イルデブランドの鉱山地帯、大陸の喉仏と呼ばれる地域には炭鉱があり、浸出油を多く含む軟炭が産出されていたが、掘削技術が未熟で大量に掘り出すことが難しかった。また運搬の際には乾燥した空気の中自然発火を起こすことも多く、燃料としては上質だったが、流通させ商売として成り立たせることが難しかったために、それほど盛んな産業とはならなかった。


 それを変えたのは、七年前の戦争と隣国の王子エルヴィラの存在だ。兄王が起こした戦争で、当の王夫妻は早々に暗殺され苦境の中王位を継いだアレシア率いるイルデブランドだったが、間もなく終結した戦争の敗戦国としての立場から、僅かにあった東側の肥沃な土地の殆どを奪われることとなった。残ったのは元から不毛の砂漠地帯と活用も出来ない鉱山地帯のみとなる。


 最大の戦犯である王夫妻は亡くなり、また中枢で動いていた大臣数名は斬首されている。慰謝の金品も差し出しているのだ。僅かにしかない農土を奪われれば国を立て直すことが現実問題として難しくなる。さすがにそれは考え直してほしいと何度も交渉を重ねる中で、フォルスブルグエンドから一つの提案が出た。


 炭鉱から掘り出される軟炭の様子から原油が豊富であろうことが推測される。ならば油井を作って原油を掘り出し、蒸留して質の良い燃料を作ればよい。冬季には確実にフォルスブルグエンドが顧客になる。掘削や運搬についての技術指導を出来る者を年単位で派遣する。その間指導料を差し引いた価格で輸入したい。


 掘り出される石炭や、沁み出す程度の原油の有効な使い道を分かっていない為に相場も分からず、元から提示された交渉金額は利用価値から考えればかなり叩かれたものだった。だが、戦争で疲弊していたイルデブランドはその金額でも飛びついた。首都プラスラから西に向かい広がる鉱山地帯と油田地帯が交わる場所にあるナジモ湖は天然アスファルトの湧く湖で、需要としてはこちらの方が大きく、即高額な取引へと移ったため、原油価値を冷静に見定めることが出来なかったのも敗因である。フォルスブルグエンドからもたらされる高額に見えた対価のせいで、給金の良い肉体労働を選ぶ者が増え、何とか守った肥沃な土地を耕す者は減少し、結局国が買い上げることとなった。


 海産資源豊富なフォルスブルグエンドは遠洋に向かう漁も盛んだ。アスファルトは船の防水加工や港の整備のため一時に大量に購入され、当初燃料の購入は控えめだった。それが、目くらましとなり、戦後交渉の後数年は不利に気付かなかった。しかし水没に対する備えが出来れば次は長距離の移動に必要な燃料の確保に移行する。その量に初めて原油の価値を知ったイルデブランドだったが、すでに遅い。それでも何とか交渉の機会を取り付け、五年前から半期に一度の貿易交渉の場がもたれるようになったのである。


 アレシア自身も二度ほど隣国に赴いたし、エルヴィラも数度技術支援の視察を兼ねてイルデブランドを訪れている。


 終戦当時、まだ十五、六の少年だったエルヴィラは、もちろん戦後交渉の場には立ち会っていない。だが、視察の際に相まみえて、最初の提案はこのひょろりとした線の細い青年から出されたものだったのだろうと迷いなく理解した。今まで国を主導してきた者たちを一気に失ったイルデブランドには、優秀ではあってもとにかく経験値のある者が不足していた。アレシアにしてもそうだ。父王に蝶よ花よと育てられていた姫が、まさか国を動かさねばならぬ立場になるとは、本人も、婚約者であるエリアスも、またエリアスの実家であるアドラー家も考えていない。そこは元々諍いごととは縁遠いのどかな国柄が災いしていた。


 そもそも、その戦争がなぜ起こったのかさえはっきりとしない。凡庸を絵にかいたような前王は人がよく、逆に言えば大きな判断を下せるような大胆さを持ち得ない人物だった。その妻も国内のさる貴族の令嬢で、イルデブランドの価値観に沿う箱入り娘であり、つまり異性との関わりをほとんど持たぬまま王家に嫁がされた世間知らずのお嬢様だ。どちらも主体的に何か厄介事を起こすような人物ではない。また、戦争を推し進めたと言われる大臣たちにしても、アレシアの目から見て過剰な野心を抱くような者たちには見えなかった。どちらかといえば、会議の最中のんびり茶をすすり世間話で会話を濁すような老人ばかりで、その状態が良いか悪いかはともかく、やはり彼らの判断で諍いごとが起こるとは考えにくい。


 だが、実際起こってしまった事実は変わらない。開戦当初から不利は誰の目にも明らかだった。アレシアは降嫁する姫だったために詳しいことも知らされず、離宮の奥でただのんびりと過ごしていただけだった。王夫妻の訃報が耳に入ったのはある程度事態が収まった後、七日も経ってからだったのである。


 様々な混乱の中、アレシアは王位を継いだ。重圧は凄まじく、また溺愛された姫君に周囲が望んだ立場でもなかった。アレシアの婚姻がすでに結ばれていれば兄夫妻に子供がいない今、王はエリアスだっただろう。だが婚約者であるエリアスは当時二十一歳。あくまで婚約者であり王族ではない。まだ年若い青年に将来に渡る重荷を負わせるのは年長者としてのプライドが許さなかった。まだ婚姻前にも関わらず離縁までも想定してアレシアは動くしかなかった。


「フォルスブルグエンドの目的としては、原油の輸入が第一だったでしょう。事実、その加工技術は日を追うごとに進歩しており大きな益をもたらしています。ですがエルヴィラの本当の目的はナジモ湖に湧き出るアスファルト材を枯渇させることです」


 自国の王子を呼び捨て、イルデブランド側が欲する内容を菓子を頬張りながらモゴモゴと話す。内容に対してヴェラルディの口振りは全くふざけたものだった。


「エリアス殿は私がナジモ湖に入ったのをご存知ですが、あの湖に湧くアスファルトは恐らく後数年で尽きるでしょう。既に水位は半分ほどに下がっています。そこに何が出てきたか」


 さあ、ご回答をと振られたエリアスだったが、先ほど見た限りでは何ということもないただのせりあがりのように思われた。アスファルトの湧く場所は、吹き出しながら固形化した小山が出来ることがある。さほど珍しいものでもない。


 だがしかし、ヴェラルディはその答えに「あれほど説明したのに!」と大袈裟な声を上げた。


「あれは封印の祠なのです。以前申し上げたではないですか。建国神話は近隣諸国にも関わると。エルヴィラはあの祠に閉じ込められたものを解放しようとしているのです。そしてそれにはインタージャーの力が必要となります」


「インタージャー?」


「フォルクブルグエンドが手に入れるバロックと呼ばれるものの中でも七色の魔法を使うことができるものです。これまでバロックは偶然この地に降り立つ謎の生物でした。人の姿を型取りながらも私達にはわからぬ言葉を話し、持たぬ知識を持つ。それを異なる世界の住人だと定義したのはエルヴィラです。建国神話の初期に纏められたものにそれらしき記述があると。その書物は私たち研究者の手元にはなく、どうやらエルヴィラが隠し持っているようなのです。王家の秘宝だのなんだのと都合の良い理由をつけ貴重な資料を独り占めするなどという愚行は全くもって許しがたい行いです」


 ああ口惜しいとちょくちょく個人的な思いを折り込みながら話しは続く。


「既に何度かエルヴィラはバロックの召喚を試みています。この国にも技術指導員として片言の男が派遣されたでしょう。えーと、何という名だったか」


「ヘデラか」


「そうそう、長髪の」


「もう一人がディム」


「そうそう、芸無しの」


「芸無し?」


「あ、いえいえ、人誑しとでもいうか。あれはあれで、芸はなくとも良い男でした」


 ヘデラは終戦後に派遣されてきた油田掘削の技術指導者だった。手引書を片手に指導してくれたが、あれは彼自身の知識ではなかったような気がする。手先はとても器用だったので小さな細工物を趣味でよく作っており、女王にも献上していた。衣食住を与えてもらった礼だと言われた時には随分律儀なと笑って受け取ったが、ふとフォルスブルグエンドでの待遇はあまり良くないのではと気づき、殊更目をかけてやるようにした。王族と下々のものとの距離感はイルデブランドの方が近い。


 彼が任期を終え引き取られた数年後にディムが来た。役割としてはヘデラと同様、指導者としてだったが、こちらはナジモ湖のアスファルト含有量の調査がメインだった。彼もまた、手引書を見ながらだったので、本職でなかったのだろう。


 ヘデラのことがあったので、こちらの待遇にも気を遣った。自分と同じ黒髪に親近感を持ち、エリアスと二人まめに声を掛けているうち、彼が絵描きだということを知った。


 ヘデラとは国は違えど同郷だといい、故郷についてを語ることは禁じられているとは言いながらも、いくつかその風景を絵にしてくれた。人物画は専門外だと笑いながら、幼い少女が絵筆を持つ画を何枚か描いた。それから岩を砕き、モザイクをあしらったテーブルや椅子をいつくか作成した。これらは全てアレシアの自室に置いてある。


 彼はまた、持参した本を肌身離さず持ち歩いた。表紙には幼い少女の姿絵があしらわれており、そこに黒く乱れた文字が踊っていた。なんと書いているのかと問えば、自分の名前だと言う。


「蒔田へ、大天才小西様よりって書いてあります。バカでしょ。昔っからバカなやつなんですよ、こいつ」


 故郷の友人が書いた本だというが材質は紙にしてはツルツルとしていて見たことのない文字が規則正しくギッチリと敷き詰められ、また鮮やかな色の画がふんだんに使われていた。中の人物画はディムの絵より、より精密で、息遣いまでも感じられるような出来栄えだった。その本を見ながらディムは故郷の言葉をアレシアとエリアスに教え、自分の本当の名も明かした。確かに彼は人誑しだった。気の抜けたような笑顔で立場という距離を簡単に縮めてみせた。


「彼らは脱走しました。ちょうど私が亡命を謀った頃です。煙のように姿を消したので、私は彼らが自分の世界に戻ったのではないかという説を推しますが、実際のところ定かではありません。方法もわかりませんし」


 へれもも。恐らくけれども、と続けようとしたのだろう、菓子を食べながら喋ろうとしたヴェラルディは、口の端から粉がテーブルに落ちたのを見つけ、何の躊躇もなく手で払い床に零した。行儀にはうるさいエリアスが、ああ、と堪え切れず失意の声を出したが、まるで他人事のように不思議そうな顔で一瞥し、何事もなかったかのように話し続ける。アレシアはそれに苦笑するしかない。


「少なくとも二度バロックの召喚に成功しているのです。期が満つればエルヴィラはすぐにでもバロックの完全体を呼び出したい、そして目的を果たしたいと思っているに違いありません。だからバロック召喚の気配を感じたら直ぐにそれをこちらに奪いましょう。奴に先手を打たせないために。幸い私には信頼のおける筋からの情報を得る手立てがあります。研究馬鹿で自分の関心のないことには無頓着な男ですから情報の隠匿には向きませんが、元来偏屈で社交的でもないので結果的に知り得た情報を漏らすことはまずありません」


「つまりその殿御は貴女に聞かれたことが自分の関心ごとの範疇にない限り、なぜその情報を欲するかにすら関心及ばず問われるまま答えてくれるということか。そして知り得た情報についても無関心だし人付き合いもないから他人に吹聴することもないと」


「はい、私の元夫ディノはそういう男ですので結婚生活は非常に価値のあるものでした。互いに研究の邪魔をすることはなく、他の研究者ならば利を考え口を噤むことも、彼はあっさりと協力してくれました。ただ惜しむらくは夫婦生活に於いてのみ噛み合わないことが多々あったことです。生殖学的に女性の胸部構造は重要ではありません。私程度の大きさでもなんら問題は御座いませんが、あちらとしては許しがたい問題だったようで、やれ栄養のあるものを摂れだの緊張感のある服を着ろだのと」


「要するに?」


 ヴェラルディの元夫の性癖について言及するつもりはない。つまり、何が言いたいのかと口を挟めば


「ナジモ湖の水位が下がった今、マベルを封印したという祠が顔を出し始めています。その封印を唯一解くことができるバロックの完全体をエルヴィラは望んでいます」


「何のために」


「エルヴィラは先祖返りでもしたのか、人には使えぬ不思議な力を操るそうです。それこそ、建国神話に記されるようなものです。ならばそこにある力の最たるもの、マベルを手に入れようと考えても不思議ではないでしょう。ただそれは全てを死地と化す忌まわしい力。再生を司るインタージャーがいなければ、人の住めぬ土地が残りなんの利も得られません」


「ならば王子はインタージャーを手に入れた後マベルを解放し、建国神話を再現しようとでもしていると? 例えば諸国を薙ぎ払い自身を神話になぞらえ神とすると」


「ええ、そしてそれは決して遠い日のことではないことを申し添えましょう」


 そんな話をしたのが一年ほど前。そして今、このイルデブランド城にはインタージャーの少女と共に異世界から召喚された、シバナリヒカルという年若い青年が保護されている。


 ヴェラルディの言葉を借りるなら、既に「間に合わぬかもしれぬ」状況に差し掛かろうとしていた。

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