第47話 やがて獣からそれへ
それはもう5年は前の話だったか。
それは彼らに出会った。
それは彼らに引き取られた。
それは彼らに名前を付けてもらった。
そして、それはリコになった。
◎
リコは賢かった。
一度叱られたことは理由はわからずも、そういう行動を取ってはいけないとわからないまでに理解し学習した。
また、彼らと自分は別の生き物であることも早いうちに悟った。
身体の作り、食事方法、言語、考え方、その他。その全てはまだ生まれて日も浅いリコでもわかるほどに異質のものである。
リコは彼らとなるべく同じものになろうと励んだ。
自分を拾ってくれた人たちの口から出る言葉は、最初のうちはわからなかったが、いつしか3人の……主にシズクとルイの会話を聞いていくうちに簡単な言葉は理解できるようになる。
屋敷を出るころには殆どの言葉は理解できるようになった。
なぜ人語を理解できるのかは自分でもわからない。
逆に自分と同じような存在……魔物の言葉はまったく理解できなかったが――ただ、それで良かったとリコは思う。
リコが慕う3人は魔物を狩ることが多かった。もちろん、リコ自身も同じように手伝いとして魔物を狩る。
狩る対象の言葉などわからない方がいい、そうリコは思う。
ただし、自分の声帯からは彼らの放つ言葉を生み出せないことに歯痒くも思う。
彼らの前では「みゅう」と鳴いてみせているが、他にも喉を鳴らして低音での威圧を含んだ音も出せる。だが、自分を大層可愛がってくれるシズクとルイのことを気遣えば相応しいものではないとリコは思い、なるべくその言葉を使わないように心掛けた。
それと言うのも、屋敷を出てからか、それとも出る直前か……リコにとって2人は守られる存在から守る対象へと変わっていたことによる。が、それは彼女……リコ自身も内から来る無意識のものであり、リコ自身も気が付いていないことであったが。
もう一人の連れであるイルノートは自分のことをどう考えているかは未だに不明であったが、嫌われてはいないとリコは思う。
2人が不在の時は無表情のままに世話を焼いてくれるのだ。時折、頭も撫でてくれる。不器用な人だ。
3人はリコのことを可愛がってくれたが、外の人は違うことを屋敷……いや、あの3人で寝泊まりをしていた部屋を出た後から知るようになった。
気付けばリコは中型犬から大型犬ほどの大きさになっており、鬣もほんのりと生え出してきている。2人を守る対象と見始めたのも自分の視線の高さが変わったことが大きな理由の一つでもある。
無理して立ち上がれば子供たち2人の背も越すほどには大きくなった。
リコはクレストライオンと呼ばれる魔物でもある。
エストリズでは見ることはまずありえない魔物であったが、休憩に寄った町でリコの姿を目にするなり、何かの魔物だと町民が悲鳴を上げることがあった。
これにより、町から早々に立ち去らなければならず、3人を困らせてしまったことはリコにとって苦い思い出だ。
「リコごめんね。町の人が怯えるから馬車の中で待っててね」
「みゅう……」
「直ぐに帰ってくるよ。それまでお留守番よろしく」
本来なら町の宿というものに寝泊りをして目的地に向かうという話であったが、その理由から野宿を送らせることも多かった。
お金が浮くね、なんてルイは笑っていたが、リコはあの屋敷での寝具の柔らかさを知っている。
リコ自身は体毛のおかげで硬い地面に寝るのことにそこまで苦ではなかったが(かといって寝るなら柔らかいものの上が一番だけども)、彼ら3人は自分とは違う。
町や村という人間の共同体で追い出しを食らった時はいつも落ち込んでしまう。
――リコは馬車にいるから3人は宿屋に行っておいでよ!
そう言葉に出来たらどれだけ良かったか。人語を話せない自分を悔やんだ。
また、自分のせいで空を飛ぶ乗り物“飛空艇”が使えないことは大きかった。
飛空艇は人以外のものを乗客室に入ることを禁じている。
名のある地位を持った者ならば多少の金は払って愛玩動物を搭乗させるのだが、多少金を持っていてもどこの馬の骨とも知らない何者が許されるはずもない。
――馬と同じ場所に、いや、貨物室でも構わない。
そうリコは思ったが、預けるという話が出る前にシズクが止めた。イルノートも同意し、ルイも首肯に至った。
そして、彼らは時間のかかる陸路を進むことになる。
全部自分のせいだとその晩、リコは酷く落ち込んだが、イルノートがこっそりと囁いてくれた言葉は心の荷を多少なりほど解いてくれた。
「お前は悔やんでいるようだが、これも2人にはいい経験になる。気にするな」
「みゅう……」
「まあ、言われても気にするか。2人はリコを仲間だと思っている。だからお前も仲間のために何ができるか考え、そして行動に移せばいい。賢いお前のことだ。私の言葉も理解できているのだろう」
「……みゅう!」
その言葉にリコは力強く頷く。
リコは自分ができる範囲で2人を守ろうと思った。これが本格的に彼女が2人を守る対象と見出した時でもある。
だが、2人は立派に戦える。自分の身を守れる。リコすらも守ろうとする。
なら、リコは守れないところを補おうと考える。
夜は寝ているふりをしながら周囲の気配を嗅ぎ取り、もしも敵意を持った存在が近くに寄ったらリコはさりげなく寝床を出てその敵意を取り除こうと身を起こす。
音を消してその獲物にたどり着き、視認したのち、声も上げずに爪を降ろす。
これで大体は敵を消すことができる……が、最初のうちは大変だった。
気が高ぶって声を上げてしまうこともあった。
……自分の声で3人が目を覚ましてしまうのだ。
自分に気が付いた敵が逃亡し、追いかけっこに夢中になってしまうこともあった。
……気が付けば遠くに来てしまい、3人が探しに来ることも。
やり過ぎて身体を真っ赤に染めてしまうこともあった。
……大体は水辺で寝泊まりをすることが多かったため、近くの湖畔で身体を洗い流すことは出来たことは幸いだった(出来ない時は朝に驚かれたが……)。
襲ってくるはずだった敵の大半は魔物であったが、時には人の姿もあった。
自分は嫌われているとしてもルイやシズクを見ていることで、人には多少なりとも好意を寄せているつもりだ。もっと仲良くしたいとすら思う。
ただ、敵は駄目だ。
敵と判断した人は気に掛けることもなく爪に沈めた。人語を理解できるため、その敵が「助けて」と懇願する様はとても不快である……。
――これも、シズクとルイを安心させて休ませてあげたいから。
リコは真夜中を駆け続けた。
◎
エストリズからゲイルホリーペへと向かう手段は2通りあった。
テイルペア大陸を渡るか、コルテオス大陸を渡るかの2択で、彼らはテイルペア大陸を渡っていく方法を選んだ。
テイルペア大陸を選んだ理由はいくつかある。
1つに、コルテオスが寒帯気候であったこと。
2つに、出発地点からコルテオスに向かうよりも、テイルペアの方が近かったこと。
3つに、コルテオスからゲイルホリーペと繋がる国境の関所から先が鬼人族の所有地であること。
この3点だ。
1つ目の理由として、今の時期からコルテオスへと向かうと、確実に豪雪に見舞われ足止めを食らうだろうと予測してのことだ。
その場合雪解けを待たなくてはならず、行きついた町で長期滞在しなければならない。
滞在する町で宿は取れるか。リコの滞在を許されるか。物資の問題もある。不安要素は多い。
2つ目の理由として、出発地点であるサグラントからではテイルペアが遥かに近いことにある。
経緯はどうあれ貴族に手を上げたことで彼らは罪人扱いとなっている可能性があり、早いうちにエストリズから出た方が良いと考えてのことだ。
そして、最大の問題が3つ目の鬼人族だ。
関所までならいい。その先を抜けた後は鬼人族の縄張りだ。彼ら鬼人族はコルテオスから来た外部の人を問答無用で襲い掛かる……と噂される。勿論、噂だけではなく実際にコルテオスからきた里の者ではない異人に彼らは牙を向く、とはイルノートの談。
鬼人族のひとりひとりの力量は高い。ましてや、1人2人ではなく、集団で襲い掛かってくるのだ。
それに比べてテイルペア側から入った亜人族の所有地はまだましな方だ。
やはり、気に入らない人種が来れば襲ってくることもある、と言うが……。
それらの理由から彼らはテイルペア大陸へと向かった。
エストリズからテイルペアは陸続きであったため、交通機関のお世話にならずに済んだことも大きい。
関所を渡るにも通行料で懐を締め付けたが、取り押さえられることもなく無事に抜けることができた。
テイルペアへと足を付けた一行は比較的安全な街道を進んだ。
街道は盆地で見晴らしのいい大きな道が続いたが、その分エストリズよりも遥かに強い日差しと熱気にルイが、そして、イルノートまでもが根を上げてしまうほどだった。
水魔法を応用して、冷を取ることが出来なければどれだけ酷いものになっていたかはわからない。
テイルペアはとても熱い大陸だった。
色で例えればエストリズが豊かな緑なら、テイルペアはむき出しの大地の茶色。
体調不良と化したイルノートの代わりに御者台に座って馬を駆るシズクは目深くフードを被る。
水魔法を使ってローブの中に冷を送っても、焼け石に水とばかりに熱は攻め込む。それほどに厳しい気候にシズクは舌を巻いた。度々、魔法で生み出した水を口に運ぶのも忘れずに。
彼が背にした馬車は前後の穴を天幕で閉められ、水魔法で冷房が施されている。
内と外では天国と地獄のように差がついているのだが、中の2人は快適かと言えばそうではなく、横になって唸り声を上げている。
「あ……暑ぃ……。もぉ……氷絶のつるぎ召喚するぅ……この辺り一面を氷の世界にしてやるぅ……」
「お前は……馬鹿か……。そんなことしたら……馬車が移動できなくなる……くっ……それもいいと思ってしまった自分が情けない……」
「じゃあ……イルノートも賛成ってことで……やるね……氷絶ちのつるぎ来い…………あれ、来ない……出ないよイルノートぉぉぉ……!」
「もう、お前は黙っていろ……話すのも辛い……」
ルイは暑さで頭をやられたのか、あの庭で出した大剣を生み出そうと提案し、そこをイルノートが朦朧としながらも止めに入ったこともあった。
炎天下で一番の被害者のシズクはそんな2人の奇行に呆れるでも微笑むでもなく、意識を朦朧とさせながら前を見つめ続けた。
「……みゅう」
「みゅうみゅう!」
「みゅう……駄目だ。リコが羨ましい。リコの真似をしても意味ない……暑い……」
「みゅう?」
ただ、そんな3人に比べて唯一リコだけがその暑さに影響を受けず、いつも通りの元気な姿を見せていた。今も馬車の外で駆け回るほどには体力も有り余っている。
これもクレストライオンがテイルペアに生息する魔物であり、暑さには耐性を持っていたことにある。
……自分の母親はこのテイルペア大陸から流れてきた。テイルペアに入る前にイルノートが教えてくれた。
この旅では遭遇することは無かったが、もっと奥の方へ向かっていたら自分と同じ仲間に会えたかもしれない。
この時に限り、自分がクレストライオンに生まれてよかったとリコは思う。
おかげで日中の移動では大いに活躍した。
街道を通っているため魔物や野盗といったものとは滅多に会うことは無かったが、それでも熱に意識をやられ、注意力が散漫する。
そして、そういう滅多なことが起こった時がリコの出番。
夜間での警戒の成果もあり、3人の中でも比較的まともに動けるシズクよりも先にリコが1番に気が付き、1番に動き、1番に活躍した。
シズクが身構える前に戦闘が終わってる。これもまたザラである。
イルノートの提案で、シズクとルイを鍛えるためにリコの出番がないこともあったが、概ねリコの働きは十分に発揮し、危険とは無縁の旅を送ることができた。
ただ、やはり移動には時間がかかった。
彼らよりも彼らの馬が先に壊れ、途中で馬を買い直すこともあった。
それでも、彼らは時間をかけても前へ進む。
町から町へ、道から道へ。
お金を節約するために冒険者ギルドで依頼を受けたこともあった。
リコを見て驚くも盛大に歓迎してくれた村もあった。
滞在を許された町で、男に絡まれて相方を救うためにルイが怒って一騒動起こしたこともあった。また逆もしかり。
良くも悪くも様々な出会いを得る。
時には悲しみ、時には怒り、時には笑い……そんなシズクとルイの姿を見て、イルノートはそっと微笑んで、リコは喜んだり憂いたり。テイルペア大陸の厳しい環境は彼らをより強く成長させる。
燭星896年、1之月半ば。
サグラントから始まったこの旅もおおよそで1年とふた月。
彼らはテイルペアの最西端であり、大陸の玄関口でもある港町ネガレンスへと辿り着いた。
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