第51話 シズクの勘違い
いつも以上に眩く感じる月光が闇夜にいるわたしたちを照らす。
おかげ……という訳でもないが、不本意ながら抱きついてしまったシズクの顔を伺うには十分なくらいだ。
小顔で中性的……って言うよりも女性寄りの端整な顔立ちに、抱きついてわかったけど予想通りの華奢な身体をしている。こいつは女の子で断然通る。
まさか目の前の黒髪ポニー少女もとい、ポニテ少年がシズクだったとは……。
じゃあ、足元にいる大型犬みたいなこの子が話に聞いていたリコちゃん?
「うあわ……シズク。君がシズク……シズク……」
目の前の少年の名を繰り返す。
まさか、話に聞いていた通りの人だとは。本当……驚いた。
ぼくのシズクはとっても綺麗でカッコいいんだよ! なんて、ルイの身内贔屓な話だとばかり思ってたよ。
ただ、中身がどうしようもない変態だと思うとやるせなくなるけどね。
その証拠に今もわたしの顔をじろじろと舐め回すように見てくる。
品定めだろうか。そんな流し目で見られたりしたら、勘違いする子だっているでしょうに。
いったいどれだけの女の子を騙し、その毒牙にかけてきたのかしら?
ルイが知らないだけで、絶対酷いことをしているに違いないわ。本当に許せない。
(くそう……私の感動を返してほしい)
ぐっ! っと目に力を込めて彼を睨み付けてやった。
が、そいつは目を細めて笑いかけてくる……いや、小馬鹿にしたように笑ってくる。
「レティって、もう! 冗談なんて言ってないで……って、何怒ってるの? わけがわかんないんだけど……。ルイ、いったいどうしたの? レティには会えたの? それに後ろの人は……あ、もしかして、その人がレティ? 僕が思ってたよりも年上だったんだね」
と、シズクはわたしの後ろに控えていたウリウリへ顔を向けながら言う。
「……ちょっと、いったい君は何を言ってるの? 彼女はわたしの護衛よ」
「護衛? 護衛って訳がわからないよ。レティじゃないの?」
「だから、わたしがレティだって!」
訳がわからないのはわたしの方だ。
わたしがルイだって? は? 彼の言っている意味がわからない。いや、話が噛み合ってない、のかな?
わたしが聞いていたシズクはもっと賢明で、ちょっと意地悪で、意地っ張りだったはずだけど? 何この違和感は?
彼はまるで捨てられた子犬を見るかのような視線をわたしに送ってくる……って! 何だ、そのかわいそうな目は!
「もう、また変なこと言って……ルイ、大丈夫?」
「だ――! だから、わたしはルイじゃないって! 君はなんでわたしとルイを――」
「――黙って。動かないの」
――勘違いしているのっ!?
なんて抗議しようとしたら人差し指を口に押し付けられた。
「……ひっ!」
シズクったら警戒心を微塵も感じさせない動きでわたしの懐に忍び込むと、自分の前髪をかき上げてその綺麗な顔を近づけだす。
そして、シズクは両目を閉じ口を噤み、おもむろにわたしの顔へと距離を縮めてくる。これではまるで……!
(なっ、なんだなんだ!! ちょっと待ってくれ! 状況が呑み込めない!)
おい、まさかこんなこと! 待て! シズク! 待て待てって!
お前は初対面の人間でもお構いなしなのか! って、違う! こいつは今わたしを何故かルイって思ってる!
ええ、ではルイ! まさか、いつの間にそんな間柄になってしまったんだ! わたしは一度だってそういうことがあったって話は聞いてないぞ!
――そう、そう! いつの間にキスをする仲になった!
わたしは許してないぞ! ルイ! もっと自分を大切にしろ!
って、だから、ちょっと待って! わたし、キスなんてまだまだ……! 確かにしたいって願ったけど、けど! それはお前じゃないから! お前じゃないんだぁぁぁ! うわぁぁぁん! もうやだ! なんだこの展開はぁぁぁ――!
って、長々と胸のうちで抗議をしてみたものの、わたしは突然の出来事に思わず身構えて目をぎゅっと閉じてしまった。
無理やり抵抗すればよかったのに、わたしの身体はシズクと言う蛇に睨まれて石のように硬直してしまったのだ。
そういえば、石化は乙女の接吻で溶けるものだと聞いているが……あ、丁度良い具合に目の前には可憐な少女……って、シズクぅぅぅ!!
やばい、何だこの長い思考は。走馬灯か? これは命の危機なのか?……違う、貞操の危機だ!
(さ、さようなら私のファーストキス……)
まるでまな板の上に乗せられたなんたらのよう。
成す術も無く、観念して……ぎゅっと目を強く瞑る。
もう終わりだ――。
「んー」
――こつん、と硬いものが触れる。湿り気のある暖かなものが……おでこに。
そう、額にだ!
「熱は無いみたいだね。長旅で疲れたのかと思ったけど……」
手の平を挟んだ程度の近距離にいる彼の顔を間近にして、またも身体が硬直する。石化2倍だ。
現在、彼は自分の額をわたしの額に引っ付けているのだ。
(まるで……というか、これは熱を計っている、でいいんだよね……)
わたしこの方法っていまいち理解できないんだけどどうなんだろう。おでこで熱を測るって高熱の場合はわかるかな。そんな人と触れ合ったことないからね。
こんな経験、今まで一度も……あ、いや。2回ほどあったわ。あの時もこれって意味あるの思ったり……って違う。そんな前の話は良い。思い出して涙が出そうになる。
「じゃあ、なんだろう。変なものでも食べた? わたしって言葉遣いも……。それにその恰好はどうしたの?」
「こ、これは普段着――」
「いつの間にそんな服買って……あ、ははーん? だから1人にしてって言ったんだ。てっきり僕とイルノートに合わせるのが恥ずかしかったのかと思ってたけどそういうことね?」
なんだなんだ?
1人で頷いて納得して、ちょっと人の話聞こうよ。
というか、話させてよ!
「うんうん、すごい似合ってるよ。ちょっときわどいように思うけど……でも、待ち合わせの橋は馬の銅像があるあっちでしょ。こっちは蛇じゃん。新しい服を1番最初に見せに来てくれたのは嬉しいけど、入れ違いになったらどうするのさ」
「入れ違い? ってこっちが蛇!?」
「そう、レティは馬……あっちの橋って言ったんでしょう?」
え、え、え。
「し、しまったぁぁぁ――っ!!」
ウリウリの言っていたことは正しかったんだ!
ああ、だからこっちにシズクがいたんだ。多分、様子見でこの橋からあっちの7つ目の橋を窺っていたんだろう。
その場に膝をつき、両手を地面につけた。
肩を落として自分の愚かさに嘆くしかない。
なんて失敗を犯してしまったんだ……!
落ち込むわたしにシズクがぽんと肩に手を置く。
「ルイ、大丈夫? そんな奇声上げて……やっぱり一緒について行こうか?」
「もう……だから……だからわたしがレティって……」
「……あのね。今更そんな嘘ついても駄目だよ。僕が生まれてからずーっと一緒にいるルイを見間違えるわけないでしょう!」
「だ――! だから間違えてるんだってば! 逆になんであんたはわたしをルイって思うのよ! もう! ちゃんと見なさいよ!」
なんて立ち上がって彼の顔を睨み付ける。
彼の視線がわたしの顔を万遍なく移動するけどもう動じない! こっちはもう色々あって訳わかんないんだからね!
でも、シズクの反応は口を曲げるだけ。
「……ルイじゃん?」
「レティだってば!」
「もう! 聞き分けのない!」
「どっちが……あっ!」
噛みつこうとしたのに……彼の起こした行動で閉ざされることになった。
「ひぎゃっ! な、何するのよ!」
「何って、いつもしてるでしょ? たた、今は聞き分けの無いルイのお仕置きかな?」
びりっとした痺れる感覚が全身を襲う。
耳だ。耳からきた。
背中を指圧された時の痛気持ちいいあの感触が耳から襲ってくる。
この男ったらわたしの耳をいきなり掴んで握ってきたのだっ!
なんだ、セクハラか!?
「あ……っ! ちょっ……とっ……あ……ぁんっ……んっ……や、やめっ!」
「ほーら、もう変なこと言わないの!」
「あっ……あっ、あっ、んっ、やめっ、ぁんっ、たすっ、たすけっ、てっ!」
酷いよ! なんか変な声出るしやだっ! 恥かしいっ!
耳なんて誰にも触らせたことないのに!
やっぱり変態だ! こいつは正真正銘の変態だ! わたしの反応に笑みを浮かべて悦ぶ女の敵だ!
誰か! もう! 我慢できない! 誰か助けて……!
「フルオリフィア様っ!」
わたしの祈りが届いたのかウリウリがわたしたちの間に入ってくれた。
彼女から仄かに風を感じる。差し込んだこの手には風魔法がかかっているんだろう。
(よかった……助かった……あのままいってたら私はいったいどうなってたことやら……?)
ありがとうと伝えようとウリウリを見上げると、彼女の目は今まで見たことがないような程吊り上がっていて、額には青筋すら浮かんでいる。
あ、これ、本気で怒ってる?
「やめなさいっ! あなた無礼にも程がありますよ!」
「……は、え? えっ!?」
変態が驚いている!
わたしはウリウリの背に隠れてシズクを睨み付けた。
ふん、どうだ! この腐れ外道め!
女の子の耳を乱暴に扱うなんて、正気の沙汰じゃない! 小児性愛者に続いて耳フェチね。ありえない。信じがたいフェティシズムだわ!
……はっ!
そういえば、さっきいつもしてるとか言ってたわね。まさか、こいつ今のをルイにもしていたったことじゃない! ……許すまじ!
「フルオリフィア様、この少女……が約束していた例の?」
「いいえ、違うわ。初対面で断りもなく人の耳を触る耳フェチよ」
「……何?」
「ちなみにそいつ男だから」
「何ぃぃぃいいいっ!?」
ウリウリの身体もまた先ほどのわたしと同じく硬直し、肩を激しく震わせる。
見上げると信じられないとばかりに驚愕した面持ちになっている。動揺がすごい。
『え、あれが男? こんな綺麗な子が男なんてありえない……』そんな表情だ。わからない? でも、わたしはウリウリの表情からそう感じ取った。
わたしも思ったのだ。ウリウリが思わないわけがない。
見上げるわたしと目が合うと直ぐに正気を取り戻し、再度怒気を露わにシズクへと視線を向け直した。
「ごほん。では、改めてもう一度……貴様、覚悟は出来ているか……!」
「……えーっと、誰……ですか?」
「黙れ下郎! 貴様に名乗る名など私には持ち合わせいない!」
やだ……ウリウリかっこいい……!
ぴしゃり! とウリウリが喝を入れシズクへと風の纏う手を向ける。
シズクはそれに気が付いたのか、一歩後ろに下がった。
足元にいたリコちゃんも同じく後退し、シズクと並んで小さく唸り声を上げる。
後を追うようにウリウリが一歩足を前に進め、シズクたちへと手を伸ばして差す。
そして、ウリウリの啖呵がまたも開く!
「気安くフルオリフィア様の身体に触れるなど、ましてやこの可愛らしい耳をぎゅっぎゅっだと……! 私ですら畏れ多くてまだ触ってもいないというのに!」
「え……? ウリウリ……?」
あれ、今何か聞き捨てならないことを言ったよね……?
やだ……ウリウリも耳フェチなの……?
「し、しかも、おっ、おとっ、男だとっ!……貴様ぁっ! 私を誑かそうったってそうはいかないぞ!!」
……あれ?
「ウリウリ……誑かされそうになってるの?」
「……っ! ……こ、言葉の綾ですっ!」
「………………そう」
「何ですか、その間はぁぁぁっ!!」
こんなウリウリ初めて見る。
人前なのにわたしの前でしか見せない感情が一気に溢れてる。顔真っ赤だよ……。
(……駄目だ。勝てる気がしない)
目の前のシズクはぽかーんって口を半開きにし顔を崩してるけど、あんなのでも一応冒険者。毎日コツコツだとはいえ、15リット金貨を貯めたほどの実力者だ。
ルイからは依頼話を何度も聞いたし、どこまでが本当かはわからないけど嘘をついてるとも思えない。
それに比べて、ウリウリの実力なんて今まで見る機会なかったからな……。
風絶のウリアなんて呼ばれていても、それがどれだけすごいのかもさっぱりわからない。
もしや、ただ人付き合いが下手なだけなんじゃ……うわあ……。
これはウリウリが向かったところで負けるところしか想像できない。
わたしの憐みを感じ取ったのか、ウリウリはがーんと擬音が聞こえてくるほど顔を歪ませて口を開けた。目に涙を滲ませてまたシズクへと顔を向けて睨みつけた。
もう迫力も何もあったもんじゃないね。
「これも全て貴様のせいだっ! 何とか言ってみろっ!」
うわ、責任転嫁。
墓穴を掘ったのはウリウリなのに……。
どうしよう。わたしの中にいるウリウリの凛々しい姿がひび割れていく。
押し付けられたシズクは頬を指で掻き、
「……え、っと、はい。じゃあ……本当に、ルイじゃないの?」
なんて言う。
ああ、すごい。悪気がこれっぽちも感じない。
――ぷちん。
そう、音が聞こえた気がした。
ウリウリが肩を震わせて俯き、きっと目を見開く。あ、これ周りが見えてない。
「フルオリフィア様だぁぁぁっ!!」
ウリウリ叫びながら腕に纏っていた風塊をシズクへと放――うわ、やっちゃった。
シズクは両腕を顔の前で合わせて魔法を受けるけど、足の踏ん張りが効かなかったのか、こてんと後ろに吹き飛ばされた。そこをリコちゃんが飛び跳ねてシズクの襟元を噛んで運び、近くへと着地した。
「ありがとう。リコ」
「みゅうみゅう!」
シズクはリコちゃんの頭を撫でた。
あ、いいな。リコちゃんすっごい嬉しそう。
いいないいな。真っ白な体毛と真っ赤なマフラーみたいな毛皮は気持ちよさそう。後で触れないかな……。
ひとときの戯れを終えてシズクは立ち上がると、凛とした面構えでこちらに構えを取り始める。臨戦態勢だ。
同時にリコちゃんが唸り声を上げて睨みつけてきてる。
うーん……わたしが嫌われていないことを切に願う。
「逃げるな! 私と戦え!」
「いやいや、ウリウリ。後ろに退かせたのはあなたじゃない?」
「な……!」
吹き飛ばしたのはウリウリのせいだしね。それを逃げるってどれだけ頭に血が上っているのよ。またウリウリの欠点が出た。
さっきからそんな驚いてばかり。表情筋大丈夫? 明日筋肉痛になっても知らないよ。
怒ってるのか悲しんでるのかもうぐちゃぐちゃで泣きそうな顔してるし……。
「もう! フルオリフィア様はどっちの味方なんですか! 私これでも嫌がるフルオリフィア様を助けに入ったんですよ!」
「確かにそうなんだけど……」
この場合はね……なんだか全面的にウリウリが悪いような気がしてきて……。
なんてことは言えないから、ごほん、と咳払いして濁す。
いかんいかん。もっと冷静にならないと。
人が熱くなっているところを見れたおかげか頭が冷えた。ウリウリには感謝しよう……。
顔を引き締めてわたしはウリウリの前に出る。ウリウリがわたしを制するけどその手を優しく払う。
「お見苦しいところを見せてすみません。今一度言います。わたしの名はメレティミ・フルオリフィア。ルイではありません」
「……本当に?」
「本当に」
さっきから何を勘違いしているのやら。
ただこうでもわたしから動かないと、本当にウリウリとシズクが戦いそうになるしね。
こんな場所で2人がドンパチ起こしたら近所迷惑どころじゃ済まなくなる。
「一応確認します。君、いえ、あなたはシズク……でいいんですよね? ルイと同じ場所で生まれ育った、と聞く……?」
「……はい。僕がシズクです。でも、メレティミってどういう?」
「レティはメレティミの愛称です。なので、ルイにはレティと名乗っています。また、母にはそう呼ばれていました」
「ああ……はい。なるほど。いつもルイがお世話になってます」
なるほど、なんて口では言うけど、彼はまだ納得はいってないみたい。それでも、ぺこりと小さくお辞儀をしてくれる。
これだけ見れば好印象間違いなしなのにね。
でも、わたしはそんな彼の非道な行いを知っているのだ。
これは言わば彼の表の顔。騙されてはいけない。一体中身はどれだけどす黒く濁っているのやら。
「いえいえ、そんな……あなたの話は色々とルイから伺っています。そう、“色々”とね?」
厭味ったらしく色々ってところは強調する。
どうやらわかっていないようで彼は首を傾げる。
「へえ……そうなんですか。いったいどんな話を?」
あ、聞いちゃいます?
彼にとっては他愛無い話だったと思うけど、わたしにとってはとても重要な話でもある。会ったら問い詰めてやろうと思っていたことだ。
ではお言葉に甘えて……。
わたしは満面の笑みを浮かべて口を開こうと――その時だった。
『しつこい! だから、ぼくはフルオリフィアじゃないって!!』
ここから100メートル近く離れていると言うのに、隣の橋の方から叫びに近い少女の声がはっきりと届いた。
思わずウリウリと顔を見合わせてしまう。なんだろう?
あーあ、糾弾する機会だったというのに。
この話はまたになりそうだ。もうわたしを含めた3人と1匹の視線は橋向へ向けられている。
「今の声はルイ? じゃあ、本当に……っ! もうっ! なんだっていうんだよ!」
そう、わたしに一瞥をくれてから愚痴をこぼしてシズクが一目散に声の方へと駆けだした。
続いてリコちゃんも彼の後を追う。
「やっぱり、今の声がルイだったんだ……」
わたしはと言うと、まるで他人事のようにシズクの後姿を見送っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます