第55話 前の世界の食べ物

 昼時のピークを過ぎたのか、わたしたち以外に客はおらず、待っている間も誰一人として来ることも無かった。


「おっまたせぇ~」


 皆の食事が終盤を迎えた頃、ようやく私たちが頼んだメニューは運ばれてきた。

 猫ウェイトレスさんは縦長のお盆の端を片手で掴んで、1つずつわたしたちの前へと丼ぶりを置いていく。

 細腕のどこにそんな力があるんだろう。お盆は震えることはない。


「……ラーメンだ」

「これがらぁめん?」


 メニューに書かれていた通り、ラーメンがわたしたちの前に並ばれていく。

 器には琥珀色のスープに太さがばらばらの黄色い麺。緑野菜のお浸しに叉焼チャーシューの薄切りが一枚といったわたしが頭の中で描いたものにかなり近いシンプルなラーメンだ。


「ラー……ふ、ふーん、これがラーメンね?」


 おっと危ない。さも知ってるような反応は駄目だよね。思わずシズクと同じく口にするところだった。

 シズクは当然のようにラーメンとので間違いはないと思う……2つの意味で。


 まさかこの世界でラーメンを口にできるとは。じゃあ、もしかして、ここの店長も前の世界の人だったりするの?

 ……いいや、そんなことは今はいい。


 みんなの料理に比べたら大人と子供くらいに小さいと思ってしまうが、今のこの身体では丁度良い。逆にみんなの方がデカすぎるくらいだ。

 最初はあまりのボリュームに若干の戸惑いを見せつつ、一度口に運べば忙しなく箸が動いていたのだが、今ではもうすっかり溜息が漏れている。


 ドナくんは3分の1ほど残して備え付けられた野菜を箸で転がしているし、フラミネスちゃんは3串あった鹿肉も2本目の最初で躓いている。

 レドヘイルくんなんて4分の1も減ってないように思える。

 これもわたしたちと亜人種の接種量の差かな。


 今じゃわたしたちのラーメンが登場したところで、何のリアクションもない。むしろ、目に入れるのもイヤだとばかりに視線を逸らされる。

 でも、これが逆に良かったのだろう。さも知っているかのようなシズクの独り言にも無関心とばかりに皆、意気消沈としている。

 

(皆には悪いけどわたしたちは今から楽しませてもらいます)


 わたしは箸を持ち、祈りを捧げる。ヨツガ様にいただきます。

 シズクも同じく箸を手に取ろうとする。

 目がきらきらと輝いている。ああ、すごい嬉しそう。


「……フォークとかない?」


 あら、ルイったら箸が使えないのね。


「シズクはいらないの?」

「そ、れは……あー……僕もフォーク貰ってもいい?」

「皆なんでこんな棒で掴めるんだろう? すごいよね!」

「うん、そうだね……」


 あ、ちょっと落ち込んだ。

 ラーメンは箸を使ってずずっとすするのが良いんだもんね。

 わたしたちの話を聞きつけて、猫ウェイトレスさんが直ぐに2本のフォークを持ってきてくれた。お客さんいないし、暇なんだろうなあ。


「じゃあ、いただきます」

「「いただきます!」」


 では実食――と、意気揚々とラーメンを楽しもうとしたのだが、現実はそこまで優しくないようだ。

 わたしは恐る恐る箸を器へと差し込み、最初に麺を掬う。

 箸の先でぶにょりとしたジェル状の感触を覚え、持ち上げたところでぷつんという弾力とともにいくつかの麺は弾け切れた。

 コシが無いんだろうか。最終的に持ち上げた麺は短い棒切れになった。うーん……?

 いいや、肝心なのは味だ。見た目じゃない……と、思ったんだけど口に運び咀嚼すること数回。


(……でろでろとしててぼそぼそとしている)


 麺は中まで火が通っていないのに、周囲が溶けだしている。

 塩味のスープが染み込んではいるが、茹で残りの汁らしき水っぽさも麺に含まれていて嫌な後味を遺す。

 また、スープは出汁を取っているんだけど一味足りない物足りなさ。


 唯一救い……なのかはわからないけど、野菜のお浸しと叉焼チャーシューはとても美味しい。野菜の茹で加減、寝込ませたのか柔らかく奥まで味の染み込んだ薄切り肉は舌の上を踊っていく。


 具はともかく、煮込み過ぎたインスタントラーメンを食べているみたいに思える。

 これはもう、はっきりと言ってしまえば……不味い。

 でも……。

 

「……っ……ずずっ……」


 以前食べたラーメンの記憶が美化され過ぎてしまったのかもしれない。とにかくこれは不味い。ラーメンとしてだけではなく、食事としても不味い。


 でも……それを抜きしたって、すごい、懐かしい。

 わたしは泣き出しそうになって慌てて鼻をすすった。


 以前の世界の、わたしの国の食事を口にしているのだ。涙腺が緩んでも仕方ないじゃないか。

 これがあれかな。海外生活が長かった人が久々に食べる故郷の味ってやつなのかな。


「……これがらぁめんかあ」


 ルイの感慨深いような呟きに、わたしはふと顔を上げた。

 ルイは美味しいとも不味いとも窺えない表情で麺を口へと運び続けている。

 シズクは……わたしとは違って耐えられずにぽろりと一筋の涙を流していた。

 わたしの視線に気が付いて頬を赤くして涙を拭く。大丈夫、見てるのはわたしだけだよ。


(……わかるよ。わかるわかる。その気持ち)


 天人族の料理はどちらかと言えば和食に近いものだった。わたしの堰が切れなかったのはそのおかげでもあるんだ。

 でも、シズクたちが食べてきたものは、ルイを通してそれはもうよく知っている。


 最初の頃の食事なんて不適切もいいものだった。味は知らないけど、見てて美味しいとは思えないものだった。

 奴隷として買われ、食事が激変された時は本当によかったと今なら思う。

 ただ、屋敷を出た後は質素な食事が続いたことも知っている。


 イルノート経由で食べれるからと虫型の魔物を口に運んだこともあった。

 お金はあるのに食事だけは手に入らずに、数日魔力で集めた水だけで過ごしていたことも知っている。過酷な旅だったよね。

 でも、そんな経験をしながらもルイは空腹に不満を一つも言わずにわたしといつも通りの会話をしてくれたんだ。


 2人にとって食事とは味を楽しむものではなく、空腹を満たせるか満たせないかってところが大きいのかもしれない。

 勿論、美味しいものには絶賛するけど、2人が不味いという言葉を使ったところを見たことは無い。

 そんな食生活を過ごしていた彼の感情をあふれ出すのは仕方ないのかもしれない。

 わたしたちは一度たりとも言葉を交わさず、食事を続けていった。


「……美味しくないでしょう?」


 三者三葉、思い思いにラーメンを食べていると、困った顔をしながら猫ウェイトレスさんがわたしたちに話しかけてきた。

 ええ、不味いです。でも、嫌な味でもありません。

 そんなことはない、と否定するもわたしのどっちつかずの表情から勘繰ったのか、彼女は苦笑する。


「いいのいいの。さっきの話は忘れちゃって。……そのメニューね、他のお客さんからも不評なの。時折物珍しがって頼む人もいるんだけどこれがまた酷い酷い。金返せ! って言うお客さんもいて店長と大乱闘!」


 ほら、あそこ……と猫ウェイトレスさんが指を向ける方向には修繕されてはいるが、争った跡らしきものが点々としている。

 年代は立っているみたいでつい最近のことではないみたい。


「でも、店長はメニューから外さなかったのよ。“俺はこのらぁめんをある人から教わったことで、料理人になることにしたんだ”って理由らしくてね」


 で、その教わった人っていうのは地上人らしい。らしいと言っても彼女はそれ以上は何も語らないし、掘り下げて聞くのも躊躇ってしまう。

 考えすぎかもしれないけど、わたしが別の世界の人だってことに触れる様なことはしたくない。ラーメンを頼んだ時点でグレーな気もするけどさ。


 その後、猫ウェイトレスさんの話はこのお店の乱闘話に向かっちゃって、箸の止まったドナくんたちが聞き惚れている間にわたしたちはラーメンを完食する。


「「「ご馳走様でした」」」


 美味しくは無かったけど頼んでよかった。

 また次の機会があれば食べてみようかな。お肉の方も食べてみたいけどね。出来れば味の改善を所望する。

 食事を見計らって、猫ウェイトレスさんがお茶を出してくれた。これもサービスだそうだ。

 ここまでしてくれなくてもいいのに? でも、今ばかりはそのご厚意に感謝だ。

 ラーメン組は口の中を整わせる意味で、3人は辛そうにお腹を摩りながらお茶を口に流していった。





「腹も満たしたことだと、これからの予定は何かあるのかよ?」

「そうそう! ごはん食べて終わりってわけじゃないんでしょう!」

「フルオリフィアちゃん……どこ行くつもりだったの?」


 ……そうだった。

 亜人族の居住区に行くことに夢中になっててすっかり忘れてた。

 3人とシズクとルイの視線がわたしに注がれる。ウリウリ……は、彼女は忙しいみたいなので見ないことにする。

 照れ隠しに1つ笑ってみると3人から盛大なため息が漏れた。


「い、今から考えるから! ちょっと待って!」

「レティ無理しなくてもいいよ? ぼくはレティに会えるだけで十分だったんだから」

「ル、ルイぃぃぃ……!」


 ルイ、ごめんよ。こんな後先も考えてないわたしを許しておくれ。

 肩を落とし落胆するわたしの手をルイが握ってくれる。目を細めて微笑んでくれるのだ。

 なんだやっぱりルイは天使か聖母か!?


「うう、ルイぃぃぃ!」


 思わずルイの身体をぎゅっと抱きしめてしまう。

 仕方ないじゃない。

 だって、ここには天使がおったのだ。聖母がおったのだ。

 歳は同じだけど……あ、ルイはまだ11歳だったっけ。

 わたしの誕生月は3之月だから、あと……って、そんなの関係ない! 

 天使がいたから抱きしめた。抱きしめる理由なんてそれで十分だ。

 にへらへらと口角を緩めて彼女のちょっと低い体温を堪能するのだ。


「……いつものフルオリフィアじゃない」

「へへんっ、何とでも言え! わたしはわたしがしたいことをするだけだ!」


 フラミネスちゃんが何か言ってきたけど構うものか。

 わたしはしたいことをするだけだ。

 勿論の常識の範囲内には留めるけどね。でも、の常識には囚われないよ!

 天人族が忌み避けている金魔法だって躊躇することなく学んだのだ。これもわたしが覚えたかったから。

 生前のわたしも今のわたしも衝動には弱く、身体が勝手に動くのは変わらないのだ! 


 ルイだってえへへなんて笑いながら私の抱擁を受け入れてくれるしね。

 ふ、そんな恨めしい目をしてもルイは誰にもやらないからな! ……けど、シズク。君は微笑ましく見ないでくれ。君から見られるとちょっと照れる。


 フラミネスちゃんが頬を膨らませて「もう知らない!」とばかりにわたしを見捨てた。あ、拗ねてるな。おもちゃを嫌々貸した子供の反応に似てる。

 フラミネスちゃんは拗ねながら、おもちゃ(わたし)の代用品として隣にいるシズクへとしな垂れかかる。


「じゃあ、シズク……さん、シズクさんは何かしたいことある?」

「……はあ。ん、僕?」


 ご満悦な表情でお茶を飲んでいた彼がちょっとたじろいだ。

 一応フラミネスちゃんが年上なんだけど、敬語で話しかけているのはシズクが年上と勘違いしているのだろうか。

 後で訂正してやろう。フラミネスちゃんがどんな反応をするか楽しみだ。でも、だからって上目遣いで見るのはやめなさい。


 勘違いされて後で襲われても仕方ない……って、違う違う! シズクはそんなことをする子じゃない! ……はずだ。

 そうだ、もうわたしは昨晩までのわたしではない。

 シズクを悪質に見る目はもう昨日に置いてきたのだ。


 ほら、シズクもその証拠にフラミネスちゃんの誘いに何の反応も示していない。ただ、食欲が満たされたことで満悦なだけかもしれないけどね。

 フラミネスちゃんがちらちらとわたしを見てくる。当てつけか何かか?

 これまた、年下の件を含めて、シズクが男だと知ったらどんな反応するんだろうね。


「ふふっ」


 シズクは柔らかく微笑んで――あ、こいつフラミネスちゃんを子供の駄々だと思ったな――駄々をこねる悪戯娘へと仕方ないなあとばかりの自愛を含んだ笑みを送ってる。


「そうですねぇ……うーん」


 と、いつもリコちゃんを可愛がるような手つきでフラミネスちゃんの頭を撫でた。

 記憶の中にあるとても優しい手つきだ。

 リコちゃんはあれで毎回気持ちよさそうに顔をとろけさせているのだ。

 あの指はきっとリコちゃんの愛撫で洗礼され、今では泣き叫ぶ赤子も泣いて喜ぶものへと進化しているのだろう。

 だが、そんなもので撫でられたらフラミネスちゃんが……!


「は、はぅ……シズクさん……」


 ああ、遅かった。シズクの頭撫では初見のおなごも悩殺するものか。

 悩ましげな吐息を上げる。また、彼の笑みを間近で受けて視界からも心を侵食されていることだろう。半開きの口が年相応のそれとは違う色香が見えたのは気のせいだと思いたい。

 そんな彼女にあえて言ってあげようか。いつものフラミネスちゃんじゃない、ってさ……。 


「……シズク」


 ふと、耳元でぽつりと声が聞こえ……っ!?


「……ぐえぇ」


 わたしの身体に突如として激しい痛みが襲いかかる。ルイが万力とばかりにわたしを締め付けだしたのだ。

 ああ、2人のやり取りを見てルイが目尻を吊り上げて睨みつけてる。


「ル、ルイっ! ごめんっ、ちょっと力抜いて!」

「…………あ、ご、ごめん! レティ大丈夫?」

「う、うん。大丈夫」


 なんて言いながら力を弱めてくれる。でも、抱擁は外さないけどね。

 あんな光景を見せられてルイの独占欲がめらめらと燃えるのは仕方ないのかな。

 いつか、彼女の欲は人を殺すかもしれない。


「むぅ……」


 まあ、わたしと違って初対面(わたしも同じようなものだけどさ)のフラミネスちゃんに警告なんてできそうにないだろうしね。

 もしかして、敵が現れたのか……なんて、フラミネスちゃんでは力不足だから安心をし。生まれてこの方一緒にいたわたしが言うのだ。彼女ではルイには勝てない。

 さて、ルイの視線に気が付くことなく撃ち落されたフラミネスちゃんへと唸り声を上げながらシズクが考え込むこと少々。

 「あ!」と何か思いついたのかシズクが一つ提案を上げた。 


「じゃあ、ギルドってどこにあるか知ってる?」

「ギルド?」

「うん、冒険者ギルド。知らない?」


 冒険者ギルド、ね。

 シズクたちの生命線とも言えるものだ。彼らの生活の殆どはこれで賄ってるんだよね。あのサグラントから出た後もちょくちょくお金を稼いでいたことは知っている。

 でも……。


「うーん、商業ギルドとは違うんだよね? じゃあ、私は知らないかな。ドナくんやレドヘイルくんは?」

「なんだそれ。俺はそんなの初めて聞いた」

「……僕も、商業ギルド以外、知らない」


 3人は首を振る。勿論わたしも同じく。

 わたしの知る限りでは天人族の居住区にはそんな建物はない。 

 あったら、ドナくんが一度は騒ぐはずだしね。あったとしたら、絶対冒険者になりたいって喚くはずだしね。


「冒険者ギルドなら魔人族の居住区にありますよ」


 そこで口を挟んだのはウリウリだ。

 実は先ほどから今までずっと用意されたサンドウィッチと格闘していたことは誰も目に留めないようにしていた。

 すごい苦い顔をしながら無心で口に放り込んでいたのは見ていたけど、まさ完食するとは。

 顔はすまし顔だけど、ちょっと青白いのは食べ過ぎのせいかな。今もカップを持つ手が若干震えている。


「本当ですか?」

「ええ、取り壊されていなければそこにあるはずです。ですが、何故冒険者ギルドなど? 子供であるあなたには必要ないでしょうに」

「え? それってどういうこと?」

「火遊びに憧れるのもわかりますが、まだ子供なのですから冒険者ギルドなどというものに関わるのはよしなさい、ということです」


 ああ、言わなかったわたしも悪かったけど、多分ウリウリは2人が誰かに連れてきてもらったと思っているのだろう。まあ、一応保護者なのかはわからないけど、イルノートって人がいるはずなんだけどね。

 妙に言葉の端に棘が見え隠れする。まだシズクのことを敬遠しているのかな。


「僕らはここまでギルドで依頼を受けながら旅をしてきました……と言っても?」

「ええ……にわかには信じられませんね。では、証拠となるものを見せてもらってもいいですか?」

「証拠となるかはわかりませんが……」


 するとシズクは赤いカードを取り出し、ウリウリの席まで向かって手渡した。

 確かギルドカードだっけ。


「ルイもあれ持ってるんだっけ?」

「あるよ! レティも見る?」

「うん、お願い」


 そう手渡された赤いカードは記憶の中で見たものと同じだ。

 ただ、少しひんやりと冷たいものというのは今初めて知った。気のせいかもしれないけどまるで手に吸い付くかのような感触だ。

 自分たちもとドナくんたちが身を乗り出したのでわたしはテーブルの中心に皆に見えるように手を伸ばした。


・登録名 ウォーバン

・段 位 赤

・種 族 天人族

・性 別 女

・年 齢 11歳

・達成数 13(昇格まで残り137)


 確か段位の色は緑、黄、青、紫、赤、黒、白の7色だったから上から3番目だ。まあ、3番目だとしても、赤段位がどれくらいすごいかは今一わからない。

 話を聞いても、それまでの経験を見たとしても、わたしには彼らが余裕に依頼をこなしていったのを見続けていたためだ。

 これも彼らが絶え間ない魔法の練習のおかげだということは知っているけれども。


「まっかっか。私の髪みたいにまっかっか」

「んで、これがなんだっていうんだ?」

「なんだか……きれい……」


 ギルドのことを何1つとして知らない3人は文字の書かれているカードくらいにしか思わないんだろうな。

 ウリウリへと視線を向けると、まじまじと見る見る中に、ぴくりとわずかに目が見開き首を振る。

 再度その箇所を見つめて、眉を顰めた。


「……あなた達がギルドを活用していたということは一応認めましょう。……ですが、このジグと言うのはなんですか?」

「登録には自分の名前を使わなくてもいいと説明されたので他人の名前を借りてます」

「偽名……ですか?」

「はい、ちょっと名前を隠さないとならない時期がありまして、僕がジグ、ルイがウォーバンと……」

「ウォーバン!?」


 と、ここでギスギスとした2人の会話を止めるほどに、驚嘆したのは蚊帳の外にいた猫ウェイトレスさんだ。

 厨房から顔を覗かせている。やっぱり暇なんだろうか。仕込みとかは手伝わないのかな。もしくはやり途中だったのかもしれない。

 それにしたってちょっとお客さんとの垣根が全くと言っていいほどない。あ、別に嫌じゃないよ。


「ちょっと店長ー! 話聞こえてるんでしょうー! ちょっと来て、早く来てよ!」

「……たくっ、るっせーぞ! ネニア! お前の声は一際でけえんだからそう喚くんじゃねえよ!」


 猫ウェイトレスさん……ネニアさんって名前か。

 彼女の呼び声に厨房の奥から怒鳴り声と共に、ネニアさんに呼ばれた店長さんが姿を見せる。


 ――でかい。


 奥からはわたしがウリウリに肩車しても届かないであろう程の大男……いや、ライオンの頭をした男が片足を引きずりながら姿を見せた。

 金色の体毛に覆われた慧眼のライオン男だ。

 赤黒い鬣が歩くたびにさわりと揺れる。

 あれ、この人……わたしはどこかで見た覚えがある。


「さっきからうるせぇ客だな! ……ちぃっ! 何だ、その顔は!? お前ら俺に何か言いてえことでもあるのか、ええ? 長耳さんたちよ!」


 わたしたちの視線に不愉快に怒鳴り散らすライオン男……いえ、店長さんだ。

 そりゃあ驚くよ。

 こんな大きな獣人に間近で顔を合わせているんだもの。

 同じ里に住んでるからって、わたしは彼らとこんな近くで対面することは今まで一度も無かった。あるとしたら亜人族の長である熊さんくらいだろうか。


 ぐるる、と喉の奥から唸り声を上げながらわたしたちを威嚇するその姿は以前動物園で見たライオンその物にしか見えない。

 いやあ、柵を挟まずに対面するライオンとか、かなりすごい体験をしているのでは? ……なんて、そんなことこの場所では殴られても文句は言えないどころか、噛み殺されかねないので絶対に口にはできないけど。

 わたしたち四天の子らは揃いも揃って思わぬ人物の登場に体を硬直させる。

 だが。


「え?」

「えぇっ!?」


 ただ、この場で2人、いや3人だけがわたしたちとは違う反応を見せていた。

 まず当然とばかりにウリウリ。大人の貫禄とばかりに涼しい顔をしてお茶を飲んでいる。きっとこれも彼女なりに遭遇すると見通していたんだろうね。

 これはちょっと例外かな。


 だから、残りの2人。

 シズクとルイは恐れとか怯えかそういうのとは違った色を乗せてライオン店長を見つめ、重複するように同時に声を上げた。


「「ウォーバン!?」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る