世界樹の里の巫女

第44話 四天の子供たち

 ゲイルホリーペと呼ばれる大陸がある。

 年間の平均気温はエストリズに比べてしまえばかなり低い。節の折には雪も降ることもあるが、薄らと化粧を施す程度のものだ。積もることは滅多に無い。

 ゲイルホリーペを眩く照らす太陽は雪の寒さも優しく包み込んでくれるのだから。


 その時のゲイルホリーペの気候を知りたければケラスの木に聞くといい。

 時には平地に、時には山の肌としてそこに住まう“者”の傍にケラスの木は寄り添っている。

 大陸の至る所で立ち並ぶケラスの木には白桃色のケラスの花が満開に咲き乱れ、そして散っては葉を茂らせて枝を見せる。


 ケラスの木は年に4度花を咲かし、葉を落とす。

 花が咲いたら暖候期、葉が落ちれば寒候期。

 そこに住まう“者”たちはケラスの木を見て節を知る。その大陸に身を置く“者”たちからは、自身の化身と見なされ大事にされた。

 その半数は散らしまた芽吹く様を不老と捉えて、またその片割れたちは花が咲き瞬く間に枯れる様を自身の短命と見やる。


 ゲイルホリーペに身を置くは少ない。代わりの“人”がこの地に住まう。

 ゲイルホリーペは魔族と亜人種といった様々な種族が身を置いた。

 ゲイルホリーペは魔に埋もれた大陸だった。


 魔族ならば魔人族や天人族や鬼人族。

 亜人種なら竜人や獣人や鳥人、魚人……等様々だ。

 地上人もいることにはいるのだが、その数は他種族に比べたら指で数えるほどしかいないだろう。

 他の大陸に比べれば、多種多様な人種に溢れるのがゲイルホリーペだ。






 悲しい夢を見た。もう何度見たかも覚えてない同じ夢だ。

 記憶が薄れた頃に忘れるなと上塗りをしてくるとても悲しい悲しい夢だった。

 この夢を見た日は憂鬱になる。涙に濡れた目を拭う。


 わたしはぐずりと鼻をすすり、天幕付きの大きなベッド(というより床の間を高くしたようなもの)から身を起こす。

 今日は寒い……。

 吐く息は白くはないけれど、身震いを起こすくらいには寒かった。こんなことならもっと分厚い毛布を出しておくべきだったと昨晩の自分を恨む。

 くしゅん! と一つ、くしゃみが出る。

 幸いと言っていいのかわからないけど、目を覚ましたのが朝で本当に良かった。

 暗い気持ちを抱えながら、わたしは踝までかかる寝巻用のローブを引きずりながら壁際の戸棚へと向かう。


「おはようございます。お母様」


 わたしをお母様の位牌に朝の挨拶をした。

 位牌といってもこの里の中心にそびえ立つ世界樹と呼ばれる大樹から削り取った“聖枝”なんて仰々しい木板にお母様の名前が掘られたものだ。

 里一番の腕利きのドワーフの手による細かな彫りが刻まれた一品で、中にはお母様の髪が一房入っているらしい。らしいというのはわたしは実際に中を見たことがないからだ。

 気分が良くても悪くても、これがわたしが一番にする朝の日課だった。


 お母様はわたしが産声を上げた数年後に亡くなった。

 無理が祟って弱っていた……と、周りの大人たちからはそう言い聞かされている。

 だけど、本当は知っている。

 きっとお母様はわたしを生み出したせいで弱ったことを。


 お母様は立派な方だった。

 この里に住む天人族から長の次に発言力を持つ“四天”の一人に選ばれた人で、この里の創設に深く関わるほどの人だった。

 気が遠くなるほど長い間戦っていた種族間の軋轢を和らげ、今の小康状態まで関係を取り持ったり、時には自ら里の人の前に立ち、として盾になったという生前の功績はわたしの耳に嫌ってほど届いてる。その手腕の落ちぶれはを境に弱まった。つまりそういうことだろう。

 の話からも推測し、魔力が枯渇したことが死期を速まらせたんだ。


 わたしは両手を握り合わせて祈り続ける。


(お母様……わたしのせいでごめんなさい)


 そう悪夢の日には自分を責めてしまう。

 きっとお母様なら「あなたのせいじゃないよ」って言ってくれるはずだけど、悪夢はわたしの心をぼろぼろにする。深く落ち込んでしまう。


「……フルオリフィア様、起きてらっしゃいますか?」


 どんよりとした気持ちの中で、とんとんと部屋の扉を叩かれた。

 わたしの護衛と世話係であるウリウリだ。

 本名はウリウリア・リウリアって名前だけど、わたしは幼いころからウリウリと呼ばせてもらっている。

 彼女は綺麗な金髪に赤い目をしたとても素敵な人だった。長い耳の先にはわたしが送った青い宝石のついたチャームが揺れている。

 わたしのどうぞの声にウリウリが静かに扉を開けて入ってきた。


「フルオリフィア様、そろそろ朝食の時間ですが、おや? まだ着替えてられて……もしや、また悪夢を?」

「うん。また……」

「そうですか。今日も……ですよね?」

「…………うん。ただ、悪い夢としか覚えてなくて……ごめんなさい」

「謝らないでください。フルオリフィア様は何も悪くはありません」


 ……嘘。それは嘘。

 本当は細かなところまで覚えている。嫌になるくらいに。

 だけど、その話をすることは一番最初に相談したお母様に硬く口止めされている。

 その話は無暗に話してはいけません、って、悲しそうな顔して言われたんだ。

 それがお母様との最後の約束にもなった。だから、わたしは一番信頼しているウリウリにも話さない。 


 夢を見た日はわたしは目覚めはとても悪く、起きるのは少し遅い。

 いつもなら着替えくらいひとりで出来るけど、そういう日はウリウリが手伝ってくれる。

 こんなことでも気を紛らわせれば、と彼女は優しくわたしの身体を包み込みながら着替えさせてくれるんだ。

 ウリウリに包まれていると先ほどまでの暗く淀んだ気持ちが若干だけど薄れていく。近寄るウリウリはいつも優しい香りがする。わたしはウリウリのこの香料の類じゃない花の香りが大好きだ。

 わたしの数少ない信頼できる人。ウリウリは歳の離れた優しい姉か……そう、もう1人の母親だった。


「ウリウリ、いつもありがとう……」

「フルオリフィア様のためならばこ私は笑ってこの身を谷底へと投げ出しましょう。亡き先代のお約束を抜きにしても、私はフルオリフィア様に仕えることが何よりの喜びでございます」


 なんて、大々的に、それでいて演技かかった口調でしらっと言う。

 多少のわざとらしい大層な口ぶりに聞いてるこっちが恥かしく、ついつい笑っちゃう。


「毎回ウリウリは大袈裟だよ」

「ふふふ、気になさらずに」


 そう、優しく微笑みをくれるウリウリ。この笑みを浮かべるのはわたしと2人っきりの時だけだ。

 平時の彼女は業務連絡や必要最低限のこと以外では他人と滅多に関わろうとも交わそうともしない。

 その様子に、まるで彼女の場だけ風が流れていない、と風絶のリウリアと呼ばれている。勿論、その名は彼女の得意とする風魔法から因んでいたりもする。


 そのため、外では他の人と同じようにわたしに接する。

 口数少なく氷のように冷たい能面のような表情にこれがウリウリ? って疑ってしまうほどに他人行儀に最初は狼狽えてしまったほどだ。

 だけど、今みたいに2人っきりの時は特別だ。いろんな彼女の表情を知っている。優しいところをたっぷりと。

 優しいウリウリを独占できてわたしは幸せだ。

 ただし、こんな優しいウリウリにもいくつか問題もあったりする……。


「……い、やっ! だから、パンツくらい自分で穿けるから!」

「なりません。また転んでお尻を打って泣いても知りませんよ? このウリウリア・リウリアにお任せください!」


 そう、ウリウリはわたしの半分解かれた下着の紐を掴んで離さない。わたしも負けじと反対側の結び目を掴んで抵抗するのだ。

 下着くらい自分で穿ける。でも、ウリウリはそれすらも自分がやるって言う。

 そりゃあ、前は足もおぼつかなくて手伝ってもらったけどさ。もう10年は前の話だよ! それに泣いてない! 痛くて涙を浮かばせたくらいだ!


 今日こそは、と直ぐに穿けるよう準備していたのに、ウリウリは子供からおもちゃを取り上げるみたいにあっさりとわたしの手から代えのパンツを奪い取る。


「だ――! それはもう子供の頃の話でしょ! わたしもうすぐ12だよ! 返して! わたしのパンツ返して!」

「12など、私からしたら子供と大差ありません。ささ、遠慮なさらずに」

「するわ、馬鹿っ!!」


 ウリウリの歳からしたらわたしなんて子供と同じでしょうけどね!

 確か今年で64歳だったかな。天人族に限らず魔族は長生きで老化も遅い。

 お母様も確か150歳を超えてたはずだ。痩せ細り、窓際のベッドに佇む薄幸の令嬢みたいなイメージが強かったけど、ウリウリと同じくらいの若さに見えた。


「ああ、もうじれったい! 観念なさい!」

「やっ……あ―――!」


 結局、わたしはいつも通りに下着を一気に降ろされしまったわけです……。

 落とした先でウリウリの目が一点に集中して見開かれ、そっと柔らかくなりました……。

 どこを見てるって……言えるか馬鹿!


「……気にしちゃいけませんよ。フルオリフィア様は着々と大人の階段を昇ってらっしゃいます。胸の成長なんて目を見開くほどです。同年代でその乳房の発達はずば抜けています。ですから、その……もうすぐですって!」

「う、う、うっ、うるさぁぁぁ―――い! ウリウリなんて知るか―――っ!」


 顔を真っ赤にしながら、罵倒してもきょとんとする。

 「心外だ。私はオルフィリア様のことを思ってお手伝いしているのだ」なんて悪気なんて微塵も感じさせないんだ。

 ウリウリはわたしのことになると周りが見えなくなることがある。

 嬉しくも思うも、厄介な彼女の欠点だ。

 結局、わたしは最後までウリウリに着替えを手伝ってもらうことになった……。


 わたしは長く伸ばした青髪を結い、腋や腰、胸元なんかに切れ込みの入った白の羽織っぽいものに袖を通す。

 下は腰から太ももにかけてこれまた同じく切れ込みの入った赤い袴っぽいものを穿いていた。飾り布の多い服だ。羽織は袴の中に入れずに外に出すものみたい。その上を帯で結ぶ。


 最初は風通しが良すぎてちらちらと地肌が見えて恥ずかしかったけど、歳を取るにつれてそんな羞恥心も落ち着いた。

 ……うん、異性の目を感じる時はやっぱり恥ずかしいよ。

 下着もスリットからちらりと見えるしね。

 わたしが身に付けている上下の下着は見えても平気なものなんだそうだ。その境界線がよくわからないが、ちょっと屈んだだけで胸元が見えちゃうので、なるべく変な姿勢は取らないように心掛けている。


 そんなわたしの姿に比べてウリウリは普通の緑のジャケットに白のロングのワンピースだ。わたしだってウリウリみたいな格好をしたいけど、この恰好は四天の正式な衣装らしく、これもお母様の下に生まれた運命だと渋々従っている。


「では、参りましょうか」

「……はい」


 部屋を後にし、ウリウリに手を引かれる形でわたしは皆が待つ食堂へ向かった。

 その間は先ほどの着替えのことは一先ず忘れて一緒ににこにこだ。

 でも、人気を感じたりしたらウリウリは直ぐに手を離して硬く表情を引き締める。その顔はまるで血の通っていない石造みたいだ。

 勿論、目的地である食堂に近づいても手を離す。

 入る前に、わたしの服装の確認を始め、結び目を直してもらったりする。

 硬い顔のまま言葉もなく頷き、扉を開けてわたしを中へと送り込む。ここからウリウリは自分の業務へと向かう。子供を預けるお母さんみたい。


「いやぁ……お待たせしました」


 申し訳なさそうに平謝りで入室した先で、3人の子供がわたしへと視線を向けてくる。

 天人族の男の子が2人に、女の子が1人。

 どの子もわたしの幼馴染でお母様と同じく四天を親に持つ子供たちだ。


「遅いぞ、フル。飯が冷めちまうじゃねえか」


 そう言葉遣いが乱暴なのがライズ・ドナくん。

 金髪のつんつん頭で生意気盛りな元気な同い年の男の子だ。

 遅刻したわたしを責めるようにぎろりと青色の目で睨みつけてくる。

 彼の着る青い衣装はわたしと色違いだけど若干作りの違うもの。男の子っぽくしたものだけど、まだまだ子供ってところでかわいいって思っちゃうんだよね。


「おはよう、フルオリフィア。また寝過ごしちゃった? だめだよ! 夜更かしばかりしてちゃだめ!」


 両手を広げて元気に笑うのがチャカ・フラミネスちゃん。

 真っ赤な癖っ毛の女の子で、同じく真っ赤な瞳がきらきらと揺れてわたしを見る。歳は1つ上だけど……ちょーっと発育が遅いのか、幼い身体つきをしてるんだよね。

 フラミネスちゃんはわたしと同じ服装なんだけど、その幼い体系からお人形さんみたいでとても可愛い。


「……フルオリフィアちゃん……夜は……寝ないと駄目……」


 最後にぼそりと声をかけてくれたのがネベラス・レドヘイルくん。

 緑の前髪が顔にかかったクールな男の子。この中では年少さんで、わたしとドナくんとは2個下だ。

 まだ眠たいのかな? 緑髪の房の間から覗かせる金色の瞳はフラミネスちゃんとは別の意味で揺れている。この子もドナくんと一緒の服を着てるんだ。


 わたしを含めたこの4人は小さいころからから殆どの時間を一緒に過ごした間柄でもある。今ではきょうだいみたいに仲がいい。


「皆ごめんね。ちょっと手間取っちゃった」


 そう言いながらわたしはドナくんの隣に腰を下ろす。

 目の前の座卓には湯気の立つ美味しそうな朝食が準備されていた。

 今日は米に似た黒い穀物を煮込んだリゾットと川魚の塩焼きに、里の畑で採れた温野菜だ。甘い野菜の香りが鼻孔をくすぐる。


「えー、いつも同じ格好なのに?」

「うん、色々とありましてね」

「とか言って、本当はリウリアに叩き起こされたんだろうだろ? あの人本当にこえーからな」

「……フルオリフィアちゃんは、嘘が下手……」


 いや、いやいやいや、嘘は言ってはいない。

 確かに寝坊はしたけれど、遅れたのはウリウリのせいだ。ウリウリが邪魔しなければもっと早く来れたんだよ! 今はもういないウリウリを恨めしく思うよ! あと、ウリウリ怖くないよ? 本当は優しいよ? 甘々だよ?

 でもこれはわたしたちだけの秘密だから親しい3人にも秘密だけどね!

   

 はいはいとわたしは注意を逸らし、誰よりも先に両手を握り合わせて祈りを捧げるポーズを取った。

 これが天人族の食事の前の挨拶だ。


(聖人ヨツガ様、今日も美味しいご飯をくださってありがとうございます)


 ちなみに聖ヨツガ様って言うのはこの大地とわたしたちを作り上げた偉大なお方の名前だ。

 祈りを捧げるならヨツガ様抜きでは話が始まらない。全ての始まりはヨツガ様と唯心論的な考えを天人族は持つ。


 ただ、知り合いの亜人種に聞いてみたら、ヨツガ様って言うのは天人族だけが祭ってる存在なんだって。そのドワーフのおじさんたちは唯物論者。全ては“物”があったからって考えだ。

 こういう思想の違いなんかから、争いが止まっても未だ睨みあいが続いてるけど、どっちもどっちなんだと心の中に仕舞っておく。


 話は戻して、祈りって言うけど、そんな硬っ苦しいものじゃない。

 正式な場なら長い祝詞が読み終わるまで目を閉じ姿勢を保たないといけないけど、家族間のあいさつ程度なら簡略式だ。

 時間にしてもわたしは5秒ほどで終わらせる。一応お決まりの言葉は頭に浮かべるけど、それに深い意味は持ちえない。

 後は頭の中で数字を数えて頃合いを見て目を開ける。


 最初に終わるのがドナくんだ。続いてわたしかレドヘイルくん。ちょっと遅れてフラミネスちゃんが目を開ける。そこから、4人で一斉に箸を持つ。


 食卓にはかちゃかちゃと食器と箸が鳴り響く。

 行儀が悪いと大人たちから言われても、これを直すにはまだ先の話だなって3人を見て思わず笑みがこぼれちゃう。おっとっと、見蕩れていたら遅れちゃう。わたしも料理に手を伸ばす。


 朝は消化の良いリゾットが多い。

 毎日薄味のメニューだけど、わたし好みの味付けだ……ただ、お粥よりもしっかりと角の立ったごはんが食べたいって思うけど。

 

「そうそう、お父様から聞いたんだけど、外の人たちがゲイルホリーペに入ったみたいだよ」

「ふーん、それがどうした? よくあることじゃん」

「直ぐに出ていくと思う……悪さしなければどうでもいい……」


 もぐもぐ、ごくん。

 川魚は泥臭いって言うけれど、この辺の河川で取れる魚はそんなことはない。

 やっぱり水が綺麗なのかな。塩がついた皮を身ごと食べるのが好き。


「フルオリフィア聞いて? 私の話を聞いてよさ!」


 フラミネスちゃんはぴしりと箸でわたしを指してくる。こらこら、箸を人に向けてはいけません。


「ちゃんと聞いてるよ?」


 別に無視してるわけじゃない。食事に夢中だったんだ。

 それに……その話はとっくに知っていたりもする。


「ならいいわ。それでねそれでね、昨日の夜にお父様がテイルペア側国境の関所から連絡をもらったって話をしてるの聞いちゃったの」

「無猿が来たからってそう驚くことでもないじゃん。商人とかじゃないのか?」


 無猿っていうのは天人族が人間に向けて使う蔑称で、魔力のない無能の猿で無猿だ。

 そんな言葉を口にするドナくんの表情には悪気もないけど、悲しくなる。ドナくんの家は天人族至高主義が根付いてるから仕方ないけどさ。


「ううん、それが報告だと天人族2人に魔人族が1人みたい」

「……外の魔族?」


 ぴくりとレドヘイルくんが反応した。

 ドナくんも忙しなく動いていた箸が止まる。

 わたしは口に温野菜を運ぶ。うーん、芯まで火が通ってる!


「魔人族ねえ……そいつ本当に魔人族なのかね? 無猿が偽って魔人族って言ってるだけじゃ? ……ちょっと魔法が使える程度の無猿とかさ」

「なんでも、身分証を確認したらその人は魔族って表記されてたんだって」

「ふーん」

「……別にどうでもいい」

「それだけじゃないんだって!」


 2人の素っ気ない態度にフラミネスちゃんの語尾が荒れる。

 外人が来ることは珍しいには珍しいけど、その程度の話だ。

 殆どの人は関所である港で商売をしたら帰っちゃうしね。大陸の中に入る人は珍しく、足を運ぶとしても殆どは近場の街くらいまでかな。

 たまーに間違ったうわさを聞いた人がこの里まで来ることはあるけど、そんな人はわたしが生まれてから1度か2度くらいだったと思う。わたしが知らないだけで、もっと多くの人が来てるかもしれないけどね。

 大体はがっくしと肩を落として帰っていくそうだ。


 ただ、今回はその3人(正確には3人と1匹)が大陸に着く前の、船での話をするんだろうとフラミネスちゃんの興奮気味の表情からうかがえる。

 わたしはもう事前に話を聞かされていたから驚くことはないけれど、話を知らないドナくんとレドヘイルくんはさぞかしびっくりするだろう。


 それと言うのも、このゲイルホリーペ大陸とテイルペア大陸を行き来する貨客船が襲われたことにある。もちろんフラミネスちゃんが続けた話もそれだった。


 渡航中のその船に大海蛇の群れが突如として襲い掛かってきたと言うのだ。数にして10ほどで、この海峡で出ること自体が珍しい魔物だ。

 乗り込む乗客は貿易を兼ねた行商人ばかりで、戦力の類は海賊を撃退できる程度の護衛しかまずいない。不審船は見つけても近寄らなければいいし、もしも取り付かれたとしてもそれなりに追い払うくらいはできる腕の立つ船乗りたちもいるので、普通ならまず安全な船旅が約束されているって聞いた。

 ただし、海を縦横無尽に走る大海蛇となれば話は別。1匹2匹ならまだしもね、10匹って言うのは絶望に近いものだったと思う。

 慌てふためく乗組員は誰もが死を決意したそうだ。


 でも、そこに偶然乗り合わせたその3人……いや、2人が果敢に立ち上がり、次々と大海蛇を倒していったと言う。

 みんな声もなく2人が戦う様子を見ていた。

 雷のように動き剣を振わせる者と、魔法を嵐のように浴びせる者。

 一番驚いたのはその2人がまだ子供だったということだ。


 その海はほどなくして大海蛇の血に染まった。

 船に乗った人たちは目を丸くしながらその一部始終を見届け、そして称賛の雨を降らせた。

 無事に船が大陸の港に着いたところで、大海蛇という珍しい魔物の素材も受け取らずに3人は船の貨物室から馬車を取り出すと颯爽と馬を走らせて去っていったと言う……。


 その話を聞いた2人の反応は様々で、ドナくんは腹を抱えて笑いだし、レドヘイルくんは目を見開いて驚いていた。

 ドナくんの反応にお気に召さなかったのか、フラミネスちゃんはむーっと頬を膨らませた。


「だってよ、子供だぜ? 魔族って言っても子供が馬鹿でかい大海蛇を10匹も? 尾びれ背びれが付きすぎだ!」

「でもでもでも! 何人もの目撃者だっているんだよ? それに……聞いた話だとその2人、だって言ってたし!」


 それを聞いて、ドナくんはもっと笑いだし、わたしも小さく噴き出した。

 今まで反応の薄かったわたしの奇行に皆の目が集まった。


「……フルオリフィアちゃん?」

「ほら、フルも信じてない!」

「もー! フルオリフィアまで!」

「違うの! 笑った場所は可愛い女の子ってところだけ!」

「え、なんで?」

「え、なんでって……えーっと……そう、特に意味は……」


 あいつ、女の子って思われたのか……。

 それからその話は本当かって話を交わしながら食事は続く。 

 フラミネスちゃんの食は細いから他の子よりも少なめで小さく口に運んで食べている。

 ドナくんは逆に食べ盛り、他の人よりちょっと多めで箸がお皿の上で忙しなく動く。

 それに比べてわたしと同じ量のレドヘイルくんの箸は遅い。


 温野菜の中の人参を取り分けているらしい。レドヘイルくんは苦手なものは最後に食べるのだ。

 そして、最後の人参に取り掛かるその時の彼の顔はもう目尻に涙を浮かばせるほどだ。

 わたしにもありました、苦手なものを最後に残す癖。


 特別なことがない限り、わたしたちは食事を残すことは禁じられている。

 わたしたちの衣食住は里の人たちによって賄われているんだ。無駄にすることなんて許されない。

 その話は3人にはまだよくわかってないらしくて、代わりに好き嫌いを直すためとか、作ってくれた人たちに申し訳ないとか、ヨツガ様に怒られるなんて言い聞かされている。


 レドヘイルくんが頑張って食べ終わった頃にわたしたちはまた祈りを捧げて食事を終えた。 

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