第37話 とある男の人生
――あんたにオレの望みをひとつ聞いてもらいたい。
この言葉がすべての始まりだった。
最初は隣の糞デブ兄貴が発狂でもしたのかと思い、壁を殴ってやった。それでも止まない天の声に俺は怒り露わに部屋に押し掛けた。
しかし、その声は兄貴じゃなかった。
「な、なんなんだよ、おお前! か勝手に入ってくんなよ!」
――うわ、似た者兄弟……。
きょどりどもる兄貴と別に聞こえるその声は、つまり俺の幻聴だったというだ。
俺もついに頭がおかしくなったか。無職で引き篭りで頭もイカれた三重苦。
いろいろ話を吹っ掛けられるうちに本当に気が滅入りそうになった。
しかもこいつが中々に口が悪い。
――お前は兄を糞だデブだと罵るが、自分を鏡で見たことはあるのか?
「余計なお世話だ糞野郎。自分のことは自分がよくわかってんだよ」
と、幻聴相手に反論すらしてしまう。
これまた俺も糞兄貴みたいに屑でデブで髪も伸びっぱなしの糞野郎だ。そんなの俺が一番わかってるんだよ。
自身のストレスから生み出された幻聴であると確信し、これも一種の電波や妄想の類だと吹っ切れて、ついついその声……女の声に乗ってみた。
女の声ってところでますます俺の妄想なんだって強く思う。
「じゃあ、その一つってやつを聞いて俺に何のメリットがあるんだ?」
――そうだな。ではいくつかお前の願いを叶えてやる。
はあ、そうですかと早速いくつか願いを言ってみた。
まずはありきたりに金をくれ。俺をモテるようにしろ……うまいもんを食わせろ。嫌々ながらに俺でもできる職の案内……どれも駄目。
ふざけんなよ馬鹿野郎。使えねえにもほどがある。
こんな電波を受信するのも多分2か月も外に出てないからだと俺は悟ったね。
日中は人目を気にして無理だけど、日が落ちた後は結構余裕。
気分転換に散歩に行くなら公園で十分だと思い、そこまでの道ですれ違った高校生たちが俺を見るなり笑いやがった。
こんなことは俺が外に出たら当たり前にあって、もう慣れた。だけど、ムカつくことには変わりない。
「おい、あいつらを何とかできないか? 最高に不幸にしてやりたい」
まあ、また答えは無理だって言うんだろ?
そう思ったら俺の電波は意外なことを言いやがった。
――それなら叶えられる。見ておけよ。
はあ? 俺の電波はそのままあいつらの後を追えとかなんとか言ってくる。
まあいいか。俺は暇つぶしには丁度良いとあのクソガキどもから少し離れて後を追うことにした。
◎
着いた先はネオン輝く駅前近くの繁華街で、正直俺のメンタルでここに来るのは厳しすぎる。だけど、声は先を行けって言う。
周囲の人間は俺を嘲笑っているかのように思えてくる。まったく自惚れもいいとこだ。錯覚だ。錯覚なんだと思わないとやってられない。
ああ、ガキがこんな夜に歩いてんじゃねえよ。
俺はこんなにもダメージを受けているっていうのに、くそ、あいつら馬鹿みたいに口開けて笑ってやがる。
――ではやるぞ。しかと見てろよこの糞豚野郎。
最後の方は聞き捨てならねえ妄言の言う通りにすると、ちょっと先を歩く高校生たちが突然立ち止ったわけだ。
俺も同じく立ち止り、後ろに続いていたらしきおっさんが声を上げてぶつかってきた。
くそ、人にぶつかってきて謝りもしねえのか。おい、なんだその眼は。この禿げシバくぞ――などと、口にはできなくても睨み付ける……こともできずにただ身を小さくするだけだった。
「お、おい! 喧嘩だ!」
俺がおっさんに気を取られている間に、あの学生たちがいきなり暴れだしていた。
声を荒げて殴り合い、他の通行人を巻き込んでの大乱闘をおっ始める。
これには俺も言葉がなかったね。
背負ってたバッドを抜き出して、近くの放置自転車を片っ端から殴り始めたその顔は、正気とは思えないほど真っ赤になっている。
逃げ惑う通行人たちと同じよう避難して、範囲外から警察に捕まるまでの一部始終をどうにか見届けた。
――どうだ。この世界だとこんな感じで最高の不幸になれるんだろ?
嘲り気味に声が俺に言う。
正直、あの場にいた時は乱闘に巻き込まれるかと怯えもしたが、今はすっげえ興奮していた。
あんなもん滅多に見れるもんじゃない。俺を笑った学生どもは顔を真っ青にして警察に取り押さえられている。
ざまあねえ。
その後は気分の良いままに家に帰宅した先で、両親たちと顔を合わせる。
会話はないが、その目は言わずとも俺の気分を鬱蒼とさせるものだった。
はっきり言えよ。働けってさ。
何も言わねえんならお前らはずっと俺を死ぬまで面倒見ればいいんだよ。まじ、もうどうでもいいわ。
だけど、親が死んだ後のことを考えるとまじで死にたくなる。
その先はどうすんだ。気持ち悪い。まじで死にたい。いっそ誰か俺を殺してくれないかな。
もしくはそう……ぽつりと呟く。
「こんな世界滅べばいいのに……」
――世界は無理でも、この町もしくは、町の周辺くらいは可能かもなぁ?
まじでか!?
思わず身を起こし、その声というか天井を見上げた。
――ああ、だがオレも正直どこまで影響を与えられるかねえ。何も起こらないかもしれねえな。
構わない。やるだけの価値はある。昨晩のあれはただの偶然だった可能性もある。これが叶ったらこの声は本物ってことだ。
それに、その滅びに巻き込まれて死ねるなら最高にいいんじゃねえか。
やっとこの気持ち悪い世界から解放される。
早速、その願いを聞き遂げてもらおうとしたんだが、どうやら俺の部屋では無理らしい。
仕方なしに俺はまたも外に出る羽目になった訳だが、決行は明日に回した。
明日が休日で本当によかったよ。平日の昼間は無職と言う社会的な屑である俺がいていい世界じゃない。
まだ家の周りなら大丈夫だと思う。だが、その先はもう足が竦んじまう。
◎
翌日、俺は家を出た。恰好は昨日のままだ。今更ファッションなんて気にしてない。気にしたこともない。
休日であるため親父とお袋は家にいて、俺を気遣いながら声をかけてきたけど無視をした。
その後、声に言われるままに道を進み、着いた先は車の往来の激しい住宅地。
今も目の前の車道は制限速度の20か30は余裕でオーバーして車が走っている。
(ここならいいのか?)
小声で声に話しかける。流石にいつもみたいに話していたら人目に付くからな……。
――ここなら大丈夫だろう。じゃあ、ちょっと見てなって。
声の言う通り、俺は期待しながらその時を待った。
いったい何が起こるんだろうか。
空から隕石でも降ってくんのか。もしくは、爆発とか。大地震とか……って、あれ、地面が……まじで地震か?
揺れは次第に激しくなり思わず地面に尻もちをついて座り込む。
俺の近くには高層物の類はない。だから安全地帯で揺れ動く様をぼけっとアホ面下げて見ていた俺だけど、危険っていうのはどこから来るかもわからんものだ。
突然、隣の車道からはみ出した軽自動車が俺に向かって突っ込んできた。
前の席に座った、俺とは別の意味で人生を舐め腐ってる典型的なヤンキーカップルの緊迫した怯え顔が視界に入る。
あ。と思った時には悟った。これは、死ぬ……!
「た、たすけ……!」
思わず口から洩れた――信じられるか?
さっきまで死にたいって思ったのに、結局目の前に死が立ってたら助けを口にしたんだぜ。人間ってこんなもんだよな。
情けなくて死にたくなったけど、俺はどうやら死にたくなかったみたいだ。
幸か不幸かその軽は俺に衝突する手前で、何か見えないものにぶつかったみたいに進行方向を変えて反対車線へと躍り出た。
そして、その反対車線を走っていた対向車にぶつかり、そのままなし崩れに後続の車もぶつかっていった。
俺はただその場にへたり込んで、その状況を見ていることしかできなかった。
目の前で発生した玉突き事故の中でも、一番被害の大きい車は空き缶をつぶしたみたいに小さくなっていた。
◎
それから一週間が経ち、俺は近くの公民館に兄貴と2人で避難していた。
今は敷かれたビニールシートの上で毛布に包まり天井を見上げている。
他にも知らない顔の人たちが何組かこの部屋にいるけど殆どの人は場を離れているらしい。
だからここには俺と兄貴の2人に、後は老人とか動けない人なんかがだらだらと過ごしていた。
俺の家族は2人だけだ。両親は? はは、死んだよ。
あの地震に巻き込まれて我が家は倒壊。2階部分が落下して下敷きになって死んだらしい。
面白いよな。両親がいたと思われる場所の上が兄貴の部屋でさ、兄貴は両親を押し潰して生き残ったみたいだ。
最高に幸せだろうよ、うちの両親にしてみたら身体を張って息子を生き長らえたんだからな。
……くそが! 俺の世話は誰がする!?
結局、俺は死ぬこともできず、毛布に包まって日々を過ごしていた。
この状況に絶望して無気力……というのはなく、ただ動くのが億劫だったため寝ているだけだった。
そして、この一週間、あの声は話しかけてはきたが俺が返事をすることは無かった。人目の付く場所で幻聴に話すほど俺は図太くない。この慣れない環境に疲れていたりもする。
まあ、ちょっと後悔してた部分もあるけどな。自分なりにこれでも反省タイム。
「みんな、ごめんな! 信じられんと思うがこの震災は俺が願って発生させたものだ! まじでごめんな!」
……なんて、そんな謝って事態が回復するなら俺は何度だって謝っちゃうよ。
でも、そんなのありえない。だからこそ俺も被害者ぶってこうして毛布に包まれているわけよ。
しっかし、暇だ。配給受け取って飯食って糞して寝て。他にやることねえよ。
「なあ……いるか?」
と、ぼそりと呟く。
兄貴や、数少ない人の目が集まったが、正直もうこんな状態ならどうでもよくなった。
――ああ? オレのことを呼んだのか?
直ぐに声は反応してくれた。ちゃんと反応してくれたと心のどこかでほっとした。
「ああ、いるかどうか確認しただけだ」
――そうか。ところで、もうそろそろいいか?
「うん? 何の話だ?」
――だから、オレの望みを聞けって話だよ。最初に言ったろ。覚えておけよ。お前は屑豚のくせして頭は鶏かよ。まったく救えねえ。
「黙れよ糞野郎」
「お、おお、おい。お、おまえ、どうしたんだよ。正気になれよ」
「うっせえよ。話しかけんな。この親殺しが!」
俺の心配でもしたのか糞兄貴を黙らせる。お前は自分の心配をしてろよ。
親殺しって言葉が効いたのか兄貴が人間様の言葉じゃない嗚咽を上げてその場に丸まったのは見てて辛い。見るに堪えないって意味でだ。
まあ、そろそろいいかなって気はしてきた。
こいつの望みがどんなもんか知らんが、そういう約束だった。別に俺は同意はしてないと思うが、もうどうでもいいか。
俺は横になったまま、「いいぞ」と頷こうとした……ところで、今いる部屋の扉が開いた。
「ん? なんだ」
扉からは女が顔を出してちらちらと首を振って周りを覗いていた。
今どきっぽい感じのまあまあに可愛い女の子だ。多分高校生くらいだろうか……。
その女は一通り周りを見て、近くにいたばあさんに話しかけては落胆して去っていく。どうやら人探しをしているみたいだ。
いい気なもんだな。他人よりも自分のこと心配しろよ。
周りの話を聞く限りだと外には強盗や暴漢が出るらしいぞ。かなり治安が悪いらしいし、絶対あいつ襲われるぜ。
路地裏に連れ込まれて複数の男どもに嬲り者にされる……ん? それも、面白そうだな。
(おい、また一つ叶えてくれ)
――またか。いい加減にしろよ。心の広いオレもそろそろ限界だぞ。
(そういうなって。これで最後にするからよ)
そうして、俺は糞兄貴を連れてあの女の後ろを追うことにした。
この屑を連れていくのは声によって操ることに成功したからだ。初回の願いで学生を操って暴れさせたんだから出来て当然だと思ったが、兄貴の場合は操り人形のように俺の言うことを聞かせられる。
この願いが叶ったことは幸運だった。もしも捕まりそうになったらこいつを差し出せばいい。
しかし、この数日、普段以上に怠けていたせいか女の後を追うだけで一苦労だった。
外には誰もいなかったが、瓦礫撤去でもしているのかガタガタと耳障りな音があちらこちらと響いている。
女はこの辺の避難所を行き来しているらしい。
俺らは避難所の外で隠れ、女が出てくるのを待つ。
もう慣れたものらしくて避難所と思しき場所に入って直ぐに出てを繰り返していた。どうやらここも違うらしい。
俺としては早く薄暗い地味な場所に移動してほしかったが、女もそういうことはわかっているようであえてそういう道を選ばないようにしているらしい。
ここで声に頼んで女をそういう場所へ誘導させようかと思いついたが、その前に女は当たりを引いたようだ。
小学校の体育館から啜り泣く女と共に一緒に男がついてきた。
男は今にも倒れそうなほど憔悴していて、げっそりとした頬に青白い顔は体調不良が目に見えた。
なんとなく……わかってはいたが、くそ、彼氏持ちか。
きっと震災前はあの男のアレを毎日ぶち込まれてひいひい喘いでたんだろうな。
恋人どころか異性とまともに話したことも記憶に薄い俺が2人を見てキレるのも当然だろ。おかげでちょっとは持ち合わせていた呵責は消えた。
その後も2人の後を追う。
◎
2人はある公園のベンチに落ち着いた。
話は遠くて聞けなかったが、ベンチに座る2人はなんともいい雰囲気だ。
それに比べて俺はどうだ。見たくもねえ生気のねえ肉達磨を隣に控えて盗み見る不審者だ。
――お前本当に気持ち悪いな。生きてて恥ずかしくないの? しかも何となくしたいことも予測できたし、今のお前は生きてるだけで有害だな。
うっさいわ。そんなの毎日思ってんだよ!
俺自身毎日生きててごめんなさいって謝ってんだよ。それくらい察しろよ!
でも今の俺は性欲を満たすことが全てだ。それが終わったらもうどうでもいい。声が望むって言うなら例え人殺しだってやってやるさ。
そうしてずっと観察していると一方的に話しかけていた女の方が立ち上がった。
男は変わらず座ったままだ。追いかける気はないらしい。そのまま女は公園を出ていったところで俺も行動を開始した。
どうやら痴話喧嘩でも起こしたのか、女は今までの警戒が嘘のように人気のない廃墟へと向かっていく。
嗚咽が止まらないらしく、ちょっと離れていても鼻をすする音が聞こえる。
だが俺にとっては好都合。女の足は止まらず奥へと進み、公園から結構離れたところでしゃがんで泣きだした。
ここで優しく声をかければ昔の彼を忘れさせてめちゃくちゃにして! って展開になるかもしれない……はっ、俺の容姿は俺自身がよおくわかってる。
「じゃあ、よろしくな」
――屑っぷりが見てて気持ち悪くなってきたよ。
声の力で昏睡させた女を近くの廃屋の中へと連れ込んだ。
自慢じゃないが俺は分厚い見た目に比べて力もない。これなら最初っから兄貴みたいに女を操作すればよかったじゃねーかとも思ったが後の祭りでもある。兄貴を連れてきて正解だった。
2人で運んで兄貴には女が意識を取り戻した後も動けないよう背後から抑え付けておく役を担わせた。
いよいよだ。
俺は震える手を女の胸へと押し付けた。
「……温かくてやわらけえ」
これが人裸か、と生まれてこの方、女体というものとは画面越しにでしか縁がなかった俺もついに本物の乳房に触ることができた。
女の胸は貧相だったけど、しっかりと女を主張しているし全く問題ない。シャツとブラで若干嵩張り感触に硬さを持つが、それもいい具合に性欲を昂ぶらせる。下半身が主張して痛い。
何度も触っているうちに直に触りたくなって俺は無理やり女のシャツを巻き上げようとして……俺の股間は限界に達していた。
う、と思わず声が出る。
「うわあ……やべえ……出ちまった」
この異常な状況に俺はかなり興奮していた。だけどよ、まさかする前に終わりってどうなのよ?
もう何日も穿き続けているパンツの中はきっとすごいことになっている。
まくり上げたシャツを放して俺ははあと溜息をつく。
ふと、意識の無い2人が冷めた目で俺を見ている気がした。
「そんな目で見るなよ恥ずかしい……」
仕方なしにと俺は家の奥へと向かって何か拭くものを探していたんだが……。
――オレはゲテモノ趣味ってわけじゃないんだ。本当ならお前とも話したくないんだ。
「うるせえな。少し黙ってろよ。今からいいとこなんだから」
――黙れ先走りの早漏野郎。お前みたいなカスに一ついいことを教えてやる。お前の糞兄貴とやらが目を覚ましたぞ。
「は、どういうことだよ!」
俺は下の処理もそのままに、急いで女の元へと戻るとなんとあの人前に出るのが怖くて引き篭ってたクズが俺の女に跨って、ことを始めようとしていたんだ。
「うげぇ……」
兄の興奮した表情は俺の性欲すら奪うほどの醜悪だった。
無意識な女の前だとは言え、あの引き籠りのどこにそんな行動力があったのかと不思議に思ったところで我に返る。おい!
張り倒そうかと思って近づこうとした時、直ぐに俺は足を止めた。
あいつの彼氏らしき男が視界に入ってからだ。思わず俺は家屋の中に隠れて様子を伺うことにした。
何やら一悶着あったらしい。それ以上は物陰に隠れて音を頼りに状況を知ることしかできなかったが、彼氏くんはどうにか女を助けることができたみたいだ。
よかったね。犯される前に助けることができて。けっ!
それに比べてうちの兄貴ときたらよ。被害者ぶって悲鳴を上げる暴漢魔に俺は本当に吐き気がして仕方がなかったわ。
◎
その後は何もかもどうでもよくなり、廃屋の中で蹲る兄貴も見捨てて俺はいつしか駅前の繁華街へと向かっていた。
未だにパンツはぐちょぐちょで下を見るとまるで漏らしたかのように染みができてるけど着替えなんてない。
随分出したなあ。溜まってたから当然か。着替えどうしようかね。
なんて考えながら暫くそのままで、近くの路地裏に座ってぼーっとしていたら、何故かどうしてかさっきのカップル2人が現れた。
泣き出す女を彼氏が抱きしめるという感動のシーンなんだというのはわかったが、生憎と観客は俺だけなんだ。悪いな。こんな気持ち悪い屑しかいなくてさ。
しっかし、苛々するな。
俺はパンツの中がぐしょぐしょで最悪の気分だって言うのに、あの2人は一つの試練を乗り越えさらにお互いの絆を強めた的なシチュエーションに酔いしれている。なんだこの雲泥の差は。
だから、俺はまた――
「なあ、あの2人殺せる?」
――て、呟いて直ぐに2人の上に瓦礫が落ちてきた。
「……は?」
女は彼氏を庇ったらしいけど、すぐさま彼氏も後を追うように続く瓦礫に潰されていた。2人がいた場所には赤い水溜りが出来ている。
声からは何の返事もなかったのでちょっと、いや、かなり驚いた。
地面にべちゃりと血糊が撒かれとても悲惨なことになってる。
瓦礫から飛び出たひしゃげた腕や足、赤黒い液体に漬かったピンク色の肉がその場に散らばっている。
「……おえっ!」
喉の奥が震えてゲロをまき散らした。
すげえ。人って死んだらこんなのかよ。
臭いはまだ鼻に届いていないはずなのに、くせぇって錯覚しちまう。
飛び降り自殺現場なんて毎回こんな感じなのかね。こんなにグロかったのか。
「ま、まさか、今の俺の願いが……?」
――……お前の願いは叶えてないな。いっそ、お前が死んだ方がオレはスカッとするよ。
いや、俺が死んだ方がって……突っ込む気力は無いし、あったとしても突っ込まなかった。俺は死んでもいい人間だった。
路地裏の壁を背にしたまま腰かけて、息を整え天を仰ぐ。
嘔吐によって潤んだ目にやけに空が青く映える。
暫く、空を眺めていたが……がさりっ――と、何か小さな音が聞こえてはっと意識を取り戻した。
「な、なんだ……?」
キョロキョロと辺りを見渡すが、何もない。
何かが倒れたような音が聞こえたけど、気のせいか……ぼーっとした分、少しは冷静になれた。
そして、思う。
この声は本物だ。
色々と縛りは多いが、面と向かってなら人間に対しては結構使える。
この力をうまく扱えば神ですらなれるだろう。そうしたら、この世界に対して俺は見返すこともできるんじゃないか……?
そんな幼稚で確かな妄想に悶えていると、声はため息交じりに俺に言う。
――もううんざりだ。オレの望みを聞いてもらうぞ。今さら拒否権はねえからな。
「おいおい、拒否権はって――……あ、れ……?」
その声を聞いた時、俺は言葉を発することなく、その場で横に倒れた。
支える腕に力が入らないから、肩から地面に当たり、直後に頭をぶつける。
痛い、と感じた時には俺の視界は白く塗りつぶされた。
◎
「ゼフィ? どこにいるのゼフィ?」
「はぁい、母様。僕はここです」
呼ばれてゼフィリノス・グラフェインこと俺は書斎から顔を出して母親のホルカ・グラフェインの元へと駆けつけた。
まだ読み途中だったんだが、と小さなため息をつきながらも誰もが顔を綻ばす魅惑を持った笑みで対面する。
猫を何匹を被って俺はこの母親と今はいない父親であるオーキッシュ・グラフェインの前で良い子ちゃんを演じていた。こんなことならもう少し我儘でやんちゃ坊主にすればよかったと思うも時すでに遅しってやつだな。
「今からお父様のところへ行ってきますね。みんなとお留守番お願いね」
「はぁい、気を付けて行ってらっしゃい」
「ゼフィはいい子ね。ああ、そうだ。何かお土産でも買ってきましょうか?」
「僕は母様と父様がいてくれればそれだけで十分だよ!」
「まあ、なんて親思いの子なのかしら!」
と、こんな感じである。
その後俺を抱きしめて何度も頬擦りをしてくるわけ。そこで「苦しいよ母様ぁ」と両手で母親の胸を押し返す俺はなんて親思いの息子だろう。そんな親思いの俺を主張せずそれでいて控えめでもないほど良い大きさの乳の感触を楽しむことを誰が咎めることができるだろうか。
自分を産んだ母親とはいえ、美人であり子供一人産んだとは思えないスキンシップ多めの幼な妻のホルカに欲情しないなんて俺には土台無理な話である。
……なんて、その後の俺はゼフィリノス・グラフェインとして第2の人生を絶賛稼働中で大いに楽しんでいた。
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