第13話 ぼく/僕たちの小さな世界


「ここに天人族のかわいい女の子がいるって聞いてわざわざ時間をかけてきたのに、嘘なんですか……? 商売がうまいんですね」

「いえいえ、嘘などと滅相もない! おおーい! ルイや。出てきておくれ!」


 ずぐずぐと泣いているとぼくを呼ぶ声が聞こえてきた。

 ぼくは膝に埋めていた顔を上げて声のする方へと、開きっぱなしにしていた扉の外を見た。イルノートも若干腰を浮かせる。


「本来ならお客様にこのような場所まで足を運ばせるなど……おおーい、ルイ。顔を出しなさ……や、やや! こちらです。こちらになります! ……おやおや、どうしたんだい。可愛い顔が台無しじゃないか。お客様の前でみっともない。ささ、これで顔をお拭き」


 今まで見たこともないような言葉にやわらかさを持つご主人さま。

 渡された真っ白な布……ハンカチで顔を拭う。鼻をすする。

 十分に拭った顔を上げると、そこには知らない男の子がいた。


「このひと、だれ?」

「ルイ、失礼だぞ! この方はエストリズでも有数の名家グラフェイン候の子息様だぞ!?」

「エストリズ……グラフェイン?」

「エストリズとは私たちがいるこの場所を含めた大陸の名だ。グラフェインはこのエストリズ大陸でも五指の指に入るほどの力を持つ貴族だったか。まあ、たいそうな金持ちってところだ」


 なんて、いつの間にか直立していたイルノートが説明してくれた。


「誰だ、口が過ぎる。無礼だぞ! っと、イルノート、お前もここにいたのか。お前たち二人はこの館の顔なのだぞ。それなのに――」

「いいから! さっさと紹介してもらえませんかね?」


 そう、グラフェインの子供がご主人さまの言葉を遮り、次へと促す。

 ご主人さまはへこへこと頭を下げながら、ぼくへと顎をくいっと上げた。紹介してってことかな……。


「ぼくのなまえは……ルイ、です」

「……ぼくっ!?」


 立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。また、ずずっと鼻をすすった。

 頭を元に戻すと男の子がやけに驚いていた。何か変なことしたかな?

 男の子はぼくよりも背が高い。少し年上なのかな。茶色の髪と緑の瞳。清潔で真っ白なブラウスの首元に赤いリボンがつけている。肩には紺のマントを羽織っていて暖かそう。


 男の子は顔を近づけて、物珍しそうにじろじろと頭の先からつま先まで見てくる。それから、ぐるぐるとぼくの周りを歩き、後姿まで見てくる。耳に触ってきたので手で叩こうとしたら、イルノートに「だめだ」と注意されたので仕方なく我慢する。


「……」

「……っ」


 目が合った……いっしょだ。


 この子も他の大人といっしょの目だ。

 ぼくとシズクをものとしか見てない目。外の人って大人も子供もみんなこんな目をしているの?

 いやだな。いやだな……!


「……うわさに聞いた以上だ。しかもぼくっ娘だなんて…………はい、じゃあ、これいくらになります?」

「は、はい……」


 ご主人さまはいくらか間を開けて答えた。


「15リット金貨と……」


 ぎょっとした……ぼくが、だ。

 大人5人も買える金額だ。前に話していたお客さまの提示した金額の倍ちかく多い。

 それを聞いて、ふふふ、って男の子が笑う。


「この店は人の足元を見るんですね?」

「何をおっしゃいます。ご存知でしょうか。天人族は子を大事にする種族。成長した天人族はともかく、子供のままで奴隷に出す親など自身も、そして、周りの者が許しません! ですので、子供の奴隷とは大変希少で、それだけの価値があると私たちは考えております」

「ふーん、ではどうしてこの子はここにいるんですか?」


 はっとしてから、ぐっとご主人さまが奥歯を噛みしめて唸る。

 それを見て、にやにやと嬉しそうに男の子が笑う。


「……以前奴隷たちを管理人していた男が赤子だったルイをのでございます。捨て子だったとは聞いておりますが……」


 え、連れてきた? どういうこと? ご主人さま嘘ついてる?


「捨て子、ねえ……子を大事にする、と自分で言っていっておきながら? まさか……人さらいを?」

「め、滅相もない! この館は奴隷として自分から名乗り出るもの以外、私たちがで直接買付を行うといったことは一切しておりません!」

「では、その前の管理人という男が勝手に連れてきたってことですね」

「は、はい。左様で……私もこれほどの器量に育つとは思いもせず……浮かれすぎておりました。従者の行動を把握できていないとはお恥ずかしい限りです」

「そうなんですか。それは不幸でしたね。しかし、これでもしも人さらいというのであれば、天人族も黙ってはいないんじゃないでしょうか? このミラカルドから北上してすぐそばにあるアルガラグアは確か……でしたよね?」


 また知らない言葉が……。

 ぼくのことを話しているのはわかるのに、ぼくは全く無関係なんだ。ご主人さまの顔に汗が流れる。


 ぼくことよりも今はシズクのことだ……。

 ちらりと足元に視線を落とし、檻の奥で眠ったふりをし続けるシズクは先ほどと変わらない。

 シズク、さっさと起きてぼくを助けてよ……。


「では、一つ名案が浮かびました」

「と……申しますと?」

「俺がこの子を保護しましょう。勿論、ただとは言いません。今までこの子を育ててもらった分のお金は払います」

「そんな! この子にかかった金なんてたかが知れ……はっ!?」


 ご主人さまが声を荒げる。

 知らないよ。そんなこと。うるさいよ。みんな。いいからさっさとこの場所から出て行ってよ……。

 

「まあまあ、あわてずに。……12リット金貨でどうです?」

「じゅうに……!?」


 シズク。ほら、早く起きてよ。早く起きないとぼくまた泣いちゃうよ。

 ねえ、シズクは誰のもの? ぼくのものでしょう? ぼくのものなのに何勝手に寝てるの? 早く起きてよ、ねえ?


「ルイ」


 ご主人さまに呼ばれて顔を上げる。


「……はい?」

「今日からこのお方がお前のご主人様だ。よかったな。買い手が決まったぞ?」


 満足とばかりににんまりと笑っている。


「どういうこと?」


 首をかしげる。話全然聞いてなかった。

 今なんて言った? ご主人さま? 決まった? なにを?


「お前とシズクが引き離されるってことだ」

「え?」


 イルノートの言葉にぼくの身体は震えた。

 ウソ、でしょう? シズクは、だって、シズクはぼくのだし。ぼくはシズクのものだし。ねえ、ぼくはシズクの。ねえ、シズクはぼくのものだよ? ぼくがいくならシズクもいっしょじゃないと?

 ははは、イルノート可笑しいの。間違ってるよ。

 にっこりと笑ってイルノートの間違いを正す。


「ぼくがいなくなるときはシズクもいっしょだよ?」

「我儘を言うな。こうなることはわかっていただろう」

「ふざけないで!!」


 ぼくとシズクが一緒にいられない!? 冗談じゃないよ!


「やだ! ならでない! ぼくはここにいる!!」

「どういうことですか? その檻にいる少年……? と関係があるんですか?」


 むぐ、とご主人さまが口をつぐみ、かわりにイルノートが説明をする。

 ご主人さまは慌ててイルノートを制しようとしたが、イルノートは構わずに説明をした。その男の子がご主人さまを黙らせたこともある。

 イルノートが話している最中、ご主人さまは顔真っ青にして、口を閉ざすしかなかった。





「――そういうわけで、シズクは檻の中に閉じ込められている。……身寄りもない2人にしてみては家族も当然。ルイがシズクから離れたがらないもの無理はないだろう」

「なるほど……しかし、今回はこの天人族しか買うつもりはなかったんですよね」

「だろうな」

「やだやだやだやだ!! ぼくはシズクといっしょにいる!」

「ルイ、少し黙っていろ。……でだ、私から一つ提案なんだが」

「なんでしょう?」

「イルノート!? お前これ以上何を言うつもりだ!?」


 イルノートがふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。

 顔を背けた先でぼくと目が合った。ちらりとこちらを見て笑ったような……イルノートが笑うところなんて見たことないからわかんないけど。

 イルノートの考えていることなんてぼくにはわかんない。

 どんなことを言うの? それだけが頼り。お願い、シズクを……。


「私とシズクを含めて4リット金貨で買わないか?」


 ……え?


「は、はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 その発言を耳にして驚くぼく以上に驚愕したご主人さまの絶叫が奴隷市場内に響き渡った。





「…………」


 同テンポで揺れる懐かしい音に目を開けた。

 僕は手すりに肘を乗せて寝ていたようだ。

 窓の外ではゆっくりと、しかし確実に青々とした景色が置き去りにされていく。変わっていく。

 時折、汽笛の音が聞こえた。


 どうやら僕は汽車に乗っているようだ。元の世界で馴染みの鉄の電車とは違う。

 でもおかしいな。僕は思う。

 僕の中で汽車っていったら、顔があって言葉を話すことができるキャラクターくらいの印象しかない。あとはドラマの一場面であったり、海外の風景を紹介する五分番組なんかくらいで見たことはあっても、乗ったことは実際にないと思う。記憶にはない。

 僕は今乗っているのが石炭を燃やしてしゅぽしゅぽと煙を吐き出す蒸気機関車のようだ。

 クッションの利いた座席が気持ちいい。


 ふと、車窓の外を見ていた僕の視線が移動した。僕の目は外の景色から今座っている4人掛けのボックス席の対面へと向かう。

 視線の先には向き合う様に一人、可愛らしい女の子が座っていた。

 一番最初に目についた真っ白な長い髪にすこし、驚く。垂れ下がった白髪は床に付いているんじゃないかってくらい長い。

 瞳も同じく白だ。あ、いや、白目ってわけじゃない。光彩が白に近い灰色なんだ。表現が悪いけど、コンガリと焼いた魚みたいな白い眼? でもあんな死んでいるような目じゃなくて、生き生きとしたって言うのも変だけど、潤いのある瞳なんだ。

 髪と瞳だけじゃない。肌も着ている法衣みたいな衣服も全てが白……薄気味悪いくらい少女は真っ白だ。

 いくつくらいだろう。たぶん、僕より少し大きいくらいの背丈だから5歳前後だと思う。けど、この単色のせいか、神秘的で同年代には見えない――そこで、僕を少女の視線と重なる。


 あれ、これまたおかしい。

 僕の座高が高くなってる……いや、身長が伸びているのか。

 これは前世の時の身体とは違う、たぶん今の身体が成長した姿だ。そうだっていう理由のわからない確信があった。視線は動かせなかったけど、体面に座る少女を斜めに見下ろすくらいには僕の頭の位置は高い。

 ここで、気が付いた。


(ああ、なるほど、夢か)


 納得。これが夢だと気が付いたら視野は広がる。同時に不自由が絡みつく。

 明晰夢かな。ある程度は動いているって自覚はあるけど、無理やりは動かせない。動かそうとも思わない。その状況に身を任せてもいいって感じ。別に嫌じゃないし、このままで


 視線を絡ませる僕と少女だったけど、にこっと少女は目を細めて席を立ち、僕の横を通り過ぎて前の客車へと行ってしまった。僕は少女の行く先が気になったけど、僕はどうやら気にならないみたい。ガラっと扉が開いて、ガコンと扉の閉まる音を耳にしながら視線を他に移した。


 僕はこの車両の一番前の席で進行方向とは真逆に向いて座っている。おかげか車内は一望できる。

 僕と先ほどの少女以外にも乗客は乗っていて、みんなまばらに座っていた。


 男の人が何人かいる。何人もの女の人もいた。恰幅のいいおじさんがいる。その人とちょっと似てる頬のこけた男もいた。みんな見覚えがあるけど僕はあまりいい印象を持っていなかった。


 青色のトカゲみたいな男の子がいた。犬や猫みたいな獣耳をつけた少女がいた。その2人を微笑んで眺めるそばかすを付けた少女がいた。なんだか懐かしいような微笑ましいような3人を見ていると胸が暖かくなる。

 

 ちょっと斜め横のボックス席に目が移る。そのボックス席には4人座っていた。

 こちらに顔を向けて並んで座っているのは中年の夫婦だ。

 窓際に旦那さんがいて、その隣に奥さんが白い包みを大事そうに抱きかかえて座っている。2人は白い包みに向かって笑いかけていた。白い包みは多分僕が作り上げた幻想か妄想なんだと思う。

 でも、僕の両親はとても幸せそうに笑っていた。


 逆にこちらを背にしているのが青色の髪から覗かせたつんと尖った耳を持つ背の小さい女の子と、真黒な髪の今の僕と同年代である女の子だ。

 会話は無くただ2人して外の景色へと顔を向けていた。ふと、黒髪の女の子が僕の方を向いて微笑んでくれた。


 僕の中にいる僕は言葉に言い表せない感情が芽生える……いいや、言葉にするだけなら簡単だ。

 僕は嬉しかったんだ。


 あの嫌な夢以外で会えた。

 それどころか泣き痕の残る儚げな笑顔以外の表情を浮かべているんだ。いつも隣で見ていたあの笑顔だ。

 見たい。もっと見たい。もっと目に焼き付けておきたい。

 でも、僕の視線は僕の意志とは別にこちらに近づいてきた人物へと向かった。


「前、いいかい?」

「ええ、どうぞ」


 僕の口が勝手に同席を許して、皺くちゃの爺さんは一礼して僕の前に座った。

 ラゴンだ。ラゴンが僕の前に座った。ゆっくり遠くまで腰を掛けてふうなんて息を吐いた。

 そして直ぐに僕の目を見た。


「なあ、シズク」

「ん、なに?」


 ラゴンの呼びかけに僕の口はまた勝手に返事をする。


「以前から聞きたいことがあったんだが……聞いてもいいか?」


 その言葉には聞き覚えがある。

 あの日の会話だ。

 あの日の続きだった。

 

 あの時、ラゴンは眠るルイの横に座っていたのに、僕を見下ろしていた。けど、今は僕とラゴンの背は同じ。僕はラゴンと同じ高さの視線で見つめる。


「…………」

「…………ラゴン?」


 ラゴンは険しい顔をして、ちょっと間をおいてから口を開いた。


「お前、別の世界から来た人間か?」


 あの日、あの時と同じままの言葉だ。

 そして、その時の僕は、少し愕然としてた。

 なんで、ラゴンがそのことを? 誰にも言ってないのに、ってね。

 別に言いたくなかったわけじゃない。ただ、言葉を覚え、日に日に大きくなり、そうしていくうちになんだか隠し事をしているみたいで話し辛くなっていたんだ。

 いつ言おう、いつ言おう……そうしていくうちに機会を逃した。


「……そう、か。正解か」


 言葉もない僕の反応にラゴンが頷き、項垂れた。


「うん。なんでわかったの?」

「…………いや、推測だ。推測であってほしかった」


 そう、ラゴンは願っていたらしい。多少頭の回る程度の赤子であってほしかったと。


「そう。でも、推測ってどういう?」

「物分かりが良すぎた点が大きい。魔法には驚きはするも、発動後のについては同等の反応を見せなかった。後は疑り深いところとかな」


 僕は魔法の存在を知り、自分が使えるとわかっても半信半疑だった。

 ルイが出すことができたら僕も出せる……気がする。それくらいの考えだった。

 初めての魔法は一度見ない限りでは信じられなかったんだ。

 顔に出ていたんだろうか。それともしぐさ? でも、魔法を教わる最初の頃の僕は直接その軌跡を目にしても、教わっている立場でありながらも魔法を心のどこかで疑っていた節があった。今では当たり前のように教わったものは使えるようになったけど、でも、もしかしたら僕はまだ疑っているのかもしれない。

 ラゴンはよく見ている。 

 

「長いこと生きてきたからか、稀にお前みたいな変わり者と出会うんだ。根本的に私たちと考え方が違う者とな。ほとんどの場合はねじが2、3本はずれてるこっちの世界の人間だったりするがね。……今までお前みたいのと出会ったのは4……いや、3人だけだったか」

「そうなんだ……ごめんね。今まで黙ってて」

「違うと言われていたら私はそれ以上聞くこともしなかった。それでいい。この先も黙っている方がなにかといいだろう。無闇に生まれ変わりですなんて言って場を混乱させる必要もあるまい」


 けれど、心から信頼できる者ならば打ち明けるのもいいだろう……とも言われた。

 腹の中に抱えているものを吐き出すことができる友がいるということは何物にも代えられない財産だ。いつか自分が生まれ変わりであることが枷になるかもしれない。それを事前に知っている人がいるだけでどれだけ心が安らぐか。

 ただ、そんな人物は滅多に出会えることもないだろうが……とも付け足してだ。


 まだその言葉の意味はわからない。 

 でもね、ラゴン。こうして僕もラゴンに話せたことで心のつっかえが消えたんだよ。僕にとってラゴンも掛け替えのない人だった。

 その時の僕はラゴンの死期が近いなんて思ってもいなかったから恥ずかしくて言えなかったけどね。


 それから僕らの会話は途絶え……あの時はルイが近くにいたからラゴンがゆっくりと頭を撫でていた。

 今は2人して外の景色を見ている。

 でも、僕がその無言を終わらせたんだ。


「……なんで僕ここに来ちゃったんだろうね」

「……さあな。だが、お前のおかげで私の使命は半分消え去った」

「どういうこと?」


 ラゴンは過ぎたことだ。とばかりに簡単に話してくれた。


 僕とルイは元々ご主人様オーナーが所持していた魔石ではなく、僕の場合はラゴンがある人物からものだったそうだ。

 ルイの魔石はとある理由により、ラゴンが孵化間近の魔石を天人族の里と呼ばれるところから盗んできたらしい。そして、結果的に僕ら2人を育てることになった……と教えてくれた。

 なんでルイを盗んだのか詳しくは教えてもらえなかったけど、僕のためだったらしい。そして、盗みを働いたラゴンが身を隠すために選んだのがここ、奴隷市場の管理人だという。


 はあ……と深く溜め息をつき、僕自身は何も悪くない、と何度も言うラゴンに居た堪れなくなる。


「僕はこれからどうしたらいいの?」


 僕はあの時、生きることに精一杯だったけどそれ以外のことは何もなかったんだ。

 目先の目標はあったが、それとこれとでは話は別。これから先にすることを僕は自分でもわからなかった。


「元いた世界に戻りたいか?」


 言葉を閉じて目を瞑る。

 頭に浮かんだのは避難所での生活と目の前で散った幼馴染の姿だった。

 取り残された僕を無視して先に進んでいく壊れた世界。あの世界にはもう希望はなかった。

 ……いや、ただの逃げでしかない。

 僕は首を横に振ることしかできない。

 

「訳を聞いても?」

「うん」


 どう話していいかわからなかった。

 けど、話す必要があったと思い、僕の世界が壊れたこと、両親が死んだこと、仄かに実らせた恋を育むはずだった恋人が亡くなったことをラゴンに包み隠さず話した。そして、自身も最後に散っただろうということも。


「そうか……大変だったな」

「もう僕を待つ人はいない世界に戻っても辛いだけ……なんて、笑っちゃうよね。他の人だって同じ苦しみを味わってるのに、僕だけ逃げ道を与えられたんだ。こんなのずるいよ」

「いいじゃないか。道は道だ。他の人はいきなり道が潰され遠回りをすることになるが、お前はたまたま開いた道を歩くことが許されたんだ。何事も否定的に考えるな」

「そうかな。でも、僕があの時うじうじしてなければあの子も……あれ?」


 そうだ、そこで僕は言葉を詰まらせた。

 僕の頭の中に疑問が渦を巻く。

 あの子……あの子は……?


「あれ……が……思い出せない」


 幼馴染のが思い出せない。顔ははっきりと浮かぶのにが……いや、待って。


「僕の名前……何て名前だったんだ?」


 自分の名前が出てこない。

 それだけじゃなくて両親の名前も浮かばない。通っていた学校の名前も。他にも住んでいた場所は? 頭の中に今までずっと過ごしてきた町並み、自宅、全てが頭に浮かぶ。でも、名前が出てこない。県だっていうのはわかる。市だった……じゃあ、名前は? あれ、僕が住んでいた国の名前。え、あれ? いや、なんでだ。国の首都の名前はわかる。東京だ。でも、住んでいる国の名前は? 他、昔使っていた言葉。わかる。何て名前の言語? わからない。

 そもそも、僕はなんていう星に住んでいた?

 なんで名だけ出てこない!?


 頭を抱えてその場にうずくまった。


「落ち着け。この世界に来たことでお前たちはあの世界にいろいろと置いてきてしまうんだ」

「どういうこと……?」

「お前と同じように生まれ代わった女も同じように名前だけ思い出せないと言っていた。そいつに因んだ名前はすべて頭から忘却されているんだろう」

「なぜ?」

「知らん。だが、いろいろと置いてきてしまうんだ。そのうちの一つがそのものに因んだ名称だ。他にもある。この数年お前を見てきたが、それが何かは私にはわからん。些細なことならばいいんだが……」


 結局のところ、名前以外僕がそこに置いてきたものはわからなかった。

 そして、その晩はもう遅いということでこの話は終わることになった。最後にこれ以上ラゴンからその話を振ることはないと付け足してだ。

 ラゴンが僕らの部屋から出ていく時……ここではラゴンが席を立ち去ろうとした時、


「お前はこの世界で何をしたい?」


 ラゴンは聞いてきた。

 この答えにはずっと心に決めていたものがあった。

 だから僕は胸を張って答える。


「僕はあの幼馴染の子のためにも1秒でも長く生きたい」


 それを聞いて、眉間に皺を寄せたと思ったら、鼻を鳴らして去って行った。

 ラゴンがなぜあんな態度をとったのか、その時にはまだ知らなかった。

 ただ、今なら別の答えを返せるよ。


 ――これからはルイを守って、生きていきたい。


 ラゴン、この答えじゃ駄目かな?

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