グラフェイン家のメイド姉妹

第15話 ご主人さまとの顔合わせ

 僕が目覚めてから休む暇もなく馬車は走り続けてた。

 休憩は僕が起きる前に何度かあったと聞く。でも、そこからは今の今までノンストップ。

 どうやらこの世界の馬はとても強靭らしい。1日中走ってもけろりとしてる優秀な馬もいるとはイルノートの談。

 自分の視線が低くなったとしても、目の前を走る馬は記憶にあるものよりふた回りは大きい。


 空が赤みを射してきたところで、先頭の馬車は道沿いの湖畔へと進路を変える。今日の進行はここまでのようだ。

 夕日と呼ぶにはまだ若い太陽が風に吹かれてその輪郭を震わせている。


「……綺麗だ」


 湖畔に反射した陽の光に目を奪われる……こんなもの前世では気に留めるほどでもなかった。

 僕の目が滲むのは懐かしくも見慣れない光にやられたからだろうか。


「今日はこの水場で野営になるだろう。……2日も眠りっぱなしだったんだ。身体も馴染まずまだ体調も優れないだろう。ここで待っていろ」


 いやいや、これくらい全然平気ですよ。動かな過ぎて血の巡りが悪いくらいですよ。

 ――なんて返事をする前にイルノートは馬車を降りていっちゃった。

 さて、どうするか。

 ごろんと寝転がり、低い天井を見上げて足を組む――チャラ、と足元のリングが小さく鳴いた。

 そういえば、毎回馬車が止まるたびにルイが様子を見に来てくれていたんだよね。


(心配させちゃったかな。あんな怖い目に合わせちゃったしね……気に病んでないかな。あれから大丈夫だったのかな。心配だな。落ち込んでたら励ましてあげたいな……ん?)


 そうだ、ここでルイをと元気付けてあげれないだろうか。

 ルイのためにと思いながらも僕の悪戯心に火が付く。


「狸寝入りして近づいたところで驚かす……これかな?」


 わっ、なんて声を上げて腰を抜かすルイ。その後はふくれっ面になって怒るだろうな。もーせっかく心配してあげたのに! って感じで。

 くくくっ! でも、それでこそのルイだと思う。勿論、その後でたくさん謝ってご機嫌取りだ。怒ってる顔も泣いてる顔もルイだけど、やっぱり笑ってるルイが一番だしね。

 第一、腫物扱いはされたくない。

 3日も寝込んでて執拗に「大丈夫? 大丈夫?」って、ルイのことを心配していた僕が逆に心配されるのは嫌だ。

 以前と変わってないってところをアピールしないとね。


 そういうわけで僕は組んでいた足を崩して改めて寝っ転がる。

 このまま仰向けって言うのもなんだし、横を向いて腕で顔を隠して足を少しだけ開いて……と、準備完了。

 どーんと、来い!

 腕で作った死角からちらちらと覗き、どきどきしながらルイの到着を待つ。

 待って、待って、待って……あ、あ! イルノートが先に起きたって説明してたら終わりじゃん! ってことに気が付いたところで馬車へとがさがさと草を踏み鳴らす足音が近づいてきた。


「……シズク? おきた?」


 あ、来た! ルイきた! きたきた、ルイきた!

 どうしよう。計画失敗じゃない?

 うんしょ、なんて声に出しながら馬車に乗ってくる。

 いいや、駄目もとで硬直続行。


「シズク、いつになったらおきるの……もうみっかだよ……」

「……?」


 あれ、てっきり伝わってるものかと。

 イルノートのことだからルイに最初に報告するかと思ったけど、入れ違いになったのかな。まあ、それはそれでありか。寝たふり続行。

 ではでは、いつ起き上がるか。床を叩くような小さな足音が恐る恐ると近づいてくる。

 よしよし。衣擦れの音がする。薄目を開けてタイミングを見計らう。小さな人影からふわりと、ルイの香りがする。

 じゃあ、行くか!


「……シズク」


 さっと起き上がろう――とした手前で、ルイの小さな手が僕の肩を掴んだ。思わず、起こそうとした身体を硬直させ、薄く開けていた目もさっと閉じる。

 そのまま僕はとてんと仰向けに寝かされた。

 まったく、ルイったら力任せに動かすんだ。子供の加減の無さに掴まれ、床に押し付けられた肩が痛い。

 完全に出鼻を挫かれた。どうしよう……。

 とりあえずの様子見だ。どっきりはタイミングが命だ。今は時期じゃない。


「……いつおきるのかな?」


 ルイさんが気を抜いた時ですよ、と心の中で返事をする。

 目は開けられないけど吐息がかかる。顔が近いのだろう。僕の顔を覗き込んでいるのかな。

 ルイの言葉は止まらない。


「ねえ、シズク。ぼくたちいっしょなんだよ。いっしょにかわれたんだよ……」

「…………っ……!」


 ここで浮かれていた僕の心はすとんと落ちた……うん。知ってる。

 それは本当によかった、って心から思う。

 囁くような声。ちょっと元気がないのがわかる。


「ぼくね、シズクといっしょにかわれるのがとうぜんだっておもってたの。シズクとぼくでひとつだっておもってたんだ」


 それは……思わなかった。

 でも、そうなればいいなって心から願っていたよ。


「ぼく、シズクといっしょでよかった。でも、いまはいっしょじゃないっておもっちゃう」

「……」

「……あのね。そとってとってもきれいなんだよ。みどりいろのやまとか、くさとかね。あおいろのおそら。にわとりいがいのどうぶつもみたよ。ぼくらがたべるごはんのいきているやつ。よるはまっくらなだけじゃなくて、ピカピカするきれいなほしっていうのがいっぱーいあるの」


 うん、ルイに見せたかったものばかりだ。

 やっと見させることができたんだね。


「そとのせかいはぼくのしらないことでいっぱい……さいしょはシズクといっしょにみたかった。でも、シズクはねてばかり。ぼくおいていっちゃうよ。シズクがしらないこと、いっぱいしっちゃうよ」


 僕も思ってたよ。

 馬車の上で早くルイと会いたいって思ってた。この世界も本当はルイと一緒に見たかった。

 でも、ごめんね。実はもう、僕は知っているんだ……ずっと、前からね。

 ただ、世界がこんなにも綺麗だなんて以前は知らなかったし、知ろうともしなかった。だから、今度はルイと2人でこの世界を見ていこうよ。

 きっと、ひとりで見た時以上に素敵に見えると思うから……僕はもう寝たふりをするのを止めようと思った。

 今はルイと話がしたくて堪らない。ぎゅっと抱き締めたくて堪らない。

 この世界で唯一僕が大切にしたい小さな少女と触れ合いたくて堪らなかったんだから……そんな僕の心情を察したみたいに、ふふ、って小さな微笑がルイの口からこぼれた。


「もう、さっさとおきなさい。おきていっしょにしろうよ。このせかいのことを。だって――」


 ルイがおもむろに動き出し、僕の胸に重さが加わる。ルイが僕の上に寝そべっているらしい。暖かいルイの体温を感じる。

 ごそごそと僕の首元に鼻先を擦り付けてくる。髪の毛が当たってくすぐったい。

 身震いを起こしそうになるも我慢……ルイのすりすりが止まった。


(……ルイ、どうかし――痛っ!)

 

 突然、ぎゅっ、と首元に鋭い痛みが走った。

 何、痛い。

 え、硬いものが首に!?

 え、え、ルイが僕の首筋に噛みついてた……っぽい?


「シズクはぼくのものなんだからね……」


 ルイはひとつ、噛みついた口を放しながらそう言うと、あ……嘘でしょ。

 ちらりと目を薄く開けると、そこにはまた口を開けたルイが僕の首に――


「いやいや、痛いから! ルイ噛むのは反則!」


 慌てて僕はネタばらしを行うこととなった。

 いや、もうやめようとは思ってたけど、完全にどっきりは失敗だ。このままだったら驚かせるよりも僕が痛みで跳ねるのが先になる。

 2度目が行われる前に確認が出来て。さっきよりも多分広範囲にかぶりつくかのように大きく口開けてたしね。あんなので噛まれたら我慢なんてできないよ。

 まったくもう。こんな真似誰が――ああ、たぶん僕か。


 ルイは口を開けたまま上目使いでこちらを見ていた。

 間抜けな顔だなー。そんなルイも可愛いからいいんだけどね。


「あらあらルイさん。そんなにお腹が空いてたんですか? 残念だけど僕は食べ物じゃありません。ルイさんは食いしん坊ですね?」


 なんて軽口をしてみる。

 口を開けたままぽかんとした表情。目は声を掛けた時以上に見開かれているのが笑いを誘う。


「え、ええ、えっ!? し、シズク!? なんで、きのうもかんだのにおきなかったのに、え、ええ?」

「……昨日も噛んだのか。なんでそんなことしたの?」

「え、だって、まえシズクがしてきたし? じゃあ、ぼくもしないとさ。でも、うまくできなくて……」


 うまくってどういう? 歯形を付けるなんて僕はしてない。

 まあ、耳なら噛んだけど、首って……ああ、そういうこと?


「あれは強く吸――……って、違う違う! いいの、ルイはそんなことしなくていいの! ルイはそんなこと覚えなくていいの!」

「なんで! ぼくがやられっぱなしっていうのはなっとくできない! ぼくもシズクにおなじことしないときがすまない!」

「気が済まないって、ルイはいつも負けず嫌いなんだからなあ」

「どっちが!! シズクだってぼくとはりあうくせに!」

「む……」


 うーん、たしかに僕はルイに負けたくないって張りきっちゃうことがある。

 これを言われると何も言えない。身体はルイの方が年上でも精神年齢は僕が遥かに上だ。大人げないって自分で思うこともしばしばだ。


「ふんだっ! シズクのばかっ!」


 ルイはぷーっと頬を膨らませてそっぽ向いてる。

 うーん、ドッキリは失敗したけど、結果的に成功したってことでいいのかな。

 じゃあ、次に取り掛からないとね。


「ごめんごめん。ルイ。許してよ。ごめんって。ほら、ルイ怒らないでよ」

「しらない!」

「せっかく一緒にいられるようになったんだからさ。ね?」

「ふんっ!」


 あらら、怒らせちゃったみたい。笑わすことはできなかったかな。

 僕の上から起き上がると直ぐに背を向けて1人でのしのしと馬車から出ていっちゃう。


「……あ、ルイも服が変わってる」


 真っ白なワンピースに前の開いた黒いケープ。足に履いているのは真っ赤な紐靴だ。テトリアと同じようなデザインだけど、身内びいきからかルイの方が可愛いって思っちゃう――と、そんなことはまたあとでじっくりと見よう。今はそれどころではない。

 僕は頭を掻いて反省する。

 うーん、こんなつもりじゃなかったんだけどね。どうにもうまく行かなかった。

 でも、今夜はこんな感じで拗ね続けるかな。明日にでも機嫌良くなってくれるといいんだけど……。

 

「シズクっ!」


 と、自業自得だと反省していると、ひょっこりと眉をひそめてルイが馬車の外から顔を覗かせた。

 そして、つんと尖らせた唇のまま、ルイは僕を見てぼそりと呟いてくる。


「……おはよう。おねぼうさん」

「うん、おはよう。ルイ」


 それだけの会話だったけど、ルイは口をにんまりと緩めて笑ってまた走って行った。


(……ああ、よかった)


 やっとあの笑顔を見ることができた。なんだか久しぶりな気がする。

 僕もついつい頬を緩めて彼女の後姿へ笑みを漏らした。







「ゼフィリノス・グラフェインです。どうぞ、よろしく」


 皆で囲む焚火の前で少年が1人立ち上がってこちらへと名乗りだす。

 左腕を背に回し、右手は左胸にそっと添えたまま腰を傾けて頭を下げた。

 歳は7か8くらいだろうか。僕よりも、ルイよりも背丈のある男の子だ。


 紺色の外套に彼のためだけに作られたのか、ぴったりとしたサイズの白のブラウスに黒のズボン。首には赤い紐のようなリボンが巻かれている。

 視線を下に落とすと腰回りに身体の大きさには不釣り合いな剣がぶら下がっていた。茶色の髪が暖を放つ火に彩られ金色に輝く。ぎろりと輝く緑色の瞳は僕を笑っているかのように見えた。

 顔立ちはいい。はっきりとした両目にすっと通った鼻筋、ニヒルに笑う口。

 まだかわいいと呼ばれる歳だけど、大人になれば美形の部類に入るだろう。


(でも、いけ好かないやつだ……)


 ……だって。


 この子、自己紹介が終わったら終わったで、隣に座らせていたルイの長い耳をおもちゃみたいに触り続けるんだ。ルイは気にしてないのか無表情だけど、まったくもって面白くない。

 ルイの耳を僕はまだ触ってないしね。……噛んだことはあるけど。

 僕だって触りたい。なのに触れない。ずるい。おのれ! ……と、私怨が入った。

 いや、いやいや、それ以上にも嫌悪感を抱かせる理由がある。

 あの目つき……ルイを見る目つきが奴隷市場に来た客と同じ目をしているんだ。

 もしかして、この世界の住民ってあんな目の人ばっかりなのかな。……流石にないよね。

 とにかく、ルイの耳とあの目のせいでまったくもって好きになれそうにない。


「いけません。ゼフィリノス坊ちゃま。臣下に頭を下げるなど」


 と、口を挟んだのは初老の執事さんだった。

 今は茶色のマントを羽織っているからよく見えないけど、杖の様な痩せ細った体格に合わせた黒のスーツを身につけて、手には白の手袋までしている。真っ白な白髪を後ろに流すも、若干髪の後退っぷりが目に見えてわかった。

 トラスという名前は後日知った。


「別に構わないでしょう。まだ仮契約です。シズクくんは僕の奴隷ではありませんし」

「何を仰います。奴隷は奴隷。身分の低いものに頭を下げては他の者に示しがつきません」

「他の者って、ここには誰がいる? 僕と爺とシーナさん、ゴドウィンくらいだ。君たちがこんなことで僕の評価を下げるとは思わないけど?」

「そのようなことは……」

「私も別に気にしてませんよ。ゼフィリノス様は少々おいたが過ぎますが、平民たちからも身分の壁を作らないと親しまれています。私もそのところは好意的に思っています」


 2人の間に入ったのはシーナさんと呼ばれた若い女性だ。

 20歳半ばくらいだろうか。金髪の長髪を後ろで纏め、青色の瞳を持った小顔の美人さんだ。同じように紺の外装を羽織ったその下は黒の厚手のロングスカートがひらりと揺れている。腰にはその容姿には似合わない二振りの剣を携えていた。

 そして……そしてだ。

 何より一番注目する点、シーナさんの胸元が目を惹くほどに豊かなことだ。

 思わず、凝視してしまうのは僕も男だからだろう。ちらちらと盗み見るようにその豊かな盛り上がりを眺めては――。


「…………っ!?」


 突如として僕の視線に突きぬけるものを感じた……あ。

 ……対面に座っているルイが訝し気にこちらを睨みつけている。

 ルイ、まさか僕がを見ていたものがわかるの? いや、まさか!? まだ5歳にも満たない子がわかるはずが――


「……」

「……!」


 ルイは自分の胸に手を当てる。

 その後、僕を見てつん、と視線を逸らした……。


「それがならんのです! 貴族ならば民衆との距離感を保つべきものです。一度舐められればそこまでなのですぞ」

「いやいや、それこそないだろう。その民衆とやらからも一目置かれている。グラフェイン家のせがれは賢明で将来は大物になるってな」


 ……と、今度はゴドウィンと呼ばれた男が大声を上げて遠くに行っていた僕の意識を呼び戻す。

 ぼさぼさの伸び切った黒髪にぼうぼうに口周りに伸ばした黒ひげが目につく。イルノートよりも頭2つほど背が高く、シーナさんとは別の意味で胸元が盛り上がった、熊のような男だ。

 若干目元に皺が見えるので、良い歳なのかもしれない。彼もまた腰に一振りの剣を携えていた。


「だから、俺も構わないぜ。ゼフィ坊」

「こら、ゴドウィン! 様をつけろ! 主に向かって馴れ馴れしいぞ! 口を慎め!」

「やめて、爺。ゴドウィンの人柄はずっとこういうのだって。僕もそういうところが好きだから無理を言って彼のお使いに参加させてもらったの」

「ですが」

「いいのいいの! それよりほら、今はシズクくんのことだよ」

 

 ごほんと咳払いをしてゼフィリノスはこちらを見た。

 ルイの視線が気になってしまい、話半分でずっと焚火の前で座ったままだったけど、どうやら次は僕が紹介する番らしい。

 個人的な印象はよくないけど、話し方は優しいし僕らを同時に買ってくれた恩人だ。愛嬌良くしなくては。


「え、ええっと……」


 ルイやイルノートはもう自己紹介を済ませたんだろうなあ。

 こういうのあんまり得意じゃないんだよね。前世の時なら笑いでも狙いに行く場面だったりするけど、まだ僕4歳児だし……あ、ルイはもうすぐ5歳になるんだっけ。というか、誕生日ってこの世界にあるのかな。自分の誕生日知らないや、って違う違う。今はそんなこと気にしないで、ちゃんと挨拶しないと。でも、何を言えば……?


(うーん……)


 お尻を払っておもむろに立ち上がり、数秒のうちに何を言うか考える。

 何を言おう――ふと、頭の中に一説どこかで聞いた言葉が思い浮かんだ。

 時間がない。よし、これでいいかな。

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