第5話 僕が僕であった最後の日

 長い長い人生の3分の1も生きていない僕だけど、およそ16年という短い間の中で幸せの絶頂期にいた、と今ならはっきりと言える。


 理由として、まず1つ目に彼女ができたことだ。

 その子というのが小さいころからの幼馴染で、最初は互いに微妙な立ち位置だったけど、紆余曲折を経て、晴れて結ばれることとなった。

 

 2つ目に野球部でレギュラーに選ばれたことだ。

 部員の数が少ないからっていうのもあったけど、それでも努力が実った結果だと思う。ただ、うちの野球部が強いかって言われたらいつも1回戦とか2回戦敗退しているくらいの実力なんだけどさ。


 そして最後に、家族が増えることだ。

 臨月を迎えた母さんと父さんを見ているとこっちまで幸せな気持ちにさせてくれるんだ。生まれてくる子供の性別は生まれた時までの楽しみだそうだ。

 ……これを自分の幸せにするのはちょっと違うかもしれない。でも、家族が増える幸せを僕は感じ取っていたのは本当のことだ。


 そういうわけで当時の僕は今までの人生の中で一番輝いている時期でもあった。


 朝練のために僕に付き合って早起きをしてくれる彼女と登校し、授業を受ける。

 帰宅は彼女と2人で大きくなった母のおなかを見守る。

 休みの日は日長に彼女と過ごし……別々に漫画を読んだり、ゲームなんかをする。気が向いたらキャッチボールやらバッティングセンターなんかに出かけて……まあ、関係が変わってもやってることはその前と一緒だった。

 があったかって聞かれたら、まだ1度もない。 


 けれど、そういう何気ない幸せを感じながら日々を過ごしていた。

 そして、僕という人生の中でその時が1番輝いていた時期だったなんて、当時の僕は知る由もなかった。





 最悪の始まりはその日、朝練に出向いた僕たちが目にしたものは部室の扉に張られていた1枚の紙を見た時からだった。


 ――野球部の無期限の活動停止。


 険しい顔をしながら駆け足で校舎へと向かい、さらに見てくれと言わんばかりに掲示板に留められていた貼り紙を眼にした。


 未成年の飲酒、また暴力事件の発覚として、以下の者を停学とす――


 文面の下には対象者である10名ほどの名前が続いている。うち半分ほどは仲間である野球部員。

 レギュラーメンバーの名前も2人、乗っていた。


 詳しい話は職員室で聞かされた。

 夜の繁華街で高校生がもめ事を起こしているとの通報が入り、警察を交えての大騒動となったとのこと。

 暴力はまだしも飲酒はしていないと当事者たちは訴えたが、アルコール検査で全員が引っかかったそうだ。

 結果、今年の大会出場は取り消され……来年どころか野球部が残っているかも定かではない。

 僕の夏は終わったのだ。


 残念だったね、と幼馴染のあの子は気にかけてくれたけど、その時の僕は彼女のことを思いやるといった考えは浮かばなかった。

 何を言ったかは覚えてないが、僕が発した心無い言葉は彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。

 ……短気であることをすっかり忘れ、その日は喧嘩別れして別々の帰路についた。


 明日は休日であり、母さんが出産のために入院するからって前々から手伝うって約束していたのに……。

 それのせいで彼女は来なかったし、僕も一緒に病院に着いていくつもりであったが、体調が悪いと嘯いて家の前で父さんの運転する自家用車を見送った。

 見送った後は部屋に籠って不貞寝である。


 ……あの時一緒についていけばよかった。

 そしたら、これから先起こることを知らずに済んだし、まだ幸福感に包まれたままで終わらせることができたはずなんだ。





 地震が起こった。

 それもかなり大きなものだった。僕が住んでいる地域一帯が震源地だったとかは後で知ったことだ。

 それは止むことなく次第に大きくなっていった。

 逃げるとか落下物から身を守るとか。僕は何もできずにいた。

 自室が崩壊していくのを揺れが止むまで見終え、あーあ……なんて言葉を呟いてベッドから立ち上がる。

 自分の神経が図太いのか、呆然としていてリアクションが出来なかったのか、目の前の惨事は恐怖を感じる間もなく終わった。

 どこから片付けようかとおもむろに立ち上がり、散乱した無残な山をどうするかと頭を抱えた――その時だ。


 サイレンの音がいくつも聞こえてきた。


 僕は肝心なことを忘れていた。

 あんな大きな地震があったのになんで忘れていたのだ。


 慌てて携帯端末へと駆け寄り、母さんへとかける…………繋がらない。

 続いて父さんへと…………同じく繋がらない。


 回線がパンクしているのか。反応はあるのに繋がらない。周りの人も家族や知り合いの安否で連絡しているのかもしれない。

 かけ直し、同じ反応を聞いて電話を切り、またかけ直す。

 10を超えた後からは携帯端末を手から落とした。


 片づけでもなくベッドの上で横になった。

 たぶん寝ていれば帰ってくるだろうと信じて目を閉じた。





 あれから僕は少し遠目の小学校の体育館に避難していた。

 宛てもなく家を出て途方に暮れていた僕をそこの避難場所の人が保護してくれたんだ。


 避難した先で僕が出来ることなんて何もない。

 僕はブルーシートの敷かれた体育館で毛布に包まるも冷たい床の温度を感じながら横になってばかりだった。

 目が覚めて、配給で腹を満たし、排泄して、また横になり、気絶するように意識を失う。

 僕の1日はこれで終わる。


 ……両親の死因は事故死だと聞かされた。

 前を走っていた車へと反対車線から躍り出た対向車が衝突。後ろを走っていた父さんの車がその2両に衝突、相次いで後続の車も突っ込んでと玉突き事故が続いたそうだ。

 父さんの運転していた車はまるで色違いの粘土を叩きつけたかのように他の車と混じり合っていて、車だけを見るなら3分の1ほどの大きさになっていたとか。


 警察から連絡を貰っても、話に聞く限り人の形を保っていない2人……ううん、3人に会うことを僕が拒んだだけ。

 僕は独りになった。


 夜は横になっても寝ることはできなかった。

 夜泣きする赤子やすすり泣く人の声が気に障り眠れず、その声もなくなると今度は夜の恐怖と孤独に怯えて寝れなくなるのだ。

 そして、朝日が周りを照らして白みを帯びてからやっと意識を失う。

 

 そんな日々が1週間くらいだろうか。

 地震から何日経ったとかも今が何時かもあやふやだ。

 ともかく、何日か過ぎたある日のことだ。


 その日も僕は目を覚まして、体育館入り口側にあるトイレで用を済ませた時。

 虚ろな目で元いた場所に戻ろうとして、体育館の引き扉を開けて1人の少女が中をうかがっている場面を目撃した。


 ボランティアか……と、一瞥し、ふと……また見返して僕は驚く。

 そこにいたのは喧嘩別れしてから会うことはなく、今の今まで忘れていた存在。

 幼馴染のあの子だったのだから。


 僕の口から無意識に彼女の名前がこぼれ、気が付いた彼女は安堵した表情で駆け寄ってきた。

 こちらを気遣いながらも無事であったことを喜び……事情は知っているのだろう。両親のことを悲しみ、その場で顔を抑えて泣き出してしまったのだ。


 ……彼女の嗚咽は周りの視線が集めていた。

 僕は場所を変えようと促し、2人で体育館を後にする。

 数日ぶりの外出だった。





 避難するまでは目に留める余裕もなかったからか、僕の住む町は一変していたことにその時初めて理解した。

 地面はひび割れ、電信柱は斜めに傾いているのが大半だ。電線もところどころで切れている。立ち並ぶ家は原形をとどめているものもあったが、半壊しているものも多かった。

 まるで世界の終わりを見ているかのようだ。


 そんな破滅した街並みを尻目に、すすり泣く彼女の手を引いて宛てもなく歩いた。

 避難所であった体育館からは結構遠くまで来たと思う。

 いつからか彼女は泣き止んでいて、僕に引かれながら無言でついてきた。


 途中、公園を見つけて僕たちは足を踏み入れた。立ち寄った理由は小さい頃によく遊んだ場所だからだろう。見覚えがある。

 僕は仰向けに倒れていたベンチを起こし、2人でそこに座った。


 ぎくしゃくとしながらも、彼女は震災後のことについて教えてくれた。

 彼女の家族は無事であることを。現在は別の避難場所にいることを。今回の震災は局地的なもので、この被災地一帯から外は被害が小さいこと。ただ、二次災害によりどこも人手が足りないこと。

 そして、最後にここ数日の間に僕を探して各地の避難所を転々と回っていたことを教えてくれた。


 彼女の顔色は悪い。

 僕も人のことは言えないけど、憔悴しているのがわかった。


 話が終わると僕たちの間にまた無言が訪れた。話といっても僕は相槌だけで殆ど彼女が話してばかりで、僕自身から話すことは何もなかった。

 せっかく来てくれたというのに、僕は彼女のことを歓迎するといったことは出来ずにいたのだ。


 長い無音空間。

 救急車両のサイレンや瓦礫を撤去する重機に上空を飛び回るヘリの音が耳に届く。機械的な音以外、それ以外の音は何もなかった……ぐすり、と鼻をすする音が聞こえるまで。


 隣を見ると、彼女がまたぽろぽろと泣き出し始める。

 大丈夫、と彼女は言うが、涙は止まらない。

 なんで、こんなことになっちゃったんだろうね、と彼女は呟いて立ち上がる。

 自分の顔がみっともないからと少し席を外すと言う。

 言葉をかける前に……かけることもしなかった僕の前から、彼女は早足で公園から去っていった。

 彼女の背を見送りながら、僕はベンチに座っていた。





 心に大きな穴が開いた僕が持つ時間の感覚ってやつはだいぶズレている。

 彼女がどれだけ前に席を立ったかは覚えていない。けど、そんな僕が遅いと思う程度には時間が経っていたし、僕に比べてはるかに正常な彼女の中でこれほど待たせることを少しというには変だ。


 うだうだとしながらも僕はベンチから立って彼女を探すことにした。

 日があるうちに彼女を帰さないといけないと思うし、僕も戻らないといけないと思う。


 今さら戻る場所も無いくせに。


 歩いた。

 彼女が消えた方へ。


 叫ぶほど気力はなく、まるで口ずさむかのように名前を呟いて彼女を呼ぶ。

 そうして、歩いていくうちに、僕の目はあるものを捉えた。

 そこには瓦礫と化した家屋の中で隠れるようにして絡み合う男女の姿を見つけた。

 こちらから見て、男は鼻息を荒くして女に馬乗りになっていた。息の荒い男とは違い、女は上の空のように身動き1つしない。

 そういうことに興味心身の年頃だとは自分でもわかっている。

 けれど……この時の僕は女に圧し掛かっている男に嫌悪感を覚えて仕方がなかった。


 横たわる女と比べて男はひと回りもふた回りも幅が広く、贅肉で首は埋もれている。

 30代半ばか、それ以上か。伸び切った髪はてかてかと光り、無精ひげと肌荒れの酷いデコボコ面で女に迫る男の歪んだ笑みは醜悪の一言だった。とにかく僕は女よりも男が目についた。

 寝そべっていたことあるが、相手の女が幼馴染だったなんてことは考えの1つにもなかったんだ。


 壁の無い家屋に入るのは簡単で、僕はすぐさま室内の2人に駆け寄っては、男の髪の毛を握って幼馴染から力いっぱい引っぺがす。

 いや、力が入らなかったのだから、髪の毛を掴んで後ろに押し倒すが正解か。亀が仰向けになるかのように男は後ろに倒れた。


 なんでこんなことしてるんだ、と僕は叫びたかったが、そんな元気もない。

 僕は彼女の肩を揺する。

 すると彼女はパチクリと瞬きを繰り返すと僕の名前を呟き、すぐさま今の事態を理解し悲鳴を上げながら着崩れた衣類を庇うように身体を丸めた。

 僕は目線を逸らすために苛々と男へと振り向いた。

 込み上げる怒りもあり、ぎろりと男を睨みつけたが、その男は僕と目が合うなりまるで自分が被害者とばかりに助けを求めるみたいに悲鳴を上げて怯えだした。

 見るに堪えないとはこのことを言うのだろうか。


 ――もういい。疲れた。


 何か暴言でも吐いてもよかったのに、悲哀と苛立ちの募った僕は何が何だかわからなかったんだ。

 だから、衣服を直す最中でも構わず彼女の手を引いてその場から去ろうとした。


 怒りに任せて暴力を振るっても許されるんじゃないかと思ったが、生憎と今の僕に行動を移せるほどの生気は残っていなかった。





 僕はその場から彼女の手を引いて後にした。


 戻って寝よう。

 また同じように毛布に包まってご飯を食べて寝て夜は辛いけど朝を待ってそして寝てご飯を食べて寝てつらくてご飯を食べて……。

 もう消えてしまいたい。せめて記憶だけでも忘れて、すべて忘れられたら……いや、いっそのこと死――

 

 ――……気が付いたら、あそこに、いて……わたし……こんなの、望んでやったんじゃない……。


 彼女がかすれた声で呟いてから、はっと意識を取り戻してその場で立ち止った。

 いつに間にか見覚えのない場所に来てしまっていた。自分がどこを歩いていたのかも覚えていない。

 ここはどこだろう……繁華街付近にいることがわかる。高層建築物が集中しているからたぶん駅近くだろう。

 人の姿は見えない。

 周囲を確認したのはそれっきりで、それから先はただ互いに見つめ合って、結局僕が視線を逸らした。

 が、彼女が声を上げて泣き出したので、どう接していいか困惑した僕はその場を取り繕うためだけに彼女を抱きしめた。


 ――ごめんなさい。ごめんなさい。


 なんで謝っているのかわからない。

 もういい加減にしてくれ。

 その泣き声も煩わしい。


 それが本心での抱擁だった。辛くて僕の瞳からも涙が流れた。

 耳元から別に彼女が悪いわけじゃないのに謝罪の言葉を何度も何度も声に出して伝えてくる。

 昔っから勝気で短気で、でもいつも僕を引っ張ってくれたこの子が、こんなにも弱々しくなるところを今まで見たことはない。


 そして、僕はこんな彼女を見たくはなかった――。


 突然。

 腕の中にいる彼女が僕を強く押しのけた。


 不意のことで、2歩ほど後退ってはバランスを崩して僕は後ろに尻もちを付く。

 なぜ、どうして?

 拒絶されたと憤り、睨み付けながら顔を上げた次の瞬間。



 ――先ほどまでの泣き顔が嘘みたいに彼女は微笑んでいた。



 眉を歪め涙や鼻水でぐちゃぐちゃにしてるくせに。



 それでも無理やり笑って――。



 彼女は空から降ってくる瓦礫に押しつぶされた。



 とっさに何処から落ちてきたのかと空を見上げた。そこにはの丁度真上に鉄線につながったブロック片が揺れている。

 彼女のいた場所を見た。同じ材質っぽいブロック片の下で赤黒い血だまりが出来ていた。

 また空を見上げた。

 が立っていた隣の建築中の建物から鉄線に繋がったブロック片が伸びている。それがあの日の地震で崩れたのか、偶然にも僕らの真上に……元は2つあった、ということだろう。そのうちの1つが今、目の前にあるってことだろうか。


 僕はまた地面を見た。

 瓦礫の下から彼女の手だったものが助けを呼んでいるようにはみ出ていて、黒い血だまりは広がり続ける。

 僕は恐る恐る彼女の手に触れた。

 暖かくてまだ彼女が生きているって――直ぐに引き上げようと彼女の手を力いっぱい掴み上げたところで、あっさりと引き抜ける。

 そして、ようやく僕は彼女がどうなったのか理解した。


 ――――!


 声が出た。

 言葉にならない叫びが出た。

 彼女の腕を抱きしめながら救いを求めた。

 声が暴れた。

 地面を何度も殴った。


 そして、僕は叫びながら空を仰ぎ、ぶら下がっていた残りのブロック片を見上げる。

 ゆらゆらと揺れていたブロック片はちょうど僕が上を向いたとき、ぴん、とでも糸が切れたかのように僕へと落ちてきた。

 声を上げ続けながらも、ブロック片が自分の頭部に当たるまで見続け――


 ……こうして、僕の短いのか長いのかはわからないけど、人生は終わった。





 僕という列車はその年分の線路の上を走り、線路から落ちた。

 人の一生っていうのはたぶんこういうことなんだろうなって思う。

 予期せぬ出来事で線路が無くなったのではなく、その分しか線路が張られていないんだ。

 だから、僕の線路はあの日以降の道がなくて列車はそのまま落ちていった。



(――なんだか、それではつまらないねぇ)



 僕を乗せた列車は落ちる。

 落ちて、落ちて……。


 ――そして、終わるはずだった僕は新たなスタート地点の上に降り立っていた。

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