第48話 テイルペアでの休日

 港町ネガレンスに着いて早々にシズクたちはゲイルホリーペに向かう船の手配に向かったが、次に出航するのは10日後だと知らされた。

 月に一度の定期便ということで、こればかりはどんなに急いでいようとも仕方がない。

 ということで、彼らはこの町で休暇を取ることにした。


 目の前にはコバルトブルーの澄み切った海。港から少し離れたところには白い砂浜。

 はしゃぎ声を上げて海へと入る子供たち。浜辺で肩を組む若い仲睦ましい男女。パラソルを開いて日陰で海を眺める老夫婦。

 現地の人か、もしくは旅行者か。笑い声を上げながら思い思いに海を楽しんでいる。

 その様子を遠くから荷運びに汗を流す丈夫が恨めしそうに視線を向けて、また仕事へと戻った。





「……私は宿に篭る。今からこの部屋に魔法をかけるから夜になるまで部屋は開けるな。冷気が逃げる。金は渡しておくから食事は勝手に済ませろ」


 そう久々のベッドにうつ伏せになってイルノートは借りた部屋から2人と1匹を追い出した。

 今回の宿はシズクたちが頑張ってお願いしてリコも一緒に泊まれるように手配した。


 やはり、リコの姿を見て宿の亭主は良い顔はしなかった。恐怖がわずかに顔に張り付いてもいる。

 リコが暴れて問題を起こすことを懸念したのだろう。他の町でもそうだった。

 だから、そこは自分が敵意を持っていないことを示さなければならない。

 床にごろんと腹を見せたり、シズクやルイの指示通りに動き従う。

 自分が賢いところを見せると人によっては考えを変えてくれるものもいる。ここの亭主もどうにか納得してもらえた。


(2人の前ならば尻尾を振って、どんなことだって喜んでやってやる)


 ……見知らぬ、しかも嫌なものを見るかのような目をした人の前でこの行為をするのはリコにとって侮辱以外の何ものでもなかった。

 だが、自分が泥を被れば済むのなら安いもの。我慢しながら芸を披露してみると、どうにか好評を得られたらしい。さらに上乗せして代金を払えば今度は上機嫌で部屋へと通してくれた。


 けれど、2人と1匹は休む間もなく部屋を追い出されて日差しのきつい外へと赴いた……。

 ルイも残ればいいのに、シズクたちと同行を願って今に至る。休むよりも好奇心が勝ったらしい。


 繁華街を歩く時、リコはシズクとルイの間を出来るだけ身を縮めて歩くことにしている。

 他の町でもそうだったが、自分たちはどうやら目立つらしい。

 通る人全員に3度見するくらいには驚かれる。


 まず1度目にリコを見て、クレストライオン!? と驚き目を見開く。

 次にリコを挟んでいる人物、ルイかシズクのどちらかに視線を送ってぎょっとする。最後に見なかった片方へと視線を送ってまたぎょっとする。これで3度。


 どうやらうちの子たちの器量は随分と優れている、ということは理解している。

 自分への嫌な態度のことを抜きにすれば、すれ違う人の反応にリコはご機嫌になる。


 リコにとって人の見分けはシズク、ルイ、イルノート。この3人以外はどうでもよかった。時には同じように容姿の整った人にもすれ違うが、身内贔屓をしても彼ら3人に並びたてる人は滅多に見たことがない。

 人々の注目を浴びても動じないうちの子たちをリコは誇りに思う。 

 ただ、それはルイに限った話で、シズクは自分ではなくルイやイルノートが見られていると思っていることをリコは知らない。


 また、自分が注目されていることも理解している。リコはクレストライオンだ。

 ただし、テイルペアに普通に暮らす人が遭遇することはまず無いので、リコ単体を見た場合「まさか?」と思っても即座に頭を振って「こんな場所にいるはずがない」と考える人が大半であったことも幸いした。

 まだ鬣が生え揃っていないこともに似たもので留まっているとリコは考える。

 何より獰猛なクレストライオンが子供と一緒に仲良くお散歩をしているのだ。

 シズクとルイに、いや、人にこんなにも懐いている魔物なんているわけがない。きっと、クレストライオンに似た見たこともない愛玩動物だ。

 そう思わせることが出来れば上出来だ。


 ただし、それは今に限ったこと。

 大きくなってしまった自分はいったいどこへ行けばいいのだろうかと悩むこともあったが、その時は何も言わずに去るのが一番かもしれない。

 寂しくも感じるが、その時が来たらリコは何も言わずに出ていこうと考えている。


 しかし、それは先の話だ。今はこの2人を見守っていこう。

 だから、今は、今の話をしよう。


「じゃあ、どうしようか。ルイ何か提案ある?」


 と、シズクが口を開いた。

 リコはシズクの顔を見て、それからルイの顔を見る。

 ルイの顔は華やいだように笑顔を浮かばせていた。


「海! 海で遊ぼうよ! ぼくずっと海に入ってみたかったんだ!」

「まあ、こんなにもきれいな海があるんだからそうなるよね。でも、深いところには行っちゃ駄目だよ」

「シズクだって奥まで行っちゃだめだよ。ぼくら2人は泳ぎ方なんて知らないじゃない」

「ふふ、どうかな? もしかしたら、僕は泳げるかもしれないよ?」

「嘘だね! シズクが知ってるならぼくだって泳げるよ!」

「みゅう……」


 また始まった。

 リコは「まったく仕方ない2人だな」と言わんばかりに「みゅみゅみゅみゅう……」と鳴く。

 2人はことあるごとに言い合いをする。しかしリコは止めるでもなく、困った子たちだと微笑ましい気持ちで見守ることにしている。これも2人の仲がいい証拠だ。

 

 2人は言い合いながらも浜辺近くの服飾屋へ向かって水着を購入した。

 リコは店の中には入れなかったので、入口の邪魔にならないところに座って大人しくすることにした。通り過ぎる人がやはりリコに注目するが、身動きせずに一つせず危害は加えない、と態度で示す。

 店の中から楽しそうな声が耳に届く。


(いいな。リコも入りたいな)


 でも我慢。

 ここで迷惑をかけて3人が町から追い出されるのは勘弁だ。


「みゅうぅぅ……」


 一つ鳴く。

 仕方ないとはいえ、少し寂しい。


「ねえ、本当にそれでいいの? ちょっと肌出しすぎじゃない?」

「これがいいの! お店の人もお勧めしてくれたしね! 逆になんでシズクは勧められたの着なかったの?」

「僕は男の子だって! ビキニなんて着れないよ!」

「メイド服は着てたのに?」

「あれとこれとじゃ話は別でしょ!」

「えー……絶対似合うのに……」

「ルイは僕をどういう目で見ているのさ!」


 それから、3人の通りすがりがリコを見て3回同じ反応を見せたところで、やっと2人の買い物は終わったようだ。


「みゅうっ!?」


 が、店から出てきた2人を見てリコは驚いて声を上げてしまった。

 いつもの2人じゃない。

 いつもはポニーテールにしているシズクの黒い長髪は後頭部で折り纏めて団子になっているし、いつもはそのままにしているルイの青い長髪は左右2つに縛ってのツインテールだ。いつもの彼らの髪型じゃない。

 何より、2人の恰好が変わっている。

 なんだこの格好は。もう裸じゃないか。

 追い剥ぎにでもあったのかとリコは店へと睨みつけそうになるが、2人の表情からはそう言ったものではないことが読み取れる。現に身に付けていた服も今は2人が抱え込んでいた。

 しかし、2人はほとんど裸であることには違いない。


 シズクは上半身裸で、下は膝上程度の青いズボンを穿いていた。これはまだいい。

 ルイは水色の三角形の布を上下に身に付けていた。なんだそれは。

 それでは下着と同じではないかとリコは思う。


「お待たせ、リコ!」

「みゅ、みゅぅ……」


 人というものは身体を隠すものだということは昔から知っているので何とも言えないが、そんな姿を晒すなら自分と同じく裸でいいのではないか。

 しかし、本人たちはそれでいいらしいので、リコはただみゅうと鳴いて浜辺へ向かう2人の後をついていくだけだ。

 無論、リコは納得はしないが。


「よぉし! シズク! リコ! 遅れるなー!」

「あ、ルイ! ちょっとは片付けてから行きなよ!」


 浜辺に降り立った後、脱いだ衣類なんかの手荷物を適当な場所に置くと、ルイは一目散に砂浜を駆けて海へと向かっていった。

 追いかけっこ……!

 ルイはリコに続けと言った……!


「みゅみゅうぅぅぅ!!」


 リコも本能には逆らえずにルイの後を追っていった。ただし、ルイには追いつけないだろう。

 ルイの足は速い。昨日まであんなに熱に弱っていたというのに、海を前にした彼女はすこぶる快調のようだ。

 彼女が走った後は舞い上がった砂だけが残る。そして、満ち引く潮の手前で大きくし、その奥へと水飛沫を上げる。リコも遅れて海へと飛び込む。

 ルイは海面から顔を出して、しょっぱいと唾を何度も吐いた。リコも口に侵入してきた初めての海水に思わず咳き込む。

 シズクはのんきに歩きながら身体を捻ったり伸ばしたりしている。

 

「ちゃんと身体ほぐさないと怪我するよ。水辺の事故は危ないんだからね」

「大丈夫! その時には魔法使ってどうにかするから!」

「そう言う話じゃないって! まったくもう! 足が攣っても知らないからね!」

「いいから早くシズクもおいでよ!」


 呼ばれて気怠そうにシズクもひょいと大きく宙にルイとリコの下へと飛び込んでくる。必要以上に水飛沫が上がり、リコとルイへと襲いかかった。

 これにはルイとリコも目をぱちくりと瞬きを繰り返す。

 びしょ濡れになった2人へにやりと意地悪そうに笑ったシズクを見て、ルイはぷくっと頬を膨らませるのは直ぐだった。


「もー! やったな!」

「みゅうみゅう!」


 今度はシズクが海水にまみれる番だった。

 ルイは両手で水を掬い上げて、リコは後ろ足で蹴って水を巻き上げる。


「ちょっと、やめて! やめてったらっ!」

「へへん! 全部シズクが悪いんだよーだっ!」

「みゅ~う!」


 ルイとリコの猛攻からシズクは背を向けて逃げ出し、2人はその後を追う。

 後には海辺を走る2人と1匹と言う図が出来上がっていた。


 そんな彼らを見つめるのは他の利用者たち。

 シズク、ルイ、リコ……彼らはその場所で異彩を放っていた。


 裸体に近い姿で幼くも美しいの少女に、大きな白い獣が1匹。

 まるでおとぎ話に語り継がれる妖精のよう。あどけなさを残しながらも妖艶を秘めたその笑みに誰もが身体を震わせる。

 顔を寄せて語らう恋人も、日陰で海を眺めていた老夫婦も、自分たちの遊びに夢中だった子供たちも、追いかけ合う彼らに目を奪われ、その場から微動だにできずにいた。

 あまりにも場違いの存在だ。ここは海水浴場ではなかったのか。


 普段なら子供たちの活気や海鳥の声、潮の満ち引きといったどこにでもある海だ。だが、今は少女たちのいる場所以外では音は死んだかのように静寂に包まれている。いつの間に自分たちは異界へと迷いこんでしまったのだ。


 誰もが目を疑い、ただ、目の前で戯れるこの世の者ならざる何者かへと視線を向け続けていた。

 しかし、彼らが驚くのはその後である。

 彼らは目の前で行われた不可思議な現象を目の当たりにして一斉に海から逃げた。


「……そろそろいい加減にしようよ! もう限界だよ!」


 逃げていたシズクは踵を返し、水をかけて追いかけて来る2人へと向かい合う。

 水面を叩いて飛沫を上げて2人の足を止めた後に、自身の周囲に幾つもの水球を生み出して身構えた。


「お、やる気? リコ、ぼくらも負けてられないよ!」

「み、みゅうっ!?」


 すると、ルイも同じ量の水球を周りに生み出して立ち向かった。

 リコは「え、ちょっと大丈夫なの?」と2人を心配したが、シズクの一射目の水球がルイに飛ばされたことで、2人の本気の水かけっこが始まってしまった。


「そーれ! ……ぎゃっ!」

「やったな! このぉっ!」


 水球を互いに飛ばし合い、互いに相殺し、互いに避け合う。時にはばしゃりと直撃してずぶ濡れになるが両者ともに手を止めようとはしない。

 勝ちも負けも決まっていないこの水魔法の応酬に終わりはない。

 ただ、分としてはシズクの方が悪いようだ。

 手数は同じなのに精度はルイの方が高い。海水に足を取られていることもある。しかも、当たった分だけ身体が鈍くなる。水でも当たれば痛い。


「これじゃだめだ! やられてばかりじゃん!」


 業を煮やしたシズクは量より質を取ることにした。つまり、小玉よりも大玉の水球を生み出したのだ。

 逃げながらも空中に大玉の水球を生み出して準備ができたところでルイに向けて放つ。シズクにしたら狙いは完璧だった。

 ルイの反応、移動速度、回避方向を踏まえてもどこかしらに当たる。当たって足が止まればそこを集中狙いにする、シズクはそう考えていた。

 しかし、そこをルイは1歩足を上げて水面を。そして上空へと跳躍しあっさりとその大玉水球を避けた。

 さらに水面に着地したまま沈むことなくシズクへと水球を放ち続ける。

 これにはシズクも驚き、水壁を作って守りに徹した。


「水の上を走るなんてずるいよ!」

「ならシズクもやればいいじゃん! うふふ! 出来るならね!」

「ぐう!」


 ルイが行ったのは水の硬化魔法の応用で、一時的に水を固めて足場を作るというものだった。

 これにより、何もない空中においても次の移動を可能にすることが出来るというものだが、繊細な魔力操作を必要とするため、シズクはうまく操れない。

 また、以前のグラフェイン家で行った大喧嘩(リコはそう思っている)で、終盤にルイが使った空中移動もこれだ。


「反則! 反則だよ!」

「そんなのありませんー!」


 それならば、とシズクは足場にしている海に魔力をかけ、大きくうねらせてルイの体勢を崩させた。よろけるルイに追い打ちとばかりに高波を作って飲み込もうとする。

 これならどうだと息巻くが、そこはまたルイの方が上手らしく、覆い被さろうとした波に向かって自身が生み出した水魔法で造形した一匹の“水龍”をぶつけて打ち返す。

 波は水龍に当たると混ざるどころか弾け飛ぶ。今度はその作り上げた水龍に跨ってシズクを追いかけはじめた。


「ほらほら逃げろー、出ないと噛みついちゃうぞー」

「ルイの馬鹿ー! そんなの卑怯だよっ! リコ助けて!」


 なんてこちらに助けを求めるシズクには悪いと思うリコ。彼女はルイの作り上げた龍のしっぽにしゃがみ付いて楽しんでいたりもする。

 得意な水魔法を使わせたらルイの独壇場だ。

 ただし、ちょっと調子に乗ったらしく、ルイが水龍を天へと飛ばそうとしたところで体勢を崩してすてんと落ちた。けれど、ルイなら不意の事態にも即座に対処出来る。

 そのままくるりと回転して海へと着地するつもりだったのだが、


「危ないルイっ!」

「え、シズクどいて!」


 と、心配したシズクが助けに入ってしまったことで2人はぶつかり海へと倒れた。


「いってて……ごめん。ルイ、大丈……夫?」

「もー! シズクこそ危ない……え?」


 そこで海面へと顔を上げた2人が目を開けたところで両者ははっとする。

 もつれた時に引っ掛けたのか、ルイの水着はぺろんとずれ、彼女の膨らみかけの胸がシズクの目の前に晒されて……。


「あ、その、これは……!」

「――ぁ――ぃっ!!」


 ルイは顔を真っ赤にしてシズクを睨み付けた。

 水着を元の位置に戻そうとするも慌てるばかりでうまくいかない。シズクも直ぐに後ろを向いて目を覆う。


 昔はシズクの目を気にせずに着替えていたルイだったが、この1年の旅の間、ゆっくりと大人へと成長していく過程で羞恥心というものを覚えたらしく、着替えや水浴び等は別々にこなすようになった。また、ルイの友人だという“レティ”が散々言い聞かせたおかげでもある。


「みゅーう……」


 2人の動揺っぷりにリコは目を背ける他になかった。


「ごめん! そんなつもりは!」

「シ、シズクの馬鹿ぁぁぁっ!」


 胸を片手で隠してもう片方の手で3つの水球を作り、どれもが水龍へと姿を変える。力を込めて片手を振り下ろすと、逃げるシズクを追いかける。

 悲鳴を上げながらシズクは襲い掛かってくる龍を全力を持って避け続けた……。


 そんな2人の攻防を浜の奥へと逃げていた利用者たちがずっと見続けていた。

 シズクは本気で逃げていただけなのだが、曲芸的に避ける彼の姿は利用者たちにしてたら2人が海でじゃれているようにしか見えない。


「水の精霊様だ……」


 誰かの呟きに、誰もが深く頷いた。

 ここに後々まで語り継がれるウンディーネ伝説が生まれたことをシズクたちは知らない。

 ただ、その日にいた数名の話は瞬く間に町へと広がり、日に日に見物客が増えるようになった。


 このことにリコは少しばかり困った。

 ほとんどが遠巻きにリコたちを見ているだけで済んだが、中には良からぬことを考えている人間もいる。

 そういう輩が近寄ってこようものなら、リコは颯爽と走りだし、その人間の手前で砂塵を巻き上げて砂だらけにする。


(やましいことは考えるなよ? リコが目を光らせているんだからね?)


 なんて睨みつけ、悪態を吐かせる前に2人に聞こえない程度に唸り声を上げれば、真っ青な顔をして逃げていった。

 番犬もとい、番獅子扱いとなったリコはここでも健在である。

 だが、周囲の監視に神経を使うことが増えた。気疲れを起こしそうにもなる。


「ウンディーネ様だ……本当だ。ウンディーネ様は実在したんだ!」

「ありがたや。この年になって女神さまを拝めるとは。ありがたやありがたや」

「黒髪のウンディーネ様は随分と開放的だ……。胸を露出していらっしゃるが、羞恥心というものは精霊にはないのだろうか……」

「馬鹿! そんな目で見てたら罰が当たるぞ! お前のせいで海が怒ったらどうする!」

 

 耳の良いリコだけにはその言葉は届いていたが、聞かなかったことにした。


 そして、その10日の大半は殆ど海でリコたちは過ごすことにした。

 最初の数日は浜辺の物陰に隠れながら着替えていたが、次第に面倒になって、最初から部屋で水着に着替えて海に行くことになった。

 町では2人のウンディーネがいると町民の噂になったが、それが偶然にも2人の耳に届くことは無かった。

 露天商が彼らを見かけては無償で食事を提供したこともあったが、それが一種のお供え物扱いだったとは本人たちが知る由もなく、この町の人はいい人ばかりだ! という認識程度であった。





 最終日は心残りがないように、枷を外すかのように全力で遊び、疲れて寝てしまったルイを背負うシズクとその横をリコが離れずに歩く。

 何故かシズクが顔を真っ赤にしていたけれど、リコには理由はわからなかった。

 背中でルイが身動きをするとぴくりっ! とシズクが体を震わせる理由もリコにはわからなかった。


 リコは2人にばかり気を取られていた為、シズクは背中に当たる成長したルイの……を気にしないよう頑張っていた為、その不思議な現象に気が付くのに遅れた。


 最初に気が付いたのはリコだった。


(おかしい……)


 いつも通りの宿への帰り道。行きも帰りも注目を浴びる道。おかしい。

 目の前も後ろも、曲がり角も、建物も、露店も……人の姿がどこにも無い。おかしい。

 リコが匂いを嗅いだが、何故かその周辺だけ人の匂いがしない。おかしい。


 続いて、シズクが反応を見せた。リコとは別の意味で。


「……君は?」


 そう、シズクが目の前の何もない場所へと話しかけた。

 独り言だろうか……違う。何かいる。

 リコの目には見えなかったが、目の前の空間にはがいることは感じる。それが目の前にいるのか、その隣にいるのか、はたまた物陰か?

 不思議な現象だ。

 まるで匂いだけが(かと言って匂いがするわけじゃないが)その場から発生しているような。


「どういうこと? 元の世界? 話? ……時間を作る? 待って! 君とはどこかで会わなかった? ――そう……そうだ、夢だ。君は夢の中にいた。なんでそのことを……って待ってよ!」


 一体誰と話しているのだろうか。

 ただ、シズクが手を伸ばしたところでその物の匂いは消えた。


 そして、その匂いが消えるのと同時に、気が付けば、人が溢れた馴染みの道に戻っていた。

 立ち止まるシズクとリコを避けるように周りの人たちがすれ違いっていく。


 結局あれが何だったのかはリコにはわからないが、帰り道から部屋に戻りその日が終わるまでシズクは難しそうな顔を浮かべたままだった。

 ルイとイルノートに心配されるが(もちろん自分も)シズクは生返事を返すだけ。

 きっと疲れているんだろう。2人に促される形で先に寝床へとシズクは送られていった。


(ただの幻だ。きっと自分も疲れているんだろう)


 リコの方もそう結論付ける。

 眠りにつく頃には記憶の彼方へと消えていた。





 そして、船が出発する日になった。

 リコは安全面から貨物室で檻の中と閉じ込められたが、リコ自身は仕方ないと思い渋々従った。

 殆どはルイやシズクが会いに来てくれたので寂しくは無かったが、思うように動けなかったことはなかなかに辛いものだ。

 しかしそんな不満も船旅が始まって10日ほどで解消された。


 昼夜、船の中が慌ただしかった日にリコは外に出ることを許されたのだ。

 大海蛇が出たという。

 その気配はリコも感じ取っていたが、檻の中では身動きも取れずどうしたものかと迷っていたが、その気配も幾らかして消えたことであの子たちが倒してしまったのだろうと悟った。

 その功績からルイとシズクが船長に頼み込んでリコは外に出ることを許されたと聞く。


 最初のうちはやはり危険視されていたが、長い船旅の最中、リコは身体を張って自身が危ないものでないと証明することでいつしか歓迎されるほどにまでなった。

 時には帆の紐を縛るのを手伝ったり、荷物を運んだり、ぬるっとした何かを感じて遠吠えをしたら、その先には嵐が待っていたらしく、これには船長自ら感謝されるほど。


 気が付けば良い船旅になった。

 窮屈だった10日とその後の20日と少し、ひと月ほどの長いようで短い船での生活はとても快適なものとして終わりを迎えた。

 やっぱり、人は好きだ。声に出して話をしたいと叶わない夢を強く願う。


 そして、念願のゲイルホリーペへと足を付け、船乗りや商人たちに別れを惜しまれながらもまた4人は旅を再開した。

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