第38話 とある男のそれから

 天の声がどんな望みを言われたかさっぱり覚えちゃいない。だが、その声の望みを時、俺の視界はホワイトアウト。

 気が付けば俺はおぎゃーっと赤ん坊として生まれていた。


 自分が赤子だと知った時は困惑もしたが、次第に成長し周囲の状況を理解するにつれて俺の頭の中ではファンファーレが鳴り響いた。

 周りから拍手されながらおめでとうおめでとうって言われる気持ちだった。


 だってここはファンタジー溢れる異世界だったんだ。


 なんでここが異世界なのか理解したのは、聞こえてくる会話が俺の知らない言語で飛び交っていったってところかね。

 その交わされた言葉は、少なくとも聞くどころか書くことも読むこともままならない毎回赤点のヤツじゃなかった。


 そして、何故か知らないが、その聞きなれないはずの言語は瞬時に頭の中で翻訳されていくんだ。

 まるでタイムラグゼロで同時通訳を聞いてるって感じだ。初めて聞いた言語でも俺の耳から通った言葉は先生がロボット翻訳するよりも端正に訳してくれる。訛りすら理解できるんだからすげえもんよ。


 聞き取ることは出来ても、俺は話すことは出来なかった。文字の意味は知ってても発音の仕方がわからないってところか?

  ただ、この身体は随分と性能がいいらしく、下ろしたてのスポンジみたいに耳から入る情報をさっさと吸収し蓄えてくれた。記憶力もすこぶるいい。

 おかげでこの世界の言語を話せるようになるまで時間は掛からなかった。

 怪しまれるのも嫌だから、しばらくはばぶーばぶーと赤ちゃん言葉でたっぷり甘えさせてもらいました。


 さらに嬉しいことに俺のご両親様は大層な裕福でいらっしゃるようだ。

 しかも、二人そろって美形で、母親なんてまだ未成年じゃねえのってくらい若え。父親は彫りが深くてカッケえんだけど、歳の差ありすぎじゃね?

 自分の父親らしき男にロリコン疑惑をかけていたが、これで2人が同学年……同い年って言うんだからまた驚いた。

 まあ、前世の終わりで叶わなかった生乳を、こうして想像よりも不味い母乳と共に堪能し俺はすくすくと育っていった。




 俺を産んでから3年ほどは産休を取っていた母親も父親と同じ職場に働きに出るようになった。

 仕事は何とも領主様とのことで、領民の安全面での自警団の統括や、治水やら開墾といった自治関係に結構手広くやってるらしい。

 それでも朝に出て夜の食事に間に合わせる帰ってくるわけで、これが忙しいのか楽なのかは働いたことのない俺にはまったくとわからん。

 前の親父が日を跨ぐように家に帰ってきたことを思い返せば、なんとも羨ましい環境だとは思うがね。


 両親がいない間に俺がしたことと言えば屋敷にある本を読むことだった。

 父親か母親か。もしくはその両親のものかは知らんが、この屋敷2階の左翼には書斎があり、俺は殆どそこで過ごすことにした。

 この世界の文字は言語と同じように目で見るだけで理解出来たのも嬉しい。


 書斎と言っても本棚が2つあるだけの部屋の大きさに比べたら殺風景な書庫だ。前の世界の俺の漫画棚よりも少なく、直ぐに読み終ると思ったのだが、これが結構難儀した。

 綴られた文字の意味は頭に入ってくるのだが……まあ、なんとも読み辛い。文章的な評価よりも歴史的な価値が強い本なんだろうと思うことにした。

 ただ、することもなかったし、結局1年かけて全部読んだわけだ。

 もしかしたら糞みたいな前世より、この1年の方が読書をしたかもしれない。


 最初に俺の関心を引いたのは種族についてだった。

 俺は人間として生まれたらしいが、この世界には魔族や亜人種というものがいるらしい。正直、噴き出しそうになったがそれでも読んでいくうちに心惹かれていったね。


 中でも天人族っていうまんまエルフのやつらがいると知った時は驚いたもんだ。

 ファンタジー作品の代名詞的な存在だ。俺は最高にわくわくした。

 ふむ、子供の天人族っていうのは中々にレア種なんだな。子供のうちは大人の庇護下で生活し、成人するまで親元から離れられないのか。

 いつか会ってみたいと思うも、その時の俺はまだ屋敷の敷地内しか出れないから外がどうなってるかもわかりやしない。


 頭を抱えながら本を読んでいくにつれて、俺の中で変な違和感が芽生えていたが、その違和感がぴたりと俺の中ではまったのが次の本だ。

 魔法ノススメ。

 もうこれがすげえ俺の食指が動いたね。読んでいた本の所々に出てきた奇跡の力だ神の意志だと頭を悩ませていた原因が魔法があるなら納得だ。

 けれど、これも読んでいて文字はわかるのにいまいち頭の中に入らない。


 そこで仕方なしに母親のホルカに訊ねてみると(文字が読めることに驚かれたあたりの話は割愛して)彼女はなんとその本を理解でき、魔法まで使えるというから驚いた。


 人間で魔法が使えるのは極わずからしい。と、その話を聞いて一度は落胆したんだが、彼女の血は俺にも受け継がれたらしく、俺も魔法が使える可能性があると知り、心の底から歓喜に身を震わせた。

 家にあった魔力測定器だという野球ボールくらいの水晶玉で魔法の素質があることがわかるや否やその日は屋敷を上げてのパーティーになるほどだった。


 俺は選ばれた。

 これが勇者の気分なんだろな。まあ俺は魔法使いだが。


 それからは母親が休日の日は魔法の練習だ。

 練習とか勉強とか努力とか、日々の積み重ねっていうのを毛嫌いする俺が毎日のめり込んだって言えばそれがどれだけすごいことかわかって貰えるだろうか。

 そんな風に俺はその後もすくすくと育っていった。





 文字を練習するために俺は日記を付けることにした。

 最初の方はその日起こったことを書くだけだったけど、10日あたりで飽きが来た。だから、ついあの世界で聞こえた不思議なについてぼんやりと日記に書いてみたりもした。

 あの天の声って結局何だったんだろう。と、起こした事件のことも記入して声について考察というか、箇条書き程度に書いてみたが……まあ、なんの答えも出やしない。ただ、あんな肥溜めに浸かって生活から救い上げてくれたんだ。

 女神の声だと思っておこう。すごい感謝しているぜ。


 その後日記は、三日坊主とは言わないが、足して10日の半月ほどでやめてしまった。

 今じゃあの日記がどこにいったのかもわからない。

 まあ、見られて恥ずかしいポエムも書いてない適当な日記だしな。

 前世のことにしてもあっちの世界の言葉で書いたし、見られたところで誰にも読めやしない。





 またひとつ歳を取ったくらいに俺はじぃ(トラス)を連れ頻繁に街へと出向くようになった。

 まあ、そこで俺は結果的にゴドウィンを助けることになり、何故か知らんが忠誠を誓われてしまうことになる。

 端折って言えば酔って暴れていたゴドウィンの服に火がついてそれを水魔法で消してやっただけ。それからしょっ引かれるところを警邏のおっさんを説得して見逃してもらったこと、だけなんだがね。

 だけど、そこから気に入られゴドウィンは冒険者の道を捨ててグラフェイン家に仕えることになったんだ。正直マッチョなおっさんに好かれても……。


 そんなゴドウィンとの出会いなんてどうでもいい。

 暇さえあれば街の中を探索するようになり、それは学校に通いだした6歳を過ぎても続けていた。

 屋敷の中は本以外では娯楽は無い。やるといっても魔法の練習。でも、こればかりは息が詰まる。息抜きがてらに俺は定期的に外に出ることにした。

 元引き篭もりが望んで家の外に出る。実に喜ばしいとは思うだろ。


 そんなある日、俺はたまたま入った雑貨店の中で商人たちが面白い話をしているのを耳にしたんだ。


「……マグレーヌの館っていう奴隷市場で天人族の子供が売られているんですよ」

「天人族が?」

「ええ、しかもとびっきり上玉の女の子らしく、そこの奴隷商は買いに来た客の上限金額ぎりぎりを提示するらしいです。今では積もりに積もり12リット金貨だとか」

「ひぇえ、景気のいい話だねえ」


 天人族の奴隷……しかも女の子だと?

 その場限りの話だというのに、その日から俺は何にも集中できず上の空になるほどだった。

 通い始めた学校はうるさいガキばかりだし、授業内容も読み書きに1桁台の足し引き問題くらいから始まり、授業は昼間を挟んで3コマで終わる。

 授業の合間に数少ない女の子たちが俺に話しかけてくるが、おいそれと領主の息子に話しかけていいもんなのか? 話の内容がさっぱりわからんが、ここでシカトするにも印象悪いから笑って話に乗るしかないんだけどさ。

 そんなことより俺は天人族の女の子にしか頭になかった。


 男は知らんが、女の奴隷と言われて一番に思いつくのは性奴隷だ。

 話では12リット金貨らしい。それってどれくらいの価値なんだ?

 話では他の奴隷が成人男性で3リット金貨というから、それだけ期待してもいいってことだろ。

 その奴隷市場は一見さんお断りの貴族様しか利用できないってことだが、それでも10リット金貨が出せないってことか。もしかして、なんちゃって貴族だけじゃないのか。

 しかしなあ……考えれば考えるほど欲しくなる。


 エルフだ。あの空想の生き物だ。欲しい。欲しい欲しい欲しい。

 しかし、思うばかりで金もない、足もない、常識もない俺にはどうする訳にもいかなくて毎日歯がゆく思うしかなかった。


 だが、そんな俺にも一縷の希望が!

 なんとうちの父親がそのマグレーヌの館があるミラカルドまでゴドウィンとシーナさんを使いに出すと言うのだ。

 もうそれを聞いた時は俺はもう後先考えずに父親に頼み込んでいたね。


「お願いします。僕もシーナさんたちと一緒にその旅に同行させてもらえませんか!」

「ゼフィよ。遠出と言っても遊びじゃないんだぞ。何が目的だ?」

「あ……え、えーっと……その、欲しいものがあるんです」

「欲しいもの? なんだ、それは? この辺では買えないのか」

「そ、それは……」


 思わず口ごもる。

 女の子を買いたいからお金をくださいなんて息子に言われたらどう思う? 俺なら張り倒すね。

 どうしようどうしようって困っていたけど、そこを助けてくれたのは以外にもあの甘々な母親だった。


「あなたいいじゃない。ゼフィは今まで我儘なんて一度も言わなかったのよ。私すごい感動しちゃった。シーナには私から頼んでおくわ」


 お、おお……こんなところで日ごろの行いが助けに来るとは。

 まあ、もしも前の世界で金持ちのところに生まれ直していたら我儘し放題だったけどな。


「そう、そうだな。私も頭が固かった。ゼフィには良い社会勉強なるだろう。ただし、トラスを同行させ金は彼に渡しておく。お前が我儘を言うほどのもの、楽しみにしているぞ」

「は、はい……」


 正直、引けを感じていなかったと言えば嘘になるが、なんだかチョロいとも思ってしまう。

 行ったところでそいつがタイプじゃなければ買わなくてもいいしね。じぃには天人族の子供が見てみたかったんだって泣いて情に訴えれば奴隷市場に行ったことを内緒にしてくれるかもしれない。





 そして、俺は初めて馬車に乗ってシーナさん、ゴドウィン、じいの四人でその街まで向かったんだが……道中、この体は乗り物に非常に弱いことを知った。

 空を飛び陸を走る数日は生きた心地がしなかった。


 ミラカルドに着いた後はシーナさんとゴドウィンとは別行動をし、俺とじいの2人でその目的の館を探して歩いた。

 その場所って言うのはわからなかったが、通りすがりの人数名に聞いてみたら見つかった。

 今思い返すと、その行為どうだったんだろうな。ストリップ劇場はどこですか? って聞き回ってるようなもんだったと思う。

 聞き込んだ数名の内にストリップ劇場、もとい奴隷市場を知ってる人がいてよかったよ。


 ……しかし、着いた先はものすっげぇぼろ屋敷で、こんな廃屋一歩手前のオンボロが奴隷市場? って、最初は騙されたのかと思ったが、どうやらカモフラージュってやつなんだろう。

 ただ、この場所は先も言った通り一見さんお断り……なのだけど、身元を門番に伝えると直ぐに通してもらえた。グラフェイン家って俺が思った以上に名が通っていたんだな。

 そっから先に通されるまでじいは呆然としながら俺を見ていた。





 屋敷の主らしき男はこんな毛も生えてないガキにヘコヘコ頭を下げてくる。

 その男は豚が服を着てるっていうのが第一印象を持った。以前の俺を思い出させて気持ち悪くなる。

 そのままじいと2人で屋敷の地下へと案内され、薄暗くてかび臭い広間で並び立つ裸の奴隷たちを前にした。

 ……すげえな。おっぱいがいっぱいだ。お姉さんが俺の前で体をくねらせる。

 男はどうでもいい。変なポーズ取るな。どっちの意味でも目のやり場に困る。

 だが、ここで見蕩れてるわけにもいかない。

 俺は目的の天人族の女の子を奴隷たちの中から探してみたが、どこにもいない。それどころか子供すらいないんだ。

 直接、主の男に聞いてみた。


「天人族の女の子がいるって聞いたんですけど?」

「なんとお客様はお目が高い! その娘は当屋敷の一番の目玉でございます。ささ、こちらに……ってあれ、ルイや? ルイー?」


 ほう、そいつはルイって名前なのか。

 きょろきょろとオーナーが俺と同じく奴隷の中からルイって子を探し出すが、やはりここにはいないみたいだ。


 まだ買われてはいなかったんだと安堵する。

 だが、ここからが勝負だ。人の可愛いって言葉は中々にアテにならない。

 ここまで来てその子が外れだったなら、乗り物酔いで地獄を味わうために来たようなものだ。


 逸る気持ちを抑えられず、主の男の制止を振り切って俺は奥の通路へと向かった。

 広間から先はひどいもんだった。男が行かせたくない理由もよくわかる。

 そこは人間のあらゆる臭いが充満していたし、薄暗くて足元もおぼつかないし、空気も悪い。人が生活するには適さない場所だ。

 何よりも汚物以上にすごい異臭が漂っている。なんだっけな。焦げっぽさと言葉に出来ない吐き気を催す嫌な臭いだ。


 足を踏み入れた時は後悔したよ。

 まあ、そうぴりぴりとしながら、廊下を歩いていくと、めそめそと聞こえる泣き声が耳に届く。

 その声のする部屋へと踏み込めば、地面に伏して泣きじゃくる女の子と遭遇した。


 その女の子、ルイは猛獣の檻みたいな箱に手を差し込んで泣いていた。

 何してんだこいつって思ったら、その箱の中にどうやらもうひとりガキが詰め込まれているらしい。

 檻の中にいるそいつの髪が黒いこともあって、まるで頭のない肢体に縋り付いてるようにも見えた。


 オーナーに呼ばれてその女の子がこちらへと顔を上げた時、俺の目は見開かれた。

 だってよ、青髪だよ。青髪の話通りにかわいい女の子だったんだ。

 もう完全ファンタジー! しかもこれまた話通りに先の尖った耳の、まさにエルフ!

 オーナーから渡された布切れで顔を拭いた後はもうすっごい、すごい可愛いのだ。

 学校で知り合った女の子よりも年下なのに、天秤にかけること自体失礼に思えるほどに可愛いのだ。

 栄養がないのかちょっと顔はこけているが均等のとれた顔立ち、綺麗に通った鼻に大きな目。

 しかも、瞳なんて赤いルビーみたいでアルビノかよ! って思うほど。

 主の男に言われてか、ルイは立ち上がると俺に頭を下げる。


「ぼくの名前は……ルイ、です」

「……ぼくっ!?」


 ぼくっ娘だ!!!

 すごい。エルフで青髪でぼくっ娘の美少女。最高どころか完璧だ。

 薄暗いから近くに寄って俺は少女を観察しまくった。まるで美術館の裸婦の石像をこねくり回すように見るくらいにね。

 おさわりは厳禁だってことも忘れて俺はルイの耳へと手を伸ばしてしまった。


 本物……だよな。こりこりするし。ちょっと冷たくてそれでも尖端の軟骨が俺の指の腹を押し退ける。

 目を合わせて怯えた彼女の視線。怖くないよー! なーんてね。

 決まりだ。これは俺が買う!


「……うわさに聞いた以上だ。しかもぼくっ娘だなんて…………はい、じゃあ、これいくらになります?」

「は、はい……」


 それから男は頭の中で算盤でも弾いてるのかってくらいわかりやすい反応をしてから口を開いた。


「15リット金貨と……」


 これも聞いていた通りの反応で、思わず笑いが込み上げてきた。


「この店は人の足元を見るんですね?」

「何をおっしゃいます。ご存知でしょうか。天人族は子を大事にする種族。成長した天人族はともかく、子供のままで奴隷に出す親など自身も、そして、周りの者が許しません! ですので、子供の奴隷とは大変希少で、それだけの価値があると私たちは考えております」

「ふーん、ではどうしてこの子はここにいるんですか?」


 そこからは苦しそうに男が弁明をし始めるが鼻で笑ってやる。

 エルフに……天人族については俺の現在の生活圏内で出来る限りは調べたつもりだ。

 俺は全部知ってることをさぞ博識のように語る男にこちらも同じ様に対応すると、顔を真っ青にした。ここの近くにあると聞くの名前を出したら一発だ。

 まあ、落としどころは考えている。


「では、一つ名案が浮かびました」

「と……申しますと?」

「俺がこの子を保護しましょう。勿論、ただとは言いません。今までこの子を育ててもらった分のお金は払います」

「そんな! この子にかかった金なんてたかが知れ……はっ!?」


 いい大人が口を滑らせるさまは滑稽で笑いそうになるがそこはあえて見なかったことにして続ける。

 多分、これだけ出せば十分だろう。


「まあまあ、あわてずに。……12リット金貨でどうです?」

「じゅうに……!?」


 予算はまだあるにはあったけどね。 

 そこからはとんとん拍子に話が進むものの、何故かルイが泣き叫びだした。

 だから、後ろにいた天人族のイケメンに言われるままに箱の中にいる男の子も買ってみた。どうやらこいつはルイのお気に入りらしい。これで初対面のルイの好感度が上がるならよしとした。


 ただ、買った後に後悔もした。

 薄暗くてわからなかったが日の外に出してみたらそいつがすげえ顔立ちの良いガキだった。

 俺もイケメンの部類には入るだろうが、気を失っていても、まだ幼くても、性別を感じさせない色香を持つ少年だった。

 

 シズクって名前を聞かされた時はまさか前の世界の住人か!? と俺の中で妙な胸騒ぎがしたが、馬車の揺れで気持ち悪くなりながらもルイに名前について聞いてみたら、名付け親はとうに他界してたらしい。

 そいつが前の世界の住民だろうか……。

 もしもそいつが生きていたら少しは話をしてみたい気もするが、前のことについて突っ込まれたら嫌なのもある。

 ただ、もしかしたらこの世界には俺と同じような人間が他にもいるかも、という情報を得られたことは大きい。


 その後、帰宅した後にひと悶着ありつつも、シズクを男として目に入れるのが嫌だったから女装をさせてみた。

 初日で驚いたことにこいつは自分の顔を見たことがないらしい。シズクは自分の顔を見てきょとんとしていた。

 だが、やっぱりいけ好かない。

 俺とルイが一緒にいるといちいち反抗的な視線を送りやがる。気が付いてないと思ってるのか? さっと目を向けると直ぐに笑い直すのが尚更苛々させる。


 出来れば夜もルイを部屋に引き込んで一緒に生活を行いたかったが、どうやら両親は2人を他の従者たちと同等に扱うと決めたらしい。

 こればかりは俺も否定できずに歯痒い思いをしたもんだ。





 屋敷に戻ってきて早々、両親の旧友であるフォーレ家の人たちが遊びに来た。

 公爵であるクライン・フォーレはなんだか優男っぽい感じで特に言うことはない。しかし、そいつの妻であるベルレインは最高だった。

 俺を見るなりぎゅっと抱きしめられた時の乳圧は延髄もの。母親とは別の女の匂いがしてくらくらして堪らなかった。


 その2人の子供のルフィスはまるで人形のように大人しい子だった。この屋敷にいる間ずっと母親から離れようとはしなかった。

 ルフィスはまだ乳離れも出来ていなそうなガキだったが(それでも俺と同い年とか……)ベルレインを見る限りだと将来美人になる。今のうちに優しくしておいても損は無いだろう。


 そうしてこれと言って変化もなく時は過ぎ、10を越えるか超えないくらいに、俺は王都へと行くことが決まった。

 高等学校(前の世界で言えば中学レベル)に入学するらしい。

 一人暮らしは前も今もはじめてのことだ。

 ちょっと不安があるが、両親の話に聞く分には気楽に構えればいいらしい。まあ、親元から離れて自由に行動できるって点もあるか。


 ただ、そのせいで俺は剣術を学ばければいけなくなった。

 そのため、ユクリアっていう中学か高校くらいのガキが俺の師として就くことになった。

 口の回るやつでチャラく俺の苦手とする人間だ。こんな奴が剣なんて扱えるのかよ。

 教えてもらう内容も糞みたいなもんで、最初はハイハイ言って言うことを聞いたが飽きるって。魔法が使えるんだからそっちを伸ばしたい。


 ぶつくさと腐り始めていた頃、ユクリアは冒険者ギルドなんてものを口にした。

 ……まじか。


「長かった……嫌な時間ってなんであんなに長いんだろう……」


 おかげさまで単調な練習も我慢出来たってもんだ。

 いったいどんなことが待っているのだろうと胸を弾ませたんだけど、やることは雑用雑用雑用……。

 領主である俺が領民の言うことを次から次へと聞いていくというものだった。お使いイベントじゃねえか!

 町の外に出ることもできたが魔物が来てもゴドウィンが倒しちまう。

 薬草摘みだとか、買い物の代行だとか、芝刈りなんてものものあったがもう辛くて仕方なかった。

 そういう小まめな作業から開始するのが冒険者ってもんらしい。

 おかげで段位がひとつ上がった後でようやく魔物退治をすることが出来た。


 ただ、そんな雑用よりも一番解せないのがルイを連れていけなかったことだ。

 シズクが余計なことを言わなきゃ俺はもっとルイと一緒にいられたんだ。

 くそ、あいつは忌々しい。





 また、フォーレ家がうちに遊びに来ることになった。

 俺の予想通り数年合わないだけでルフィスは女らしくなったし、このままいけば完全にベルレインになるな。今のうちにフラグを立てておいてもいい。

 初日の夜は俺の部屋に来るかなって思ったけどそうはならない。この年でまさか初体験!? と期待していたのにあんまりだ。

 独り枕を濡らしたその次の日には急きょ魔物狩りが行われることになり、屋敷の準備中にユクリアが俺に立ち回りを教えてくれた。

 なんでも、大げさに敵の攻撃を回避するといいみたい。見世物の一種だからだとか。なるほどなあ。


 最初のゴブリンは剣を落とすことは想定外だったが呆気なく倒し、大蜘蛛は吐き出す糸に苦戦しながらもどうにか倒すことができた。しかし、問題は次だ。

 ウルフは俺今まで倒したことないんだよな。

 それどころか、たとえ刃物を持っていようとも、狼を相手にするなんて普通は無理だってもんだろ。


 ユクリアが危なくなったら手助けします、なんて言ってたけど正直俺はビビっていた。

 自信はあまりなかったが、捉えられたウルフは弱ってるらしくてまったく微動だにしない。

 これならどうにかなるだろうと、仕方なく前に立ち剣を構えたところで事態は一変した。


 横になったままのウルフが突然、暴れ出したんだ。

 最初は俺に向かってくるのかと思って気を抜いていたから正直漏らしそうになった。

 だけど、ウルフは周りの従者たちの間を縫うように走り抜け、そのまま向かった先はルフィスのところで――まあ、シズクが身を呈してウルフから守った訳だが……。


 この一件からか、ルフィスはシズクが妙に気に入ってしまったらしく、俺はシズクを譲る以外に謝罪の方法が見当たらなかった。

 そう仕方なしにね……正直言えば痛くもかゆくもないどころか、大歓迎。

 金を払ったのは両親だが、シズクを売った金は俺の元に来るだろうしね。

 学園生活の軍資金にしてやろう。


 今ではウルフも気を抜かなければ直ぐに倒せるほどには実力が付いたさ。

 最近だとゴドウィンまでもが俺の腕を褒めてくれる。いい気分だ。 

 そして、俺も12歳になり、この年末頃には王都へと向かうことになる。


 ――が、その前に一つ。


『俺はもう変わったんだよ! 昔の俺なんてくそくらえだ!』


『ああ、確かに俺は望んだよ! こんな世界滅べばいいのに、ってさ。でも、あんなタチの悪い願い、あの世界じゃ俺以外にも望んでいたやつはごまんといるだろ!』


 そんな最高に気分のいい頃に、唐突にあの声が久方ぶりに俺に話し掛けてきた。

 何かグチグチと前と同じく口の悪い声に言われて、腹を立てた俺はあまりのことに前の世界の言葉で叫んでやったよ。


 ……なんだっけな。


 俺は、何かと戦わないといけないとかその声は言ってた覚えがある。

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