第10話 力が欲しい

 それからも同じ暴行事件が繰り返し発生した。

 僕が知る限り最初の分を含めて3度あった。もしかしたら僕が知らないだけでもっとあったのかもしれない。

 被害者は次かその次くらいには奴隷市から姿を消していく。



 この事件が周囲に知られるようになったのはその3度目の時だ。

 暴行を受けたであろう女性が仕事中に突如と泣き始めたことから、事態が明るみになった。僕たちは子供ということで(元々嫌われていたこともあっただろう)その女性の話には遠ざけられたが、泣き顔を覆う手首の絞め跡を見て薄々と話の内容は察した。

 ちなみに仕事の手を止めて彼女を慰め続ける女性陣に当然とばかりにルイはむくれていたが……。

 この日の出来事は当然とばかりに女性陣の反感を買い、誰ともわからない犯人を男性陣から探そうとし始めた結果、男女の仲は最悪なものとなった。

 ギスギスとした険悪な雰囲気の中、不幸にもこの時期に入った新人たちがなんとか場の空気を理解し始めた……数日後のことだ。

 4度目の暴行事件が起こった。


 事件の発覚は早朝のことだ。

 騒ぎに目を覚まし、欠伸を浮かべながら大広間に向かうと、ぼろ布で前を隠して肩を震わせて嗚咽を漏らす女奴隷と数名に押さえつけられ喚く男奴隷がいた。一度に目が覚めた。

 同じ女奴隷から慰められながらも、暴行されたであろう女奴隷の背中は赤黒い痕がいくつも付いていて、手首には絞め痕が残る。手首は勿論、背中の痕は話に聞いた1回目の犯行と同じだ。


 捕縛された男奴隷の言い分は、目を覚ましたら大広間で自分も寝ていて、隣に裸の女奴隷を見つけただけだ、と言うのだが、誰も彼の言うことを信じようとはしなかった。俺は違うと喚き騒ぐ男は有無を言わさずに部屋に閉じ込められた。


 今回の騒ぎは男が一方的に犯人とされ、騒ぎを聞きつけたご主人様はしかるべき対応をした。その対応というのが次の日にはここから追い出され、別の奴隷市場への移動となった、ということだ。


 この場所は奴隷希望の人からしたら好条件の奴隷市場らしい……と、以前ラゴンから聞いたっけ。ただ、住む場所的な意味合いでしか聞いてないから、他にもポイントとなるものがあるんだろう。まあ、ここ以外知らないからなんとも言えない。

 ……だいたい、自分から奴隷になる人物なんて多かれ少なかれ何かしらの問題があるもんだ。身売りや口減らし、中には誘拐で売り飛ばされた人もいるだろう。……誘拐って線は顔合わせの時の態度やら表情から無いと思うが。

 ただ、この場所は商品を傷物にした男がいていい場所ではないのだそうだ。

 犯人とされた男は捨て値で叩き売られ、劣悪な現場へと売られていってしまったと風のうわさで耳にした。

 また、暴行された女奴隷も通常より安く買われてしまった、とのことだ。

  

(多分あの人がやったんじゃない。手口が一緒なんだ)


 手首に縄の後、背中に無数の小さい痣。意識を失って犯行を覚えていない、など。見つかったのは朝というが、実際は深夜に行われたはず。わざわざ犯人がコトを終えて一緒に寝てるなんてありえない。

 何より、捕まった男は1回目の犯行後に入ってきた人だった。

 ……ご主人様に言ったところで苦い顔をするだけで取り合ってくれなかった。


 その後、この場所に住む奴隷たちに1つのルールができた。

 夜、むやみに部屋の外に出ることを禁じる、というものだ。

 もしもやむを得ず出なくてはならないときは自己責任である。

 

 これによって事件は一応の終わりを向けたことになった。

 まあ、奴隷たちにとってはもう犯人は捕まったし起こらないと思ってたのもあるけどね。念には念をってところだろう。それに狙われるのは大人の女性だけだ。

 子供は関係ないと思ってたから僕やルイは生理現象が来たら気にせずに外に出てた。


 だから、その晩……廊下を歩いていた僕は突如背後から甘ったるい布切れを口元に覆われるなんて予測も対処もしてなかった。

 突然の出来事に困惑しながら、僕の意識はそこに落ちた。





「む、むん……?」


 軽い頭痛に襲われながら僕は目を開けた。頭がぼーっとする。

 ロウソク1本程度の仄かな明かりが灯っているだけで辺りは薄暗く、靄がかかったかのように視界もぶれる。身体も思うように動かせない。金縛りにでもあったのだろうか。

 どうしてか呼吸がし辛く、鼻で息をすると甘く濁った気持ち悪い匂いがずいずいと鼻孔に侵入してくる。

 うつぶせに寝ていたためか、胸と頬が冷たく痛くなっている。


「む、むむ……?」


 何かおかしい。

 次第にクリアになっていく僕の頭は妙な感覚に襲われていく。

 視界が悪いのは暗いせいもあるけど、この場所が煙で包まれているからだ。甘い匂いの原因もこの煙だ。

 くさい。臭いを嗅いでいると頭がおかしくなりそうだ。

 その匂いでさらに気が付いた。

 今、僕は服を着てなかった。上も下も素っ裸だ。

 身についているのは台と胸に挟まれたペンダントと足にかかったリングだけ。両方ともラゴンからもらった大切なものだ。ただ、今だけは肉のない僕の胸と硬い台に挟まれたペンダントがゴリゴリと痛くて、取っ払いたい。

 裸ではあったが肌寒くはなかった。湿り気を感じるくらいだ。

 また気が付いた。

 さっきから妙に息苦しいと思ったら、どうやら僕の口に何か詰まっているようだった。布だろうか。舌で追い出そうとして、猿ぐつわでもされているのか押しだすことはできなかった。


(…………はあ? どういうこと?)


 身体を動かそうとして、両手も離されて布で縛られている。上から見たら僕の形はY字にでもなっているだろう。いや、お腹から下はなぜかぷらぷらと揺れていて地面に足がついてない。床に寝かされているのかと思っていたけど、多分テーブルか台の上に上半身だけ押さえつけられているんだ。

 何これ、と僕は塞がれた口で大声を上げようと抵抗をするほかにやることはなかった。


「んむ――! むむ、むむ――!!」

「嘘だろ? 起きたのか?」


 聞きなれない男の声が聞こえた。

 固定された身体で無理やり首だけ動かして声のした方を向く。でも、届かない。

 この部屋は煙で充満してて視界も悪いけど、僕の首は声の主まで首が回らなかった。煙で目が痛い。


「いつもなら朝まで目が覚めないのに……まだ半刻も立ってねえよ。くそ、ケチって薄めすぎたか? ……まあいい。反応がある方が何倍と楽しいしな」


 声の主はべたべたと足音を鳴らして僕に近づく。男が歩くたびに僕が貼り付けにされているテーブルに振動が来る。気だるそうで重量感のある足踏みだ。

 次第に僕の視線の中にその声の主が入ってきた。


「お前、頭いいんだってな? 親父から聞いたよ。他のガキに比べて随分と物分かりがいいってさ」

「……うむ!? むむぅっ!! むぅぅっ!!」


 声の主はラゴンの代わりであり、ご主人様の息子である――新しい管理人だった。

 なんで、どうして……え?

 頭の中が真っ白で現状をまだ把握し切れてなかった。だが、が視界に入ったところで僕の頭は疑問符で覆いつくされた。

 ……自分の目を疑いたかった。

 疑いたいのは別に男がいることじゃない。


「まあ、やるなら断然女がいいと思うんだが、中々な。親父にもこっぴどく怒られたよ。商品に手を出すなってね。だから女に手を出すのはちょっとの間だけやめようと思う……でだ。こういうのもありかなって思うんだが、まあ、お前これがか……なんて、わかんねえよなぁ?」


 男は自分の腹の下を指さしてそんなことを言う。

 呼吸も荒く男はひどく興奮してるらしい。

 でもだ。

 

「んむぅぅうっ! ううむ!? うもぉぉうううっっ!」


 嘘……だろ。嘘だと言って欲しい。

 知識としては知ってる。知識として……知識としては!

 前世での知識だ! そういう人たちがいてそういうことを同性同士で行うことも知っている。でも、そんなのただの笑い話でしかないだろ。その人たちに面と向かって言えば怒られるだろうけど、普通の人からしたら笑いのタネだ。

 冗談だろ。冗談じゃない? 冗談だって!

 でも、今こうして冗談は現実になって僕の視界で勃っている……こいつ、おかしいよ。狂ってる。


「んむ――っ、むんむぅぅぅうううっ!! むぅぅぅううううううっっ!!」 

「おお、わかるのか! ははっ! まだ毛も生えてねえのにどんだけ頭いいんだこのガキは!!」


 僕のくぐもった悲鳴に男が悦んでいるのがわかった。

 先ほどよりも男の息が荒くなっていく。我慢できず餌を前にした犬みたいにはあはあと口で呼吸をする。

 最悪だ。最悪だ。最悪だ。

 なんでどうしてこんなことに。

 訳がわからない。

 え、やめろ。近づくな。来るな。馬鹿! デブ! 死ね!


「ばま! べむ! でめ!」

「はは、そんな興奮するなって! まだ始まってもいやしないってーの!」


 男は背後に回ってきて拘束された僕の両腕を掴んだ。

 男のぬめりとした腹が僕の腰に伸し掛かる……ぞくり、と鳥肌が立った。


「おほ、男だっていうのにいい匂いがしやがるし、小せえなあ。こんな小さいガキとやったことなんて今までにないぞぉ!」


 男の舌が僕の首から背中にかけて這う。ざらざらとした水気を帯びたものが背中を這いずる。

 背中から寒気が襲った。鳥肌が体全体を覆う。嫌悪感に身震いが止まらない。詰め物のせいで呼吸もうまく出来なくて、吐き気だって喉の奥から込み上げてくる。

 突如、ぎゅっと背中に引っ張られるような鈍い痛みが生じる。男が吸い付いてきたのだ。何度も、何度も何度も……理解した。

 これが襲われた女たちの背中についていた痕の正体……。

 キスマークだったんだ……!


 嫌だ。

 やめろ。やめて。助けて。やだ! 死ね!

 やめてやめてやめろやめろ!!


「うもおおおぉぉぉ――――っ!!」

「ぎゃぁっ!?」


 僕は抵抗して唯一動く足をばたつかせ、男の膝を蹴る。……蹴るつもりが、どうやら別の固いものを蹴りあげたらしい。

 男は悲鳴を上げてその場にうずくまるが、悪態を吐いて立ち上がって僕の頭を酒瓶か何かで強く殴った。


「むぼっ……!」


 意識が飛びそうになった。

 痛みと叩かれた衝撃で頭が揺れる。てろり、と僕の頭から血が流れて眉間を伝って鼻先から二つに分かれた。

 嫌悪感と同時に痛みから吐き気がする。涙が目に滲む。口の中に唾が広がっていく。

 痛い辛い痛い気持ち悪い痛いやめろ痛い近づくな痛い!


「ざけんな! てめえはそのままヨガってればいいんだよ! 次抵抗したら殺すぞ!」


 どっちがだ! ふざけるな! お前こそ殺すぞ!!

 そう叫びたくても思うように声が出ない。

 

「俺はなあ、本来こんなとこにいる人間じゃねえんだよ! 調子乗った売女1人殺しただけであの糞爺もこんなところに入れやがって! 数年間!? 店のメンツを守るう!? 奴隷商がたまたま大当たりかましただけに何偉くなったつもりになってんだよ! メンツも糞もねえだろうが! ふざけんな!」


 男は近くにあった椅子を蹴りあげる。

 ……馬鹿だ。

 素足なのに蹴るから自分で足痛めつけてその場にうずくまってる。

 はあはあ、と肩で呼吸するほど息も荒いが、少ししてその呼吸音も止まった。


「……?」


 先ほどまでの威勢が無くなった。どういうこと。


 男はゆっくりと顔を上げた。

 その顔はなんだか笑っているようだ。痛覚で冷静になったのだろうか。

 くくく、と不気味な笑いをわざと聞こえるかのように漏らす。


「……いいぜ。お前が抵抗するっていうなら今からお前の部屋にいるもう片方のガキ……連れてきてやろうか?」

「……うもっ!?」


 ……今なんて言った?

 片割れのガキ……ルイを?

 ルイを? 聞き違い? でもガキって。この場所で子供は僕らだけだ。


「俺は構わないんだぜ。まだ鼻たれだがありゃあ将来上玉になる。しかも、魔族ときた。長く若ぇままよ。幼いうちから仕込めば名のある娼館にだっててっぺんとれる。ははっ……まあ、あと5年は待たなきゃならねえけどな。1年も男抱かせりゃ今の売値も真っ青の金が入るだろうよ。……なあ、どう思うよ? お前が助かりたいなら別の捌け口よこせや?」


 ああ、なんてことだ……なんて最悪な……。


「……ふぐぅぅ!」


 ……ふざけるな。

 ……ずるい。

 なんで、なんで、なんで、なんで……くそ。

 こいつはわかってるんだ。こいつは知っているんだ。

 僕が護りたいものを。僕が譲れないものを。僕が一番大切にしているものを。

 こんなことを言われて僕が断ることができないことを……。


「なあ、抵抗しないのか? いいぜ? もうお前じゃなくてもいいしな。どうした。何か言えよ。なんならその拘束解いてやろうか? そしたら向かって来いよ! お前ぶちのめして目の前であのガキ犯してやる!」


 抵抗……向かう?

 そうだ。僕にはこいつにを持っている。

 魔法。魔法だ。

 しかし、それがどうした!

 魔法なんて何の役にも立ちやしない! 

 今ここでこいつを火だるまにだってしてやれる! でも、出来るわけがない! やった後どうする! 糞っ!

 僕とルイが引き離される先しか見えない……。

 駄目だ。こいつを殺しても自分を追い込むことにしかならない……!


 畜生。

 ずるい。畜生。

 ずるい。畜生。ずるい。

 畜生。ずるい。畜生。ずるい。畜生。

 ずるい。


(……ちくしょうっっ!!)


 ルイを一人にするなんてできるわけないじゃないか……!

 ラゴンの頼みだぞ! それが無くたって僕がルイを置いていけるはずない!

 ましてや、ルイを犠牲にして自分が助かるとでも!? こんな男に渡すとでも!?


 ――出来るか馬鹿野郎!


 だから……だからっ!


(僕が大人しくしてるしかないじゃないか……!)


「……っ!」


 僕は動くのをやめた。唯一自由になる足の力をだらりと抜く。

 前を向き、口の中に詰められた布を噛みしめ、縛られた腕はきつく拳を握ることしかできない。


「へ……へへ……ようやくわかったようだな」


 怒りでどうにかなりそうだった。

 身体の震えは止まらず、手の平に爪が突き刺さるのわかる。

 痛みが走る。でも構わない。

 突き刺さる爪の痛みは僕のこの怒気を煽りたぎらせるものしかならない。


「そうだ。最初から素直にそうしておけよ……!」


 目を閉じた。きつく潰れてしまうんじゃないかってほど強く。

 歯を食いしばった。歯が折れてしまうんじゃないかってほど強く。

 拳の隙間から血が滲んでいた。それでも、もっと強く強く――。 






 

 この男は力があった。そして、僕には力がなかった。

 それだけのことだった。

 僕は願った。


 力が欲しい、と。


 ――他人に有無を言わせられないほどに強くなれ。


 ラゴン、力が欲しいよ。


 ――お前たち二人にはそれを叶えられる力がある。


 ルイ、力が欲しいよ。


 僕は強く望んでいた。

 力が欲しい。


 他の暴力に屈することなく、覆せるほどの力が欲しい。


 ちからがほしい。



(……でもな、命を奪って喜びを見出す畜生にだけにはなってくれるなよ)


 ちからが、いますぐにほしい。

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