第34話 真夜中の喧嘩

 フォーレ家の人たちが屋敷を去ってからまたすこし時間が流れた。

 別れ際にしていた2人の約束をシズクに話すかどうか迷ったぼくだけど、結局のところ話すほかになかった。

 そしたら、シズクはちょっと困ったような顔をしただけで、他には何の反応も示さなかった。自分のことなのに全くと言っていいほど無関心なシズクに腹は立つばかり。

 ぼくはというと、ルフィスさまがいつシズクを連れて行っちゃうんじゃないかって毎日びくびく怯えていた。


 多分、明日も、まだ来ない。そう思っていないと不安で夜も眠れない。


《でも、シズクくんだってルイと離れたくないんでしょう?》


 もう何回目かもわからない同じ相談をレティにする。レティの声はちょっと呆れ気味で、でも、嫌々ながらにも答えてくれる。

 この毎日の不安を取り除いてくれたのはレティのおかげ。

 いつだってレティにはすごい感謝はしてて……同じくらい甘えちゃうんだ。


《わかんない……シズクはもしかしたらルフィスさまのところに行きたいのかもしれない。そしたら、ゼフィリノスさまから変な命令もされなくてすむと思うし……》

《それこそ間違いでしょうよ! も――なんども同じこと言わせないで! ルイがいるからシズクくんはゼフィリノスってやつの命令に耐えてるんだって! じゃなきゃシズクくんはとっくに1人で奴隷をやめてるでしょ! ……お金だって溜まってきてるって言ってたじゃない?》


 そうだ、シズクの分はもう溜まってるんだ。

 シズクがここにいる理由はもうない。でも、ぼくがいるからシズクはここから抜け出せない……。


《じゃあ、ぼくがいなくなったら……いいのかな?》

《だ――! なんでそんな話になるのよ!》

《だって~……》


 暗い気持ちに押されて奥から涙が漏れそうになる。続いて、喉の奥が震えてきちゃう。

 いやだ、隣に入るシズクを起こしちゃう。

 レティが何か言ってる。でも、集中できなくて聞き取れない。自分に泣くな泣くなって言い聞かせていないと我慢できないんだもん。

 でも、我慢しようとしたら、した分だけ奥から押し込まれるようにぼくの口が言うことを聞かない。

 ひっく、ひっくって声が、出ちゃ……出ちゃダメなのに出したくないのに……。


「ルイ?」


 ああ……シズクが起きちゃった。ぼくはぐずっているところを見られたくなくて、背を向けることしかできなかった。

 シズクの手がぼくの肩に触れる――思わずその手を振り払っちゃう。


「ルイ、どうしたの?」


 背を向けたまま首を振る。そっとしてほしい。


「大丈夫? ねえ、どこか痛いの?」


 でも、シズクは当然とぼくを気にする。

 やめてよ……ねえ、やめてったら。

 シズクはまたぼくの肩を掴んではなさい。いつもなら安心するのに今はすごいいやだ。

 話したくないの。こんなのぼくを見ないで欲しいの。

 だから――。


「黙ってちゃわかんないよ、ねえルイ――」

「――やめてよ……触んないで……」


 ぼくの言葉にシズクの手がぴくりと震える。それから直ぐに手をはなして……くれた。暖かな手で触ってくれていた肩がさっと冷たく感じる。

 やっちゃいけないことをした気がする。その後悔が、ぼくの中でもやもやと溜まり積もっていく。

 ぼくはもう限界だった。

 

「ルイ、ぼくが何かし――」

「シズクは……ぼくといっしょにいたくないの?」

「……」


 言いかけていたシズクの口が止まり、長い沈黙が続く。

 それだけでぼくはシズクの考えがわかってきちゃった気がする。


(そっか、シズクはぼくから離れたかったんだね……)


 ルフィスさまのところに買われちゃうって言ってもシズクはいやがらなかった。これがその答えなんだね。

 シズクはずっと黙ってたけど……は、とか、え、とか口ごもる。

 それから――。

 

「…………はあ?」


 ――なんて、何を言ってんだって声をシズクは上げた。

 …………はあ?

 それこそ……それこそぼくの言葉だよっ!


「はあっ……て何っ!」


 その声にさっきまでの悲しかった気持ちがひっくり返って、急にむしゃくしゃとしたものになった。

 ひどいよっ! なんでぼくがこんな気持ちになってるのかもわかんないなんて、ひどすぎるよ!

 レティの声が届く。何か叫んでるみたいだった。でも、ぼくは答えることができない。

 だって、必死におさえてた我慢は、今の一声ですっかり出来なくなったからだ。


「う、う、うわぁぁぁん! あぁぁぁん! わあああん……シズクのばかぁぁぁ……!」


 ただ、声を上げて泣くしかできない。

 あたふたするシズクなんか気にしないで、リコが起きだして不安そうにみゅうって鳴く声が聞こえても、イルノートが下にいることも忘れて、ぼくの声は止まらなかった。

 ずるいよ。なんでこんな。いやだよ。シズク行っちゃやだよ。

 あふれ出す気持ちはぼくの泣き声に代わっていく。


「る、ルイごめんね! 僕が悪いんだよね! ごめんね! だから泣かないで! ね!」

「違うぅ……! シズクは悪くない……でも、ルイは不安でえ……でもシズクはぁ……ルフィスさまのところ行きたがってるしぃ……」

「はあ!? 僕がルフィス様のところに? ……ねえ、一体どうしたっていうのさ? 何の話?」

「……ひっく…………なんの、はな、し?」


 とぼけてる……!? 喉の震えは続いてもシズクの反応に声も出ない。

 なんでぼくがこんなにも悲しんで、悩んで、怒って……なのに知らんぷり!?

 許せない……!


「行きたいんでしょう!」


 ぼくは身を起こしてシズクと向き合い、怒鳴りつけてやった。


「ルフィスさまのところ行きたいんでしょう! じゃなきゃなんでそんな平然としてるんだよ! おかしいよ! ルっ……ぼくはこんなにも心配してるのに毎日へらへらしてさ!」

「なっ、それは違――」

「黙れ! そんなにルフィスさまのこと好きなら一緒に行っちゃえばよかったんだよ! お金だってシズクの分ならあるしさ! ぼくがお荷物なんでしょう! ぼくがいなかったらもう奴隷もやめれるしね!」


 自分でも何を言ってるかわからなくなる。言わなくてもいいこともずっと胸に込めて秘めてたもやもやが次々と口から漏れちゃう。


「……ルイ」


 シズクの眉が次第に吊り上がる。目がぎっと尖りだす。

 怒ってる。シズクは綺麗な顔をしている分、怒るとすごい怖く見える。

 いつも以上に力の入った目でぼくを強く睨みつけて、反射的にうっと背をのけ反らせそうに――でも、知るか!

 いやだと思ってもぼくの口は止まらない。のけ反りかけた体を前に突き出してぼくは続け……!?


「ルフィスさまのところだろうがどこへだって行けばいいんだ! ぼくなんて置いていっ――……ぃたっ!」


 突然、鈍い音がぼくの左ほっぺで響いた。

 耳がキーンって鳴る。ぼくの目が急に横を向いていた。音が鳴ったほっぺが遅れてじわじわと傷みだす……理由はわかってる。

 ……シズクが、シズクが、ぼくをたたいた!


「…………」


 シズクは自分がしたことが信じられないみたいにぼくをたたいた右手を見る。

 ぼくは傷む頬に手を添えて、呆然と固まるシズクを睨み返す。

 なんで、たたいたやつがそんな顔をするんだ!


「……シズクっ!」


 シズクのその反応がさらに腹立たしくて、ぼくもシズクのほっぺをはたき返した。

 直ぐにこっちを向いたシズクの顔はさっきとまた同じに戻る……さっきよりも、ラゴンが怒った時よりもきつく睨みつけてくる。

 びくり、って背筋が震えそうになったけど、ぼくも負けるかと睨み返した。


「……ルイ、本気で言ってるのか!?」

「ほっ、本気だよ! シズクはぼくがきらいなんでしょ! ぼくがきらいならもっと早く言ってよ!」

「ばかっ! なんで僕がルイを嫌いになるんだよ! この世界に生まれてからずっと一緒にいたんだぞ! 一緒に笑って、一緒に辛い思いして、一緒にたくさん泣いて……そんな大切なルイをなんで嫌いになれるんだよ!」

「嘘だ! なら、どうして今はいっしょにいてくれないの! もっとぼくといっしょにいてよ! もっともっともっとぼくを見てよ!!」

「僕だって一緒にいたいよ! いつだって見てるよ! ルイは知らないだけだよ! 僕がどれだけルイのこと心配してるかなんて全然知らないくせに!」

「わかんないよ! 教えてくれないじゃない! そうだよ! いつもそうだっ、ぼくだけ何も知らないままだ! 勝手に冒険者はじめて、お金集めて奴隷をやめるとかさ! シズクは何も教えてくれなかった!」

「教える必要がなかっただけだ! 僕はルイに幸せになってほしいだけだ! そのためにも余計なことは知ってほしくなかったんだ!」

「余計なことってなに! 余計かどうかはぼくが決めることでしょ! かってに……かってにシズクがぼくのこと決めないでっ!」

「それは……っ!」


 シズクの声が止まった。

 何かを言いたそう口を動かすけど、それ以上は何も出ない。


「……そう……そう、だよね」


 そうシズクは呟くと、肩を落として、吊り上がったも眉も下がり、悲しそうな顔をして俯いた。


「……ごめん。ごめんね。ルイ……」


 そして、俯いたままシズクは、そうぼくへと謝ってきた。

 ……目元に涙を浮かばせて。浮かんだ涙をぽとりとシーツに落として……その涙にはっと気が付かされる。


(あれ……なんで……こんなことに……)


 ぼくはシズクを悲しませたいわけじゃなかった。こんな顔をさせたいわけじゃなかった。

 その姿を、その顔を、そのシズクを見てぼくも……湧き上がっていた気持ちが静かに消えていった。


「シズク……ごめん。言いすぎた……」

「……僕も、ごめん。ルイには言わなきゃ駄目だったよね」

「ちがう。ほんとはわかってる。シズクはぼくのことを思って行動を起こしてくれてるって。けど、けどさ……何も知らないのはいやなんだ……」

「うん。ごめん……今更だけど……勝手に決めて、ごめん」

「ほんとだよ……シズクのばか……」


 ぼくも膝に顔を埋めてそう愚痴った。

 でも、ちがう。ちがうよ。

 ……シズクは悪くない。今はその話で怒ってるわけじゃない。それで悲しんでたわけじゃない。

 でも、ぼくは意固地になって謝れない。

 出来るのは膝に顔を隠し、言葉に出来ないごめんねを唇に乗せるくらいだ。


「……ねえ、ルイ。今から僕が思っていること、全部聞いてほしい……ルフィスさまの件も含めて。いいかな?」





 それから、やっとお互いに顔を合わせられるようになってから、冒険者になってお金を集めることになった訳をシズクは教えてくれた。

 でも、なんだか言いにくそうにしてて、ちょっとはぐらかされたところもあると思う。

 つまり、ぼくとゼフィリノスさまが結婚するのがいやだったってことでしょう。

 ぼくはゼフィリノスさまと結婚する気なんてまったくない。


「だって、ゼフィリノスさまと結婚したらあれしろこれしろってうるさそうじゃない? そんな口うるさいのはシズクとイルノートだけで十分だよ」


 そう言ったらシズクは小さく笑ってくれた。そしたら、やっとほっとできた。

 やっぱり、シズクは笑ってくれる方がいい。

 最後にルフィスさまのところには行きたくないってことを教えてもらってぼくはまもう一度ほっとしたんだ。

 普通に振る舞っていたのは、ぼくに心配をかけたくなかったからみたい。


「最後に……僕の我儘なんだけどさ……」


 なんてシズクが言い辛そうに口にする。


「なに?」

「……ルイが素敵な人を見つけるまで隣にいていいかな?」

「え、素敵な人……? それって、結婚の話?」


 そう言ったらシズクは目を開いて驚くんだ。


「あ、うん。そう、結婚でもいいや。ルイが結婚するまで隣にいていい?」

「うん、いいよ。でも、それなら結婚しなかったらずっといっしょだね? その方がいいなー」

「そのうちルイにも素敵な人と巡り合えるよ。そして、ルイが本心から幸せになれる好きな人が出来たと思ったら――…………」

「……え、何、聞こえないよ?」

「……ううん。だから、その時までは――」


 一緒にいさせて――って、シズクはおかしなことを言う。


 いっしょにいたいって言うのに、まるでそれじゃあいつかは離れなきゃいけないって言ってるみたいに聞こえる。でも、喧嘩の後だから聞き辛くて……。

 だから、ぼくは笑って、頷いた。 


「うん……これからもいっしょにいてよ」


 そう言って2人ぎこちなく笑い返してこの話は終わり。

 気が付けば……ぼくらを中心としてシャボン玉みたいな薄い水の壁で覆われていた。指で一突きするとその水の壁は弾けて、直ぐに消えた。

 イルノートだ。


「……喧嘩するのもいいが、時と場所を選べ。選べないとしたら外て出て、宙に浮くなり聞こえないところでやれ。たく、長々と……気は済んだか?」


 と、言いながら下の段にいるイルノートは小さくあくびを浮かべた。

 水によって音を遮るだとか何かわかんないけど、ぼくらの話が終わるまでずっと魔法をかけてくれていたらしい。

 リコが困ったようにぼくらを見てて、いまさらだけど、2人には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「ごめん、イルノート」

「ごめんなさい。イルノート」

「……さっさと寝ろ」


 それからぼくはリコを拾い上げてベッドに並んで横になった。

 リコにも驚かせてごめんねってたくさん謝ったよ。シズクも同じように謝ってリコの頭を撫でてあげた。


(……ごめん。シズク。勝手に怒って勝手に悲しんで。迷惑だったよね)


 喧嘩したばっかってこともあり、ちょっと気まずい。

 シズクと視線を合わせてぎこちなく笑う。シズクも同じく変な顔で笑い返してくれる。


「……シズク、ごめんね」

「僕こそ……頬叩いてごめんね」

「ぼくもたたいちゃった。おあいこだよ」

「その、仲直りしてくれるかな?」

「うん。こっちこそ、仲直りしてほしいな……シズク……」


 やっとごめんねって謝れて、シズクは嬉しそうに笑ってくれる。ぼくも同じく嬉しくなっちゃって、今度はもうどっちも何も言わずに目を閉じた。

 それからまた、ぼくは散々待たせてしまったレティに話しかけた。


『レティごめんね……心配かけた』

『もう、まったくよ!』


 どうやら先ほどから心の中で思ったことが全部レティに伝わってたみたい……。

 くどくどとレティにお説教をされ、ぼくは身を小さくしてずっと聞き続けていた。

 最後に……。


《ルイ、あなたはもっと人の話を聞くべきだと思う》

《うん……》


 本当にね。





 ルフィスさまのことでずっと悩んでいたことが嘘みたいに、その日の朝は久々に気持ちよく起きれた。

 今日はぼくの当番だから、直ぐに着替えて厨房へ。

 3人のコックの中で一番若くて下っ端のモルニルくんに買い出しの材料を聞きに行く。 


「じゃあ今日は茶葉の方もよろしくね。あ、そうだ、一緒に珈琲の豆もお願い」

「うん、任せてよ!」


 とんと胸を叩く。もうすぐお茶の葉が切れそうなんだって。

 珈琲の豆とお茶の葉は小分けにされていつでも出せるようにしてるけど、まとめになっているものは厨房に置いてあって、在庫管理はコックさんたちがしている。

 そういう日用品の買い出しもぼくらの仕事に含まれる。補充は大体ひと月に1回くらいかな。

 今日ならいつもより多くてもなんでもお使いを頼まれても平気な気分。

 なのに、ぼくとは違いモルニルくんの顔色は優れない。

 どうかしたの?


「……昨晩シズクちゃんと喧嘩してたみたいだけど、大丈夫?」

「う……聞こえちゃった?」

「うん、ルイちゃんの泣き声がね……。その後はぼそぼそくらいにしか聞き取れなかったけど」


 昨晩の喧嘩は他の使用人たちにも聞こえてたんだね。

 後で他の人からも心配されちゃった。ほんとうにお騒がせしました……。


「そっか、夜遅くに騒いじゃってごめんね。それと、大丈夫! 仲直りはできたと、思う!」


 ぼくが勝手にそう思ってるだけかもしれないけど、今回の件でぼくとシズクはもっと仲良くなれたと思うんだ。


「それならいいんだけど。喧嘩しちゃだめだよー」

「うん! じゃあ、行ってきます!」


 ぼくはモルニルに見送られながら厨房を後にして、商店街まで続く坂を駆け下りた。

 今日は薬草屋さんにも寄らないといけないからいつもより時間がかかっちゃう。最初から魔法を少々使っていつも以上に早く走る。

 ああ、すごい。心だけじゃなくて身体まで軽いや。

 屋敷から商店街までは結構長いはずなのに、あっという間に商店街の奥にある小さな薬草屋さんに着いちゃった。


「ああ、いらっしゃい」

「はい! いらっしゃいました!」

「オーキッシュ坊のところの可愛い従者さんじゃないか。久々じゃの。今日はどんな御用で?」


 お店に入ると木の枝みたいなお爺さんが挨拶をしてくれた。ぼくもぺこりを挨拶を返す。

 ここは商店街の裏側の、最初はどこかわかんなかったくらい端っこでやっているお店屋さんだ。

 取り扱っているものは傷薬や、毒消しといった冒険者に必要なアイテムから、風邪薬やおなかの薬、筋肉痛なんかの塗り薬なんて町の人向けのものまでいろいろある。

 他にもお茶の葉や珈琲豆といった嗜好品、料理に使用する香り付の植物といった商店街ではあまり扱わないものも取り扱ってる。店の裏には小さい畑もあって、そこでハーブとか薬草なんかも育ててるんだって。


「うん、お茶の葉っぱと珈琲の豆をもらいにきました」

「ほい、いつもの量でいいよな? ちょっとそこで待っててくれ。直ぐに用意するよ」

「はーい」


 お爺さんが棚の奥から袋を取り出している間にぼくはちょっとお店の中を見て回る。このお店は変なものが多くて見てて飽きない。


「……ん?」


 あれ……こんな朝早いって言うのに他にお客さんがいる。

 こちらに背を向けて飾られている商品を見てるみたいので、顔はわからない。

 その後姿はちょっと野暮ったくて、街の人って感じじゃない。


(でも、どこかで見たような……?)


 じろじろと見るのも悪いよね。気にせずにお店を探索だ。

 店の中は鼻をつんとするきつい匂いが漂っているけど、それだけ我慢できれば面白いものばかりなんだ。

 乾燥した蛇とか焦がしたカエルとか。緑色や赤色、水色の水が入った瓶詰なんかもある。あ、あれは巨大蜂の針じゃない? あんなの何に使うんだろう。


(んん、これなんだろう?)


 香水入れみたいな小さなガラス瓶だけど、中に入っているのは赤い水だ。持ってみるとたぷんたぷんって赤い水が揺れてちょっと綺麗――。


「おいおい、それは嬢ちゃんにはちと早いんじゃねえか?」

「え、これ何に使うの?」


 そう、いつの間にかあのお客さんが隣にいてぼくに話しかけてきた。


「何って……まあ、男と女が仲良くなるためのものだ。まだ嬢ちゃんにはいらないものだな」

「ふーん……そうなんだ。おじさんは使ったことあるの?」

「え!? あ、いや、お、俺はそういうのは頼らねえよ」

「うん? そうだね。仲良くなるのに薬なんて必要ないよね」

「あ、ああ。だな!」


 なんてついつい顔を合わせて笑い合う――ここでようやくぼくは男の人の顔を認識した。

 あれ……このおじさん、毎晩ぼくらがお世話になってる――。 


「あ、あ――!」

「お、おう! どうした突然?」


 この人、冒険者ギルドのカウンターにいるおじさんだ!

 ついつい叫んじゃったけど、すぐに回れ右。背を向けてぴっと背筋を伸ばしちゃう。

 なんで、どうしておじさんがここにいるの!?

 

「おおい、大丈夫か?」

「だ、大丈夫! 気にしないで!」

「本当か? いきなり叫ぶからビックリしたんだが……」

「ご、ごめん! えーっとえーっと……何でもない! 気にしないで!」

「なこと言われてもなぁ……」


 うわわ、どうしよう!

 もしかして一番ばれたらまずい人なんじゃ!? うわん、シズク助けて!

 でもでも、今のぼくは屋敷の使用人だし、いつもは変装してるから大丈夫だよね?

 試しにくるりと顔を合わせてにっこり笑って頭を下げた。


「なんでもないよ。ほんとだよ」

「そ、そうか。驚かすなよ……」

「うん、ごめんなさい」


 おじさんはぼくの顔を何度も見るけど、おおう、気を付けてなって言うだけで終わってくれた。

 よかった。大丈夫だった!


「なんじゃ騒がしい。まだ朝っぱらだぞ。近所迷惑も考えんか!」


 そう、ぼくらよりも一段と大きな声を上げてお爺さんが怒った。

 ぼくはびっくって驚いて、おじさんはがははって笑い出す。

 

「だってよ。怒られた。お前も気を付けないとな。それにしても、初めて見る顔だな? こんな子供がこの街にいるなんて聞いたことないぞ? しかも、天人族じゃねえか」


 そう、ぼくの顔……耳に目を向けておじさんが言う。


「なんだ、知らんのか。話くらいは聞いたことあるだろう。ほれ、グラフェイン家に雇われた子供の話さ」

「おーおー。それは聞いたことがある。なんでも、足がすごい早くて可愛い女の子が2人いるって……って、こいつか?」


 そうじーっと見られてぼくは素直に頷いた。

 うう、ばれてないとはいえそんなじろじろ見られるの辛いな。

 笑顔はそのままに、強く思う。早くあっち向け!


「なるほどなあ。こんな朝からこんな薄気味悪い店に子供がいるから何者かと思った。お使いか。えらいな、嬢ちゃん」

「と、とうぜんのことだよ!」

「そうかそうか。とうぜんのことか。えらいなー」


 ふふんと胸を張る。

 これくらいもう何年もやってるしね! いまさら褒められたところで何とも思わないよ!

 そうしておじさんと話している間にお爺さんの方も終わったみたい。よかった。早くここから出ていきたい。

 ぼくはお爺さんにお金を渡してすぐさまお店を後にする。

 今度からは気を付けないと。あとでシズクにも言っておこう。あのお店にはギルドのおじさんが来るよって。

 貰った布袋を抱きかかえて、さあ、次はノズ店長のパン屋さんだ。

 て、ところなのに……。


「おおい! 嬢ちゃん忘れもんだぞ!」


 げっ……なんで!? 

 おじさんが手を振ってぼくことを追ってきた。うわ、なになんなの!?


「な、なにか!?」

「だから、忘れもんだって。ほら、お釣り。爺さんの代わりに俺が持ってきてやったんだって。感謝しろよ」


 おじさんはぼくの手の平に数枚のリット銅貨を落とした。

 おっとあぶない……すっかり忘れてた。お金は払い間違えても受け取り間違えても駄目だよって屋敷の人にさんざん言われてたからね。本当によかった。


「あ……ありがとう」


 袋を落とさないように気を付けながらお辞儀をする。

 でも、ちょっと嬉しい。お爺さんもそうだけどおじさんは外でもやさしかったんだ。

 薬草屋のお爺さんは店の中ならともかく、足を悪くしてるらしくてあまり外には出られないって聞いている。だから、冒険者ギルドではいつも薬草摘みの依頼を出していて、一度は受けてみたかったけど、そういうのは依頼主……お爺さんと顔を合わせることがあるからって受けれなかったんだよね。仕事をする時間も理由にあるけどさ。

 お釣りを渡せなかったとしても次の機会の時に渡せばよかったのに、それを知ったおじさんがわざわざ外まで出て持ってきてくれたんだ。本当にありがとう。


 でも、やっぱり正体がばれるのがいやだからちょっと顔をそむけちゃう。

 ぼくの余所余所しい態度におじさんが困った顔をしてほっぺを掻いた。 


「なあ、そんなに俺怖いか?」

「え、いえ、その……怖くないよ!」


 逆に親しみすら覚えてるくらいだ。

 おじさんはいい人だよ! でも、今は、今だけは駄目なんだ!

 ぼくの言葉とは裏腹にやっぱり遠ざけてるっていう態度を感じ取られちゃったのかおじさんの顔が曇る。

 うう、普段はおっかない顔なのに、今のその顔はちょっと不気味だよ……。

 

「これでも子供には優しくしてるんだぞ。お前と同じくらいのガキがうちの店の常連でな、結構仲いいんだからな」

「ふ、ふーん」


 ぼくたちのことだ。


「まあ、いつも顔隠してるからそいつらがどこの誰かもわかんねぇんだけどさ。ついつい心配しちまう。見てて危なっかしくて……夜は酒盛り中のろくでなし共が屯っているっていうのによ」

「う、うん。そうだね! ギルドの人たちいつもお酒ばっかり飲んでるところしか見たことないよ!」

「まったくだ。たまにはちゃんと仕事しろって思うよ。しかも、あいつらも飽きもしねえでその二人に絡んでよぉ……もう数年も近くで見てるが、毎回毎回ひやひやものだ」

「お酒ってそんなにいいものなのかな。この前、遠くから来たお客さんたちも楽しそうに飲んでたよ」

「まあ、酒の好き嫌いは人それぞれだな。悪いとは言わんが、何事もほどほどが大事ってところかね。……お前はまだちいせえから関係ないと思うが、うちの店の馬鹿たれどもみたいに毎夜どんちゃん騒ぎなんかしねえで立派な大人になりな」

「わかってるよ。ぼくはそんなことはしないもん!」

「おう! それがいい! まあ、酒を呑むにしてももっと大きなった……ら……うん? ああ?」


 なんて突然歯切れを悪くしておじさんが首を傾げた。

 なんだろう、口元に手を添えて考え事をしてるみたい。

 目を細めてぼくを見て……それから、おもむろにおじさんは口を開く。


「なあ、この町には宿屋もあるし飯屋も酒屋もある。俺は店とは言ったが、ギルドとは言ってねえ。お前、どうしてギルドって言ったんだ?」


 …………え?

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