敗したら大変だからって帰ってからやってくれるってことでペンダントはレティに預けておく。

 出来なくても新しい鎖を用意してくれるって! レティありがとう!

 なんだかレティには迷惑をかけっぱなしで申し訳ないよね……。代わりにぼくも何か返せればいいんだけど。うーん?


「ふんふんふ~ん」


 ぼくがレティにしてあげられることを考えている最中に、隣のレティはご機嫌に鼻を鳴らして音を作っていた。

 あれ、なんだろう。これ聞いたことがある。


(確か……こんな感じだったかな?)


 ぼくもうろ覚えながらに同じくその続きの音を鳴らした。


「ふふふんふ~ん」

「へっ!? ぎゃふっ!?」


 と、そこでレティがばしゃりと温泉の中で体勢を崩してお湯の中に沈んだ。


「ちょっとレティ!?」


 慌てて引っ張り上げたレティは頭から水滴をぽとぽとと垂らしながらぼくを見ていた。

 目なんかすっごい開いちゃってさ。直ぐにぼくの肩を掴んで顔を近づけて来る。

 ……ちょっと怖いよ。大丈夫?


「なえっ、なんでっ、ルイがこの曲知ってるのよ!」

「え、だってほら。レティの記憶の中にあったから……」

「記憶!? 何言って……って、ちょっと待ってルイ。わたしの記憶どこから……いえ、見たの……?」

「う、うん。ぼくもよくわかんないけど、えっと、その……黒髪の女の子の記憶だった……?」


 ちょっと説明するのは難しいけど、ぼくはレティの記憶の“先”にあった出来事を口に出していく。

 鉄で出来た人を乗せる乗り物である“車”や“電車”。飛空船とは違って魔法を使わずに空を飛ぶ“飛行機”。捻るだけで水が出たり火が付いたり、電を使って動く“機械”と呼ばれるもの。

 他にもたくさんの見たことも無い魔法のようなもの……でも、その世界には魔法が無いんだ。

 魔族とか亜人種なんてものはいなくて、人だけが人として生きる、こことは違う別の世界みたいなところについて話をしていった。


 特に記憶の中には、ある男の子がいつもいつもいつもいっしょにいた。

 いっしょに笑って怒って泣いて、喧嘩もたくさんしてるけどそれでも大好きだっていうのが見てるだけのぼくにもちゃんと伝わってくる。なんだか、シズクみたいな男の子だったと思う。


 そして、その記憶の最後。

 大きな瓦礫が落ちたところをぼくはレティに伝えた。

 あそこの記憶が一番強くてとっても悲しいもので、自分で口にしていくだけで……涙が出そうになる。

 レティは最初から最後まで難しい顔をしてぼくの話を黙って聞いてくれた。


「そう、そうだったのね」

「ごめんね。なかなか言えなくて、その……最初からちゃんと言っておけばよかったよね」

「あー……いえ、うん。いいの。あの時はシズクがいたから……2人っきりの時で正解」

「じゃあ……」


 レティは苦々しい顔をして小さく頷いた。


「……わたしは前世の記憶ある。そして、このメレティミとして生まれ変わり、こことは違う世界の人間だっ――」


 と、レティが話をしている途中、突如として後ろの方からがさりっ! と物音がした。


「誰っ!?」


 その音に尋常じゃないほどレティは反応して、後ろの木々へと視線を、ぼくも同じくそっちに顔を向ける。

 何かいるの……? でも反応は無い。

 風かなってぼくは思ったけど、レティは水魔法を生み出してその音がした方へと放つ。

 小さな野兎がぴょんと顔を出し、慌てて逃げ出した。


「……兎ね。よかった」


 レティが胸を撫で下ろす。

 ああ、やっぱり……。


「レティ……この話、本当に誰にも聞かれちゃだめなの?」

「うん、お母様が絶対にするなって……だから、本当は誰にも知られたくなった。ルイの記憶にもその時のことあるでしょう?」

「……ブランザさんだっけ。レティの記憶だとその人、とても悲しそうに言ってたね」


 レティの記憶のブランザさんはとても病弱な人だった。

 今いるレティの部屋……元々はブランザさんの部屋で、ベッドの上から動くのも辛そうなほど弱っているところばかりを赤ん坊だったレティの視線越しに見た。

 でも、ブランザさんはいつも笑っていた。赤ん坊だったレティを抱きかかえるブランザさんの顔はいつだって微笑んでいるものばかりだったんだ。

 レティ越しのブランザさんの眼差しはとても優しくて、思い出すだけでも他人なのにぼくの胸の中はとくんと高鳴るほど。レティをとても大事にしているのがわかる。

 そんな優しい人がきつくレティに他言するなと言うんだ。きっと、レティを想ってのことだろう。

 だから……。

 

「言わないよ」

「え?」

「ぼくは言わない。シズクにだって、イルノートにだってこの秘密は言わないからね!」

「ルイ……ありがとう」


 レティが抱きしめてきたからぼくも同じくレティの背に腕を回した。お湯の中だったからちょっと暑かったけど、でも嫌じゃなかったんだ。


 その後は2人だけで温泉を楽しむことになっちゃった。

 温泉は入り過ぎても駄目だっていうので、途中で上がって足だけをお湯に入れて休んだり、寒くなったらまた入り直したり。

 あ、温泉に入ってる間にさっきの音、“歌”を言葉の意味と一緒に教えてもらったんだ。


『会いたいのに、もう逢えないのね。あなただけいればそれで良かったの』


 思い人を失った人の歌なんだって。

 だから、2人で楽しく歌うには合わないけどねってレティが苦笑いしてた。


 でも、ぼくはとてもいい歌だと思うよ。

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