第36話 シズクの急変



 あの夜からぼくらは、おじさんを通して高収入の依頼書を優先的に受けさせてもらえるようになった。

 たまに酔っ払いがこそこそと依頼を選ぶぼくらを怪しんできたこともあったけど、そこはおじさんが気を利かせてくれて、どうにか誤魔化したりもして。

 提示された依頼の中には遠くまで足を運ばないといけないものもあって、そういうのは断ったけど、もしもそれを受けることが出来たらもっと早く溜まったと思う。


 また、あの夜にいた人たちの中にはぼくらの話を聞いていた人もいたみたい。

 すれ違った時、がんばれよって小声で声をかけてくれた獣人さんがいた。

 ちょっとびっくりして、でも、大声でありがとう! って叫んだら、まわりの酔っ払いからうるさい! って怒鳴られた……なんてこともあった。


 屋敷仕事で日中を走り回り、夜の顔として依頼に駆け回る日々。


 時には風邪を引いたり体調を崩したりして受けれない日もあった。

 ぼくなんて原因不明の熱で5日も寝込んじゃったこともあったしね。あの時は自分のことなのに何が何だかわからなくてすごい怖い思いをした。ただ、熱の原因がわかればあっさりと下がったんだけどさ。


 思うように依頼を受けられないこともあったけど、それでも頑張って頑張ってぼくらは依頼をこなしていき、瞬く間にまた1年が経った。


 ぼくはもうすぐ10歳。シズクは来年に10歳になる。

 お金は15リット金貨とちょいまで溜まっていた。





 その日、ぼくとシズクはゼフィリノスさまのお部屋で荷物整理に追われていた。

 理由はあと数か月後、13之月の頭くらいにゼフィリノスさまは王都グランフォーユへと向かい一人暮らしを始めるからだ。

 一人暮らしって言っても、学校保有の貴族用の宿舎が用意されていて、毎日のごはんも出るみたい。

 イルノートの言っていた通り、ぼくもゼフィリノスさまに同行する予定になっている。もちろん、それまでに抜けるけどね。


 家具とかはあっちで買うからほとんど持っていくものは無い。

 だけど、年に2度くらいしかこっちには戻ってこれないから、ゼフィリノスさまの部屋にある不要なものを少しずつ少しずつ今のうちに処分しようってことでぼくらは手伝っているんだ。


「うーん、この服はもう着ないかな。ああ、シズク手を抜かないでね。もしも汚れがあったら後でお仕置きだよ」

「しません」


 ぼくはゼフィリノスさまと一緒にクローゼットの中に仕舞われていた衣服を取り出して、グランフォーユへ持っていく服の選別中。横目でシズクの作業を伺った。

 シズクはゼフィリノスさまが使っている剣の手入れ中で、刃をなぞるように布巾で拭いている。


 ゼフィリノスさまの剣はシズクが掃除をしなくてもぴかぴかだった。使い勝手は良いみたいで刃こぼれはしてない。ちゃんと砥がれてるしやっぱりいい剣なのかな。

 剣の手入れって大変なんだよね。直ぐに真黒になるし、一度魔物を斬った血をそのままにして大変なことになったこともあったっけ。


「じゃあ、少し席をはずすけど、2人はそのまま作業してて……いいかい? 僕がいないからってシズクはサボるんじゃないよ?」

「はーい」

「はい」


 ゼフィリノスさまは部屋から出ていく時に、ぼくは机周りを掃除しておくように言われた。机の上には石のついた指輪がいくつかあって、物珍しくてつい手に取ってしまう。

 確かこれ、誕生月にゼフィリノスさまがご両親にもらったやつだ。

 魔道具で出来た指輪で身の回りの災害を防いでくれるっていう。こんな適当に置いていいものじゃないよね、きっと。


「あ……」


 と、指輪がころりとぼくの手からこぼれ落ち、絨毯の上を飛び跳ねころころ転がって机の下に……。


「あーあ、何やってるんですか……」


 シズク見てたのか……!?


「ぼくのせいじゃないよ!」

「いやいや、ルイが手を滑らしたからでしょう……」

「な、何の話かさっぱり?」


 言われたからって訳じゃないけど、直ぐにしゃがんで机の下へと潜り込む。

 あれ……どこだろ……奥の方に行っちゃったかな。

 手を伸ばして手探りで探し、こつんと指先に何かが触れた。あった。これだ。

 よかったー! って、そのまま握ろうとしたところ、ふと、何か指輪とは別のものが落ちているのに気が付いて一緒に奥から引っ張り出してみた。


「なんだろうこれ。本、かな?」


 端を紐で閉じられた茶色の紙束だ。表面には何も書かれていない。

 拾った指輪を無造作に机において、ついついその本をぱらぱらとめくってみる。


「あ、これゼフィリノスさまが書いたのかな?」


 今日は本を読んだとか、転んだら痛くて泣いたとか、夜ご飯が不味かったとか殆ど屋敷の中のことしか書いてないが、どうやらゼフィリノスさまが書いたものみたい。

 全部で20ページほどかかれているが、どれも内容は似たり寄ったり。

 ただ、10ページを過ぎたところで、突然見開き2ページに変な落書きが書かれている。

 大きかったり小さかったり。丸で囲われていたり、ばってんや射線が引かれていたり、大小様々な記号が走り書きみたいにその見開きのページに書かれている。

 ぼくにはさっぱりわからない。

 そして、その落書きが終わるとまた同じように一日の出来事を10ページくらい書いていって、そこから先は最後まで全部真っ白。どうやら書くのを止めちゃったみたいだ。


「ルイ?」

「あ、シズク。見て。机の下から本みたいのが出てきた」


 呼ばれてはっと顔を上げ、サボってると思われるのがいやだったから、直ぐにシズクへと今まで見ていた紙束を見せつけた。


「え、机の下から……それってまずいんじゃ?」

「まずいって何が? どうまずいの?」

「い、いや、だって男の子の机の下っていったら……」

「男の子の机の下がどうかしたの? いいからちょっと見てよ」

「もう、怒られても知らないからね!」


 なんて言いながらもシズクだって興味津々なのがわかるよ! うずうずしてるくせにー!


 ぼくははいっと手渡して、困ったふうを装いながらシズクは紙束を開く。

 でも、残念だったね。実はそんなに面白いことは書いてないよ! と、予想通りシズクは残念そうな顔をして本を捲っていった。


「……え?」


 うん? なんだろう。シズクが小さく声を上げた。

 そんな驚くことなんて書いてないのに、どこを見たんだと横から覗き見たら、あの落書きのところで止まっていた。

 うん、なるほどね。ここはちょっと驚いちゃうよね。なんて笑ってシズクへと顔を向けたら、シズクの目はそのページに釘付けになっていた。

 左から右、囲われた丸から伸びた矢印を追って左に戻って右、下へと向かってまた上に戻る。

 シズクの視線はせわしなくそのページの上を動き続ける


「……シズク?」


 不審に思い、シズクに呼びかけるけどまったくと反応してくれない……なんだろう。

 シズクの顔から色が抜けていく。目の動きが止まらない。瞬きを忘れるかのようにずっとその落書きを見続けている。また視線が上に戻る。また左から右へ。


「ね、ねえ。シズクったら……わっ」


 どうしたのシズク? と肩に手をかけようとしたその瞬間、シズクの手から本が落ちた。


「……はっ……はあ……はあ……はあっ……」


 シズクは自分の胸を押さえて背中を丸め出す。


「シズクっ!? どうしたの!?」

「……ぁ…………ごめん。ちょっと、気持ち悪くなっちゃって……」

「え、大丈夫!?」


 まさか、また悪い夢を見た? ……いや、違うはず。昨晩のシズクはいつもみたいにうなされてなかった。


「……大丈夫だから、ほら……掃除の続きを……」

「そんな姿見せられて大丈夫なはずないよ! ぼくが後でゼフィリノスさまにちゃんと報告するから、今日はもう先に仕事を上がらせてもらおう!」

「でも……」

「でもじゃない!」

「……うん。わかった。ごめんね」


 その後、いらないって断られたけど、無理やりシズクの肩を抱いてぼくらは部屋の外に出る。

 ゆっくりとシズクに負担がかからないよう廊下を渡り、階段へ続く曲がり角に近づいたところで――


『その話をすんじゃねぇっ!』

『××××××××××っ!』


 ――階段の下からゼフィリノスさまが大声を上げて怒鳴っているところに遭遇していしまった。


『×××××××××××! ××××××××××××!』


 まるで誰かと言い争っているようだった。

 でも、声はゼフィリノスさまのものしか聞こえない。ひとりで奇声を上げて喚き散らしているみたいだ。


『××、×××××××××! ××××××××××××、×××。××、××××××××××、×××××××××××××××××××××××××!』


「……」


 その後、ダンダンダン、と階段を強く踏み鳴らして降りていく音が聞こえてくる。


「ゼフィリノスさまどうしたんだろう……シズクっ!?」

「うっ……うぅっ……!」


 呆然と姿を隠しながら自分たちの主であるゼフィリノスさまの奇行を見届けると、突然シズクは支えていたぼくの腕を振り払う。

 そして、口を抑えて走り出したと思えば……廊下の窓から外に――!?


「シズクっ!?」


 え、窓から外に乗り出した!?

 直ぐに窓際に駆け付けて、上半身を乗り出すみたいに外へと飛びだしたシズクの後を追うと、シズクは風の浮遊魔法を使って地面に着地……足をほつれさせてその場に転ぶ。

 それでも止まらないで、四つん這いになってまで直ぐ近くの木の下まで向かって……吐き出していた。

 悲痛な叫びが2階にいるぼくに届く。

 ぼくも直ぐに1階に降り、屋敷を抜けてシズクの元へと向かった。

 肩で息をして、それでも吐き出しそうにえずき続けるシズクがそこにいた。


「ど、どうしたの!? そんなに気持ち悪かったの!?」


 シズクの顔は先ほど以上に真っ青で、顔中汗だらけで、目からは涙がぼろぼろ落ちていて、口から垂れたよだれすら拭わないで……。

 シズクは声をかけたぼくに気が付かないみたいに地面を見ていた。


「シズク! 無茶しちゃやだよ! そんなに体調悪かったならなんでもっと早く――っ!?」

『……×××××××××! ××××××××!』

「……シズク!? 何言ってるの!? ねえ、しっかりして!」


 まるでさっきのゼフィリノスさまの症状が乗り移ったみたいにシズクは奇声を上げている。


「ねえ、シズクったら!」

「……っ……?」


 何度も呼びかけて、肩を揺さぶって、ようやく、シズクがぼくへと顔を向けた。


(――シズク……なのっ!?)


 ぼくはシズクと顔を合わせた瞬間、思わず息をのむ。

 感情の乗らないシズクの顔は涙やよだれでぐちょぐちょで……目はぼくを見ているようで見てなくて……本当にこの人がシズクなのかわからなかった。

 でも、数秒経ってぼくだってわかったのか、シズクの目に色が戻って……。


「あ……あ……あ、ル……イ……?」

「そうだよ! ぼくだよ! ねえ、大丈夫なの!?」


 きょろきょろと周りを見て、シズクが自分がどうしてこの場にいるのかもわかっていない、そんな顔をするんだ。


 その後、ぼくは直ぐに人を呼び、カリアさんにシズクの様子を見てもらった。

 でも、シズクのやつ。顔を真っ青にしてカリアさんの前では平気だって振る舞うんだ。

 でも。


「シズク……今日は休みなさい」

「いえ、私は大丈夫ですって!」

「そんな調子で仕事ができるとでも? 立ってるのがやっとなあなたがいても邪魔になるだけよ。……周りのことを思うなら今日は黙って言うことを聞きなさい」

「……はい」


 ……カリアさんにもきつく言われ、今日はシズクだけ先に仕事を切り上げてもらった。もちろん夜の仕事の方もおやすみ。

 シズクは大丈夫だよ、なんていうけどそんなのウソだよ。絶対無理!

 だから、今日は休みってことをぼくとリコだけ外に出ておじさんに伝えておやすみとなった。





《もう、びっくりしたよ。シズクったら2階から飛び降りるし……》

《シズクくん大丈夫?》

《うん。ギルドには行けなかったからちょっと不満みたいだったけどね。そんな状況で行かせられないよ》


 そう、ぼくはレティに今日起こった出来事を報告していた。

 時間はだいたいいつも依頼を終えたくらいの時間だ。それまではレティの都合もあるから話せない。

 だから、それまでぼくはずっと起きてレティの声がするまで待った。


《そうね。まあ、今日1日、もしくは明日もお仕事の方、休みにしてもらって安静にしてたほうがいいわね》

《うん……》


 今はもうやすらかに寝息を立ててるし、落ち着いてる。

 でも、本当にひどかった。顔面真っ青で吐いちゃうし。その後なんて1人で歩いて宿舎に戻ったけど、全然平気そうには見えなかったよ。

 一体どうしたんだろう……。


《まるで、あの時みたいな感じをしていた……》

《あの時って?》

《あ……えっと……それは……》


 一瞬、この話をしていいか迷った。

 でも、レティなら話してもいいと思って、ぼくはシズクが甘い匂いを付けて帰ってきた夜のことを話した。

 あんなに怖い感じがするシズクはあの時以来だ。


《……あの時のシズクはとても怖かった。思い出すと、今も首筋がちくってするよ》

《……………………そう》


 なんでだろう。

 レティがすごい怒ってるような気がする。

 でも、ぼくはレティに聞いてもらいたくて話し続けた。


《……すごい意識が朦朧としていたんだよね。変なことも言ってたし》

《変なこと?》


 うん、変な言葉。なんだったんだろうね。

 ぼくは覚えている限りにその時のシズクが口から出していた音を真似してレティに聞かせてみたんだ。

 そうしたら、レティはかなり驚いちゃったみたい。


《え、レティ? どうしたの!?》


 会話が途切れるほどでぼくもとまどっちゃうよ。


《ねえ、レティっ、レティってば!?》

《…………あ、ええ……ごめん》

《もう! レティまで変になって!》

《だから、ごめんって……ちょっとそのについて考えちゃってね》

《え、もしかしてレティにはわかったの?》

《……ううん。どうかな。でも、ちょっと確認、シズクくん……――いや、シズクはこう言ったの?》


 それからレティはシズクと似た感じ言葉を呟くんだ。


《アイツノセイアイツガヤッタアイツサエイナケレバ……かな?》

《うん、確かそんなことを……?》


 どう発音していいかわからず途切れ途切れで伝えていたぼくと違ってレティはすらすらとこちらへと伝えてくる。 

 でも、ちょっとまた長く黙って《……知らない》って言う。

 あれ……なんか嘘くさいなあ。今までのレティの反応じゃない。何か隠してるの?

 でも、ぼくがもっと聞こうしたら《それよりも》とレティは強く言う。


《奴隷から解放されたらルイたちはどこに行くかって話は出てるの?》

《え、あ、ううん、まだだよ》

《そっか……じゃあ、わたしのいるところに来れないかな?》


 お……おお?

 レティのいる場所……すごい興味ある!


《それいいね! 明日にでも2人に相談してみる》

《うん、お願い。……わたし、ルイとは神託だけじゃなくて直接会ってみたい》

《うんうん!》


 それから今日はここまでにしてって言われたレティとの会話は終わっちゃった。

 なんだろう。最初はそんな風じゃなかったのに、ちょっと疲れてる、みたいに言われちゃった。


 ちょっと残念だったけど、また明日話せばいいしね!

 ぼくもレティに会ってみたい!

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