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 日本でいえば夏の名残の頃だろう。体感的にみた日にちの感覚はもはや曖昧になってはいたが、まだ電池の生きている腕時計はしっかり役目を果たし正確に時を刻み続けている。夏の時期、年の半分近くが雨季だというこの地の平野部は、気温が高くなり蒸し暑く鬱陶しい日が続くらしいが、高地に建設されている城のあたりは若干気温が低く相対的に見れば過ごしやすい場所だった。現在は乾季に入り、湿度の低いからりとした空気状態で、朝晩の冷え込みが強くなっている。昼の日差しはなかなかに強く、日中と夜間の温度差が大きいので体調の維持には苦労する。


(少し背が伸びたかな)


 晃流は丁寧に撫でつけた髪の一束を摘みながら鏡に写る姿を眺めた。首回りがかっちりと覆われる学ランのような形のジャケットには細かな装飾品が散りばめられており非常に重い。見慣れない服であるためお仕着せ感もある。


 詰襟の服など中学以来で、この時期だからまだ着ていられるが、雨季であれば熱中症で倒れてしまうだろう暑苦しさだ。


「ふむ、悪くない」


 満足げな顔でアレシアが頷く。傍らには同様の上着を羽織った浅黒い肌の男が立っている。そちらはさすがに本職ゆえか着こなしが様になっている。


「馬子にも衣装ってやつですかね」


 へらりと笑ってみせると「それだ」とエリアスの叱咤が飛ぶ。


「表情を緩めてはいけない」


「そうだな、ヒカルは緊張感のない顔をしているから油断するとボロが出る」


「そっすか」


 努めて真面目な表情を作り、また姿見を確認する。眼鏡を外しているため少々視界が悪いが、元々生活に不自由するほど見えない訳ではないので、多少寄ればそれなりに分かる。


「そうですね、こうしてるとそこそこちゃんとしてる様に見えなくもない気がする」


「そこそこじゃ困るのだがな」


 苦笑交じりの女王におや、と目を留める。普段あけっぴろげに感情を出す年上の女性のそんな難しい表情は珍しい。


「ヒカルの立ち居振る舞いについてはまあ合格点ということろだろうし、外見についてはいかにも文官らしく違和感もない」


「ひ弱そうってことですかね」


「否定はしないが」


 評価は微妙なところだが、晃流自身も納得出来るので特に反論もない。いかにも軍人といった体格のエリアスと並べば、暑さ寒さにすら不満を漏らす晃流はどこからどう見ても体力勝負には向かない。


 アレシアはそれきり口を噤み、鏡越しにまじまじと観察を始める。裾を引っ張られたり、斜めに傾いた装飾具を直されたり、年上の女性に世話を焼かれるのは幼い子供のようで照れくさく、晃流は居た堪れないような顔をしてエリアスに視線を送った。だがフッと軽く笑われただけで特に止めてくれる様子もない。仕方なくされるがままになっていると女王は満足したのか体を離し、今度は上から下まで何往復も視線を寄越す。


 まるで入学式前の母親のようだ。そう考え晃流はため息をついた。


 家族は今頃どうしているだろうか。自分の家族だけではない、沢良宜、曾根崎家も含めて、心労は如何ばかりかと考える。特に莉央の家庭は父親の病気もある。母親は随分と明るい人ではあるが、それが表向きのものだというのは莉央と付き合い始め、自宅を度々訪問するようになってもう分かっていた。入院した夫の不在に肩を落とす様子を目にすることは珍しくなく、もちろん晃流が訪ねればいつも通りテンション高く歓迎してくれるが、そういった切り替えは実際のところあまり上手くないようだ。少なくとも一人娘はそれに心を痛めていた。


 せめて自分だけでもこうして元気でいることを伝えたい。もちろん叶うならば三人共無事であることを知らせたいが、現状隣国にいる二人の幼馴染の状態についてはっきりしたことは分からなかった。


 四ヶ月前、定期的に更新される貿易協定の調印に出向いたイルデブランドの高官二名が莉央の無事を報告してくれたことは聞いている。ただ対する意見は割れたという。実質交易権は相手方の掌中に握られている状態で、イルデブランド側とすればその概要を自国に有利な条件でまとめ、少しの譲歩も許さなかった相手国の王子は目の上のたんこぶどころか行き先を阻む岩石のように厄介な人物だ。その傍らに侍る者もまた、反感の中目にすることだろう。


「王子の側に立つ女性はリオと名乗りました。少々幼くは見えましたが美しく着飾り、また堂々と場をあしらうその姿は我々の目を惹きました。王子は片時も離さず常にその肌に触れ、当人もまたそれを喜びの中受け入れてるように見受けました。かの国の建国神話になぞらえた存在であり、また人とは異なる不可思議な能力を持つというバロックに違いないでしょう。ただ、その扱いは話に聞いていたものとは違うようでした。通常バロックは男性で、昨今では公の場に身を置くことはなく、近衛の異人部隊に籍を置き武人としての働きよりは持てる知識を活かし国の発展に尽力をするとのことでしたが、その女性から知性を感じる発言を確認することは出来ませんでした。なにか問い掛ければ答えるのは側に控えていた大法官府長補佐であるディノ・トルーティカという男です。女性は場の花としてそこに置かれているだけのようでした」


 つまり、フォルスブルグエンドの王子は公式な会合の際に自分の気に入りの見目だけの女性を侍らし喜んでいるうつけであり、その席に遠慮もなく座する娘もまた弁えのない者だというわけだ。


 ただ、二人訪問したうちのもう一人の評価は全く逆のものだった。


「フォルスブルグエンドでは元々公の場に女性を出すことを避ける傾向がございます。王族の妻、子であっても対外的な場に同席させることはなく、ただ余程見目麗しい者だけは場の引き立て役として置かれることがございます。王子との距離、また識者であるディノ氏とのやり取りを見るに、発言こそは意図して控えているようでしたが充分な知識、教養を持っているように見受けられました。王子はあえて娘をその場に置いたのでしょう。口を開かずとも外交についてある程度理解している様子でした。それを王家に迎えるのならば、フォルスブルグエンドにはまた改変が訪れるのではないかと考えます」


「どちらが正しい評価だと考える」


 それなりに着こなした晃流に満足をしたらしい女王は、ようやく体を離し、部屋の中央にあるテーブルに置かれたティーカップを立ったまま傾けた。それに対し行儀が悪いと顔を顰める年下の婚約者の姿。アレシアに振り回されるエリアスの様は何度見ても微笑ましいなどと考えるのはこの世界が、この国が自分のいるべき場所として馴染んできた証のような気がして不思議な気分になる。


「そりゃ、後者だと思いたいですけど」


 アレシアの笑みに、身内贔屓だと笑われるかなと思いつつ答える。晃流の知っている莉央は自ら積極的に動くタイプではないが、与えられた役割をそつなくこなすくらいの要領の良さを身につけている。


 晃流自身、自分の学びがこの世界の基準の中で高等なものであることを今は知っている。もちろん専門知識を競うには及ばないが、同世代の一般人の中では飛び抜けている。それがこの世界で必要とされる知識なのかはまた別問題だとしても。ならば莉央も当然持つ知識の中、全てを理解していることだろう。


「王家に迎えるというのがどういうことだかは分かるな」


「あんまり考えたくはないですけどね」


 どこぞのシンデレラストーリーじゃあるまいしと苦笑しつつも、十分あり得ることを晃流は分かっている。自分から見れば前時代の遺物に違いない考え方もこの世界ではまだまだ現役だ。


「あの王子に女を愛でる趣向があるとは思わなかった」


 遠い目をして呟く女王。「は?」と呆けた声が出た。


「え、いやあの、その王子様って、え、まさか」


「何かを、と言うのか。異性をというのか、自分や自国以外を、というのか」


 にやりと貴人らしくない笑みを向ける美しい黒髪の女性。わざとだ。わざと紛らわしい言い回しをして晃流をからかっている。この国の王族教育はどうなっているのかとまたエリアスを見れば、こちらはもはや何も耳に入らないといった様子でどこかを見つめている。甘やかしすぎだとため息を漏らせば、企みが上手くいったときに聞く高い笑い声が重なる。


「まあ良い、続報がある」


 アレシアはカップに残った最後の紅茶を一気に煽るとソーサーから外れた場所に勢いよく下ろした。カツンと立てた音に行儀が悪いと再び顔を顰めるエリアス。同時に晃流は「ほんとに?」といきり立つ気持ちでテーブルに両手を付き「行儀が悪いな」と目の前の女性に窘められる。壁際の男は顰めた顔のまま頭を振る。


「アオイはやはり近衛の異人部隊に放り込まれているらしい。黒髪の少年を見たものが市中にいる。しかも中々に馴染んでいるようだ。探らせたが概ね好意的な意見が集まっているそうだぞ。だが少年がそのへんを普通にうろついているのならば、王子に囲われているリオとの接点はないだろうな」


 二ヶ月後、再びイルデブランドの人間がフォルスブルグエンドを訪れることになっている。夏はフォルスブルグエンドからの食料品の輸出が強いが、東側に突き出た大きな半島、俗称「魔女の鼻」、そしてその南にある「魔女の口」と呼ばれる入江の辺りは冬場は強い寒波に見舞われ豪雪地帯となる。夏場には豊かな海の恵みを届ける場所も、その時期には凍りつき船を出すこともままならなくなるという。そのためこれからしばらくの間は燃料資源に富むイルデブランドが交渉権を強めることが出来る。


 それでも自然の厳しさがあればあるほど希少な海の宝石が持つ魔力の含有量が増し、高価な値をつけるようになるのだというから、多少イルデブランドへ譲歩したところでフォルスブルグエンド側は簡単に元を取れる。「魔真珠」はバロックの力を使わなくても加工次第でその魔力を引き出すことが出来るのだが、その加工技術はフォルスブルグエンドにしかないので、結局のところイルデブランドは冬場有利にことを進められても年間を通せば大した成果もない。それでも半年に一度の交渉でその後数カ月の利潤が変わるのだから大きな取引となる。


 晃流は今回、その取引の場へ向かうことになっている。実際話を進めるのは女王の名代として前回も参加した二人だが、側近として晃流、護衛としてエリアスも同行する。晃流の風貌はイルデブランドの人間とは遠く、またエリアスは顔を知られているため二人とも変装をして赴く予定だ。


「前回同様にリオが出てくれば接触を持つ機会も得られよう。前回は異人部隊が警護を勤めたという話だから、その中にアオイがいればヒカルには分かるだろう。どちらでも良い。片方とだけでも接触し話が出来るといいのだが。おそらく容易いのはアオイのほうだろう。数日滞在することになるわけだし、兵舎の作りはどこも似たようなものだ。忍び込み攫い出すのは造作なかろう。ただ、王子に必要なのはリオの方だからな、本当ならばぜひこちらを奪いたい。あやつにひと泡吹かせるには効果的だろう。ただ、難易度も桁違いになるだろうが」


「他人事だと思って軽く言ってくれますよね」


「何を言う。私の一番の側近であり婚約者をつけるのだ。失敗するわけがない」


 現在では同盟国、だが実際には対等とは言い難い関係である隣国に落ちた晃流がなぜこの国で目を覚ますことになったのか。その理由はすでに聞いている。最初は冗談めかして「腹いせ」などと言われたが、実際にはもっと深刻な理由である。当然だ。一度国境を跨げばこちらの法律など通用しない。隣国の女王の側近が、本来ならば無縁な辺境の地を訪れるなど、偶然だったとしてもどんな陰謀説を捏造されても可笑しくはない不自然さである。


 そこまでして、異世界の人間を呼び出した者たちより先に確保しようとした理由。


「……建国神話など、単なるおとぎ話だと思っていたのだがな」


 普段凛と響く女王の声は、少しだけ掠れていた。

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