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※※※




 伝えたいと思ったことはもっと柔らかなものだったはずだ。今までの恨みつらみをぶつけるつもりなどなかったし、ましてや絶縁を宣言するつもりなど毛頭あるはずもない。どうしてこうなってしまったのだろうか。


 莉央は葵と会った時の服を着替えもせず行儀悪くベッドの上に寝転がり、部屋の窓から遠くを流れる雲を目で追っていた。視界を遮る建物は無く、城自体が高台の上にあるので見晴らしはすこぶる良い。すでに低い位置にある太陽は窓の逆側から射しているので眩し過ぎることもなかった。湿り気のない乾いた風が頬をくすぐり髪を躍らせる。


 ふと思い立ち体を起こす。ベッドから降りるとサイドの背の低いチェストの引き出しの中から冊子状の紙の束を取り出した。片側に穴を開け麻の丈夫な糸で簡易的に綴じてあるこれはディノ手製の莉央用教科書だ。追加の資料を足したいと思えば簡単にページを加えることができる。最初は最低限、王家の系譜や建国神話の概要、この国の大まかな歴史についてなどだけしかなかったが、徐々に枚数が増え今では三冊になっている。重みで簡単に穴から裂けてしまうので基本的に目を通すときには紐を解く。だが今そこまでするつもりはない。


 ディノの資料は思いつきにより運ばれていた。渡してすぐ待ちきれなかったように説明を始めるときもあれば、興味がないのか厚みばかりが重なっているのに説明は莉央に渡してから数か月後、忘れたころに脈絡なく小一時間程度で終わることもあった。恐らく誰かからの預かりなのだろうということはすぐわかった。それでも必要な講義の内容を広く纏めてあるため、この世界の文化に戸惑っていたころはなかなか役に立っていた。


 講義前の資料はまた別の一冊に纏めてあり、講義が終われば説明済みの冊子に移しかえる。今のところ講義内で近時代に現れたバロックについて聞いてはいないが、もしかしたら講義前の資料の中にバロックに関する記述があるかもしれない。固有名詞など分かる必要はない。いつどんな人物が来たのか、今はどうしているのかなど大まかなことだけでもいいのだ。そして出来ればその後が知りたい。


 莉央は今までろくに触れてもいなかった束を取り出した。文字はそこそこ読めるが、日本語の様に斜め読みで内容が把握できるほどではない。仕方がないのでなるべく読み飛ばしの無いように文字を追う。バロック、異世界、転移、召喚、呼び出し。それらしい単語の綴りを思い浮かべながら、少しでも引っ掛かるものがあれば目を留める。だが簡単には見つからない。

 

 ふとディノと外出した日の会話を思い出す。石造りの街並みを見ながら歩いた。木造建築が主だったこの国に石の加工方法を伝えたのがバロックだったと言っていなかっただろうか。建造物、建築、街づくり、街並み、区画整理、石、加工。街を作り変えたという先々代の王の名は系譜から調べ、それも候補として頭にいれる。


 こんな情報などインターネットが使えればすぐに見つかるのに。そう考え、とうに電池の切れた携帯電話を思い出す。きっと留守番電話にはいくつものメッセージが入っているだろう。メールの履歴も。しかしそこに名を連ねるのは父母と葵の兄弟、晃流の姉の真理、あとは蒔田と小西くらいしか思い浮かばない。


(結局私って、どこにいても友達出来ないんだな)


 同僚と楽しそうにしていた葵の姿が思い出された。自分がもしあんなふうに出来たのならば。今更考えてもどうにもならない事を考えていることに気づき、ため息をつく。それと同時に考えないようにしていた事柄が脳裏をよぎる。何度も思い返してしまう先ほどの葵とのやり取り。そのたびに別の事を考え、頭から追い出すことを繰り返している。


 近い位置で文字を追っていたので目が疲れ軽く頭痛がした。莉央は探すのを諦め、冊子をチェストの天板の上に置く。後で調べても大した差はない。少しばかり急いだところで現状何かができるわけでもないのだ。


 自分の手を眺める。何も感じないし、何も見えない。試しに痛む頭に触れてしばらくじっとしてみるが特に癒されている気もしない。自分自身には作用しないようだ。食事用のテーブルに置かれた花瓶に目をやる。毎食時に飾られる植物は入れ替えられているが、朝置かれた花は前日に摘まれているのか大抵昼には頭を垂れる。それを昼食の時にシイナがまた新しい花に差し替えていた。ふと思い立ち、ちょっとした興味をもってその内の一本の花びらに触れようとして気付く。数本の花が、触れる前から朝とまるで変わりない姿でピンと立っている。


 普段ならば気にも留めないであろう僅かな変化。しかし気付いてしまえば原因をはっきりさせたいと焦りが生まれる。そういえば夜マベルの部屋に行くことになっている。中庭には植物が沢山生えているので中には花の終わる時期に差し掛かった植物もあるかもしれないし、肥料が行き届かずしおれているものがあるかもしれない。それらが癒しの力を受けてどうなるのかを見てみたい。葵にした時のように分かりやすく目に見える変化が生まれるのだろうか。触れていなくても側にいるだけで作用するのか。それが自分の意思により調節できるのならばまだ良いが、もし出来ないとなれば葵に言ったことが冗談では済まなくなるかもしれない。


 死地の再生をしたというインタージャーの話は神話のものだし誇張もあるだろうが、今の状態が限界なのか更に強まるものなのかは判断できない以上言い切ることもできない。コントロールできるのならばどんな規模でもまだ大した問題はないだろうが、万が一垂れ流しとなるときに周囲に負の影響が出ることがあれば、自分や葵のみでなく、エルヴィラの立場にも問題が生じるだろう。そうなる前に、つまり今の兆候程度の段階で隔離なりの対策を講じる必要があると王子が考えるのは当然のことのように思われる。エルヴィラに知られることになれば葵と会えなくなるかもしれないと、これは憶測だったが実行される可能性は充分考えられた。


 魔法省の人間はまだようやく明かりを灯す程度のことしかしていない莉央の力を重要とは見ていないだろう。ただのバロックであるネルにもできるレベルのことがようやく出来るようになったに過ぎないのだから。だからこそ早い段階で自分自身の力を知ることが必要となる。マベルだけでなく、エルヴィラやネルの回復を手伝えればと思う気持ちに偽りはない。だが、それとこれとは別の問題だ。自分の立ち位置は早急に把握しなければならない。


(今のところ知っているのはヤンナさんだけだけど、多分ネルさんにも伝わっている。だけどそこからエルヴィラ様には伝わらないような気がする)


 ネルはエルヴィラの使いのようなことをしていたが、忠実に従っているようには見えなかった。奪われた名の力で強制的に言わされることがなければ自分から報告はしないのではないか。多分に莉央の希望が含まれてはいるが、可能性はある。ただでさえ二人ともが体調不良で臥せっているのならば少ない可能性ではない。


 扉をノックする音がして、莉央は体をそちらに向けた。そろそろ昼食の時間なのでシイナだろう。小さく軋む蝶番の音の後、ワゴンを走らせる車輪の音が続き、同時にほんわりと甘い香りが漂ってくる。


「お顔の色は良くなられたようですね」


 テーブルに料理を並べているので今は莉央の方を見ていない。入室の一瞬で確認したのだろう。その観察眼には感心した。


「少し寝たらすっきりしました」


「ようございました」


 そのままでは繋がらない会話を何とか続けようとしてみるが、基本的に受け手側なので相手が何かを言ってくれないと上手く続けることができない。それほど親しくない人間に対して自分から話題を振るのは、空気や雰囲気に合うのかどうかを考えすぎてしまって上手くいかないのだ。殻を破ろうと何度も思っているのに自分の面倒を見てくれている側仕えに世間話すら振れない。


(シイナさんも他の人達みたいにもっと話してくれたらいいのに)


 基本的にエルヴィラやネル、ヤンナとは話すべき要件がある。ディノの場合は自分の関心に忠実だ。いずれにせよこちらが空気を読み気を遣う必要は全くない。言われたことに応じるだけで充分に会話が成り立つ。もちろん何も考えずに応えればいいというわけではないので違う種類の気遣いは必要となるのだが、そちらは莉央にとって何年も続けている馴染み深いものである。人前に立つときの、当たり前のマナーのようなものだ。万人から好感を得るための当たり障りのない仕草、行動。


 食事のセッティングを終えるとシイナは静かに退出する。介添えは会食の場でのみ行われ、自室での食事は基本的に一人だ。シイナが一緒にいても一人働いてもらっている横で自分だけ食事をするのはそれなりに気まずいのだが、完全に独りきりの食事もなんとなく時間を持て余す。特に咀嚼している間、ただ料理だけを見つめているのは寂しい。今頃葵は食堂で同僚と楽しく食べているのだろうかと思い、またその考えを果実水と一緒に飲み込んだ。


 室内には常時爽やかな風が入る。だが時折は強く吹き抜け、笛のような高い音を鳴らした。その度にチェストの上に置いた冊子のページがパラパラと音を立ててまくれ上がる。食事中ではあったが紙が傷むことを恐れ莉央は席を立ちベッドの方へ歩み寄った。再び強い風が吹く。少し慌てて駆け寄り開いたページを押さえて、莉央は動きを止めた。



※※※



 シイナが食器を下げに来た時、莉央はベッドに横になっていた。資料を手にしたまま微睡んでいたので気配に気づくのが遅く、声を掛けられるまで分からなかった。


「近衛第一師団長殿から伝言をお預かりしております」


 差し出された手紙には、マベルの部屋への来訪は見合わせるようにと記してあり、代わりにヤンナが莉央の部屋を訪問する旨が書かれている。自分の力を目に見える形で自覚したあとだったので、マベルの回復にもっと協力したい気持ちはあったが、このタイミングでうたたねをしてしまったということは葵を回復した際自分には疲労が発生したのかもしれないと思い考え直した。わからないものを調子に乗って使い過ぎて反動が来ては意味がない。徐々にでもしっかり把握することの方が大切だ。


 シイナが片づけを済ませ部屋に一人きりになると莉央はテーブルに紙を広げた。紙の質が悪くペンの先が引っ掛かる。油断すればすぐにインク染みが出来てしまうので、頭の中で何を書くか決めた後は手早く記入していく。すっと縦に真っすぐな線を引いた。中央に点を打ち基準を決める。それが莉央の誕生年。その前後の時系列を把握したい。日本ではなく、この世界のものだ。確実に分かっている事実。それから自分が知った歴史、先ほど見ていた冊子の記述を記入していく。


 六歳 (年長) バロック呼び出し 失敗

 七歳 (小一) バロック呼び出し 失敗

 八歳 (小二) 終戦

 八歳 (小二) バロック呼び出し 成功(ヘデラ)

  特性・技術等 細工加工 

         イルデブランドにて技術指導に従事

 九歳 (小三) バロック行方不明(ヘデラ)

 十歳 (小四) バロック呼び出し 失敗

 十一歳(小六) バロック呼び出し 成功(ディム)※蒔田先生

  特性・技術等 製図作画

         イルデブランドにて技術指導に従事

 十四歳(中二) バロック行方不明(ディム)

 十五歳(高一) バロック呼び出し 成功(莉央、葵、晃)


 バロックを意図的に呼ぶようになったのは、王子の意向だと言った。莉央が六歳の時が最初の召喚だったらしい。現在二十前半に見えるエルヴィラは当時十代になったばかりだろう。そんな子供がなぜバロックを呼び出そうとしたのか。そして、幼い言葉がなぜ聞き入れられたのか。バロックは以前迫害対象だったという話だった。いくら王族とは言え実権を握っているわけでもない子供の言ったことだ。それ以前に偶然に現れたバロックが余程優秀だったのか。ペンを持つ手が冷たくなっている。名前を見たときは半信半疑だったが、漢字で蒔田の名を記入したとき莉央から疑いは消えた。恐らく、この人物は。


 莉央誕生十五年前 バロック出現(サワラギアツシ)

          地盤改良 国内にて市街地区画整理及び建築物改良技術指導に従事

 莉央誕生十四年前 イルデブランド ナジモ湖へ調査派遣(一年間)

 莉央誕生十三年前 現地女性と婚姻

 莉央誕生十二年前 バロック行方不明(サワラギアツシ)             

 

 サワラギアツシの文字の隣に沢良宜篤と漢字で記す。


「お父さん」


 莉央も名を聞いたことのある国立大学で都市環境工学を学んでいたことは、自分の進学先の高校を相談した時に聞いた。在学中四年ほど休学し海外へ。休学中に見聞したことを纏めたレポートで就職を勝ち取ったと自慢していた。世の中の父娘の常であろう、晩酌しながらの酔いに任せた父親の自慢話などそう真剣に聞いてはいなかった。だから海外のどの国へ行っていたのか莉央は知らない。何を目的としていたのかも。


 名前が同じ、それだけで父がこの世界に居たなどと短絡的に結びつけるつもりはなかった。ただ、父が蒔田と引き合わせてくれたときの言葉は未だに覚えていた。その時目にした父の笑顔も。父は蒔田にこう言った。


「莉央の目は私譲りなんですよ。私と同じ、少し変わった見え方をするんです」


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