第56話 ウォーバンとの再会

「あん? なんで俺の名前を知ってるんだ?」

「ぼくだよ! ルイだよ!」

「あ……えっと、お久しぶりです。シズクです」


 ルイはわたしの隣から駆け出してウォーバンの前へと立つ。続くようにシズクも席を立ち、ルイの隣へと並んで挨拶をする……そうだ、この人ウォーバンだ。

 あの奴隷市場にいた獣人の奴隷で、ルイが偽名として登録した元ネタ。確か、どこかの騎士団に買われたんだっけ。

 なんでここにいるんだろう?


「誰だてめら……?」


 でも、ウォーバンは隻眼をきつく絞って2人を睨み付けるだけだ。


「……ぼくらのこと覚えてないの?」

「ああん……? 人族の顔なんてどれも同じに見えるからな。いちいち覚えてなんてられねぇよ。つーか、お前ら俺とどこで会った?」


 言われてがっくしとルイが肩を落とす。

 これが種族の差かな。わたしも亜人族の、さらには動物よりの獣人の顔はどれも同じに見えるしね。後は、そう……逆にルイたちが成長し過ぎちゃったことで見分けがつかないとかね。

 まあ、わたしの場合は昨日の今日って感じだ。傷痕やその浅黒い鬣が印象的だったこともあり、もう何度も言うけど昨晩の記憶のおかげでウォーバンにいたっては鮮明に覚えている。


「えっと、僕らがウォーバンと出会ったのは奴隷市場の――」

「なっ、馬鹿ッこのヤロウっ!」


 と、ウォーバンは一際大きな声を上げてシズクの声を潰す。

 逞しい筋肉のついた両腕で2人を腰に抱え込み、そのまま片足で跳躍し店の隅っこへと移動する。

 なんだなんだ?

 わたしたちに背を向けてしゃがみ込み、2人と内緒話を開始する。なんだろう。悪いけど、獅子が獲物を捕食中みたいに見える。

 ここからだとまったく聞き取れないけど……近くにいるネニアさんはうんうんと頷いて3人の話が聞こえているようだ。くそう、後でルイに教えてもらうしかないかな。


 ただ、遠目から見てルイはとても嬉しそうにしているので悪い話じゃないみたい。

 時には悲しそうに、時には怒り、でも、やっぱり笑ってルイはころころと豊かな表情を見せた。

 同じようにウォーバンも2人の話を聞いて、こちらに聞こえるくらいの感嘆としたものを上げたりもする。

 本当に何の話をしているんだろう。気になるな。


「ふーん、なるほどなるほどね」

「ねえ、あそこで何を話しているの?」


 そう耳をひょこひょこと動かして盗み聞きをしているネニアさんへと駄目もとで聞いてみるけど、


「ん、んんー! 駄目。教えられない。特に四天の子供たちである君たちにはね!」


 と、やっぱりな回答を頂いた。ちぇ、仕方ないか。

 ただ、四天の子供ってところは気になるな。そんな聞かれちゃまずい話でもしているのだろう。

 3人での話は長く続きそうだったけど、そこでネニアさんがわざとらしく咳払いをしたところで、彼らの内緒話は一応の終了を見せる。

 こちらを振り向き、視線が注がれていることに気が付きウォーバンは鬣を撫でるみたいに頭を掻いた。


「仕方ねえ。また話は今度聞かせろ。あのジジイが死んだなんて信じれねえからな……それと、いいか、忘れんなよ? この場所にいる限りあそこでの話はするな」

「わかった!」

「うん、気を付けるね。ありがとう」


 なんて言いながら2人はわたしたちのテーブルへと早足で戻ってきた。満足げな顔つきだ。

 それから遅れて強面のままウォーバンはわたしたちの席……ウリウリへと近づき、若干腰を落として話しかける。


「まあ、なんだ。長耳の」

「……なんだ、獣の」


 長耳と呼ばれたことに気に障ったのか眉間に皺を寄せてウリウリがそう返した。

 苦笑いを浮かべてウォーバンはまたも頭を掻く。


「こいつらをギルドまで送ってやってくれや。俺はだから遅くなっちまうんでな」


 ウォーバンは引きずっていた自分の足を叩く。

 飛び跳ねるには片足でも十分ってことだけど、やっぱり歩くとなると違うのだろう。

 ただ、ウリウリは良い顔をしない。


「……ですが、子供に危険なことは」

「その話ならさっき厨房の中で聞いていたよ。俺も信じられねえけど、こいつら赤段位まで行ったんだ。あんたは知らんのかもしれんが赤段位っていうのはそこそこに腕が立つものと思ってくれ。まあ、これが拾ったもんだとかで偽ってたんなら、そん時はギルドに突き出すなりなんとでもしろや。なあ? お前らも嘘だったら捕まってもいいんだよな!」

「うん、大丈夫。僕たちは実力で赤まで行ったんだから」

「ね、ぼくらは嘘なんてついてないもんね」

「……だってよ?」


 ウォーバンは2人の自信の満ちた返事に大きな口をニヤ付かせて愉快そうに笑う。


「……わかりました。ただし、もしも偽りであった場合は、私は容赦はしませんからね」

「ああ、その時はこっぴどく頼むわ」


 ウォーバンは手を上げるとまた厨房の奥へと姿を消し、ネニアさんも微笑みながらその後に続く。

 席に戻った2人へとドナくんやフラミネスちゃんがどんな話をしたか追及をするけど、2人は頑なに首を横に振るだけだった。

 その間にまたネニアさんとウォーバンがわたしたちの席へと来て、小さな料理を出してくれた。

 焦げ目のついたちょっと歪な円を描いた……これはホットケーキかな? それと、琥珀色をした粘度の強い液……蜂蜜のたっぷり入った壺がテーブルの中心に置かれる。


「まあ、同郷のよしみってことでサービスだ。小麦粉なんてほとんど使うことねえから残りもんで作ってみた。だから、味はあまり期待するなよ」


 ウォーバンはくつくつと楽しそうに笑う……なんだか記憶の中のウォーバンと印象が違う。

 以前の彼はもっと刺々しくて、触れるもの全てを切りつけるって感じだったんだけど、今では若干角の取れたごつごつの石みたいだ。多少老けは見えるが、面構えはおっかないままだけど。


「ありがとう、ウォーバン」

「うん! とってもおいしそうだよ!」


 ご厚意には甘えよう。わたしも喜んでウォーバンの好意を受ける。味は期待するなって言うくせに、甘く漂う香りがずんずんと鼻孔に届くのだ。きっと美味しいものだ!

 ただ、ドナくんとレドヘイルくんは降参みたい。もう一口も喉を通らないとリコちゃんへと2人で押し付け合う。あーあ、勿体ない。

 蜂蜜なんてそうそう食べれるものじゃないのにね。

 普段口にする食堂での食事に不満を上げると言えば、デザートはもっと口の中が融けちゃうほど甘いものを出すべきってところだ。

 今日はたっぷりと蜂蜜をかけて楽しませてもらおうじゃないか。





「あ、ルイ。口もと汚れてるよ?」

「え、どこどこ?」

「もう、動かないの!」


 シズクは対面に座るルイへと手を伸ばし、指先で彼女の頬についた蜂蜜を掬い上げ、ほら、とその指を見せつける。


「あーん、ぱくっ!」

「あ、行儀悪いよ!」


 そこへルイは突き付けられたシズクの指へと口を開いて舐めとった。


 うわ、口の中以外にも甘いトロトロな蜂蜜空間が……別の意味でお腹がいっぱいです。

 でも、嫌な気分じゃない。2人のやりとりを見てて思わず微笑ましく思う。


 ――シズクはルイのことをとても大切にしている。


 それは彼が彼女に向ける眼差しや挙動の一つ一つが物語っていたんだ。

 中でもシズクがルイに注ぐ視線はわたしの前の幼馴染とか、ドナくんから向けられていたものとは異質の温かさを宿していたんだ。

 ただ、その瞳の奥に物欲しそうな欲望も少なからず感じるけど……なんて。あーやだやだ!

 わたしは浅はかな思考に……。


「シズクは……ルイのこと……大事にしてたんだね……」

「ん、何か言った?」

「シ、シズク! なんでもない! 気にしないで」


 ……自分が俗っぽくて卑屈になりそうだ。


 結局、わたしが一番シズクを男として見ていたのかもしれない。

 シズクは男だから、シズクは男だから、シズクは男だから。

 そう決めつけていた部分が大きかったんだ。


 わたしがここまで彼を毛嫌いする理由になったのは、前の世界の発言らしきものを口にした時からだった。


 ――アイツサエイナケレバ。


 ルイのイントネーションの若干違う音の列はわたしの元いた世界の、国の言葉のものにしか思えなかった。

 さらにそれに足して、ルイへ行ったを聞かされた時は、わたしは立ち眩みを起こしそうになるほど気が動転しそうになった。


 あの時は、若干の嫌悪感を含めながらもそういう弄りなのかとも思い直したりもしたが、そこからは日が経つごとに彼への疑心感が膨れ上がり、中身は厭らしい発情した男が幼いルイを手籠めにしようとしているのだと決めつけてしまったのだ。

 それが当時4歳という第二次性徴も迎えていない幼子だったとしても、だ。

 甘いマスクの下は醜い男のソレが隠れているのだと思い込んだから、その考えは一切代えられなくなり、毎日と怒りに震え上がったものだ。


 もう十年近くも前のこと? 執念深い? 

 ええ、お好きに仰ってくださいな。それだけわたしは許せなかったのだ。


 ――無理やり行為に及ぶ屑男が。


 それも前世でのわたしの最後のトラウマとも呼べる、あの思い出したくもない暴行未遂が関係してくる。

 嬉しいことにあの時の男の顔はすっかり消えてしまっているが、気を取り戻した後の寒気は未だに身体を襲う。

 シズクもそんな屑男と同類なのだと、わたしは勝手に決めつけていた。


 ……でも、実際は違った。

 記憶で見た彼はわたしが決めつけていた男とは違ったんだ。

 だって、シズクは結構顔に出るんだ。笑って怒って悲しんで、あの日見せた怖い顔はその後のルイの記憶には一度だって見せたことはない。

 これが猫かぶって本性を隠している、というならばわたしは男性全てを信じられなくなっていることだろう。


(猫を被るならまだ彼らの元主人の方が上手だったしね……)


 ゼフィリノス・グラフェイン。

 彼もまた、前の世界の住人だったのだろう。

 屋敷を出る数か月前に見た日記らしきものに書かれていたわたしの国の言葉と、その後のシズクの反応から彼もまた前世の人間だったと推測している。

 わたしは速読なんて技能は持ち得てないので、ぱら見したルイの記憶程度にしかその日記を読むことができなかったし、日記に書かれていた文字はあまりにも汚くてほとんどが読めなかったこともある。


 そんな彼はいくつもの顔を使い分けていた。

 あまりにも年齢とかけ離れた姿勢に誰もが皆秀才と言う言葉で片付けてしまったが、わたしには違和感の塊でしかない。彼の猫かぶりに比べたらシズクなんて可愛いものだった。

 わたしの記憶にはないけど、抜けている間にシズクが何かしらの決着をつけたという。


 そして、だって彼はまるで気が狂ったような表情をしていた。それだけ情緒不安定だったのだ。

 彼をそこまで追い立てたのは、その時に起こった事件がきっかけであることは直接目にして理解したことも大きい……。


 ――あの晩、シズクは……想像したくもない。


 シズクはルイを守るために身を呈してまで男の暴行を受けたのだ。ただ、実際は裏切られる結果となったみたいだけど。

 ルイはあの管理人の男と何かあったくらいにしか感づいていない。知りたがっていたけど知らずに終わったことは彼にとって唯一の救いかもしれない。


 シズクは間違いなくわたしの前の世界にいた人間の生まれ変わりだ。


 でも、彼はとても優しい人だった。

 ルイを第一に考える誠実な……とまではわたしからは言えないけど、それでも愛情を持って接している唯一の存在だった。


「……」


 百聞は一見に如かず。まさしくこれだろう。

 ルイの話越しではなく、直接見たことで状況を理解したわたしはこれ以上彼を責めることなんて出来やしない。本人たちでもない赤の他人であるわたしがこれ以上口を挟むものでもない、と少々頭も冷えたし――。


「どうしたの? 食べないの?」

「え、た、食べるよ!」


 なんて、ルイが心配そうにわたしを見ていた。

 ちょっと意識を遠くに持っていっちゃっていたみたい。


「食べるって……うん、食べる。……蜂蜜いっぱいかけてね」


 嫌なこと考えちゃった。小さな罪悪感がわたしの胸の中に渦巻く。

 忘れるためにも壺からたっぷりと並々に蜂蜜をかけて口の中に頬張る。

 ドナくんとレドヘイルくんが苦そうな顔をしてわたしを見るけど気が付かないふりをする。

 かけすぎ? しるか! なんでこんな幸せな気分の時に思い出しちゃったんだとやけ食いだってしたくなる。


(ん……フラミネスちゃん?)


 わたしがもぐもぐと蜂蜜を主としたホットケーキを頬張っていると時、前の席にいたフラミネスちゃんの愚行が目についた。


「フラミネスちゃん……」

「な、なに!?」


 フラミネスちゃんは自分の頬に蜂蜜を塗りたくっていたのだ。


「それは、意図的にやっても効果は半減すると思うよ?」

「なんのこと? フルオリフィアなんのこと?」


 その後、わたしの忠告も気にせず、見知らぬふりをしてシズクへとちらちらと顔を向けるけど、彼はまったく気にもかけずに結局自分で顔を拭く結果に終わったけどね。

 ああ、フラミネスちゃん残念。

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