第8話 恩師との別れ


 奴隷市はだいたい8日で1回のペースで定期的に行われ、昼頃を目安に夜遅くまで開始される。

 予定日以外に急きょ市が開かれたこともあったが、僕ら2人が品として場に出されるようになってからその一度しかない。


 当日は昼頃より自室で待機し、客が来るのをひたすら待つ。

 食事も前日に日持ちのいいものを作り置きし各自の自室で時間のある時に摂る。普段外に出ている男陣も日中からいるので、ご主人様に咎められない程度には騒がしい。

 そうして各自で暇をつぶしながら待機。大広間の方からちりんちりんって鐘の音が鳴ったら、僕らは直ぐに大広間へと向かう。客が来た合図である。せっせと駆け足で行かないといけない。ただ、行く前の準備を忘れてはならない。

 準備と言っても服を脱いで裸になる。これだけだ。

 僕ら奴隷は裸で客の前に立たなければならない。


 毎回毎回脱ぐのも面倒だということで今日一日は裸で過ごしてる人もいると聞き、僕らも習ってその日は裸でいることに決めた。ただし、部屋にいるときは風邪をひかないよう、2人で1枚しかないシーツに包まって待つことにしてる。


 大広間に着いたら、を首から吊るして外へと繋がる大きな扉が開かれご主人様とその客が来るまで待つ。

 一度に来る客は大体2人から3人。1人ないし2人が客で、もう1人は従者の方だそうだ。

 また、この大広間は1組しか入ることを許されていない。客同士のトラブルを避けるためだ。


 まずはとご主人様の挨拶が終わったら、僕らは客を挟んで男と女・子供の2列に並ぶ。

 ここでの奴隷のお値段は男性が3リット金貨。女性は2リット金貨。

 子供の場合は半値になるみたい。また個別にご主人様が値段を吊り上げたり下げたりする値段が値札に書かれる。

 気にいった奴隷がいたら胸に吊るされた値札に書かれた金額に同意すれば終わり。購入を決めた奴隷を残して皆、部屋に引っ込む。

 後は選ばれた奴隷とご主人様と客だけが大広間に残り、その場で契約を交わして取引は終わる。

 契約の済んだ奴隷は旅立ちの準備をし、大広間で知り合いがいたらいたで見送られながらあの分厚い扉から出ていく。


 これが奴隷売買までの一連の流れ。


 下見の途中、男の奴隷に触ることは許されているが、女の奴隷は手出し厳禁だそうだ。

 気に入ったお客さんや、自分を買ってほしいお客さんが来たら一部の人は張り切る。自慢の筋肉を誇示したり、腰をしならせて流し目を送ったりしてアピールする。逆もまた然り。

 ただ、自分から話しかけるのはタブーとされる。


 意外にも男の奴隷の方が購入される場合が多い。奴隷の仕事は主に肉体労働が多いからだそうだ。

 この市場にいた成人男性全員を買っていく人もいた。まだ入って2日3日しか経ってない人もいた。

 早々に買われたことが幸せだったのかは僕にはわからない。





 ……ハックとベニーの時は若い貴族の人が一度に従者をそろえたいっていうことで他に男1人に女2人を連れて行っちゃった。

 龍人のハックを門番にしたら箔が付くとかなんとか楽しそうにその人はいってた。よくわかんないけど、ハックのことがかなり気に入ってたみたい。

 ハックはお客さんの前では平然を保ってたけど、あまりいい顔をしてなかった。

 大国の兵隊とか闘技場のなんとかがいいって前々からいってたからそのせいだと思うけど実際はわかんない。

 でも、テトリアはその人の要求に達していなかったから引き取りはされなかったんだ。

 ハックは2リット金貨。ベニーが1.5リット金貨。他男性1人に女性が2人。

 総額10リット金貨と50リット銀貨が支払われて、5人はここから出ていった。


 ……ぼくとシズクの値札には最初から何も書かれていない。


「この2人のお値段はお客様が提示された金額を、こちらが望んだ時に承諾させてもらいます」


 以前ご主人さまが値段を聞いてきたお客さんに言っていた。

 そして、提示された金額を聞いてご主人さまが首を横に振る。これを何度も見てきた。

 最初のお客さんは子供だからって2.5リット金貨。次に来た人は5リット金貨。次は8リット金貨……。

 1リット金貨の価値はわからないけど、それがどれだけ大きな数字なのかはわかる。

 ぼくとシズクは大人2人分以上の価値があるってこと。

 でも、ぼくは自分にそんな価値があるとは思わない。


 ……テトリアは1リット金貨だった。




 

「……ルイ。魔力が乱れているぞ。しっかりしろ」


 テトリアがいなくなってから3日が経った。

 今は仕事を終えて魔法の練習の時間。でも、この2日ぼくはまったくと手が付かなかった。

 ベニーが去った時もそんな感じ。仕事も空回り。勉強だって全然集中できない。

 思い出すと涙がぽろぽろ出てきちゃうんだ。


 ぼくの作った水魔法は普段よりも安定しない。

 今日は水で出来た1本の紐を作って、空中でくねくねと伸ばして水の回路を作るという内容だった。途中結びを作るも、紐同士を触れ合っちゃいけないってルールが付いている。

 でも、テトリアの別れが影響してぼくはいつも以上に力を出せずにいた。いつもなら直線の水紐を作れるのに、でこぼこと膨れ上がったり細くなったり……。結び目だってぶつかってくっ付いてその部分だけ太くなっちゃってるんだ。


(……仕方ないじゃないか……こんな時に魔法の訓練なんて……)


 ぼくは魔法を使うのをやめた。空中に固定された水は行き場を失って地面にばしゃって落ちる。それを見てかシズクも同じように魔法を使うのをやめた。

 ぼくはその場にしゃがみこんでぐずぐずと泣いた。


「泣くな。泣いても子供たちは戻ってこない。泣いている暇があるなら魔法を磨け。ほら、さっさと立って続けろ」

「ラゴン! そんな言い方はないんじゃない!」


 シズクがラゴンに怒鳴った……。

 こんな大声を出すシズクは初めてだ。


「……っ、うわぁぁぁあああああん!!」


 びっくりして、ぼくはもっと大声をあげて泣いちゃう。

 ラゴンは大きくため息をついて、シズクは慌てふためている……。


「……うるさくてかなわん。ルイ、いい加減にしろ」

「だっで! だっでぇ! やだぁ――!!」


 悲しいんだよ! テトリアもいなくなっちゃったんだよ!

 もう会えないかもしれないんだよ!

 なのに2人はいつも通りなんだ! シズクだっていつも使う魔法よりも少し乱れてたのわかるよ! なんでそんな我慢できるの!? わかんないよ! わかんないよ!!


「ルイ、泣かないで。ね、泣かないで」

「シズクぅ……!」

 

 ぎゅっと抱きしめながらシズクが頭を撫でてくれる。

 シズクの体温は暖かい。でも、頭から伝わる手の平の温度はちょっと冷たい。

 やっぱり、シズクだって悲しいんじゃないか。

 わかるよ。シズク、ぼくはシズクの気持ちわかるよ。


 喉からこみ上げる嗚咽は止まらないけど、シズクが頭を撫でてくれるとさっきよりは落ち着くことができた。

 でも、悲しんだ。悲しくて仕方ないんだ。


「……わかった。別れがつらいか。なら、いい。先にお前たちに言っておくことがある」

「……ラゴン?」

「何、ラゴン?」


 叱りつけてきた時と違って声色が低い。

 なんか、いつものラゴンと違う。

 わかんないけど、違う。

 

 ラゴンは突然立ち上がった。

 何をするかわからない。けど、ぼくとシズクはラゴンの行動をただ見ているだけしかできない。

 ラゴンは自分の左腕を胸の前に突き出す。

 そして、かざした左手に右手を添えて――


「見てろ」


 空気が揺れるを感じた。

 風魔法だ。

 ラゴンは風魔法を――自分の発動させた……!?


「「ラゴン!?」」


 ぴっ、とラゴンの腕の皮膚が切り裂け、直ぐに傷口から鮮血が飛び散る。

 ぼくたちにも血しぶきがかかった。

 ひっ、て悲鳴を上げてしまう。

 傷口は深い。シズクが以前怪我をした時よりも血の出る勢いは激しい。

 ふう、と息を吐いてラゴンはまたベッドの上に座りなおす。 


「はは……腕を落とすつもりだったんだけどな。なかなかにうまくいかん」

「何してるんだよラゴン!! 血が! 死ぬつもりなのか!!」

「やだよ! ラゴン、やめてよ!!」


 ぼくとシズクは直ぐに駆け寄って治癒魔法を使う。

 今まで何度かラゴンは自分の体を少しだけ傷つけてぼくたちの治癒魔法の練習にあてたことがある。

 練習によってその怪我の程度は違う。

 小さいのは指先をちょんと切るくらいの怪我、大きくても腕にちょっと深く傷をつけてたらたらと血が止まらないくらい。


 いつもラゴンが自分の体を切りつけるときは見てて嫌だった。

 だって切るときラゴンはちょっとだけ痛そうな顔するんだもん。

 辛そうな顔は見たくなかったけど、ラゴンぼくたちのためならって笑うんだもん。

 だから、ぼくたちは早くラゴンの傷を癒してあげようとがんばったんだ。

 治癒魔法を実際に体感させてやりたいって気持ちは前々から伝わってきた。すごい感謝してる。


 ……けど、今回の怪我はいつもの比じゃない! 


「やりすぎだよ! ラゴンなんで!?」

「ちがとまんない! シズク! ちがとまんないよ! ラゴンなおんないよ!」

「……そうか、やっぱりか。まあ、練習としてはありかと思ったが」


 血が止まらない。


 治癒魔法を使ってるのにラゴンの左腕の傷が治らない。

 なんで。どうして。力が足りないの? 

 未熟なのは自分でもわかってる。でも、少しも手ごたえがない。ラゴンの身体にぼくの魔力が拒んでるみたい。

 血で傷口が見えない。傷口が少しも閉じようとしてない。

 なんで、どうして。いつもは1人でやるけど、今は2人だよ!

 2人がかりで取り掛かってるのになんで魔法が効かないの!?


「もういい。2人ともやめるんだ」


 ラゴンはぼくたちを押し退ける。こてん、と二人して床の上を転がった。

 すぐにお尻を上げてラゴンのそばへと駆け寄ろうとしたんだけど……。

 ラゴンはぼくたちを制して、出血の止まらない左手にまた右手を添えた。


 自分で治癒魔法を使う……違う。違う!

 ラゴンの手は薄緑色に光ってない。


 じょわって血が燃える音と、じゅっていう肉の焼ける音が同時に聞こえた。


 火魔法だ。

 火魔法を手の平に覆って自分の肌を焼いたんだ。


「うぐぅっ……がぁっ……!」


 苦しそうに呻く。 

 ジグのにおいとはまた違う異臭がラゴンの部屋に満ちた。

 ぼくは悲鳴を上げたけどラゴンは気にすることなく顔を歪めて肌を焼いていった。

 ……後には黒く焦げた左腕だけが残った。


「……なかなかに、辛いな。体力をごっそりともってかれた」

「なんでこんなことを! ラゴン死ぬつもりなの!?」


 ラゴンの顔は青白く、汗がいっぱい流れ落ちていた。

 痛くてたまんないんだと思う。ラゴンの顔は見てて痛々しいほどに歪んでる。息も荒い。目も開きっぱなしだ。

 ぼくの口も開きっぱなしで、呼吸をするのも忘れてその場に腰から崩れ落ちた。


「いいか。2人ともよく聞け」


 返事をすることはできなかった。

 黒く焼け焦げた腕と青白く苦痛に歪むラゴンの顔を交互に見ることしかできない。

 ラゴンの口が開いた。


「寿命だ。私は間もなく死ぬ」


 ラゴンの口から音が出た。

 ……何を言っているの?


「いいから聞け。治癒魔法が効かなかっただろう。あれは私の身体がすでに限界だったからだ。魔法を受け付けなかったんだ」


 限界? 受け付けない?


「魔族は魔力と共にある。以前言った話だ。だが、歳を取った魔族が死を間近にすると魔力が枯渇し始める。他者から送られた魔力にも反応できないほどにな。私の魔力の残りはわずかだ。つまり、わかるか?」

「…………魔族の死は魔力が無くなった時?」

「そうだ。魔族の寿命とは魔力を補えなくなった時だ。さらに、回復の兆しが見えなかったことから私の身体がすでに死んでいることがわかる。だから、寿命だ。私は間もなく死ぬ。今の魔力消費分と身体へのダメージ。経験談から言わせれば、もって数日だろう……」

「そんな、突然過ぎるよ。今までそんなそぶり見せなかったじゃないか!」


 そうだよ。いきなりだよ。

 昨日まであんなにぴんぴんしてたのに、いきなり死ぬなんて……!


「予兆は感じていた。シズク、以前お前を癒したときには違和感を覚えていた」


 ガラス球の破片で負った怪我を治癒した時、シズクは傷口が痒いと言った。それは傷口の癒着が完全でないことによる違和感から来るものだとラゴンは説明をする。


「魔力の出が悪かった。最初は力の衰えだけかと思ったが、お前らと魔法の勉強をこなしていくうちに悟ったんだ。私の身体が限界だとな。……まあ、今のでとどめを刺したようなものだ」


 ラゴンはくくっ……と小さな声で笑う。苦しそうに息を絶え絶えに笑う。


「この世界ではよくあることさ。笑って別れたやつが次の日には肉塊と化すんだ。シズク、お前ならわかるだろ。人なんてあっけなく死ぬ。いつ死ぬかなんて誰もわからん。それがわかるだけ私は運がいい。それだけのことだ」

「ラゴン……僕はまだあの時の答えだって聞いてないよ」

「馬鹿め。そんなもん老い先の短い爺に聞くな。お前はこれからこの世界でその答えってやつをずっと探していくんだ」

「……わかんないよ。僕はこれからどうしたらいいんだ」

「……では、そうだな。ルイのことは頼んだ。ルイは本来こんなところにいるべき子ではない。私が巻き込んでしまった存在だ。ひとり立ちするまでお前が守ってやってほしい。これでお前がこの先やることの1つにはなるだろう? 最後の頼みだ。聞いてくれ」

「……酷いや。そんなの断われるわけないじゃないか。ずるいよ」

「ふん……長生きを目標にするなんて子供ガキの頃から言うやつ……私は大っ嫌いなんだ。否定はしないでやる。だが、そんなもの私から言わせれば生きる意味にはならん」


 2人して何の話をしているかわかんないよ。

 ぼくだって言いたいことはたくさんある。

 シズクがぼくを守るとか何それ? ぼくがシズクを守ってやるんだから!

 ちがう……それよりも他に話すことあるんじゃないの!


「……わかったよ。僕がルイを守っていくよ」

「ああ、約束だ」

「うん」


 でも、そう思ってもぼくの口はさっきから一言も出ない。

 結局ぼくに口を挟ませる隙間もなくふたりの会話は終わった。

 ……ちがう、口を挟もうと思ったらできたんだ。でもぼくは黙ることを選んだ。

 だって、今ここで口を挟んだら間違ってる気がするって思ったから。


 それからラゴンは寝る、とか言ってその場に伏せてしまった。

 寝息は聞こえない。逆に苦しげな声が聞こえてきた。

 痛いんだ……。


 ぼくたちはラゴンに声をかけずに自室に戻った。

 言葉もなく互いにベッドの上に横になったけど、寝れる自信はない。

 目を閉じるとラゴンの腕が切り裂けるところや、腕を焼き付けるところが浮かぶんだ。すんと鼻を鳴らすと、先ほどのにおいがよみがえってくる。

 身体が震える。涙がぽろぽろ流れる。

 ぼくは怖くて悲しくて隣で横になってるシズクの手を取ってきつく目を閉じた。

 びくんってシズクが震えたのがわかる。


(いつもなら、これで寝れる。寝れるんだ……!)


 …………無理だよ。

 寝れるわけないじゃないか。涙だって止まんないんだ。

 怖い。悲しい。怖い。悲しい。怖い。悲しい。

 

 我慢はできなかった。

 ぼくは自分から握った手を引き寄せてシズクの胸の中に入った。


「シズクこわいよ……ぼくこわいよ……かなしいよ……」

「いいよ……おいで」


 潜り込んだぼくをシズクが抱きしめてくれる。でも、震えは止まらない。止めようとシズクの背中をぎゅっと抱きしめる。でも、無理だ。シズクの胸に顔をうずめる。胸の音がトン……トン……って聞こえてくる。

 ぼくの震えを止めようとしてくれたのかシズクもぼくを強く抱きしめてくれる。

 けど、震えは止まらない。それ以上に大きくなった。

 違う、シズクの身体も震えているんだ。


「シズク、ごめんね。シズクだってこんなふるえるのにあまえてごめん。でも、こわくてしかたないんだ……」

「いいよ……ルイ……ぼくも悲しくて仕方ない。……震えが止まらないほど、悲しいんだ。今はぼくもルイに甘えさせて……」


 その声はくぐもっていて、シズクも泣いているのがわかった。

 その晩、ぼくらは声を殺して泣き続けた。





 次の日、落ち込みながらも仕事を終えてぼくたちはラゴンの部屋に向かった。

 しかし、そこには先客が、イルノートが部屋の真ん中で座っていた。

 ぼくらに気が付いて振り向く彼の目元は真っ赤に腫れ上がっていて、ばつの悪い顔をするとラゴンに一礼して去って行った。

 ラゴンはベッドに横になったままだった。


 魔法の練習をするか? ってラゴンがいつも通りに言うからぼくたちは互いに目配せをしながら頷いた。

 練習というには随分とおざなりな内容だった。


 次の日、またイルノートがいて、昨日と同じようにぼくたちと入れ違いで出て行った。

 ラゴンは横になったままでぼくたちを見ると優しく微笑んでくれた。

 そして、魔法の練習をするか? ってまた同じように言うんだ。

 いいよ。ラゴン、ぼくたちの姿ちゃんと見てて。


 そして……最後の日。

 今日はもうイルノートはいなくてぼくたちは部屋に入ってすぐにラゴンのもとに駆けよった。

 ぼくたちに気が付くまで若干時間がかかって、起き上がろうとするからぼくとシズクはそれを止めた。

 今日は魔法の練習はなかった。


「男はいろんな悪事に手を染めてきた。お前たちに慕われるには程遠いほどにな」


 ラゴンは語りだした。


「盗みも働いた。恐喝もした。人殺しもたくさんしてきた。魔族や亜人族ですら見境なく殺してきた。命乞いをする女子供すら焼き払ったことさえある。……憂さ晴らしのためだけに女を犯したこともあったよ」


 ラゴンの声は震えていた。




 ――ある男がいた。


 ラゴンはその登場人物を男と言った。悪名を思いのまま自由気ままに日々を送っていた男の話だった。


 男は生まれた時から悪童と罵られ、嫌なことがあるとすぐに手を出す鬼人族だったそうだ。

 街から街へと転々としながら悪事を重ね、いつしか無法者を引き連れる賊の頭に、納まっていたそうだ。

 でも、欲望のまま突き進み何1つとして満たされないで燻っていた……ある日、彼は1人の魔人族の男に出会った。出会いは最悪だったと語りながら、紆余曲折あって男はその魔人族と共にするようになった。


 その後、長い間、男とその魔人族は世界中を歩き回った。そして、とある厄介ごとに巻き込まれた結果、2人は国を作ったそうだ。

 魔人族の男を王に置き、鬼人族の男もその王の右腕とまで呼ばれるようになったそうだ。

 建国後も長い年月を共にしていたが、2人の国は突如として滅びた。そして、男だけがそこから逃げ延びた。

 男はとある理由から当てもなく彷徨い、今いる奴隷商の下で管理人として生きていったそうだ。




 ――2人とも、強くなれ。


 命は尊いとか、不殺生だなんて言葉、反吐が出る。だが、否定もしない。

 命は大事だ。生きていなきゃそんな言葉も出やしない。叫ぶこともできない。しかしな。その言葉を掲げる前には力がなきゃ別の強い力に押しつぶされる。自分の守りたいもの、それがものであれ人であれ信念であれ。他人に有無を言わせられないほどに強くなれ。

 お前たち2人にはそれを叶えられる力がある。安心しろ。このラゴンのお墨付きだ。

 守りたいもののために手を汚すことを恐れるな。奪われてからでは遅いんだ。だが、それがいいとも言わん。良くも悪くもお前たちが考えろ。


 ……でもな、命を奪って喜びを見出す畜生にだけにはなってくれるなよ――



 最後にそう締めると、ラゴンは話をやめた。ぼくとシズクはその間何も言わずに床に座っていた。

 おもむろにラゴンがベッドの上から起き上がった。起き上がるまで時間はかかった。


「すまない。こんな話をして……だが、私のことを慕ってくれたまま死ぬのも気が引けるのでな」

「……その昔話は男の話なんでしょう。僕が知っているのは今のラゴンなんだから」

「そうだよ。むかしのラゴンなんてしらない。ぼくがしってるラゴンはちょっとこわくて、でもやさしいラゴンなんだから」

「は、はは……そうだな。ありがとう。2人とも、私と出会ってくれてありがとう」


 そう笑う目の前にいる男はいつものラゴンだった。

 ぼくは居ても立っても居られなくてラゴンに抱きついた。

 ラゴンは右手でぼくの頭を大事そうに撫でてくれた。涙があふれ出すんだ。


「ルイ、お前には迷惑をかけたな。すまない」


 ラゴンがぼくの耳元でささやいた。


「……ラゴン。いいよ。わかんないけど、ぼくはラゴンにあえてよかったもん」

「ありがとう、ルイ。シズクのことを頼むな。まだ幼いからお前は理解できないかもしれんが、シズクはお前がいたからこそ生きてこれたんだ。あいつは自覚してないだろうけどな。だから、シズクが弱音を吐いた時はお前が守ってやれ」

「うん……ぼくおねえさんだしね。ぼくがシズクをまもるよ」

「はっはっは、そうだな。お前が尻に敷いてやればいいさ」


 また強くラゴンを抱きしめる。


「シズク、おいで」


 もう形としてしか残っていないような黒く焦げた左腕を上げてシズクを招き入れた。シズクもラゴンに抱きついた。


「がんばれ。お前ならどこでも行ける。昔の楔を引き抜いてこの世界で生きろ。それがお前が悔いている少女のためにもなる。お前は小さなその体で十分に苦しんだんだ。もうお前も自分を赦せ。そして、近い将来お前は必ず身も心も自由になれる。だから、その時まで辛抱強くな」

「ありがとう。ラゴン。こんな変な生まれの僕を育ててくれて」

「いいんだ。2人とも、強くなれ。強くなるんだ」 


 シズクも泣いていた。声もなくただ涙が1つ1つと流れていった。

 それを見てぼくも声を殺してもっと泣いた。


 ……それから少ししてラゴンは静かに息を引き取った。


 ――ああ、子を持つってことはこう言うことなのかな。

 数百と長く生きてきたのに、お前たちとの短い日々は今までの中で一番に輝き、穏やかだった……幸せだった。

 ああ、幸せだった……ありがとうよ。

 最後にこのことを、教えてくれて……2人とも、ありがとう……。


 それが最後のラゴンの言葉だった。





 たくさん泣いた。

 泣いて泣いて疲れて気を失って。

 起きてラゴンがいないことを悟って泣いて。泣いて泣いた。


 そして、もう一度目覚めてからやっとぼくはラゴンの死を受け入れた。


 それからぼくとシズクはラゴンの身体を他の奴隷たちに手伝ってもらって大広間に運んでもらった。

 ラゴンのことを知る人はもうぼくとシズクとイルノートしかいなかった。

 他の奴隷の人たちは新しい人ばかりでラゴンの死について深い感傷はない。

 だから、ぼくたち3人だけ思い思いに別れの言葉を告げて、最後にイルノートとご主人さまがラゴンの身体をもって外に出て行った。


 数日はラゴンの私物の片づけに追われた。

 ラゴンの部屋にはいろんなものが置いてある。ご主人さまから新しい管理人が決まるまでに処分しておくようにと言われた。

 最初はぼくとシズクの2人だけでやるのかと思っていたんだけど、イルノートが口数少ないままに手伝ってくれたこともあって2日程度で終わった。

 集まった荷物は大広間に置かれ、後日イルノートが処分してくれるみたい。


 最後に、イルノートがぼくたちに1つプレゼントを渡してくれた。

 ラゴンが用意してくれたものらしい。

 細い銀色の鎖につながっている、青色と黒色の石が付いたペンダントだ。

 ぼくたちが生まれた魔石のかけらを加工して作ったものだそうだ。


 ぼくはもっと強くならないといけない――ラゴンとの最後の約束だ。

 胸に揺れるペンダントに誓った。

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